日々愚案

歩く浄土71:内包的な自然4-吉本隆明の自然1

ストップメイキングセンス
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人の由縁は性から来て性に還ることにある。来たる性は往相に属し、還る性は還相に属する。自己も共同性もうたかたにすぎない。喩としての内包的な親族はこの考えの延長にある。そういうことを考えていた昨年末に吉本隆明の思想を生きている菅原則生さんから『続・最後の場所 no2』が送られてきた。以前、菅原さんの『浄土からの視線』を読んだとき、あ、これは吉本さんの思想の現代版『歎異抄』だと思った。親鸞に唯円がいたように吉本隆明に菅原則生がいる。奢りも諂いも野心も邪さもない。これまでわたしが読みえた吉本論では至上のものだった。わたしは読者をひとり得ることは奇跡に近いことだと思っている。ひとりの読者がいるということは万人の読者がいることと同義であるといつも思ってきた。それほどにひとつの理念は読者を限定する。吉本隆明の思想はひとりの読者をたしかに得ていると思う。

お礼の電話の折りに、いくつか感想を申し上げた。「自己幻想も共同幻想もうつろで、対幻想の裂け目にだけ生きる余地があると思います」と言ったことを覚えている。
吉本さんから受けた影響と開き方がわたしと菅原さんでは違うのだが、不思議とわたしの菅原さんへの親近感は変わらない。わたしも菅原さんも市民主義的な運動やそのなかにある位階制の虚偽と欺瞞を嫌悪している。ようするに反政府運動というものはこの社会と同型な意識によってかたどられたものでどこにも未知がないということだ。自己を棚上げしたつるんとした市民主義の理念にふかい嫌悪がある。一瞬の自己欺瞞に目を瞑った自力作善の醜さ。自己の内部の虚偽と欺瞞は詭弁へと変質し、やがてかれらにとっての自然となる。民主主義とはそういうものだ。要するに鈍感な役割人間にはとても相性のい生き方である。わたしたちは凡庸な役目人間の末路に付き合わされているというべきか。

自力作善をいまの制度の下で形にすると人格の表出である民主主義の実践ということになる。知らないうちに身動きが取れなくなるのが独裁下の民主主義というものだと思う。安倍晋三の奇矯なふるまいとメディアの報道をネットで観察しているとこの国が丸ごと精神の退行を起こしていることがよくわかる。新戦後は抑圧された官製の民主主義がハイパーリアルな剥き出しの生存競争のなかで進行していく。電脳社会と結合した金融工学や先端科学が空虚を拡大していくその度合いに応じて精神が古代化しバランスを取ろうとしている。それがわたしたちが目の当たりにしている世界の現実だ。世界の地殻変動は移行期の混乱という程度のものではない。電脳社会が進展するに従い1%の富者が99%の貧者をより効率的に収奪するという世界の画像は歪んでいるし牧歌的だと思う。もっと深いところで世界が未曾有の構造的な変化を起こしている。やりたい放題の安倍晋三のオカルト政治に民主主義の危機を感じる者らによるアベ叩きもあらかじめ世界の構造的な地殻変動のなかに取り込まれたものでなんの霊験もない空念仏にすぎない。なんという牧歌性。なんとのどかな光景。すでにわたしたちの生は心身の一片にいたるまで潜在的な商品なのだ。既成の知によって悪政やテロの脅威を語ることはまったく無効だと思っている。

菅原さんの言葉の立ち位置を紹介する。内在的な孤独な営為が述べられている。

95年3月20日午前8時、オウム真理教の一団が通勤客で混み合う地下鉄に猛毒サリンをまき、多数の死傷者を出した。こう書いただけで、当時のおぞましい情景が浮かんでくる。なにがおぞましいのかといえば、ひとつは、ありふれた仏教の修行者の青年たちが、それをまけば死傷者が出ることがわかっていながら、見ず知らずの通勤客にサリンをまくという、人間がなしうる限りで最も《極悪非道》な行動をなぜ起こしたのか、そしてそのなぜがわからないことがおぞましさを増幅させたといえる。もうひとつは、《極悪非道》の行動を起こした青年たちを、精神に異常性をもった人間だとみなして、一刻も早く社会から除外し抹殺してケリをつけようと、マスコミや識者が警察権力といっしょになって連日連夜キャンペーンをやったことだ。
この事件は70年代の連合赤軍事件、新左翼の内ゲバ殺人に連なる、不可解で重い事件だ。三島由紀夫の割腹事件をくわえててもいい。戦争世代ならば、これに戦争の悪夢の体験をあげるにちがいない。そして現在でも、《ある帯域》に入れば万人が取り憑かれ、狂気におちいり、《極悪非道》な行動に走ることはありうるのだ。彼らは精神に欠陥があるのでもなければ、何者かに洗脳されているわけでもない、ありふれた青年たちなのだ。この観念の《ある帯域》の内実はなにかということが考察に値する一級の課題だ。
誤解をおそれずにいえば、吉本さんにとってほんとうに超えるべきなのは、《極悪非道》の行動に走った青年たちよりも、《国法》に違反した青年たちを精神に異常をきたした者とみなし、速やかに抹殺しようとして《狂暴な世論》をつくりあげた、《国法》を絶対善の自己至上物とする最終的な宗教であり、すました市民社会の倫理であった。
現在、米欧の主要都市でISによる自爆殺傷事件が続発している。これは、数十年前の戦争期の日本の、自死を前提とした《特攻》と似ていることを誰も否定できない。そして、進んだ文明を自任する欧米列強は、この遅れた文明の《極悪非道》を、人類が築いてきた文明を蹂躙するものであるとみなして、有志国連合をつくり、シリアとイラクに展開するISに対する空爆を開始した。また、日本のマスコミは、いちはやく空爆を支持するという声明を出した日本の政治支配層といっしょになって、これらの《極悪非道》の殺人者集団を、洗脳され精神に異常をきたした者のようにみなして、速やかに殲滅するべきだという論調をくりひろげ、戦闘機が次々と巨大艦船から発進する様子を嬉々として伝えている。たんに、野蛮で凶悪な殺人者の集団が、人類の達成した文明を破壊していると捉えることは思考の停止だ。問題は、人類の最高の達成である宗教と国家と文明を体現していると自称し自任する欧米の文化と政治の指導層が、歴史の現在を把握できずに、圧倒的に優勢な精密武器によって《極悪非道》の殺人者たちを劇画のように殺戮すればすむと考えていることであり、それ以外の方途をもたずに狂信状態に陥っていることだ。欧米の政治指導層もまた 、精密誘導ミサイルによって他者の肉体を殲滅しようとする精神構造において《極悪非道》の極致なのだ。わたしたちができることは、人類のもっとも進んだ文明を自任する西欧の《国家》群 に、内側からと外側からと、刻々と崩壊が迫り、死が迫っている歴史の現在を、考察することだけだ。(『続・最後の場所 no2』後記)

菅原さんは自己幻想と共同幻想のせめぎ合いのなかにオウム事件の狂気や、いまわたしたちが当面している世界の地殻変動のゆくえをみようとしている。現実を善と悪に二分する市民主義の立場から世界を論じてはいない。重荷を背に負いそれをなんとかふりほどこうとする内在的な視線を市民主義を担ぐ者らが持つことはない。市民主義を領導する者らは自分たちのそのふるまいが人類史の厄災の元凶であることを識ることはない。かれらは戦ったふりをしていつも出来事を遺棄する。菅原則夫は内田樹たちのように、あの時代のそんなくらい話はやめましょうとか、元少年Aの取材を邪悪なものには近づかないことにしているといってスルーすることができるほど器用ではなかった。出来事の只中を生きることがどれほど暗鬱なことであるか菅原則生はよくしっている。かれはなにかを潜ったのだと思う。

