日々愚案

歩く浄土66:内包的な自然1-宮沢賢治の自然1

living with war
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ずいぶんむかしに『内包表現論序説』の冒頭でレオ=レオニの絵本の感想を書いた。このつづきを少し書く。

 スイッチをONにするとあたりが明るくなる。いや、もともとスイッチはONになっている。レオ=レオニの絵本の「あおくん」が、とおりのむこうにいる「きいろちゃん」と遊びたくなって、あちこちさがしまわり、まちかどでばったりであい、ふたりともうれしくてうれしくて、交じり合ってしまい、とうとう「みどり」になりましたというお話、あれですよ、あれ。この「みどり」に成ることを私は〔内包〕と呼んでいる。GUAN!

「遊びたくなって、あちこちさがしまわり、まちかどでばったりであい、ふたりともうれしくてうれしくて、交じり合ってしまい、とうとう〔みどり〕」に成ることが〔内包〕だとも言ってきた。「あおくん」は「あおくん」のままで〔みどり〕だし、「きいろちゃん」は「きいろちゃん」のままで〔みどり〕になっている。外延では「あおくん」は「あおくん」、「きいろちゃん」は「きいろちゃん」であるのに、内包では「あおくん」は「あおくん」のままに〔みどり〕に、「きいろちゃん」は「きいろちゃん」のままに〔みどり〕になる不思議。
だれもみな同一性をはみだす経験をしている。じぶんはじぶんであるのにじぶんでなくなるヘンな気分。もうひとつある。〔みどり〕になるとスイッチはONのままでOFFにならないということ。同一性を超える体験はそういうものとしてある。

なぜ「あおくん」は「きいろちゃん」に出会って〔みどり〕になったのだろうか。
なぜ「きいろちゃん」は「あおくん」に出会って〔みどり〕になったのだろうか。
こういうことをむかし本で書いたとき、外延というあらわれが内包に転化することはわかっていたけど、なぜそうなるのかについてはまだよくわからなかった。
いまはかんたんに云える。「あおくん」や「きいろちゃん」が〔みどり〕になるのは、「あおくん」や「きいろちゃん」のなかに、もともと目に見えないようなとても小さな〔みどり〕があるからです。なにかのきっかけがないと〔みどり〕があることに気がつかない。有縁があれば〔みどり〕になってびっくりするけど、すぐそれをじぶんのなかにしまい込む。わたしが言いたいのは対幻想ということではないのです。

ほんとうはじぶんをはみ出てしまう、じぶんがべつのものになる体験であるのに、じぶんのなかに折り畳んで内面化する。そしてそれぞれがべつの同一者である「あおくん」や「きいろちゃん」と関係する。そうやってどんどん〔みどり〕が減っていきやがて外延化される。同一性の宿命のようなものだ。この宿命のことをわたしたちは対幻想と呼んできた。
ほんとうは〔みどり〕はだれのなかにもあると内包論では考えています。〔みどり〕を分有して「あおくん」や「きいろちゃん」になるだけのこと。「あおくん」は〔みどり〕に気づいてびっくりしたあまり〔みどり〕をごっくんと呑み込みます。するとたちまち「あおくん」は「きいろちゃん」になるのです。まだまだ先がある。「きいろちゃん」になった「あおくん」のなかで〔みどり〕が白く光るのです。そうするとあたりは照らされてやわらかい〔みどり〕の光に包まれてきます。

なにかひとつの根源の色というものがあるのではない。縁(えにし)の数だけ色があるのです。そして根源の色が分有され、それぞれの分有者のなかで白くその色が輝き、またまわりを照らします。そうやっていろんな色が重なり、あたりはますます明るくなる。根源の色はひとつではなく縁(えにし)の数だけあるのですが、その根源の色がくびれて分有されるという関係の型だけは共有される。だから関係が表現であるこのしくみはいつも同一性を超えているのです。

