日々愚案

歩く浄土94:情況論18-天皇の生前退位の意向について

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船戸与一の『満州国演義』全9巻を読み終えた。名状しがたい余韻がある。母の家のテレビでビデオメッセージを虚心にみた。「私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います」と前置きがあり、「国民の理解を得られることを、切に願っています」で結ばれている。朕は国家なりを体現した昭和天皇は「爾臣民よ」と玉音放送で呼びかけ、「爾臣民、それ克く朕が意を体せよ」で終わる。たしかにここには70年余の歴史の推移がある。ポツダム宣言受諾の旨を国民に告げるとき、「爾臣民の衷情も朕よくこれを知る。然れども朕は時運の趨くところ堪えがたき堪え、忍びがたきを忍び、以て万世のために太平を開かんとする」と無条件降伏の心情を述べている。皇統を護持するために一億総玉砕が叫ばれ、敗戦の弁は国家である朕が述べた。むろん昭和天皇の戦争責任をイデオロギーで裁くことは無意味である。朕は国家であるという共同幻想を共同幻想であるイデオロギーが指嗾することはできないからだ。もしも天皇制を根本から超えるものがあるとすれば、共同幻想のない、共同幻想をつくりえない思想が天皇制を無化する。それはイデオロギーではない。あらゆるイデオロギーを斥けたうえで内包思想がそれを可能にすると考えている。

平成天皇は現人神として爾臣民よとは呼びかけず、個人として考えてきたことを話したいと言い、国民の理解が得られることを切に願うと訴えた。「爾臣民、それ克く朕が意を体せよ」とは違う。とても誠実で丁寧な発言の姿勢だったと思う。すると単純な疑問が湧いてくる。なぜ「皇室は遙かなる東洋の叡智」(白川静)なのか。なぜこの国の人びとはこうまで天皇や皇室を愛好するのか。天皇制のなかに内面化できぬ神秘なことがあるのだろうか。天皇を尊崇するそこになにか壮大な空虚があるような気がしてならない。間違ったつながりの原型ともいうもの。いつのまにか気がつけばそうなっているという精神の古代形象。この精神が「時運の趨くところ」で荒れ狂うと天皇でさえ統御することができず燃えさかる共同幻想の属躰となってしまう。稚気にひとしい天子さまへの尊念に潜むすさまじい暴力。この謎が解けたとは思えない。神道は元の自然に成るということが本義であり、仏教よりも古い精神のかたちが遺されている。この精神の形象は一と多がやすやすと対称的に融合することを特質としている。神道を洗練すると容易に禅仏教があらわれ、ともに自然は生成し対象に融即する。

父親のなした戦争の大犯を、立憲民主制のもと、象徴天皇としての役割に励み、子である息子が生涯をかけて父の罪を償い、体の衰えを感じ、元気なうちに息子の皇太子に天皇を譲位したいという、国民への理解の呼びかけが平成の玉音放送と言われるビデオメッセージだった。特段の印象はなかったが、象徴天皇としての使命に殉じようとする強い意志を感じた。平成天皇は護憲の立場をくり返し明言し、戦争を起こしたいだけのオカルト安倍とはそりがあわず、私は国家元首にはならぬぞ、と言外の意味が込められているようにも思えた。被災地や被災者をことあるごとに見舞い、戦跡を尋ね弔うこと。私利でも私欲でもなく全身全霊をあげて国民とともにあろうとする姿に好感をもたぬはずがない。それはわかる。その努めが果たせなくなるとき、天皇の座にあることに意味はない。摂政を置くことで解決することでもない。それもわかる。
ただ一様に天皇への尊崇を前提とする扱いには違和感があった。それはなぜか、それはどういうことかが問われることはない。天皇はいきなり尊いものだからからとしてそれぞれの意見が開陳される。退位の意向についてはさまざまな憶測があるのは知っているが、退位の意向について書きたいことはそれらとは関係ない。さまざまな報道がなされ、報道やブログやツイートに共通の情緒が流れている。猫も杓子も天皇を尊崇するということで一致している。皆が天皇の「お気持ち」や「お言葉」を褒めあげるのがわからない。なぜそんなに尊いのか。

