日々愚案

歩く浄土55:内包親族論1

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30年、孤絶した思いのなかで内包論を書きつづけてきた。ふり返るとおおまかに3つの段階があったように思う。
若い頃におおきな影響を受けた吉本隆明の思想の重力から抜けだそうと内包という概念をつくりはじめた時期。吉本隆明の思想にははじまりの不明というものがあり、わたしはそれを表現の特異点と呼んだきたが、かれは思想において解けない主題を解けない方法によって解こうとしているように見えた。わたしの生の実感と吉本隆明の表現は激突した。わたしはじぶんの生の実感に根拠を置くことにした。そこから内包の言葉をつくりはじめた。道行きは困難を極めたが、吉本隆明とは異なる意識の呼吸法を徒手空拳のなかでつかんだような気がする。
この時期に考えたことは『内包表現論序説』としてまとめ公刊した。そのとき書いた序文の一部を抜粋する。

 スイッチをONにするとあたりが明るくなる。いや、もともとスイッチはONになっている。レオ=レオニの絵本の「あおくん」が、とおりのむこうにいる「きいろちゃん」と遊びたくなって、あちこちさがしまわり、まちかどでばったりであい、ふたりともうれしくてうれしくて、交じり合ってしまい、とうとう「みどり」になりましたというお話、あれですよ、あれ。この「みどり」に成ることを私は〔内包〕と呼んでいる。GUAN!
 〔内包〕という知覚で、人類史を文字以前の世界にまで巻きあげ、今度はそこからゆっくり巻き戻して、貧血する世界を包んでしまおうと考えた。私の狙いはうまくいきそうだ。ヘーゲルやマルクスの描いた世界のイメージとも、フーコーのマルクスの切断とも、もちろん、最近流行りのイギリスの経験論を拠りどころに新保守を復権する世界のイメージとも、それら既存のすべての思想と異なった世界が、私の内包表現論で可能になりつつある。
 「私」が世界を志向するのではない。「私」が世界に閉じられた、あるいは世界が「私」に閉じられた、近代知の古いのこりカスを払い落とさないと、〔世界〕は息づかない。そういうことにはもう誰もが気づいているが、まだどこにも突き抜けきらずにいる。世界はとまどい、途方にくれている。
 知や表現の決定的な転回がありうるのだ。ありえたけれどもなかった、刈るごとにふかくなる性の気風を機軸に据え、世界をつくることができる。世界にはじめて吹く風だ。「そこは俺たちの領分だ。まいったなあ」と釈迦とイエスが夢のなかで言ったような気がする。掌でビクンビクンと撥ねる〔内包〕の感触に、私は密かに興奮している。
 このところずっと世界は白い闇で覆われている。私は〔内包〕の感覚をもとに干からびて貧血した世界を色っぽく創り変えることができると考えた。性を発見することがスイッチがONに成るということだった。すごくパンクで妖しい気分だった。その驚きを内包表現論で書いた。ヘーゲルやマルクスにもこっそり教えてやりたかった。うん、ナルホド、と彼らが感じていたら、きっと赤眼の厄災もなかったとおもう。もちろんオウムの愚劣なんか消し飛んでしまう。〔内包〕の情動は、フロイトの性よりふかく激烈だ。彼らは知がつくった裂け目をふくらませて言葉の明証にすこし溺れすぎた。今もまだこの囚われのなかにいる。
 思想の決定的な転回をはかろうと内包表現論を書き始めてから八年になる。短いメモのつもりがこんなものになった。すこしも終わりそうにない。内包表現論が創ろうとしている世界の、やっと入口にさしかかったところで序説はおわった。
 もうこれだけの力をこめて吉本隆明について論じることはないとおもう。硬い言葉の風情や肩凝りする言葉の言い廻しに冷や汗がでる。GUAN! でも、これでいいとおもった。世界にはまだ表現されていない思想が存在する。未存の世界構想が可能だという衝迫が私を駆り立てた。
 ときにとまどい、ときに錯乱し、あるいは狂熱に駆られ、停滞と急激な転変を経験しながら、数千年に渡る凄じい歴史を人間はつくってきた。ふりかえると世界はひとりでに拓かれていた。この悠遠の歴史をひと括りしてまったく別の歴史や世界の描像をつくることができると、あるときから私は考えるようになった。
 こういう壮大な試みはふとおもうことはあってもなかなか実際には踏み切れない。GUAN 私は踏み切った。音をたてて日はかたむき、ひしひしとちぎれるように日を繋けた。私は真剣だった。素手で空をつかむような、闇夜の手探りのような、悪戦の連続だった。 内包表現論を創るにあたって私にはもはや師とする思想家はいなかった。すくなくともこの思想家、あるいはこの哲学者にくいこみ、くいやぶって、じぶんの思想をつくるという具合にはいかなかった。「ないものをつくるのが作家だ」という桜井孝身の言葉を呪文のように反芻した。わが身を焦がし、じりじりしながら私はじぶんの世界をつくろうとした。GUAN そのたどたどしい記録が『内包表現論序説』だとおもっている。(略)

