日々愚案

歩く浄土68:内包親族論10-「衆」によらぬ思想の可能性

トラベリングウイルベリーズ

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「宮沢賢治の自然2」の前に吉本隆明の大衆という理念について書きたいことがでてきた。吉本隆明の「大衆の原像」や「生存の最小与件」や「理念としての大衆」という概念にたいする違和感があり、内包論をすすめるにあたってこの違和感がいつも頭の片隅にある。辺見庸の『1★9★3★7』の余韻かもしれぬ。理念としての大衆や帰りがけの視線からみた大衆という吉本隆明の核にある思想を内包論から論じてみる。この試みは本質的でとても状況的なことだと思う。ほら、そこのあなた、あなたのことだよ。吉本隆明の思想を時代遅れと言っている君のことだ。もっともすぐれた吉本隆明の思想を外延思想の象徴としてあつかう。

「衆」を基準に世界を認識することは無効であり、この理念は主観的な意識に関わりなく権力の言説となる。非圧迫の民衆の側に身を寄せ、被迫害を糾する観察する理性による心情が無効であることはいうまでもなく、大衆の自立をうながした吉本隆明の思想も無効であり、辺見庸の徹底した個からする状況への発言も同様に無効である。身が心をかぎる同一性を無意識の公準としてなされるどんな発言も世界の無言の条理を埋めることはできない。どうやろうと主観的な意識の襞にある心情とその心情の世界への投影には空隙があり、表現としての言葉と現実のあいだにすきまができてしまう。それはその理念の出来具合とは関係のないことだ。また理念と現実のあいだの亀裂を理念を修正することによってすきまを埋めることもできない。この意識の呼吸法では同一性に監禁された生をひらくことができないのだ。それはわたしにとって先験的なものとしてある。

わたしは世界認識の根柢に自己に先立つ根源の性の分有者というものを想定すべきだと思う。自己は窮極の認識の基準ではなく拡張されて分有者という存在になる。大衆の原像ではなく、生の原像を還相の性として生きるとき、一人称と三人称は分有者という存在のあり方に包まれて消えてしまう。この理念のなかでしか世界の無言の条理が胸襟をひらくことはないとわたしは考えている。

「知識人-大衆」論という図式による世界認識が不可避に権力をはらむということをながく言ってきた。それは吉本隆明の「大衆の原像」も例外ではない。「衆」を基盤に発想するとき、その発想そのものが権力への傾きを不可避に孕むからだ。吉本隆明の思想による大衆はつねにその規定からはずれるものとして存在している。吉本隆明はそのことに気づくことはついになかった。あるいは関心の埒外においていたのかもしれない。どういうふうに大衆を規定してもその規定から逃れるものとして大衆は存在する。吉本隆明のうつくしい理念がある。「歴史の窮極のすがたは、平坦な生涯を〈持つ〉人びとに、権威と権力を収斂させることだ、という平坦な事実にきせられます。しかし、そこへの道程が、どんな倒錯と困難と殺伐さと奇怪さに充ちているか、は想像を絶するほどです」(『どこに思想の根拠をおくか』11p)
ふつうに暮らしている人びとにあらゆる権威と権力を収斂させることに歴史の窮極のすがたがあるということと、現実のあいだには目が眩むほどの乖離がある。そのことを「倒錯と困難と殺伐さと奇怪さ」として吉本隆明は自覚している。

いったい「帰りがけの大衆」という理念はありうるのか。吉本隆明の理念のなかで存在していたのはたしかだが現実にはありえないと思う。純粋な大衆というものなど存在しないのだ。もっと云えば大衆の原像を繰りこむことで知識人が自立することも、大衆が生活のなかに下降することで自立するということも虚妄だと思う。もっと徹底して思考すればよかったと思う。なにか思想の幽明というものが吉本隆明の思想にはある。おそらくそれはかれがなした戦争体験の内省の不徹底さからきている。思想を狂的なまでに思考したのだろうか。ほんとうに吉本隆明は自身を抉ったのだろうか。
戦争期に愛国青年であった若き吉本隆明は自身が励起した現人神信仰を徹底して洗い出し相対化したという。その過程でかれは大衆という思想を発見する。大衆はその時代の権力に過不足なく包括されてしまう存在で、権力に包括されすぎてしまうところに、大衆が時代の権力を超える可能性があるという。ほんとうだろうか。
大衆は無知だから、前衛が知識を外部注入し、啓蒙啓発することで,大衆は革命の担い手になるという倒錯した理念が人類史の厄災を招き寄せたのは事実だが、包括されすぎて蛮行を為したのも事実である。ではこの無道と非道は記憶の闇に忘却すればよいのか。出来事はいつも残骸のように遺棄されればよいのか。

