日々愚案

歩く浄土35:共同幻想論の拡張8

51kyaXAFBEL__AC_US160_前回のブログでもアキと朔の最後の会話について少し触れましたが、なにか大事なことを書き残した気がします。
アキが言います。「ここからいなくなっても、いつも一緒にいるから」。・・・
「またわたしを見つけてね」。朔が「すぐに見つけるさ」と応えます。この場面はとても大事なことが言われていると思います。

もしもひとであることになにかよいことがあるとすれば、ひとつの象徴としていうのだが、アキと朔が知覚したこの世界だけではないのか。そしてよきものはそれだけだ。観察する理性や俯瞰する視線は、それは気の迷いで錯覚であると言います。そうかもしれぬ。そうだろうか。合理的なモナドによるひとつの説明であることは理解できる。わたしはそうは思わない。
「またわたしを見つけてね」と訊かれ「すぐに見つけるさ」と応えるとき、そこに生の不全感や空虚があるだろうか。ない。
まったくの受動性のうちにこの世に生を享け、名づけられ、ながくて100年のあわいを生きる。起源と終極を問わず、一切のなぜが消えるこの場所。さまざまなしがらみのなかでこれが欲しくて生きている。ここに言葉がことば自身を生きるということがあるとわたしは考えています。そのとき、ここがどこかになり、浄土が歩きます。

内面化された自己を語っているのではない。けっして共同化することも内面化することもできない、この場所。それ自体。昔も今もこれからも、世のなかのしくみがどうなろうと、この場所はあるし、ありつづける。わたしは生のこのありようを内包と名づけた。

少しリクツを言う。「またわたしを見つけてね」は、アキの不在の場所に向けた、祈念の垂直な時間性だと思う。朔は訊かれて「すぐに見つけるさ」と応える。あっ、そこに彼女がいるという空間の認知です。このときアキの時間と朔の空間化は瞬時で、言葉にすきまがない。根源の性を分有することをわたしはこう考えています。根源のつながりによぎられるということはこういうことです。内面化することはできません。分有するという出来事があるだけです。このとき生の不全感や空虚は入り込む余地がありません。
この関係のあり方のことを内包と言っている。内包に触ると、この世の外延論のしくみでは、自己は領域として現れます。自己幻想も対幻想も共同幻想もすきまだらけです。自己幻想のなかでも、対幻想のなかでも足下に水が流れているのです。
ふつうは気づかない。自己幻想は自己幻想で、対幻想は対幻想だと思い込んでいるから。内包論からみるとそれぞれの幻想にはそれぞれのすきまがある。そしてそれぞれのすきまを通して対幻想を媒介に、自己幻想が共同幻想と密通するのです。マルクスの資本論にしても吉本隆明も幻想論にしても暗黙の公理を同一性においているからだ。

この世のしくみのなかで対他性をうしなった垂直な時間性は同一性を公理として空間的に分割されます。それがわたしたちが生きている知のあり方です。レヴィ=ストロースの『遠近の回想』を読み返して気づきました。かれは少年のとき「私の生涯を根底から変えた」体験の悲しみを封印しました。哲学の内省では歯が立たないという体験だった。斯くしてレヴィ=ストロースは人が単子(モナド)に分割される以前の未開種族を観察したのです。内田樹さんが『日本戦後史論』(この本は読みやすくて面白いです)のなかで、自分のことを「典型的日本人」と言っていました。いったん自分を日本人のなかに融解してしまえばわかりやすい言説が可能です。だれもが身につまされるからです。しかしレヴィナスを研究する自分と社会化した自分のあいだにはすきまがあると思います。安倍晋三というオカルト男の悪政を批判する者たちはみなこの使い分けをしています。

けっして共同化することも内面化することもできない根源の性のつながりの垂直性は、このつながりを分有することではじめて空間化できます。空間化できるということは言葉が指示性をもつということです。そのときだけ言葉にすきまができません。心身一如のありように、この知覚を封じ込めると必ず意識に特異点が生まれます。この意識の不全感を解消しようとして神や仏という超越が呼び込まれたのです。わたしたちが信の共同性をつくってから、その後の1万年は、倒錯であれ、錯誤であれ、一瞬の出来事だったと言えると思っています。

この内包の考えを家族と親族に敷衍すると、家族と親族はまったく位相が違うことに気づきます。対幻想の本態は内包自然にあります。レヴィ=ストロースにも所与の天然の親族とそのつどの内包自然という家族の違いはわかりませんでした。文化人類学の幼さです。くり返しますが、天然自然としてある親族と内包自然の家族はまったく次元が違います。遠野物語の柳田国男の民俗学も、遠野物語を下敷きにして共同幻想論をつくった吉本隆明もおなじ轍を踏んでいます。共同幻想論は拡張できます。

