日々愚案

歩く浄土97:情況論21-総アスリートから総表現者へ7-内包自然と総表現者1

    1
数少ない読者よ。昭和天皇の玉音放送と吉本隆明の思想が意識としては同型であるというわたしの発言にたいして、なにをべらぼうなと思うでしょう。それらの反問を反芻したうえで内包表出という概念を少しだけ書いた。すでに20年以上前に『内包表現論序説』(「起源論」)の434~446pで言っている。こういうときサイトアップしてると便利。どうかお読みください。なかなか短く要約することができなくて、じつは昨日も今日もメモがとれなかった。内包的な表出のことについてはずいぶん前に書いたことをすっかり忘れていた。公式サイトに『序説』を載せたくて、PCに保存していた『序説』のテキストデータを本の書式に変換しながらひととおり目を通した。
『内包表現論序説』も『内包存在論草稿』も広義の性を内在化はできていないが、還相の性という概念を時間化すればモチーフはそのまま活かすことができると思う。性も自然も、同一性から派生した自己を実有とする思考の慣性から来ているのかもしれないとはマルクスも吉本隆明も考えなかった。かれらにとっては自己は自然的な基底だった。その自己という自然は、生命工学と強いAIまで引延されている。天然自然はこの人工自然に呑みこまれようとしている。

このおおきな罠にマルクスも吉本隆明も気がついていない。マルクスが人間の営みを「自然史的過程」に還元しようとするとき、あるいは吉本隆明が観念の営為を自然史的な過程としてみようとするとき、ではその自然とはなにかを理念として問うたとは思えない。わたしは問うた。その自然とはなにか、と。そのことをわたしの体験は問うた。昔、吉本さんにお会いしたとき、1979年の冬だったが、マルクスと自分の方法論について、宙を睨みながら次のように言った。「マルクスの方法。現実形態の自己表出が観念形態である。マルクスは確実にそう考えていたと思います。それだけです。徹底的にそれだけです」。「自分の場合。現実形態の自己表出が観念形態であるが、観念形態は観念形態の自己表出をもつ。私はそう考えます。しかしそれで充分かというとちがう、まだわかりません。だからよくわからないのが結論です」。マルクスと吉本隆明の思想の方法の根幹に関わることが簡明に述べられている。わたしは内包論でマルクスや吉本隆明の思想が暗黙の公理としていた自然的な基底そのものを土台から拡張しようとしてきた。

内包表現論のモチーフを一貫させたいので素朴な疑問を提起する。「人間が何ごとかを言わねばならないまでにいたった現実的な与件と、その与件にうながされて自発的に言語を表出することとのあいだに存在する千里の径庭を言語の自己表出」と吉本隆明が想定するとき、「現実的な与件」とはほんとうは何をさしているのか? うながされることと言葉を発することとのあいだに千里の径庭があることはよくわかる。しかし、ひとはいったいなぜ、何ごとかを言わずにはおれなかったのか、また、ひとはいったい何にうながされて言葉を発したのか。(『内包表現論序説』441p)

Ⅰ 叫び声〈う〉→反射
      ↓
Ⅱ 〈う〉という有節音(指示音声)→意識のさわり
      ↓
Ⅲ 〈海〉→自己表出(象徴的な指示)