 ここに、秩序から遠ざけられ疎まれたひとびとがいるとしよう。たとえば現代のキリスト教が、たとえば現代の進歩的な民主主義が、それら支配的な秩序から遠ざけられ疎外されたひとびとに対して、同情をよせ、救済をこころざしていると言うことは自由だ。だが、その自由な意思もどこかで偽善に転化してしまうことを避けられない。いいかえれば、自分が自分に背反し他者に背反してしまう意識が自身の内部できざしてしまうこと、救済をこころざしているふりをしているにすぎないという意識が自身の内部できざしてしまうことを避けることはできない。なぜなら、彼らは関係の絶対性を《意識していない》からであり、現実の支配の秩序のメカニズム(関係の絶対性)のなかで、彼らの救済の意思がどれほど強いものであっても、彼らが秩序と和解してしまっていること、実際に疎外者を抑圧する制度に加担していることをどうすることもできないからだ。関係の絶対性を《意識していない≡意思はすべて泡沫であり、相対的であり、無意識のうちに《疎外者の敵に加担している》ことをどうすることもできないという原則は、どこまでも貫かれるべき真であった。関係の絶対性を《意識していない》という状態のとき、彼は関係の絶対性(観念の共同性)に憑いている、あるいは憑かれているということを意味した。彼がどれほど革命思想を信じていでも、彼が現実において狡猾に秩序を縫ってあるいていることは先験的であり、むしろ、革命思想を信じれば信ずるほど、彼はより狡猾な存在になっていくことをどうすることもできない。彼のなかで自由の意識があぶくのようによみがえったとしでもだ。そして、狡猾であってどこが悪いのかというように、彼の内面で密かな通俗化がおこるのは一瞬のできごとだといっていい。また、彼はこのときおこった内面の通俗化、荒廃、変貌を括弧に入れてひとびとのまえになに食わぬ貌をしてあらわれるのだ。(『続・最後の場所 no2』7~8p)

ここを貼りつけながら、そうだそうだと思うじぶんがいる。「彼の内面で密かな通俗化がおこるのは一瞬のできごとだといっていい」と書かれていることはとても大事なところだ。ほんとうによくわかる。わたしの体験に照らしあわせてそのとおりだといってよい。
菅原則生にとって「関係の絶対性」は解読されていない大きな謎として聳えている。市民主義もまた「内面の通俗化、荒廃、変貌を括弧に入れてひとびとのまえになに食わぬ貌をしてあらわれる」擬態そのものである。菅原さんがいう「革命思想」を民主主義思想と置きかえればいまわたしたちが当面している状況そのものだと云ってよい。マルクス主義をソフトにしたリベラルも理念の型としてはまったくおなじである。事態はなにも変わっていないのだ。市民主義という仮面にかくれた狡猾さ。民主主義を標榜することの欺瞞と虚偽。安倍晋三が愚かなら、断言として反安倍の市民連合もおなじだけ愚かである。そのことを覚知することからしかなにごともはじまらない。
ていねいに読めばわかることだが、菅原則生の『マチウ書試論』の解読の仕方には独特の迫力がある。それはかれが、かつて生きたじぶんと、いま生きているじぶんを乖離させることなくつなげようとしていることから来ている。そしてついに『マチウ書試論』の核心に到達する。あの「関係の絶対性」だ。

    2
関係の絶対性という概念はとても深くて多義的だ。読み手の関心の所在によっていかようにも解釈できる。吉本隆明が「マチウ書試論」で「関係の絶対性」という言葉を手にしたときかれは天皇への絶対的な感情を相対化できたのだと思う。太平洋戦争の開戦に絶対的な開放感をもった吉本隆明が無条件降伏という連合軍の支配を受け入れアメリカ型の民主主義を新しい国体の価値として強いられた屈辱と不如意。かれは天皇のためなら死ねると思い決めていたじぶんと、戦後に生き恥を晒して生きたじぶんを乖離することなくつなげることによってしか生きることができなかった。

原始キリスト教団という新興宗教がローマ帝国とパリサイ人のユダヤ教という官製の宗教にがんじがらめに囲繞されたときかれらがこの地上に安息の血路を求めた姿は、磔刑と特攻として若い吉本隆明に重なったに違いない。わたしも若い頃九州の地方都市で、今日をかぎりに生きる、果てることのない壊滅的な戦いをたった一人で敢行しているとき、吉本隆明の関係の絶対性という言葉に出会い、深く惹かれた。関係の絶対性とはなにか。呪文のようにつぶやいた。思考の乱調が招いた自業自得。世間によくある話だ。
言葉は読者をかぎる。たったひとりの読者のために言葉はある。仏がただ親鸞ひとりがためにあったように。吉本隆明の関係の絶対性は、のちに共同幻想論として実を結ぶ。あらゆる共同幻想は消滅すべきである、自己幻想は共同幻想と逆立する、という思想となってわたしたちの前に姿をあらわした。この思想にわたしは震え、鷲づかみにされた。マルクスの思想もそういうものではなかったか。レーニンもトロツキーもそのひとりである。かれらは処刑にさらされながら民衆を教導し帝政を打倒して権力を掌握しやがてスターリニズムが大地を覆った。

マルクスの錯誤。レーニン・トロツキーの錯誤。そこに無数の死があった。赤化に恐怖するナチズムと天皇制の根深い錯誤もそこにある。「例えばカール・マルクスは、このキリスト教(イエス)の倫理を肩からはずし、制度を逆転すればいいはずだと考えた。しかしそれを試みたロシアをはじめ社会主義は、その倫理を個々の人間の肩から集団に移しかえただけで、富んだのは制度を支える『官僚』の集団だけだった。これは人間が利己心を捨て得ない存在で、『聖書』のいうように『神』だけにしか私的利害の問題を放棄できないからだろうか。これが二千年前も、二千年後の現在も『社会』が孕んでいる疑問である」(『中学生のための社会科』所収「国家と社会の寓話」90p)この問いはまったく解けていない。民衆を教導する前衛という理念が人類史の厄災を招いたのではないか。

吉本隆明の『マチウ書試論』の一節と菅原則生の解説を貼りつける。

ここでマチウ書が提出していることから、強いて現代的な意味を描き出してみると、加担というものは、人間の意志にかかわりなく、人間と人間との関係がそれを強いるものであるということだ。人間の意志はなるほど、選択する自由をもっている。選択のなかに、自由の意志がよみがえるのを感ずることができる。だが、この自由な選択にかけられた、人間の意志も、人間と人間との関係が強いる絶対性のまえでは、相対的なものにすぎない。(略)秩序に対する反逆、それへの加担というものを、倫理に結びつけ得るのは、ただ関係の絶対性という視点を導入することによってのみ可能である。(略)加担の意味は、関係の絶対性のなかで、人間の心情から自由に離れ、総体のメカニズムのなかに移されてしまう。マチウの作者は、(略)現実の秩序のなかで生きねばならない人間が、どんな相対性と絶対性の矛盾のなかで生きつづけているか、について語る。思想などは、決して人間の生の意味づけを保証しやしないと言っているのだ。人間は、狡猾に秩序をぬってあるきながら、革命思想を信ずることもできるし、貧困と不合理な立法をまもることを強いられながら、革命思想を嫌悪することも出来る。自由な意志は選択するからだ。人間の情況を決定するのは関係の絶対性だけである。ぼくたちは、この矛盾、を断ちきろうとするときだけは、じぶんの発想の底をえぐり出してみる。そのとき、ぼくたちの孤独がある。孤独が自問する。革命とは何か。もし人間の生存における矛盾を断ちきれないならばだ。(吉本隆明『マチウ書試論』)

 ここで《思想などは、決して人間の生の意味づけを保証しやしない》と云っているのは、マチウ書(マタイ伝)の作者というよりも、吉本自身だ。二十歳にいたる青年期に存在をまるごとあずけてのめりこみ、敗北するときは自分が死ぬときだと思いつめていたのに、天皇の命令一下、兵士たちは進駐してきた米軍にたいしてなんらの抵抗もせず、右顧左眄する自国の支配層に銃をむけることもせず、武装解除して、奇妙な沈黙のうちに食糧をリュックサックに詰めるだけつめこんで故郷にかえってゆき、吉本自身もまた死んだまま生きているような虚脱と差恥のうちに東京にもどっていった、それら敗戦時の痛恨の自己認識が《思想などは、決して人間の生の意味づけを保証しやしない》と云わせているのだ。
ユダヤ教にたいする原始キリスト教の《蛇よ、まむしの血族よ》という《陰惨なまでの心理的憎悪感》を正当化するものなどあるのかという問いは、吉本自身が太平洋戦争に駆りたてられたとき、みずからすすんで生を捨てることが生きることだというように倒錯をつきつめていった絶対感情を正当化することはできるのかという問いでもあった。もちろん、原始キリスト教のユダヤ教にたいする陰惨な攻撃的パトスと苛烈な自虐の心理(反逆の倫理)や、現実に生きることを捨てて観念の至上の王国に生きるという生の意味づけを正当化することも、吉本が現人神に自身の存在をあずけて生を捨てることが生きることだというように、戦時になした生の意味づけを正当化することも、できるはずがないのだ。
 ひとりでに死のほうへ近づいて行っても死を得ることはできなかったし、生きる理由がなくても抜けがらのように生きているほかなかった。派手な群衆にまざれてなら生きているふりをすることができ、憤怒をまざらわすことができた。また、新たな支配者として進駐してきた米軍にも自国の支配層にもなんらの反抗もせずに武器を捨ててもくもくと故郷にかえってゆく兵士たちを侮蔑することはとんでもない思いあがりであり、生きていることは卑怯ではないかという悪無限の荒廃した精神世界をさまよい、日々の生活のくりかえしになじめずに精神の破綻にひんしている《皇国青年》くずれすぎなかったといえばいえた。