高橋源一郎は2016年8月8日にツイートした。「天皇陛下のメッセージ、良かったです。とても。メッセージというものは、こういうもののことをいうのだな、と思いました。『いきいきとして社会に内在し』とか『その地域を愛し、その共同体を支える市井の人びと』とか、言葉づかいも素敵でした。そう、それから、あの肉声も、ですね」。わかるが、わからぬ。内田樹も同日ツイートした。「『聴き手の知性を信頼して語られる言葉』を『公人』の口から聞くのは、本当に(記憶にないくらい)久しぶりのことでした。『バカだからどんな嘘をついても平気』『バカだから死ぬほどシンプルな話じゃないとわからない』というシニスムに日本の『公人』たちは骨の髄まで毒されていましたから」「誰も言わないでしょうけれど、陛下の言葉が聴き手の胸にしみいるのは、そこに『国民に対する敬意』と『国民への祝意』がはっきりと感じられるからです。政治家たちの言葉があれほど空疎なのはなぜか、その理由もそこから知れるはずです」。わかるが、わからぬ。辺見庸によると、柄谷行人をしていたく「感銘」させたらしい。ますますわからない。いったいなんのことだ。まるでわからない。ビデオメッセージが真摯であることは語りからも肉声からもよくわかる。わからないのはなぜそれが特別なのかということだ。本屋で鶴見俊介関係の本を立ち読みしたとき、民主主義の効用を生涯説いた鶴見が天皇には公平さの感じがあって好感をもったとあり、すこし驚いた。

たぶんここには人と人がつながるとはどういうことかについて錯認されてきた根深い淵源がある。ビデオメッセージを見ながら親鸞が村人に説教する場面をすぐに思いだした。

親鸞は父母の孝養のためとて、一辺にても念佛まうしたること、いまださふらはず。そのゆえは、一切の有情はみなもて世々生々の父母兄弟なり。いづれもいづれも、この順次生に佛になりてたすけさふらふべきなり。わがちからにてはげむ善にてもさふらはばこそ、念佛を廻向して父母をもたすけさふらはめ。たゞ自力をすてて、いそぎ浄土をさとりをひらきなば、六道・四生のあひだ、いづれの業苦にしづめりとも、神通方便をもて、まづ有縁を度すべきなりと、云々。(『歎異抄』)

親鸞の「一切の有情はみなもて世々生々の父母兄弟なり」という語りもつながりのことを言っている。天皇の赤子というつながりや象徴天皇と国民のつながりは、親鸞の「順次生に佛になりてたすけさふらふべきなり」というつながりとは違う。親鸞のつながりは自力ではないし、自己に先立っている。この超越のことを親鸞は他力と言う。天皇を敬うということで人と人はつながらない。戦時は皇軍の蛮行となり、敗戦間近になるほどに玉砕の精神論が吹き荒れ、平時は「陛下の言葉が聴き手の胸にしみいるのは、そこに『国民に対する敬意』と『国民への祝意』がはっきりと感じられるから」という枕詞として語られる。天皇を冠に戴くことで庶民は平等となるという思考の慣性が内面としてあらかじめコーディングされているということだ。ここで民主主義と天皇制はスムーズに接合する。ファシズムと民主主義も融合できる。主観的な意識の襞にある信としてはなんの矛盾もないからだ。

わたしはこのつながりかたは間違っている、卑小な生がなによりも善きもの、世界のどんな深いものより深くなるという驚異としてあらわれるのは、出来事が内面化も共同化もできないからであると、ずっと内包論で主張してきた。象徴天皇を分けもつということにも、アスリートの生にも、そのどこにも未知はない。それらはすべて同一性の派生態にすぎない。アッシリアの古代より歴史も生も、わが天皇制も、同一性に監禁されている。

