日々愚案

歩く浄土50:情況論1

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近々、戦争法案が国会で可決の見込みと報道されている。事態は切迫しています。特別機密保護法案が一昨年の秋に可決され法制化しました。ここで戦争法案が可決され集団的自衛権が行使できるようになるとオカルト安倍の悲願である戦争のできる国になります。戦後の70年は瓦解します。TPP法案も戦争法案と連動しています。激動する国際情勢の中にいやおうなく巻き込まれることになります。為す術もない状況の只中でなにを、どう考えればいいのか。状況を論じながら状況の根柢にとどく、歩く浄土の可能性を内包論から考えます。当事者性ということの深い意味から状況をねじ伏せることは可能だと思います。わたしはその可能性を手放す気はありません。事態が開かれる可能性の中心にむかってひた走ります。

「切迫する状況」で3つの論考を取りあげる。
1:伊勢﨑賢治の『本当の戦争の話をしよう』
2:佐々木俊尚の『21世紀の自由論』
3:内田樹の「対米従属を通じて『戦争ができる国』へ」「言論の自由について再論」

この3つのすぐれた論考を読み解いていくと内包論の可能性がはっきりとした輪郭をもってくることに気づきました。それぞれの論者の立ち位置も作法も違いますが、なにかひとつの可能性が浮かびあがってくるのです。そこを内包論の言葉でつまみだします。
このブログは「切迫する状況1」とします。

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国際紛争を調停してきた伊勢崎賢治さんの『本当の戦争の話をしよう』は卓越した実務家の現場報告です。この本を読んでずいぶん気持ちが楽になりました。数年来はじめての経験です。国連の側からですが柔軟な思考と骨太い気風が感じられてかれの語ることに惹きつけられました。真剣に一気に読みました。教条的にではなく現場に即して語るという流儀がかれの際だった特徴です。紛争調停の現場にこういう人がいることを知っただけでもこの本を読んでよかったと思いました。

紛争の現場とはなにか。内包論からすると精神の古代形象が発現された現場となります。殺戮の応酬という修羅場に分け入り、その紛争を調停するのがかれのやった仕事です。よく正気を失わずにやれたものだと感嘆します。なぜそういうことがやれたのかこの本だけではまだわかりません。なにか強靱なものがかれのなかにあるという気がします。
じぶんのした仕事を誇ることも倫理的になることもないのです。なにか稀有な気風があります。まずかれの立ち位置というところから『本当の戦争の話をしよう』に分け入ります。

①伊勢﨑賢治のプロフィールと『本当の戦争の話をしよう』のまとめ
僕は、20歳そこそこで日本を飛び出し、それ以来、ずっとやってきたのは、「他人の問題」を扱うことです。貧困問題や紛争をひとつの災害と捉えるなら、常に被災者と向き合ってきたという自負があります。でも、僕と、彼らのあいだには、見えないけれど分厚い壁があります。僕は、彼らの抱える問題のおかげで食い扶持を得てきた。だから、決して彼らに「同化」することはありませんし、そうしようと思ったこともありません。
 そうして得た経験を、人前で話す機会に恵まれるようにもなった。今では一応、大学の先生です。毎日のように学生に話しますが、僕と彼らとのあいだにも、同じ壁があります。彼らは、学費を納めるということにおいて、僕の話の対価を払っている。にもかかわらず、僕には彼らを落第させる権力がある。
 こんな過去と現在の僕ですが、君たちとの「講義」は……初めての経験だったなー(笑)。
君たちと僕のあいだには、金銭的関係はまったくない。君たちにとって、僕の話に付き合うのも別に義務じゃない。どちらかというと、これを本にして印税を得る僕のほうが、みんなに依存している (笑)。
 そして、君たちは、現在進行形の被災者であること。東京にいて福島を傍観している僕とのあいだには壁が存在するけど、その厚さは、それほどでもない。同じ日本に暮らしているし、同化しょうと思えば、すぐに同化できる距離。だから、被災という苦労を知っている君たちに対して、ちょっとした畏怖の念と劣等感が、どうしてもあるんだよな、僕のなかに。

―私が衝撃だったのは、ビンラディンとかタリバンが、もともとは真面目なイスラム教徒だったことです。いろいろ知っていくうちに、自分の考えがかきまわされて……。(高校生の発言―森崎注)

 今でも、すっごい真面目だと思うよ(笑)。オサマ・ビンラデインは死んでしまったけど、知っている何人かのタリバンの幹部は、ほんと一途だよね。まっすぐで潔癖で純粋。僕の頭なんか雑念ばかりだもん。

