日々愚案

歩く浄土87:情況論11

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そのなかにいてそこを生きているとき、その体験はそれ自体であり体験していることを外から眺めることはできない。このとき自我はなくなっている。内包論のいちばん根っこにはこの表現の公理がある。わたしはこの表現の公理のことを根源の性と、根源の性の分有者と名づけてきた。わたしは内包論で転形期の世界の激動をねじ伏せようと考えている。

40歳の頃西田幾多郎の『善の研究』を読んだ。なんだ、おれとよく似たことを考えてたんだな、そんな印象をもった。難解なことで知られる西田哲学の心音のようなものは不思議とよくわかった。ひそかに興奮した。ローリング・ストーンズの『メイン・ストリートのならず者』を聴きながら『善の研究』を読むと西田幾多郎の言うことがすらすらわかる。ひどくシンプルなことを西田幾多郎は言っている。「直接経験の上においてはただ独立自全の一事実あるのみである。見る主観もなければ見らるる客観もない。恰も我々が美妙なる音楽に心を奪われ、物我忘れ、天地ただ嚠喨たる一楽声のみなるが如く、この刹那いわゆる真実在が現前している」、すなわち、「花を見た時は即ち自己が花となっているのである」というこの気分を、「此の如き実在の真景はただ我々がこれを自得すべき者であって、これを反省し分析し言語に表わしうべき者」にはないにもかかわらず、なんとかリクツで言いたくてたまらなかった、それが西田哲学というものだった。

戦争不拡大の知的な集まりブレイントラストの主要メンバーであった西田幾多郎が、帝国海軍少将高木惣吉に高木君、キミしかいない、頑張ってくれたまえと励ましたその西田幾多郎がのちに大政翼賛会に与することとなる。西田の「絶対矛盾的自己同一」という思想の根幹にあった「一般が個物を限定し、個物が一般を限定する」という呪文の神通力はこのとき死んだ。自らが苦闘しながら刻んだ思想が灰燼に帰すということはかれ西田が望んだことではないと思う。大東亜戦争の理念が拓いた暗くて重い出来事が加重されて西田思想の正体が暴露された。ではそこになにがあるのか、なにが起こってかれは転向したのか。なぜかれは転向できたのか。痛めつけられるからみずからは転向したいのに、おのずからなるはたらきによって転向することのかなわぬ思想はないのか。あると思う。考えてみたいのはそのことだ。

小林秀雄は無条件降伏について次のように言っている。「僕は政治的には無智な一国民として事変に処した。黙って処した。それについては今は何も後悔もしていない。大事変が終わった時には、かならずもしかくかくだったら事変は起らなかったろう、事変はこんな風にはならなかったろうという議論が起る。必然というものにたいする人間の復讐だ。はかない復讐だ。この大戦争は一部の人たちの無智と野心から起ったか。それさえなければ、起らなかったか。どうも僕にはそんなお目出度い歴史観はもてないよ。僕は歴史の必然というものをもっと恐しいものと考えている。僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」(『近代文学』昭和21年2月号)
小林秀雄は「歴史の必然」を人智の及ばない天変地異とおなじ自然現象だと考えようとした。いくら考えても知解の及ばない問いがある。かれはそのように考えた。とても正直だと思う。では歴史はなぜ自然のむごいしうちのようにあらわれるのか。西田幾多郎も小林秀雄もそのことを考えた気配はない。思想の根柢にかかわる情況的な思想の未然があらわになっているとわたしは思う。思想を語ることはきわめて情況的であり、情況を語ることは思想ぬきにはできないと内包論で考えてきた。これから迎える世界の大転換期の風圧のなかに内包論もじかにさらされている。

西田幾多郎の思想を可視化すると天皇の赤子という皇国のすがたがみえてくる。天皇というこの国固有の観念が民草を限定し、その限定のありようが天皇という象徴を析出する。西田幾多郎が唱えた「一般が個物を限定し、個物が一般を限定する」という思想をこのように解することができる。転向もなにもあったものではない。西田思想とは天皇を頭に戴く思想であると言ってしまっては身も蓋もない。西田の主観としては自我はどうすれば自然に融即することができるのかという探究であった。しかしそれは天皇制としてすでに存在していた。だから西田の思想が天皇制に収斂していくのは必然だった。内包論からはかれの思想が欠落させていたことがなんであるかよくみえる。

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このあたりのことを考えるのにちょうどいい記事を偶然目にした。森田真生さんのインタビュー。この人いいです、おもしろい。邪悪なもののかけらもないです。『数学する身体』と『数学する人生』は読んだことがある。

──『数学する身体』では、岡潔が晩年、情緒と喜びを価値とする「新しい人間観と宇宙観の建設」を目指して『春雨の曲』と題された文学を遺そうとした(作品は未完のまま眠っている)ことが書かれていましたが、森田さんも数学を通して新しい世界観を提唱しているように思います。最後に、岡潔が目指した「情緒ある世界」をつくるために森田さんがこれから行っていきたいことを教えてください。

岡潔は、人は情緒を清め、深めていくために生きているのだと言いましたが、ぼくはそれを大真面目に受け取っています。生きることは情緒を深めていくことである、と。

岡潔はこの世の根本にあるのは「懐かしさ」と「喜び」だとも言いました。だからぼくは、せっかく学問をするなら、知性の力で生きていることが喜びであると感じられるような世界をつくっていきたい。事実と行動を重ねることも重要ですが、そもそもぼくたちは何に向かって生きたいのか。そういうヴィジョンが必要だと思うんです。