 わたしは、まだその頃、敗戦の傷手からも、青年前期の生活をまるごとあずけてたたかった戦争の悪夢からも脱出する出口がみつからなかった。憤怒と絶望とあらゆるものにたいする不信とで、どす黒く燃えくすぶっている胸の炎を、どうやってしずめるかが、そのころのわたしの課題だった。(『戦後文学は何処へ行ったか』五七年公表)

 そして、敗戦から十年、『マチウ書試論3』の末尾で《原始キリスト教の苛烈な攻撃的パトスと、陰惨なまでの心理的憎悪感を、正当化しうるものがあったとしたら、それはただ、関係の絶対性という視点が加担するよりほかに術がないのである》と書いたとき、敗戦以降うずまいていた疑問がひとつの決定的な解をみいだしたのである。決定的な、というのは、吉本にとって戦争の悪夢から脱け出すいとぐちをみいだしたという意味で決定的だったということと、人類が類として直面している戦争、国家、ファシズムという悪夢を理念として超えていくいとぐちをみいだしたという意味で決定的ということだ。
 ここで、唐突に投げ出された巨大な思想のかたまりともいえる《関係の絶対性》とはなにを意味するのだろうか。吉本にとってそれは、近親や悪童たちと別れ、内在性としてみずからすすんで逆さまになって死におもむかせたもの、あるいは外在性として死が至上の価値であるという倒錯を強いてきたそのものであり、まざまざと熱い感情を喚起させる明瞭なイメージだったにちがいない。《関係の絶対性》とは架空の《観念の共同性》(しいていえば優勢の《観念の共同性》)であり、ほかの誰にも視えなくとも自分にだけ視える、あたかも実在するような、手に取るように感覚され、意識される観念の巨大なしこりであった。(『続・最後の場所 no2』「『マチウ書試論』について」5~7p)

わたしも吉本隆明の「マチウ書試論」について書いたことがある。一節を貼りつける。

ある時期から私は「奥行きのある点」という概念をつくれないかと考えはじめた。それは点の思考に窮屈さと権力の気配を嗅ぎとったからだ。「関係の絶対性」は吉本が見た夢であって、おれの夢ではなかった。現実はさまざまに入り組んだ観念の編み目によって成り立っている。そこで「くつがえし得えない強固な条理」から吉本は思想を立ち上げる。パンがここに一個あるとする。堅固な条理は、人はそれを奪い合うものであると考える。マルクスの経済論や吉本の幻想論は、身体に心が貼りつき、それをひとつきりの身体と心からなるそのものが所有することを、暗黙に表現の公理としている。このことを疑うことは彼らにはなかった。なぜならそこに人間の生命のかたちの自然をみるからだ。言い換えれば、近代の偉大と背理がそこにある。吉本の点的な思考は、点的な思考をいわば秤の原器にして、そこから世界への触手を延ばしていくという方法だ。この思想は不可避に空虚を抱え込む。この存在には穴があいているからだ。「ジェジュ」の「汝姦淫するなかれ」、を批判した吉本の「関係の絶対性」が理念と実感を分裂させるのはこのためだ。

私は吉本とまったく異なった考え方で、吉本の考えたことをふくみもって拡張することができることに気がついた。「ひとりの個体という位相」を向こう側から見て、向こう側からの視線とのからみを主体とする概念を創れば、「ひとりの個体という位相」が拡張されると内包表現論で考えた。吉本がそこにくつがえし得ない条理があるという人間の自然も、私の内包論では観念の問題として扱うことができる。眼にみえないものよりも、かたちあるものや実利になびく人間の本性と考えられるものがおのずと胸襟をひらくのがここだ。マルクスや吉本の社会思想は、はじめからゴルディオスの結び目を抱え込んでいたというべきだ。私は自己というものを彼らとは違って考えた。人間の意志が人間と人間との関係が強いる絶対性のまえで相対的なものにすぎないようにあらわれるのは、自己を質点とする思想がその分裂を呼び込んでいるからなのだ。点の思考は内包存在論によってヘーゲルやフロイトともまったく異なった思想として領域化されうる!

内包存在を主体とする内包というつながりが、身を節目にくびれて分有されたものを自己と考えればよい。私の考えでは内包存在を主体とし、2つの自己が分有されることになる。人間の我欲や我執を本能や生得的とみなすのは離散的な自己から始める限り妥当なものである。人々はそれを人間の本性と思いなしている。それは根拠のある頑迷な臆見であり、しかし歴史の制約であるということにおいて、不変ではなく可変である。点的な思考をとるかぎり、自己は善悪に分裂し、自己のなかに善悪をふくみもつことになるほかない。そしてそこに空虚や我執が棲まうことになる。たしかに〈わたし〉と〈あなた〉は身を隔てそれぞれ個人として生きている。人間というかたちの自然によって〈わたし〉と〈あなた〉が離接するからだ。それにもかかわらず、点と外延の思考を縁取る近代がはらむ背理は内包の思想で超えられる。内包存在は自己=意識を一跨ぎにしてじかに存在する。内包存在を根拠とするほかにどんな手をこうじても、近代発祥の自己意識についての理念が超えられることはない。

人であることの根源をなすつながりのあらわれが自己であり、自己にはつながりがあらかじめうめこまれていて、他者をすでにふくみもつものとして存在している。「我」が「我にあらず」をすでにふくみもつから、一個のパンが自然に分けもたれることになるのだ。内包存在という自然を主体とするとき、「関係の絶対性」はおのずと内包化される。点の思考が外延された吉本の「関係の絶対性」は「人間の生存における矛盾」をいやおうなく引き込むようにもともとできあがっている。「人間は、その生活の社会的生産において、一定の、必然的な、かれらの意志から独立した諸関係を、つまりかれらの物質的生産諸力の一定の発展段階に対応する生産諸関係を、とりむすぶ」(岩波文庫)というマルクスの『経済学批判』の序言を吉本はよく知っていた。

マルクスの経済論を吉本は幻想論の立場から意志の関与しえない「関係の絶対性」と読み替えた。裏返しにされた同型の思想とマルクスへの隷従がここにある。自己意識が外延的に表現された世界ではたしかに自己幻想と共同幻想は「逆立」する。それは内包という主体を躰のなかに自我として閉じ込め、身に貼りついたこころを所有するものを自己とみなす近代思想からの自然な帰結だ。主体はいかなる意味でも自己に属しているのではない。内包存在の分有者と、自然の粗視化された代償態である「社会」を拡張する内包自然とがあやなす世界には、「逆立」するという思考法が存在しない。私は「関係の絶対性」を起動する点と外延の思考の彼方に途方もない夢を見る。不倫の吉本思想、倫の内包思想。内包には孤独と空虚がなくかなしみがある。(『guan02』所収「マチウ書試論」考 1998年 59~61p)

「マチウ書試論・考」を書いたのはずいぶん前のことなのでその頃よりは言いたいことが見えてきた。吉本さんがもがきながらたどりついた「関係の絶対性」を拡張することができるとわたしは思う。吉本さんが手にした「関係の絶対性」という理念は、かれの首を絞めたのではないか。吉本隆明はみずからつくった概念に生涯囚われていた。わたしには解けない主題を解けない方法で解こうとしているように思えてならなかった。それこそある時期から吉本隆明の思想をそういうものとして理解してきた。そのことについてすこし書く。
吉本隆明の「関係の絶対性」という思想はある前提を設ければいまでも真であると言える。どういうことか。吉本隆明は自己が自己であることの信憑性を懐疑したことがなかった。詩人でもある吉本隆明は、おそらく実感と理念を分離する乖離については無意識に察知していた。