 でも、これからインターネットは今以上に進化して、押しつけるヒマもなく、おおらかさを準備するヒマもなく、価値観が取っ組み合いをするんだろうね。ちょっと下世話な話題になるけど、どんなに戒律が厳しいイスラム国家でも、西洋のポルノを観ることができちゃう。敬虔なイスラム国家ではとんでもないことだよね。でも、若者は観たい! お互い不干渉を貫くのは、しようと思っても無理なんだよな。
 それに、どんな国においても、教育は基本的に、大人から子供への価値観の押し付けだよね。アフガニスタンの復興では、僕らは、価値観の押し付けという言葉は使わなかった。啓蒙っていう言葉を使う。

―啓蒙……。(高校生の発言―森崎注)

 おっかない言葉だね。内面から覚醒させてあげるって感じかな。結局は、押し付けなんだけどね。啓蒙というものが、本当にあるとしたら、心底カッコいい先達がいて、それに直接接触せずに遠くから眺めて、じっくり観察し、自分なりに時間をかけて咀嚼し、そいつに言われるんじゃなくて、自分で自分を、自分に合った方法で変えることかな。国際関係でも、日常生活でも、そういうクールな存在、なかなかいないね。

うん。知ることって大事だけど、でも、知らないことをあまり問題だと考えなくてもいいと思うよ。知るっていっても、誰だってすべては無理。アルジャジーラ(カタールの衛星テレビ)のライブ放送なんか見てるとね、世界の津々浦々の紛争バーゲンセールみたいで、全部消化するのは僕も無理。「今、シリアが大変なことになっているけど、俺、アフガン専門だから、ま、いいか」みたいに、意識の外に置いちゃうことがあるんだ。だから、「今、世界、大変なことになっているけど、俺、来年受験だし」みたいでも、全然文句言えない(笑)。
 そもそも悪は、正義がないと成立しない。民主主義だったり、自由だったり、平和だったり。それを脅かすものが「悪」になる。「悪を倒す」って、字面からしたらいいことに決まっているから、僕らは、これからも「悪」を倒しつづけるのかな……。でも、なるべく人の血が流れないような方法でやれれば、それに越したことはないよね。
 そして、どんな「正義」の熱狂のなかにあっても、僕らの正義を「悪」のほうから見ようとする少数意見は大事なんだろう。たぶんいつでも圧倒的な少数派なんだろうけれど。このことを頭の片隅に入れておく。これだけで十分だと思うよ。
 これで授業はおしまい。(『本当の戦争の話をしよう』413~415p)

これは福島県立高校の生徒と伊勢﨑賢治さんとの連続講義というかたちのセッションです。なにより伊勢﨑賢治という人物に欺瞞と教条主義的なジハードがないことが読んでいていやな気持ちにならなかったいちばんの理由だと思います。かれは仕事として紛争調停をやったということに自覚的です。そのことに好感をもちます。

②伊勢﨑賢治のみる日本の主権意識
 ビンラデイン殺害は、アメリカにとって、たいへん大きな外交リスクだったのは、当たり前です。主権侵害といった国際法上の問題は、アメリカ自身がわかっていたはずだから。加えて、ビンラデインの殺害が、死後、彼をより神格化させる方向に作用するリスクもわかっていたと思う。
 でも、最大のリスクは、「イスラム国家でありながら同じイスラム教徒の友人を異教徒アメリカに売った卑怯者の政府」と、国民に思わせてしまったことです。パキスタン自身が自ら過激化に抗する免疫力を、アメリカが弱体化させてしまった。
 それでもアメリカは殺害計画を敢行した。前任者のブッシュさんが始めた戦争とはいえ、戦争がらみの外交政策ではパッとしなかったオバマさん。支持率が低下気味だったこともあり、やっぱり「復讐の達成」を選んだのだね。
 インドと戦火を交え、国内に分離独立運動を抱え、アメリカに攻撃されているパキスタン国民の主権意識は非常に敏感です。
 日本人は、どうでしょう。そこまでの主権意識はあるかな。歌舞伎町でオサマ・ビンラデインの奇襲作戦があったとして、日本政府が「知らなかった」と言ったとしても、主権侵害だと怒る人はいるだろうけど、へーつ、で終わっちゃうんじゃないかなと、僕も思う。アメリカの違法性云々より、国会で野党が政府の危機管理体制を糾弾するだけだったりして。
 2004年、沖縄で、普天間飛行場から飛び立ったアメリカ軍のヘリコプターが墜落する事件が起きました。沖縄国際大学という、普天間基地のすぐ近くにある私立大学のなかに落ちたのですが、幸い、日本人の負傷者はいませんでした。このとき、日本の消防車も警察も、一切そこに近づくことはできなかった。アメリカ軍が日本の私有地にバリケードをつくって封鎖し、日本人の誰をも立ち入らせなかった。
 僕は、アフガニスタンやイラク出身の学生を沖縄に連れて行く際、この大学と交流するんだ。交流後、彼らはどう感じるかというと、「現場には事故を忘れないための記念碑が建っているものの、あまり大きな反対運動は起こっていない。なんだかんだ言っても、アメリカとうまくやってるじゃない」と。彼らの国では、アメリカへの抵抗は、自爆テロだからね。
 これは別に、日本人を腰抜けだとバカにしているのではないよ。日本人がもつ、この偉大な許容力と寛容性は、どこからくるのだ?と、興味をもつみたい。
 沖縄国際大学の事件は、日本人にとって主権とは何かを考えさせるものだったけど、パキスタンでナショナリズムを刺激したように、日本でも右翼の人たちを刺激しそうだよね。でも右翼が怒っている様子はあまり見えない。どうしてだろう。右翼の敵、左翼は、おしなべて沖縄米軍基地反対だからかな。反応すると、右翼と左翼という対立軸が崩れちゃうから。
 だったら、日本人にとって主権とは、右・左のイデオロギーを超えて団結しなきやならないシリアスな問題ではない、ってことだろうか。我々の主権意識というのはその程度かもしれない。でも、この不感症が〝平和″の源かもね(笑)。
 だからこそ、アメリカ軍が歌舞伎町で奇襲作戦をすることは十分可能で、なおかつ国際法的な違法性への誹りをかわすには、日本は最適な場所だったのかもしれません。(同前80~82p)

