日々愚案

歩く浄土63:内包親族論7-親鸞の自然1

 

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ひそかにおもんみれば、聖道の諸教は行證ひさしくすたれ、浄土の眞宗は證道いまさかんなり。しかるに諸寺の釋門、教にくらくして眞假の門戸をしらず。・・・これによりて眞宗興隆の太祖、源空法師、ならびに門徒数輩、罪科をかんがへず、みだりがはしく死罪につみす。あるいは僧儀をあらため、姓名をたまふて遠流に處す。余はそのひとつなり。しかればすでに僧にあらず、俗にあらず、このゆへに禿の字をもて姓とす。(「化身土巻」『教行信証』

叡山を降りていったんは法然に帰依し、興福寺より専修念仏の停止を訴えられたいわゆる承元の法難により親鸞は僧籍を剥奪され、越後に五年の流罪に処せられる。赦免ののちも法然に会うことはなかった。みずからを愚禿親鸞と呼び、浄土教の教義を解体し尽くし、群生と逍遥遊しながら一念義の浄土を説き、90歳をもって入滅するまで生涯に渡って非僧非俗の思想を貫く。親鸞の生きた自然(じねん)とはなにか。

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『歎異抄』で親鸞が唯円に答えていった言葉がある。なんども取りあげたところだ。「親鸞は父母の孝養のためとて、一辺にても念佛まうしたること、いまださふらはず。そのゆえは、一切の有情はみなもて世々生々の父母兄弟なり。いづれもいづれも、この順次生に佛になりてたすけさふらふべきなり。わがちからにてはげむ善にてもさふらはばこそ、念佛を廻向して父母をもたすけさふらはめ。たゞ自力をすてて、いそぎ浄土をさとりをひらきなば、六道・四生のあひだ、いづれの業苦にしづめりとも、神通方便をもて、まづ有縁を度すべきなりと、云々。」というところをあらためて考えてみたい。なにか他力に関わる未然があるのではないか。ここには親鸞でさえ見過ごした思想の未知が横たわっている、そんな気がしてならない。

親鸞のこの言葉にはわずかにすきまがあるのではないかと思うようになった。「有情」は生あるものということだが、すべての生あるものを「みなもて世々生々の父母兄弟なり」とし、「順次生に佛になりてたすけさふらふべき」とすることは、まだ共同性を引きずっているのではないか。衆に語りかけるときの方便であるのかも知れぬ。親鸞にとって衆生に一念義によって浄土を顕現させることがかれの生そのものだった。そこに非僧非俗を貫いた親鸞の一義があった。なにをさかしらなと親鸞なら言いそうだ。

しかし燃えさかる消しようのない煩悩は生の余儀なさや現世のしばりとしてあらわれたものでもあった。現世での現実的救済の方途はなかった。この世のしばりは存知せずと親鸞は言うだろう。汚濁にまみれた衆生の煩悩をどうやったら一気に救抜できるか。死は明日かもしれぬ。生はかぎられている。そんな悠長なことをいっておれるか。一念義しかないではないか。それが親鸞の胸裡にあるリアルだった。
それでもわたしは言いたい。わたしの理解では、世の人びとにたいする有情の感得と父母兄弟の情は次元が違う。信の解体と他力を説きながら、「一切の有情はみなもて世々生々の父母兄弟なり」とみなすことは、三人称を二人称にかぶせることにならないか。それはひとつの擬制ではないか。親鸞の教えを祖述した唯円の口伝の未遂なのか。親鸞のなかにもある未遂があったのではないか。

親鸞にも思想の未然があったのではないか。聴衆に向けて話をすることの困難があったのかも知れない。親鸞の胸裡に起こったことをわかりやすく「われられなり」と説くしかないのだから。ふと親鸞もどこかで間違った一般化をしたのかも知れない。乱世の鎌倉という時代に囲繞された制約のうえで、浄土教の教えを解体する他力という信で世界の条理を説くしかなかった。宗教という共同幻想を逆手に取り、宗教的信の解体を他力という信で語るほかに親鸞が為すことはなかった。ひとびとをまるごと浄土に誘うにはどうすればいいか。自力の果てるところに他力を見出した親鸞は一念義で衆生と逍遥遊した。生の重さがふわりと浮かび、その軽さがずっしり重い、歩く浄土を親鸞は説いた。

もう少し踏み込んでみる。一切の有情がみな父母兄弟であるということと、有縁を度すべきだということは隔たっている。一切の有情がつながるということは理念としてしか言えない。すこし言葉が浮いてしまう。有縁はわかる。わたしの理解では外延と内包のきわどい相転移がここにある。外延は縁(えにし)よってただちに内包に、内包は余儀なさとして外延化される。わたしは、むしろ外延論の表現世界から内包論によって内包自然が浮かびあがってくる過程が、それが無限小のものだとしても内包存在としてつらなったものが生の歴史だと考えている。ヴェイユの匿名の領域を秩序に挿入された内包表現の歴史と考えうるということでもある。
外延論の世界で逆理や背理としてある、親鸞がつかんだ悪人正機というリアルは、内包自然に順接する。おおきなうねりをもった親鸞の言葉が内包自然に棲まうなら、もっと背筋を伸ばすことができるとわたしは思っている。

