日々愚案

歩く浄土54:情況論5

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わたしは内包論の立場から政府の安保法案(戦争法案)に反対します。
戦争あるいはテロで目的を遂げるという人びとの観念があるかぎり、戦争あるいはテロがなくなることはない。戦争という観念がありえない、戦争ということを思いつかない観念のあり方だけが戦争をなくすことができると内包論は考えます。主観的な意識の襞を根拠に戦争に反対してもそれは外延表現の範疇の意識の行為だから、ただちに戦争を肯定する意識も大義も生まれます。そしてふたつの理念が激突したときどちらが正しいか決めることはできません。通常は国家権力が戦争反対の勢力を圧殺します。それがわたしたちの知る世界の道理です。この道理は自由や平等や友愛という理念にも通底しています。

各地でSEALDsができている。OLDsも、MIDDLEsも、T-ns Soulもできたらしい。運動のやり方は新しいが理念は既知の思考で新鮮味はありません。「学者の会の反対声明」は自己を棚上げした典型的な既得権益を行使する声明であり、まだこんな時代遅れのことをしているのかとうんざりして嫌な気分になります。サイコでオカルトな安倍晋三の支離滅裂でひずんだ戦争への欲望にたいする危機感がSEALDsやOLDsやT-ns Soulを突き動かしていると思います。その切迫感にはずれなく共感します。#本当に止める。Oh!Rock! どんどん思う存分やってくれと思います。若者の異議申し立ての動きが絶えて久しくなかったので爽快な気分になります。猛暑であっても戦争法案に反対する意思表示は楽しいはずです。じぶんで決めたことを自分の意志でやることは気持ちいいです。運動には高揚期と停滞期と敗走期があります。どういう運動であってももっともよく闘ったものが残骸のように遺棄されます。このことには例外はありません。

わたしも若い頃全力を挙げ時代と激突しその全過程を一身で体験しました。いまも言葉にならぬおおくの出来事があります。世界の無言の条理が深々とそこに鎮座しています。わたしたちの言葉はいちどもここに爪を立てたことがありません。いまの時代性を絡めていえば、ハイパーリアルなむきだしの生存競争の現前です。
わたしの見るところこの危機感はSEALDsの若者には希薄であるような気がします。わたしの自己体験でも発言した言葉と表出の意識のあいだには目が眩むほどの乖離がありました。おそらくSEALDsの若者も発語と表出の意識は剥離していると思います。かれらが解けない主題を解けない方法で解こうとしていることにどれだけ自覚的になれるか。SEALDsのうねりの核心はそこにあります。

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わたしは若い頃になぜ人は平等であるのかということをよく考えました。そういうことを考えているときじぶんが冬に向かって走っている狼のような気持ちがしました。なぜ人は自由と平等を所与のものとして受けいれるのだろうか。さらにこの理念の系には厄介な友愛(博愛)もくっついています。自由と平等は自己に関係することですが、友愛は自己と三人称に関する関係の問題になります。フランスの人権宣言はこの三つをセットにしている。ともあれこの理念は世界の多くの国に受けいれられ敷衍された。

わたしには近代のこの理念はほんとうは不徹底であったのではないかという深い懐疑がありました。そのほころびを覆い尽くすことができなくなったのが現代の現在性だと理解しています。
わたしたちが固有の生を生きるとき、なぜ、自己の陶冶は他者への配慮にひとしくならないのか。民主主義を未完のプロジェクトとどれだけ強調しても民主主義は強者と弱者を前提として要請します。建前で民主主義の効用を説くことはできる。未完のプロジェクトである民主主義は優者と劣者を前提とすることが不可避のこととしてあります。民主主義は思想というより機能主義的な思考だといっていいのではないか。わたしはそう理解している。文化人の民主主義にたいする文化言説的主張は建前の啓蒙的なものとしてしか存在することはできません。

自由と平等という理念を民主主義と呼ぶとすれば、この理念はいずれにしても過渡的で期間限定の思想です。マルクス主義がそうであったように、その内実はニヒリズムです。原理的にそうなります。わたしの理解では民主主義は擬制です。この世の無言の条理を感得することのできないひとには民主主義は真理です。あたかもバランスのとれたカロリー制限食が高血糖治療の真理であるように。そしてそれを領導するものらは例外なく勝ち組です。世界の無言の条理の存在に気づくこともない人たちです。いまわたしたちが生きている民主主義という社会はもうずたずたに壊れています。大半の人の生の実感といってまちがいない。