③推定20万人を殺戮したインドネシアから東ティモールが独立する
 多国籍軍は、併合派民兵たちを効果的に鎮圧しました。でも、この作戦は、最初から楽勝だった。もともと併合派民兵は、インドネシア軍と警察の下働き的な存在で、住民を威嚇するのが主な仕事だった連中です。高度な軍事訓練を受けていたわけではない。独立派ゲリラのように、ゲリラ戦術を習得していたわけでもない。それに対して、先進国オーストラリアをリーダーに、武装へリ、装甲車で高度に武装した軍隊が襲いかかる。勝負になりません。軽装備のチンピラたちを圧倒的な武力で追いつめ、撃ち殺したんですね。悪い奴らでも、ちょっと同情しちゃう。でも、この作戦は、「人道的軍事介入」の成功例として、今でも国際社会で称賛されているのです。
 こうして、インドネシアが出て行って「政府」の空白ができたところで、国連がその「主権」を一時的に預かり、国家をゼロから立ち上げるのですが、僕は、東ティモールに13ある県のひとつ、コバリマの県知事に任命されました。国連から派遣された行政官です。
 コバリマは、インドネシア側の西ティモールとの国境地域でした。西ティモール側に逃げていった併合派民兵の残党が、まだあきらめきれず、散発的な攻撃をしかけてくるので、多国籍軍が常駐し、知事の僕が統括していたのです(僕は軍人ではないので、日々の軍の指揮は司令官がしますが、住民を巻き込む軍事作戦をやるときの政治判断や地元社会との調整、そして国連警察との連携は、すべて僕が決める)。キウイの国、ニュージーランドの戦闘一個大隊600名と、パキスタンの工兵一個大隊600名です。
 ある日、ニュージーランド軍の小部隊が国境付近をパトロール中、併合派民兵のグループによる待ち伏せ攻撃を受けて、兵士がひとり行方不明になりました。若い、一番下のランクの歩兵だった。すぐに捜索が開始されますが、数日後、ジャングルのなかで遺体となった彼が発見される。喉がかき切られて、耳がなくなっていた。司法解剖で、銃弾を受けて絶命した後に死体が傷つけられたとわかった。これでニュージーランド軍はいきり立ちました。僕自身もです。こんなことをする奴らは人間じゃないと。
 そして、この犯行グループが、まだこちら側の領内にいるという住民からの目撃情報を受け、復讐戦が始まった。僕はニュージーランド軍司令官の要請を許可して、部隊の武器使用基準を緩めてしまったのです。
 もともと、この国連平和維持軍は、戦争ではなく、新しい国家の復興を側面支援するために投入されているから、むやみに殺傷しないように武器の使用基準を厳しく定めています。正当防衛以外の目的では発砲できません。撃つ前にちゃんと警告しなくてはならない。それを僕らは、敵を目視したら警告なしで発砲できるというふうに変えた。
 そして、たかだか10名ぐらいの、補給路を断たれて敗走する敵を、武装ヘリも使って総出で追い詰め、全員射殺してしまったのです。蜂の巣にしちゃった。
 併合派民兵は、前に説明したアメリカ国防総省の定義に照らしても、一番わかりやすいテロリストです。だから、僕らは彼らの人権を考えようともしなかった。国連として、この掃討作戦の正当性を問う兆しは、当時も今もありません。後悔とも言えない奇妙な後ろめたさが、当時を思い出すたびに、僕を襲います。
 この僕自身の経験から、明確に言えることがあります。「テロリスト」の人権は、考慮されないということです。別の言葉で言うと、人間を、その人権を考えずに殺すには、「テロリスト」と呼べばいいのです。(同前90~92p)