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親鸞にとって生きているものはすべて「世々生々の父母兄弟」であった。だから「父母の孝養のためとて、一辺にても念佛まうしたること、いまださふらはず」と言う。宮沢賢治も言う。「まことはたのしくあかるいのだ/《みんなむかしからのきやうだいなのだから」(「青森挽歌」)おなじことを聖書のイエスも言う。

イエスがまだ群衆に話しておられるとき、その母と兄弟たちとが、イエスに話そうと思って外に立っていた。それである人がイエスに言った。「ごらんなさい。あなたの母上と兄弟がたが、あなたに話そうと思って、外に立っておられます」。イエスは知らせてくれた者に答えて言われた、「わたしの母とは、だれのことか。わたしの兄弟たちとは、だれのことか」。そして、弟子たちの方に手をさし伸べていわれた、「ごらんなさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。天にいましますわたしの父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」。(「マタイによる福音書」46~50)

親鸞にあっては、「父母」より「有縁」を度すことに、順次生に佛になるなかに、父母の孝養は含まれている。またイエスは血縁の家族より信仰で結ばれた関係が上位であるとはっきり言っている。キリスト教の信はデジタルで神と人との信仰はオンかオフであり、原罪を自覚するにしたがい信仰の質が向上するというぐあいで、神への絶対的な服従が脅迫される。親鸞の他力はもっとやわらかい。自力の果てるところに潰えた精神をそっと包むように向こうからやってくる。自然法爾なのだ、あなかしこ、と親鸞は言う。なにかほっとする。
親鸞(1173-1262)の100年後を生きた中世西欧のキリスト者エックハルト(1260-1328)も親鸞に似て苛烈である。モダンの権化だった。かれは脱自をモットーとした。始終脱自、脱自と気合いを入れていたのだと思う。一門は浄土宗同様、徹底した弾圧と処刑と焚書に遭う。エックハルトの教説を記した石版は治安を乱すとして破壊される。それでエックハルトの事跡は痕跡しか遺されていない。

 わたくしは多くの書物を読んでみた、異教の師たちや予言者たちのものも、旧約聖書や新約聖書も、ともに読んだのである。そして、人間が神にもっとも近く結ばれんがためには、そしてまた彼が、己れが神の内にあったときのすがた、すなわち神が未だ万物を創造し給わざりし以前、彼と神との間に何の差別もなかったときのすがたにもっとも相似的にあらんがためにはいかにすればよいのか、どうするのが最善最高の徳なのかを、全心を傾倒して真剣に探索したのである。かくのごとくにして私は、私の理性が証し認識しうるかぎり一切の書を究尽して来ているが、すべての披造物を捨離する純粋なる離在よりほかに見出さなかったのである。(『神の慰めの書』186p相原訳)

人間と神のあいだになんの差別もなかった、神が万物を創造する前の精神の古代形象をエックハルトは究尽し、人間が神の内にあり、神が人の内にあることを発見する。フォイエルバッハが宗教を人間精神の夢であるということとまったく違う。唯物論や唯心論以前の精神の原型をエックハルトは神と人が離在していると言うのだ。内包論ではもっとシンプルに言うことができる。人と神とのあいだになんの差別もなかったその根源を内包存在といえばいいし、離在を分有と読みかえればいい。エックハルトの悶絶は根源の性と根源の性の分有とすればもっとひらかれる。親鸞の時代にこういうことに気づいたのはすごいことだと思う。東洋と西欧の偉大な邂逅だ。

エックハルトの離在は厳密に親鸞の他力と重なる。むろんエックハルトの事跡は弾圧によって消え、のちにヴェイユやニーチェによって見いだされる。エックハルトは、おれは神に用事はないが、神よ用事があるならおまえがおれのところに来いと、宮廷の女性たちに説教する。熱烈なファンが出てくる。王は激怒しエックハルトの門弟を処刑する。「ところで私が私を強いて神に至らしめるよりは、私が神を強いて私に来たらしめる方がはるかに高貴である」。過激で容赦ない言い方である。エックハルトの「私が神である」を彷彿とさせる物言いもしている。「神は善であると言うならば、それは真ではない。むしろ私が善であり、神は善ではない。否、更にもう一つ、私は神よりもより善であると言いたい」(『マイスター・エックハルト-人類の知的遺産21』169p上田閑照訳)当時のキリスト教を奉じる国家にとって危険な思想である。許容されるはずがない。抹殺するしかない。だからかれに関するものはことごとく破壊された。