『言葉からの触手』で吉本は言った。消費社会の興隆がもたらす感性を肯定的に評価したくて知の大転換を懸命にやっているときだ。「精緻に〈読む〉ことがそれだけでなにごとかであるような現在の哲学と批評の現在は、この事態を物語っている。このなにかの転倒は、すでに現在というおおきな事件の象徴だとおもえる。(略)この現状では〈わたし〉はただ積み重ねられた知的な資料と先だつ思考のなかに融けてしまって、すでに存在しないものにすぎない。そして〈考えること〉においてすでに存在しないものである以上〈感ずること〉でも、この世界の映像に融けてしまって、すでに存在しないものにすぎない」と。あるいは若い世代の詩人の詩を「まったく塗りつぶされたような無」(『日本語のゆくえ』 208p)だと解読した。そこには過去も未来も現在もないと言っている。「ある意味で『内面の時代』はすでに終わっています。・・・人間の内面性も同じことです。ゆくゆくは廃棄処分になるというのが、これからの人類の未来じゃないですか」。(『わが「転向」』121p)この感受を理念化した概念が晩年の吉本隆明の思想の中核をなしているフーコーの人間の終焉に触発された世界視線というものだ。ここにある空虚を歴史の初源に遡ることで埋めようとした。それが「アフリカ的段階」という理念だとわたしは理解している。吉本隆明はなにかを生き損ねた。それはなぜなのだ。
関係の絶対性という概念の全体にかかわるなにかが回避されているように思う。吉本隆明の思想の根幹にかかわるなにかが隠されている。吉本さんの生の声を通してそのことを確かめたかったから拙いワープロ文を送り、もう四半世紀以上前のことだが、吉本さんと対談をした。対談は終始かみ合わなかった。

    3
菅原さんの『続・最後の場所 no2』は「マチウ書試論をめぐって 1」となっていて吉本隆明の『敗北の構造』までを扱っている。菅原さんの「関係の絶対性」についての理解を取りあげる。かれの「関係の絶対性」の読みは戦前の現人神信仰から国体を米国とする現在へと、つまり生々しい現在のことへと読み換えられる。

① 吉本をおとずれた《すべてのものの幸のために生命を捨てる》という観念や、《おれは おれたちの遠い神々を尋ねてゆくのだ》という観念はどこからやってきたのだろうか。あるいは、吉本が内在的に《すべてのものの幸のために生命を捨てるのだ》というように死への想念をしだいに強くしていったのはなにゆえなのだろうか。原始キリスト教が、自分を愛するように隣人を愛せよ、右の頬を撲られたらもういっぽうの頬をさしだせ、迫害するもののために祈れ、迫害に最後まで耐えたものは幸福だ、わたしの支配下に入れば安息が得られるだろう、そして疑うことをやめて幼児のようになって死を受け容れたものは天の王国に生きるだろうと言うとき、吉本の内在世界にたいしてちょうどそれが外在世界にあたっている。つまり、戦争期の吉本の精神の孤立と熱狂の内在は、外側からみれば、原始キリスト教の暗い反逆の倫理と昇華の教義にぴたりと一致することになる。
 原始キリスト教の共同性も戦争の共同性も、いずれも、先験的な自然のように、閉じられた共同性の外から死が迫り、共同性の崩壊が迫り、その共同性が支配下にいる個々の人間を禁圧し、個々の人間に死を強いようとしている。いっぱう、個々の人間は、信と不信のあいだで、生と死のあいだで、自己の自然性と観念性とのあいだで揺れ動いている。あるときは毅然とし、あるときは自虐的になり、あるときは憎悪にとらわれ、そしてあるとき、朦朧として夢うつつのうちに《すべてのものの幸のために生命を捨てるのだ》という実体のない不可解な絶対的観念に、内在的にみずからすすんで飛躍するのだ。禁圧的な共同性が個々の人間に覆いかぶさり、個々の人間はみずからの意思が選択するかのようにその禁圧を受け容れ、跳躍し、逆立ちして、その彼岸に超越的な絶対的自由(歪曲された自由)を想い描くとき、個人の心の内部ではなにが起こっているのか、あるいは共同性と個人のつなぎ目ではなにが起こっているのか。このとき、人間は自分と背離し、他者と背離し、自然性からもっとも遠くに隔てられている。また神にもっとも近づき、荒廃し、もっとも自虐的かつ他虐的になっている。吉本は、戦争期に、夢うつつのうちに《すべてのものの幸のために生命を捨てるのだ》という朦朧とした観念にとらわれた自分を客観視するために、なんとしてでも原始キリスト教の共同性を客観視しなければならなかった。そこで、わが戦争のイデオロギーを憎悪し、自分を憎悪するように、原始キリスト教の教義を憎悪したのだ。
 知識人たちが、戦争期に自分は戦争に内心では反対だったとか、戦争に抵抗し獄中非転向をつらぬいたと言うことは自由だが、意味をなさない。おなじように、宗教の共同性にたいして自分は信をおいているとか信をおいていないとか、好感をもっているとか嫌悪をだいているとか言うことも意味をなさない。個々の人間が共同性にたいして熱狂的に好感をもつのも激しい嫌悪をもつのも自由であり、好悪の度合いは多様であるといえるだけだ。そして個々の人間が、戦争の共同性にたいして、あるいは宗教の共同性にたいして信をおいているという立場、または信をおいていないという立場から主張される論理は、たんに即自的な論理というべきだ。なぜなら、個々の人間が共同性との関係を志向するしかたは多様で自由だが、共同性が個々の人間に覆いかぶさり、禁圧し、把捉し、逆立ちと恍惚を強いてくるしかたは一様であり、個々の主観、好悪、即自的な論理を超えた彼方から圧倒的な優勢として共同性は個々の人間に覆いかぶさるからだ。そのとき、個々の人間は、ひとたまりもなく根こそぎ掠略されるほかなかった。それはかつても現在も変わりはないのだ。つまり、戦争の共同性にあらがう真の論理、思想というものは皆無だったのだ。そして、圧倒的に優勢な共同性が個々の人間に覆いかぶさるとき、個人の心の内部では、あるいは共同性と個人のつなぎ日ではなにが起こっているのかを問い、内在的かつ外在的に客観視できるならば、わたしたちは初めて対自的な論理をもつことになる。(23~24p )

②一億総玉砕戦から、天皇の敗北宣言と支配層の命令により兵士たちが一斉に武装解除し、焦土と化した故郷にもくもくと帰っていき、米軍が進駐してきたとき、彼ら神聖民族国家の《前衛》は想像をはるかに超えた《断絶》に遭遇し、思考停止と精神の荒廃にさらされた。一部は沈黙したが、大半は後悔や反省を口にして、進歩派民主主義の《前衛》に三たび転回したのである。そして、おくれた宗教国家の劣性の民族感情がなにゆえに優越的な民族感情に転化するのか、なにゆえに劣性の民衆の共同性が優越的な戦争の共同性に転化するのかという根源的な矛盾には一指も触れられなかったのである。いいかえれば、劣性の共同性がおいつめられたとき優性の絶対的な共同性に転化するという戦争の構造・根源的矛盾は、戦争の敗北によっても解体されることなく温存されたのだといえる。(25p )

まったくその通りだと思う。グローバル経済に蹂躙されTPPに翻弄される現状は天皇から米国に追従するその国体の転換があっただけで内実はなにも変わっていない。それはなぜなのか。

