日々愚案

歩く浄土269:複相的な存在の往還-幼童について

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ずいぶん昔に、内包について考えはじめ、考えたことを書いてきたけど、ここまで長くなるとは思ってなかった。同一的なものが形象化する認識の自然を思考の慣性とすれば、べつの観念のありかたが可能ではないかと考えてきた。そのことは深くわたしの体験に根ざしている。わたしの固有の体験を普遍的に言い得るという確信がなければ内包論を持続するどんな理由もない。わたしの固有の体験を内包として語ることが、わたしにとって書くということのすべてである。書くことは書かないことといつも背中合わせになっている。ひとりの読者に言葉がとどけば内包論は本懐を遂げる。

毎回、あといくつ書くことができるかと思いながら書いている。身体の不穏があるので、いつも、どうなるかわからないなかで、ふいによぎられることを書いている。なぜ書くか。書きたいことがあるからだ。まだだれにもとどいていない。推敲する体力はないからあいかわらずごつごつしたわかりにくいことを書いている。余力があれば少しはましなことを書くことができるかもしれないが、そういうことは言っても仕方ない。お前の書くことは抽象の水準がないので読むに耐えない、書くのをやめろと言われたら、書かないような気もする。書くことと書かないことはわたしのなかではおなじことだからだ。知も愚も煩悩でありわたしのなかでは区別がつかない。

内包とはいったいなにか。内包は歴史の概念なのか、そういった疑念のような問いがきりなく湧きあがってくる。わたしのなかにある、なにかリアルなことを言いたくて、長く内包について考えたことを書いてきた。書いても書いても書ききれないことが残り、そうやって書き切れないなにかを書き継いでいく。30数年、内包について考えに考え、悶絶絶句し、それでも考えてきた。自力の行為ではない。なにかに促されて、そのなにかがどういうことか少しでもはっきりさせたくて、考えることを考えてきた。そうしか言いようがない。そのうえで、あらためて、内包とはなにか、と問うてみる。

内包という考えは歴史の概念と交錯するかと問うて、では歴史というものが存在するのかと反問する。歴史は思考の慣性が粗視化してきた自然のぶ厚く堆積した地層のようなものとしてある。それは間違いないし否定しようがない。だから人々がその歴史のなかで生きてきたというのは思考の慣性の為せるわざだ。つまりは擬制であるということ。もし歴史があるとすれば、これがその歴史というものを手のひらの上に取りだして見せてみよ。悠久の人々の営みの総和をきわめて粗雑な観念で粗視化した野蛮、未開、原始、古代、・・・と時間の矢のように名づけられたようなものをわたしたちは歴史と呼んでいる。時間の矢と時代の区分はよく似ている。自然生成ではない丸い時間があることに若い頃に気づいた。粗視化した自然がさまざまに遷移する。古代から中世を経て近代、現代、アフター・コロナ。ある認識の推力のもとではそうなる。重力も細菌も認識の遠隔対象性が粗視化した自然だ。時折ひときわおおきな聳え立つ自然が発明される。そのひとつが同一性だ。わたしたちの知る諸科学は同一性を暗黙の公理として創造されてきた。傷を消毒するということは医学的な真理か。数世紀にわたる世界の真理である。この思考の慣性を夏井睦という整形外科医が突き破り、傷は消毒しないという医学的な真理を確立した。このように知のパラダイム転換は既存の真理と非連続なこととして訪れる。連続的に見える歴史が急激に転変することが知の考古学の領域で起こる。コロナ禍もこれからの世界の急峻な変化の予兆しているようにみえる。

人類史を重畳してきた思考の慣性と異なる観念があるとして、その観念はべつの歴史という共同性を疎外するのだろうか。そのことについては究尽したと思う。内包は三人称を疎外しない。三人称をつくろうとしても共同性ができないことが内包のこの世のしくみを革めるいちばん大きな可能性ではないかと思う。つまり内包という意識のありかたから歴史の概念は派生しない。

