日々愚案

歩く浄土72:内包的な自然5-吉本隆明の自然2

ヴードゥラウンジ

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オウムの悪口を言えばだれとでも和が成り立つ時期があった。マスコミはオウムの若者を異形のものとして報道した。どんなに仲の悪い奴や嫌いな奴とでもオウムを狂った殺人者集団と唾棄すればその場が和やかなものになった。ほんとうにそんな時期があった。すべての悪をオウムに負わせ、みながじぶんの立つ瀬をつくった。わたしも、おそらくみなも、オウムの所業に喉元が凍りつくような嫌なものを感じたからだ。オウムの修行者たちのふるまいは市民社会の倫理からおおきくずれていた。バイアスのかかったマスコミの報道を差し引いてもまがまがしさはつたわってきた。目を背けたい過去のこととしてではなくいまのこととしてその核心に迫りたい。

『オウムと全共闘』で小浜逸郎は典型的な市民主義の立場から麻原の宗教観を擁護した吉本隆明を批判する。小浜は言う。「キリストに唾を吐きかけた民衆と、麻原やオウム信者の『信』をあざ笑う現代日本の市民は、はたして同質といえるであろうか。私にはそうは思えない。いや、そうではないという立場を私はあえて選ぶ、といったほうが正確かもしれない。なぜならば、私のなかには、どれほど現代の日本が時代閉塞につき当たっていようと、近代文明を基本的に支えている、日常生活に有機的に結びついた合理的な思想を最終的には守り抜くベきであるという信念があるからである。そして同時に、ふつうの市民たちが麻原やオウム信者にたいして異和と距離感を抱くのは、主として、そうした近代合理的な思考と生活の様式が根源にまで浸透しているからこそであるということも、私は強調しておきたいからである」(98~99p)、と。

小浜逸郎はまともなことを言っているようにみえるがキリストに唾を吐きかけた人びととオウムを唾棄したわたしたちと変わるところはなにもない。迷妄が憑依する対象が変わっても、ある時代を生きる人がその時代と取りもつ迷妄の度合いはいつも変わらない。わたしたちはいまもなお充分に迷妄的である。がんの早期発見・早期治療のうそひとつとってもあきらかなことだ。世界はいまもさまざまな迷妄に満ちている。小浜逸郎はその程度の理念しかもちあわせていない。ようするに文化の業界人なのだ。
オウム真理教をバッシングする熱狂の渦が国中で燃えさかったのは1995年だった。それから20年余。麻原のオカルト性は安倍晋三に受け継がれこの国ぜんたいがオカルト化し、むきだしの生存競争は小浜が信じた「近代合理的な思考と生活の様式」を足下から切り崩している。反知性主義が横行するなかで、この流れに対抗した知性主義も空洞化し宗教になろうとしている。

オウムバッシングの熱狂報道のなかで吉本隆明はひとりで敢然とこの世論に激しく敵対した。どれだけ叩かれても発言の趣旨を撤回することがなかった。麻原への肩入れを要領よく隠蔽し身過ぎ世過ぎで中沢新一は殊勝な反省をした。「断筆するか、自殺するか、小説を書くしかない」と全国紙で告白したにもかかわらず、2、3ヶ月後には知らぬ顔してもの書き文化人に戻り業界に復帰した。吉本隆明から「小浜、もっと勉強しろよ」と怒られた小浜逸郎はいじけて父親の復権を唱え保守のイデオローグとなった。なんと身軽な転身。なんという滑舌。
吉本隆明はオウム真理教の事件をきっかけに親鸞の理解を深めることができたと発言した。「理想の社会のイメージを、善の方向にだけ暢気に考えてきたのが間違いだったかもしれません」(『宗教論争』吉本隆明vs小川国夫 224p)
このあたりを糸口にして吉本隆明の触った自然について考える。むきだしの生存競争のなかでオウムの惨劇に比する出来事はくり返されることになるだろう。市民主義は正義を唱和するだけで事態に無力であることは明白である。出来事にたいして意見を表明するとき吉本隆明は市民社会の善悪観に依拠していない。ひとりで世界とじかに対峙する吉本隆明の思想の態度にはいまでも共感する。オウムの引き起こした事件に対処するときの吉本隆明の思想の立ち位置はつぎのようなものだ。発言の趣旨はいつも一貫してぶれることはない。