 明暗不明の悠遠の太古に、ある種の霊長類が苛烈な妖しい情動に身を焼かれ、この情動を形にして、起源の言語や芸術を表現した。他の生類の生を掠め取って生きるのが動物の本質だから、灼熱の性からあふれて形になった起源の言語は、人間という自然の欲をいっそうかきたてることになった。ライオンが冷蔵庫を持っているという話は聞いたことがない。そういうことだ。〔内包〕する性の情動を巻きとって発熱した霊長類の一種属が人間の起源をなすとしても、起源の言語は〔内包〕という知覚をあふれ、奔流となって身のなかに流れこんだ。見てきたわけではないがそれは凄じいものだったにちがいない。人間の起源をなす〔内包〕する太陽の像は、罠にかかって煩悶しその亀裂を埋めようとして、アニミズムや神や仏として外延化されるほかすべがなかった。善悪という倫理がここに発祥する。私の知るかぎり人間がつくった制度についてのさまざまな考察はすべて、これ以降に属するものだった。私は制度以前の太古のひとびとの情動の襞に対の内包像を重ねて〔1〕の思考の外延をやぶろうと考えた。
 セクシー・アニマル・コンピュータな人間が数千年をひとまたぎにして現代に到達するのはほんの一瞬だった。ひとびとが自らのなかに際限のなさを発見したとき、無限や無意識という「神」があらたに創造され、古い「神」が死んで近代の知が編制されることになる。科学も資本も、それらが結合したシステムもそうだった。この奔流は止めようがなかった。ニーチェは近代の巨大なうねりに体当たりし翻弄されて狂死した。今、私たちは近代が発見し切り拓いた時代の尖端に長い影を落としている。異様に鋭い感覚の持ち主だったニーチェが気づいた〔1〕の真ん中に存在する昏い穴が〔衆〕にゆきわたるのに、赤眼の人類史の規模の厄災が代償として支払われた。
 内包表現論をしぶとく考究することで、私は、ヘーゲルやマルクス、あるいはフロイトがカタをつけたと思い込み、しかし詰めきらずにのこした意識の明証性に関わる、考えることや感じることの根源にある超越の問題群にひとつの道すじをつけることができたと考えている。意識の明証は、〔内包〕という像と相関するが、同じものでなく、ただ〔内包〕という知覚の表現としてのみあるという〔存在〕の原理は、繋ける日の元気そのものだとおもっている。不可知論ではなく、どんな明証もここより先へは行くことができない。また〔内包〕という知覚によってはじめて宗教的な大洋感情が、大洋の像へと拡張されることになる。これよりシンプルなものはなく、これよりプリミティブなものはない。もっとかんたんでわかりやすいものがあったら是非お目にかかりたい。世界はそう複雑でも入り組んでもいないのだ。大丈夫だ、ここしばらく〔世界〕は私の〔内包〕の知覚でやっていける。傲慢な自信が私にある。はじめから意図したわけではないが気がつくと、私は神や仏という超越を組み替えてしまったというわけだった。それは同時に、意識の明証がけっして手にすることができない、なぞることはできても、じかにふれることのできないものだった。無限を発見したカントールの驚きに似ているかも知れない。私は興奮した。私は〔内包〕という直接の知覚を機軸に未存の人類史を構想することが可能だと感じている。言い替えれば人間がこれまでつくってきた膨大な知の体系を根本からそっくり組み替えることができると密かに考えている。
 嘆く思想やおあずけする思想なんかいらない。そういう、生をくらくするつらいものは生きていくのに何の役にもたたない。そう、欲しいのは元気の素。北風と太陽、あれだ。幾重にも巻きつけて着ぶくれしたシステムの堅固が、〔内包〕の思想の、あまりの熱さにたまりかねてすこしずつ融けはじめるだろう。それが内包表現が世界に望むことだ。どんどん私の空想はふくらむ。もしも創られつつある新しい自然に〔内包〕という知覚を直結できたらとおもうとゾクッとする。ほんとに〈わたし〉が〈あなた〉に成ってしまう。イン・エクスタシー!  