④ビンラディンの人権についての伊勢﨑賢治の考え
 この大っぴらな暗殺を、このまま認めてしまえば、アメリカは、脅威を及ぼす者がいれば、その者がどこにいようと、何の手続きもなしで対処する権利を有する、もしくは地球全体が常時、アメリカの戦場であるということの追認になってしまう。
 ビンラデインが「戦争の相手」ではなく「大量殺人の容疑者」なら、アメリカの法律に照らしても、刑事手続きが必要です。もしパキスタン政府がこの作戦を承認していたのであれば、パキスタン国内法に照らし合わせて、まずパキスタン警察を主体に、アメリカと協力して逮捕、検挙できたのかもしれません。
 今、アメリカ国民の大半は、ビンラデインの殺害を支持しているようです。9・11の被害当事者として、それは感情的にしかたがないのかもしれません。

 でも、一方で、原則論を言いつづける努力も必要だと思います。世の中は、結局、原則論とご都合主義のバランスで動いてゆくのでしょう。僕自身、原則論者ではないけれど、そのご都合主義があんまり行き過ぎないように、ブレーキは常に必要だと思う。ここでいう原則論とは、「人権」という概念です。法という名の下に、すべての人間が、どんなにとんでもない重罪人であろうと、平等であるという原則です。(同前110~111p)

⑤シエラレオネの革命―50万人の犠牲者と自警団の暴走
 1991年、腐敗した政権を倒そうとする「革命」が起きました。それが、RUF(革命統一戦線)という反政府ゲリラです。年寄りたちが牛耳る旧態依然の社会を一掃したいと、とくに若者層の支持を多く引きつけていった。彼らの革命ソングは泣かせるよ。「僕らの任務はシエラレオネを救うこと 僕らの任務は人々を救うこと 僕らの任務は祖国を救うこと」。
 革命というのは、悪い奴らだけを、できるだけ短期間に殺して政権を倒してしまえば、後世になって歴史は肯定するのかもしれない。でも、どこかで歯車が狂い、ズルズル長引くと、単なる大量殺人になってゆく。ゲリラというのは、君たちのようなふつうのお兄ちゃんたちが、大した訓練もなくいきなり銃をもたされて戦うみたいな感じ。通常の軍隊なら、まず大切なのは、食料、弾薬等の補給線の確保です。これがなかったら戦争にならない。
 ゲリラは、基本的に現場調達です。当初はいくらか補給ができても、戦いが長引けば簡単に絶たれてしまう。当然、お腹が減ります。すると農民たちに、革命への「協力」を無心するようになる。貧しい農民がそれを渋ると、「革命に協力しないのか、じゃあ、お前は政府側の人間だな」と、略奪し、さらに殺害をもするようになる。本来、革命が解放すべき民衆を、革命が殺し始めるのです。
 こうして民衆にとって、いつ襲ってくるかわからないゲリラの恐怖に怯える時代が始まります。だけど、政府は何もしてくれない。
 僕が暮らしていたマケニもそういう状態でした。そこで市会議員の僕は、議会で、ある提案をします。自警団をつくることです。警察署長が全面的に賛成してくれて、満場一致で賛同されました。すぐに勇気ある屈強な若者が20名ぐらい名乗り出てくれた。警棒や槍、本当に撃てるかどうかわからない旧式の猟銃などで気勢をあげ始めます。
 僕は資金援助を申し出た。民間警備会社を雇う金にくらべたら、微々たるものです。タダで良いメシがたらふく食えると噂を聞いて、どんどん志願者が増え、100人くらいになったでしょうか。町ぐるみの自警団の誕生です。
 マケニ自警団は、僕の家と事務所を優先して巡回し、家族を守りたい僕にとっても心強いし、一般市民の評判も上々。言い出しっぺの僕は非常に鼻が高かったのですが、だんだん自警団の行き過ぎた行動が目につくようになるのです。
 ゲリラが町を狙うときには、まず、一般人のふりをした偵察要員を送り込んでくるんだ。だから、自警団は、路線バスのターミナルで乗降客一人ひとりの身体検査を始めました。見ない顔がいると、「どこから来たんだ」と尋問する。始めはそれだけで済んでいたのに、隣の町でゲリラを拘束したとか噂が立つと、切羽詰まってくる。尋問した相手がちょっとでも抵抗すると、暴力を使うようになり、みんなでボコボコにするようなリンチ事件も起こるようになってしまった。警察も見て見ぬ振りです。
 そうこうしているうち、ついに人を殺してしまった。それもボコボコにしたあと、後ろ手に縛り、どつきながら町を行進するのです。「RUFだ。ゲリラのスパイだ」とはやし立てながら。捕まった彼は、もうヨレヨレで声を上げるカも残っていないようだった。
 僕は、ちょうどそこを自動車で通りかかったのですが、僕の現地人運転手は(すごく気だての良い優しい奴でした)急停車し、車から飛び降り、その容疑者を殴り始めたのです。笑いながら。そして、群衆が大きくなると、自警団のメンバーは、用意しておいた古タイヤを彼の背の高さまでかぶせて灯油をまき、それに火をつけて焼き殺してしまいました……。僕は、車内でじっと静観していただけです。僕が直接目撃したのはこれだけでしたが、この「タイヤ焼き」は町のひとつの流行になってしまいました。(同前178~182p)