 その際、大事なことがあります。それは市民社会の善悪観に同調しないということです。市民社会の善悪観にそのまま従うだけなら、別に思想でもなんでもないということです。そんなことなら考えることをやめたほうがいいんです。だれにいわれたってそこのところは変えるつもりはありません。はらわた煮えくり返ってもかまわないから、勝手に煮えくり返っていてくれというだけです。だからいくら非難されても批判されても僕は全然受けつけません。市民社会的な善悪観という枠から出ていかないといけないんです。
 ちゃんといえば、市民社会の善悪観は僕にもありますが、それに終始してしまったらそれは思想でも理念でも宗教でもないよ、ということです。市民社会に流布されている善悪観はたてまえだけの善悪判断で、本音はかくして知らぬふりをする二重性からできています。市民社会の善悪観をどこかで超えていなければ思想とも宗教ともいえないんです。宗教というかぎりは必ず超えるところがあるわけで、そうすると市民社会に遠慮したり、おっかなびっくりになってしまう人も出てくるわけです。(『世紀末ニュースを解読する』97p)

勝手にはらわたが煮えくりかえってくれはいいな。おうROCK。吉本隆明は出来事の根源をかれみずからの思想の本音としてしか語らない。かれが思想家である由縁が示されている。以下は吉本隆明の言。麻原彰晃の書とされる『生死を超えて』を読んで、鎌倉期以前の仏教の修行者の修練の仕方が手に取るように理解できた。原始未開時代の宗教的体験とよく似ているのではないか。この世が幻ならばあの世も幻という幻想的で幻覚的なイメージが鮮やかに描かれていて驚いたと吉本隆明は語っている。その意味で麻原彰晃を現存する世界有数の宗教家であると評価した。しかしオウム真理教の信者がなしたサリンガス散布による市民の無差別殺傷については断言で否定している。
『世紀末ニュースを解読する』という本の中で衆生救済を通俗化すると通俗化した部分がイデオロギーとなるとくり返し批判する。わたしの言い方でいえば通俗化とは理念の間違った一般化ということになる。反知性のオカルト安倍晋三に追いまくられるほどに反安倍の民主主義というイデオロギーが宗教化する。民主主義という底の抜けた理念を唱和することでなにが変わるというのか。建前でなく本気で言っているとしたらそれはもう宗教だ。

    2
オウム事件のとき親鸞ならなにを言うだろうかと考えたことがある。おなじことを吉本隆明も考えた。

 しかし親鸞の思想は、オウム真理教の事件を根底から批判できる思想です。事件の波紋に対しても、十分対処できるほどの拡がりと奥行きがあります。つまりオウム・サリン事件は、親鸞の思想の範囲内にある、ということもできます。
 親鸞の教義では、信の問題は善悪の問題、倫理の問題に直せます。つまり親鸞が庶民のあいだに流布されていた善悪をどこまで拡げていったかです。親鸞の考えた善悪の規模は、それが「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」という悪人正機説です。オウム真理教の悪は浄土に遠いけれど、またたいへん近い契機がそのなかにあると、親鸞だったらいうでしょう。(同前 103p)

