日々愚案

歩く浄土99:情況論23-総アスリートから総表現者へ9-内包自然と総表現者3

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自己という主観に先立つ超越があるということ。その超越を神と言おうと仏と言おうとこの超越の由来を説き明かすことは一筋縄ではいかない。自己はそれほど自明ではないということは、わかる者にはすぐわかるが、わからぬ者はわからぬ。それほど自己であるということは鞏固なのだと思う。わたしはこの自己という現象がひどく脆いことを体験的によく知っている。強固な自己と脆い自己。自我や主観や主体の定義はともかくとして、外延知の自己の形式には幅がある。この幅としての自己は、どういう定義をしようと、同一性から流れ下った空虚としてあらわれるとわたしは理解している。この覚知がヴェイユやフーコーにあった。俗知と異なる知を発明すること。思想の対蹠的な場所から言葉をつくってきたヴェイユとフーコーが不思議な邂逅をする。

「作家というのは、自分の本や刊行するものの中にのみ作品を創るのではなく、彼の主要作品というのは、最終的には、本を書く彼自身である」(「レーモン・ルーセル論」アメリカ出版インタビュー・高頭麻子訳の引用からの孫引き)というM・フーコーの言葉を知ったときは、驚き、そうだ、と思った。
「私が驚いているのは、現代社会では、技芸(アート)はもっぱら物体(オブジェ)にしか関係しないという事実です。技法が美術家という専門家だけが作るひとつの専門になっているということですね。しかしなぜ各人めいめいが自己の人生を一個の芸術作品にすることができないんだろうか? なぜこのランプとかこの家が一個の美術品であって、私の人生がそうではないのか?」(「ひとつのモラルとしての性」『現代思想』1984年10月号)フーコーの言うとおりだと思う。フーコーのこの発言はわたしの「内包自然と総表現者」のイメージと重なる。

フーコーのこの気づきは、西欧の精神風土を分厚い地層で覆った牧人=司祭型権力の主体の解体が前提となっている。「現代の危機と呼ばれるものの特異性をなすのは、現代人が、このような牧人=司祭型権力によって生ずる〈個人〉の問題に、極めて鋭敏に反応するに至っていることにほかならない。これらの運動において問題になっているのは、隷属状態から脱却すること、牧人=司祭型権力が〈主観性〉という形で、個人を彼自身へと強制的に結びつけたあのメカニズムから脱却することなのだ。人間の精神的変革が国家の変革の条件なのか結果なのかという古くからの議論についても、そもそも個人が〈主観性〉〔自己についての自己の意識〕という形で自己と保つ関係は、実は権力の関係ではないのかと問う必要がある」(『哲学の舞台』所収「政治の分析哲学」176p)

ところが、『性の歴史』第三卷『自己への配慮』刊行のあと、〈わたし〉が〈わたし〉ととり結ぶ関係について、「つまり、人が自己自身に対して持つ関係のあり方、自己との関係で、それを私は倫理と名づけているわけで、この自己との関係が、個人がどのようにして自分自身の行動の道徳的主体としての自己をつくりあげるとみなされるかを決めているんです」(『ひとつのモラルとしての性』)と主題を転調して語っている。鳥肌が立つようなおもいで謎の中心にはいっていく。

死の直前にフーコーは思考の転回を遂げているようにみえる。フーコーの次の発言をながいあいだ考えた。「〈自己(わたし)〉はわれわれに与えられているのではないという考え方からは、ただ一つの実践的帰結しか引き出せないと思います。つまり、われわれは一個の芸術作品として自己を組み立て、制作し、規定していかなければならないという帰結ですね。サルトルがやったボードレールとかフローベルの分析で、サルトルが創作の仕事を自己-作者自身とのある種の関係のせいにしているのをみるのはおもしろい、自己との関係が真正性の形であれ、非真正性の形であれ、ともかく。私はこれとまさに反対のことは言えないのかどうかと考えているんです。つまり、誰かの創造的活動をその人が自分自身に対して持つ関係のあり方のせいにするのではなくて、その人が自分自身に対して持つ関係のあり方を、その人の倫理的活動の核にあるような創造的活動に結びつけてみるべきかもしれないんです。(「ひとつのモラルとしての性」)ここがフーコーが最期に到達した思想の地平だと思う。

