日々愚案

歩く浄土258:複相的な存在の往還-やわらかい生存の条理15/生と死はどこにあるか3

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ユヴァルの『21Lessons』が今日(11月21日)Amazonから届いた。まだ読んでいない。「歩く浄土259」で感想を書こうと思う。生政治の変遷をたどりなおし、フーコーの『知への意志』とアガンベンの『アウシュヴィッツの残りのもの』で生権力を再考する。アガンベンもユヴァルもフーコーの影響をうけている。『知への意志』から8年の沈黙の後、性の歴史はフーコーの当初のもくろみとは違った構想の上で公刊された。そのあいだになにがあったのか。じぶんをたどりながらこれを書いている。

いまはなにか急かされるようにして駆け足で内包論のつづきを書いている。湧き上がってくるさまざまな観念をうまく制御することができない。だからかなりおおまかなことを書くしかないし、そのことはよく自覚している。ひとつひとつていねいに探っていく余裕がない。なんとか意識の先端に浮かぶことをつなぎあわせようとしている。幾人かの思索家の著作を開いたり閉じたり考えなおしたりしながらそれらの観念を内包論で縫いあわせようとしているわけだ。かんたんではないがどこに向かうのかおおよその見当はついている。資料にあたり資料を内包論のモチーフにそいながら欠落したピースを埋めていくのは労働そのものだ。

なにに急き立てられているのだろうか。フーコーの生政治の研究があり、アガンベンがそれを受け継ぎ現在を語る。アガンベンには主要な著作として『到来する共同体』(1990)『ホモ・サケル:主権権力と剥き出しの生』(1995)、『アウシュヴィッツの残りのもの』(1998)がある。おなじくフーコーの甚大な影響をうけたユヴァル・ノア・ハラリの一連の著作が念頭にある。フーコーの膨大な生政治の研究やアガンベンやユヴァルの著作をひっくり返しながら、世界はフーコーやアガンベンの思惑をはるかに超えて惑星大の自然生成へ向かっているような気がしてならない。意識の外延性は自然な必然としてそこに向かうことになるだろう。フーコーは早々とそのことを予感して人間の終焉を宣言した。

ただ世界の転変はフーコーの予測をはるかに上廻った。人類史が体験したことのない未知のただなかをわたしたちの生は浮遊している。来る千年紀にユヴァルはサピエンスは遺伝子の編集を施すことでAIとも結合しホモ・デウスとなると言っている。情報工学と生命工学によってつくられるポストヒューマンは遺伝子のカーストへとつながり未知のあたらしい自然生成が惑星大に拡がる。人びとの生は生物学的カーストのなかに融解していき、人びとはその変化を自然なこととして受容するだろう。そのとき生と死はどこにあることになるのだろうか。

<ここまでは、自由主義に対する三つの実際的な脅威のうち、二つを見てきた。その第一は、人間が完全に価値を失うこと、第二が、人間は集団として見た場合には依然として貴重ではあるが、個人としての権威を失い、代わりに、外部のアルゴリズムに管理されることだ。社会を支配するシステムは、交響曲を作曲したり、歴史を教えたり、コンピューターコードを書いたりするために、依然として人間を必要とするが、あなた自身よりもあなたのことをよく知り、したがって、重要な決定のほとんどをあなたのために下してくれるだろう。そしてあなたも、それに完全に満足することだろう。それは必ずしも悪い世界ではない。とはいえそれは、ポスト自由主義の世界となる。
自由主義に対する第三の脅威は、一部の人は絶対不可欠でしかも解読不能のままであり続けるものの、彼らが、アップグレードされた人間の、少数の特権エリート階級となることだ。これらの超人たちは、前代未聞の能力と空前の創造性を享受する。彼らはその能力と創造性のおかげで、世の中の最も重要な決定の多くを下し続けることができる。彼らは社会を支配するシステムのために不可欠な仕事を行なうが、システムは彼らを理解することも管理することもできない。ところが、ほとんどの人はアップグレードされず、その結果、コンピューターアルゴリズムと新しい超人たちの両方に支配される劣等カーストとなる。人類が生物学的カーストに分割されれば、自由主義のイデオロギーの基盤が崩れる。>(ユヴァル『ホモ・デウス』下巻)

まったく未知の人類史がすでに始まっている。窮迫する事態の核心をつかみたいので、フーコーの生政治を取っ掛かりとして内包論が考えようとしていることを記述する。この国に特有の自然生成が惑星規模で拡がりつつある。ちょうど3年前にケヴィン・ケリーの『〈インターネット〉の次に来るもの』を読んだとき既視感があった。この本は第1章BECOMIGで始まり第12章BEGININGで終わる。ひとつの出来事が現成すると、その自然を粗視化して思考の慣性とし、その思考の慣性がなにかの始まりを告げる。そのすべてが自然な生成としてつながっていく。これは自己と共同性のあいだの垣根が消滅することを意味する。わが国の天皇制がそういうものだ。ジェインズの二分心の遺制である、イデオロギーの手前にある精神の古代形象のことだ。1が多に自然に融即する技術。生のテクノロジー。人は生まれながらにして自由で平等であるとすると、この観念は自己の私性にとって相性がいいので、友愛という建前と共に人類の普遍的な理念として急速に伝搬した。擬制にすぎないとしても人が自由で平等であること友愛がつながるように仮構される。

まずグローバルな経済がこの虚構を薙ぎ払った。このグローバルな適者生存の経済が情報工学や生物工学と結合するとき人間にとっての共同幻想の次元は身体の重力を完全に払拭することになる。強いAIの高度化とヒトゲノムの遺伝子編集の技術は人間についての先験的な理念を砕いてしまう。フーコーの人間の終焉が事実となる。このようなことを人類は経験したことがない。まったく未知の圏域だ。人間という概念はいつのまにか自然なものとして不可避に変貌し、人びとに受容されることになる。人間といういちども成就したことのない太い幹は切り刻まれてアルゴリズムへと還元される。身分・不可触・賤視という観念が生物学的カーストしてヒトという種に刻まれ、選別され、ホモ・デウスが君臨するなかでホモ・サピエンスは消滅する。それほどの大変動期、新しい二分心の登場だ。意識の外延的な表現をたどるかぎりこの過程を拒むことはできない。例外状態を常態とする世界の新秩序の編成とその属躰となることの不可避性。この過程はほんとうに不可避なのか。違うと思うから内包論を持続している。存在の複相性を往還するとユヴァルとはまったくことなる生の気圏があらわれる。

わたしの考えでは外延が往相に、内包が還相に対応している。自然人類学は往相の外延知に属するから、霊長類である人類を超長時間録画すると、サピエンスという種は少しづつ他の霊長類と別れながら、あるときあるところで人になったと記述する。悠遠の自然史のなにかを起点に霊長類の内部に、人間が身を縮め潜んでいて躍り出たということになるのか。どれほどスローに録画を再生してもなにかを起点に人類が他の霊長類と袂を分かったということにならない。そういう順接の思考にたいして、違う、違う、それは違うと親鸞は生涯言い張った。自然法爾や他力はそういうことではないのだ。この覚知を親鸞は譲ることができなかった。それが親鸞が親鸞たる由縁であり、それだけが親鸞だった。もし人間の由来を言葉の順接で表現できるならアルゴリズムでコーディング可能だから、人間からホモ・デウスへの移行は適者生存として自然に遷移する。それが人間であるということなのか。