そのうえで吉本隆明は親鸞の悪人正機説を解義する。

 僕はオウム・サリン事件からずいぶん多くを学びました。
 親鸞が「善人なおもて・・・・」というのは、こちらの琴線にひっかかってくる鮮明で深い言葉です。これは一種のアイロニーというか、反語なんですね。こういうことによって、親鸞は善悪の奥行きを鮮明に浮かびあがらせています。
 僕が感じたのは、親鸞というのは本気で極悪非道の人間のほうが浄土にいきやすいと考えていたんじゃないか、そういう解釈の仕方がオウム事件を通して僕のなかに生まれてきました。
 極悪非道というのはなにかというと、目にみえないかたちで善を包括している悪が極悪非道で、目にみえるだけで奥はなにもないというのがただの悪じゃないか。極悪非道というのは、要するに悪のなかに善が潜在的に含まれていて、庶民の社会でいう悪にはそれだけの含みはないと、親鸞は本気で思ってたんじゃないか。
 造悪論というのがあります。親鸞の弟子で、わざと悪をやったほうが往生しやすいんだといって、ヤクザっぽい振る舞いや盗みをする分派が出てきました。優秀な弟子からどう考えるべきかと尋ねられて、親鸞は手紙で「病を治す良薬があるからといって、わざわざ病になる人はいないだろう」と答えるわけです。だけどどう考えたってその言葉では、造悪論をなだめる力はなかったろうと思います。十八願を本願とする法然、親鸞の教義のなかには、悪のほうが往生しやすいことを肯定する要素は絶対あったと思います。親鸞自身もそう思っていたけど、そういうわけにいかなくて、本心の一歩手前で回答をしたのだろうと僕は思います。
 親鸞的に麻原彰晃の無差別殺人をおこなった極悪非道の者は往生しやすいところがあるといえるんじゃないか‥その極悪非道のなかに善の影があったとしたら、それはただ一つ、未来性ということです。これから人類がたどる歴史のなかで、善として組み入れられるものが彼の極悪非道な行為のなかに含まれているんじゃないか。未来性だけは含まれているんじゃないか。
 こういう疑問に対して、こんなのはけしからん、評価にも値しないという知識人や投書家の考え方は、人をつっころばしたらなんの理由もなく悪だというのと同じです。
 いままでは「善人なおもて……」という悪人正機説を、アイロニーというか反語的な解釈でいいと思っていました。反語・逆説はなにかといいますと、三上さんのいう契機論です。しかしそうではなくて、親鸞が評価する悪のなかには善の影が含まれているんじゃないか、親鸞は本気で悪をそうとらえていたんじゃないかと、オウム・サリン事件を通して思えてきたんです。
 市民社会にあいまいなまま流布されている善悪観をはみ出すのは確実ですが、そのはみだしが極悪のなかで浄土により近い善だという、人間性に対する理解を親鸞はもっていたのかなという実感が出てきました。ただ悪をした、善をしたというならなにもいらないのですが、極悪をするためにはどこかに潜在的に善へいける要素が含まれるんじゃないかと、親鸞はそう人間を理解したのではないでしょうか。(同前 105~106p)

この件をむかし読んで反発を感じ新聞に記事を書いたことがある。吉本隆明のオウム事件についての発言をまともに取りあげるのはそれ以来のことであり、そのときよりは冷静に吉本隆明の発言を読むことができた。世間の猛烈な反発をうけることが必至であったにもかかわらずなぜこのような発言をしたのか。人間の認識というものには幅があり時代と共に変わりうるものなのだということがかれの発言の真意だと思う。人工授精というものはむかしは不自然なことだとされたがいまは自然になっている。「極悪非道のなかに善の影」があるということは、たとえばそういうことだ。だから悪のなかに善の影があり未来性があると吉本隆明は言っている。それでもいくつかのおそろしい思想の難所がここにある。
親鸞の思想を解義する吉本隆明の思想の未遂と、親鸞の思想の未遂が幾重にも絡まっているとわたしは思う。解きがたい錯綜した謎なのか。そうではない。ある前提を公準として設けるかぎりこの謎は解けない。それにもかかわらず解けない主題を解けない方法で解こうとする熱い意志があることは認める。吉本隆明は語りえぬことを語ろうとする。ほんとうに極悪非道のほうが浄土に近いのか。だれもが触れたくない、おそろしくて戦慄するなにかがここにある。
制度となった仏教の知に包囲され制度としての信を解体した親鸞の膂力は驚異的なものだ。そのただなかで、仏はただ親鸞一人がためにあるという信を親鸞は生き切った。それは親鸞にとって不動のリアルとしてあった。吉本隆明の思想の根っこにはリアルな空漠とした空虚があった。それがなにから由来するのかを言わぬまま吉本隆明は旅立った。それはたしかだと思う。親鸞は時代の知の制約のなかで考えうることはすべて考え尽くしたように思う。