なぜエックハルトは私が神であり、私は神よりも善であると言ったのだろうか。神が可視化され空間化され一般化されることにたいする激しい嫌悪感があったからだと思う。神という規範の虚偽と欺瞞はエックハルトにとって容認できなかった。我の強さをエックハルトが主張しているのではない。まして神よりもおれは偉いと威張っているのでもない。私は私でありながら神であるという〔領域〕が〔わたし〕ということなのだとエックハルトに覚知されていた。そういうことをエックハルトは言いたくてたまらないのにすこし言葉足らずだった。それでわたしが言葉を補っている。
しかし共同幻想としての宗教は空間化し可視化しなければ教団を維持できない。親鸞は浄土の真宗を語ったが、教団をつくろうと思ったことはない。親鸞は弟子一人もたず候だから。エックハルトは外在ではなく内在という意識の形式において神を発見した。同一性の彼方をエックハルトは生きたのだ。アキが朔であり、朔がアキであるように、エックハルトは神であった。だから規範としての空疎な神の善より、神であるわたしの善が勝っているとかれは裂帛の気合いを込めて言った。それがどういう結末を招くか知らないはずがなかった。

おなじように親鸞が、仏はただ親鸞一人がためにあるというとき、仏は外にあるのではなく親鸞に内在するということなのだ。それが親鸞の他力だった。根源の一元があれば三人称の世界はあたかも喩としての親族としてあらわれるほかないことを親鸞もエックハルトも無意識に語っているようにみえる。親鸞は他力と自然法爾において、エックハルトは「私が神である」を離在として語ることにおいて、領域としての自己が可能であることを暗示している。エックハルトや親鸞がやり残したことは内包論としてわたしが引き継いでいる。一人称をどれだけ外延しても三人称につながることはないということに親鸞もエックハルトもきわめて自覚的であったとわたしは思う。自己が領域として存在しうるから、三人称の世界はおのずと喩としての内包的な親族となってあらわれるほかない。人びとは宗教的な信においてやすやすとこの深淵を跳び越えてしまう。それがわが天皇制であり、天皇の赤子という通俗である。

この国の人びとは天皇が自己のなかに内挿されているとは考えない。天皇という聖なるものがあまねく衆生を照らしていると自然を感受する。紛いものを自然な生成であると受け取る独特の心性。根がないことを根にする空っぽ。聖なるものの衆生における空間的な配置のことを赤子という。聖なるものを楯にとればどういうことでもなしうるわけだ。ただ皇国の民であるということ、赤子であるということを逆手にとればおよそどんなことでもやりうる。またどんな艱難辛苦にも耐えうる。平時の祭祀にかかわる職能であればそれでもいい。しかしそこに政治権力が付与されるとどれほどいびつなものとなるか。皇国思想がどういうものであったか。五族共和の実情がどれほどの無惨を招いたか。

一木一草に神が宿る精霊信仰を祖にもつ、根がないということが根であるような神道。空間はあっても時間がどこにもない、ようするに空っぽ。祭祀であれば、この心地よさは悪くはない。「天子様」は衆生にとって縁のないあるようなないような日本的な心性そのものを基盤にしていた。ひずみは近代起源ではないか。明治維新である。国民を統合する規範が要請された。すでに廃藩置県されている。「殿様」は天子一人でいいではないか。祭祀を司る機能集団であって政治権力を持っていたわけではなかった。ご一新を担った者らにも内心忸怩たるものがあった。藩を裏切り脱藩して狂騒に乗じて権力を手に入れたわけだから。二君に見えずは強固な倫理だった。時代の流れのなかで主君を虚仮にして幕府をぶっつぶし国家権力を奪取したわけだ。主君を裏切った汚名の赦しを天皇に求めた。尊皇攘夷とはそういうものだと思う。べつに理屈めいたものではなかった。この心的な機制がやがて皇民化政策として実用化されたとわたしは理解している。
まだ言葉にすきまがある。天皇にたいする忌避も尊崇の念もないから食べたことのない料理を論じている気になる。どうもすっきりしない。なぜ天皇を敬うかというと、皆が敬慕するので讃仰すれば仲間はずれにされないからというのが理由ではないかと思う。皆が渇仰するから畏敬の念をもつということか。悪いとは思わないがじぶんには馴染まない。赤化思想も皇国思想も愚劣だがその理念を担ぐ者らをなお唾棄する。これだけははっきりしている。表明した意見を覆すことはない。わたしの50年近い体験のすべてを賭けてこれを書いている。