わたしはわたしの全生存を賭けて、わたしの体験の固有性の全てを賭けて、違うと断言する。ここにアガンベンらの文化人の口説が入り込む余地はない。生の原像を還相の性として生きることはそれほど苛烈なことなのだ。ひとりが性をふくむなら、ひとりでいてもふたりだから、外延世界の三人称はあたかも二人称の関係のようにあらわれる。それをわたしは喩としての内包的な親族と名づけてきた。この政治のない世界はただ生の原像を還相の性として生きるときに可能となり、自己の陶冶と他者への配慮がなめらかにつながり、ありえたけれどもなかった生や歴史が誕生する。ここに生と歴史の本来性がある。アガンベンやユヴァルの記述する世界は意識の外延的な言表である。還相の性が内包自然の深奥に存在するから、内包自然の生は相互に贈与の関係として表現される。死もまた分有され生のなかにとどまる。

聴覚言語が粘土板やパピルスに視覚言語として定着したとき、視覚言語からなぜ神の声がありありとした残響音として甦ったのだろうか。ジェインズの二分心では、右脳に鳴り響く神の声を左脳が実行したということになる。神々の沈黙を読み返しながら納得しない。『神々の沈黙』の中で繰り返し二分心のありようがさまざまに語られている。説明のひとつを附してみる。

<神政政治についてはっきりと言えるのは、それが生物学的な意味で成功したということだ。王国の人口はたえず増え続けた。そして人口が増加するにつれて、神と呼ばれた〈二分心〉の声による社会統制の諸問題はしだいに複雑化した。前九〇〇〇年紀にエイナンの人口数百の村落に見られた社会統制の体制は、これまで取り上げてきた、神々や神官、役人の序列化した階層を伴うエジプトとメソポタミア文明のそれとは、およそかけ離れていた。
 じつは、〈二分心〉の神政政治には盛衰の周期性が組み込まれているのではなかろうか。幻の声による社会統制は成功しながらも複雑化し、やがて文明国家も文明的な関係ももはや持続不可能になり、〈二分心〉社会は崩壊する。前章で指摘したように、コロンブス以前のアメリカ文明でも、こうした盛衰が幾度となく繰り返された。>

<神々の統治機構には過度の負担がかかり始めていた。〈二分心〉時代の初めの数千年間、人々の生活は簡素で、居住地城も限定されており、政治組織もいたって素朴で、したがって必要とされた神もまだ少数だった。だが前三〇〇〇年紀末に近づくにつれ、社会組織のテンポが速くなり、その複雑さも増したため、毎週、あるいは毎月、昔よりはるかに多岐にわたる、はるかに大量の決定を下すことが求められた。そのため、たいへんな数の神々が現われ、人々が遭遇するありとあらゆる状況に応じて祈願の対象となった。シュメールやバビロニアの都市の壮大な神の家に祀られた主要神から、各家庭に祀られた個人の神に至るまで、当時の世の中は、〈二分心〉の幻聴の源で文字どおりごった返していたことだろう。そこで、神官が神々を巌格な序列に位置づける必要性も増大した。人がなすこといっさいに、それぞれの神がいた。・・・この複雑化に対するエジプトとメソポタミアの神政政治の対応は、それぞれ異なり、また非常に示唆に富んでいる。古い時期のエジプトの、神たる王による統治は柔軟性の点で劣り、人間の潜在能力の開発にさほど前向きでなく、革新的なものや属国の特性に対する許容度も低かった。それでも、ナイル川沿いに膨大な距離にわたって領土を広げた。市民社会の結合に関するどんな説を持ち出してみたところで、紀元前二一世紀に、エジプトのあらゆる権威が崩壊したことは疑う余地がない。引き金となる何らかの地質学的災害があったのかもしれない。紀元前二一○○年頃のことを振り返った古文書には、ナイル川が涸れかけ、人々が歩いて渡り、日が照らず、農作物の収穫が減少している、と記されているものがある。直接の原因が何であったにせよ、神たる王を頂点としてメンフィスに築かれた権威のピラミッドは、この時期にあっさり崩れてしまった。文学的史料によれば、人々は町を捨て、王族でさえも畑を掘り起こして食べ物を探し、血を分けた兄弟が争い、子は両親を殺め、ピラミッドや墓が荒らされたという。こうした権威の完全なる消滅は外部の力によるものではなく、何らかの計り知れぬ内部の弱点によるものだと学者たちは主張する。私の考えでは、それはまさに〈二分心〉に内在する弱点、すなわち、複雑性の増大に直面した際の脆さによるもので、権威がこれほどまで絶対的に崩壊してしまうのは、そうとしか理解ができない。>(『神々の沈黙』)

ジェインズの二分心という理念のあいまいさが露呈している。聴覚言語の神の声を右脳が知覚し左脳が実行するとき、粘土板に視覚言語が埋め込まれると、その絵文字や線刻文字から声が聞こえていたが、幻聴の声は共同主観的現実が複雑化するにつれて理解に混乱と遅滞が起きた。ジェインズは二分心には複雑性の増大に直面した際に脆さを持っていたという。当然のことだ。神の代理人である王が支配したメソポタミアではエジプトのようなことは起こっていない。音声としての聴覚言語が粘土板に視覚化され、しばらくその線刻文字から神の声が幻聴として聞こえていたとしても、中間共同体を統覚する共同主観的現実が秩序を維持するものとして始まった二分心がそのまま素朴なありかたで王国という大規模な人間の集団を統率できるわけがない。アニミズムが洗練されたひとつの観念の特異点を二分心と言うことができても、聴覚言語の遺制である二分心が視覚言語の表現の自在性に対応できるはずがない。つまり二分心がその内部に文字言語という観念の特異点を表現したと言うことだ。それが二分心の衰退と神々の沈黙をもたらした。エジプトの古王国が中王国として再興したときには、視覚言語はより高度な共同主観的現実に対応できるようになっていたはずだ。それは複雑化した神官層の官僚制も機能するということを意味する。

ジェインズは二分心の起源についてつぎのように言っている。
<だが、何故に〈二分心〉のようなものが存在するのだろうか。そしてなぜ神々が存在するのか。そもそも、神々の起源はいったい何だろうか。また、仮に〈二分心〉時代の脳の構造が、前章で推察したとおりだとしたら、人間の進化の過程で、どのような淘汰圧があのように重大な結果をもたらしえたのだろうか。
 本章で説明しようとする推論-まさしく純然たる推論-の論旨は、これまで述べてきた事柄から必然的に導き出される明白な結果にすぎない。〈二分心〉とは社会統制の一形態であり、そのおかげで人類は小さな狩猟採集集団から、大きな農耕生活共同体へと移行できた。〈二分心〉はそれを統制する神々とともに、言語進化の最終段階として生まれた。そしてこの展開の中にこそ、文明の起源がある>(前掲書)