フーコーの倫理の転回は思弁的なものではなく、ここで体験の固有性は普遍的に語られている。好きなフーコーの言葉がまだある。「私の嫉妬はどんな大河にもまさるほどだ」「私は一八年来、ある人に対して強い感情を抱いている。たぶんあるときからこの情熱は愛に変わったのでしょう。実は、それは私たち二人の間にある情熱状態、それ自身以外に終わる理由もなく、私がそこに完全に入れこみ、私を貫いて通るこの恒常的な状態のことです。彼に会いに行きたい、彼と話しをしたいと思うとき、私をとどめるものはこの世にひとつもありません」(『現代思想』1981年対談)とフーコーは言う。産業社会の高次化の圧力やヘテロセクシュアリティの行き場のなさがホモセクシュアリティをつくったとでも言うのだろうか。そしてそれはフロイトの性の分析理論から説明できることなのか。絶対にそんなことはないんだよ、オレはそんなことを認めない。フーコーは『同性愛と生存の美学』ではっきり言明した。ふ、ふ、バカめ、おくれとるのよ、フーコーはつぶやいた。
フーコーが倫理や道徳的主体というとき、それは主体の彼方からの来襲のことを指している。わたしの内包とそっくりだ。

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主体の解体についてフーコーは次のように考えた。フーコーの思考の原点だと言ってよい。それが語られている。たくさんの思索者がさまざまな試みを個性的に挑戦した。世界のどこにもおれの安息の地はないが、かれらは心の底から安堵する言葉をつかもうとした。

というのも、これらの人々は皆、一九五〇年代に、次の三つの事をしてくれた最初の人々だった。すなわち、第一には、われわれが閉じこもっていたヘーゲル哲学の幻惑からわれわれを脱却させてくれたこと。第二には、〈主体〉の問題を、哲学にとって、現代の思想にとって根本的な問題として立ち現わさせたのも彼らが最初だったということ。言いかえれば、デカルトからサルトルまで、〈主体〉は根底的な何物かであるとは考えられてきたが、しかしそれは、人が手を触れないものであり、問題にされることのない事柄だった。そこから、ラカンが極めて明瞭に示したことの意味も分かるし、また逆に、サルトルがフロイト的な意味での無意識を決して認めようとしなかったことも分かるのです。すなわち、〈主体〉とは根底的で根源的な、はじめにある形態などではなく、〈主体〉は幾つかの作用から形成されているのであり、その作用は〈主観性〉の次元のものではなく、名づけ、出現させるのは難しいが、いずれにせよ〈主観性〉というものよりはよほど根底的かつ根源的な、はじめにある何物かなのだ、という考えなのです。主体は、生成と形成の過程を持ち、歴史を持つのであり、はじめにあるものではない。
ところで、このことは誰が言ったか。フロイトも言ったでしょうが、しかしそれが明確にされるには、ラカンを待たねばならなかった。ラカンの重要さはそこにあるわけです。
バタイユもある意味で、ブランショもその固有のやり方で、グロソウスキーもまた、同様に、この〈主体〉というはじめにあって自明の理とされるものを解体せしめたのです。そして、ある形の経験を出現させることによって、そのなかで、主体の解体、主体の消滅、主体の限界との出会い、その限界の外への主体の逸脱の運動によって、主体が、伝統的に哲学の説くような、はじめにあって自己充足的な形態などではないということを示したのです。
このような〈主体〉の非根底的・非根源的性格こそ、構造主義者と呼ばれた人々に共通のものだった。それが先行世代にとって、極めて不愉快なことだったわけですが、ラカンの精神分析にせよ、レヴィ=ストロースの構造主義にせよ、バルトの分析、アルチュッセールの仕事、あるいは私の仕事にせよ、私達はすべてこの一点については意見が一致していた。すなわち、デカルト的な意味での〈主体〉、そこからすべてが生まれてくるような根源的な点としての〈主体〉から出発してはならない、ということでした。そして第三には、〈主体の解体〉を通じて、ニーチェへと導かれたということです。(『哲学の舞台』50~54p)