自由と平等という理念は、自己に先立つつながりとの関係においてのみ可能となるのです。西欧近代の偉大な先人はこのことに気づきませんでした。自己を実有とする生は空虚でニヒリズムであることは先験的なものです。鈍感な感性をもつ勝ち組、優者のみが民主主義を教導するのです。この国はもうはるかに壊れています。
安陪の反知性も反政府の知性もおなじだけ醜いと思います。
世界の無言の条理を前にしてひとはなにをなしうるか。
ただ、じぶんの生の原像を還相の性として生きること。これだけはだれにも可能です。そしてそれしか可能なことはありません。

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安倍晋三という正真正銘のバカものが戦争を平和維持活動と言い換え解釈改憲で戦争のできる国へと改造しようとしていることに嫌悪感と危機感をたくさんの人が感じていることは事実だ。安陪に諂う若造の議員が戦争反対を主張するSEALDsの若者にたいして、「『だって戦争に行きたくない』」というのは自分中心、極端な利己的考え 利己的個人主義の蔓延は戦後教育のせい」とツイートしている。アホか。おまえが前線に行けよ。
戦争法案の強行採決はヒットラーの全権委任法に匹敵する政府首脳によるクーデターだとわたしは考えています。安陪の歪んだ欲望、安陪の私利私欲は目玉が頭の後ろについているので先に進むほどに歴史を逆行する。そのことはこれまで繰り返し主張してきた。

情況について整理する。
サイコでオカルトで無知の安倍晋三のやりたい放題、その場しのぎの口から出任せがある。大半の人びとはかれに嫌悪感をもっているに違いない。中東やアフリカの争乱で落ち目の米国は一国で世界の警察をやる余力がない。米国の経済もやがて中国に抜かれることになる。凋落する超大国の米国を軍事力で補佐するために日本にも応分の負担をさせるというのが戦争法案の本分だ。日本の自衛隊を海外派兵させることで自国の損失を抑えるというのが米国の国家意思としてすでに確定している。従属国の日本は、間接支配された米国の植民地国家であるというのが現実だ。戦後レジームからの脱却をウリに登場した安陪は米国国家意思の傀儡政権といってもよい。安陪の惰弱な頭のなかでは戦争のできる国が独立国家だという妄執が渦巻いている。理路も政治構想もなにもない。これほどの真性のバカが政権を運営していることがまたこの国の現状だ。

わたしは反安倍の政府批判もおなじように、安陪に引きずられて、リベラルな勢力も思想的な退行をしていると理解しています。

海外派兵への危機感から安陪の戦争法制に反対するのは当然である。わたしが大学生になった46年から47年前でさえ、大学の自治と学問の自由を守れというスローガンは虚妄だった。うそだということが直観的にわかった。その時点で60年安保はまるごと超えられていた。時代が推移するとはそういうことだと思う。当時若者だったわたしは時代が供与する感性を無償でもらった。マルクスも社会主義運動も学生運動をしらずとも、ひとりの行動者として時代の全過程を駆け抜けた。学問の真理、そんなものは当時もなかった。わたしが大学生になったときはすでに大学は大衆化していたので、そこで習得する学と称するものは、どうでもいい単位修得の身過ぎ世過ぎだった。大学の教師においても事態はおなじだった。学問や真理に値するものはほとんど皆無だった。

学生党派の内ゲバ殺人や弱小党派の爆弾闘争があり、連合赤軍事件のなしたことで、新左翼運動は一瞬で潰滅した。SEALDsはながい空白を経た、それ以降の若者による新しい異議申し立て運動である。もちろん行方は杳として知れない。またその運動に関係したいという気持ちはまったくない。内田樹がSEALDs梅田で歓呼の礼に迎えられ40年ぶりにマイクを握ったことはわたしには理解できない。それはかれらの異議申し立てを批判することを意味しない。学者の会と学生が横断幕をもって連帯のデモをしたことが新しい民主主義の登場として東京新聞で報道されていたが、わたしにはまったく理解できないことだった。なんと恥知らずなバカな自称学者かと思った。大学人であることをウリにして恥の意識もなく、むしろ正義を主張する厚顔無恥。この世のしくみを変えるという壮大な試みは職業にはならないのだ。商業新聞があり、商業テレビがあり、ジャーナリストという専門職があるという幻想。専門家であるという幻想と虚偽。そのことを棚上げして,なにが反安倍か。笑止千万ではないか。安陪が愚劣であれば、正義面した安保法案にたいする抗議声明もおなじだけ欺瞞だ。安陪も反安倍も上から目線の権力を行使することにおいておなじ穴の狢だと言える。