同一的なものと人類史、あるいはある時代を生きる人びとの観念は強く相関しているということができるが、つぎのように問うこともできる。同一的なものが可視化し実体化した観念とはなにか。貨幣、宗教、国家、科学や人格の表出されたわずかなものでしかなかった。愕然とする。たったこれだけしか同一的なものは認識の自然として粗視化することができなかったのだ。生の豊潤さのかけらしか可視化できなかった。同一的なもののものすごい制約に拘束されていたということだ。

同一的なものと存在の複相性の往還とはなにがちがうのだろうか。同一的なものが人類史や貨幣の交換や国家や科学をつくることができるとすれば、そのことごとくについて内包は無益である。同一的なものを思考の公準にするとき、内包は同一的なものからみえない内面化も共同化もできないそれ自体として存在している。三人称を疎外しない人間の関係のあり方をどうつくるか。根源の二人称を分有する内包的な表現は二分心に行き着くことがない。それはどんな歴史の概念かと問われると、歴史ではない幼童であるということになる。内包という観念の母型から擬音(オノマトペ)が内包的に表出され、存在の複相性を往還しながら生きるとき、存在の全円性が共同性を疎外することはない。幼童という精神の古代形象が共同性の言語との接点がないということは、べつの言い方をすれば、フーコーが牧人司祭型権力の起源を考古学的に考究し、自己への配慮に至ったこととどこかで相関していると思う。フーコーのひとつのモラルとしての性という表現の根幹は歴史や社会として語ることができない、そのような出来事としてあったのではないか。同一的でない出来事は社会や歴史として昇華することができないとフーコーは裏声で言っているようにみえる。

フーコーはパレーシアという概念をどうやってつかんだのだろうか。いわゆる文化人という商人がフーコーのパレーシアをわがこととして理解することがあるとは思えない。文化人的な概念の操作としてパレーシアが理解されれことはあっても、フーコー読みのフーコー知らずの例にもれず、解釈されるフーコーの思想と、作品としての生を生きたフーコーは別人だった。だれにもひとつのモラルとしての性があって、自己は表現するのではなく、他性によって表現されるということが最期のフーコーの発見だった。倫理的活動の核にあるものによって表現がうながされるのであって、自己の内面が表現されることは、この世のしくみを踏襲することにしかならないとフーコーは最後の最後で考えた。最深のフーコーの思想はだれによってもまだ読み解かれていない。そのありかたをフーコーはパレーシアとして言表した。あけすけに語るということは、知の考古学を逆にたどりなおすことの放棄である。もしかするとこの放棄のありかたが世界のべつの可能性、あるいは生のあたらしい様式をもたらすのではないかとフーコーは考えた。あまりに唐突な死は、ひとつのモラルとしての性への回帰はそれがどういうことか究明する余裕をフーコーに与えなかった。ひとつのモラルとしての性も、倫理的活動の核にある能動性も、パレーシアもフーコーにとって同一的なものを超える契機だった。その契機が情熱であったということがなお面白い。ひとつのモラルとしての性は、わたしの言葉では根源の二人称であり、倫理的活動の核にあるものは根源の性の分有者と還相の性の関係へと読みかえることができる。知に対する非知を突きぬけたところでパレーシアという自己の陶冶に逢着した。内包論ではパレーシアはどういう概念に相当するか。知でも非知でもない凡俗それ自体となる。喰い、寝て、念ずる生の原像を還相の性として生きるとき、愚は煩悩それ自体としてあらわれる。わたしは総表現者の一人ひとりが生きられる生の基底がここにあると思う。おそらくフーコーは存在の複相性を往還したのだと思う。

なにか表現の主体があって書くのではなく、書かされるということ。そこに表現の主体はない。内包的な表出はそういうものとしてある。内包表現は文学とわずかに相関はするが文学や思想や歴史ではない。それらを全て突き抜けたところに表現の驚異としてあらわれる。政治と文学は、知識人と大衆という虚構のうえに、その虚構を緩衝する思考の慣性として表現されてきたと言える。ものすごく大事なところだと思うが、核家族だった初期人類のひとつながりの関係のなかで環界を生き抜くにはさまざまな過酷なが待ちうけていた。飢餓と疫病と天変地異。自然の暴威をしのぎながら、これは食べられるか、それとも身体に危険か、外敵に襲われ死の危険に直面するとき、わたしの直感では、危機はつねに根原の性を分有する一者が対手を回避することとして行動されたと思う。いちども食べたことないけど、大丈夫そうだから一緒に食べようか、生存の危機立ちふさがることで対手の分有者を生かそうとした。動物である人間の適者生存に対する絶対の矛盾をためらいなく自然に引きうける存在のありようが人間の本然である。

