日々愚案

歩く浄土76:内包的な自然9-宗教の自然2

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幽遠のむかし、あるひとつの信じ難い驚異が時空をたわませ、野の花、空の鳥を匂い立たせた。いつもそのうえに立っている、それがあることによってヒトが人と成ったシンプルな情動。自己のうちに他者を知覚する情動が始まりの不明の始まりであり、この情動によって世界が立ち上がった。あるものと他なるものが融即する驚異がまず初めにあって、事後的に自己という一人称やあなたという二人称や群生の三人称がつくられたということだった。あらゆる表現が内包的な表出において円融する。ここに初源の意識の起源があり、意識はここから発し、歴史の長い揺籃期を経て、ふたたびここに収斂すると内包論で考えてきた。

意識の初源を描くことはそのままいまとこれからの歴史を語ることでもある。文化、民族、宗教を超えた内包というグローバルコモンは同一性権力のグローバリゼーションより深さと広がりにおいてはるかな規模をもっている。内包と同一性の相克のゆくえは明らかだと思う。これから内包がゆるりと同一性を包み込んでいく。
内包的な意識の表出が同一性の起源であるとすれば、同一性が象った自己意識や歴史の外延が初源の意識によって拡張されることは必定だと思う。同一性という余儀なさは、存在の現実を内面化という表現によってなぞることしかできない。
連綿と織りなされた歴史のなかで内包という信じ難い驚異は心身一如という同一性に綾取られ、宗教や文学や芸術や思想として内面化することとなった。強大な外延権力に抗する内面化という自己権力が、外延権力とどうじに出現した。いかなる表現も内面に根拠をもたない。同一性は空虚な器なのだ。いや心身一如が同一性によぎられたとき権力が発生したというべきか。もしもある表現がわたしたちの琴線に触れるとしたらその表現が同一性を超えた内包の面影を濃く残しているからだと思う。そのうちの内面化されたひとつのあらわれが宗教的信であり、それはやがて共同幻想として外延化された。共同幻想も、内面化という自己権力も、同一性に起源をもちさまざまに散乱した。わたしたちの知る文明史はこの俯瞰のなかに扇形に布置されている。

仏はただ親鸞一人がためにあるという親鸞の覚知もまたここに立っている。仏と対座する親鸞は煩悩のただなかでのたうち、この世の雛形にすぎぬ位階制で固められた往相の竪超ではなく、竪の信を横ざまに破り、横超を説き、生きた。そこにもはや信はない。信そのものが消滅している。信の彼方の信。それを親鸞は他力と呼んだ。他力もまた信であるが、どんな信も自己の内部に信の根拠をもたない。では他力は何処にあるのか。
心身のくびきを一瞬宙に吊るこの信を外延表現では共同幻想と言うこともできる。素朴な疑問が起こる。レヴィナスやヴェイユが呻き悶絶しながら不在の神に向けて祈るとき、この神は共同幻想か。そうではないと思う。ここに親鸞という一箇の偉大な卑小が生きた俗に非ずの味わい深さがある。非僧非俗の俗に非ずとはなにか。親鸞の言葉はないものを現実としてつくったか。

仏の慈悲が摂取不捨であるということは塗炭の苦にあえぐ衆生の生きざまとはなんの関係もないことで、その意味では廻向にはふたつあるということでさえ無用の言い方であるともいえる。仏の慈悲が摂取不捨という一義であるならば廻向がいくつあろうとおなじではないか。凡夫であろうと愚者であろうと救われるということが摂取不捨の原義だからだ。この根本の原理をぬきに仏教の信は成り立たない。それにもかかわらず、なぜ廻向は往相と還相のふたつなのか。ここにも同一性の謎が隠れている。いつの時代もだれもが俗世にまみれ、さまざまなしがらみのなかで生きる。だれも世俗に汲々としあくせく生きることからのがれる術はない。おそらく親鸞は言う。身が心をかぎり、その心が身をかぎるからこそ廻向は二種であり、往相としてまず浄土に行き、そこからこの世に還ってくるほかないのだと。