ジェインズの考えをより精神をおおきな見取り図のなかで鳥瞰する。意識を持たない個々の人類に視覚言語があたかも聴覚言語のようにあらわれたのは、自然に再び同化したいというヒトの初期衝動の反映である。わたしたちはこの自然への回帰をアニミズムと名づけている。ひとが自然そのものであるとき、自然から離陸する観念は共同の幻想としてあらわれると考えてよい。そしてアニミズムは外延的な歴史のなかでさまざまに遷移し、いくつもの観念の特異点を形成してきた。そのひとつがジェインズの二分心だと思う。ジェインズの二分心はおおまかには巫祝という共同幻想の観念の段階に対応してように思われる。シャーマニズムの心理学的言い換えがジェインズの二分心だと理解してよいのではないか。ヒトが自然から分離しながら自然に同期したい衝動がやや高度化された段階に二分心というモダンな観念が対応していると考えた。いま惑星規模で未曾有の人類史の転換が興りつつある。金融と情報とバイオやいうふたつテクノロジーが固く結合してヒューマンを終焉させ、ポストヒューマンが出現しようとしている。喩としてのあたらしい二分心が登場しつつあるのかもしれない。

わたしは抗しがたい時代の趨勢にたいして意識の外延性の手前にある内包知をひとつの世界認識として提起してきた。自己の手前にある領域となった自己という性を統覚する還相の性を内面化することや共同化することは原理的にできない。主観的な意識の襞にある信は文学や芸術と呼ばれ、それらは容易に共同化できるが、領域となった自己という性は、同一性の母型である自己のなかの空間化できない還相の性を起源にしているから、内面化や共同化することができない。原理的にできないのだ。これまでに存在したことのない、ありえたけれどもなかった世界認識が複相的な存在を往還すると肥沃な内包自然が出現する。ポストヒューマンよりはるかなひとつの驚異ではないか。

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フーコーは『知への意志』の末尾で生政治についてつぎのようにまとめている。

<人間は数千年のあいだ、アリストテレスにとってそうであったもののままでいた。すなわち、生きた動物であり、しかも政治的存在であり得る動物である。近代の人間とは、己が政治の内部で、彼の生きて存在する生そのものが問題とされているような、そういう動物なのである。>

フーコーはアリストテレスの時代から変わらない人間という動物の統御と馴致のしくみを政治だと考え、そのことを知の考古学として考究してきた。生権力という概念を抜きに19世紀的世界を語ることはできないとフーコーは言う。生物学と経済学と言語学の知の構図のなかにマルクスの思想もまた収まっているとフーコーは考えた。生政治の三つの操作を社会に適用する。おそらくここでフーコーはマルクスの思想を意識している。

<人間の蓄積を資本の蓄積に合わせる、人間集団の増大を生産力の拡大と組み合わせる、利潤を差別的に配分する、この三つの操作は、多様な形態と多様な手法に基づく〈生-権力〉の行使によって、ある部分では可能になったことだ。生きた身体の取り込み、その価値付与、その力の配分的経営、これらはこの時点で不可欠なものだった。・・・しかし一八世紀に西欧世界のある国々で起き、資本主義の発達によって結びつけられていったことは、身体を無価値なものと見做すかのようなこの新しい道徳とは異なるものであるし、おそらく遥かに大きな拡がりをもつものだ。それは歴史の中への生命の登場に他ならず―つまり知と権力の次元に人間という種の生命に固有な現象が登場したということであり―政治の技術の領域へのその登場だったのである。この時点で生命と歴史との最初の接触が起きたのだなどと主張するのではない。反対に、歴史のベクトルに対する生命のベクトルの圧力は、何千年にもわたって常に極めて強いものだった。疫病と飢饉がこの関係の劇的な二つの大きな形態であったし、こうしてこの関係は死の徴の下に置かれていた。>(『知への意志』)

ユヴァルはフーコーの考えを継承しフーコーの思想を可視化した。戦争と疾病と飢餓がいくらか緩和された時代を前提にして7万年の歴史が経験してきたこと、これからの千年紀が当面することについて『サピエンス全史』や『ホモ・デウス』を書いている。フーコーが生政治で取りあげた「人間という種の生命に固有な現象」は金融工学と情報テクノロジーと遺伝子テクノロジーの結合によって人為的に恣意的な操作が可能になろうとしている。生そのものが、心身それ自体がテクノロジーによって容易に組み替えられる。生権力を分析する端緒はフーコーによって手をつけられ、かれの思惑をはるかに超えて、わたしたちの生は心身の最後のひとかけらまで商品にせずにはおかない世界の初期衝動に晒されている。響堂雪乃はグローバル経済の無慈悲を古典的な権力の概念で二分し『ニホンという滅び行く国に生まれた若い君たちへ』で少年少女を脅迫する。手口は悪質で絶望を商品にしている。ユヴァルのもつ世界感知の鋭敏さはかけらもない。

もうひとつフーコーの生権力についてつけ加えたいことがある。フーコーは権力を上から下への禁止・抑圧・排除の力線とは考えていない。フーコーは、真理が権力であり、権力は至るところに偏在し、生産的なものとして機能していると考える。<一般的にこういっておきましょう。禁止、排除、禁制、こういったものは権力の本質的な形態であるどころか、その極限的な状態であり、粗野で極端な形態にすぎない、と。権力関係はまず第一に生産的なのです。>(『ミシェル・フーコー1926―1984』)ここでフーコーが言っていることは至言だと思う。

『知への意志』から内包論にとって必要と思われるところを簡潔に引用する。

<権力とは、一つの制度でもなく、一つの構造でもない、ある種の人々が持っているある種の力でもない。それは特定の社会において、錯綜した戦略的状況に与えられる名称なのである。

権力とは手に入れることができるような、奪って得られるような、分割されるような何物か、人が保有したり手放したりするような何物かではない。権力は、無数の点を出発点として、不平等かつ可動的な勝負の中で行使されるのだということ。
権力の関係は他の形の関係(経済的プロセス、知識の関係、性的関係)に対して外在的な位置にあるものではなく、それらに内在するものだということ。そこに生じる分割、不平等、不均衡の直接的結果としての作用であり、また相互的に、これらの差異化構造の内的条件となる。権力の関係は、単に禁止や拒絶の役割を担わされた上部構造の位置にはない。それが働く場所で、直接的に生産的役割を持っているのだ。
権力は下から来るということ。すなわち、権力の関係の原理には、一般的な母型として、支配する者と支配される者という二項的かつ総体的な対立はない。
―権力の関係は、意図的であると同時に、非-主観的であること。事実としてそれが理解可能なのは、それを「説明して」くれるような別の決定機関の、因果関係における作用であるからではなく、それが隅から隅まで計算に貫かれているからである。一連の目標と目的なしに行使される権力はない。しかしそれは、権力が個人である主体=主観の選択あるいは決定に由来することを意味しない。権力の合理性を司る司令部のようなものを求めるのはやめよう。
―権力のある所には抵抗があること、そして、それにもかかわらず、というかむしろまさにその故に、抵抗は権力に対して外側に位するものでは決してないということ。>(前掲書:引用文の太文字は森崎)