意識の外延史にたいして意識の内包史というものを構想していた。内包史とはなにか。形を変えた共同幻想ではないか。試行錯誤の内包論の試みは幾重にも屈折している。内包知は可能でも内包史は内包知と矛盾する。意識の外延表現が人類史を象ってきたことは認めるしかない事実だが、内包知による人間の関係のありかたをつくるとき、歴史の概念をつくろうとするその直前で還相の知に拠って外延史を折り返すことが内包表現だと思うようになってきた。外延史があって内包史があるのではない。すなわち内包史は歴史ではない。あたらしい生の様式の可能性そのものだ。

固い生存の条理とやわらかい生存の条理について長く書いてきたが、固い生の条理とかやわらかい生の条理がどういうことか内包論を遡りながら書きたくなった。内包論は手づくりのやり方で、書いている当人が一体なにを書こうとしているのかわかっていたわけではない。アップするごとに次はなにを書くか。ある構想をアルゴリズムに従って書いているわけではなかった。ことごとくアルゴリズムに違背する。アップした途端、なにか書き忘れていることような気がして、そのことについて書いてアップすると、またわからないことが出てくる。長年その繰り返しだった。ある構想を言語化したのではないが、場当たり的なことを書いてきたわけでもない。固有の体験を経て、人類のだれも考えたことのないある思想的な課題があるという衝迫が内包論を書き継いできた大きな理由だと思う。

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『歎異抄』の親鸞の有情と有縁についてさらに考えてみる。もとよりわたしの理解を親鸞は知る由もない。親鸞の有縁と有情はメビウスの輪のようにつながっているのではないかと考えはじめた。同一的なものとして有縁と有情を考えるとふたつの情動は離接しているようにみえる。有縁と有情という離接する情動をひとひねりしてメビウスの輪にするとなめらかにつながる。つまりわたしたちが理解しているより有縁の思考の規模も有情の由縁もはるかに奥深いということだ。ここをうまく言葉で抽出できれば、親鸞の自然法爾はふくらみ、喩としての内包的な親族はもっと深みと広がりをもつことになる。親鸞の思想を一言で言うと、同一性と差異性のはるか手前で、すべてのことばが絶対の受動性で書かれていることだと思う。吐息のような親鸞のことばには存念のかけらもない。そしてこの絶対の受動性にすべて善しという全肯定のことばが響いているということ。非知をつきぬけた凡俗それ自体の煩悩までことばがとどいている。ただことばだけがあり、一切の道理が消えている。親鸞のことばは、内包という観念の母型からはじまり、最後には内包という観念の母型に回帰しているようにわたしにはみえる。

<親鸞は父母の孝養のためとて、一辺にても念佛まうしたること、いまださふらはず。そのゆえは、一切の有情はみなもて世々生々の父母兄弟なり。いづれもいづれも、この順次生に佛になりてたすけさふらふべきなり。わがちからにてはげむ善にてもさふらはばこそ、念佛を廻向して父母をもたすけさふらはめ。たゞ自力をすてて、いそぎ浄土をさとりをひらきなば、六道・四生のあひだ、いづれの業苦にしづめりとも、神通方便をもて、まづ有縁を度すべきなりと、云々。>(『歎異抄』)

読むほどに有縁も有情も深い。べつに親鸞は父母の孝養をするなと言っているのではない。言葉通りに読めば親孝行など意味のないことであると読める。有情の一切は昔からの親族である。それよりも還相の念仏廻向で孝行をせよ、そのためにはまづ有縁を度すことである。これが唯円が記した親鸞の思想だが、読み切れないほどに深い。唯円の手に余るなにか書かれぬ苛烈があるような気がしてしかたない。有情はもともと有縁であると親鸞は言っている。有縁は有情であるから有縁を済度することで有情は順次有縁となる機微を親鸞が語っている。つまり有縁はそのまま有情に、有情はそのまま有縁ととなる道理が語られている。有縁の対立概念が有情なのではない。有情の否定概念が有縁ではない。親鸞のなかで有縁と有情はメビウスの輪のようにつながっている。86歳の親鸞は「末燈鈔」で言った。「この道理をこころえつるのちには、この自然のことはつねにさたすべきにあらざるなり」。

