日々愚案

歩く浄土77:内包的な自然10-宗教の自然3

 

    1
たのしい空想をする。自己に先立つ超越が存在しないことの不可能性を親鸞とは違うやり方でひらくことができる。たとえば他力のこと。親鸞に他力を語らせたものは仏の摂取不捨である。それは存在しないことの不可能性としてなによりたしかなものとして親鸞にはあった。
「歩く浄土76」で親鸞とはだれか、と書いた。この件を読んだものはなんのことかわからなかったと思う。あらためて問うて云う。親鸞とはだれか。
答えて云う。もしも親鸞が、親鸞とはわたしのことであるが、わたしはじつは仏でもあるのだよ、と言ったらどうなったか。そんなことを親鸞がいうはずがないということなどどうでもよい。

ほんとうは親鸞はそこまでゆけばよかった。おそらく親鸞が生きた時代はそのことを必要としていなかった。爾来800年、時代は経験と苦労を重ね他力の拡張可能性が問われるようになった。この気づきのなかに、時代を超える契機や他力を超える可能性があるとわたしは思う。
わたしが悶絶した観念の迷路におそらく親鸞も迷い込んだ。親鸞もまた自己に先立つ仏という超越を自己の外にあるものとして表現した。むろん非僧非俗を生きた親鸞が衆生の一人であることはいうまでもない。自己に先立つ根源を言い当てることはだれがやろうと困難なことなのだが、もしも親鸞がわたしはわたしでありながら仏でもあると言えば、信の共同性は消えてしまう。ここに親鸞の思想の未然がある。

たとえば、仏はただ親鸞一人がためにあると元祖親鸞が言い、ある者が親鸞の非僧非俗や他力を我がことのように諒解したとする。さらにもう一人の者もおなじことを覚知した。するとどうなるか。元祖親鸞をn1、他力本願をつかんだ者をそれぞれn2、n3、n…とする。そのとき親鸞n1と親鸞n2と親鸞n3とn…の互いの間柄はどうなるだろうか。どういう関係をつくるだろうか。わたしはここで絶句した。親鸞は最後にはこの困難を回避したように思う。それが意図的なものか無意識か、それはわからぬ。

竪超の信を横ざまに破り横超という還相の知を説くとき竪の信は見事に解体されている。「よしあしの文字をもしらぬひとはみな、まことのこころなりけるを、善悪の字しりがおは、おおそらごとのかたちなり」(『正像和讃』)と親鸞が言うとき、わかったふりはそらごとであると批判する。うそのかたまりということは竪の信のことを暗喩している。竪超など最期の親鸞にとってはどうでもいいことだった。
ではそのとき他力を生きるそれぞれの衆生の生はどうなるだろうか。仏による他力が一人ひとりの衆生にもたらされるということはよくわかる。仏の摂取不捨とはそういうことだからだ。しかし人が三人集まれば共同幻想をつくることになる。共同幻想をつくらぬ信というものはあるのだろうか。共同幻想の原義からそれはありえない。

だれもが親鸞の他力を生きるわけではない。しかし親鸞の他力を会得するものは必ずいる。そのときその者らはどう連結するのだろうか。非僧非俗を生きるたちを高位の境地にあり、竪の信にある者らは下位にあり、そこに他力本願の宗の位階制ができるのだろうか。親鸞でさえ解けなかった信の逆理がここにある。他力の信でも信は解体されない。他力を旨とする信の共同性が生まれるだけのように思う。
仏と衆生の一人ひとりは親鸞の思想によれば自力ではなくまちがいなく他力に到達することができる。なんどもいうが、では他力に到達したそれぞれはどういう関係を切り結ぶことになるのか。わたしの理解では他力も信のひとつのかたちであるから、ここで信は信についての逆理に当面することになる。この逆理を親鸞の宗教思想は解くことができないようにわたしには思われた。