わたしの知るかぎりこの理念の型からまぬがれていたのはシモーヌ・ヴェイユと宮沢賢治だけのような気がする。ヴェイユの思想にはどこか痛々しさがあり、宮沢賢治のどの作品にもかなしみがある。いま吉本隆明の大衆の原像を念頭においている。〔生まれ、婚姻し、子を生み、育ち、子に背かれ、老いて死ぬ〕というよく知られた言葉がある。ときに大衆の原像は,生きていないことと対応する「生存の最小与件」と語られることもある。そして吉本隆明は大衆の原像を自己のなかに繰りこむとき知識人は思想において自立すると言ってきた。あるいは知識というものはほっておいても高度になるのだからそれを身につけることはなんら価値ではなくたんなる観念の自然過程に過ぎない。おおよそそういうことを吉本隆明は思想として述べてきた。この吉本隆明の考案した理念が帝政ロシアのナロードニキ運動にはるかに優位するものであることは充分に理解する。あるいはこの理念の型を輸入しつくられたこの国の前衛運動の虚妄を激しく痛打する思想であることもよくわかる。

しかしと思う。吉本隆明の大衆の原像のどこにも生の固有さはない。固有の生はことごとく大衆の原像のなかに融解されて目鼻をなくしてしまう。もっと目鼻がくっきりした思想はないか。わたしは大衆の原像ではなく生の原像ということを考えた。喰い、寝て、念ずる、このことには、大衆の原像を繰りこむという操作がいらぬし、大衆の原像に自己を溶かし込むこむこともなく、それ自体としてだれのなかにも内在する。ここから世界をひらくしかないし、ここからしか世界はひらけない。そしてその生の原像を還相の性として生きるときはじめて生の原像が固有の生として立ちあがってくる。わたしはそう考えている。生の原像を還相の性として生きるときどこにも『1★9★3★7』の世界はない。

敗戦の痛手からなんとか這いあがった吉本隆明は戦後の価値転換を容易に為しえた者らにたいする嫌悪感でいっぱいだった。そういう嫌な奴らを退治しようと力こぶをつくるのに忙しくてみずからの思想にぽっかり空いた空隙のことを考える余裕がなかった。そこには時代性ということがあるのかもしれぬ。では親鸞の言葉やヴェイユや宮沢賢治の言葉になぜリアリティがあるのか。

今回のブログは「衆」を語ることで、社会の行方を占うあらゆる思想が駄目だという、ひとつのことが言いたくて書いている。もちろん吉本隆明の「理念としてしての大衆」も例外ではない。自己幻想と共同幻想は究極では同期するということだけではない。もはや自己というありかたで観念のふかさをつくることはできないし、内面そのものもすでに語りつくされた。そのあまりの凡庸さ。いつもとはちがうじぶんも、この世のしくみをつくりかえる言葉の力もどこにもないようにみえる。内面のつくりかたとこの世の語り方はとてもよく似ている。それは錯認であると内包論は考えてきた。

「衆」を語るかぎり「社会」思想になるほかない。わたしたちはこのことをもっと深刻に考えないといけないと思う。真のマルクスがあって悪辣な奴らがマルクス主義の愚劣を行使したということではない。マルクスの未然というものがあるとすれば吉本隆明の未然というものもあるのだ。マルクスにしても吉本隆明にしても考えのこしたことがたくさんある。そういう古くさいことはもうすぎたと云っている、ほら、そこのあなた。世界を語るときの言葉の立ち位置はなにも変わっていない。民主主義を空念仏しているつるんとした、ほら、そこのあなた。念仏が空々しくないか。

    2
ブログの更新が遅れているのは内包親族論や内包贈与論を展開しようとして後期の吉本隆明の一群の著作やレヴィ=ストロースやマルクスの主要著作の読み込みに時間がかかっているからではない。かれらのなした仕事はいずれも外延論の思想であり同一性が暗黙の公準として隠されている。わたしはかれらの暗黙の公理を内包論へと拡張しようと意図している。歩く浄土をわたしたちの日々に固有な生として現成させ、歴史の無意識が遺棄してきた外延史とは異なる、あたらしい歴史の概念を内包史としてつくろうとしている。だからそのことは貫通したいし、貫通させる。そこまでいくことができたら経済論と観念論を内包浄土論として総合したいと考えている。