「マタイによる福音書」の聖句の響きはおよそ親鸞のそれと違う。

<わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。>(「マタイによる福音書」10章34節~39節)

<イエスがまだ群衆に話しておられるとき、その母と兄弟たちとが、イエスに話そうと思って外に立っていた。それである人がイエスに言った。「ごらんなさい。あなたの母上と兄弟がたが、あなたに話そうと思って、外に立っておられます」。イエスは知らせてくれた者に答えて言われた、「わたしの母とは、だれのことか。わたしの兄弟たちとは、だれのことか」。そして、弟子たちの方に手をさし伸べていわれた、「ごらんなさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。天にいましますわたしの父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである。」>(「マタイによる福音書」46~50)

賢しらで冷たくて固い生存の条理しか感じない。イエスの言葉は神への信が可視化されて父母兄弟と外延の関係になっているので、ことばがふくらまない。新約聖書の言葉は信を可視化し自力の信が実体化され壮大な伽藍によって二千年のあいだ社会を隈なく調律してきた。父母兄弟への触りかたが親鸞のそれと似ているようで、なにかが決定的に違う。親鸞のことばのほうがやわらない。有縁は有情であり、有情は有縁だから還相の性を核とすれば有縁が巻き取る有情はそのまま有情でありながら有情であるにもかかわらず有縁となる。わたしのなかで喩としての内包的な親族はそういうものとしてある。そして還相の性があるから内包的な親族が共同性を疎外することはない。還相の性によって自己が領域化し、同一的ではない自己がわたしとあなたという、意識の外延性で言えば、あたかも二人称のように内包的に表出されるから、三人称の関係は一人称と二人称を含みもった領域としての自己にとって、二人称の関係として表現されるほかない。ここに禁止も侵犯も倫理も一切関与しない。存在の複相性を往還すると同一的なるものではない、こういう驚異がふいにあらわれる。

存在の複相性を往還するとき、生きられる存在の全円性のことを内包史と名づけてきた。サイトの記事を検索すると内包史について69箇所の記述があった。暗黙に同一的なものを実有の根拠として象られたあらゆる共同的理念が擬制であったように、擬制を前提とした内面という自然もまたおおきな虚構だった。そこで、けっして内面化も共同化もできないそれ自体を、いまあらためて定義する。有情の反対の概念として有縁があるのではないように、外延史に対立する概念が内包史ということではない。同一的なものの手前を同一的な観念の派生態である差異性で表現することができない。存在の複相性を往還し存在の全円性を生きるということは存在了解の始原的な遅れを含みもつことになる。同一的なものでは表象することのできないこの始原の遅れを内包知と名づけることにする。始原の遅れの内包的な表出が象る喩としての内包的な親族によって意識の外延史は、あたかも手袋を裏返すようにして、内包自然のなかに嵌入することになる。内包とは外延の包み込みなのだ。わたしはこの観念の存在を内包知と呼んでいる。おのずからなる善の規模がはるかに同一的な善を超出している。ヴェイユの絶対的な善と似ているような気がしている。差異を反復することは同一律を重複することにしかならない。金魚鉢で鯨を飼うことができるか。有縁は有情を内包しているが、有情をどれほど外延しても有情が有縁になることはない。同じように内包史は外延史を内包しているが、外延史をどれほど外延しても内包史に到達することはない。なにより内包史は歴史ではない。内包的な親族を可能なものとする存在の全円性が存在の複相性を往還する軌跡として可視化できないものがリアルに存在する。30年前に書いた文章のなかでこのことをすでに予感していた。