一切の有情は依然として外延であり、有縁という契機によってしか内包に転化することはない。斯様に外延と内包の相転移には微妙なあわいがある。わたしは自力の果てるところで親鸞が感得した他力というリアルはわずかに同一性の外延世界に残身があるように思う。親鸞の一切の有情から、吉本隆明のアフリカ的段階の理念である「人はみんな、おんなじ。平等なんだっていうことが非常にわかりやすく見えてくると思いますよ。人はみんな、おんなじ。これは僕の根底にある確信」(『ひとり』)までは一足飛びに外延化できる。この意識の型はヘーゲルからマルクスへも受け継がれた。

漠然と親鸞の未然と考えていたことがここにあるような気がする。「一切の有情はみなもて世々生々の父母兄弟なり」ということは他力の理念としては言いうるが、どうやっても天然の父母兄弟とはつながらない。ここを親鸞は宗教の超越によって飛び越している。聖書でもおなじことが言われる。「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。わたしは敵対させるために来たからである。人をその父に、娘を母に、嫁をしゅうとめに。こうして、自分の家族の者が敵となる。わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。」 (「マタイによる福音書」10章34節~39節)

同一性に身の丈をあずけて生きるほかない一人ひとりの生を引き裂く苛烈な倫理が提示される。オンかオフかを迫るイエスの言葉より煩悩をそのままに愛好し、信は契機であると語る親鸞の言葉ははるかにやわらかい。それでも宗教的信は、それが他力であっても現世にわずかに言葉の身体をのこし生を引き裂く。言葉がその言葉をはみ出し、どうじにどこかで言葉自体にたいして残身をのこしてしまう。わたしは親鸞の思想にもわずかに倫理があると思う。一切の有情を世々生々の父母兄弟というとき、そこにかすかに倫理を引きよせている。わたしはそのことを言葉のすきまといった。

親鸞の正定聚という思想を還相の性に拡張しないかぎりほんとうの意味で「われらなり」が現成することはない。むしろ正定聚という理念の無意識が還相の性を呼び寄せていると言うべきか。おなじように親鸞の自然法爾は内包自然へと拡張される。
内包自然の真芯にある還相の性まで正定聚という概念を拡張しないと宗教や国家や共同性の謎は解けないとわたしは思う。また親鸞の思想の拡張によってはじめて謂わば身体の延長である貨幣の謎も解けることになる。存在の粗視化を特性とする自然科学も心身の延長にすぎぬのだが、すべてが絡まりあっているという気がしてくる。

もう少しここをていねいにたどってみる。つぎのように語ったことがある。

親鸞が言っている他力は、信とは全然関係ないですよ。信も非信も超えたところの他力です。他力として信がその人を訪れる、といったことではまったくない。それは事後的に、反省的に取り出された「他力」に過ぎません。あいかわらず「その人」という自己を前提と、自己を根拠としている。自己と信の関係であり、したがって一瞬にして信の共同体を生んでしまいます。現に親鸞が亡くなったあとは、そうなったわけでしょう。つまり「浄土」という信の共同体になってしまったわけです。それは「国家」という想像の共同体と同じですよ。政治と権力そのものです。親鸞が浄土と言う場合は、信も非信も関係ない。ここにあるじゃないか、と言っているわけです。浄土はここにある。行こうと思えばいつでも行けるんだってことです。この怖さを思い知れ、喜べ……『歎異抄』のなかで唯円に言っているのは、まさにそういうことですよ。(緊急討議Hot jam『ことばの始まる場所』第三回「フラット化する世界で」)

こう語りながらなにかが引っかかっていた。親鸞が自力作善を排斥し他力を云うとき親鸞に於いて他力が実現していることは疑いない。それは個々の生存のありようと無関係に、自力の計らいの彼方から一方的に訪れるもので、まったくの受動性のうちに実現されるようななにかだ。他力は一人ひとりの生に固有なものとしていつも背後からの一閃として訪れる。それが他力である。そのことはよくわかる。自己と世界の間の軋轢は他力によって蕩尽される。煩悩にまみれることと煩悩を消尽することがおなじことになる。それもよくわかる。そのことによって生のありかたはかわる。それもよくわかる。しかしつぎのことは残らないか。それぞれが他力による生を生きたとする。そのとき他力者どうしの関係はどうなるか。いかに連結し、どうつながるのか。それは他力という信を生むことにならないか。そしてやがて他力という信は外延的な信の共同性へといたる。三人称をのこすかぎり共同性は不可避なのだ。親鸞の思想はここをほどききっていない。わたしはここに親鸞の思想の未遂があると思う。ほんとうは自然法爾とは内包自然のことではないのか。他力が三人称をつくらない世界を現成するとき、他力はその本懐を遂げるとわたしは考えている。そしてそのとき他力という信は消える。