わたしの方法はシンプルだ。観察する理性の方法によってそれを為すことはない。わたしはわたしの身におこった出来事を手放さずにそのことに普遍性を与えたいのだ。ながく主張してきた当事者性が不可避に抱え込む〔在る〕ということの根柢のひずみを、自己に先立つ根源とのつながりにおいてひらこうとする試みが内包論であると考えている。同一性にがんじがらめになった内面の発露である権力の言説やそれを社会に放擲した「社会」思想の意識のありかたとは異なるべつのあたらしい意識の可能性をつくりつつある。わたしにその時間がのこされているかどうかはわからない。ただ、ありえたけれどもなかった思想を現にあらしめようしている試みであることはたしかだと思う。

こういうことを考えるのはたぶん辺見庸の『1★9★3★7』が残した名状しがたい余韻だと思う。『1★9★3★7』は読んでたのしい本ではない。書き手の辺見庸はかなり疲れたと思う。それほど裂帛の気合いが込められた苛烈な渾身の一書といえる。すこしだけ感想を書いたが、なにがすっきりしたというわけでもない。書き残したことはいくつもあるが、『1★9★3★7』に書いてある皇軍がなした残虐と非道を重い気持ちで読んでいたとき、かれが吉本隆明の「丸山真男論」に触れたあたりで、若い頃読んだ「丸山真男論」に抱いた違和感をすぐに思いだし、読み返した。わたしは吉本隆明の理念としての大衆なるものを信じていない。魚屋のお兄さんが今日の売り上げと明日の仕入れを考え、それ以外の天下国家に類することに関心をもたない、そういう大衆を吉本隆明は理念のうちに想定している。吉本隆明の理念では大衆は前衛というお節介屋によって啓蒙される対象ではなく、生活それ自体に下降し、生活において自立すること、それが大衆にとっての思想的な課題だとずっとかれは発言してきた。わたしはそのお兄さんがヤクザにすごまれてしかたなくすごすご引き下がるようにしか思えなかった。わたしと吉本隆明のあいだには大衆像のずれがある。若い頃からそのことはずっと気にかかってきた。そのことを『1★9★3★7』であらためて喚起された。

「衆」として語られる人びとが観念においても生活においても自立することは原理的にありえない。それは生そのものが同一性に監禁されているからだ。わたしの皮膚に焼きついた生存感覚は吉本隆明の理念としての大衆という空虚を激しく拒む。だれがなんと言おうとこの実感を手放すことはない。なぜ大衆というものを語る必要があるか。だれよりもみずからが「衆」のひとりではないか。わたしのどこにも「知識人」と「大衆」という図式も回路もない。衆の一人として立つ。これ以外の生を生きたことがない。この感覚は実感からくるもので理念的なものではない。辺見庸の『1★9★3★7』を読んであらためてそういうことを思いだした。

吉本隆明の思念のうちで大衆は支配思想から圧迫をうけている存在ではあるが、啓蒙ではなくそれ自体として自立すべきものであるととらえられていた。わたしは「衆」を理念によって語る吉本隆明の思想は間違っていると思う。『資本論』といううつくしい物語を作りあげたマルクスが、個と共同性のあいだに、個と共同性を采配する神の見えない手を暗黙の公理として行使していたように、吉本隆明もまた自己幻想と共同幻想が逆立する契機において国家を相対化できるという信念があった。神の見えない手の采配というマルクス思想の暗黙の公理に比定されるものが吉本隆明の「大衆の原像」だと思う。個と共同性は「理念としての大衆」によって裁定されるのだ。そういうことを吉本隆明は想定していたと思う。
わたしは考えつくされた思想ではないと思う。なにかが猶予されている。吉本隆明の思想では生は剔抉されていない。「理念としての大衆」という言葉と現実のあいだにすきまがあることを吉本隆明が意識したことがあるかどうか、それはわからぬ。もう古典的というほかないが、吉本隆明は権力を大局的には上から下に流れるものであり、内面化という権力がこの流れにたいして抗命するのだが、ふたつの権力が同型であることに気づくことはなかったのではないかと思う。もちろん内面化という権力は同一性に監禁された生の余儀なさであり制約でもあった。
一気に記憶がむかしに戻った。吉本隆明は「丸山真男論」(『吉本隆明全集撰4』)で書いている。辺見庸が引用した文章の前後もふくめて貼りつける。