わたしの理解によれば自己と、自己に先立つ根源の関係は空間化できるものではなく、根源のつながりは自己に垂直なものとして自己に内属する。
なにが問題なのかをあきらかにするためにひとつの比喩をもって思考の慣性を解いてみたい。古典幾何学は点、線、面というものを考えた。点は位置を示し広がりを有さぬもの。線は長さを持ち広がりを有さぬもの。面は広がりを持ち厚みをもたぬもの。素朴だが強力な観念だ。点というものは観念としては実在してもこの世界のどこにも場所を占めることはできない。だから鉛筆の芯を尖らせ紙に小さな印をつけ、これが点だと比喩する。観念を知覚にシュミレートするわけだ。点という観念は可視化することで知覚を喚起する。可視化のことを実体化といってもよい。純粋な観念は可視化することによってしか実体化できない。このことは人間の自然本性に根ざしている。

親鸞にとって仏の摂取不捨はリアルなものであったが目に見えるわけではないのでおなじようなことが親鸞にも起こった。しかしそれは存在しないことの不可能性としてありありと親鸞には現前するものだった。いったん実体化しそれを否定すること。だから廻向には二種あると言ったのだと思う。往相廻向は人びとにたいするひとつの方便として。親鸞が関心をもった他力は不生不滅であるが実体化はできない。それにもかかわらず佛の摂取不捨はあることをどういえばいいのか、親鸞は七転八倒した。だから仏教の習いにしたがって自力作善の竪超を往相廻向とし可視化した。ひとまずは信を可視化することで還相の信を語るほかなかったのだ。自己という現象を実有の根拠にするかぎりそういうしかないわけだ。みえないことが観念として実在するということは斯様に七面倒くさい。それが廻向には二種あるという本義だと思う。そうすると親鸞の未然はどこにあるのか。意識の外延性からは仏と衆生は還相の過程において見事な全円性を描いているようにみえるではないか。

苦にあえぎ煩悩にまみれた衆生の一人ひとりにたいして仏の摂取不捨を説くとき、仏という超越的な観念が実体化されていることに親鸞がどこまで自覚的だったか遺された言葉から窺い知ることはできないが、衆生のひとりである親鸞にとっても、その他の衆生にとっても、仏の慈悲は皆に絶対の受動性として一方的に射してくるなにかであることはたしかだ。仏はただ親鸞一人がためにあるということは、それぞれの衆生一人がために仏はあるということなのだ。親鸞もふくめた衆生の真ん中に仏の慈悲がかたちなきものとして存在している。
仏が衆生の事情と無関係に存在するというとき、かたちがなく見えることがなくとも、仏は衆生の中心にすでに空間化されている。満遍なく衆生を照らしている。仏は衆生ひとり一人に臨在する。それが親鸞が言おうとしたことだ。むろんこの事実は知識の彼方にあり、知識ではない。この光のことを慈悲という。

親鸞と仏は離接しているにもかかわらず仏から親鸞への働きかけは親鸞の意志とはなんの関係もなく一方的で一意的で、それに応答して親鸞はまったくの受動性として生きるしかないということが他力なのだ。それは衆生のひとり一人にとってもまったくおなじである。
この親鸞の思想のどこに未然があるのか。衆生のひとり一人に仏は超越している。この超越は仏の空間化そのものなのだ。空間化されるかぎり他力は信の共同性をつくるしかない。これは親鸞の思惑をまったく超えていた。一人ひとりが他力を生きれば浄土は歩くと親鸞は考えた。そうではないのだ。空間化されたところに臨在する仏がひとり一人の衆生に内属していると言えばよかったのだ。そのとき衆生のひとりはじぶんでありながらそのじぶんが仏になる。だれもが領域としての自己を生きることができ、そのとき信の共同性は消える。世の人びとはその者にとってあたかも喩としての親族としてあらわれるほかない。他力を超えるということはそういうことなのだと思う。