親鸞が自然法爾というときの自然(じねん)とはなにか。信を自然(じねん)に解体することであった。そして見事に解体した。それが自然法爾という言葉だと思う。そこでは自己が自己にとって異物であるというニヒリズムはきれいに消滅している。この位境を親鸞は他力と呼んだ。
麻原の為した極悪非道は人類がたどる歴史の未来性のなかに善の影としてあるのではないかという吉本隆明の発言はかなりひずんでいる。出来事の根源を言い当てることができていない。オウムの為した悪事は親鸞の思想の範囲内にあると吉本隆明が言うとき、市民主義者たちを敵にまわす言葉に勢いはあっても、麻原の極悪非道こそが浄土に近いという吉本隆明言葉はどこかひかえめでおずおずしている。ほんとうは実感としてはついていけないのだと思う。あの親鸞でさえ「本心の一歩手前で回答をした」と吉本隆明は言っている。畏るべき問いはなぜ回避されたのか。ここにはほんとうはなにがあるのか。だれもこの慄然とした問いに答えていない。

邪悪なものがかぎりなく邪悪に染まり、非道が無道として蔓延するなかに歴史の未来性もなにもないのだ。親鸞は浄土教を分派して浄土真宗を名乗り熾烈な党派闘争と分派闘争の渦中にあった。よくぞ親鸞は生き延びた。わが身を重ねてそう思う。このあたりのことを言おうとするとなにか猛るものが躍りでてくる。血で血を洗う修羅場をくぐり抜け、親鸞は殺伐とした光景のなかで〔契機〕について語った。吉本隆明のオウム発言にたいする異論があるとすれば、吉本隆明の思想の源泉である親鸞の〔契機〕論にたいする不満にほかならない。『歎異抄』のなかで親鸞は言う。

 またあるとき、聖人は「唯円房は、わたしの言うことをば信ずるか」と仰せられたので、「さようでございます」とお答えしたところ、「それでは、わたしの言うことにそむかないか」と重ねて仰せられたから、謹んでおうけしましたところ、「たとえば、ひとを千人殺してもらえないか。そうすれば、かならず浄土に生れることになろう」と仰せられた。そのとき、「仰せではありますが、ただの一人も、わたしの能力では殺せるとも思えません」とお答えしましたところ、「それでは、どうして親鸞のいうことにさからわない、というのだ」と仰せられた。そしてさらに続けて、「これでわかるだろう。すなわち、どんなことでも、心のままになるものならば、浄土に生れるために千人殺せというときには、ただちに殺すだろう。しかしそうではあっても、一人でも殺せるような宿業のはたらきかけがないために、殺さないのである。自分の心が善くて、殺さないのではない。また殺すまい、と思っても、百人、あるいは千人を殺すこともあるだろう」と仰せられた。これは、わたしたちの心が善ければ浄土に生れるに適していると思い、悪ければ適していないと思って、実は本願の不思議なお力によってお助けになる、ということを知らないでいるのを、いわれたものである。(石田瑞麿訳)

契機論で救われることはなにもないと思ってきた。なぜならば契機論は殺す側の理屈と方便だからだ。契機論には殺される側のまなざしはまったくふくまれていない。親鸞の契機についての考えは若い頃から読み知ってはいたがそのことについて書いたことは一度もない。なぜ書かなかったのか。漠然とだが殺す側の言い訳が述べてあるだけでとても退屈だったのだ。親鸞の考えはいまでもとてもすきだが、この契機論はわたしにとって凡庸だった。ほんとうはなにも言われていないにひとしいと思ってきた。戦争や革命の愚劣も無差別殺戮もすべて契機があったとすれば説明がつく。意識に無意識の傷を負った若者が通り魔になって大量殺人をすることも契機によって説明できる。契機論という思想は出来事のはんぶんしか説明することはできない。然して出来事は残骸のように遺棄される。