<生命が誕生いらい連続しているとみなすのは、人間的な意識がそうみなしているということであり、人間的な意識が性の誕生に由来するのであるから、じつは性のうねりが生命をとぎれることのない連続するものとしてとらえていることにほかならない。フロイトの「エス」は「おのずから」が同一性によって制約されたひとつのあらわれであり、「おのずから」は、「社会」(多)と「自ら」(一)をやがて分節する、性のうねりからはじけたひとつのあらわれである。つまり性のうねりが「おのずから」の源泉というほかなくなる。灼熱する激烈な性の光球がはじけて「おのずから」がむくっと身をもたげた。その無数の影のひとつひとつが「みずから」ということであり、対極にフロイトの「エス」が「みずから」に釣り合って深々と存在している。あるいは「おのずから」という大洋がうねって撥ねあげた、波間に光る雫の一滴一滴が「みずから」に比喩されてもよい。うねりからはじかれて弧を描く、無数のしぶきの軌跡の全体をフロイトは「エス」と考えた。
フロイトは点としての主体を、いいかえればヘーゲルの自己同一性を暗黙の了解として性を分析しうることを創案した。自我、超自我、エスの発見と、リビドーによるそれらの結合がフロイトの創見だとしても、そこには点としての主体が確乎として前提される。そのかぎりでフロイトの心的モデルは近代的な自我に見合った性のモデルだといえる。おおきなひとつの思想だとしても、自我が性を拘束し、性が自我を拘束して閉じられている。だからフロイトの無意識はフロイトの自我が写像された外延的なものとして表現されるほかなかった。>(『内包表現論序説』所収「起源論」)

同一的なものは根源の性のうねりを可視化してみずからを立ち上げ、際限なく同一律を反復し、さまざまな自然を粗視化してきた。そうではなくおのずからなる性のうねりが跳ね上げた無数のしぶきの一滴一滴が総表現者の固有の生に比喩される。そしてここがいちばんの要だが、しぶきの一粒の解像度をあげると、だれのどんな生においても、しぶきは点ではなく一粒であるにもかかわらず波という領域として存在している。領域というしぶきとしての生が無数にあるなら、表現の階調も無数にあることになる。最晩年の吉本隆明やフーコーはこの近傍まできていた。外延的な生の途絶は、内包的にはこの世界のどんな深い悲しみより深い悲しみとしてあらわれるが、外延的な終命とは違って有縁の不思議というほかなく、このうえない深い生の充溢をもたらす。倫理の彼岸の謂わば根源の倫理とでもいうものが倫理の手前ある。意識の外延性が生の途絶を招いても〔あなた〕へ全面的に明け渡された領域としての自己は、内包という観念の母型に回帰するだけで、終命はどこにも存在せず、生の言祝ぎと言えるのではないか。わたしたちが認識の自然としている思考の慣性を転倒すると外延的な死は内包自然のなかで内包自然という生の一部となる。死はわたしに属することでも、共同幻想に属すことでもなく、根源の二人称の分有としていつも生きられる。だれも気づいていないが、ほんとうはコロナ禍の真芯にあたらしい未知の生の様式が息づいている。

なにが問題であるか直裁に語ろう。だれかわたしの考えを商品にできると思う者がいたら名乗り出て欲しい。この世のしくみのなかでわたしの考えが商品になることはない。卑下して言っているのではない。わたしは、ひととひとのつながりかたを革めようと、ひとりの読者に向けて長い年月文章を書いてきた。同一的なものでなくひととひとがつながることをこの世のしくみは許容しない。そのことについてはわたしには傲慢な自信がある。内面と共同性という擬制を前提としないと文章という商品は貨幣として機能しない。商品によってひととひとがつながることはない。内包とはあなたが変わることだ。俯瞰するのではなく出来事のただなかを生きて、その出来事を内面化できると思うか。内包を生きるとはあなたが変わることだ。内面の精神史と外界の文明史の区分で生きるほど世界は寛容でない。この精神の型は生をふたつの方向に引き裂き、この思考の慣性を人々に強いる。そのざらつきや齟齬や違和感が内省として文学や芸術に昇華する。なんという余裕、なんという欺瞞、なんという虚偽。無名の何者でもない生の豊かさ。非知を突き抜けた無知それ自体を凡俗の煩悩のかたまりとして生きることは一箇の卑小な偉大だ。総表現者のひとりとして、だれのものでもない固有の生を生きるとき、ここに表現の無限の自由と可能性がある。

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