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親鸞は鎌倉時代という乱世のただなかで自力の果てるところに一念義という他力を感得した。破戒坊主として生き、煩悩の塊だったひとりの衆生である愚禿親鸞は、仏と対座し、知識ではない他力というリアルによぎられた。このリアルを愚禿親鸞の生の乱調に先立つ根源と謂ってみる。根源と衆生は不一不二でどうじに根源から衆生へと一意的につながっている。極悪深重の親鸞が不意打ちされた驚異を、その一方的な受動性を、親鸞は他力と言った。他力によって自己は世界に包み込まれる。生のこのありようを親鸞は自然法爾という。自我の自然への融即という自然生成とはまったくことなるものだ。満身で俗と煩悩の塊として生きているこの〔わたし〕がそのままで浄土に生きることができると親鸞は言い切った。自己とこの世のあいだにあるどんな哀切も親鸞の他力によって埋めることができる。そうやって親鸞は外延表現の極北に他力の思想をつくった。同一性からみれば信じがたいひとつの驚異だ。やがて親鸞の思想は、戦乱と飢餓と疫病と天変地異のただなかで草木虫魚のように翻弄された衆生のこころのうちになぜか染み込んでいった。親鸞はまぎれもなく同一性に拠らぬ生をつくった。浄土教の教義をことごとく裏切り、逆理と背理に満ちた世界をつくった親鸞はそれがために極悪深重であり、地獄が一定かれの住処であり、悪人正機というほかなかった。それが親鸞の浄土教への礼節であった。凄まじい思想だと思う。

ここで素朴な疑問が浮かんでくる。自己に先立つ根源によぎられることで煩悩に満ちた生が煩悩のままに世界との軋轢を消尽するのが他力であるが、他力という信はどこにいくのか。親鸞の他力もまたひとつの信ではないのか。親鸞は「この道理をこころえつるのちには、この自然のことはつねにさたすべきにあらざるなり」と言った。わかるが、なぜ「この自然のことはつねにさたすべきにあらざるなり」なのか。親鸞の他力も自己と世界を調停するひとつの信ではないのか。この疑念が消えない。
そこで、親鸞の云う他力を覚知した者を仮に他力者と呼んでみる。個々の他力者の世界との軋轢は他力によってすでに消えている。それが自然法爾ということだ。それはわかる。ではそのそれぞれの他力者が、他力という、内面化も共同化もできないそれ自体を生きるとき、それぞれはお互いにどうつながりうるのか。どう連結するのか。親鸞はここに気づいたのだろうか。詮なき問いかけかも知れぬ。親鸞の生きた800年後、近代もすぎ、現代のただなかを生きている、さまざまな倒錯を歴史として生き、そのなかで生まれ、そこを生きているわたしが云えばいいのだ。

わたしは親鸞の音色のいい言葉をもっとおおきな言葉の容器に入れてみたいと思う。自力の果てるぎりぎりのところで親鸞が満身でつかんだ他力や横超や自然法爾という同一性の遙か彼方にある熱い自然を、それがあることによってそこから蒼穹がひろがってくる内包自然に棲まわせたい。そこでだけ他力という信も消える。そこが一切の有情が父母兄弟となる、喩としての内包的な親族が可能となる場所だ。なんどでも云う。けっして内面化も共同化もできない世界をそれ自体として描くこと。そこにおおきな世界の未知があるとわたしは思う。
親鸞のさわった自然にわずかな言葉のすきまがあるような気がして、「一切の有情はみなもて世々生々の父母兄弟なり」について少しだけ注解をほどこした。親鸞の未然は、有情がみな家族のようにしてつながっていることを、ひとつの逆理や背理として外延的な表現として謂ったことにある。存在しないことの不可能性として存在するその場所は親鸞がさわったリアルの向こうにある内包自然であるとわたしは言いたい。自然法爾の拡張として内包自然がある。
親鸞は自己に先立つ根源を浄土教の教義を解体することをとおして拡張し、さわったリアルな知覚を他力や悪人正機や横超や自然法爾という言葉をつかって示そうとした。
親鸞の自然法爾を内包自然へ、正定聚を還相の性へと組みかえることで、親鸞が吐息のようにつぶやいた太い言葉のうねりはそのままに拡張できると思う。歴史は外延と内包のあわいを生き、わたしたちもまた内包と外延を知らずに相転移させながら生きている。親鸞さんはわたしの考えについてなんというだろう。

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