 吉本隆明の「意識のさわり説」原人は要約するとこうなる。

 ヒトが環界への反射として唸り声を発する段階からすこしずつ意識のさわりを巻きとり、巻きとった意識のさわりを意識的に自己表出できるようになったとき、対象を指示する有節音は対象の直接性からはなれて象徴表現が可能になり、意識は言語の条件をそなえ、言語の表現は言語を発した人間や他のために存在するようになると吉本隆明は言う。これが吉本隆明の人間的意識の起源であり、「初めに言葉ありき」という立場である。
 よく考えると不思議なことだが、Ⅰ→Ⅱ→Ⅲの転化が自然なひとつながりを成しているように吉本隆明は展開する。ここには吉本隆明が気がつかないひとつの作為がある。この理念はおおきな謎を隠している。つまり吉本隆明の思想がおもわず背中を見せているところだ。吉本隆明がじしんの意識のさわりをたどるように表出の起源をたずねるとき、この意識の伸張の仕方は必然としてひとつの特異点を抱えこむことになる。いうまでもなくこの特異点は近代がはらむ意識の逆理であり、意識が穿つ孔にほかならない。吉本隆明の「意識のさわり→自己表出説」もこの囚われのうちにある。
 なぜヒトの環界への反射である叫び声やうなり声がしだいに意識のさわりを含み、さわりのようなものを感じ、さわりをおぼえ、そこにさわりがこめられるのか、その動因がすこしもふれられていない。これではヒトは空気を呼吸しているというそれ自体ウソはない言い方をするのとかわらない。なぜか意識のさわりが忽然とユーレイのようにあらわれる。
 なぜ意識のさわりは生まれるのか、あるいは意識のさわりは何によってうながされるのか。親鸞は念仏を一回唱えたら浄土にゆけるといったけど、じゃ叫び声を何回あげたら言語になるのだろうか。

 あっさり言えば、「言語が現実の反射であったとき、人類はどんな人間的意識ももつことがなかった。やや高度になった段階でこの現実的反射において、人間はさわりのようなものを感じ、やがて意識的にこの現実的反射が自己表出されるようになって、はじめて言語はそれを発した人間のために存在し、また他のために存在するようになった」と吉本隆明のいう自・他の構造は動態化できる。
 この自・他のしくみを動態化することは近代の壁をつき抜けるということであり、ひとりの〈じぶん〉をひらくことにつながる。ここをつき抜け、ひらく度合いに応じて人間という概念はいやおうなく拡張した表現型をもつことになる。たぶんその鍵は刈り込むごとにふかくなる自然(という概念)の実現可能性にかかっている。あっ。私はすでに対の内包という自然を手にしている。そ。性はひとりよりはるかにふかい。
 私の理解では、Ⅰ→Ⅱ→Ⅲにいたる意識の高度化は連続的転化でもなければ、自然なひとつながりでもない。情動する性というひとの起源からすれば、ⅠとⅡのあいだには目がくらむ裂け目があるというべきなのだ。この裂け目に対の内包という刈り込むたびにふかくなる自然がでんと存在する。この裂け目を〈じぶん〉の外延表現で無理につなごうとすれば今西錦司の「成るべくして成る」にならって、ヒトは意識のさわりを含むべくして含み、意識のさわりをおぼえるべくしておぼえたとでもいうほかない。それではミもフタもない、それは気がついたらそうなっていたと言うにすぎない。つまりなにも言っていないのだ。
 なぜそうなるかと言えば、すでに私たちがひとりということを知っており、そのことになじんでいるので、ついこの意識を外延することで鎖状につながった意味の連関を追い求め、意識や言語の起源をそのなかにたずねようとするからだ。この意識の線状性を私はモダンといってきた。
 この意識の線状性はつねに志向する対象を事後的にたどりなおすという特質をもつ。これは意識されない近代のひとつの作為だ。そして近代の〈じぶん〉さがしはうちにふくんだ逆理に意趣返しされひらたく貧血し、熱血するマルクスの社会にかけた意志論は人間という形態の自然に呑みこまれた。言い換えれば近代はこの意識を自然とするおおきな囚われのうちにつくられ、成長し、築かれた堅固な人工物だ。注意せよ! マルクスという巨大な才能もこの罠にかかったのだよ。
 鎖状につながったながいながいひとつながりの意味の体系は意識の線状性がかたく二重にからまったらせん構造をなしている。かたちへの衝動を貫く文字発生以来のふとい意識のながれと、西欧近代が拘束する意識のながれとが二重にからまってらせんになったながい紐をモダンというのだ。だから意識や社会の転換は複雑に入りくんだらせんの紐をどういう手続きを経てゆるめ、ほどくのかということにかかっている。
 『言語にとって美とはなにか』の「自己表出」を芯棒にした言語の表現理念から、晩年の吉本隆明が力をふりしぼって試みた『ハイ・イメージ論』での「世界視線」を核にした言語の像への拡張は、意識の線状性のうちに近代という短距離のモダンを突きぬけようとしたものにすぎないような気がしてならない。それでは足らんのだな。吉本隆明の世界のさわり方では元気欠乏性貧血は快復しない。
 僕はじぶんの元気の素が欲しくて、むかしむかしの、はるかな太古、気楽な面々は、とおい目をする妖しい気分のふくらみが欲しくて、〈性〉をつくって、〈ひと〉になったと考えた。思想は文法でも規範でも、普遍でも真理でもない。もちろん科学でも客観でもない。そのことはこの百年でじつにはっきりした。思想は単に作品である。思想はだれにもお知らせしない。
 近代をふくみ意識の線状性を包む自然を像の自然と呼ぶ。ひとりよりはるかにふかい性が存在する。はじめに情動するメビウスの性が存在した。プリミティブな性にうながされて、太古の気楽な面々は意識のさわりを生み、意識のさわりを巻きとり、自己表出を可能とした。そういうことだ。このときすでに〈性〉から分極した〈じぶん〉が獲取されているから、意識の線状性は〈じぶん〉をなぞるように、Ⅰ→Ⅱ→Ⅲと高度化する意識のさわりの軌跡があたかも自然なひとつながりをなしているように見るのだ。この俯瞰のうちに〈性〉がかくれる。(『内包表現論序説』444~446p)