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戦争法制の強行採決から参議院の審議の過程で安保法案にたいする、遅ればせながらの抗議が続出している。ネットの記事で見つけたいくつかの記事を貼りつけてみる。

わたしは存在についての了解がいま世界がどうなっているかの認識に先立つとして、世界の根源的な成り立ちを解き明かそうと内包論を考えつづけている。情況の根源に降りたち、語りえぬことについて語ろうとしています。

妄執に憑かれたサイコな安陪のふるまいに抗して、SEALDsや「安全保障関連法案に反対する学者の会」の抗議声明がなされています。目についたネットの記事をいくつか貼りつける。

 安倍政権を確実に追い詰めている安保法制反対の国民運動のうねり。その中心に位置しているのが「自由と民主主義のための学生緊急行動」、SEALDs(シールズ)だ。秘密保護法反対の時にできた学生団体がいまや、日本の未来を担っている。この団体を徹底解剖――。

 憲法学者3人がそろって政府案を「違憲」と断言した翌日(6月5日)、小林節・慶応義塾大学名誉教授はシールズの応援に駆け付けた。

「心配で激励に駆け付けたわけ。僕は慶大の教授だったから分かるけど、今時の学生ってやわでしょう。彼らは僕ら団塊の世代と違って根性がない。それから、知的裏付けがない。高村弁護士(副総裁)みたいな人にガツンと言われたら、負けてしまうと思った。雨の日だったし、暗かったし。警察に囲まれて潰されたりしたら、続かない。オジサンとしては正義の闘いですから。最初に『気合を入れてやろう』と思ったんです。『なぜ正しいのか』を簡潔に伝え、『(私たちが)ついているよ』という安心感を与える。それから当然、警察がうろつくと思ったから『うるさい、黙れ!』と一喝して退かせるパフォーマンスとかもね。それで彼らは元気づいてくれたんです」(小林節氏の心配は杞憂に 1カ月半で大化けした「SEALDs」日刊ゲンダイ 2015年7月29日)

 安全保障関連法案に反対する学生グループ「SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動、シールズ)」と学者の会は三十一日、共同の抗議デモや集会を国会前などで催し、約二万五千人(主催者発表)が集まった。大規模な政治デモを学生と大学教員らが共催するのは異例だ。

 午後七時半、学生と学者の共同行動らしく「抗議」ではなく「講義」が国会前で始まった。「東ドイツでも秘密警察は『就職に響くぞ』『退学だ』と脅したが、デモからベルリンの壁は崩れた。日本で新しい民主主義がここ国会前で始まっている」。水島朝穂早大教授(62)が演台から語った。

 早大からの参加者は「早稲田からのアピール」と紙を掲げ、東大からは有志がチャーターしたバスで約三十人が訪れた。国際基督教大二年の前島萌子さん(20)と小林詩音さん(20)は「学者の方と意見が一致すれば、ともに行動するのは自然な流れ」と口をそろえた。

 これに先立ち、国会近くで開かれた集会では、学者と学生が交互にスピーチ。佐藤学学習院大教授(64)が「六〇年安保で一部の学生と学者が一緒にデモに出たと聞くが、広がりのある結集は歴史上初めてだろう」と指摘。「シールズ東北」の斎藤雅史さん(19)=東北大二年=は「この道しかないという政権に対し、武力なき平和というオルタナティブ(代案)を模索する努力を続けるのが知識人の役割だ」と呼び掛けた。

 音楽家の坂本龍一さん(63)がメッセージを寄せ、「若い世代の人たちが政治や憲法を身近に考え、行動に移しています。私にとって唯一の希望です」と読み上げられた。

 参加者は集会後、国会前までデモ行進した。(東京新聞 「新しい民主主義が始まっている 学生+学者安保法案で共同抗議」2015年8月1日 朝刊)

過日、内田樹がSEALDs梅田の若者に歓呼の礼で迎えられ40年ぶりにマイクを握ったことがツイートされていた。こういった動きへの内田樹のツイートを少し。

安保関連法案に反対する学生と学者の共同行動。デモ行進が出発!  水島朝穂、広渡清吾、佐藤学各先生と学生たち。日本の知性の最高峰と学生が並んで安倍政権にノーを突きつけています!