これが話されたのは1978年4月22日となっている。『知への意志』が1976年に、『快楽の活用』と『自己への配慮』が1984年に刊行された。倫理の系譜学とされるこの二著を出版後フーコーは急逝する。牧人=司祭型権力を振り切り、知のあらたな領域を開拓した。思考の長い旅路の果てに主体の解体を見事にやりきったと思う。ついにフーコーはひとつの生の技法を発明した。生を作品にしうるというとき、解体された主体は領域化されていたのではないかとわたしは推測している。もしも「私」と「ある人」の関係が傾いていたら、表現が生をつつむことはできないと思うからだ。フーコーはいつも理念において自己を語るから、素顔がなかなかみえてこない。生きていることが作品であることの気づきや、表現は倫理の核にあるものからのうながしであることの発見や、「私の嫉妬はどんな大河にもまさるほどだ」は、充分な表現の深さをもち、言葉が言葉として自存している。ゆるぎない思想の達成だと思う。そのうえでフーコーは社会の理念的な組み替えを思想の構想力として成しえたのだろうかと問うてみる。フーコーの思想はいまなお有効なのだろうか。思想の全円性において生をつつむことができるのだろうか。それはわたしたちの生を未知へと誘う力をもつのか。
フーコーの当時の世界認識と現在の世界の様相はまるで違う。世界はフーコーが生権力を分析したときよりは、はるかに追い込まれている。人びとの生活の足下には昏い穴があき、そこから排除されたものは例外社会に監禁される。例外社会をないことにして、あるいは見ないことにしてしか市民社会は存立していない。それがわたしたちの現状だ。

フーコーは牧人=司祭型権力の従属状態から抜け出したいという思考のモチーフがあった。それは次のようなことだった。「関心を持つのは〈永遠なるもの〉、〈動かぬもの〉、外見の輝きの変化の下に〈変わらずにいるもの〉ではない。私が関心を持つのは、〈事件〉です」「『われわれは何者か?』という問いと、『今、何が起きているのか?』という問い、この二つの問いは、伝統的な哲学的問いである『魂とは何か』とか『永遠とは何か』とかとは大いに異なるのです」(前掲書 23p)しかしフーコーの問いかけはフーコーの思想にそのまま投げ返される。それほど世界は変貌した。わたしたちはいま転形期の激動のただ中にいる。
フーコーの事件を見ていく。事件を語るとき、フーコーは言葉を、言葉として自存させるのではなく、思考の慣性への対抗概念としてつくっている。それでは訊こう、事件とはなにか。見聞するは我がことにあらずというわたしの思考の原則から言えば、当事者性ということをぬきにして、出来事はない。自身の生存感覚を貫き、我が身に起こったことは当事者性の必要な要件である。その余は傍観者であり、事件を高見から見物するだけではないのか。なぜボートピープルの支援運動などしたのか。サルトルの隣に立ちビラを配っていた。わたしが大江健三郎の隣に素知らぬ顔をして立つことはない。偉大な知性に宿った卑小な寄り添い。少しだけ生身のフーコーが顔を見せているところをつけ加える。

『ミシェル・フーコー伝』によると、フーコーは一九六六年末、哲学教師としてチュニジアに到着する。そして一九六八年五月以前に当地で学生の反乱を目撃する。

 ぼくはこれまで運に恵まれていました。スウェーデンでは社会民主主義が〝うまく〟機能しているのを見ましたし、ポーランドの人民民主主義の〝まずい〟機能の仕方も目の当たりにしました。つぎに第三世界の国、チュニジアも見ました。そこで、二年半生活したのです。衝撃的だったのは、フランスで五月に起きた事態より数週間も前に、チュニジアで学生たちのきわめて強大で激しい暴動を目撃した点です。六八年三月のことでした。(略) 何としても言っておきたいのは、あの青年や若い娘たちが恐ろしい危険をおかしつつビラを作ったり、配ったり、ストへの参加を呼びかけたりしていたことです。・・・彼らは自由を剥奪される危険を実際におかしていたのです! それはぼくに驚くべき衝撃を与え、一つの政治経験となりました。

 この現代世界では、いったい何が人に、絶対的な献身への意欲や好み、それへの能力や可能性を与えうるでしょうか。それも何らかの利益追求や何らかの野心、権力欲などがともなわないままに、です。ぼくはこうした事態をそっくりチュニジアで見ました。