わたしには吉本隆明の思想の背中がみえるが、吉本隆明の思想からは内包論がみえない。なぜかというと、マルクスや吉本隆明の自然が内包論によってすでに拡張されているからだ。そのことをわたしは解けない主題を解けない方法で解こうとしていると指摘してきた。

    2
マルクスが考えた現実の疎外という観念形態も、吉本隆明の観念の形態はそれ自体にたいして表現するという思想も、ある前提の上に成り立っている。昭和天皇から出自や環境や臣民とのかかわりのすべてを捨象し、吉本隆明から時代性や個性やそれらのすべてをはぎとるとき、不可避的な必然が裸形であらわれる。個々人の生涯がどうであれ、個々人は同一性の基盤を思考の慣性として、そこからもたらされるすべてを自然として生きている。なにか特別のことをわたしが言っているように思うならば、それは思い違いだ。わたしはこのうえなくシンプルなことを言っている。
世界の無言の条理が人倫のなかに天変地異のようなものとして厳然としてある。この無言の条理をなんとか飼い慣らそうとして倒錯と奇形的な気の遠くなる歳月を経て民主制という理念を歴史としてつくってきた。たとえそれが人格の表出にすぎぬイデオロギーだとしても偉大な観念の飛躍だった。そこまではなんの異論もない。
それでは民主主義をブリコラージュすることで世界を構想することができるだろうか。まったくできないと思う。国柄土地柄に応じた民主制はこれからとほうもない変貌を遂げることになる。人倫は組み替えられある観念の鋳型に押し込まれていくことになるだろう。それが心身の一片に至るまで商品となるハイパーリアルな属躰民主主義だ。そこでは死も生も商品となる。そのときマルクスや吉本隆明の思想はハイパーリアルなむきだしの生存競争に抗しえるだろうか。民主主義の使い回しは時代によく抗しうるだろうか。時代の生成変化を追従するだけだと思う。それはなぜか。音色のいい風が吹く世界を構想しえないからだ。

マルクスも吉本隆明も個人と社会をつなごうとした社会思想家だった。わたしは「社会」のイメージを変えることを構想してきた。同一性を前提とした自己意識の外延表現では人と人はつながることができない。わたしの身に起こったことをくり返し反芻してそう思っている。個人にはあらかじめ共同性がコーディングされていて、内面化がその規範をはずれることはない。そんなものは文学でも芸術でもない。文学も芸術も広大な思考の余白として存在している。