なぜ麻原は極悪非道を為したのか。なぜそこに歴史の未来性があると吉本隆明は言うのか。麻原の極悪非道はかれの利己心であり私利私欲である。麻原のなした極悪非道になぜ善の影があるのか。そんなものはない。歴史の未来性もない。いったい吉本隆明はなにが言いたいのか。麻原が無意識に傷を負っておりその傷を回復しようとして無道を為すときそこに善を包括する悪があるのだろうか。市民主義の自力作善として申し述べるのではない。悪のなかに善の影があり、それが唯一歴史の未来性へつながると吉本隆明がいうとき、かれは表現を手放している。わたしの考えからすればこう語るとき吉本隆明は現実をなぞっているだけで現実を越えていく言葉の力をすでに喪失している。わたしは現実をなぞりそこに意味を見いだす行為を表現とは呼ばない。世界の無言の条理に歯が立っていないではないか。吉本隆明の麻原の宗教観擁護は市民社会の常識から激烈な反感を買ったことは事実だ。発言の主張を撤回せずに貫いたのが吉本隆明ただひとりであることも事実だ。その思想の一貫性には深く敬服する。しかし発言の趣旨を曲げないということと麻原らの為したことに歴史の未来性があるといって救抜することのあいだには深淵がある。ここには明白な虚偽がある。契機論では世界の無言の条理に刃向かうことはできない。吉本隆明が親鸞が「本心の一歩手前で回答をした」ということはそのことを指している。

苛烈な暗闘を生き延びたわたしの体験からも、「市民社会の善悪観にそのまま従うだけなら、別に思想でもなんでもないということです。そんなことなら考えることをやめたほうがいいんです。だれにいわれたってそこのところは変えるつもりはありません。はらわた煮えくり返ってもかまわないから、勝手に煮えくり返っていてくれというだけです。だからいくら非難されても批判されても僕は全然受けつけません。市民社会的な善悪観という枠から出ていかないといけないんです」と吉本隆明がいうことは、ぜんぶわかる。
なにかいちばん大事なことを吉本隆明は考え損ねている。問題の所在をはっきりさせたいので、辺見庸が『1★9★3★7』を書いた動機をかぶせる。辺見庸は言う。「……なんのために本書を著したのか。それは、こうだ。わたしじしんを『1★9★3★7』という状況(ないしはそれと相似的な風景)に立たせ、おまえならどのようにふるまったのか、おまえなら果たして殺さなかったのか、一九三七年の中国で、『皇軍』兵士であるおまえは、軍刀をギラリとぬいてひとを斬り殺してみたくなるいっしゅんの衝動を、われにかえって狂気として対象化し、自己を抑止できただろうか―と問いつめるためであった。おまえは上官の命令にひとりそむくことができたか、多数者が(まるで旅行中のレクリエーションのように、お気楽に)やっていた婦女子の強姦やあちらこちらでの略奪を、おい、おまえ、じぶんならばぜったいにやらなかったと言いきれるか(中略)-と責間するためであった」、と。