フーコーの権力の定義は古典的な革命思想が終わり、世界は個別領域の知識人が個別領域について語る真理によってつくられていくというある確信に基づいて語られている。当時は先進的であるとともにいまでは牧歌的な定義である。フーコーは特定領域の知識人について過剰な評価を与えている。AIのパターン認識の驚異的向上やクリスパー・キャス9の衝撃が個別的領域の知識人によって警鐘を発せられたことがあるだろうか。「特定領域の知識人はこれから、好むと好まざるにかかわらず、原子物理学者、遺伝学者、情報工学者、薬学者などどして、政治的責任を引きうけなければならない機会がますます増加していくと思われますが、それにつれて、その役割はいっそう重要になっていくにちがいない、とさえいえるでしょう」(『ミシェル・フーコー1926-1984』所収「真理と権力」1977)嬉々として先端科学の知は追い求められているのが実情だと言える。フーコーの特定領域の知識人への親和は普遍的知識人への嫌悪の対抗概念にすぎなかった。フーコーが生きた時代の知の変化はいまではいっそう加速し転形期の知の変貌にめまいを起こしそうになっている。そのさなかを好むと好まざるにかかわらずわたしたちは生きているということだ。外延知ではなく内包知を、自己ではなく、自己の手前を表現すること。

意識の外延的な表現から眺めると権力を占有する権力者がいて虫木草魚という衆生が無にひとしい存在として存在しているように見える。そうではないとフーコーは言明する。権力はだれかが占有できるものではなく、外在的なものでもなく権力に内在するものである。権力は非主観的なものであり、上からのおおきなベクトルではなく下から来る。これがおおまかなフーコーの権力の定義である。意識の外延性の及ばぬ圏域の言葉をフーコーが探そうとしていることは容易に察知できる。わたしは真理と権力という問題構成で権力のなぞを解くことはできないと考えた。引用したフーコーの権力の定義は意識の外延性による古典的な権力概念のカウンターとしてなされている。権力は生のなかに無数に張り巡らされたなにかとして存在している。占有することのできない権力が非-主観的であり、それは下から毛細管現象のようなものとして来る、とはどういうことか。権力が非-主観的であるとは自己意識によって内面化できないということであり、内面化不能のものは共同化することもできない。だから権力を占有することはできない、そしてなにより権力は下から来るとなると、どこに問題があるか指摘することはできても、それがなんであるかを記述することができなくなる。そこにフーコーの8年間の沈黙がある。
外延知ではない真理をつくること。もっと異なる言葉の気圏がある。フーコーの余生はそこを究尽することに傾注された。

禁止・抑圧・排除として権力は立ちあらわれる。それが人類史だといってもいいほどだが、それは権力のひとつの側面にすぎないとフーコーは言いたくてたまらなかった。むしろ権力は関係をつなぎ合わせていく生産的なものではないか。それがフーコーの生の深奥に実感としてあったように思う。つぎのフーコーの言葉をはさむとフーコーがなにを意図していたのかとてもわかりやすくなる。国家へと向かう大いなる愛というくだりは、はじめて読んだときぎょっとした。内包知の可能性を外延知の言葉で言おうとしているようにみえる。

<吉本さんのお仕事の簡単な紹介と著作リストを拝見しますと、その中でいわば個人幻想と国家の間題などが語られています。また、いまも話されましたが、国家形成の母胎としての共同の意志についても書物を著しておられる。これは、私にとっても大そう興味深い間題です。私は今年、国家の形成をめぐって講義を行なっており、その講義の中で、西欧の十六世紀から十七世紀にいたる一時期の国家目的の実現手段の基盤といいますか、いわゆる国是というものが、どのようにでき上がってくるかという過程を分析しておりますが、それには、単に経済的な諸関係だの、制度的な諸関係だの、また文化的諸関係といったようなものの、そうしたものの分析だけでは、どうしても考えられないような、ある謎の部分につきあたってしまいました。そこにはぜひとも国家というものに向わずにはいられぬような巨大な渇望というものが存在していて、まあこれは国家への欲望といいますか、それをいま問題となった言葉を使っていい直しますと、国家への意志と言い替えたほうがいいかもしれませんが、明らかにそういうようなものが問題とされざるをえないのです。
  国家の成立に関しては、それは決して専制君主のような人物や、上位の階級にある人間が、裏からそれをあやつったとかいうことではなく、どうにもわからない大きな愛というか意志みたいなものがあったとしかいいようがないのです。そのようなことを十分に感じ取っているので、特にきょうは吉本さんがおっしゃったことに多くの有益な指摘を発見しえたし、また意志論という視点から国家を論じておられる吉本さんのほかのお仕事がどんなものかを是非とも知りたくなりました。>(『ミシェル・フーコー思考集成Ⅶ』所収「世界認識の方法」蓮實重彦訳)

むかし、「国家へと向かわずにいられぬような巨大な渇望」や「どうにもわからない大きな愛」が謎として存在しているという発言を目したとき驚いた。国家へ向かう渇望や愛という感知はフーコーが国家からの折り返しを意図せずに含意していたのではないか。フーコーが意識していたとは思わないが、古典的な権力の概念を否定するということで無意識に権力からの折り返しを意味していたように思う。非-主観的で占有できない下から来る権力とは、権力の消滅する地平をフーコーがフーコーの生の深奥に秘めていたからではないか。そこにフーコーの固有の生の体験が潜んでいる。死の直前に語った、真理は他性からもたらされるという言明は外延知を裏返した内包知のような気がする。わたしの理解では国家に向かう大きな渇望や愛はじつは内包的な親族を寓喩していたように思う。

吉本隆明は『吉本隆明全集撰3政治思想』に収録された「権力について」(1986年)のなかで、フーコーの権力の概念をほとんど首肯しながら、「権力は下から来る」ということをつぎのように批評した。

<国家権力から分化して、局所の権力は上から下へ毛細管のように作用しているから、どんな社全体の局所に働く権力も、収斂すれば国家権力に帰するという、マルクス主義のやりきれない宗教的な嘘を、フーコーはまったくくつがえしたかったのだ。だがわたしはマルクス主義の国家観には未練はないが、マルクスの国家観には未練がある。フーコーには局所の権力以外に権力の問題はないし、局所の権力が支えになって形成される亀裂や断層にしか意味をもとめていない。
わたしたちの未練は、大局的に上から下への傾斜に方向づけられる権力線という考え方にのこされる。国家と市民社会のあいだの対立が問題なのではなく(それは先進地域では第一義的な意味を失った)、国家そのものの存在と、その持続自体が、現在もまだ依然として世界史的な問題だということだ。>