独立して学問を追究していくというのは、楽なことではありません。丸腰で荒野を彷徨っているような気分になることもあります。だけど、この生き方を貫けたなら、ぼくが岡潔に影響を受けたように、ぼくの生き方がほかの誰かを励ますこともあるかもしれません。

自他超えて通い合う「情」が、個々の肉体に宿って「情緒」になるのだと岡潔は言いました。ぼくは、ぼくなりの「情緒」を深めていきたい。この肉体において、この生涯において、自分が本当だと思った生き方を貫いていくこと。それが、自分のやるべきことなのだと思っています。(「ぼくが岡潔とウディ・アレンに学んだこと」INSIGHT 2016年7月12日)

岡潔が人には心がふたつあるというとき、ひとつは情緒としての自己であり、もうひとつはその情緒を可能とする東洋的な無意識である。情緒を媒介にして心がふたつあるというのが岡潔の主張だった。その岡潔の足跡を森田真生が追尋する。煩悩をどうやれば解脱できるかに腐心した禅仏教的な心性を手にすることはできるが、そこが行き止まりとなる。自我が自然に融即するというのはひとつの思弁であって、我執を軽くすることはできても、この世のしくみを革めるものではない。平成天皇退位の意向が恭しく報道されるなかにそのことをみてとれる。
平成天皇が護憲の立場から安倍晋三に面当てしているのか、安倍晋三が護憲の天皇を苦々しく思い深謀遠慮を巡らしているのか定かではないが、枕詞として天皇に対する尊崇の念が前提とされている。

平成天皇の退位の意向を報道で知ったとき、抜けない棘が喉に刺さっている気がした。いつまでこんなことをくり返すのか。平成天皇夫婦が護憲の立場を表明してきたことや、NHKが天皇発言の肝心要の箇所を意図的にスルーして報道してきたことは、ネットの記事で知っていた。なぜ参議院選挙で自公が3分の2を制した直後に退位の意向がメディアからリークされたのか、判然としない。推測することはあるが情緒的な反応しかできそうにない。つまりまだわからぬ。それでも確定的に言えることがある。天皇制の謎は解けていない。
日本的な自然生成を可視化すると天皇制がすがたをあらわす。この厄介さはイデオロギーでは歯が立たない、そのような自然としてわたしたちの心性に深く根ざしていて、意識の外延的な表現の形式では解くことができないとこれまでも書いてきた。あるいは内面化することも共同化することもできない名づけようもなく名をもたぬ出来事をそれ自体として取り出すことができれば、この世のしくみはおのずと変わると主張してきた。
音色のいい日本的な自然生成はなぜ天皇制的なものへと回帰するのだろうか。イデオロギーによる批判は人格を媒介としたものであり無効である。それは、「それでも諦めきれない民主主義」のようなものになるしかなく、この理念が天皇親政的なものを前提としている。

日本的な自然生成のしくみには個別と一般性のあいまいな融合が謎の核心にある。気づくとかんたんなことだった。個別は個別といいながら、その個別のなかに暗黙に一般性が通約されており、一般性は一般性といいながら個別をそのなかに通分しているのである。そのあいまいさが内面の文学と環界の外延権力を延命させてきた。そのことに自覚的であるかぎり、内面化と共同化はともに不能なものとしてあらわれ、表現意識は世界のどこにもすみかをみいだすことができない。内面化したものが社会化されるとき、作者と読者の関係も、内面化不能である出来事を通約して社会性を引き寄せることが暗黙の前提となっている。内面化と社会化は密通しているわけだ。そのかぎりで内面化も社会化もともに権力の言説であると言える。

通約不可能な個別性が暗黙のうちに共約可能な抽象化された一般性へと翻訳され、通分された一般性が個別性を覆ってしまうことに日本的な自然生成の核心が潜んでいる。だからこの理念が実体化されるとき天皇制的な心性を拒むことができないこととなる。この心性を否定することは自己を否定することと同義であるから。思考を自然な慣性とみなすかぎり、この囚われから逃れるすべはない。そういうことに西田幾多郎や小林秀雄や岡潔はまったく気づいていない。

わたしの気づきはもっと敷衍することができる。それは仏教の起源の意識そのものに行き着くことになる。ある精神の古代形象が炙りだされてくる。小乗仏教の学僧からはじめた天親の事績が曇鸞の浄土論註に受け継がれ、親鸞が浄土の真宗として完成させたと考えてみる。おそらく小乗仏教から大乗教へ仏教が転換したとき、他者をうちに含みもつ自己をいうことはどうやれば可能かと無意識に模索していた。この心性をマルクス主義の古代起源と比喩することができる。西田幾多郎の思想のあいまいさは仏教の教義そのものの不明さに通じる。いちどもまともに考究されることがなかった。ここにあるあいまいさは内包として拡張可能だと思っている。そこに西欧と東洋に分岐するまえの意識の可能性がみえてくる。またここまで遡らないと日本的な自然生成の謎は解けない。なぜ朕は国家なりという共同幻想としての天皇制の彼方に行くことができないのか。アニミズムという精霊信仰と仏教の教義の判然としない融合。いぜんとしてこの国に固有のナショナルな課題は解けていない。またグローバル経済はこの国固有のナショナルな課題などかんたんに圧し潰し世界市民の属躰として再編する。このふたつのねじれを自己意識の外延表現で解くことはできない。

 

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