学者の会とSEALDsの共同行動では佐藤先生や廣渡先生がデモの先頭に立った写真を拝見しました。僕も参加したかったです。でも、パリで安保法制に反対する50人近い方たちとお話して、SEALDs Paris とBerlinを立ち上げますと手を挙げてくれた若者たちに出会いました。

反政府運動を苦々しく感じている佐々木俊尚はツイートしている。

100%同意です。「平和な日本で平和を叫ぶよりも、まず実際に起きている虐殺や紛争を止めるための具体的で実現可能な提案をする方が、優先されるべきではないだろうか」。細谷雄一慶大教授。/日本ではなぜ安全保障政策論議が不在なのか (2015年8月2日)

サイコでオカルトな安陪のクーデター的戦争法案に対抗して、なぜ、猫も杓子も自由と民主主義と立憲主義の精神を守れと唱和するのか。自由と民主主義はこの者らの利権であって、現場ではすでに民主主義は壊滅的に壊れている。わたしたちの日々の実感と、唱和する気楽な自己の棚上げ文化人との乖離と落差は目が眩むほどのものだ。
「学者の会の反対声明」なるものは大学人の社会的役割を、安保法案の廃案に向けて有効に活用するというものだ。さまざまな大学人が続々と反対の声明をあげる。
いまは違いを超えて反安倍に力を集中すべきだということもそれが主張であるかぎり、ふたつの共同幻想が衝突しているとみなすことができる。そのことについてはここでは立ち入らない。

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平等ということは理念か。自己を実有とするかぎり人が平等ということを理念としていうことはできる。それが西欧近代の法の下における平等だった。観念の大飛躍で革命だった。この理念がなければマルクスの思想もありえなかった。そこで改めて問う。なぜ人は平等なのか。自己を実有の実体とすればたんてきに自己は空っぽであり空虚である。そのことを覆い隠そうとして自己は際限なく肥大化する。なにによってもこのうろを埋めることはできない。わたしたちの手にするものは生の不全感である。なにものによってもこの空虚を充たすことはできない。而してわたしたちは自身にたいしてモノそのもののようにあらわれる。だからフーコーは人間の終焉を宣言した。おなじことを吉本隆明は世界視線という言葉で言ってみた。フーコーから見ても、吉本隆明からしても、民主主義という理念は時代の支配的な制度そのものだった。フーコーや吉本隆明が気づき、そこを開こうとしてうまくやることができなかった、市民主義の人たちが気づかぬこと。あるいは気づかぬふりをしていること。それは人が平等であることの根源に関わることだ。巧みなごまかし方を内田樹の言葉から拾ってみる。

 重信房子が逮捕された。
 西成のワンルームに逼塞して、高槻のホテルで捕まった。
 私は日本赤軍という政治党派にいちどとしてシンパシーを感じたことがないけれど、この逮捕には少しだけ心が痛んだ。何ヶ月か前、東海道線の駅で過激派の中年男が刺殺された記事を読んだときも何となく気持ちが暗くなった。
 一体、この人たちは今、何を考えて「政治」をしているのだろう。
  一九七〇年代の初め頃に左翼の運動から「足を洗う」ときに、(洗うほど浸かっていたわけではないけれど、それでも)一度はある政治党派の運動に荷担した以上(そして、その綱領や党派の名において何人かの人々を罵倒したり、傷つけたりした以上)、その方向転換を説明する責任が自分にはあると考えた。(『「おじさん」的思考』所収「転向について」)