 理想をいえば、敗戦までのイメージも、敗戦後のイメージも、明確にとらえるところに、知識人の課題はあったはずだ。しかし、これをふたつながらとらえたものは、獄中非転向組をふくめて皆無であった。丸山が敗戦までのイメージがよくわからなかったのは、ほとんどその思想が大衆の生活思想に、ひと鍬も打ちいれる働きをもっていなかったことを意味している。そして、戦前知識人のたれも丸山と大同小異であった。戦争で疲労し、うちのめされた日本の大衆は、支配層の敗残を眼のあたりにし、食うに食物がなく、家もなくなった状態で、何をするだろうか? 暴動によって支配層をうちのめして、みずからの力で立つだろうか?
 あるいは天皇、支配層の「終戦」声明を尻目に、徹底的な抗戦を散発的に、ゲリラ的にすすめることによって、「終戦」を「敗戦」にまで転化するだろうか?
 しかし、日本の大衆はこのいずれのみちもえらはず、まったく意外な(ほんとうは意外でもなんでもないかもしれぬが)道をたどったのである。大衆は天皇の「終戦」軍言をうなだれて、あるいは嬉しそうにきき、兵士たちは、米軍から無抵抗に武装を解除されて、三三五五、あるいは集団で、あれはてた郷土へかえっていった。よほどふて腐れたものでないかぎりは、背中にありったけの軍食糧や衣料をつ警しんだ荷作りをかついで!

 丸山的にいわせれば、解放された「御殿女中」はこういうものであろうか?
 日本の大衆は、ここにどんな本質をしめしたのだろうか?
 わたしたちは、このとき絶望的な大衆のイメージをみたのであり、そのイメージをどう理解するかは、戦後のすべてにかかわりをもったはずである。残念なことに丸山真男の戦後の思想からはそれをきくことができない。
 わたしたちは、敗戦時の大衆の絶望的なイメージのなかに、日本的な「無為」の何であるかをみたはずである。大衆は怒るかわりに、すべてはおためごかしではないか、という皮肉と支配者拒否の様子をかいまみせた。たとえ戦争権力と反対の、どんなシンボルをもってきても、この大衆の不信をゆりうごかすことができないことは明瞭であった。どこかで考え方をかえる必要がある。敗戦をさかいにして、ファシズムからふたたびコミュニズムに転じた連中、日本知識人の二重底のひとつを、支配層からとり除いてもらって一重底「民主主義」に転じた「進歩」派、これらはとうぜん大衆の「無為」と「不信」の様式に面接せねばならなかったはずだ。そして、ただ宗教的に「マルクス」主義を信仰したがために、キリシタン・バテレンのように非転向であったにすぎない少数の「コミュニスト」もまた―。
 誰が何と云おうと、日本共産党をシンボルの頂点とする戦後「進歩」派は、いつか本質的に乗り越えられるか、または自らを止揚しなければならないヘーゲル的「手段」にしかすぎない。(『吉本隆明全集撰4』「丸山真男論」216~218p 傍点はブログの制約上略)

一橋新聞部から刊行されたのが1963年だから、発表されてからすでに50年余がすぎている。時代は大きく旋回し時代はすでに戦後の枠組みをおおきく逸脱してしまっている。それは理念ではなくわたしたちの皮膚感覚として生きられている。この引用からもあきらかなように吉本隆明の思想には左翼的な理念の残滓が見られる。大衆の支配権力への絶望と不信と拒絶という言葉にそれがあらわれている。上から下への権力のベクトルがあり、知識人がそれにたいして反権力の言説をなすという図式だ。吉本隆明の思念のうちで「理念としての大衆」は沈黙の有意味性としておおきな価値をもっている。時代の支配思想に丸ごと包括され、その大衆が包括されすぎてあらわれてしまう、そのありかたのなかに時代を変革する可能性あると吉本隆明は断言した。吉本隆明の認識にはおおきな錯誤がある。それはまた吉本隆明の現人神体験の痛恨の内省の不徹底性からくるものであった。なにが抉りだされずに、なにが猶予されたのだろうか。

吉本隆明の思想は、知識人であれ大衆であれ同一性によって監禁された生をひらきうるものではなかった。それは疑う余地なく明白なことだと言える。ある時代を生きる者にとっていつの時代もその迷妄の度合いは変わらない。たとえばがんは先験的に悪とされ、早期発見と早期治療によって撲滅することが善だとされる。人びとはこの迷妄のなかに突進する。五族協和と八紘一宇とどこがちがうだろうか。わたしたちは依然として迷妄のただなかに生きている。
知識人と大衆という理念の構図が虚妄である理由はまだある。わたしたちひとり一人の生存のありようのなかでうごめくおぞましいなにかが「衆」の名の下に隠蔽されてしまうということだ。この意識の呼吸法は世界の無言の条理を覆い隠すように機能している。おぞましさを例外状態に疎外し、それをないことにすることによって延命されるなにか。吉本隆明の思想が猶予したものはそれだ。理性や知識人の立ち位置でこの幽明に触れることはできない。この領域はいつも知識人-大衆の構図をのがれるものとして存在している。辺見庸の『1★9★3★7』は目を背けたいこの現実を暴きだした。この内面化のできぬ領域のことをフロイトはエスと言った。同一性の外延による善悪の彼岸にある混沌として沸き立つ釜がエスとして存在することをフロイトは発見した。無意識は邪悪でおぞましいものであると。