③《本来的に自らが所有してきたものではない観念的な諸形態というものを、自らが所有してきたものよりももっと強固な意味で、自らのものであるかの如く》振る舞うことが《錯覚》であり《敗北》だというとき、それは、吉本が青年期に《おれたちは結局すべてのものの幸のために生命を拾てるのだ》というように、外在的にいえば掠略された、内在的にいえば自からの意思によって昇華していった自身の痛切な体験そのものを、敗戦後二十五年を経て、もっとも遠くまでひっぱった思考を直裁に言葉にしたものだ。さいわいにも今『ほぼ日』のサイトがフリーアーカイブスとして《無料無期限》で、この講演の録音を公開している。引用の箇所にきて、早口になり、息つぎがけわしくなり、同じことが繰りかえし繰りかえし語られる。硬い現実と観念の岩盤を思考によって突き崩そうとして思索を一点にたたみかけているのだ。戦争期から敗戦期にいたる錯誤の体験とその悪夢を理解しようとして生きてきた、あるいは理解しなければ生きられなかった吉本の、《敗北》の根底をとらえようとし、とらえつつある熱い感情が火柱となって噴きあげているともいえる。そして、自身の錯乱、兵士たち(民衆)の敗北を古代における《大衆の総敗北》につなげたとき、吉本の思考に空間と時間の規模の変換が起こっている。いいかえれば、自身が戦争期に、生命を捨てることがもっとも価値ある生きかただと《錯覚》したことが、古代において列島に統一国家の《法》《宗教》が覆いかぶさったときに個々の人間に起こった《錯覚》に変換され、《時間》をさかのぼることが現在を客観視することであり、現在をつかまえることは《時間》をさかのぼることだというように思考方法が転換している。つまり、まぼろしの古代(統一国家制定の以前と以後)は現在そのものであり、現在のなかに古代がまざまざと祝えるというように、思考方法の転換がなされている。そして、この思考方法の変換は、硬い岩盤を突き崩し、前へすすむゆいいつの方途であり、そうしなければ生きられなかった孤独な思索の繰りかえしと、そのことによる自己表出の励起がゆきついた思考方法の転換であるとともに、まったく新しい《思想的典型》(『転向論』)であった。(29p)

書かれていることを字面では理解できるがあるところからは理解不能となる。そのことについてはメールでもやり取りし電話でも話したことがある。いったいなにが言いたいのかわからないのだ。実感と理念を分離することなく大衆を語ることができるのだろうか。そのとき語られる大衆とはなんなのか。わからない。大衆を観察する理性で語ることは虚しくないか。なぜそこまで自己を愛惜するのだろうか。スキャナで文章を読み取り貼りつけながらわからなくなる。古代における大衆の総敗北を認識することによって大衆の敗北が反転することがありうるのか。なにも変わらないと思う。古代ではなく、アフリカ的段階ではなく、同一性の起源こそが問われるべきではないのか。対自・対他構造はどれだけ外延化しても、外延自然に閉じられているだけではないのか。内面化した自己を共同化しても内面は共同性に拉致され、共同性が自己を覆い尽くすのは必然ではないのか。それは外延自然にとって自然なことなのだ。関係の絶対性が内面を封殺するのは、あるいは内面が共同性によって圧殺されるのは自然なことではないのか。いったいなにをどうどうめぐりしているのか。

わたしは吉本隆明の思想も吉本隆明に信を抱く菅原則生の思想も自己慰安にすぎないと思う。この信のかたちは共同性に同期することはあっても根がない。なぜならば他者がないからだ。〔他者〕を含みもたない自己は空虚であるし、その空虚を座視する思想が色めくことはない。人であることの由来は性から来て性に還ることのなかにしかない。わたしが不倫の吉本思想、倫の内包ということはそのことにほかならない。意識の外延には孤独も社会との離反も背反も憎悪もあるが、内包には孤独と空虚がなくかなしみがある。それは内包に倫があるからだ。
吉本隆明の「マチウ書試論」の頂点をなす関係の絶対性は自己同一性の絶対的な規定ということにほかならない。「マチウ書試論」の副題は「反逆の倫理」となっている。おもしろいことに気づく。関係の絶対性を語る吉本隆明と全身倫理のかたまりになった辺見庸の思考は対極をなしているようにみえる。自己同一性という公準を導き入れると倫理の濃淡のちがいしかそこにないことにすぐ気がつく。倫理を関係の客観性において語るか世界を呪詛する言説において語るかのちがいはあってもともに同一性を公準にしている。吉本隆明の思想と辺見庸の世界の受容は位相的に全く同型ということができる。

存在が意識を決定するとすれば、では意識がなかったら存在を措定できるかと若い吉本隆明は問うた。天皇に絶対的な感情を寄せた愛国青年は敗戦を契機に、マルクスの経済論にたいして幻想論を対置した。その吉本思想にわたしは若い頃震撼した。依然として吉本隆明の思想は自己意識の外延表現という範疇では真の基準を充たしている。世界を俯瞰する理性は迷妄から人の生を救いはするが生を熱くすることはない。

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吉本隆明は関係の絶対性を内面化も共同化もできないこととしてかれの天皇体験をひらけばよかったのだと思う。吉本隆明の思想は深さと規模において地軸を揺るがすほどのものではなかった。歴史の時間を古代に遡りアフリカ的段階を手にしたとき、かれの内面には空漠とした風が渺渺と吹いていた。豊穣なものを手にしようと、気が遠くなる日をつなぎながら観念の未知を探索し、やっとアフリカ的段階という概念を攫取した作者の境涯が、空虚で充たされるとき、それをなんと呼べばいいのだろう。はたしてそこにある言葉のすきま(空虚)を理念としての大衆が充填してくれるのだろうか。わたしたちはなぜそこまで自己を虚しくして世界を語らなければならないのだろうか。なにをかれは生き損ねたのだろうか。身が心をかぎる同一性の必然である自己意識の外延表現を極限まで生きたということは理解できる。かれが手にしたものは外延自然だった。そこに生の豊穣さはなにもない。世界を否定性やなにかへの過渡として生きるのはつまらない。

内面化されたところに文学や芸術があり、共同性について語ることが政治や社会であるという抜きがたい憶断と信憑がある。その位階制が知識人と大衆という二分法であり、この意識の型が人類史の厄災をもたらした。文学や芸術の営為は人格の表出にすぎぬものであり、人格の表出であるかぎり容易に社会化される。それは人格の表出にすぎない自由や平等という理念と対をなし、この意識の範型に生が監禁されている。
文学や芸術は間違った一般化を負荷されて共同のものとなる。すでに倒錯が常態化している。あらかじめ言説は社会化されることをあてこみ内面化されるのだ。内面化も共同化もできぬそこに表現の固有性があるにもかかわらず他者とのつながりが間違った一般化によって実体化されてしまう。そんなものは文学でも芸術でもない。政治とおなじ通俗にすぎないのだ。内面化も共同化もできないからこそ固有なのだ。わたしはずっとそこに広大な思考の未知があることを予感してきた。やがて内面化も共同化もできない出来事に遭遇し、それを内包と名づけて同一性によって規定された表現を包越することの可能性を探りつづけた。ここに思想の未知があると、一心にそのことを考えつづけた。

わたしが直面した困難は、内面化も社会化もできない生のリアルだった。つかんだリアルを表現する言葉も方法もない。それがどういうことであるかを表現することは途方もなく困難だった。吉本隆明がやったことは、かれを痛打した現人神体験を内面化し、叛逆の倫理を三つの観念として分別する社会思想をつくることだった。そうやってやっとかれは戦後に復員することができた。無効性の観念を語ることは神の視線であり、理念としての大衆が実現する生をなにかへの過程として生きることだった。
重層的な非決定では生きられない。生をどれだけ相対化しようと関係の絶対性に引き裂かれるだけだ。然して生の当事者は理念としての大衆が歴史に登場するまで待ち惚けをくらって空虚を手にする。そしてその不如意をさらに内面化することになる。そういうものが表現だとしたらそんなものは欲しくない。
なんだかしだいに悪い夢を見ているような気になってくる。なにか意識がのびのびしないのだ。吉本隆明の思想の呼吸法ではおおきな息がつけない。息が詰まり窮屈なのだ。昔の対談を振り返ると話の息が合わなかったのは当然だったように思う。
すでに私的なことを封殺し大義を遂行する時代から私性を優先する時代へと、時代はおおきくシフトしている。吉本隆明は興隆する消費社会の総体のヴィジョンをつかむために二度目の転向を敢行した。やがてその成果が一連のイメージ論としてわたしたちの前にあらわれた。それは消費社会の輪郭をなぞるだけで新しい未知をつくる力はなかった。現実をなぞることをわたしは表現とは呼ばない。現実をどれほど精緻に描いてもそれは現実そのものをつくりかえることにはならない。そうではなくて、〔ない〕ものをつくることが表現なのだ。