    2
わたしは長い年月親鸞の思想を拡張したいと考えてきた。親鸞のつかんだ自然についてのわたしの解義ををつづける。親鸞の自然(じねん)を、契機論、悪人正機、二種の廻向、他力から論ずる。
わたしの理解では、親鸞のいずれの考えも同一性を暗黙の前提としている。べつの言い方をすれば自己という現象が実有の根拠となっている。つまり親鸞にとって同一性は公理なのだ。身が心をかぎる同一性的な生にとって二種の廻向や契機論や悪人正機説は不可避だったとはいえる。生を往相と還相でとらえることができることを親鸞は明言しているが、それでは還相の生がこの世のしくみのなかでどのようなものとしてあらわれるかということについて親鸞はなにも述べていない。制度としてある位階制の竪超の信はどうすれば超えられるかに親鸞は生涯を費やした。反知性の精神的な退行も立憲主義を標榜する精神の退行も位階制において変わるところはない。親鸞とおなじようにわたしもまたおおくの時間を擬制を撃つことに費やした。

もし親鸞が同一性を拡張できていれば廻向は二種ではなく一種であると言ったと思う。わたしは親鸞の他力を内包への過渡として考えたいと思っている。わたしの体験に照らし合わせれば親鸞の思想では人と人の関係のありかたは変わらず、非僧非俗や他力という還相の知をあいだに入れても、信の共同性をつくるだけであるようにみえる。それにもかかわらず親鸞の他力をていねいに逆向きに求心すると内包存在の輪郭がみえてくる。親鸞の他力は内包自然に開かれる可能性がある。それはひとえに親鸞の他力に自力作善が入っていないからだ。自力の計らいから内包に入ることはできない。自力は人格の表出であり、領域化した自己は内包的な表出からもたらされるもので、まったく表現のしくみが違うのだ。

親鸞は仏の慈悲と極悪深重のわが身の関係を二種の廻向で語りはしたが、親鸞自身を領域化することはなかった。もしそれができていれば共同性は喩としての内包的な親族としてあらわれたはずである。
親鸞が「りょうし、あき人、さまざまのものは、みな、いし、かわら、つぶてのごとくなるわれらなり」(『唯信抄文意』)というときの「われらなり」は「有縁」ということで言われている。「親鸞は父母の孝養のためとて、一辺にても念佛まうしたること、いまださふらはず。そのゆえは、一切の有情はみなもて世々生々の父母兄弟なり。いづれもいづれも、この順次生に佛になりてたすけさふらふべきなり。わがちからにてはげむ善にてもさふらはばこそ、念佛を廻向して父母をもたすけさふらはめ。たゞ自力をすてて、いそぎ浄土をさとりをひらきなば、六道・四生のあひだ、いづれの業苦にしづめりとも、神通方便をもて、まづ有縁を度すべきなりと、云々」(『歎異抄』)。

おわかりだろうか。自力を捨ていそぎ悟りをひらきまず有縁を済度せよと言っている。この信が可能なのは、もともと一切の命あるものはみな父母兄弟であるということが親鸞の信に前提とされているからである。有縁を救うことはすなわち父母孝養である。そうだろうか。自己の陶冶が他者への配慮とつながるだろうか。同一性の観念のしばりを転倒させたくて親鸞は一気になにかを飛び越している。この観念の逆倒はマルクス主義の古代起源とも言える大乗教にも色濃く残っている。自己の陶冶が他者への配慮にはけっしてつながらないことを宗教的な信で超えようとしている。この世のしくみの変わりがたさや自己への執着を相対化しようと親鸞は渾身の力を込めて衆生に呼びかける。他力によって父母を助けよというとき、親鸞の無意識は佛の廻向による悟りを自然な家族の上位においている。「みな、いし、かわら、つぶてのごとくなるわれらなり」は信の呼びかけである。この信のつながりに縁があればこの有縁を救えと親鸞は言う。気持ちはわかるが違う。

家族の自然はまず自己の陶冶(煩悩の飼い馴らし)からはじまり、近親から遠縁に、遠縁から一切の衆生へと順に配慮が薄れていく。それが世の習いであり自然である。親鸞は順次に佛になることが先であり家族の自然の配慮はそのあとでよいとはっきり言っている。天然家族にたいする情愛はいずれにしても遂げようもないから浄土を悟ったのちに親孝行をせよという。そこにそれほどに動かしがたいこの世のしくみがあったことはいうまでもない。信によってまず「われらなり」をつくればその余熱で孝養は可能であると親鸞は他力の信を勧めている。

