日々愚案

歩く浄土64:内包親族論8-親鸞の自然2

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内包論から親鸞の思想に注解をほどこしても理解されるとは思わぬ。それでも内包論をすすめていたある時期から親鸞の他力という信をひらくことはできないのかと考え始めたように思う。どこかで親鸞の思想を自己意識が外延的に表現された窮極の作品だとみなすようになってきたということかもしれない。内包論への過渡として親鸞の思想があるのではないかと、戦きながら親鸞の思想について考えつづけた。わたしの内包論も過渡であるから言葉がどこに突きぬけるか、そのさなかにあるので、道行きをまだ見通せているわけではない。

最期の親鸞はどこにいたのか。浄土教の教義を宙に吊り、浄土教の教義に悉く異を唱え、世界の無言の条理のとば口に佇む衆生を眼前にしてこの世の条理に背くことを言い放った親鸞は、最期にどこにいたのか。最期の親鸞は他力や自然法爾という言葉をつぶやきながら、虚空に見えない文字を書いていたように思う。どこにもその痕跡は遺されていないが、親鸞はことばによってことば自身を生き始めていたように見える。それはだれにも見えない文字で書かれている。むろん、ここではないどこか彼方の浄土を親鸞がめざしたということはない。親鸞にさえ見えない文字で書かれた、ここがどこかになっていく浄土、それを内包浄土と呼びたい。内包浄土からの視線によぎられて、同一性のくびきが一瞬ひらかれ、親鸞の悪人正機や自然法爾や他力という言葉が生まれ、生をあらたに生きなおすことができるようになったのではないか。むろん外延思想として親鸞の思想は比類のない見事な自然(じねん)の達成だったと思う。

いつも塗炭にまみれた苦ばかりで生きているということでもない。苦のなかに日だまりや木洩れ日のような息の深くなるたおやかな日々もある。それでも苦や煩悩が押し寄せ来て潰されそうなときがある。この世のしばりが生を圧倒しどうあがいても出口が見えない。生や日々を拘束するこの世のしくみが一人ひとりに自力の計らいでは抗しがたいものとして迫るとき、なにかの契機によって親鸞の言葉がいきなり降りてくる。その言葉がこの世のしばりでがんじがらめになった衆生に染みとおっていく。それが親鸞の他力や自然法爾や横超や悪人正機の思想だった。わたしには、内包自然に棲まっている根源の性が外延世界の同一性という負荷をとおしたところに、言うなれば外延という自然の自力の果てるところに、親鸞の感得したリアルがあり、形骸化しながら形だけは信じられていた浄土からの視線として親鸞の口から他力や自然法爾という言葉がこぼれたように見える。他力や自然法爾をつぶやいたとき親鸞は自身でさえよく見えないもうひとつの場所にいたのではないか。

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親鸞が生きた乱世の鎌倉時代に、インド発祥のサンスクリット語によって記された仏法があり、中国に渡って古代マルクス主義のような大乗仏教が興り、それが日本に移入された。世界を語ることは仏教を語ることにひとしい夥しい知がすでに集積されていた。コボル言語もC言語も、人工知能も、遺伝子DNA工学も、相対論も量子論も当時はなかったが、生活や超越についての流転しながら伝わった1000年余、2000年余の知の諸学を修める困難は、現代ともさほど変わりなかったのではないか。親鸞も叡山で学僧をやっていた。
『浄土論』の世親と『浄土論註』の曇鸞から一文字ずつもらった親鸞は永い歳月をかけて『教行信証』を記した。浄土教(教)という、本願を信じ(信)、念仏を唱え(行)、佛になる(証)、その根本教義の親鸞理解が『教行信証』だが、これがわからぬ。理解できぬ。それで石田瑞麿の現代語訳を飛ばし読みする。それでも退屈。大乗仏教の総説の注解が『教行信証』だが、先代の聖者による仏法書の解説をしながら親鸞にもうつうつとしたものがあったのではないか。注釈される大乗仏教の法語はどう読んでも自力作善のススメとしか感じ取れない。解釈をしながら親鸞がわが身の上を語るところには惹きつけられる。味わい深い話が「信巻」にある。『教行信証』で仏教の歴史をおさらいしながら思わず親鸞は解説を逸脱する。