興隆するようにみえた消費社会のなかでの吉本隆明の発言である。思想は領域としてしか存在しえないと思想を空間化していた吉本隆明がいる。権力が上から下へのベクトルとしてあるなら、生を分割統治する知識人と大衆という対位法は必然であり、そこに大衆の原像が招来された。総表現者という理念を一人ひとりの生に適用するとただちに古典的な権力の概念と知識人と大衆という二項図式は消滅する。消費社会の興隆のただなかで、わたしは、これからハイパーリアルな剥き出しの生存競争の時代になります、だから領域としての思想ではなく、奥行きのある点をつくればいいのですとじかに吉本さんに申し上げた。じつに剥き出しの適者生存の時代になった。いまはフーコーの権力論を内包論の喩として読むことができると考えている。

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レヴィナスは、〈ある〉のざわめきのことをイリヤと呼んでいる。イリヤはものとしての存在とは絶対的に違ったレベルの出来事で、意識の外延性が触知しうる思考の限界に、わたしたちの知る思考の慣性では粗視化することができないこととして解読を待っている。存在者というものが一切存在しない、ただ〈ある〉ということ、そのようなイリヤ。〈ある〉のざわめきのしじまに充ちる音。遺棄されたイリヤをあるものが引きうけて、絶海の孤島のようにして存在者が実存し、イリヤという潜勢力が顕性化される。はたしてイリヤは実詞化されるものだろうか。『実存から実存者へ』でレヴィナスが光の到来以前を生きている未開人について書いて箇所が深く印象に残っている。

<デュルケムにとって、未開宗教における聖なるものの非人称性は「いまだ」非人称の〈神〉であり、いつの日にかそこから発達した宗教の〈神〉が生まれることになるが、それとはまったく反対に、この非人称性は神の出現を準備するものなど何ひとつない世界を抽出しているのだ。〈ある〉の観念は私たちを〈神〉に導くものではなく、むしろ〈神〉の不在に、いっさいの存在の不在に導く。未開人たちは絶対的に、〈啓示〉以前に、光の到来以前にいる。恐怖はいかなる意味でも死の不安ではない。レヴィ=ブリュールによれば、未開人たちは自然現象としての死に対して無関心な態度しか示さない。恐怖のなかでは、主体はみずからの主体性と私的に実存する能力を剥ぎ取られる。主体は非人格化されるのだ。実存感情としての「吐き気」は、まだ非人格化ではない。それに対して恐怖は、主体の主体性、「存在者」としての個別性を覆してしまう。恐怖は〈ある〉への融即である。まったき否定のさなかに回帰する〈ある〉、「出口なき」〈ある〉への融即である。>

このくだりにはレヴィナスの生を感受する資質と収容所体験がある。遺棄されたイリヤが引きうけられて存在者が存在するようになると、通常は主語が動詞を統辞する。過酷な情況を強いられるとき事態は一変する。まず主格が、つぎに形容詞が脱落し、動詞だけの世界が出現する。主体の現勢力が徹底した無力に晒されると、その恐怖のなかで個人の人格は主格を剥奪される。雨が降り風が吹くように、ひとが死ぬ。動詞が世界を支配する。

『アウシュビッツの残りのもの』について感想をさらさら書くことはできない。外延知—それは人類史に等しいが—で『アウシュビッツの残りのもの』を論じたら口舌になる。アガンベンは主体化と脱主体化のはざまに人間の由縁を定めようとしている。アガンベンが取り上げ参照するプリーモ・レーヴィ(1919-1987)はそのことに自覚的で、『夜と霧』でフランクルが献辞として添えた、すなわちもっとも善き人びとは帰ってこなかった、とおなじことをプリーモ・レーヴィも書いている。

<「普通の」囚人の証言は、書かれたものにせよ口頭にせよ、こうした欠如がその背景にあった。彼らは特権を持たないものたち、つまり強制収容所の中核をなしていたものたちで、あり得ないようなできごとの組み合わせで、かろうじて死を逃れたのだった。彼らはラーゲルでは大多数を占めていたが、生き残ったものの中では少数者だった。生き残ったものの中では、囚人生活中に何らかの形で特権を享受していたもののほうが多かった。年月がたち、今日になってみれば、ラーゲルの歴史は、私もそうであったように、その地獄の底まで降りなかったものたちによってのみ書かれたと言えるだろう。地獄の底まで降りたものはそこから戻って来なかった。あるいは苦痛と周囲の無理解のために、その観察力はまったく麻痺していた。>(『溺れるものと救われるもの』)

<最終段階まで行われた破壊、その完成された仕事についてはだれも語っていない。それは死者が帰って来て語らないのと同じである。溺れたものたちは、もし紙とペンを持っていたとしても、何も書かなかっただろう。なぜなら彼らの死は、肉休的な死よりも前に始まっていたからだ。彼らは死ぬ何週間も、何ヵ月も前に、観察し、記憶し、比べて計り、表現する能力を失っていた。だから私たちが彼らの代わりに、代理として話すのだ。>(同前)

経験を記述する際に最も大事なことをレーヴィはきちんと書いている。「なぜ、あなたはあのようなことをしたのか」と問われると、アーレントの凡庸な悪があらわれる。

<彼らは実質的には同じことを言っていた。私は命令されたからそれをした。他のものは(私の上司たちは)私よりもずっとひどい行為をした。私の受けた教育、私の生きていた環境では、そうせざるを得なかった。>(同前)

紋切り型の言い逃れは万国共通だ。アガンベンが主体化と脱主体化のすきまに人間の根源をみつけようとして解読のためのテキストとして使用した、若い頃レジスタンスやパルチザンとして戦ったプリーモ・レーヴィの『アウシュヴィッツは終わらない』(1947年)。30年後に「若い読者へ」が書き加えられた。少し貼りつける。「ドイツ人は知らなかったのでしょうか」と読者に問われ、レーヴィは答える。

<つまり、情報を得る可能性がいくつもあったのに、それでも大多数のドイツ人は知らなかった、それは知りたくなかったから、無知のままでいたいと望んだからだ。国家が行使してくるテロリズムは、確かに、抵抗不可能なほど強力な武器だ。だが全体的に見て、ドイツ国民がまったく抵抗を試みなかった、というのは事実だ。ヒットラーのドイツには特殊なたしなみが広まっていた。知っているものは語らず、知らないものは質問をせず、質問をされても答えない、というたしなみだ。こうして一般のドイツ市民は無知に安住し、その上に殻をかぶせた。ナチズムへの同意に対する無罪証明に、無知を用いたのだ。目、耳、口を閉じて、目の前で何が起ころうと知ったことではない、だから自分は共犯ではない、という幻想をつくりあげたのだ。>