吉本隆明かれ自身がだれよりそのことを知っていた。手にしたものは空虚であり塗りつぶされ無であり、2011年の大地震と津波以降は、人類は滅びにむかってとぼとぼと歩いて行くしかないこととして帰結した。そこで語られるアフリカ的段階には色気も生の豊穣さも見られない。そんなものを欲しいと思うか。そんなものが思想でありえるはずがない。黒船と戦後がどうじにやって来ているこの国の現在を揚々と跨ぎ越す思想の力はどこにもない。生理の衰えとともに思想が衰弱したということではない。親鸞が遺した言葉には現実を跨ぎ越す赫々とした力が漲り、しかも言葉と言葉のあいだにすきまがない。悪人正機によってひとは生きることができる。親鸞の悪人正機の思想は市民主義の遥か彼方を遠望することができる。「〈わたし〉はただ積み重ねられた知的な資料と先だつ思考のなかに融けてしまって、すでに存在しないものにすぎない。そして〈考えること〉においてすでに存在しないものである以上〈感ずること〉でも、この世界の映像に融けてしまって、すでに存在しないものにすぎない」『言葉からの触手』。なぜこういう心情が吐露されるのか。吉本隆明の思想の未遂はどこからくるのか。それはなにに由来するのか。もうすこしたどってみる。それは「関係の絶対性」という理念そのものの起源に行きつくはずだ。

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むかし書いた「内包世界論 1」から一部を再掲する。

今、吉本隆明の思想の欠陥がよくみえる。はじめに、世の中とうまく折り合いのつかない若い吉本がいた。なにか過剰なものが彼のなかで渦巻き、どうにも世界と調和がとれない。青少年期の普遍性としてそれはある。「ぼくが真実を口にすると、ほとんど全世界を凍らせるだらうといふ妄想によって、ぼくは廃人であるさうだ」(「廃人の歌」)。だれもが詩を書くわけではないが、その時分にはだれもがいくぶんか文学的なのだ。たとえ吉本隆明の精神の廃疾がどんなに深くてもかまわない。彼は二〇歳のとき敗戦を迎える。それはいきなり世界が向こう側から変わることだった。彼は敗戦期の体験を飽くことなく述懐する。「半世紀後の憲法」(『思想の科学』一九九五年七月号)のなかで吉本隆明は市民主義理念を二度批判しているが、その批判には彼の戦争体験の教訓がこめられている。

加藤さんと僕が違うところがあるとすると、それは僕の戦争体験からの教訓ですね。外から論理性、客観性でもいいですが、そういうもので規定されると、自分をうんと緊張させなければならないときには、自分に論理というものをもっていないと間違えるねっていうのが、そのときのものすごい教訓なんですよ。内面的実感にかなえばいいんだということで、戦争を通ってみたら、いやそうじゃねえなということがわかったといいますか。(略)ところが、戦後、僕らが反省したことは、文学的発想というのはだめだということなんです。これは、いくら自分たちが内面性を拡大していこうとどうしようと、外側からくる強制力、規制力といいましょうか、批判力に絶対やられてしまう。それに生きてるかぎり従わざるをえない、そういう生活を強いられるなっていうことがわかったんです。

太平洋戦争の開戦時の「パーッと天地が開けたほどの解放感」「全面的な解放感」「猛烈な解放感」「ものすごい解放感」(『吉本隆明が語る戦後年』⑤)から、一気に絶望のどん底に突き落とされる。「戦争が終わって、これからも生き続けることができるとなると、いろいろ考え直さなければいけない。しかし、自分でもうまく転換できなくて、生きた心地がしないという感じが三年間くらい続いたと思います」(『遺書』)。こういう度外れに正直な吉本隆明はとても好きだ。
戦争がみえてなかったと彼は言う。「論理をもっていないと間違える」。それが戦争が彼に与えた教訓だった。そこで彼は、「文学的発想」は駄目で、「いくら内面性を拡大して」も外側からの強制力に抗することはできないとかんがえた。文学を通じて知った人間の心理や精神の動きの洞察は世界の方から一方的に変わることにたいして無力だったと彼は言う。なにも特別のことではなく、とてもまっとうであたりまえのことが言われていると思う。彼はこの反省に立ち、文学の外部の目をもつことで『マチウ書試論』を書くことになる。「人間の情況を決定するのは関係の絶対性だけである」と「じぶんの発想の底をえぐり出して」吉本隆明はかんがえた。敗戦の経験を経て戦後をいかに生きるか、吉本隆明はかれの思想をそこでつくった。

わたしは全共闘=部落解放運動の胸の悪くなるむごい体験を経てじぶんの言葉をつくりはじめた。わたしはこの体験のことを当事者性に拠る表現として普遍化をめざしている。そこで吉本隆明の思考の型を、当事者性に徹し、そのことがひきよせるさまざまなひずみを存在の根底でひらくという、わたしの世界認識の方法からみることにする。わたしと吉本隆明はここでおおきくすれ違うことになる。
まず体験のもつ意味がわたしと吉本隆明では違った。わたしの体験は過ぎぬものとして、吉本のそれは過ぎるものとしてあったようにみえる。時代が推移しても過ぎゆかぬものをひきうけることを、わたしは当事者性とよんでいる。当事者性は体験することによってのがれえぬ出来事をひきうけることである。吉本は彼の体験を世界の客観的契機のしくみをあきらかにすることでひらきうるとかんがえたが、わたしの過ぎぬものは、主観的な契機と客観的な契機のそれぞれを成り立たせている根拠をくみかえる方に向かった。わたしが長年こだわってきた当事者性は内面の倫理でも、世界との関係の客観性によってもひらくことができなかったからだ。

わたしの思想の方法から敗戦期の吉本のありようを忖度するならば、太平洋戦争について彼は無罪である。無罪であるにもかかわらず彼は有責であるかのようにふるまった。彼の並はずれた知力と胆力と激しい倫理性が一瞬の自己欺瞞を覆い隠してしまったようにわたしにはみえる。わたしの体験に即していえば、彼の挫滅感は過ぎてゆくものにみえる。なぜ、かれが「じぶんの発想の底をえぐり出して」までこだわり、いったいなにをかんがえたのか、わたしにはつたわってこない。これは決定的なことだとわたしはおもう。(『guan02』289~290p)

こういうことではないのか。吉本隆明が天皇のためなら死ねると思い決めていたにもかかわらず、日本国の連合軍への無条件降伏となって戦争は終結した。「太平洋戦争開戦時の『パーッと天地が開けたほどの解放感』『全面的な解放感』『猛烈な解放感』『ものすごい解放感』」を感じた吉本青年は、辺見庸に「僕にとっての絶対的なものは、ひとつは戦時中の天皇であって、その後、戦後民主主義の中ではひとつもなくて、二度目に現れたのがオウムだったんです」(『死と滅亡のパンセ』所収「破滅の渚のナマコたち」53p)。「昭和天皇は『僕が辿り着いた絶対感情』」(同)と語っている。
数年間生きた心地がしないと語った。「すべてのものの幸のために生命を捨てる」ことを「おほきみのおほけなき御光りに」包まれることで大義に同期した戦中の吉本隆明。猛烈な解放感は瞬時に消失する。死への懐疑が深まるほどに大義はより強烈に称揚される。その息づかいは手に取るように感じることができる。追い詰められたときに人間の心性のたどる自然だと思う。このとき人は全身倫理のかたまりになる。そうすることでしか生きることができないからだ。しかし突然の敗戦に吉本隆明はたたらを踏んだ。どう折り合いをつけていいのかわからない。

どんな主観もどんな内面も世界の側からくる強制力に抗することはできないというのがかれの痛苦な体験だった。「『文学的発想』は駄目で、『いくら内面性を拡大して』も外側からの強制力に抗することはできないとかんがえた」。「じぶんの発想の底をえぐり出して」戦争に負けない論理を吉本隆明はつくりたかった。そこでかれはこの反省に立ち、文学の外部の目をもつことで「マチウ書試論」を書くことになる。それが「マチウ書試論」が書かれた由来である。そうして「人間の情況を決定するのは関係の絶対性だけである」という考えにたどりつく。関係の絶対性という外部の視点をつくりえたとき、すでに現人神の憑きものは剥落している。やっと一息つくことができた。しかしそのときすでに吉本隆明は外部の強制力と自己の文学的内面は矛盾することを知っている。「そのとき、ぼくたちの孤独がある。孤独が自問する。革命とは何か。もし人間の生存における矛盾を断ちきれないならばだ」。こう責問した吉本隆明はのちに共同幻想という概念を編み出し、人間の観念を自己幻想・対幻想・共同幻想として解明する。自己幻想は共同幻想に逆立する。大義にたいし個人の私性を優先する。支配的な思想にたいし大衆が生活において自立することで理念としての大衆を実現していく過程が歴史だと吉本隆明は考えた。吉本さんは解けない主題を解けない方法で解こうとしているようにみえる。それが「マチウ書試論」の「関係の絶対性」ではないか。