もうすこし吉本隆明の「丸山真男論」から引用をつづける。

 ああ、「痛ましい事実」か「彼らの蛮行」か、というような奇妙な感慨を禁ずることはできまい。ここで本質をあらわしているのは丸山の客観的分析法、その「一兵卒」にたいする理解の冷静さではなく、よりおおく丸山の「一兵卒」が一般の兵士たちと接触した仕方であるとおもわれる。もしも、「一般兵隊」がここで丸山の解釈した通りだったとすれば、それはまた日本型知識人の、解釈のドレイに転化された人形のような「一般兵隊」にしかすぎない。「皇軍として究極的価値と連なる事によって」一般兵士が残虐をつくしたというようなことは、どんな論理からも在り得ようはずがないのだ。ひとは理念によって残虐であることはできない。「残虐」や「蛮行」は、それ自体が「生活史」に属している。あるいは、「生活史」のみに属しているといってもいい。犬が犬をかみ殺しても、わたしたちはそれを蛮行とよばない。戦場で弾丸が敵国人を殺し、また、殺されたとき、その残虐は「戦争」そのものの本質に帰せられる。銃剣で非戦闘員をつき殺したとき残虐とよばれる。航空機から非戦闘員を大量に殺したとき、その残虐は「戦争」そのものに帰せられる。ガス室に非戦闘員をとじこめてガス死させるとき、それは残虐とよばれる。捕虜を生体解剖に付して殺すとき残虐を意味する。残虐は「生活史」の交通が、他の生活史の抹消によっておこなわれざるをえないところで起る。それは、個体の「生活史」に属するとき動物的に、社会の「生活史」に属するとき技術的に行為される。
 したがって、「残虐」に日本的な様式があり、「蛮行」に日本的な様式があり、励起された情況でそれが触発されるということが問題なのだ。もしも、この様式が「一般兵隊」だけにあり、丸山真男のような知識人に、あるいは一般に「生活史」としての知識人に、ないものだとかんがえるならば、単なる錯覚にしかすぎない。丸山はここですでに閉じこめられた日本型の知識人の存在様式から、兵士たちと大衆を眺め、分析するという牢固とした伝統で物を云ってしまっている。(同書「丸山真男論」220~221p 傍点はブログの制約上略)

全共闘の被害に遭ってナチスでもこんな酷いことはしなかったと言った丸山真男などどうでもいい。丸山真男は知識人が残虐な行為をすることはないとはひと言もいっていない。わたしは吉本隆明がここで言っていることは間違っていると思う。占領軍によって天皇信仰を取っ払われた戦後知識人の身軽になった一重底の民主主義の欺瞞や愚劣さをあげつらうのに執心してなにかを吉本隆明は隠蔽してしまった。それは大衆を慰撫する思想として結晶した。吉本隆明が知識人にたいして、わたしたちはそういうことをしないと綺麗事をいうな、というのはわかる。かれらはいつも傍らから出来事を傍観するものであるからだ。そんなわかりきったことはどうでもいいではないか。
残虐にも、蛮行にも日本的な様式があり、「励起された情況でそれが触発される」とはどういうことか。人が生活史に属するとき、それはなぜ残虐でも蛮行でもないのか。犬が犬をかみ殺すことと、ライオンがシマウマを補食するのとどこか違うのか。吉本さんよ、丸山真男をやり込めるのに忙しくて肝心なことを忘れているではないか。なぜ大衆の蛮行は救抜されるのか。吉本隆明の思想は目を背けたい惨さとおぞましさに歯が立っていない。なにをかれは回避したのだろうか。『1★9★3★7』で蛮行をなした「伍長」が言う。