<おそらくああした出来事は理解できないもの、理解してはいけないものなのだろう。なぜなら、「理解する」とは、「認める」に似た行為だからだ。つまり、ある人の意図や行為を「理解する」とは、語源学的に見ても、その行為や意図を包みこみ、その実行者を包みこみ、自らをその位置に置き、その実行者と同一化することを意味する。ところが、普通の人はだれ一人として、ヒットラー、ヒムラー、ゲッベルス、アイヒマン、といったものたちとの自己同一化ができない。この事実は私たちをとまどわせると同時に安心させもする。というのは、彼らの言葉が(残念ながら彼らの行為も)理解できないことが、おそらく望ましいからだ。>

<彼らは何の変哲も無い普通の人だった。怪物もいないわけではなかったが、危険になるほど多くはなかった。普通の人間のほうがずっと危険だった。>

1986年に出版された『溺れるものと救われるもの』の翌年かれは68歳で生を終える。詳細を知る由もないが世界に対する絶望があったのだと思う。つけ加えられた「若い読者へ」を読み返して、寄せられた感想のなかにただのひとつもレーヴィに迫るものがなかったことは断言できる。

アガンベンはホモ・サケル三部作の第三部である『アウシュヴィッツの残りのもの』でフーコーの生政治を西欧古代まで遡行して論じている。もともと人びとは例外状態を生政治として生きてきたではないか。昔からゾーエーに政治は侵入していて、それはなにも近代特有のことではないという問題意識があり、その考えを確証する重要な参考文献としてプリーモ・レーヴィの作品をひもといている。だからプリーモ・レーヴィの作品について少し触れておきたかった。アガンベンが自己同一性を懸命に超えようとしていること、そのことはよく了解できる。ある例外状態を想定し、そこに人間であることの根源があることをつかもうともがいた。それが『アウシュヴィッツの残りのもの』だと思う。

    4

『狂気の歴史』や『監獄の誕生』を通じてフーコーは西欧近代の統治のしくみを詳細に記述した。フーコーの研究によって、一望監視や種々の調教や矯正が身体を貫く権力として網の目のように織り込まれた生のありようが照らし出された。生物学的生を統治の行為の中心におく技術のことをフーコーは生政治と呼ぶ。歴史は非連続な知の特異点を結節とするあみだくじのようなものだと考えたフーコーは時代を遡りそこになにがあるのかを透視しようとし『知の考古学』を書き、ここでつかんだ方法を生の歴史に敷衍しようと考えた。それが『性の歴史』3巻だと言える。第一巻の西欧の牧人司祭型権力を分析した『知への意志』と『自己への配慮』や『快楽の活用』のあいだにフーコーの変容した精神がある。かれは固有の生の体験によって自ら知の特異点を演じることになった。
まだだれによっても充分解きつくされたわけではないが、アガンベンはホモ・サケル(聖なる人間)で、剥き出しの生を主権権力として分析してみせた。ローマの古法にある特別の犯罪を犯したものを法の例外状態におき、法律を適用せず、だれもが殺人罪に問われることなく殺害することができた。聖なる者であるから神に犠牲として供することもできなかった。フーコーが『知への意志』の終わりで結んだ、数千年のあいだ変わらず人間は生きた動物であり、どうじに政治を抱えこんだ動物でもある。殊に西欧近代では生きて存在する生のなかに政治が強く侵入しているというフーコーの気づきを、生政治は政治的な権力の生誕当時から隠されてきたとはいえ生の本源的な姿にほかならないと考え、アガンベンは『ホモ・サケル』(第一部:主権権力と剥き出しの生)でフーコーの生権力をぎゅっと絞りあげた。

するとそこになにか異様な光景が出現した。主体が脱落した、人間であって人間ではないもの。主体と脱主体の閾について考察すれば、存在論的差異にこれまでとは違った解釈が得られるはずだ。ずいぶんまえに、『アウシュビッツの残りのもの』(『ホモ・サケル』第三部)を読んで言いようのない重い感じがあった。そうか、ハイデガーが呻吟し解けなかった存在論的差異をこういう解釈の仕方で解いた気になることもできるんだ、すごいよな、と驚いた記憶がある。居る(ビオス)と在る(ゾーエー)のとの根源的な差異とでも言おうか。この国では知識ではなく生のテクネーとして長年生きられている。自己を環界へと融即する技術。それしかない天皇制的なもの。自然生成の術。ふたつの技法がある。言葉を脱臼させたうえで、言葉を順接するやり方と脱臼した言葉を逆接することでつなぐ技法。いずれも言葉を骨折させたり脱臼させたりしながらその矛盾をなめらかに接合する生の技法だと言える。順接は聖道門系の道元を祖とする。生涯、親鸞は聖道門を唾棄し、聖道門の竪超に憤った。親鸞でさえ、それは違うと言い続けた。往相と還相はそれほどに違う出来事なのだ。アガンベンの饒舌がこのことに気づいた気配はかけらもない。体験の固有性もなければ思考の膂力もない。ないことだらけだけどとりあえずおもしろい。アガンベンは存在論的差異を説明するために人間でありながら人間でない、ユダヤ人でありながら殺されることを免れたくて、同胞をガス室に連れて行き、遺骸の歯から金歯を抜き取り、髪を切り取り、ナチの者らとサッカーを楽しむ特別労働班(ゾンダーコマンド)を媒介に、人間のありようの根源について語る。アガンベンはプリーモ・レーヴィが描いたゾンダーコマンドについて記述する。アガンベンはまるごと言葉を弄んでいる。

<レーヴィがアウシュヴィッツでおこなった前代未聞の発見は、いかなる責任の確証をも受けつけない素材にかかわっている。かれは新しい倫理圏のようなものを取り出すことに成功したのであった。レーヴィはそれを「グレイ・ゾーン 〔灰色地帯〕」と呼ぶ。それは 「犠牲者と処刑者を結びつけている長い鎖」がほどける地帯であり、そこでは、被抑圧者が抑圧者となり、つぎには処刑者が犠牲者となる。それは、善と悪を融点にもたらし、それとともに伝統的倫理のあらゆる金属を融点にもたらす、休みなく働く灰色の錬金術である。>

このグレイ・ゾーンを生きる者をゾンダーコマンドとアガンベンは呼ぶ。

<「グレイ・ゾーン」の極端な形象はゾンダーコマンドである。ガス室と火葬場の運営を任された収容者グループのことをSS(ナチス親衛隊)の隊員たちは特別労働班を意味するこの婉曲語法を使って呼んだ。かれらは、裸の囚人たちをガス室の処刑場に導いていって、囚人たちの順番を守らせなければならなかった。それから、青酸の働きによってバラ色や緑色の染みのついた死体を外に引きずり出して、水の噴射でそれを洗い、からだの開口部に貴重品が隠されていないかどうかを調べ、口から金歯を抜き取り、女性の髪の毛を切り取って、塩化アンモニアで洗わなければならなかった。さらにそれから、死体を火葬場まで運び、それがよく燃えるように気を配り、最後に、炉に残った灰をかたづけなければならなかった。>