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あらためて問うて云う。なぜ廻向は二種なのか。なぜ往相と還相なのか。それは仏の慈悲が摂取不捨としてもともとあるからだ。この微妙な言葉の襞を言うことに親鸞は苦心した。もしこの事実がなければ還相廻向はグーグルマップで行き先を探しても迷子になり、daemonmailとなって戻ってくる。煩悩にまみれた親鸞もまたそのほかではない。問うて云う。仏の慈悲とはなにか。なぜ仏の慈悲はあるのか。懊悩する「私」と仏が対座するかぎり、「私」を超越する信を媒介にしてしか、往相であれ還相であれ、その信は成就せぬ。このときその信は不可避的に規範化される。他力は必ず自力の信としてとして共同化される。
親鸞は暗黙のうちに幾つかの公理を前提として仏の慈悲を語った。ひとつ。仏の慈悲とはなにかが語られていない。それはただ摂取不捨のものとしてあるとしか言いようのないなにかだ。そしてそれはまぎれもなくたしかにある。ふたつ。親鸞とはだれか。このふたつがはじまりの不明としてあるにもかかわらず、それらを括弧に入れることで親鸞の思想の堅固はできている。だからこそ親鸞の思想は800年の時空を超えわたしにつたわった。

わたしが親鸞の思想の核にある他力という堅固を解く。それはまた他力という信の共同性を消尽することにつながる。親鸞の思想もまた自己が世界と対座し、そこに不可避に生じる生の特異点を解消するひとつの方便として述べられているのだ。仏の慈悲もまた同一性の至上なるものとして外延的に表現されている。親鸞という偉大な卑小もまた自己という同一性によって生きられている。親鸞の思想では他力をどれだけ語っても信の共同性の根を抜くことはできない。信を共同幻想として疎外することなくあらわすことはできないのだ。生きられる生の極北として親鸞の思想は奇跡のようにしてその痕跡を遺したが同一性を公理として外延表現に閉じている。あらゆる思考が行き当たる思考の限界。この不動の堅固。はじまりの不明。むろん外延表現を表現のすべてだと考えれば親鸞の思想は全円性をもつことになる。

ありえたけれどもなかったものを現にあらしめる思想が可能だと思う。そこに『教行信証』の、大乗教の、はじまりの不明を立ち上げた、あらゆる信の祖型がある。仏の摂取不捨の真言を拡張することで思想は円融する。
廻向は一種でいいのではないか。このとき内包論は親鸞の見果てぬ夢を生きようとしている。苦にまみれた生であってもこの世ならざる浄土に生まれることの可能性を説いた『教行信証』は浄土への手引きを衆生にわかりやすく説いた取説でもある。飢えと疫病と戦乱と天変地異に囲繞された衆生に安息をもたらすものとしてそれはあった。苦に縁取られた、身が心をかぎる姿に、安寧を施す方便として説くしかないものだった。

・・・とここまで書き、気晴らしにスマホでネットサーフィンして、偶然10年前にNHKが編集した「沖縄 よみがえる戦場~読谷村2500人が語る地上戦」https://www.youtube.com/watch?v=OS_cOTwF1T0という番組を見た。86歳の知花カマドさんはチリチリガマで5歳の長男を喪う。ガマ(洞穴)の前まで米軍が迫ったとき、少年たちは竹槍を持ち外にでて「鬼畜米」軍に対抗した。ガマのなかに100名近くの高齢者と女性と子供がいる。生きて虜囚の辱めを受けずとして自決。「天皇陛下の赤子として死ぬほかなかった」と彼女は語る。天を仰ぐ気持ちになる。そうやって生き延びたものは戦後を生きた。

わたしも父母のことを思いだした。父は海軍に徴兵されラバウル航空隊で特攻の要員として出撃を待機。敗戦間近に軍命により陸戦隊として北朝鮮に転属。羅津でソ連軍の陸続たる敵前上陸を受け壊滅的な交戦。軍の指揮系統は消滅。剝き出しになった生存と下克上。上官はソ連侵攻を事前に察知し逃亡。転進中にただひとり残った上官から軍属の母が死んだので新婚でもあるし線香を一本上げてこい、行かずば抗命罪に問うと言われ、母をおとなうと瀕死だが存命。部隊に戻ると全員ソ連に抑留されシベリア行きとなっている。唯一人の上官江頭少佐もシベリアに8年抑留。戦闘下の上官の厚情と運命。後に兄がお会いして一献を酌み交わし、おかげで息子三人がいますとお礼を申し上げた。侵略と降伏と敗残。父母は当地で捕虜生活。脱走。逃避行中に二度逮捕。拷問にあい殴打される。父母とも脱獄し、釜山から船に乗り、博多築港に帰還。冬の2月に凍りついた韓半島の38度線を渡河。生きて祖国に帰ることはなかろうと母は信じる聖書を岸縁に埋める。22歳。万感の想いがあったと思う。渡河中にソ連軍と韓国軍に逃亡兵として射撃を受けるが存命。夜陰に乗じ難民として南下。母から聞いた話。腰紐をつなぎ、子に握らせ、夜が明けると子はいなかった。途中で子を捨てる親もいた。だれか拾ってくれるかもしれない。母が体験したこと。対岸に架けられた目の眩む高所にある枕木だけの鉄橋を渡るとき大人も子供もぼろぼろ墜ちていった。一度でいいから凍った地面ではなく布団で寝たかった。暴動に巻き込まれ父とはぐれたとき、ああここで死ぬのだ。元気だった母がそう話したことを覚えている。ほんとうのことだと思う。兄は母のお腹の中だった。着物に自決用の剃刀を縫い込み、難民船で帰国した。わたしにはわたしの、父母には父母の物語があるように、鎌倉の戦乱の時代を生きた者にもそれぞれの容易ではない物語があった。そのただなかで親鸞は浄土を生きたのだと思う。それを承知で内包論を語っている。内包論は空論ではなく生々しいことなのだ。