ある意識の呼吸法のもとでは、対象と対象を論じる言葉には、あるいは表現と表現主体とのあいだには必然としてすきまが生まれる。このすきまを制度にすれば国家となり、内面化すれば文学や芸術というものになるが、意識の型としては同型である。いつまでたってもこの世のしくみが変わらないのは、結果として、意識の内面化という形式が権力として制度に備給されているからということもある。それは生きていることが、個人であれ、社会の一員であれ、同一性の罠に監禁されているからだ。(『内包存在論草稿』コメント)

コメントを解説する。
卵を高いところから床に落とすと砕け散る。プチプチの緩衝材にていねいに包んで落とすと割れない。重力(権力)が付加されると対象は傷がつくことが多い。文学や芸術はこの緩衝材のようなものとして存在してきた。緩衝材は重力や振動を軽減することはできるが、重力や権力を無化することはできない。それが文学や芸術だということもできる。「歩く浄土58」で美術家の浜田知明さんの作品について少しだけ取り上げた。非業の死を遂げた女性を鎮魂するものとして版画の作品がある。自己と共同性をつなぐ間違った一般化の典型的な作品だと思う。観客は浜田知明を賞賛し、安易な感動が誘い込まれる。人はこの作品を芸術と称する。こうやって出来事は遺棄される。酷い死を遂げた女性が笑うこと、そこまで表現がとどかないなら、そんなものは文学でも芸術でもない。またわたしが生きるうえでまったく無用のものだ。小林多喜二の『蟹工船』が「社会主義」文学だとしたら、わたしたちのまわりにある文学や芸術は「社会」主義的な作品だ。意識のつながり型としては『蟹工船』と同型であり同根だと思う。

こういうことに自覚的であったのはわたしの知るかぎりヴェイユだけだったと思う。自己幻想のなかに共同幻想に突進していく契機があるとヴェイユは言う。自己幻想が共同幻想に同期するのは、自己を人格を媒介に表現するからだと。ここにだれによっても読み解かれていないヴェイユのふかい思想がある。

最大の危険は、集団的なものに人格を抑圧しようとする傾向があることではなく、人格の側に集団的なものの中へ突進し、そこに埋没しようとする傾向があることである。あるいは、集団的なもののもつ危険は、人格の側の危険の、見せかけの、見る人の眼をあざむきやすい様相に外ならないのかもしれない。(勁草書房『ロンドン論集と最後の手紙』15p)

人格は聖なるものではないという気づきがヴェイユにある。ヴェイユがなにを言いたいのか手に取るようにわかる。人格より深いものが一人ひとりのなかにある。それは聖なるものであり、匿名の領域をなしているとヴェイユは考えた。わたしとおなじことにヴェイユは気づいた。自己幻想と共同幻想は次元が違うといってすむような話ではないのだ。個人と社会の共同性はつるむようにもともとできている。それがわたしたちが知る自然だった。この思考の慣性の上にマルクスは資本論を、吉本隆明は幻想論を構想した。思考の慣性によってもたらされる自然を所与のものとして、そのうえにどれほど大きな思想をつくっても禁止は侵犯されることになる。それは議論の余地なくすでに歴史が証している。どんなけれんみもなく、ある意識の呼吸の圏域を生きるかぎり、それぞれの異見が矛盾や対立や背反するようにみえるだけで、意識としては同型であると言える。
人格の底にある無人格的なものを聖なるものとヴェイユは名づけているが、わたしの言葉で言えば、根源の性を分有することと同義であり、そこを生きるとき、匿名の領域は喩としての内包的な親族としてあらわれることになる。同一性の背後の一閃によって同一性が拡張され、自己は領域化される。このとき内包論は外延論の彼方にあり、この隘路から市民主義的な理念の向こうにあるものがみえてくる。(つづく)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です