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親鸞の他力をつかんだ者が複数いるとして、かれらはどういう関係をつくるだろうかと以前ブログで問うたことがある。

たとえば、仏はただ親鸞一人がためにあると元祖親鸞が言い、ある者が親鸞の非僧非俗や他力を我がことのように諒解したとする。さらにもう一人の者もおなじことを覚知した。するとどうなるか。元祖親鸞をn1、他力本願をつかんだ者をそれぞれn2、n3、n…とする。そのとき親鸞n1と親鸞n2と親鸞n3とn…の互いの間柄はどうなるだろうか。どういう関係をつくるだろうか。わたしはここで絶句した。親鸞は最後にはこの困難を回避したように思う。それが意図的なものか無意識か、それはわからぬ。

竪超の信を横ざまに破り横超という還相の知を説くとき竪の信は見事に解体されている。「よしあしの文字をもしらぬひとはみな、まことのこころなりけるを、善悪の字しりがおは、おおそらごとのかたちなり」(『正像和讃』)と親鸞が言うとき、わかったふりはそらごとであると批判する。うそのかたまりということは竪の信のことを暗喩している。竪超など最期の親鸞にとってはどうでもいいことだった。
ではそのとき他力を生きるそれぞれの衆生の生はどうなるだろうか。仏による他力が一人ひとりの衆生にもたらされるということはよくわかる。仏の摂取不捨とはそういうことだからだ。しかし人が三人集まれば共同幻想をつくることになる。共同幻想をつくらぬ信というものはあるのだろうか。共同幻想の原義からそれはありえない。

だれもが親鸞の他力を生きるわけではない。しかし親鸞の他力を会得するものは必ずいる。そのときその者らはどう連結するのだろうか。非僧非俗を生きるたちが高位の境地にあり、竪の信にある者らは下位にあり、そこに他力本願の宗の位階制ができるのだろうか。親鸞でさえ解けなかった信の逆理がここにある。他力の信でも信は解体されない。他力を旨とする信の共同性が生まれるだけのように思う。
仏と衆生の一人ひとりは親鸞の思想によれば自力ではなくまちがいなく他力に到達することができる。なんどもいうが、では他力に到達したそれぞれはどういう関係を切り結ぶことになるのか。わたしの理解では他力も信のひとつのかたちであるから、ここで信は信についての逆理に当面することになる。この逆理を親鸞の宗教思想は解くことができないようにわたしには思われた。(「歩く浄土77:内包親族論19-宗教の自然3」)

元祖親鸞n1と他力の覚知者n2とおなじく他力の覚知者n3、・・・がどういう関係をつくるか。親鸞はこの矛盾を胸の内に止めたのではないか。そうしないと浄土の真宗が解体する。信の解体があるから自然法爾が可能となる。仏は親鸞であると、一気に言えばよかった。おのずと他力は自己を領域化しながら内包自然へと拡張したはずだ。親鸞になぜそこまで行かなかったかと問うてみたい。そのとき自己も共同性も消える。自己も共同性も内包自然に包まれる。「一切の有情はみなもて世々生々の父母兄弟なり」は、喩としての内包的な親族の謂いにほかならない。いうまでもなく、このとき天皇も、天皇制も消える。

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