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飢餓にあるとき人は食を奪い合い殺し合う。あるいは命がかかるとき、身を引き裂かれるとき、人は近しいものを敵に売り渡し、また大義という理念の結界を張り進んで殺し合う。この繰り返しの中で名状しがたいある意識のさわりを覚えた、というのはよくできたわかりやすいうそだと内包は考える。食と性を分有する根源の性があるから、だれのなかにもあるその痕跡が卑劣を嘆かわしいと思わせるのだ。意識についてのこの先後は逆にならない。同一性の制約を被っているとはいえ仏による摂取とはそういうことだと思う。同一性と人類の文明史はおなじ規模をもっており、同根である。神や仏という燭光は内包の面影の謂いであるとわたしは思う。かぎられたわずか数十年のわたしの体験のなかに人類史が凝縮されているように感じている。
ここまでくると親鸞がたどった道をもうすこし先まで行くことができる。親鸞は浄土宗の真言の教義を逆手にとりその信を還相廻向によって味わい深く解体した。この信を他力と親鸞は名づけ、自然法爾として竪ではなく横ざまに破り生き切った。たしかに親鸞は、それがなんであるか知らずとも浄土を歩いたのだ。しかしついに親鸞が他力を超えることはなかった。ほんとうは他力を突きやぶり、同一性に負荷された言葉の重力を振り切ればよかった。内包自然まであと一歩だったとわたしは思う。

おそらくこの世のしがらみの業の深さを逆手に取ることで竪超としてまず往相廻向のありかたをなぞってみせた。渡る世間に鬼はなしと人を見たら泥棒と思えという両義性は矛盾しない。いつも世間はこのようにあらわれる。しかしどれほど自力作善に努めようとこの世のしくみは毫も変わらない。親鸞はおだやかに悪人正機や横超を語ったようにみえるがどうにもおさまらない狂気のようなものがなまなましく内部にあった。受容と苛烈が親鸞の自然法爾にある。もっといえば親鸞にとってはすべてが媒介にすぎなかった。竪超の信を語り、返す刀で竪の知を断ち切る。それが親鸞の横超ということだった。悪人正機でさえ親鸞にとってはなにかへの媒介にすぎなかった。そのなにかこそが親鸞にとっての自然(じねん)であったように思う。

宿痾のように混濁したアジア的迷妄のなかからアニミズムの洗練された形である大乗教の自然生成が生まれ、融即する自然を断ち割る奇跡として親鸞の言葉がつぶやかれた。むしろすみやかにアジア的迷妄を脱し、同一性の変幻自在さを使い切ったユーラシア大陸の辺境の地で興った精神が、ヨーロッパ的な信であるキリスト教ではないかと思えてくる。
アジア的な信に起源をもつ親鸞の言葉も伝承されるイエスの言葉も信の共同性そのものを断ち切っているとは思えない。それは親鸞や伝承されるイエスの思惑を超えたものである。僧に非ず俗にあらずとはほんとうはどういうことなのか。だれも解いていない。

僧に非ずを問うことは俗に非ずを問うことにひとしく、非僧非俗を問うことは信を問うことにひとしいおおきな謎としていまなおわたしたちのまえに聳えている。もともとあったにもかかわらずながいあいだないこととされてきた、存在しないことが不可能である存在は、それにもかかわらずそれを現にあらしめるものとしてたしかに存在する。

(「宗教の自然3」につづく)

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