わたしは喩としての内包的な親族の可能性を内包論から解義することで親鸞の思想を拡張できると思う。親鸞の有縁と家族という自然のあいだにはすきまがある。このすきまは他力によっても埋めることはできない。有縁による順次の生を天然家族より優先しても信の共同性は残りつづける。たしかに親鸞の他力によってわずかに一瞬、この世のしくみの綻びにさわることができる。また他力を過程としないどんな自然もこの世のしくみを断ち切ることはできない。そのことはよくわかる。他力を媒介にせずに他力の彼方へ行くことができないということもわかる。そういう意味では存在しないことが不可能である、根源の性と分有者という観念を媒介するものは親鸞の他力だけである。他力によってなにかが暗喩される。もうひとつの自然への喩として親鸞の他力を考えることができることに気づく。

なぜ親鸞は他力という自然を超えることができなかったのか。なぜ竪超の信を解体することにこだわりつづけたのか。親鸞の自然法爾もまた外延自然に閉じられていたからだと思う。おそらく同一性の宿業を親鸞は気配として察知していた。しかしこの堅固をこじ開ける方途が親鸞にはなかった。もし同一性が拡張できるのであれば廻向には二種ありと言うはずがない。二種の廻向があるというときすでに信が空間化されている。そのことを時代の必然や制約ということもできる。親鸞においてさえ仏を可視化することを逆手にとってしか摂取不捨をいうことができなかったのだ。竪超の信を可視化し否定することで還相の信を語るしかなかった。それほど親鸞の思想が暗黙の前提としている同一性が鞏固だということが他力によって逆説的に語られた。

再び問うて云う。親鸞とはだれか。親鸞に代わり答えて云う。わたし親鸞はまぎれもなく親鸞であるがじつは佛でもあるのだよ、と謂えばよかった。それだけのことだと思う。自己に先立つ根源の由来を明かそうと懸命になるあまり、外部にではなく親鸞という生身の自然のなかに無限小のものとして仏が挿入されていることに気づかなかった。どれほどの破戒坊主であろうと煩悩にまみれた極悪深重のこの身が仏であるはずがないと親鸞は自身を謙遜した。そうではない。他力によって親鸞が自身を領域化すればよかったのだ。領域化した親鸞は、親鸞でありつつ仏でもある。このとき親鸞という一人称はそのまま仏という二人称になり、この内包自然の余熱が外延自然の三人称を包んでしまう。親鸞という自然もまた内包自然に融けてしまう。ここでだけ存在が存在にすきまなく重なる。衆生という三人称は内包化されて二人称としてあらわれるほかない。このとき他力という信の共同性は消えている。

じつはわたしが言うことに違う場所から気づいた思想家がいる。吉本隆明のことだ。かれもまた宗教的な信の共同性をどうやれば断つことができるのか考えて考えて考え尽くした。わたしの理解では吉本隆明はまだ宗教化する前の自然を母子関係の無意識やアフリカ的段階として理念化しようとしたがうまくいかなかったように思う。三木成夫が幼子に感得した人類の桃源郷のほうがやわらかい。食と性の基本的な体制を〔命の流れ〕からつかまえようとした三木成夫の自然生成にはどこにも権力の匂いがない。吉本隆明は疎外という外延意識の表現でしか共同幻想以前の自然に触れることができなかった。内包自然を対象化できなかったのは方法的な必然だったと思う。
フロイトにおいても事態はまったくおなじだった。自我と超自我は世俗化できるが、俗事にできぬことをフロイトは無意識と名づけた。神や仏という自己に先立つ内包の面影から太陽感情を抜き去った起源の闇をフロイトは無意識と呼び吉本隆明もまたこの地獄の母型を引き継いだ。