 私は「夜逃げ」もしなかったし、「四畳半」にも逼塞しなかったし、「シコシコ」とかいう擬態語で語られた「小さな政治」にもかかわらなかった。私は自分が属していた党派の巣窟に行って、これこれの理由で私は君たちと縁を切る、と宣言した。
  活動家の諸君はちよっとびっくりして私を見ていた。彼らは別に怒りもせず、非難もせず、「あ、そう……」というふうにぼんやり私を見ていた。もともとあまり私の政治力についてあてにしていなかったから、失って惜しい人材でもなかったのであろう。私は「じゃ、そーゆーことで」と言ってすたすたと出ていったけれど、さいわい追いかけて引き留める人もいなかった。
 それ以後も私は活動家の旧同志たちとけっこう仲良くやっていた。学内で会うとおしゃべりを し、いっしょにお茶を飲んだ。いちばん仲の良かった金築寛君はそのしばらくあとに神奈川大学で敵対党派のリンチにあって死んだ。フラクの「上司」だった蜂矢さんはしばらくして殺人謀議で指名手配された。大学を仕切っていた政治委員たちは地下に潜った。そしてみんないなくなり、私はぽつんと残された。(同前)

 一九七三年の冬、金築君は太股に五寸釘を打たれてショック死し、蜂矢さんは逃亡生活をしていた。私は毛皮のコートを着た青学の綺麗な女の子とデートをしていた。
 どこに分岐点があったのか、そのときの私には分からなかった。いまでもよく分からない。生き残った人間は正しい判断をしたから生き残ったわけでない。(同前)

内田樹が政治党派に属して活動しそこから足を洗った経緯を倫理的に論難する意図はまったくない。足抜けして生き延びたのはよいことに決まっている。堅気になってどう生きるかは面々の計らいだからだ。わたしの読みでは、おそらく、内田樹は人生のある時期に何かを断念したのだと思う。正確な言葉としては覚えてないが、平川克美との往復書簡本のどこかで、「ま、やめましょう。暗い話は」というようなことを書いているところがあった。それは引用の箇所と関係があるような気がする。おそらくこのような体験を経て内田樹は成熟した。それはつぎのような理念となって内田樹を語らせています。

「私」は無垢であり、邪悪で強力なものが「外部」にあって、「私」の自己実現や自己認識を妨害している。そういう話型で「自分についての物語」を編み上げようとする人間は、老若男女を問わず、みんな「子ども」だ。
 こういう精神のあり方が社会秩序にとって、潜在的にどれほど危険なものかはヒトラー・ユーゲントや紅衛兵や全共闘の事例からも知れるだろう。(『期間限定の思想』)

「大人」という概念は、「ここにある秩序以上の秩序」なんかどこにも存在しない、「人間の知を超える知」なんかどこにも存在しないということを「子ども」に教えるための詐術的装置だった、ということが分かったときに「子ども」は「大人」になるんだから。(同前)

民主主義はよいものだ。絶対的な正義を一義的に決定することは不可能だが、相対的な正義と「よりましな社会」の実現をめざして、話し合うことはできる。そして、「今よりましな」状態めざして、コミュニケーションの回路を立ち上げるのは「よいこと」だ。
 私がこの本で述べているのは、そのような「二昔ほど前の常識」に過ぎない。
 こつこつ働き、家庭を大事にし、正義を信じ、民主主義を守りましよう。(『「おじさん」的思考』)

「情況について」は内田樹論の気配が濃厚になってきていますが、それはわたしが安倍批判の発信力において内田樹が突出しているとおおきな評価をしているからです。
マルクスの思想が現実をつかむことができなくなってもマルクス主主義を信奉することはできます。同様に、民主主義の理念が現実を抽象できなくなっても民主主義の理念を担ぐことはできます。わたしには内田樹は若い頃の断念とひきかえに民主主義の理念を手にしたのだと思っています。安陪の倒錯にたいしてみなが一斉に民主主義を唱和し始めたことはここに関係しています。なにを内田樹は断念したのか。それはかれのつぎの発言から看取することができます。