引用したこの部分は初期の内包論がつかもうとしていたことをいくらか要約していると思う。わたしは内包論を書きつぐことでヘーゲルやマルクスや吉本隆明といった思想家とはべつの意識の呼吸法がありうることをひとつの思想としてつくろうとした。圧倒的な生の実感がありその実感に言葉を与えようとしていた時期で、いま読んでも読むに耐えうると思っている。「意識の明証性に関わる、考えることや感じることの根源にある超越の問題群にひとつの道すじをつけることができた」と考えたときの手触りをよく憶えている。なにかひとつの理念が生まれようとしていた、それはたしかだと思う。

ここでつかんだリアルをわたしにとっての認識の自然としてさらにわたしは内包論に踏み込んだ。それは『内包存在論草稿』(Guan02)となり、公刊したあとに暗礁に乗り上げた。思考がフリーズしたのだ。主題を解こうと意志してもデッドロックしてしまった。完璧な思考の停滞だった。その象徴的な箇所を一部引用する。

わたしはひそかに興奮する。こう言ってもよい。自己に先立つ存在の彼方によぎられるとき、わたしたちは自己という同一性としてではなく、性としてあらわれるのだ、と。
 わたしは自己よりも疾くふたりである。この存在のありようを分有者という。わたしたちの知る歴史の知性はここまで行くことができなかったので、この大洋感情を同一性に封じ込め、その心残りを神仏に言寄せてさまざまに言表し、近代の知性はそれを自己意識の無限性が外化されたものにすぎないと批判した。いずれにしても同一性という存在の形式そのものを疑うことはなかった。しかし出来事の核心がそれで言い当てられたことにはならない。わたしは存在の彼方を内包存在と言い、内包存在によぎられたあらわれを分有者と名づけた。内包存在とは根源の性にほかならないから、分有者のことを、根源の性を分有する内包者と呼ぶこともできる。わたしたちはまだこの知覚によって世界を表現したことがない。むしろそれがあることによって人間という現象があらわれてくる由縁を現にあらしめるために、わたしたちは気の遠くなるような万余の歳月をくぐり抜けるしかなかったのかもしれない。
 自己意識の外延表現という思考の慣性ではわたしたちの生の固有さにふれることができない。どんなささやかな生にも比類のないかなしみがあり、ふるえるような激しい夢がある。自存の深みにおいてのみ、自己の陶冶が他者への配慮にひとしい世界を現象させること。そこにだけこの世のあり方に回収できないおのずからなる世直しの機縁があるのだとおもう。内包と分有に拠る内包表現がそのことを可能とするとわたしはかんがえている。人びとの営みの前史が終わりもう一つの人類史がはじまる。それを内包史と呼びたいとおもう。あたらしい生の様式をこの世にあらしめたいので、すでにある知とは異なる思考に拠って、まっさらな世界認識をつくろうとおもった。遠大な夢ではあるがそれをめざしてわたしは行く。間に合うだろうか。