    3
こういうことばかり考えていると疲れるので、頭冷やしにピアノ曲を聴きながら小説を読む。船戸与一の「満州国演義シリーズ」の5巻目『灰塵の暦』を読み終えた。2.26事件からはじまり上海事変を経て南京攻略までだった。かえって疲れた。辺見庸の『1★9★3★7』がほぼ史実に基づいて書かれたことがわかる。宮沢賢治の「何をやっても世界全体間に合わない」や「業の花びら」がここに共振する。大義に憑依した共同幻想は殺戮のかぎりを尽くす。この倒錯と無惨を歴史が超えたことはいちどもない。いまもまた緩慢に、もっと大規模な人びとの死が、民族国家をなし崩しにする猛烈な世界史として進行している。わたしにとって内包論を語ることはこの倒錯した歴史を超えたいというきわめて状況的なことでもある。

身に焼きついたことでよく知っているが、これらの本を読んで、共同幻想というものの惨さや生々しさをあらためて感じる。おおそらごとのひとはいつもこの無惨を回避して生きている。かれらのなすことはいつもこの世界がめくれかえる修羅を痛くも痒くもない場所から他人事として内省することであり、立憲主義を正しく教導すれば苦界を回避できるという虚妄である。充分市民社会が成熟すれば共同幻想の狂気の根をぬくことができるというものだった。いまも立憲主義と民主主義の復権を説く偽善家たちがいる。そんなものはとうに瓦解している。ほかになにもないからそれを使いまわすしかないと云ってもわたしたちの日々のなにが変わるわけでもない。

共同幻想はすべてを呑み込むひとつの生命体なのだ。ここでは現人神であった天皇でさえ共同幻想によって操られる一人の臣民である。言わんや天皇を補弼する政治家や軍人においてをや。マッカーサーにおもねりへつらった昭和天皇の卑しさ。かれの考えたことは皇室の存続だけだった。巧妙な私情のすりかえ。朕は国家なりという古代倫理に潜んだ我執の卑屈と惨めさ。天皇制のすべてが欺瞞である。開戦と無条件降伏の責任をとることもなく生き恥をさらした天皇とは何者か。天皇という制度もまた外延自然がかたどった強固な自然だった。だから象徴天皇制をイデオロギーで批判しても宗教としての天皇制の核心に届かぬ。島嶼の国で長く培われた天皇制という自然をひとつの外延自然とみなし、内包自然によって包み込むことで拡張するしかない。内包論の概念の幹が太くなるにしたがって天皇制という自然はゆるりと内包論に融解していくことになる。

わたしの判断ではこのような共同幻想の暴威が復活することはありえない。民族国家の無意識である共同幻想の圧縮と爆発のエネルギーをすでにハイテクノロジーと結合したボーダーレスなグローバル経済の猛威が抜きとってしまっているからだ。かつて経験したことのない世界の未知にわたしたちは遭遇している。
いま剥きだしになったハイパーリアルは世界の無言の条理を自己同一性権力で併呑しようとしている。自己同一性権力がむきだしの世界の条理と同期することは共同幻想の無理無体や非道や無道よりさらにタチが悪い。わたしたちの生は同一性によって心身の一片にいたるまで刻まれ、身体が同一性の属躰となり、その属躰に同一性に属領された心が貼りつき、そこにあたらしい自然が生成されるだろうということ。この衝迫や切迫が時代のもっとも核心をなしている。

わたしたちは自己同一性権力が同期しようとしている世界の無言の条理をやすやすと受容することになるだろう。そこで生成される自然は悪ということではなく善の名の下に遂行されることにおいて皇軍の残虐さを上回る。自己同一性権力が実現しようとしているその規模と精密さたいして民主主義をブリコラージュしてもまったく無用無益である。そんなものはグローバル権力の刺身のつまにさえならぬ。いま民主主義の使い回しを敷衍することは世界の激変を追認するだけであり、そこで勅諭される言説は事態を阿諛追従することになる。変貌する世界の現状から目をそらすものとしてしか機能しない。その鈍感さには感銘をうける。「保育園落ちた日本死ね!」。これはよくわかる。

