日々愚案

歩く浄土88:情況論12

やりたいことをやり、考えたいことを考え、好きに生きてきたら、あっというまにいい歳になった。若い頃から、そしていまも、つぎのような考えに嫌悪感がある。いずれも内田樹の2016年7月18日のツイート。

学生たちには「世のため人のために勉強して、働いてください」というごくまっとうな結論をお伝えしました。その「当たり前の」結論に導くまでに教育行政の致命的破綻、グローバル人材育成教育の虚妄、日本のファシズム旋回について70分話さないといけないというのがとっても大変でした。

学生たちは「格付け競争における優位の追求」「格付けに基づく資源配分」「私利の追求」は善であり、「競争」によってのみ人間のパフォーマンスは最大化するという信憑を刷り込まれています(気の毒だけど)。その信憑を解除しないと先がありません。

なんなんだよ、この発言。内田樹のこういう話を聞いてなるほどと思う若者がいたら、そんな若者とは口を利きたくない。わたしは若い頃も、この手の立派な話が、身の毛がよだつほど嫌いだった。いまも変わらない。世のため人のため勉強して働くものがいるか。好きだからやっている、仕方なくやっている、という言い方がいちばんうそがない。こういう発言は生きていることのいちばん大事なことを損ねてしまう。だからこの発言は駄目なのだ。言葉が伝達のための手段になっている。内田樹先生はいいことをいうなあ、と感じる者の内面はすでに社会化されている。通じ合うことができないという疎隔感のなかでしか人と人はつながらない。しかしまあ、こんなことをよくマジで言えるな。恥ずかしい。

情況というのは、なにも世のなかの出来事について語ることを意味しない。天下や国家のことを語るとき、だいたいにおいて、じぶんが、いま、ここを、生きているという意識はない。かなりのごまかしがある。というか虚偽のかたまり。日々の卑小なじぶんがいて、できればこの卑小な生を偉大と言いたい。生はこのくり返しにほかならない。だれが大義のために生きるものか。そんな祭りは三日で終わりだ。1973年の秋、吉本さんの自宅に電話して話を聞いてほしいと申し出た。「あのね、ぼくはあなたの問いに答えられないと思います。交通費ももったいないし、東京に来たついでに来るというのなら、少し気が楽になりますけどね」と吉本さんは言葉を返した。思い詰めて吉本さんのお宅に伺い、暗い話を聞いていただいた。『心的現象論・本論』のあとがきで吉本隆明は言っている。

 『心的現象論』を書きはじめた時、個人の幻想が共同幻想につながるところ、それは集団性と社会性につながるところまで伸びていけばいい、その意図が推察してもらえるところまでいけばいいというかんがえで、「このように完成する」という意味合いはなく、「だいたい、いくところまでいったな」というところで止めて、そのままになっているのですが、その間、わたしの姪が子宮癌になり、医者から「これ以上の治療はない」といわれた。姪から「あてがないのならば、治療を打ちきりたい」という相談が来たのです。・・・当人はもうよくわかっていて、わたしに「おじさん、どうかんがえたらいいの」とたずねられた。要するに死ぬとわかったばあいのじぶんの気持ちをどうかんがえればいいのと聞かれて、それに答えられなかったのです。今も答えられないかもしれませんが、その時はもろに答えられなかった。・・・つまり、通りやすいところばかり通るな、通りやすいところばかり通ると必ず抜け落ちてしまう重要なことがあって、実際問題としては、人にとっては重要なのであり、そこを適当なところで済ましているのではないか、それはきちんとしっかりかんがえぬかねばならない、それでなければ思想などといえないとおもったのです。・・・答えることができないこれでは駄目だ。こんなことに答えられないのに、何か書いたり、やっていたりしても、そんなことでは意味がない、ほんとうに駄目なのだとおもいはじめるようになって、そのことをそれなりに一生懸命にかんがえたりしたのですが、姪のことでじぶんの思想的範囲、囲い、守備範囲の中では答えるだけのものは、じぶんにはない。徹底的に、はじめからこれは駄目だ。これについては、もしじぶんなりにやるならば、これからかんがえていかなければいけない、そういうふうにおもうまま、姪は亡くなったのですが、それは今でもひっかかっています。(『心的現象論・本論』「あとがきにかえて」530~531p)

かれの日常を言葉がふわりと包んでいて、吉本隆明の素顔がみえてくる。死を前にした「姪」の問いにとまどい、分からないと言う。吉本隆明は誠実だと思う。もう少し踏み込んで言ってもいいと思う。あのね、結局は死の引き受け方の問題であると。あなたね、死があると思っているでしょう。それはバランスのとれたカロリー制限食とおなじで間違っている、とはっきり言えばいい。わたしならそう言うし、そう言ってきた。だれの、どんな生も、世のなかにとってどうでもいい、些細なことで生きられていると思う。このことをはずすどんな思想も欺瞞だと思う。死は存在しないということを内包論からすこしだけ申し述べる。

じぶんの意思ではなくこの世に生をうけ、お迎えが来るまで、長くて100年そのあわいを生きる。それは人間の生の自然的な基底である。そのうえで死についてなにが言えるか考える。吉本隆明の「姪」のことは「私」のことでもある。死について考えることは生について考えることと同義であり、死について考えることは生について考えることと同義であるように思う。あるいは、生物学的な死と表現としての死はまったく位相がちがうといってもいい。生物学的な死は自己意識の外延的な領域に属し、死を内包的に考えるとき、外延的な死は存在しない。『世界の中心で、愛をさけぶ』のアキは死を目前にし、朔に「また見つけてね」と言い、朔はアキに「すぐ見つけるさ」と言う。アキはこれから死ぬのだが、アキに死は存在するだろうか。死によって引き裂かれる朔にとって死は存在するのだろうか。わたしはアキにも朔にも死は存在しないと思う。外延的な領域ではアキの死によって朔はアキの追憶を生きるしかない。内包論からは朔は追憶ということではなく、領域の自己としていつもアキをリアルに生きている。なぜなら朔はアキだから。アキが死んでも朔はアキだからアキは生きている。ここにはどんな倫理もない。アキにとっても朔にとっても死は存在しない。思考を拡張するとはこういうことなのだ。わたしは内包の死は外延の死より圧倒的に規模がおおきいと思う。
生と死は対等な格ではない。内包論からは死は生の凹みにすぎない。生の一部が死である。人にはなかなか伝わらないが、ながくこのように考えてきた。外延論では生と死は対等な格として対をなしている。外延論の死と内包論の死はまったく、決定的に違う。それはアキは朔のなかに生きているということとも違う。アキはじかに朔として生きている。また朔もじかにアキを生きている。領域としての自己にはふたつの心があるというのはそういうことだ。この性をわたしは還相の性と名づけた。そして還相の性があるから、この世の三人称は喩としておのずと内包的な親族となるほかない。還相の性を〔主体〕とする世界認識を構想するとき、世界はあたらしく切り拓かれる。わたしの身に起こったことはだれの生にも起こる。ここにはどんな倫理もない。

岡潔が人には心がふたつあると言うとき、それは東洋の情緒によって自我が包まれて新生されるということであって自我に対しては超越することはできても東洋的な無を超越することはできない。理性的で利己的な自我は相対化されるが東洋的な無そのものを無化することはできないので日本的な自然生成という観念を手にするだけである。この観念は実体化すると天皇制的なものとしてあらわれるほかない。天皇の去就を慮る報道のなかにそれがある。意識の外延論でこの自然を解くことはできない。ここに天皇制をめぐるすべての問題がある。

 

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