 同一性論理が自己をつくり、自己の外延的な延長が必然として共同体や国家をつくるとして、分有者の世界は外延論理のかたちづくる世界とどこが違うのだろうか。内包と分有の世界では分有者たちの複数性の問題はどうあらわれるのだろうか。内包存在という根源の性によぎられた分有者たちは相互にどう連結するのだろうか。結局、分有者と分有者たちの関係は、同一性論理から派生する個と共同性という観念と同じように矛盾や対立や背反することを避けられないのではないか。内包存在論を書き継ぎながらこの問いが頭から離れることはなかった。
 わたしの試みは、迷路を手探りで進むようなものであったから、疑念は錯綜したかたちであらわれた。内包論理でつくりつつある世界をつい同一性論理の思考の慣性で視てしまうときにこの混乱が生じる。故なしとはしない。外延論理の拡張が内包論理だとしても、わたしたちは外延論理の世界を、立ち、歩き、触れ、呼吸しているからだ。この錯綜を人類史的な過渡期の重畳ということができる。おそらく、わたしたちの同一性という意識の慣性が、抱いてもさしつかえない疑問と、理解がかなう答えを、制限している。内包存在論がこの制約を跨ぎ超しつつある。『Guan02』その瞬間に立ち会っているというべきか。
 内包存在のそれぞれの分有者は、根源の性を分有する内包者でもあるから、わたしによって生きられるあなた、あなたによって生きられるわたしは、自己表現ではなく内包表現するものとしてあらわれる。分有者と分有者たちの微妙なあわいは、同一性の思考の様式に倣って謂えば、あたかも一人称と二人称の関係に比喩されてもよい。
 つまり、内包と分有の世界では人称がひとつずつずれて繰りあがり、繰りあがることで同一性が事後的に分節した三人称が、内包と分有に上書きされて消えてしまうのだ。それは分有者が直接に性であるからにほかならない。内包の世界では、分有者は二者にして一者であるから、あるいは他なるものが自らにひとしいものであるから、さらにひとりのままふたりが可能なるものとして生きられるから、三人称が存在しえないことになる。
 一人称が二人称をふくみもつということにおいて、世界は、〈わたしという性〉と、それ以外のものへと転位してあらわれ、同一性論理が三人称と名づけるあり方がこの世から押し出されてしまう。ほかならぬわたしであるということがそのままじかに性であるから、内包者は一人称と二人称を併せもつことになり、併せもつことにおいて内包者たちの相互の関係は、あたかも同一性論理においての二人称の関係に似たものとしてあらわれることとなる。同一性が人倫として語る善悪の彼岸ではなく、思考が権力の始源をはじめて無化する瞬間だといってよい。こうやって内包史という歴史があらたに立ち上がってくる。 この事態は人間の思考にとってただならぬ出来事なのだとわたしはおもう。同一性を拡張する内包と分有から、自己という自然態と、それが織りなした必然としての共同体や国家の彼方が遠望される。おのずからなる生とは内包存在を分有する内包者の繋ける日々のことであるから、べつの言い方もできる。みずからの意志がまったく関与することなくはじまる生が一方的に受動的であること、そこに自己同一性から感知された生の不全感や死への恐れの淵源がある。生の奇妙さの由来を根源まで遡ってかんがえると、生誕の謎という明暗不明にゆきつく。みずからの意志で生まれたのではないことに、生の意味を問い尋ねることや生の不全感の源がある。そして生誕の謎は死の恐怖へと反転してあらわれる。死はなぜ恐いのか。それは生誕が謎だからだ。意味をめぐるすべての問いはここへと回帰する。自己同一性を基点とするどんな表現もこの自同律をひらくことはできない。内包と分有が自己についての意識の起源にある闇をひらく瞬間だといってもよい。意識の内包史がこうやってはじまる。

ブログでなんども取りあげたが、この件を書いて以降ぐうの音もでなくなった。じぶんの書いた言葉にじぶんが縛られ身動きがとれなくなってしまった。自縄自縛が解けたあとにわたしの体験には普遍性があることに気づいた。自己に先立つ超越を同一性が強烈に規制する。かろうじて同一性の余儀なさは、はじまりの不明の空間化を許容する。意識はここに閉じられているのだ。だれであろうとここをまぬがれることはない。意識の空隙に風穴を開けようとして偉大な先人がことごとくつまずいた。ブランショは「名付けようのないある別の社会形態」といい、ヴェイユはデモクラシーとは「別の形態を創造しなければならない」と言った。男性の女性にたいする関係がもっとも本質的であると洞察したマルクスは人の生存を同一性に還元し個と類(共同性)の矛盾を解こうと『資本論』を構想した。個から発し対関係を節目に国家という共同幻想を解明した吉本隆明は共同幻想から降りることができなくなった。なぜか。わたしは同一性という固い論理を包越する内包自然というやわらかい論理がありうると思う。内包論を構想する由縁である。