  たとえばマルクスなら、二つの社会階級が競合しあってゆくなかで、生産手段が変化していくという歴史的分析をするわけですね。人類の歴史は階級闘争の歴史 である、と。これは正しいんですよ。でも、その分析から導かれる最終的な目標が、「階級がなくなる社会を作らなくてはならない」という。これは僕から見る と間達っている。対立するものがお互いに対峠しあったり、競合しあったり、否定しあったりしながら共存する、というのが社会の自然であって、それを統合し て階級なき社会、国家なき社会、全員が均等の社会こそが人類の到達しうる究極の理想社会であるというのはただの幻想ですよ。だって、そんなものこれまで人 類はいちどだって見たことも作りだしたこともないんだし、それが「理想」だなんて、そんな社会が「住み心地がいい」なんて、誰に断言できるんですか。競合するさまざまなファクターが、共存しながらシステムとして安定しながら支え合い、刺激し合ってゆくというのが人問にとってというか、生物にとってはいちばん自然なあり方なんです。
(略)
 社会矛盾というのは絶対になくならない。対立も続く。絶対に折り合わない多様性というものもある。それ をなくそうとしても無理なんです。だから、それはそのままにしておいて、多様性のなかから引き出しうる最適性、利益の最大値を取り出すにはどうすればいいかということを考えることが、社会理論としてはいちばんたいせつな仕事だと思うんです。(『期間限定の思想』巻末ロングインタビュー)

期せずして内田樹は支配者の思想を語っています。平等な社会は幻想で、多様性のなかから最適値を求めるのが人間にとってもっとも自然なあり方という理念は観察する理性としてしか言いえない。だから「社会矛盾というのは絶対になくならない。対立も続く。絶対に折り合わない」といってしまえば振り出しに戻って現実そのものが覆い被さってくる。利害の調停者として内田樹は発言します。自己の学問を棚上げした学者の安保法案への反対声明もおなじ発想です。わたしは与しません。内田樹の信奉する理念から人間が平等であることも自由ということの根源も導くことはできません。強者、あるいは勝者としてしか可能とならない思考の様式です。それは現実そのものと変わらないのです。なぜこのようなばかげた結論から現実を説明することしかできないのか。わたしには内田樹を代表格とするリベラリストの思考の制約がよく見えます。「情況について」書く由縁がここにあります。

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「大衆」の変遷について内田樹はつぎのように発言しています。

私自身は高校生のときから大学院生の頃まで吉本隆明の忠実な読者だったが、その後、しだいに疎遠になり、埴谷雄高との「コム・デ・ギャルソン論争」を機に読まなくなった。その消息については別のところに書いたのでもう繰り返さない。たぶんその頃、吉本がそれまで政治評論において切り札として使っていた「大衆」という言葉に不意にリアリティを感じられなくなってしまったからだろうと思う。それは吉本のせいではない。彼がその代弁者を任じていた、貧しくはあるが生活者としての知恵と自己規律を備えていた「大衆」なるものが、バブル経済の予兆の中でしだいに変容し、ついには物欲と自己肥大で膨れあがった奇怪なマッスに変貌してしまったことに私自身がうんざりしたからである。マッスに思想はないし、むろん代弁者も要さない。そんな仕事は電通とマガジンハウスに任せておけばいい。私はそんな尖った気分で吉本の「大衆論」に背を向けてしまった。

60年代に吉本隆明は「大衆の原像」というつよい喚起力を持つ言葉を携えて登場した。そして、戦前からの左翼運動が一度として疑ったことのない「革命的前衛が同伴知識人を従えて大衆を領導する」という古典的な政治革命の図式を転倒させてみせた。それはたしかに足が震えるような衝撃だった。

吉本は大日本帝国臣民という仮想的な立ち位置から戦後思想を撃つというトリッキーな戦術によって一時期圧倒的な思想的アドバンテージを確保した。しかし、吉本のアドバンテージもまた歴史的条件によって規定されたものである以上、時間の経過とともに消失してゆくのはやむを得ないことであった。日本人のほとんどが「大日本帝国臣民である生活者」たちの相貌についての記憶を失った1980年代に、日本人は吉本隆明の「大衆」という言葉が何を指示しているのかしだいにわからなくなった。そのとき吉本隆明の政治思想の批評性がその例外的な「切っ先」の鋭さを失ってしまったとしても、それは歴史の自然過程という他ない。