この世界では「アキちゃん」は「アキちゃん」のままで「朔ちゃん」であり、「朔ちゃん」は「朔ちゃん」のままで「アキちゃん」です。おなじようにうれしくて〔みどり〕になった「あおくん」は「あおくん」のままで「きいろちゃん」だし、「きいろちゃん」は「きいろちゃん」のままで「あおくん」になる。根源の色の一対の分有者の色は違ってもそれぞれの分有者のどこにも1は見当たらない。なぜならば1はそのとき領域化されているからだ。内包では1は2であるから、内包からみると外延世界の3はあたかも外延世界の2であるように比喩される。内包論ではそうなるとしか言いようがない。外延の3の世界はしだいに内包の2と2+(喩としての内包親族)に包み込まれていくことになる。3人称がないということは国家や政治がなくなるということです。だからその世界のどこにもテロと空爆はない。同一性が世界をややこしくしているのです。

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テロについて考えることは宮沢賢治の文学について考えることとおなじではないのか。そう思わせるものが宮沢賢治の詩や童話にある。わたしには宮沢賢治の文学は一万年の人類史を背負っているように見える。賢治の詩や童話を文学の愛好家はなべて読み損なっているとわたしは思う。ケンジの作品はまだいちどもまともには読み解かれていない。
森羅万象のいとなみはケンジにとって畏怖の対象であり驚異であり苦しみの根源であった。森羅万象がいっせいに野の花、空の鳥になり、有情は『注文の多い料理店の「序」』のようにさんざめく。それにもかかわらず、有情は互いの生を掠め取ることで自らの生を連綿として営んできた、過酷な偽りに満ちた有情でもある。ケンジは互いが相食む有情のありようが苦しくてたまらなかった。

愛好者の数だけケンジの作品への入り口がある。わたしはわたしの関心にしたがって宮沢賢治の作品のなかに入っていく。
ケンジの作品世界に分け入るときのわたしの原則がある。内面化の形式を前提とした批評意識でケンジの作品を論じてもかれの作品世界の全貌をとらえることはできないとわたしは思っている。けっして内面化も、共同化もできない作品世界をすでに宮沢賢治がつくり、そのケンジの作品をふるい批評意識で読み解こうとしてきた。それがわたしたちの知る文芸批評だ。宮沢賢治の作品はとうにそこを突きぬけていた。凡庸な評者はそのことにさえ気づくことがなかった。だからわたしのケンジ論はみなの知る批評ではない。これは批評ではない。

なぜ宮沢賢治なのか。なぜ石牟礼道子ではないのか。そのことは考えた。宮沢賢治はシャーマンではありえず、石牟礼道子はいくらか巫女であるからだ。なぜ宮沢賢治はシャーマンではありえなかったのか。かれの苦悩が消しようがないほどおおきかったからだ。かれの自我は巨大であることにおいてモダンであった。石牟礼道子は自我という偉大な卑小をあらかじめ自然に融即し、そのうえであらためて自我を自然生成している。この意識の呼吸法は巫女的なものと解される。共喰のやるせなさは共鳴りの背後に隠れてしまい、苦界の民と天皇の赤子は調和し響き合う。石牟礼道子の自然生成はそのようなものとしてある。宮沢賢治はその欺瞞の棘に終生自覚的で、一瞬であっても自己欺瞞に身をゆだねることができなかった。それほどかれの煩悩はおおきかった。

わたしはモダンな意識を自然へと融即するのではなく、モダンな意識をそのままに拡張することで現実を越えたいとつねに考えてきた。そうでないと人間というものの意志はいつのまにか消えてしまうのだ。わたしによく似て宮沢賢治はモダンという業に憑かれた人だった。そこに「何をやっても間に合わない/世界ぜんたい間に合わない/・・・・・/その兎の眼が赤くうるんで/・・・・・・・/草も食べれば小鳥みたいに啼きもする/・・・・・・・/そうしてそれも間に合わない/・・・・・・・・/世界ぜんたい何をやっても間に合わない/・・・・・・・・・/その親愛な近代文明と新たな文明の過渡期の人よ」や「・・・・・・・・/空には暗い業の花びらがいっぱいで/わたくしは神々の名を録したことから/はげしく寒くふるへてゐる/ああ誰か来てわたくしに云へ/億の巨匠が並んで生まれ/しかも互いに相犯さない/明るい世界はかならず来る」(「業の花」から一部抜粋)という宮沢賢治の煩悩は、人類史にもひとしい苦悩だった。かれは有情の人類史をひとりで背負い込んだ。この苦悩を糧としてかれの全作品は生まれていることを銘記したい。またこの覚知を抜きにした批評は同一性を擁護するたんなる自己愛に過ぎぬ。読者よ、心せられよ。