自己との対話であれ他者との対話であれ、言葉が指示性をもつには了解の時間を空間化することが不可避である。ここに自己意識の用語法の超えがたい難所がある。わたしたちはだれもかたちにしないと知覚できないのだ。空間化のことを絶えざる実体化といってもよい。わたしもこの罠に落ちた。そうすると解こうとする主題を解けない方法で解いてしまうのだ。どうやっても三人称のない世界がつくれない。意識はどうどうめぐりをくり返しやがてフリーズする。思考の停止。同一性を実有の根拠とするかぎり同一性の拡張はできない。だれがやろうとだ。もがいて解こうとするほどに生身が引き裂かれ、生が断裂する。

次のような言い方をよくしてきた。「あるものがそのものにひとしいというとき、あるものと、そのもののあいだに根源の一人称をおくとどうなるか。あるものとそのものは内包の関係にあるから、厳密には同一とは言えない」、と。ふり返れば、問いの立て方が間違っていたのだ。「あいだ」は空間的な概念である。じぶんに内在する垂直な概念としていえばよかった。つまりそのことに気づくとか気がつかないということとはなんの関係もなく、ひとのいちばん深いところに無限小のものとして根源の性はひそんでいるのだ。ひとは根源において〔性〕であるということが内包の知覚のいちばん根っこにある。この驚異をわたしは内包自然と呼んでいる。分有者としての自己はつねに根源の性という絶対の受動性からのうながしとして現象しているのだ。「けっして共同化できないようなそれ自体、それ以外のものではありえないようなものとして、そのことを名づけること」をいまはそう考えている。

このことに気がつくとレヴィ=ストロースの構造主義の概念がなぜ平板なのか、吉本隆明の「大衆」という思想はなぜ理念と現実のあらわれにおいて二重化するのという疑問が氷解する。レヴィ=ストロースには「私の生涯を根底から変えた」厄災の体験がある。『遠近の回廊』を読むとそれがわかる。ホロコーストの直接の関係者だった。かれはまぎれもなく出来事の該当者だった。しかし該当者であることと当事者であることのあいだには千里の径庭があり、それは深淵によって隔てられていることにかれは気づかず、サルトルらの観察する理性を批判したついでにフーコーだって遡ってせいぜいギリシャまででしょうと揶揄している。而して、未開種族の冷たい社会を研究し、みずからも観察する理性の人となった。婚姻と親族の構造を、互酬性というちゃちな理念をくっつけ、数学の代数的変換に還元することで生を断片化し、空間化して解明しようとした。それがレヴィ=ストロースの構造主義だ。
おなじことが吉本隆明にも言える。ここでは2つのことを言う。
ひとつはかれの愛好する大衆についてだ。吉本隆明は大衆への信をもっていたが、理念としての大衆と現実の大衆は分裂するものとしてあらわれる。消費社会で大衆が物欲のかたまりになることへの嫌悪から内田樹は吉本隆明の思想から離れたと言っている。なぜ吉本隆明の大衆は理念と現実において離反するものとしてあらわれるのか。
もうひとつ。吉本隆明の思想の問題意識がはらむ根源的な矛盾について。国家は共同幻想であるという画期的な思想をたしかに吉本隆明はつくった。対幻想という特殊な共同幻想を1つの結節点として個人から家族、家族から部族性の起源をかれなりに解き明かしたものが『共同幻想論』だ。この本の中で吉本隆明はあらゆる共同幻想は消滅すべきだと主張している。兄弟と姉妹の性的関係をともなわないゆるやかな性的親和感を媒介にすれば、エンゲルスのように原始集団婚を想定しなくても氏族性から部族性への飛躍は説明できる。ではひとたびできあがった共同幻想としての国家はどうやったら廃絶できるのか。吉本隆明の思想はこのことに答えることができない。国家の行き道の条理を解明したとしてどういう過程を経れば国家をなくすことができるのか。どこを読んでもそのことについては書いてない。解けない主題を解けない方法で語っているようにしかわたしには思えなかった。領域としての自己を可能とする内包自然という理念を媒介にしないかぎりレヴィ=ストロースの理性主義批判も吉本隆明の国家廃絶論も不毛で空無だと思う。