この小説(石川達三『生きている兵隊』-注)によると、「生肉の徴発」にくりだした兵士たちは、「街の中で目的を達し得ないときは遠く城外の民家までも出かけて行った。(……)そうして、兵は左の小指に銀の指環をはめて帰って来るのであった。/「どこから貰って来たんだい?」と戦友に訊ねられると、彼等は笑って答えるのであった。/「死んだ女房の形見だよ」。少なからぬ兵士が、きまって左手の小指に銀の指環をはめていたという。あるとき「どこから持って来た」のかと少尉が銀の指環をはめていた伍長に問うた。すると、伍長は 「これは少尉殿、姑娘(ママ)が呉れたんですわ!」と答え、まわりの兵士たちはがやがやと笑い、「拳銃の弾丸と交換にくれたんだろう」とまぜっかえす。「そうだよ!(……)僕は要らんちゅうてことわったんですがなあ」と伍長が応じる。作家はここで、指環にかんする説明を少しく挟む。「支那の女たちは結婚指環に銀をつかうらしく、どの女も銀指環をはめていた。あるものは細かい彫りがあり、また名を刻んだものもあった」。伍長らの話を聞き、少尉が、とがめるのかとおもったら、そうではなく、笑って言う。「俺もひとつ記念にほしいなあ」。それにたいし、伍長がおどけて語る。「そりゃあ小隊長殿御自分で貰って来んとあかんです。(……)あはははは」……。(『1★9★3★7』124~125p)

「伍長」は生還して復員すればあるいは自営業をやって財をなしたかもしれぬ。そして地回りのヤクザにからまれてすごすごと退散する。この「伍長」に「敗戦時の大衆の絶望的なイメージ」を見ることは可能だろうか。日本的な「無為」を見いだすことはできるだろうか。わたしはこの兵隊たちは、ライオンがシマウマを狩ることとまったく違って、高度な理念を行使していたと思う。それが吉本隆明にはまったく見えていない。無条件降伏によって天皇制に代わる民主主義という支配的な思想が外部から移植されたとして、上から下への権力の流れは吉本隆明の思想では維持されている。依然として大衆は救抜されるものとして想定されている。そうだろうか。この考えは生を損なわないだろうか。なぜだれも「衆」の一人であると云うところから言葉を立ち上げなかったのだろうか。

吉本隆明が回避し猶予したこと。それは吉本隆明が出来事にたいしてほんとうの意味では当事者ではなかったということだ。かれは出来事を内面化して思想を語った。なぜかれは緘黙しなかったのか。猶予されない生というものをかれは体験しなかったのだと思う。吉本隆明の思想はこの「伍長」の下卑にこたえることはできない。そんなものが思想であるはずがない。「衆」を采配するどんな思想も世界の無言の条理を駆逐することはできない。目を背け出来事をないことにしてやりすごすだけだ。そうやって出来事は連綿として遺棄されつづける。「伍長」がどれだけ広範なものか、どれほどのひろがりをもつのか、それはわからない。ただ平時ではないとき、人びとの生のつくり方が邪悪やおぞましさを引き寄せることはわたしの体験からあきらかだ。おおくのひとはそしらぬふりをしてやりすごす。そして忘却される。
くりかえすがマスとしての大衆、あるいはその一員は支配者の理念に包括されることで支配的な思想を逆手にとりそこに結界を張り、人倫の及ばぬ圏域をつくる。気配のようにしてそのことを感知するそのあり方はきわめて高度な知恵で狡猾なものである。そのとき無道のおぞましさが一気に躍りでる。人はやすやすと精神の古代形象へと先祖返りすることができる存在でもあるのだ。