内田樹の「大衆の変遷」は情感あふれた優れた吉本論です。若い頃吉本隆明の思想に接して足が震える衝撃をうけた内田樹が、吉本隆明の埴谷雄高との「コム・デ・ギャルソン論争」をきっかけに縁を切った経緯が述べられている。バブル経済の迫り来るなかで吉本隆明の大衆を語る言葉にリアリティを感じられなくなった。そういうことが書かれている。「物欲と自己肥大で膨れあがった奇怪なマッスに変貌してしまったことに私自身がうんざりしたからである。マッスに思想はないし、むろん代弁者も要さない。そんな仕事は電通とマガジンハウスに任せておけばいい」と吉本隆明の思想を切り捨てています。ここは思想の生き死にに関わるすごく大事なところだとわたしは思います。
消費社会の興隆するなかで吉本隆明自身が思想の大転換をしたとくり返し語ってきた箇所を内田樹が指摘しています。

この思想の大転換について吉本隆明はつぎのように語っています。この「転向」以前の吉本隆明の思想の流儀は、自己にとって切実なことはほかのだれにとっても切実であるはずだというつよい思い込みがあって、そこに吉本隆明の精神の垂直性があり、それがかれの思想の魅力の源でした。当時おおくの若者が虜になったのです。内田樹もわたしもその一人だった。そこで吉本隆明の「転向」表明。消費社会が興隆してくるなかで発想の転換をしないと時代に振り切られるという切迫感が吉本隆明の内部で起こります。この時期に吉本隆明は多くの読者を失います。

 ですから、僕は「転向」したわけでも、左翼から右翼になったわけでもない。旧来の「左翼」が成り立たない以上、そういう左翼性は持たないというだけです。だから僕は「転向」したと言われても一向に構いません。これは僕らが旧左翼のすべてを保守化、反動化と呼ぶのと同じことですから。自分自身では「新・新左翼」と自己定義しています。
 そして「七二年頃にどうやら時代の大転換があった」と分析ができてからは、挫折の季節を経てなお、かつての考え方にしがみついている人々とのつきあいは免除してもらうことにしました。これまでは、責任がないわけではない、と思ってきましたが、時代が変わってしまったんだから罪償感もこれきりにさせてもらおう、つきあいにエネルギーを費やすのではなく、自分の考え方を展開して公にすることにエネルギーを使おう、と考えるようにしています。(『わが「転向」』21p)

社会が途方もない変貌と遂げるなかで思考も転換するしかないという吉本隆明の判断がありました。この時期以降精力的にイメージ論を展開します。時代を吉本さんは読み違えたのです。そのことについてはすでにたくさん言及してきたのでここでは触れない。吉本さんの大衆への愛は挫折しました。わたしはイメージ論までは後追いしましたが、1990年に吉本さんと対談をして吉本さんの思想とは異なる考えを内包論として持続的に考えています。対談のなかで「あなたはもっとあなたに関心のないことを考えたがいい」と言われました。「わたしは奥行きのある点という概念で吉本さんの思想を拡張しつつある」と答えました。

わたしは内包論をすすめるなかで、吉本隆明の思想も自己意識の外延表現に包含されると考えました。かつて天皇のためなら死ねると思い決めた日本帝国の草莽の臣であった自分の半身が擬制であるなら戦後の民主主義の理念も擬制であるというのが吉本隆明の思想の立ち位置でした。わたしの青年期、吉本隆明の思想は時代に屹立していましたが、消費社会の消費主体に思想の意味を与えようとして時代を読み違えてしまったのです。
しかしわたしは吉本隆明の思考の変換も、邪悪な極左体験を経て民主主義を信奉するに至った内田樹の思考変換もともに同型であると理解しています。吉本隆明は市民主義の彼方を志向し、内田樹は理想の追求を断念し、民主主義を信じることに思考の立ち位置を求めました。その違いは明らかですが、言説が自己意識の外延表現に閉じられている意味では意識の範型としてはまったく同型なのです。

吉本隆明と埴谷雄高のコムデギャルソン論争は1984年。それから時代は30年を経過しました。日本総中流の幻想は遠い過去のことで超格差社会が現前しています。グローバリゼーションが席巻する社会で、生存は剥きだしの日々に晒されています。ハイパーリアルな剥きだしの生存を自由と民主主義の理念が迎え撃つことができるか。まったくできません。かつて吉本隆明の消費社会の肯定の理念についていけなくなった内田樹は現実から出発した。理想を追い求めるのではなく、「民主主義はよいものだ。絶対的な正義を一義的に決定することは不可能だが、相対的な正義と『よりましな社会』の実現をめざして、話し合うことはできる」ものとして。この理念の立ち位置はのどかすぎます。民主主義の理念は現実と剥離している。勝者にとって、強者にとってじつに喉越しのいい理念だ。