レーヴィは「かれらのうちのひとりはこう明言した。この作業をやると、一日目に気が狂うか、さもなければそれに慣れるかだ」と記している。アガンベンによるとかれらゾンダーコマンドが主体化と脱主体化を媒介する新しい倫理圏を体現しているとみなしている。違うよな。まるで全然。

さらにレーヴィは書く。

<・・・SSのほかの兵士と特別労働班の残りの者は、その試合を観戦し、選手たちを応援し、賭け、拍手喝采し、声援を送る。それは地獄の門の前でではなくて、まるで村のグラウンドで試合をやっているかのようだった。>

抑制された口調で書かれたレーヴィの語り口に比べアガンベンは饒舌である。アガンベンの解釈はけっして生きられることがない。むろん語られてきたどんな理念もアウシュビッツを無化することができない。絶滅収容所の存在を括弧に入れて人間や倫理を語ることは虚しいから、関係の型だけを記述する構造主義がヨーロッパの戦後に興隆した。
西欧近代由来の、なんと言ってもいいのだが、自我や主観や主体、あるいは自己と形容してもいい、それらはことごとくどんな手法をとっても自己が自己にとどかない不全感を生んでしまう。意識の外延性がたどる表現の公準だと言っていい。わたしは外延的な存在了解の生の不全感が地上のあらゆる悲惨を招来したと考えている。それをアガンベンもなんとかしたい。それはよくわかる。10年余待ってやっとアガンベンの『到来する共同体』(1990年)が2012年に翻訳され、購入してすぐ読んだ。ブランショのすっきりしない『明かしえぬ共同体』を突きぬけるものだろうかとかすかに期待していたら、見事にはずれた。おそらく1989年の天安門事件にこの本は触発されている。8年後の『アウシュビッツの残りのもの』につながっているように見えるところを貼りつける。

<あらゆる表象可能なアイデンティティを根本的に奪われているような存在は、国家にとっては絶対に取るに足らない存在であるだろう。このような存在こそは、わたしたちの文化において、剥き出しの生が神聖であるという偽善的なドグマや人権にかんする内容空疎な宣言が隠蔽する任務を引き受けてきたものにほかならない。ここでは「神聖な」という語はその語がローマ法においてもっていた意味以外の意味をもちえない。sacer〔聖なる〕とは人々の世界から排除されてきた者、犠牲に供されることはできないものの、殺人罪を犯すことなく殺害することがゆるされている者のことである。(この見方からして意味深長なのは、ユダヤ人絶滅が死刑執行人からも裁判官からも殺人行為の項目に入れられてこず、むしろ、裁判官たちはこれを人類にたいする犯罪として提示してきたこと、そして勝利した権力のほうではこのアイデンティティの欠如をそれ自体が新たな虐殺の源泉となる国家的アイデンティティを〔敗者の側に〕認めることによって埋め合わせようとしてきたことである)。所属そのもの、自らが言語活動のうちにあること自体を自分のものにしようとしており、このためにあらゆるアイデンティティ、あらゆる所属の条件を拒否する、なんであれかまわない単独者こそは、国家の主要な敵である。これらの単独者たちが彼らの共通の存在を平和裡に示威するところではどこでも天安門が存在することだろう。そして遅かれ早かれ戦車が姿を現わすだろう。>

この『到来する共同体』では、「なんであれかまわないもの」という語が要をなしている。なんであれかまわないものは自己同一性に還元できないということをアガンベンは言表しようとしている。ふたつ引用する。

<もし人類の運命をいまいちど階級というかたちで考えてみるべきであるとしたなら、そのときには今日、もはや社会階級は存在せず、ただひとつ惑星的なプチ・ブルジョワジー(たとえばGAFAやBATの経営陣―森崎注)が存在するだけであって、そのなかに旧来の諸階級は解消してしまっていると言うべきだろう。プチ・ブルジョワジーが世界を継承してきたのであり、それは人類がニヒリズムをかいくぐって生きつづけてきたさいにとった形態なのであった。>

<じつをいうと、プチ・ブルジョワの生活のばかばかしさはあらゆる宣伝広告活動がそこにおいて難破せざるをえない究極のばかばかしさと衝突する。死がそれである。死に直面して、プチ・ブルジョワは究極の収奪、個の究極の挫折に遭遇する。剥き出しになった生、純粋の伝達不可能なものがそれであって、そこにおいて彼の羞恥は最終的に心の安らぎを見いだす。このようにして、彼はそれでもやはり諦めて告白せざるをえない秘密、すなわち、剥き出しの生もまた、じつをいうと彼にとっては非本来的で純粋に外部的なものでしかなく、彼にはこの地上にはなんらの避難場所も存在しないということを、死によって覆い隠そうとするのである。
このことは、惑星的プチ・ブルジョワジーとはたぶん人類が自らの破壊に向かって歩んでいくさいにとる形態であろうということを意味している。だが、このことはまた、それは人類史上未曾有の機会を表象しているということ、この機会はなんとしても見過ごすわけにはいかないということも意味している。なぜなら、もし人間たちがなおも自らの本来的なアイデンティティなるものをすでに非本来的でばかげたものになってしまった個性のかたちで探し求めるのではなく、この非本来性をあるがままに受けいれるとしよう。そのような自らのあるがままのありようを自己同一性とか個人の特性とかにするのではなく、自己同一性なき単独性、だれにも共通で絶対的に万人の目に曝された単独性にすることに成功するとしよう。すなわち、もし人間たちがあれやこれやの個々人の伝記的な自己同一性のうちにあってそんなふうに存在しているのではなく、無条件にそんなふうに存在しているにすぎず、それぞれが独自の外面性と顔つきをもっているにすぎないというようなことがありうるとしよう。そのときには、人類は初めてもろもろの前提や主体をもたない共同体、もはや伝達不可能なものを知らないコミュニケーションへと入りこんでいくだろうからである。
新しい惑星的な人類のなかでその生存を可能にするそれらの性格を選り分けること、メディアをつうじてなされる悪しき宣伝広告活動をただひとり外部性のみ伝達する完全な外部性から切り離している、薄い隔壁を除去すること―これがわたしたちの世代に託された政治的任務である。>

いったい著者はなにを言いたいのだといらいらしながら、かすかにモチーフがかいま見える。この本の背景にジャン・ボードリヤールの消費社会の神話と構造や象徴交換と死が映り込んでいることは容易に分かる。アガンベンが予言のようにして1990年に言ったことはいま激烈な猛威としてわたしたちの日々に迫っている。第一言っていることが牧歌的すぎる。政治的主体の自己同一性は空虚であるとしか言えていない。そんなことはわかりきっている。帰属するアイデンティティなき単独者が社会をつくる。柄谷行人も一時期おなじようなことを言っていた。自己同一性が空虚であるとしてどうすればその空虚は埋まるのか。ともかく『到来する共同体』から8年経ってホモ・サケルの第3巻『アウシュビッツの残りのもの』が生まれた。