    3
しつこいが吉本隆明の発言の引用をつづける。

 大衆は、その〈常民〉性を問題にするかぎり、その時代の権力に、過不足なく包括されてしまう存在です。だから大衆的であること自体はなにも物神化すべき意味はないとおもいます。そしてこのような存在であることは、そのままその時代の権力を超えてしまう可能性に開かれている存在であることをも意味しています。つまり権力に抗いうる可能性というよりも〈権力に包括され過ぎてしまう〉という意味で、権力を超える契機をもっている存在だということです。だからあらゆる〈政治的な革命〉は、大衆の〈され過ぎてしまう〉から例外なく始動されてゆきます。終りを全うするか、〈過不足なく包括される〉ところに還ってしまうかは、このような大衆の存在自体からはなにも出てこないこともあきらかなのですが。
 このような大衆の存在可能性を、〈原像〉とかんがえれば、そこに価値のアルファとオメガをおくよりほか、ありえないとおもいます。一般にこのような価値感が存在権をもちえないのは、いくつかの理由があります。ひとつはこのような大衆は、知識を与えるべき存在とみなされているからてす。政治的に扱われても、文化的に扱われても、このような大衆は啓蒙さるべき存在とみなされています。しかし、どのような方向へむかって啓蒙さるべきなのでしょうか? その生活圏の彼方には、さまさまの出来事や、文明や、知識や、物語や、制度があることを啓蒙さるべきなのでしょうか? このようにして、たとえば、主婦は会合女性に 会合女性はウーマンリブの女史に ウーマンリブの女史は、ヒステリー女に そして終りです。庶民は、半知識人に 半知識人は、知識人に、知識人は、前衛に前衛は、官僚に それで終着駅です。なぜならば、人々はずっと以前から、このような過程を、大衆の〈造りかえ〉の過程とみなしてきたからてす。しかし、これは何ら〈造りかえ〉の道程ではなく 人間の観念作用にとっては〈自然〉過程にしかすぎません。つまり ほっておいても、遅かれ早かれそうなる過程という以上の意味はありません。人間の観念にとって、真に志向すべき方向への自覚的な過程は、逆に、大衆の〈原像〉(社会的存在としての自然基底)を包括すぺく接近し、この〈原像〉を社会的存在としての自然な基底というところから、有意味化された価値基底というところへ転倒することにあるようにおもわれます。
 人間の生き方、存在は等価だとすれば、その等価の基準は、大衆の〈常民〉的な存在の仕方にあるとおもます。しかし、この大衆の〈常民〉性を、知識の空間的な拡大の方向に連れ出すのではなく 観念の自覚的な志向性として、この等価の基準に向って逆に接近しようとする課題を課したとき、この等価の基準は、価値の極限の〈像〉へと転化します。これは、実感的にも体験できます。一般的には、生れ、成長し、婚姻し、子を生み、老い、死に その間に風波もなく生活し、予め計算できる賃金を獲取し、子に背反され老いるという生涯について、人々は〈空しい生〉の代名詞として使おうとします。けれど、経験的には、こういう云い方は虚偽であることがわかります。人間の生涯の曲線は、どんな時代でも、こういう平坦な生き方を許しません。大なり小なり波瀾はどこにでも転がっていて、個人の生涯に立ち塞がってきます。たから、人間は大なり小なり平坦な生き方の〈原像〉からの逸脱としてしか生きられません。この逸脱は、まず、生活圏からの知的な逸脱としてあらわれ、また強いられた生存の仕方の逸脱としてあらわれます。そうだとすれば、かつてどんな人間も生きたことのない〈原像〉は、価値感の収蝕する場所として想定してよいのではないでしょうか。
 もちろん、常識的な歴史の記述は、知的な巨人、政治的な巨人、権力的な巨人を、より多く記述のなかに登場させます。これは、価値の極限をこういう〈巨人〉の生き方、仕事においているからです。しかし、これらの〈巨人〉は大なり小なり価値の原泉からの大きな逸脱にすきません。この大きな逸脱は、平坦の反対でありただ資質の必然、現実の必然という要素を認められるとき、はじめて許されるようにおもわれます。つまり人間は求めて波瀾を手にすることもできなけれは、求めて平坦を手にすることもできない存在です。ただ〈強いられ〉て、はじめて生涯を手に入れるほかないものです。
 歴史の究極のすがたは、平坦な生涯を〈持つ〉人々に、権威と権力を収斂させることだ、という平坦な事実に帰せられます。しかし、そこへの道程が、どんな倒錯と困難と殺伐さと奇怪さに充ちているか、は想像を絶するほどです。(『どこに思想の根拠をおくか』9~11p)

とても牧歌的な思想が語られている。あおちゃんやきいろちゃんがみどりちゃんになってしまうふわりふわりする内包論からここでとりあげた吉本隆明の大衆の原像を解読する。大衆の原像のいちばん根っこには知を好まない吉本隆明の原像がある。それはよくわかるし共感できる。大衆の原像はむしろ生存の最小与件と云ったほうがより実感的だ。それでは究極の原像は吉本隆明の意識のこわばりを溶かすことができるだろうか。じぶんのじぶんにたいする違和感と言い換えてもよい。たぶん自己の自己にたいする異物感はなくならないと思う。吉本隆明の思想は敵対者を容赦なく叩きのめして制圧するが、対手を切り捨てた言葉がブーメランのようにじぶんに戻ってくることにはあまり自覚的ではなかった。つまりどこかで天に唾するようなところがあるのだ。