⑥シエラレオネの少年兵
 僕の経験において、戦前・戦中・戦後のすべてにかかわったのが、シエラレオネです。2章で、国際NGOの責任者でありながら議員を務め、町の自警団を組織したことを話したね(178ページ)。僕は、ゲリラが日常生活に入り込んでくるような状況で、この国を離れます。
 その後、2001年、国連から要請があって、国連平和維持活動の一員としてシエラレオネに戻ることになります。戦争を終わらせるためにゲリラ組織と交渉し、銃をおろさせる「武装解除」の責任者をやってくれと言われた。1年かけて、約5万人の戦闘員を投降させ、この内戦は終結しました。

 アメリカが仲介したシエラレオネ政府と反政府ゲリラRUFとの停戦合意は、1999年、トーゴの首都、ロメで締結されたのでロメ合意といいますが、この内容がすごかった。まず50万人の一般市民を犠牲にしたといわれる戦争犯罪を、完全に赦しちゃう。ルワンダのように真実の究明をやり、首謀者を戦争犯罪法廷で裁くのではなく、ぜーんぶ赦しちゃう。それだけじゃなく、RUFのドンだったフォデイ・サンコゥという人物を副大統領にしちゃう……。これには国際社会がビックリした。こんなことをされては「人権」がもたないと。
 でも、じゃあ、10年間続いた血みどろの内戦を止める方法がこれ以外にあるのか?と問われると、みんな黙るしかない。国連は静観するどころか、その直後、この合意をベースにして、僕が送られることになる国連平和維持活動を発動させたのだから。

 シエラレオネの内戦は、部族間の戦争ではなく「世代戦争」といえます。旧態依然の腐り切った社会をぶっ壊そうという革命で始まり、反政府ゲリラ組織RUFが掲げる革命思想に若い人たちがどんどん引きつけられていきました。革命が内戦化し、長期化の兆しがあらわれると、この「若さ」に歯止めが利かなくなってきた。小さい子供が使われ始めたのです。
 子供が兵士としてリクルートされるときは、だいたいこんなプロセスを踏みます。ゲリラが村々を襲うと、まず親を子供の前で殺します。10歳に満たない子供です。当然、ショック状態で思考が停止する。その状態の子供たちをジャングルの基地に拉致するのです。ここから殺人ロボットに仕立てるべく、洗脳教育が始まる。そして村の襲撃に同行させられ、試し殺しをさせられます。麻薬が使われることもある。人を殺す心理上の障壁を乗り越えさせる工夫がなされるようです。これを乗り越えれば、子供は、まさにゲーム感覚で殺人を始めます。殺した数や、より残虐な殺し方を競うようにさえなる。

 武装解除のときに遭遇したゲリラ兵士のなかで、いちばん多かったのは君たちの年代かな。18歳は年長のほうだった。16歳ぐらいの子供兵は、たぶん10歳前後でリクルートされ、そのあいだ、親や家族もなく教育も受けず、ただ略奪すること、殺すこと、女の子をレイプすることしかやっていない。これにくらべると、日本でどんなチンピラを見ても可愛くてしょうがないわけです。