「何をやっても世界全体間に合わない」や「業の花びら」という切迫感が宮沢賢治のなかに抜けない棘のようなものとしてあって、棘を抜こうと内面を内へ内へと掘っていたらいつのまにかこの世を突きぬけてしまう、そういう言葉を無意識に表現してしまった。それがかれの作品ではないか。言葉が生存感覚をやぶってしまう稀有な体験を宮沢賢治はやった。それは内面をかたどった表現の形式ではないし、かたどられれた人格の内面化を社会に抛り投げるということとはまったく異なった言葉の体験だ。宮沢賢治の文学作品は解読を待ちながらその場所に悠然と存在している。

    3
見田宗介の『宮沢賢治』には刺激をうけた。おそらく見田宗介は『宮沢賢治』を、吉本隆明が『マルクス』を書いたように書いている。宮沢賢治の言葉を追いながら自己を重ねケンジの生と言葉をつかもうとした。その表白が『宮沢賢治』だ。眺める人としてではなくケンジの言葉を生きようとする真摯な迫力がこの本にはある。閉じた自我を超出する手立てをケンジの作品をたどることでつかみたかった。でも見田宗介はまだどこにもたどりついていない、そんな印象をもった。
宮沢賢治の作品の不思議な余韻はどこからくるのだろうか。どの作品にもかれが生きた時代の科学知が背景として影を落としていることは容易にみてとれる。たとえばヘッケルの個体発生は系統発生をくりかえすという知見やアインシュタインの相対性理論が作品のなかに喩として忍び込んでいる。そういう斬新な科学知が宮沢賢治の作品の表出意識に影響を落としているのは間違いないが、いちばんおおきなことは、宮沢賢治が作品によって人格の表出の形式を超出しようとしたことだった。かなりうまくいっていると思う。

宮沢賢治が無意識に超えようとした人格の表出は、あるいはかれの自然は、外延自然が内包化された内包自然に近いという気がする。ケンジの世界では有情のものは、すべての生き物が、どんぐりやきのこも、むき出しの生存競争にさらされて生きている。どの童話を読んでもそうだ。互いに喰ったり喰われたりしながらそれでもどこかに赦しと救済がある。それはなぜか。どこからくるのか。とても不思議な気持ちになる。
わたしの読みではケンジ固有の神からそれが来ていると思えた。それはどういう神か。ケンジは本当のほんとうの神と言う。これも強引な読みだが、その神は内包自然に棲まっているとわたしは理解した。
親鸞の未然を引き継ぐようにして内包論をつづけているが、おなじ方法でケンジの作品世界を解読する。なにか未知の批評意識によってしか宮沢賢治の作品を読み解くことはできない。それはテロとの戦争で一切がなし崩しに壊れていくこの世界をおまえはどうしたいのかという問いとおなじ衝迫感といってよい。宮沢賢治はこの世界を超える可能性を作品としてすでにつくっている。