吉本隆明は戦争期の天皇への絶対的感情を共同幻想という概念をつくることで相対化することができた。画期的な思想でわたしもおおいに恩恵を受けた。吉本隆明の思想がなかったら絶対孤立のすべてを賭けての暗闘を敢行することはできなかった。生のすべてを賭けるということは重いことだと思う。いつ果てるともなくつづく命のやりとりのなかで、しだいに吉本隆明の思想にすきまを感じ始めた。暗闘は地獄だった。吉本隆明の思想はわたしの地獄を解くことができなかった。吉本隆明はほんとうにじぶんの発想の底をえぐり出したのだろうか。吉本隆明にとってはそうであったことは疑いない。しかし吉本隆明の思想でわたしは生きられなかった。それは、内田樹の「物欲と自己肥大で膨れあがった奇怪なマッス」にうんざりし尖った気分になって吉本隆明の消費社会論に背を向ける安易とも、また辺見庸が反発した、日本原子力文化振興財団の雑誌(1994年10月)の巻頭インタビューで原発PRをしていたことを知って吉本さんのことを考えるのを完全にやめたということともまったく違う。
わたしの違和感は吉本隆明の思想の根幹に関わることだった。果てることのなかった地獄の暗闘が、熱い自然にふれることで、底が抜けてしまった。この出来事は決定的で驚異だった。わたしはその驚きを内包と名づけ内包論をつくりはじめた。
おそらく絶対的感情の由来を問うことは吉本隆明がかれの思想をつくるしかなかった契機としてあるのだと思う。しかしその契機もまた面々の計らいであるとしたら、吉本隆明の契機はわたしの契機ではない。わたしの契機はじぶんで解くしかない。面々がそれぞれ固有に納得する考えをつくればいい。
もはやどこにも知識人と大衆という二分法の存在する余地はない。この惑星に棲んでいるすべての人びとが強制的にアスリートとして表現の過程に参入させられているのだ。わたしは前衛というものが滅びていくよき兆候だと思う。

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菅原さんも解けない主題を解けない方法で解こうとしているように見える。『マチウ書試論』をめぐって 1」の最後で「《革命》とは《関係の絶対性》が消滅することだ。だが、それは国家と社会の根底が激変することなしにはありえないし、民衆自身が覆いかぶさる優越的な観念の共同性を廃棄することなしにはありえない」と書いている。
民衆が民衆自身の手によって優越的な観念の共同性を廃棄することがあるだろうか。いま現在の優越的な観念の共同性は米国の国家意志である。その国家意志を日本の国民が打ち倒すことがあるか。かりに打倒したとしてもこれまでと変わりばえにしない制度ができるだけではないのか。それがなんと呼ばれようと民主主義を超えるものではないことは先験的なことであるとわたしは思う。ある閉じた観念の球体の内部にいるかぎりどうやってもわたしたちの生はこの観念の球体から外に出ることはできない。この観念の球体をひらくことがほんとうの意味で「知識人-大衆」論という前衛を超えることだとわたしは思う。
菅原さん。わたしたちは「衆」のひとりです。もうそのことはわたしの主観ではないのです。ネットワークやレイヤーはそのことを表象している。わたしたちの生は国境を越えたハイテクノロジーと結合したグローバル経済の猛烈な圧力にさらされているし、わたしたちの心身を資源とみなすハイテクノロジーと結合した遺伝子工学は、心身の一片にいたるまで商品にする。グローバルな資本主義にとってもっとも効率がわるいのが国民国家であり、非関税障壁の最たるものであるとされて、やがて薙ぎ倒されていきます。世界は生を自己同一性権力によって巻き取られそこに収斂する。それは不可避なことだとわたしは考えている。そのとき民衆は圧倒的に優位な観念に抗して立ちあがるでしょうか。民主主義が新たな装いをして再編成されるだけです。人びとはその新しい民主主義に身の丈を合わせていくでしょう。それがいまわたしたちが当面している生々しい現実です。その勢いを止めることはできないと思う。だから国家の政権担当者は民主主義を強化し、あるいは精神的に退行し精神の古代形象に憑こうとする。グローバルなテロ勢力を殲滅するために、精神の古代形象どうしがせめぎあうのです。断じてそこに世界の主戦場があるのではない。

大衆を俯瞰する視線はあのパリサイ人を獣性と慈愛のうちにながめる神の視線としてなら可能です。それはいかに理念としての大衆を語ろうともやはり前衛のヴァリエーションにしかならないのです。この立ち位置から、世界をながめる者として虚しく生きることは可能です。しかしそれはこの国では道元的な自然生成へと至ります。あるいは実朝。天子さまはなくなりません。どうすればいいのか。かんたんなことです。自己幻想と共同幻想が逆立するようにみえるのも、対幻想という特殊な共同幻想を媒介に家族から親族、氏族から部族を経て国家に至る道も、観念の自然過程に属し、この観念を統覚しているのは同一性です。自己幻想が自己幻想であり、対幻想を対幻想として認識し、国家が共同幻想であり、それぞれの観念の位相は異なっていると認識するのは身が心をかぎる同一性の為せる業なのだ。人間という生命形態は同一性を実有の根拠として歴史や生を刻んできたのです。この存在のありように憑依されたのが自己という現象にほかならないのです。

ここに実在の根拠をおけば吉本隆明の「関係の絶対性」は真理であるというほかない。わたしは吉本隆明の思想を往相廻向の知として考えた。吉本隆明の思想には行き道はあっても帰り道がない。そこに触れようとすると倫理を否定する倫理を仮構することになる。倫理的であることを相対化する倫理を強いてくる。吉本隆明の思想は世界の見通しをよくしてはくれたが、生を熱くすることはなかった。「関係の絶対性」は閉じた観念の球体であり、その内部に「関係の絶対性」を開く契機をもっていないということだ。自己幻想は共同幻想に逆立するようにもみえる。しかし猛烈な外力が加圧されると自己幻想は共同幻想に同期する。なぜ同期するのか。自己幻想が共同幻想の写しでしかないからだ。写しである自己幻想はまた共同幻想へと回収される。それが「関係の絶対性」の根幹であり本態であるとわたしは思う。

人であることの基本的な態勢は食と性だと思う。食は捕食行動によって満たされると快感原則によって充足する。それは食が身体性に依存しているからだ。摂食するごとに飢えは満たされ観念の剰余を疎外することはない。性は性の行動をつねにはみだし観念を疎外する。なぜか気が通うとここがどこかになっていく。人であることの驚異と不思議がここにある。どんな理屈をもってきてもなぜそうなるのかということは事後的なりくつでしか説明できない。太古の陽気な面々もこの驚異によぎられこの不思議でいっぱいになり、なんとかこの気持ちをあらわそうとして自己というものの輪郭をつくってきた。わたしたちの意識はモダンだから自己が他者を措定すると思っているだけで、自己があって性という他者がつくられたのではない。わたしはこの錯誤によってつくられた制度と表現をモダンと定義している。外界の強大な権力を内面化によって迎え撃つ意識の範型を自己意識の外延表現と呼んできた。熾烈な権力をめぐる相克の歴史であるし、いぜんとしてわたしたちの生はこの意識の範型に制約されている。なにをやろうとどう語ろうと永劫に生の不全感はくり返される。そうではなくて自己に先立つ、存在しないことの不可能性を、そのリアルを、根源とのつながりにおいて語り生きること。そこに生の未知がある。
わたしは自己に先立つ根源を性だと考えた。自己幻想も共同幻想もうたかたで空ろだからだ。対幻想の裂け目に生きる余地があると思った。対幻想の裂け目からながれているなにかを逆向きに求心すると根源の性があった。そのいちばん奥まったところにある還相の性。人であることの現象の本態は性から来て性に還るということのなかにしかない。ここでは還相の性が性に還ることと対応する。