 こういう部隊ほど、同じ殺傷行為でも、筆舌に尽くし難い行為をやりました。そのひとつが、シエラレオネの内戦をある意味有名にした、民衆、とくに同じ子供、乳幼児の手足を生きたまま切断するという行為です。
 このように、子供がいくら残酷なことをやっても、彼らは常に「被害者」です。子供は自分の意志で兵士になったわけじゃない。何人殺しても、大人より残虐な殺し方をしても、悪いのは、そういう子供をつくった大人なのです。……と、子供の福祉を扱うユニセフのような専門組織だけでなく、国連や数ある人権団体、広く人権派と呼ばれる人たちは誰でもこう考えるし、僕たち国際社会を支配する考え方でもあります。
 でも、僕は、武装解除の現場で、誰よりも先にこの子たちと対峙し、そういう考えを志向する大人、そして国際社会の期待に応える処世術を身につける前の彼らの本音に、否応なしに触れることになります。

 何がきっかけでゲリラに入隊したかを語ってくれる子もいます。そこには国際社会にとって「不都合な真実」が存在する。無理矢理、兵士にさせられた子供たちもいましたが、自分の意志でゲリラに加わった子も相当数いたのです。
 加入の動機は簡単、カッコいいからです。カッコいいお兄ちゃんたちのマネをしたい。銃をもてば、今まで絶対的に見えた大人がひざまずく。そして、集団で肩で風切る心地よさ。君たちでも感覚としてわかるでしょう。暴走族のノリだね。

 一方で、僕たちは子供たちに、確実にひとつのメッセージを送ってしまいました。「ひとり、ふたりを殺すと殺人罪に問われて死刑にもなる。しかし、千人単位で殺せば国際紛争という扱いになり、許されるだけじゃなく恩恵までもらえる」と。(同前304~321p)

⑦9条とグローバルテロリズム
 でも、アメリカが9条をなくしたがっているかというと、Yes and Noという感じかな。9条には〝狂犬″日本を二度と歯向かわせないという側面があります。アメリカにとって「保険」になっているでしょうね。一方で、経済成長した日本にアメリカ製の高価な武器を買わせたいという意図もあるだろうから、「自分の足で立てよ」なんて言ってみた。する。あんなデカい国、ひとつに括れるわけがないけど、アメリカの本音はそのあいだをウロウロしているんじゃないかな。

 これからの近未来を支配するのは、「テロリスト」というやっかいな敵を想定した、出口のない戦争です。アフガニスタン周辺だけでなく、中東、イスラム教徒の貧困層を抱える北アフリカなど、「テロリスト」の増殖は止められそうもない。この敵は、民衆のなかに生息するため「監視」が必要になります。国家、そしてアメリカを中心にした国家間の諜報ネットワークが国民や社会を監視する……住みにくい世の中になっていくでしょうが。

 僕も、日本をシャキッとさせなきゃと、発言している部類に入れられているのかもしれない。それはともかく、アメリカに依存した日本の平和への脅威というものを、理解してもらう主張をしなければと思っています。そろそろ本腰を入れて「テロリスト」と向き合わないと、日本にとって大変なことになるんじゃないか。これもひとつのセキュリタイゼーションだね。でも、それは、必ずしもテロリストと「戦う」ことではありません。
 アメリカ軍は「人心掌握」をアフガン軍事戦略の基本に据えていると話したね。その考え方がアメリカ陸軍の基本方針となったのは、日本の自衛隊がイラクに派遣されていた2006年なんだ。このとき、日本国内では、「近くで行動している多国籍軍がもし攻撃されて戦闘に陥ったら、自衛隊は助けに行けるのか」が、「現場の正義」の問題として語られ、この正義が果たせない足棚は9条だと言われました。
 しかし、司令部のアメリカの立場からすると、ちょっと違う。同盟の多国籍軍のなかに、住民に安心感を与える部隊が少しはいたほうが「人心掌握」に良いに決まっている。
 事実、日本の自衛隊は、地元社会から信頼され、地域を統括するイスラムの指導者は、自衛隊を攻撃することを禁止するお触れ(ファトワーと言います)を出したりしたんだ。だから、米軍司令部的には、「撃たない自衛隊」は、アメリカの戦略にとってプラスであり、絶対に文句は言わなかったはずです。ドンパチだったら誰でもできるわけですから。 でも、イラクのことも、僕のアフガニスタンでの武装解除も、アメリカの戦争に引っぱられ、その後始末をさせられているに過ぎない。後始末で「主体性」を発揮してもな……。(同前373~377p)

伊勢﨑賢治の『本当の戦争の話をしよう』は引用①から引用⑦を読めば大要がつかめるように配列しました。護憲と改憲の是非についてはうんざりしながらも、戦争のできる国になればアメリカと対等になるという安倍晋三の妄想により、戦争法案の国会での可決が不可避な現状に苛立つ日々がある。
ネットで見つけた次の記事も現場を知る人の発言としてとてもわかりよいものでした。伊勢﨑賢治は集団的自衛権についてどう発言するのだろうかと気になっていましたが、明確に反対を主張しています。