「マチウ書試論」にもそのことを感じた。世界にたいする強靭で苛烈な否定性はふんだんにあるが、なにか言葉のなかに赦しや救いがない。かれは「ぼくがたふれたらひとつの直接性がたふれる」と詩に書き、若いころしびれたじぶんがいる。たしかにわたしはそこをじかに生きた。吉本隆明の思想の強靱さと空虚を。自己幻想も対幻想も共同幻想もそれぞれの次元をもちそれぞれが異なる観念の層としてある。しかしそれぞれの観念が異なる次元にあることを統覚する観念はどこにあるのか。それぞれの観念の層を生きるとき、それぞれであることを知覚する作用はなぜ可能なのか。吉本隆明がそのことを問うことはなかった。そこに生の空虚が、生の不全感がひそかに忍び込む。この空虚さと「伍長」のおぞましさは円環している。だれもこの生の損ないを言わない。

マルクスの経済論を自然史へ還元する思想だと感嘆した吉本隆明は、マルクスの思想をかっこに入れて幻想論をつくった。どちらの思想もひとの生涯を超える巨視的な時間が前提とされている。そうするとわたしたちの生はなにかへの過程としてしかありえない。歴史の時間からすれば生はつねに生成の途上にあることになる。そうだろうか。いつもそのつど間に合っているという思想はないのだろうか。親鸞は浄土があると800年前に言い切った。宗教の言葉を使いながら宗教的な信を突き破ったところにそれがリアルに現成することを親鸞はつかんだ。おそらく親鸞は外延表現の極限を無意識に内包浄土として生きたのだと思う。いまわたしにはマルクスの思想も吉本隆明の思想も外延表現の臨界を象った思想であるようにみえる。自己を領域化すれば、外延表現の世界は内包表現の世界へとめくりこまれるのだ。外延表現の世界を内包表現が包み込むと云ってもよい。リトル・トリーのおじいちゃんの言葉を借りれば、今生はなかなかよかったが、来世はもっといいだろうとなる。いつもそのつど間に合いながらそのように歴史を過ぎ越すこと。わたしは内包史というものをそういうふうにイメージしている。

吉本隆明の大衆論とわたしのそれはどこがちがうのだろうか。吉本隆明は人格の表出ということで大衆を語り、わたしは大衆の無意識もふくめて大衆を語っているそのちがいにあるのだと思う。べつの言い方もできる。吉本隆明は同一性を前提に大衆を語り、わたしは同一性を拡張する形式において大衆を語っていると。わたしは「衆」のひとりとしてみずからを語り、「知識人-大衆」論を前提としていない。このちがいはおおきなものだと思う。

なぜ吉本隆明の思想を牧歌的だというのか。「衆」を猶予しない思想が語られていないからだ。「衆」によらぬ思想の可能性が吉本隆明の思想にないからだ。皇軍の兵士は個人ではなく一員として行動し、その一員には高度に理念化された結界が張られている。衆としての一員であるとき衆は無知でも蒙昧でもなく、したたかで、狡猾であり、ときとしておぞましく邪悪でもある。それは衆の一員として生きる、生活の知恵としてあることなのだ。そういう意味では衆はいつも理念の埒外にある。吉本隆明のやりすぎてしまう大衆的な存在のありようになにか新しいものを生みだす力はない。『1★9★3★7』で語られる「伍長」の下卑とおぞましさと狡猾さは同一性に棲まっているのだと思う。アジア的専制から派生した日本的無為も大衆の絶望という擬制もすべてここを棲まいとしている。だれがここを思想として語ったか。どんな理念もここに触れたことはない。内包ならかんたんに超えることができる。

わたしは人間という概念は近いうちに途方もなく変貌してしまうと思っている。この国が短期的には酷く残忍な社会になっていくことと、やがて惑星規模でグローバル勢力によって世界が平定されることとは矛盾しない。シールズのつるんとした動きを見ていると、かれらは世界のなりゆきを先取りしているような気になってくる。こういうことだ。おそらく世界がひらたくなっていくことをかれらは予感している。安保法制に反対しているように見えてその先をかれらは無意識に見通しているのだ。それは時代が無償で供与するものを享受するのが若者であるというわたしの定義に反しない。かれらを突き動かしているものは時代の無意識なのだ。かつてのわたしがそうであったように。かれらは到来する時代に身の丈を合わせようとしているのだ。かれらがそのことに自覚的であるとは思わぬ。かれらにはことばのはじまる場所が見えてない。かれらよりながく生きてきたからそれがどういうことであるのかいくらか見通せる。かんたんなことだ。同一性を包越すること。そこに生の可能性を描くこと。自己に先立つ根源を性として、還相の性として生きること。ふわりふわりした不思議を欲しいならあげてもいい。

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