モダンな心性は食を身体の延長として外延した。それが貨幣の起源である。わたしはマルクスの『資本論』も念頭におきながらここを書いている。
万巻の書物を読んでも書いてないこと。たとえば欲や業。食にも性もに欲がある。マルクスは富の偏在を公平に分配すればいい社会ができると夢想した。「例えばカール・マルクスは、このキリスト教(イエス)の倫理を肩からはずし、制度を逆転すればいいはずだと考えた。しかしそれを試みたロシアをはじめ社会主義は、その倫理を個々の人間の肩から集団に移しかえただけで、富んだのは制度を支える『官僚』の集団だけだった。これは人間が利己心を捨て得ない存在で、『聖書』のいうように『神』だけにしか私的利害の問題を放棄できないからだろうか。これが二千年前も、二千年後の現在も『社会』が孕んでいる疑問である」。食の欲は身体の延長として貨幣となり、性の欲は独り占めに向かう。吉本隆明がいうように「二千年前も、二千年後の現在」も解決する兆しさえない。もうひとつ欲があった。権力の欲。これも心身の外延的な延長態だ。

自己を実有の根拠とするかぎり心身はきりなく外界に延長される。わたしは存在のこのありようは同一性の必然だと思っている。この同一性の必然を前提として吉本隆明は「関係の絶対性」を語っているように思えてならない。解けない主題を解けない方法で解くとはこのことを指している。あるいは閉じた観念の球体の内部で「関係の絶対性」が語られていると云ってもよい。懲り懲りすることに出会うたびに羮に懲りて膾を吹くようにして内省と遡行が反復される。アフリカ的段階という理念もそのひとつだと思う。絶対的な感情に懲りたあまり倫理的なものを相対化しないと気が済まない吉本さんの心性が根っこにある。わたしはその根っこは空虚だと言ってきた。これもまた同一性を前提とした思考の必然である。観察する理性であれ,俯瞰する視線であれ、対象を分析するまなざしは、必然的に自己という主体を分裂させる。「〈わたし〉はただ積み重ねられた知的な資料と先だつ思考のなかに融けてしまって、すでに存在しないものにすぎない」(『言葉からの触手』)となるわけだ。あるいはこの不全感を内面化したものが文学と呼ばれる。

もうすこし言う。自己(1)を世界認識の基軸として表現されたその表現の総体をわたしはモダンと名づけている。モダンな心性はおおきな特徴をもつ。自己が自己であることの根拠をそのなかにもたぬということ。そこにいてそこを生きるということをつねに外側から触るということ。ヴェイユは存在や表現のこのありようのことを「匿名の領域」に対比して人格の表出にすぎないと言った。宮沢賢治は「互いに相犯さない」と言う。よく似ている。

これまで書いたことがなくて、このブログを書きながら気づいたことがある。「マチウ書試論」が書かれたのは1955年くらいで、「転向論」を経て「共同幻想論」となる。それから30年後に「イメージ論」が発表された。戦後二度目の知の大転換を『わが「転向」』と吉本さんは自称した。「マチウ書試論」の「関係の絶対性」という方法意識は保存したまま消費社会の総体のヴィジョンを分析したと思っていたが、中流層の崩壊という現実は吉本隆明の占いがはずれたということになる。もし知の大転換に読み違いがあったとしたら、それは「関係の絶対性」の根幹に関わることではないかと、つい最近考えるようになった。戦争期の自身の混乱をもがくようにしてつかんだ「関係の絶対性」に思想としてどこかゆるみがあったのかもしれない。

吉本さんが描いた観念の世界をひとつの球体に比喩すれば、その球体の内部にいて思想の真をうることができるかということだ。できないとわたしは考えた。もし閉じた信をひらきうるとしたら、それは共同幻想と逆立する自己幻想の信ではなく、対幻想の裂け目で、対幻想が対幻想自体にたいして自己表現を遂げたというそのことにあるのではないか。そしてそれが現在ということではないかと考えた。1980年頃からそういうことを考えてきた。「奥行きのある点」という概念が可能だと思うと吉本さんとの対談で話をした。もちろん通じなかった。
愛国青年だった時分の錯認を言語化せずにはおかない激しい情動がいくらか鎮まり、自分の子にあたる世代の風俗を対象化しようとしたとき、すでに消費社会の全貌をつかもうとする意志と実感は分離していた。どうしても対象を俯瞰することしかできない。のめり込むということとは違う。その風俗を身に浴びてのたうつということとも違う。ある醒めた意識があるが、変貌する社会をつかもうとする意志は旺盛にある。おそらくその矛盾に吉本さんは引き裂かれていたはずだ。

もしかするとこのズレは「関係の絶対性」という概念にも潜んでいたのではないか。「関係の絶対性」の概念のゆるみが消費社会の分析のなかに拡大されて反映したのではないか。「マチウ書試論」を論じる呼吸の息づかいの荒さは辺見庸の『1★9★3★7』とよく似ている。「関係の絶対性」を導くことで反逆の倫理を相対化したいのに反って倫理が迫り出している。とても息苦しい。まるで天に唾しているようだった。その激しさが当時の若者に受けた(たとえばわたし)。
天皇への絶対的感情を戦争期にもったというとき、「絶対」とはなにかということが掘り下げられていない。「関係の絶対性」という概念には概念の深さと広さがないように思えた。「じぶんの発想の底をえぐり出して」というとき、発想の底が「絶対」を抉りだすことはなかったということだ。発想の底を抉るとは世界を統覚する同一性を超えるということと同義である。またそうすることによってしか「絶対」を相対化することはできない。おなじことだが吉本隆明の思想には〔他者〕がない。自己が措定するものが他者なのではない。この他者は同一性にかたどられた自己と相似な他者にすぎない。

自己は自己に先立つ根源のつながりによぎられることによって受動性として一方的にあらわれるのである。親鸞はこのつながりのことを他力と言った。吉本隆明の幻想論は意志の力によって成り立っている。自己意識の外延表現では往相の世界しか描くことはできない。だから外延自然をかたどる表現によって「二千年前も、二千年後の現在も『社会』が孕んでいる疑問」を解くことはできない。ここにパンが1個あり、皆が腹を空かせているとする。そのとき人はどうふるまうか。奪い合うものである。それがこの世界の公理である。その公理を基に組み上げられたどんなうつくしい理念も奪い合うものであるという世界を覆すことはできない。それは自己に先立つ根源を外延表現がつかむことが原理的にできないからだ。
内包的な表現意識では根源の性の分有者が還相の性として可能だから、外延的な表現意識の一人称と三人称の関係は、領域化した自己によって、主観的な意識の襞にある信ではなく、信の共同性でもなく、還相の性との関係において、喩として、あたかも親族のようなものとして表現されることになる。ここで吉本隆明の思想は一気に拡張される。あらゆる共同幻想は消滅すべきであるという当為そのものが消滅する。それが関係の絶対性ということのほんとうの意味だ。テロも空爆も熄み、笑いながら握り飯を分けて喰う。皆で一緒にデヴィッド・ボウイを聴く。

若い頃甚大な影響を受けた吉本隆明の思想がわたしにとっておおきなものであることに変わりはないが、自己意識の外延表現をぎりぎりまで延長したかれの思想を包み込むことで拡張したいとわたしは意欲している。往相としては、もはやない、にもかかわらず還相としてはリアルに存在する、この存在しないことの不可能性をかりに還相の性と呼べば、この還相の性を生の原像として生きるとき、日々は孤独でも空虚でもなく味わい深いものとしてあらわれる。吉本隆明の「関係の絶対性」という概念については言い足りないことも言い尽くせないこともたくさんあるが、ないものをつくるのがおもしろくて、ついついそちらのほうに気持ちが向いてしまう。天皇への絶対的な感情の由来をたしかに吉本隆明は単独で思想として表現した。驚くべき力業であったと思う。その恩恵は存分に享受した。1973年9月、暗い顔をして吉本さんのお宅に伺いうつうつとした身の上話を聞いていただいた。一方的に迷惑をかけただけだが、帰りぎわに玄関で、あなたの世界をつくりなさいとはげましてくれた。それ以降なんども吉本さんにはお会いした。なにを話したかはぼんやりしているけれどそのときどきの印象は鮮烈に残っている。じぶんの為した不始末はじぶんでカタをつけるしかない。このブログもまた吉本さんへの答礼として書いた。

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