⑧安保法制は阻止すべき。けれど、そこで終わらせてはいけない。
その1
http://www.magazine9.jp/article/other/19942/
その2
http://www.magazine9.jp/article/other/20036/

⑧のその1とその2は要約しようがないので、リンク先に跳んでお読み下さい。

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引用①で伊勢﨑賢治さんは、紛争の該当者と紛争を仲介した自己を取り違えていません。自分と彼らのあいだにはぶ厚い壁があると言っています。仲介の仕事への報酬で食い扶持を得てきたと。言葉に酔っていないし倫理的な脅迫をしていないのが気持ちいいです。同化しないとはっきり言っています。いい仕事をした人だと思います。アフガン内戦で逝った二〇〇万の犠牲者になり代わってアフガン現地の事情を代理する中村哲よりずっといいです。

引用⑧「安保法制は阻止すべき。けれど、そこで終わらせてはいけない」のその1で国連PKOの「保護する責任」について述べています。「歩く浄土48」で、政治学者遠藤乾の紹介する補完性の原理について触れました。それは「大きい集団は、小さな集団が自ら目的を達成できないときには、介入しなければならない」という理念です。現実的な理念です。国連のPKOも紛争の体験知からこういった理念を獲得したのだと思います。

 かつてのPKOはたしかに、紛争当事国の合意を得て活動し、停戦合意が破られたら、国連が「紛争の当事者」になってしまうのを恐れて撤退するというものでした。しかし、その結果として1994年のルワンダの大虐殺では、100万人を「見殺し」にすることになってしまった。その反省として「保護する責任」の考え方が生まれ、PKOのあり方も大きく変わってきました。つまり、当事国の同意や停戦合意とは関係なく、とにかく「住民を保護する」ことがPKOの最優先任務とされるようになってきたわけです。
 もちろん、それは内政干渉にほかなりません。「住民を助ける」ということは、本来であればその国家の役割。でも、その国家自体が住民を虐殺しているような場合は、国連が本来の国家に代わって「武力行使」する。つまり、以前のPKOが守っていた「中立性」をかなぐり捨てて、戦時国際法もしくは国際人道法上の紛争当事者になるということ。住民を攻撃する勢力に対しては、たとえ自分たちが攻撃されていなくても武力を行使するのです。

伊勢﨑賢治さんは喉元が凍りつく惨劇の現場で仕事として紛争調停をしてきた人ですが、大量虐殺の現場論としてはじつにまっとうなことを述べています。事件を実体化するところでは殺人は症例化され統計になります。最小の流血ですませるにはどういった手立てが可能かと発想されます。是非を論じてもそのことは致し方ないと思います。それが事件の現場ですから。伊勢﨑賢治さんのやったことを表現として考えるとべつの光景が浮かびあがってきます。凄惨な事件の現場は、わたしたちがもっている言葉の使用法では可視化できません。人倫のとどかぬ剥きだしの現実がそこにあります。だからこそわたしたちは土地柄に応じた精神の風土を文化として培ってきたのです。そしてそれはじつに脆いのです。

そこに言葉をとどかせたいのですが、表現として事件を考えるとき、いくつか前提となることがあります。護憲か改憲かの不毛な論争についてもおなじことが前提となります。
戦争を可能とする集団的自衛権の是非を論じるときもそうですが、学者・知識人が集団的自衛権に反対の意思を表明し、市民がそれに連なり下働きをするという、知識やひとのつながりがあります。オカルト安倍が妄執の戦争を復活させようとすればするほど反対の意思の表明も退行します。安倍が目を頭の後ろにつけて進むにつれて、反安倍も後ろ向きに進むのです。奇妙な光景です。なにか知識人の反政府的言動が有効であるかのような錯覚がそこにあります。それはとうに滅んだ知識の型です。

現代の現在性をひらこうとすれば、まずいちばんはじめに知識人と大衆という図式をやめることが前提とされます。反政府や文化的言説でわたしたちの日々をひらくことはできません。このことが繰りこまれていない憲法やグローバルなテロリズムについて態度表明はまったく無効です。有効だとしたらそれは安倍とおなじ政治です。わたしはこの知識を否定します。どんなに迂遠でも政治のない世界をわたしはめざします。

ふるい知識の型を廃するときなにがそれに取って代わりうるか。腑に落ちるように納得したければ知識をインターネットから得ればいいのです。じぶんの頭と感覚で出来事を感得したいと思うならばネットで知識を得ることができます。世界最貧国からでもネットに接続すれば、世界最先端の知識に触れることができます。
受動的な世間知が虚偽であることはがん治療からもバランスのとれたカロリー制限食からもネットサーフィンすれば直ちに理解できます。もちろんそれは往相の知を可能とするというだけです。帰り道の知をネットの情報でうることはできません。還相の知は観念の自然過程とはまったくべつの出来事です。