吉本隆明の説明病も辺見庸の甘えた倫理もわたしは観念としてはまったく同型だと思う。言葉に根がないのだ。わたしは吉本隆明の思想にたいする異論を過ぎ去った事件への追想として書いているのではない。これからわたしたちが当面する生々しい出来事を予感しながらこれを書いている。世界は市民主義の正義では歯が立たない無言の条理にすでにさらされているのだ。言葉をあつかう手つきをまるごと拡張することでしか歴史の猛烈な圧力をはねかえすことはできない。辺見さん、それはあなたもだよ。連合赤軍の無惨も、オウムの愚劣も、それを為したもののひとり一人が一切を断たれて負うしかないことなのだ。考えることを放棄しなければかならず不動の一点がみつかる。それはもともとあるもので、いつもみつけられることを待ち望んでいる。そこで生は舞う。人という出来事が自己に先立つ驚異にいつも曝されているということ。「まわらぬ舌で初めてあなたが『ふたり』と数えたとき/私はもうあなたの夢の中に立っていた」(谷川俊太郎)が可能であるから奇妙な生が身にしみるのではないか。可能な生のここに極悪非道があるだろうか。
この驚異の際限のなさを享受しようと身がこころをかぎる心身一如という同一性が可視化されたのではないか。自己意識の用語法でいえば、あるものが他なるものに重なるから、事後的にあるものがそのものにひとしいという公準が生まれたのではないか。この先後を取り違えることのなかに人類史の厄災が、ヴェイユが覚知した間違った一般化という観念の実体化が起こったのではないか。

わたしは吉本隆明の片言隻句をとらえて論難しているではない。かれの思想のなかに同一性に準拠した思考がたどる必然をみようとしているのである。わたしと同世代の文化人は虚偽に満ちたどこにもありはしない民主主義という理念のうえに立って安倍晋三の反知性主義を批判しているだけで、批判するに値しない欺瞞人間である。かれらを論難しても腹の足しにはならない。現実を超えていこうとする胆力もまたその意欲もかれらにはない。

    3
わたしの記憶するかぎりシモーヌ・ヴェイユだけが世界の無言の条理に王手をかけようとした。何度も引用した箇所をまた引用する。彼女は親鸞でさえ考えつかなかったことを言葉で取り出そうとした。彼女の言葉のなかに親鸞以来の思想が兆している。なぜそれが可能となったのか。世界が我がこととして彼女にあらわれたからだと思う。当事者性ということだ。なぜだれもこの平凡な事実に気がつかなかったのか。ヴェイユには世界を観察する余裕はなかった。もがくようにして世界を生きた。それがつぎの言葉だ。

 人間だれにでも、なんらかの聖なるものがある。しかし、それはその人の人格ではない。それはまた、その人の人間的固有性でもない。きわめて単純に、それは、かれ、その人なのである。
 ここに街を歩いているひとりの通行人がいるとする。その人の腕は長く、眼は青く、心にはわたしの関知しない、しかしおそらく平凡な思考が去来している。
 わたしにとって、聖なるものとは、その人の中にある人格でもなければ、人間的固有性でもない。それは、その人である。まったきその人なのである。腕、眼、思考、すべてである。それらを少しでも傷つければ、限りない良心の痛みに見舞われないではいられないであろう。

 人間的固有性にたいする尊敬を定義することは不可能である。それは単に言葉で定義することが不可能だというばかりではない。しようと思えば、多くのすばらしい概念は存在する。しかし、この概念がまた理解されないのである。思考の黙して語らぬ働きによって限界づけられているこの概念は、定義されることができないのである。
 定義することも、理解することも不可能な概念を、公けの道徳の範とすることは、あらゆる種類の暴虐に道を開くことになる。
 一七八九年、全世界に向かって発せられた権利の概念は、その内容が不十分であったがために、それに委託された機能を遂行することができなかった。
 人間的固有性の諸権利について語ることによって、二つの不充分な概念を混合させてみても、われわれにとって好都合に事は運ばないであろう。
 もし、わたしにその許可があたえられ、またわたし自身がそれに興味をもつとしても、あの男の眼をくり抜いてはならぬ、とわたしを引き止めるものは、正確にはなにであろうか。
 かりに、かれがわたしにとってまったく聖なるものであるとしても、あらゆる関係のもと、あらゆる点において、かれがわたしにとって聖なるものなのではない。かれの腕は長い、またかれの眼は青い、あるいはまたかれの思考はおそらく平凡なものであろうというかぎりでは、かれはわたしにとって聖なるものではないのである。たとえかれが公爵であろうと、かれが公爵であるというかぎりでは、聖なるものではない。たとえまたかれが屑屋であろうと、屑屋であるというかぎりでは聖なるものではない。わたしの手をひきとめるものは、それらのものでは全然ないのである。