意識の外延的な範型では利己と利他は矛盾してあらわれます。それが人間の自然です。生存権や基本的人権はモナドとしての自己に建前として付与されますが、自己と第三者は矛盾や対立として現象します。だからその対立や背反を調停する理念として民主主義が要請されたわけです。ほんとうに「ここにある秩序以上の秩序」は存在しないのか。わたしはそうは思わない。わたしたちの歴史は同一性に閉じられています。そこでは我が身かわいさがもっとも基本的な生存の様式です。内田樹の言うように、ここでは勝者がいて敗者がいることが前提です。自己意識の外延表現をたどるかぎり歴史としては民主主義が最終的なものではないかと思います。しかしこの理念の下では自己の陶冶は他者への配慮と矛盾するものとしてしかあらわれません。そのことを内田樹は表明していることになります。

    7
民主主義は西欧近代に発祥する時代性を刻印された期間限定の理念です。世界の無言の条理から目を逸らすための美しい虚偽です。ツエランは言いました。「私が私であるとき、私はきみだ」と。そのツエランの「言葉」の場所が好きです。

もろもろの喪失のただなかで、ただ「言葉」だけが、手に届くもの、身近なもの、失われていないものとして残りました。それ、言葉だけが、失われていないものとして残りました。そうです。しかしその言葉にしても、みずからのあてどなさの中を、おそるべき沈黙の中を、死をもたらす弁舌の千もの闇の中を来なければなりませんでした。言葉はこれらをくぐり抜けて来、しかも、起こったことに対しては一言も発することができませんでした―しかし言葉はこれらの出来事の中を抜けていったのです。抜けて行き、ふたたび、明るいところに出ることができました―すべての出来事に「ゆたかにされて」(ハンザ自由都市ブレーメン文学賞受賞の際の挨拶)

ツエランは世界の無言の条理のただなかを生きたのです。こういう機会は内田樹には訪れませんでした。「ここにある秩序以上の秩序」はないものとしてかれは生きていくことができたのです。そういう生き方しか内田樹はできなかった。わたしには内田樹の言葉の始まる場所が見えません。かれは生きるということについて、体験について、間違った一般化をしています。この意識は権力です。きわめて政治的な言説です。もう一度、内田樹の言葉を引用します。

「私」は無垢であり、邪悪で強力なものが「外部」にあって、「私」の自己実現や自己認識を妨害している。そういう話型で「自分についての物語」を編み上げようとする人間は、老若男女を問わず、みんな「子ども」だ。
 こういう精神のあり方が社会秩序にとって、潜在的にどれほど危険なものかはヒトラー・ユーゲントや紅衛兵や全共闘の事例からも知れるだろう。(『期間限定の思想』)

読者よ、おわかりいただけるでしょうか。。。ツエランと内田樹の言葉の違いが。
読者よ、おわかりいただけるでしょうか。。。「なぜ神を放棄してはならないのか。絶滅収容所で神が不在であった以上、そこには悪魔が紛れもなく現存していたからだ」というレヴィナスの祈りと内田樹の言葉の違いが。
そこにいてそこを生きるということは、そこを貫通するということです。そこにしか固有の生はないのです。ただじぶんを生きるということはそういうことです。そこに歩く浄土が意思と関係なく立ちあらわれます。ひとが平等であるということは理念ではなく、事実です。そこは圧倒的に善で、悪は枝葉末節なのです。民主主義の理念は間違った一般化しかできません。

ひとはなぜ平等か。
ひとはなぜ自由か。
なぜ友愛があるのか。

自己はそれ自体としては端的に空虚です。
自己に先立つなにかとのつながりにおいてのみ、ひとは平等で自由です。
自由や平等は理念ではなく事実です。目の前に焼酎の氷割りのコップがあるのとおなじです。ああ、今日も暑かったというのは理念ではなく体験的な事実です。それとまったくおなじです。理念の入り込む余地はありません。もちろん知識であるはずがない。ひとが平等で自由ということは事実です。そこに石ころがあるのとおなじです。

根源の性を分有するという事実においてひとは平等。
根源の性を分有するという事実においてひとは自由。
根源の性を分有するという事実においてひとは互いに内包的な家族となる。

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