問題は自然と人工的自然の対立でも、個と共同性の背反でも、1%の富裕層と99%の貧困層の矛盾にあるのでもない。もちろん民主主義にたいする信を主観的な意識の襞のうちにこぞって表明することでもない。自力作善という文化的言説で世界の無言の条理に触ることなどもともとできないのだ。それは権力の眼差しにすぎない。むきだしの生存競争はリアルなものとしてわたしたち一人一人の日々に現前し、すでにあらたな生権力が編成されている。

相互に矛盾や対立や背反としてあらわれる現象を包み込む内包自然という表現の場所から、偉大な先人の思想の未然を拡張しようと内包親族論を構想する。この試みは内面と外界という表現の規範をどうじに拡張することになるだろう。もっとやわらかい意識の息づかいがあるのだ。内包自然がそのことを可能とするし、また内包自然においてのみ、政治と戦争のない世界が現実的なものとなる。内包親族論は、安倍の愚劣と安倍の愚劣を批判する者らをともに根柢から批判するきわめて状況的な主題でもある。現実をたどることがそのまま現実をひらく方法を内包親族論として試みる。

内包論を書きついだ30年をふり返ると概念の流れにいくつかの節目がある。『内包表現論序説』は吉本隆明の思想では解明できない固有の領域があることに気づき全力で独自の概念を模索して書かれた。そこでわたしは偉大な先人の意識の明証性に空隙があることを発見し、近代の原理を拡張する内包という概念を創出しようとした。この課題は『内包存在論草稿』に引きつがれ、根源の性と分有者という概念として持続された。この本において三人称のない世界がありうることを暗示したが、概念の輪郭をつくることのあまりの困難さに思考はひとたび挫折した。なぜそうなったのかについていまいくらか自覚的になりえた。その次第を「歩く浄土」として書きついでいる。

根源の性は、あるものとそのものの「あいだ」にあるのではなく、自己に無限小のかたちで折り畳まれて内属している。自己意識に先立って根源の性はだれのなかにも内挿されているのだ。それを知覚しうるかどうかは縁(えにし)であり、絶対の受動性として体験される。むろん他力であり、そこでは理性という一切のさかしらは絶たれている。この知覚は知識ではない。根源の性は自力の果てるところに絶対の他としてそれ自体として存在する。台風15号で屋根の瓦が飛んだのが事実であるように。当人が自覚するかどうかになんの関わりもなく内包的な自然としてわたしたちにあらわれる。
わたしは『内包存在論草稿』で根源の性の分有者について語ったが、根源の性の分有者がどういうことであるかうまく言えてない。自己に先立って自己に埋めこまれている根源の性を根源の性の分有者として知覚するとき、じつは分有者にも往き道と帰り道があるのだ。往き道の往相の性のことをわたしたちは対幻想と呼んでいる。わたしの理解では対幻想は同一性からなぞられた極めて制約された性の意識にすぎない。帰り道の性があるという発見の驚きを「歩く浄土」で書いている。この性のことをわたしは還相の性と名づけた。ただ内包自然の知覚のなかで可能な表現的な概念であり、この意識は内包的な表出としてのみ感受可能で、いかなる意味でも実体化(空間化)できない。またその意味で同一性の彼方を可能とする。この意識を生きるときわたしたちはだれも知らずに自己を領域として生きていることになる。そのとき還相の性の息づかいは三人称の世界をあたかも二人称の世界のように巻き取っていく。「内包と分有の世界では人称がひとつずつずれて繰りあがり、繰りあがることで同一性が事後的に分節した三人称が、内包と分有に上書きされて消えてしまう」ということは還相の性という概念ぬきには可能でない。思い知るのに、わたしは10年余を費やした。しかしこの覚知はわたしに根本的な思考の転換をもたらしたように思う。
喰い、寝て、念ずる生の原像を還相の性で生き切ること。わたしの生はすごくシンプルになった。そこに広大な思考の未知があると思っている。
内包親族論では、内包論でどういう世界構想が可能かということを少しずつ書いていこうと考えている。内包論で現実はどのようわたしたちに立ちあらわれるか。どうであれこの世のしくみが変わりうるという信をわたしが手放すことはない。

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