古来も変わりなく連綿と人の生はあったが、虫木草魚の衆生は制度を天変地異とみなし生をしのぐしかなかった。神意を授受した王のみが自由人であり、その余は補弼の官僚と民草とされた。みずからの意志ではなくこの世に生を承け虫木草魚のように生を送る。秦の皇帝であれ生老病死をまぬがれることはなく不老不死を願い帝の威力を墓跡としてのこした。
ここで生の外部にあるものを外界や環界と考えてみる。どこの国の歴史でもそうだが英雄や偉人の事績がまず記される。ここに叙事史から叙景、叙景から叙情という表現史を想定できる。叙事史は王とその一族を遺勲するものとして銘し、帝を補筆する官からやがて虫木草魚の衆生も環界に抗命する意志を権力としてつくりあげようとした。酷な外界や環界からまぬがれ、外界や環界に抗命しうる砦を創造する。それが観念の王国たる個の内面化の世界だと思う。外界がどれほど過酷であれ観念の王国はつくりうる。手足をしばられ環界がどれほどの苦で敷き詰められていても内面の自由はつくりうる。それが内面という権力だと思う。王や帝の権勢も内面を滅ぼすことはなかった(遙かな後年、ユーラシア大陸の西方で市民革命が起こり、自由・平等・友愛という理念が人格に憑依した)。

そうやって人びとは連綿として生をつないだ。外界の権力と内面の権力は優に互角であったと云えよう。唯ひとりの自由人である王からその一族や王族を補弼する官を経て、衆生に表現が根づいていくひとつの表現史を想定しうる。むろん一神教の神と多神教である仏教が洋を東西に分別しこの表現史を媒介している。わたしは人びとの生き延びようとする生活の智慧が内面化を不可避なものとして招来したと考えている。かんたんにいえば過酷な生に抗命する人びとの生の内面化は、人類史にひとしい規模をもっている。そしてこの表現をかたどったのが身が心をかぎる同一性という生の様式だ。

ロラン・バルトは言説の本質は権力だと言った。あるいはフーコーも、「個人が〈主観性〉〔自己についての自己の意識〕という形で自己と保つ関係は、実は権力の関係ではないのか」と云った。この謎を解くのにフーコーもながい時間を要した。死の直前、表現を「倫理的活動の核にあるものに結びつけて考えたい」と云っていた。おそらく死の間際に表現概念を転倒しうることを覚知したのではないか。フーコーもまた同一性を跨ぎ超そうとしていたようにみえる。
わたしの言い方では、内面化は権力ということになる。たとえそれが世界に対する抗命であるとしても。たしかに外界がどうであれ内面に観念の王国を築くことはできる。しかしそれもまた権力である。ここで権力は禁止・抑圧・排除を意味しない。自己を産みだす能産もまた権力なのである。外延権力と内面の権力は同一性を起源とすることに於いて同型である。その歴史の長い影のなかをわたしたちは生きている。宮沢賢治の作品はここをおおきく跨ぎ超しているようにわたしにはみえる。

市民主義者のオバマは、テロは人類の敵であると云い、オランドはフランスはいま戦争状態にあると云った。笑止千万なことである。かれら民主主義者にはすでに民主主義の底が抜けていることがわからない。民主主義と独裁はなめらかに接合できるし併存しうる。それがわたしたちが目の当たりにしていることだ。為政者も反知性主義を論難する文化人たちもあらたな世界構想のひとかけらももっていない。民主主義の外部に例外社会ができているということ。そしてこの例外社会を民主主義の理念でつくろうことはできない。
そこでかれらは民主主義を称名念仏する。称名念仏としての民主主義。ただひたすらに民主主義をコールする。念仏を何回唱えたら世の中は善くなるのだろう。千回唱和したらテロがなくなるか。道路交通法を守りましょうといって事故がなくなるか。それとおなじことだ。今日では民主主義は世俗宗教である。民主主義が壊れていることの自覚も、信の解体への志向もどこにもない。民主主義のコールは自力作善の欺瞞と詭弁に満ちている。なにより言葉に未知をつくる力がない。

あらためて問う。殺戮の連鎖と応酬はどこで熄むか。世界を根柢的に問うなかにしかない。わたしの構想のうちでは喩として内包親族論を考えることがテロと空爆のない世界を考えることにつながる。宮沢賢治は百年前に作品においてここを超えている。これからもしつこく宮沢賢治の作品を探索する。わたしは宮沢賢治の作品にこの世界の無言の条理を超える無意識が表現されていると思う。

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