これらのことを前提として伊勢﨑賢治さんの発言に踏み込みます。
伊勢﨑賢治さんはいくつもの紛争の修羅場を仕事として渡り歩いています。事件の当該者はいつもそのつどひとりです。出来事は残骸のように遺棄されます。国連のPKO活動はこのことを救抜することはできません。そのことを指弾したいのではないのです。ここに表現の課題があるということを指摘したいのです。
ルワンダの大虐殺は人道にたいする罪として裁かれますが、シエラレオネの大虐殺は殺害の実行者は無罪放免です。人を千人なぶり殺しにした少年兵もです。この世のしくみでは被殺害者は殺され損です。法治は現状に鑑み放棄されます。それが事件の現場の真相だと思います。
殺戮の吹き荒れた西アフリカや中央アフリカやパキスタンやアフガンや東ティモールの現場をわたしは知りませんが、わたしはわたしのこの身において世界の無言の条理を体験しました。むごいものでした。伊勢﨑賢治さんの本を読みながら体験がフラッシュバックしました。
世界は性善説で成り立ったいるわけではありません。邪悪なものが身近にあります。

ゲリラ兵士「加入の動機は簡単、カッコいいからです。カッコいいお兄ちゃんたちのマネをしたい。銃をもてば、今まで絶対的に見えた大人がひざまずく。そして、集団で肩で風切る心地よさ。君たちでも感覚としてわかるでしょう。暴走族のノリだね」と伊勢﨑賢治さんは言います。「こういう部隊ほど、同じ殺傷行為でも、筆舌に尽くし難い行為をやりました。そのひとつが、シエラレオネの内戦をある意味有名にした、民衆、とくに同じ子供、乳幼児の手足を生きたまま切断するという行為です」。

わたしはこの虐殺の真犯人は、自己を実有の根拠とする同一性と、この同一性をなぞるグローバルに展開される資金資本主義だと思います。為された犯罪を帳消しにできるといっているのではない。社会背景論を論じたいのでもない。どんな論じ方をしても内面化も社会化もできないと言いたいのだ。それが事件の現場だとわたしは思っています。むきだしの生存競争という時代にわたしたちはいま生きています。いま当面しています。邪悪なものとの対面と言ってもいいのです。無言の世界が現前するそのただなかで論じられない平和憲法護持は無効です。子を孫を戦地に送りたくないという母親の意見は愚劣です。そんな親にかぎって倒錯した濃厚医療を受けます。被圧迫や迫害の該当者が当事者ということではないのです。

わたしはグローバルに展開する電脳社会が無言の世界の条理を顕在化したと考えています。長い歴史の過程を経て部族間の衝突を回避したり仲介したりする生活の知恵を西欧列強が破壊し、文化も民族も無視して勝手に国境の線引きをし、その不手際を米国主導で手直しするほどに現地は混乱を極めているのだと理解しています。それは一身にて人類史を追体験するにひとしいのではないかと思います。そこにはテロを根絶やしにする理念と行為がいっそうテロを拡大するという矛盾があるのです。西欧近代由来の自由や人権の理念では歯が立ちません。長い伝統のなかで培った文化はかくも易々と破壊されるのです。おそらく人類史の規模での歴史の過程が現在という時間に凝縮されて現実となっています。倒錯と錯乱です。伊勢﨑賢治さんが言うように、ジハーディストも無料動画を見ることができます。教義と現実はもろに矛盾します。スマホで連絡を取り合います。そこで行使されるのは精神の古代形象です。身が心をかぎり、心が身をかぎるという心身一如という存在了解の初期不良にこの倒錯と惨劇が由来することは間違いないと思います。そしてそのことは他人事ではないのです。

伊勢﨑さんの発言からそのことがかすかに伺うことができます。かれは言っています。

どんな「正義」の熱狂のなかにあっても、僕らの正義を「悪」のほうから見ようとする少数意見は大事なんだろう。たぶんいつでも圧倒的な少数派なんだろうけれど。このことを頭の片隅に入れておく。これだけで十分だと思うよ。

実務家でありながら事件の現場を相対化しています。かれは残骸のように遺棄される出来事に自覚的です。これは本当に稀な資質だと思います。「他人の問題」をけっして我が事と取り違えることなく、具体として凄惨な紛争の現場を捌いた伊勢﨑賢治さんが体験から得たものはとても大事なことだと思います。正義の熱狂のなかで、正義を「悪」のほうからも見ようとする意見が「いつでも圧倒的な少数派」だとしても、「このことを頭の片隅に入れておく。これだけで十分だと思うよ」というかれの考えは貴重です。

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