出来事の目撃者という以上の意味をもっていない。なぜ血気盛んな若者たちの事件の現場を見ることが驚くべき衝撃で、ひとつの政治経験になるのか。わからない。体制に謀反をもち蹶起し、酷く処せられる。歴史の連綿とした自然ではないか。権力を手にした者らはおなじことを衆生に施す。どこに未知の自然があるというのか。フーコーたちの主体の解体が言葉の戯れでしかない所以がここに記されている。かれらは知によって世界を睥睨するだけだ。牧人=司祭型権力の解体の果てに変形した牧人=司祭型権力を手にする。知を可能とする意識の範型は変わることなく順送りにたらい回しにされる。そこではいつも華麗な知がにぎやかに饗宴される。なにが変わったというのか。なにも変わらない。外延知をどう解釈しようと、どれだけ解体しようと、牧人=司祭型権力のひな形の権力を手にするだけだ。思考の精進の果てに手にするものがこんなものであっていいのか。せっかくなにかに気づいたフーコーの思想には欠落がある。生が最終的な作品であると発言したではないか。急逝したフーコーに問うのは酷だということは承知している。

われわれは何者かという根源的な問いを回避して事件の現場を祭り上げてどうする。伝統的な哲学を言挙げしてもつまらない。不動の根源の出来事がなければ、なにが変化して、なにが変わらずにいるのか感知できない。ヘーゲルの哲学やマルクス主義の残滓に不満があろうと、牧人=司祭型権力が西欧の知の伝統や精神風土に深く根ざすものであろうと、主体の解体を唱える者らが知の秩序そのものに手をかけることはない。先行する世代の教養的な知などどうでもいいではないか。自己に先立つ超越を未知のものとしてつかむということは、そういうことではまったくないのだ。フーコーは主体の限界や主体の消滅を、思想の全円性ではなく外延知で語っているにすぎないようにみえる。性を〔主体〕とする思考が可能なことをつかみながら、その知を外延知で語っている。わたしはフーコーの思想は考究されるべきおおくのことがのこされていると思う。

鋭利なフーコーの分析がふと思考の緩みをみせているところを取りあげる。

私が今行なっている西洋世界における〈権力の技術〉、つまり〈身体〉ならびに〈個人〉を対象とする〈権力の技術〉の分析を通じて、私は、キリスト教の規律というものに、一般に西洋における〈個人性〉と〈主体=主観性〉を形成したものとしてのキリスト教に、重要な役割を与えることになってしまったわけですが、そこで私としては、このようなキリスト教の技術を仏教の技術と比較できたらと思うわけです。というのも結局のところ、キリスト教の修道生活は、仏教のそれのほとんど引き写しなので、出発点は非常に近いもののはずが、その結果は全く異なる。仏教の修道生活は〈非個人化〉を目指すものであり、個人性というものをその限界へともたらし、その限界の先で、自己からの解放を企てるものだからです。(『哲学の舞台』57~58p)

フーコーが持ちあげる仏教による主体の解体は、自然への融即の術であり、日本的な自然生成のあらわれである天皇制と同期する。その術を競ってなんになる。天皇の生前退位をめぐりこぞって皆が天皇への敬愛の情を競う。天皇=赤子型権力と言うべきか。おなじように牧人=司祭型権力の根はフーコーが考えたよりずっと根深い。牧人=司祭型権力を批判しながら批判の言説がそのままに牧人=司祭型権力であることができるのだ。第二次大戦後の西欧における主体の解体はきわめて不徹底だった。世界の知的な解釈術にすぎなかった。わたしたちの生きている生命形態の自然はもっとはるかにしぶとい。それがわたしたちの知る自然ということだ。同一性を拡張しないかぎり、牧人=司祭型権力も天皇=赤子型権力も無化することができない。つまりどうやって外延知をひらきうるかということだ。わたしは総表現者という概念をもっと強い概念で言いたいと思っている。内包自然につつまれてはじめて可能となる生や思考の未知がそこにある。そしてそこで生は表現につつまれておのずと作品になる。

偉大で空虚な知性がよぎられたひとつの〔倫理〕。「私たち二人の間にある情熱状態、それ自身以外に終わる理由もなく、私がそこに完全に入れこみ、私を貫いて通るこの恒常的な状態のことです。彼に会いに行きたい、彼と話しをしたいと思うとき、私をとどめるものはこの世にひとつもありません」。このたったひとつの〔倫理〕を手にするためにフーコーの思考の探索があった。そしてその場所をフーコーは生きた。それは思考することの果てに恩寵としてふいに訪れる。内包自然をフーコーは生きたのだと思う。フーコーはたしかにそのなかにいてそこを生きた。できればフーコーの「倫理的活動の核」(内包自然)から広がっていく風景を見たかった。まだ困難な道行きをつづける。

 

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