誠に知んぬ、
悲しきかな愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の太山に迷惑して、定聚の数に入ることを喜ばず、真証の証に近づくことを快しまざることを、恥づべし傷むべしと。

しみじみと思いだされることだが、ああおれはなんと凡俗だったろうかと云われている。こういう言葉にはほっとする。『教行信証』はときどき顔をのぞかす親鸞の境涯しか面白くない。退屈なので深読みしようがないのだ。
なんといっても親鸞の思想の白眉は『歎異抄』にある。深遠な浄土教の本願が、親鸞の身のうえで散らした火花だ。一念義と浄土を直結してしまった最期の親鸞にとって一念義や浄土はもうどうでもいいことではなかったのか。そこに言葉がただ〔音〕のように存在した。それだけだったように思う。
極悪深重や悪人正機をわが身をたどりながら鬼気迫るように凝視した親鸞は最期にそこにいた。そして確信する。親鸞のこころや身をよぎった他力は衆生にも起こりうる、と。浄土にゆけるようにもともと悲願がかけられている。そういう悲願をかけられている業縁がひとであるということなのだ。知解のおよばぬことを親鸞は云った。道理がおよばぬからこそひとは安堵できる、と。「親鸞は弟子一人ももたずさふらふ」も「彌陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなり」も気配のような〔音〕としてただそこにあった。
自力の果てる処で親鸞は他力と云うリアルをつかんだのだが、ここで思想は終わるのだろうか。そうではないと内包論は考える。他力を終わりの始まりとする広大な未知の思想の領野があると内包論は世界を構想している。内包のきりのなさが同一性に縛られた親鸞の心身に逆説や背理のかたちで他力としてあらわれたのだと内包では考えようとしている。
親鸞の他力や自然法爾や悪人正機は同一性のくびきという重力場に訪れた信じがたい驚異であり、わたしは親鸞の一群の言葉は、ほんとうはそれ自体にたいしてもうひとつの表現を遂げているという気がしてならない。親鸞がさわった自然(じねん)を内包的な表現意識からとらえ返すならば、親鸞の言葉はそのままにまったくあたらしいべつのものに組みかえられる。わたしは内包論で親鸞の思想は拡張しうると考えている。

コメント

1 件のコメント
  • 倉田昌紀 より:

    「外延思想」を、可能なかぎり括弧に入れてみる。そして、総表現としての当事者としての現場性からの生きて生活するリアルな思想の心を考えはじめる。その都度が、小生には、始まりの始まりなのです。どのように生成していくのだろうか、と。
    「わたしには、内包自然に棲まっている根源の性が外延世界の同一性という負荷をとおしたところに、言うなれば外延という自然の自力の果てるところに、親鸞の感得したリアルがあり、形骸化しながら形だけは信じられていた浄土からの視線として親鸞の口から他力や自然法爾という言葉がこぼれたように見える。他力や自然法爾をつぶやいたとき親鸞は自身でさえよく見えないもうひとつの場所にいたのではないか。」
    〈信〉を、疑い解体しようといういとなみは、「虚偽意識」や「自己欺瞞」から離れていくことでもあるのだろうか。「リアル」とは、当事者として現場性を我がものにしていく生成する生活の「思想」とは、どのような「リアル」な思想であろうか。
    西欧のさまざまな思想を参考にしながらも離れ、吉本隆明の思想からも離れ、あとに残された「エキス」のような生活者の心の「思想」を、内包論の言葉に小生は、感じ考え読み取り、我がものにすることができるだろうか?その予感を、率直に正直に考えるとき、貴兄の内包論の当事者として生きる現場性と、小生はどのようにクロスするのか、このように考えることは、小生にとっては、元気のでる快活な楽しみなのである。

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