いま同一性権力が為そうとしていることは心身一如という認識にとっての自然をあらたに再編成することである。我がアジア起源の自然生成が新しい自然生成によって組みかえられることは必至であると思われる。改造された自然はそれを知性が自然として受け入れるかぎり、わたしたちの生はその自然に身の丈を合わせていくことになる。それは凄まじい光景だと思う。皇軍の為したことは自然を引き裂くことではあったがそこでなされた蛮行を善とすることはなかった。同一性権力はあらゆる行為を善と悪がないまざったものとみなすことで、生を同一性に併呑していく。そこにわたしたちの日々の暮らしがある。そこにわたしたちの生は急速に収斂しつつある。

民主主義を未完のプロジェクトと標榜することは同一性権力の支配的なイデオロギーを後押ししているにすぎない。前衛と大衆という世界認識の図像はとっくに滅んでいる。人類の総アスリート化という現実の到来。そしてアスリートたちををコーディネートする者。かつての知識人と大衆という意識の範型はすでにアスリートとコーディネーターに転位している。おわかりになるだろうか。心身一如が同一性によって刻まれて身体が同一性の属躰となり、心もまた同一性に属領されるということ。いまつくられようとしている自然はそのようなものだ。おそらくわたしたちはそのことを認識にとっての自然として受容するだろう。かつて皇軍が為した無道や非道のかぎりと、世界の無言の条理を民主主義という擬制で矯めることができるという虚偽とどちらが悪辣だろうか。

    4
親鸞はこれらのすべてと生涯闘った。この困難はいまもなにひとつまったく変わらない。ヴェイユが不在の神に祈るとき神は共同幻想なのか。外延表現としてはまぎれもなく共同幻想である。そんなものにヴェイユが祈るわけがない。ではヴェイユはいったい何に向けて祈ったのだろうか。存在しないことの不可能性としてある何かに対して祈った。その何かとはなんなのか。おなじような問いが親鸞の他力に対しても成り立つ。廻向は二種あるというのは世間向けの方便であって親鸞にとっては廻向はただひとつであったと思う。往相廻向のうそについては親鸞は極めて自覚的であったので竪超の信を親鸞は断ち切り、他力を生きた。しかし他力もまた他力という信ではないのか。だから親鸞の思惑を超えて他力を旨とする教団ができた。そして他力本願を皆で祝祷する。なにかおかしい。どこかヘンだ。教団の綱領は共同幻想そのものではないか。

なぜそうなるのか。親鸞は自己に先立つ超越が仏の摂取不捨という絶対の受動性としてあり、この受動性を一身にうけることが他力であるとしたが、この超越がじつは同一性の変容した化身であるということに気づかなかった。そのことには時代の制約がある。時代を主人公とすれば時代という無意識も相当に苦労した。それにもかかわらず親鸞の遺した言葉は800年の時空を超えてわたしにとどいた。親鸞が信じた他力という信は共同幻想としての信ではないと思う。ヴェイユの不在の神も親鸞の他力も規範としての共同幻想ということでは言いあらわしえないなにかである。ましてそれが自己という空虚な器に棲まっているわけではない。内面化という意識の形式を外延するかぎりここが思考することや感じることの限界としてあらわれる。他力の外にはなにがあるのか。他力もなにかへの媒介ではないのか。こう問うときわたしたちは他力の起源に触れようとしている。

神や仏という超越も同一性から派生した観念にすぎないということを内包論で考えてきた。もうすこし言えば内包の面影を同一性で象ったということだ。わたしたちはそれを自然として受容しひとつの文明がつくられた。しかしそれは同一性が同一性に自己言及したということではないのか。同一性によってつくられた存在は内包存在の影にすぎないのではないか。内包存在は同一性を踏むことはできるが同一性が内包存在を踏むことはできない。神や仏という超越はいつも同一性を括弧に入れている。信の共同性を究極において支えているのは同一性という信である。この堅固はイエスや親鸞の思惑を超えていた。ここを突き破らないかぎりなにをどうやっても堂々めぐりをするだけでけっきょくは元の木阿弥となってしまう。わたしたちの知るどんな観念もこの難所を超えたことはない。