今日は憲法記念日。わたしたちを取り巻く状況は剣呑になるばかりです。しかしわたしはいつも状況を超えていることにおいてすでに状況を超えているというわたしの生の知覚を手放すつもりはありません。険しくなる状況にあって、ほんとうに大事なことを言いつづけて行きます。

コメント

1 件のコメント
  • 倉田昌紀 より:

    こんばんは。小生、70歳にして墓仕舞いや家仕舞いという慣習となっている出来事に、棲んで生活している、このクニの紀州・熊野の社会という世の中(共同性)にてぶち当たり、歩く浄土の以下の言葉を、小生なりに噛みしめることができるようになった気が致しております。
    「まったくの受動性のうちにこの世に生を享け、名づけられ、ながくて100年のあわいを生きる。起源と終極を問わず、一切のなぜが消えるこの場所。さまざまなしがらみのなかでこれが欲しくて生きている。ここに言葉がことば自身を生きるということがあるとわたしは考えています。そのとき、ここがどこかになり、浄土が歩きます。
    内面化された自己を語っているのではない。けっして共同化することも内面化することもできない、この場所。それ自体。昔も今もこれからも、世のなかのしくみがどうなろうと、この場所はあるし、ありつづける。わたしは生のこのありようを内包と名づけた。」。そして内包とは、ということについて続きます。小生は、紀州・富田で噛みしめ味わい、我が言葉へと昇華させることができますでしょうか、とこの地方の場所で思いながらです。
    「根源の性を分有することをわたしはこう考えています。根源のつながりによぎられるということはこういうことです。内面化することはできません。分有するという出来事があるだけです。このとき生の不全感や空虚は入り込む余地がありません。この関係のあり方のことを内包と言っている。内包に触ると、この世の外延論のしくみでは、自己は領域として現れます。自己幻想も対幻想も共同幻想もすきまだらけです。自己幻想のなかでも、対幻想のなかでも足下に水が流れているのです。ふつうは気づかない。自己幻想は自己幻想で、対幻想は対幻想だと思い込んでいるから。内包論からみるとそれぞれの幻想にはそれぞれのすきまがある。そしてそれぞれのすきまを通して対幻想を媒介に、自己幻想が共同幻想と密通するのです。マルクスの資本論にしても吉本隆明も幻想論にしても暗黙の公理を同一性においているからだ。」小生は、70歳になって自分自身に迫ってくる当事者として、紀州・熊野での現場性を生きて生活する必然として、強弱はありますが、自らの状況と条件によって墓仕舞いや家仕舞いなどがやってくることによって、そのただなかを生きる中で、その隙間を発見し、日々心静かにと願いながら内包論を感じ考えて生きることができるようになった気が致しております。
    「けっして共同化することも内面化することもできない根源の性のつながりの垂直性は、このつながりを分有することではじめて空間化できます。空間化できるということは言葉が指示性をもつということです。そのときだけ言葉にすきまができません。心身一如のありように、この知覚を封じ込めると必ず意識に特異点が生まれます。この意識の不全感を解消しようとして神や仏という超越が呼び込まれたのです。わたしたちが信の共同性をつくってから、その後の1万年は、倒錯であれ、錯誤であれ、一瞬の出来事だったと言えると思っています。」。このクニの記紀神話からの紀州・熊野の共同性が、イリュージョンが小生のなかで軽くなってゆくのが体感できる言葉です。
    「この内包の考えを家族と親族に敷衍すると、家族と親族はまったく位相が違うことに気づきます。対幻想の本態は内包自然にあります。レヴィ=ストロースにも所与の天然の親族とそのつどの内包自然という家族の違いはわかりませんでした。文化人類学の幼さです。くり返しますが、天然自然としてある親族と内包自然の家族はまったく次元が違います。遠野物語の柳田国男の民俗学も、遠野物語を下敷きにして共同幻想論をつくった吉本隆明もおなじ轍を踏んでいます。共同幻想論は拡張できます。」。内包論の親族と家族の意味するところが、またその違いが、小生のなかでも心地よく安らぎながら、微風のようにこの紀州・熊野の白浜町富田で拡がりはじめ生成してゆく現象そのもを、そのものとして感じ考えることが小生なりにですが、歩く浄土から、その隙間のもっている可能性をお裾分けしていただいているようなのです。年齢には、関係がないことなのでしょうか、と感じながら。

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