    5

『アウシュビッツの残りのもの』の「残りのもの」とはなにか。ここにアガンベンのこの本の核心がある。アガンベンはスピノザの考えに触れながら、そこに自身を重ねている。主体化と脱主体化はどうじに起こりうるのか。そのことをアガンベンは問うている。

<そこで、かれは「訪れるものとして自己を立てる」や「訪れるものとして自己を示す」という奇妙な連辞を作らざるをえない(同様の理由により、かれは「訪れられるものとして自己を立てる、あるいは示す」と書いてもよかったはずである)。日常語では、あることをこうむることに快楽を覚える者(そうでないとしても、ともかく、このこうむることの共犯者である者)を定義するのに、かれはあることを「自分にしてもらう」(ただ単に、あることがかれにたいしてなされる、ということではない)と言うことからわかるように、主体における作用者と被作用者の一致は、動きのない同一性の形態をもつのではなく、自己触発という複合的な運動の形態をもつ。そこでは、能動性と受動性がけっして分離されず、しかも、あるひとつの自己のうちにあって両者が一致できずに区別されたものとしてあらわれるというような仕方で、主体は自己自身を受動的なもの(あるいは能動的なもの)として立てる―あるいは示す―のである。その自己とは、自己触発の―能動的にして受動的な―二重の運動において、残りのもの(resto)として生まれるものである。このために主体性は主体化であると同時に脱主体化でもあるという形態を構造的にもっている・・・>

自己は共同性に同期する形態を構造的にもっている。同一の自己のなかに主体として能動的であると共に、脱主体化として受動的でも在る、そのような存在は可能か。その問いに迫るためにかれはプリーモ・レーヴィの作品を参照する。だれにでも訪れる普遍的な存在了解についてアガンベンは語る。「私たちの文明全体が存在了解から派生したのだ。たとえ存在了解が存在忘却であったとしても、そのことに変わりはない」(『われわれのあいだで』)というレヴィナスの思想がアガンベンをよぎったはずだ。

<むしろ「わたし」とは、まさに、生の機能と内的歴史のあいだ、生物学的な生を生きている存在が言葉を話す存在になることと言葉を話す存在がみずからを生物学的な生を生きている存在と感じることのあいだにある還元不可能な差異のことである。たしかに、二つの系列は、寄り添うように流れており、いわば絶対的な内密性のもとに流れている。しかし、内密性とは、まさに、隔たってもいる近さにたいして、けっして同一性にいたることのない混交にたいして、わたしたちが与える名ではないのか。>

そうだろうか。人間が自然から離脱し違和感をもち、どうじに自然へ回帰したいその矛盾がアニミズムとして表象され、さまざまな結節点を遷移しながら現在に到達している。人間が自然の一部でありながら、その自然を対象として粗視化する。動物としての人間がその人間を対象化し心身に生じた電子ノイズを共同主観的な現実として意味づけした。そのように太古から人びとは生きてきた。アガンベンは動物の延長に人間があることを前提に、生物としての人間と語る人間との「あいだ」は「還元不可能な差異」としてあると言う。ここにすでに存在の全円性からの逸脱がある。竪超は自然だが横超は自然(じねん)であり、実詞化できない。自然人類学で、ある種の霊長類を数百万年かけて長時間の録画を撮りスローに再生したらサルに潜んでいたヒトがある日あるとき人になるということではない。そしてアガンベンは人間の定義について決定的な一歩を踏みだす。

<人間が人間よりも長く生き残ることができ、人間の破壊のあとも残っているものであるのは、まだ破壊されていない人間の本質、あるいはまだ救出されていない人間の本質がどこかにあるからではない。人間的なものの場所が分裂しているからである。人間が生起するのは、生物学的な生を生きている存在と言葉を話す存在、非-人間と人間のあいだの断絶においてであるからである。すなわち、人間は人間の非-場所において、生物学的な生を生きている存在と言葉(ロゴス)のあいだの不在の結合において生起するのである。>

みごとな踏み外しだと思う。動物としての人間から主体が脱落し、生の流れのなかに身を委ねるとき、そこに倫理はない。倫理の主体が剥落しているからだ。ひとは動物化しうるという平明な事実がこの世のしくみを変えることはない。ただ世の条理を追認するだけだ。それがまたわたしたちの人類史でもある。この意識の範型の下ではどうやっても生の不全感からまぬがれることはない。断絶を生きてしまった者であってもだ。アガンベンの思考はここで停止する。なにも表現していない。なにがアガンベンに生起したのか。かれはプリーモ・レーヴィの絶滅収容所の体験を知的に眺めている。ここにかれのひとつのうそがある。さらにアガンベンは人間であることと人倫の彼方の人間ではない出来事の差異を「あいだ」として空間化している。斯くしてかれの思考は同一性に回帰する。どうどうめぐりなのだ。

人間的であるか人間的でないかに先だってすでにつながりがあるから、そのつながりを分有することで、事後的に人間的であることと人間的ではないという人倫が実体化される。意識の外延性はだれがどうやっても同一性の自然を突き破れない。レヴィナスでさえイリヤを空間化した。この錯誤のもとに第三者問題はいつまでも絶えることなく繰り返される。

もうひとつでアガンベンの引用は終わる。いつのまにか「あいだ」が「閾」に置き換えられ、人間的と非人間的が主体化と脱主体化の断絶として可視化される。この錯誤のうちにあらゆる人類史の厄災が生まれた。「あいだ」も「閾」も空間化はおろか実体化も実詞化もすることができない。可視化できるという思考の慣性が自己の内面化や共同化という意識の外延性を延々とかたどってきた。むろん内面化や共同化は同一性が担保し統覚している。解けない主題を解けない方法で解こうとするアガンベンの存在論的差異の解消は、自覚のない思想的な転向ではないか。それがまた文化的な言説ということでもある。

<いいかえれば、人間は、つねに人間的なもののこちら側か向こう側のどちらかにいる。人間とは中心にある閾であり、その閾を人間的なものの流れと非人間的なものの流れ、主体化の流れと脱主体化の流れ、生物学的な生を生きている存在が言葉を話す存在になる流れと言葉(ロゴス)が生物学的な生を生きている存在になる流れがたえず通過する。これらの流れは、外延を同じくするが、一致することはない。>

外延的な思考が自己完結する。もういちどプリーモ・レーヴィの『溺れるものと救われるもの』の一節を取りあげる。「ラーゲルの歴史は、私もそうであったように、その地獄の底まで降りなかったものたちによってのみ書かれたと言えるだろう。地獄の底まで降りたものはそこから戻って来なかった」「溺れたものたちは、もし紙とペンを持っていたとしても、何も書かなかっただろう。なぜなら彼らの死は、肉休的な死よりも前に始まっていたからだ。彼らは死ぬ何週間も、何ヵ月も前に、観察し、記憶し、比べて計り、表現する能力を失っていた」。

〔残りのもの〕は存在の複相性を往還するなかに実詞化できないものとして同一性の手前に現存する。内包は溺れたものたちにたいする呼びかけである。(この稿つづく)

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