鋭敏な思索家は同一性の観念では言いあらわしえぬ領域があることを覚知したが、それがどういうことであるかをあきらかにすることができなかった。それは知解は及ばぬが、存在しないことが不可能であるという観念として知覚された。外延自然としてある共同幻想としての仏教という信を解体しても共同幻想は消滅しない。ひとり親鸞が他力によって宗教の信を解体したことは深く諒解する。しかし信を解体したものが三人集まれば他力という信の共同性は親鸞の思惑を超えて出現する。この事態までは親鸞は想定していなかった。
竪超の信を解体した親鸞に訪れた他力という機縁の彼方になにがあるのか。内包自然がある。外延的な信を解体しないかぎり内包自然を知覚することはできない。内包自然を覚知するということは同一性を超えることと軌を一にする。

信の解体について考えてみたいもうひとつのことがある。なぜ死は此岸から彼岸へと疎外されるのか。そして彼岸はなぜ地獄と極楽なのか。死の共同幻想はこの世の写しにしかなっていないのではないか。ほんとうのことを言ってしまえばわたしたちのつくった生や死のありかたはまだ途上なのだ。わたしたちはほんとうの生や死をつくりえていないというべきか。そのすきまに彼岸の浄土が侵入してくる。
追い越しえぬ死の先駆性という言葉がある。他者の死は経験できるが自己の死は体験できない。しかしお迎えが来るまではだれもが生きている。そしてそれは体験できないとすればその人にとって死は存在しない。どこにもうそはないが、この謎を外延知で解くことはできぬ。だから死を此岸の彼方である共同幻想として疎外するほかなかった。この認識は文化・民族・宗教の違いを超えてある。
死によって隔たれることなどなにほどのものでもない。日常も外延的な死も根源の性を分有する驚異のなかにある。生き難い日々も世界のどんなかなしみより深いかなしみも還相の性を分かつことはできない。根源の性を分有する還相の性はいつもともにある。ここでだけ存在が存在に重なり他力が消える。

自己の陶冶と他者への配慮をなめらかにつなぐには内包自然という根源の性が棲まうところをつくるしかなかった。点という観念が観念として実在するならば、同一性を拡張する内包自然もまた観念として実在する。わたしたちはまだほんとうの生も死もつくりえていない。わたしはわたしの身に起こったことしか書けないからそのことを体験的にではなく内包論として普遍的に語ろうとしている。生きることの固有性はそこにしかないとわたしは思う。見果てぬ夢とはそのことにほかならない。そこでだけ空虚と世界の無言の条理がひらかれると思う。

親鸞の考えたことをたどりながら、親鸞の、僧に非ず・俗に非ずという立ち姿も、人を千人殺めるか否かという契機論も、正定聚も、悪人正機も、横超を経て親鸞が身につけた他力への媒介であり、この他力を媒介に最期の親鸞が生きた自然法爾も、内包自然への過渡としてあるのではないかというところまでこぎつけることができたように思う。竪超ではなく還相廻向として他力や自然法爾を手にするために親鸞は長い歳月、あらゆるものを向こうに廻し闘った。それは親鸞の天与の知にあってもこの世のしくみがどれほど堅固であったかということを如実にわたしたちに伝えている。親鸞以後の800年を生きているわたしにあっても不動にみえる堅固は少しも変わらない。しかしこの世の動かしがたさが同一性にあるのだとすれば、同一性を拡張することでなめらかに親鸞の自然法爾をひらくことができる。
外延自然の拡張として内包自然があるということ。内包自然の真ん中に還相の性があり、還相の性を核として、この世の三人称は喩としての内包的な親族としてあらわれるということ。そのときわたしたちは内包自然という生の原像を還相の性として生きればいいのだと思う。内包論がこれからそれをつくる。

おい、若いの。おまえの言うとることはちとせせこましいなあ。でもね、親鸞さん。。。内包は自然法爾より色っぽいですよ。。。

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