 「どうして人はわたしに害を加えるのか」というキリスト自身ですら押さえ切れなかった子どもらしい嘆きが、人間の心の底にきざす時にはいつでも、たしかにそこには不正が存在するのである。(『ロンドン論集と最後の手紙』(「人格と聖なるもの」杉山毅訳)

親鸞も吉本隆明も悪を裁定する方便については語った。制度の知や市民社会からはみ出す言葉として。どうすれば悪を平定できるかとは考えなかった。極悪非道はびっしりとあるものでどうにもならぬものだった。いまもそれは変わりない。だから親鸞は自力作善を排し、それは仏が決めることだ、計らうなと説いた。すべてを然りとして受け入れよ、と。他力とはそういう方便である。その場所が正定聚であるということは諒解できる。しかし、ヴェイユの言葉をあいだにはさんだらどうなるか。「『どうして人はわたしに害を加えるのか』というキリスト自身ですら押さえ切れなかった子どもらしい嘆きが、人間の心の底にきざす時にはいつでも、たしかにそこには不正が存在するのである」。親鸞がどこまで考えていたかほんとうのところはわからないが、親鸞の言葉を解義する吉本隆明に「子どもらしい嘆き」はなかった。極悪非道は世界の条理であり、それをどう解釈すればいいか、というかれにとっての知的な課題だった。オウム事件の無道に接して、このことに答え得ないならそんなものは思想ではないとかれは考えたが、「子どもらしい嘆き」の場所から考えることはなかった。断じて倫理ではないぞ。現前する世界の無言の条理のただなかでそのことを語ること、それが表現だ。
親鸞にも思想の未然というものがある。親鸞を生涯に渡って解義した吉本隆明の思想の未然もそこにある。悪人正機説は世界の半分しか解明していない。市民主義ではなく世界を語ろうとした吉本隆明は市民主義を嫌悪することはできても、悪そのものを打ち据えることはできなかった。なぜか。親鸞も吉本隆明も奇妙な生のなぞを味わい尽くしていない。世界が苦であるということを思想の公準にしている。それはなぜか。どういうことか。かんたんなことだと思う。自己意識の外延表現に世界が閉じられ、その外にでることができないからだ。身が心をかぎる同一性を拡張することでしか外延表現をひらくことはできない。

口ごもらないでもっとはっきり言う。なにが不満なのか。親鸞の〔契機〕論は世界の半分しか触っていない。世界に半分しか触らずに、それでも存分に奇妙な生を舞うように生きることができると言い切った。浄土はここにある、と。たしかに浄土は歩く。彼岸にではなくここに浄土がある。そのとおりだと思う。戦乱と飢餓と疫病と天変地異にびっしり敷き詰められた苦に喘ぐ衆生を眼前にして親鸞は手持ちの法語で立ち向かうしかなかった。そしてついにすべては然りとなる場所に親鸞は到達した。かれは観察する理性の人としてではなく苦のただなかにいて仏の慈悲にくるまれて存分に生きた。かれの言葉の大半は失われても、かれの立ち姿が、そのまま思想である。わたしはかれの生がそのままに思想だと思う。言葉はその痕跡にすぎない。むろんかれは「子どものような嘆き」も黙って呑み込んで生きた。それよりほかに生きようがなかったからだ。わたしは文字としては遺されていないそこに親鸞の苛烈があったように思う。吉本隆明にも言葉ではないことを言葉で言おうとする苛烈があった。依然として苛烈は未然である。かれらは、圧倒的に善、悪は枝葉末節ということが可能となる場所を言葉でつくることができなかった。わたしは親鸞や吉本隆明の未然を内包という考えでひらいていこうと思う。またひらきうると考える。わたしは根源の性と分有者という考えでその場所をつくることができると思う。そこに極悪非道はない。内包という所業の終わるところを眼を見開いて見られんことを。

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