日々愚案

歩く浄土256:複相的な存在の往還-やわらかい生存の条理13/死はどこにあるか

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死は領域となった自己という性のなかに生のくぼみとして存在する。

追い越しえない死の先駆性はどこにあるか。生のすぐ傍にある。生と死は相克するものとしてあるのではない。死は生の近傍に生の一部として存在する。このしくみをことばで言うのはむつかしい。もしも自己の手前に、領域となった自己という性がないとしたら、息の果てるところが死となる。意識の外延性が表現のすべてだと考えると死と生は相克する。
死は生の彼岸の共同幻想としてあるのだろうか。存在の複相性を往還すると死は生の近傍として存在することになる。意識を外延的に取りだすことを表現の公準としたわたしたちの生のありようは、自己を実有のものとして実体化するおおきな思考の慣性を曳きずってきた。はじまりの不明を含んでいるわたしたちの生は、生の終わりの不明も含みもつことになるから容易に共同幻想に同期する。なぜ自己の観念は共同の幻想に同期可能なのだろうか。始まりと終わりの不明は共同幻想としてしか語りえないからだ。あるいはジュリアン・ジェインズの二分心という共同幻想の遺制と言えるのかもしれない。共同幻想が燃え盛り荒れ狂うとき共同の幻想は神となって地上に君臨し、衆生は言うに及ばず、たとえ天皇であっても、怒り狂う神の声に臣従する臣民となる。二分心は過ぎた過去の心性ではないように思う。しかし二分心よりはるかな精神の古代形象が存在する。

生と死はカップリングするか。意識の外延性を基準にすると生と死は対等な格で、生は死への過程として存在することになる。絶息するところに死がある。わたしは生や死についての根深い思考の慣性をべつの自然へと転位することができると思う。意識の外延性が象った自然を包み込むもうひとつの自然を粗視化すればいい。生の果てに死があることをわたしたちはながいあいだ認識にとっての自然としてきた。文明の外在史と精神の内在史が記述される人類史の範疇では死はそういう自然としてあった。存在の複相性を往還すると生と死はまったく連結してないことになる。死を意識の外延性で考えると死は死であって生の果てることであると認識される。ここでは死と生は対立して相反する出来事だとされる。だれもがこの思考の慣性に囚われている。
体験に即して言ってみる。心の不穏が起こって死ぬなと感じたとき、ああ、あっけないものだなと思い、気がついたら生きていた。気づいたら生きているわけで、意識が戻らなかったら永眠となり、それまで生きてきた68年はまったくの無になる。言葉の修辞ではない。死によってわたしはまったく存在しないことになる。わたしが存在したことすらわたしが認識することはできない。なにしろ死を体験することはだれにもできないことだからだ。生の途絶はだれもが出会うことでありながら生がいきなり無となる。臨在するものたちがそのものの死を体験できる。斯くして始まりと終わりの不明は共同幻想という彼岸に疎外される。意識の外延性によってこの矛盾を解消することはできない。テクノロジーがアルゴリズムをどれほど精妙に内面化しようと、始まりと終わりの不明を精神現象の枝葉にすぎない科学知が解くことはない。ただ存在の全円性を往還するときまったく未知の生があらわれる。

『世界認識の臨界へ』のなかで西谷修は、ブランショやバタイユの〈非知〉と吉本隆明が親鸞論のなかで書いた、<〈知識〉にとって最後の課題は、頂きを極め、その頂きに人々を誘って蒙をひらくことではない。頂きを極め、その頂きから世界を見おろすことでもない。頂きを極め、そのまま寂かに〈非知〉に向って着地することができればというのが、おおよそ、どんな種類の〈知〉にとっても最後の課題である>に関連があるのかと訊く。吉本隆明はべつにバタイユともブランショとも関連は全然考えていなかったといい、当初は知に上昇したり、知に回収されたりしない、その日その日で生活していく魚屋さんとかに大衆の原像をなぞらえてきた。現在(1985年-森崎注)大衆は言葉に包囲されていると答える。<生まれ、育ち、婚姻し、子を産み、子に背かれて、老いて死ぬ>大衆の原像はどこに行ったのか。あることに吉本隆明は気づいていた。それがどこにどのようなものとしてあるかということの探究に余生をついやした。

<それはますますそういうふう(ますます大衆が言葉に包囲されていくこと-森崎注)になっていくので、具体的なイメージを思い浮かべることはもうできないんです。でもどうしても保存しておくべき原形みたいなものとしてあって、その原形を絶えずくり入れてない限りは知識や理念は閉じられてしまうほかないと考えられます。その概念はいまも捨てないで保存しています。「寂かに(非知)に向かって着地する」ということと関連するのですが、具体的にいって、西谷さんのいわれたように、ブランショの〈外〉へという概念で大衆の原像を想定することはとてもできないので、多分〈外〉じゃなくて〈内部〉だろうとおもいます。ただぼくの理解の仕方では、〈内部〉で、それじゃ〈内部〉のどこに言葉に包囲されていない、しかも支配的な体制からも別だという場所がありうるかという問題になります。具体的にいったらば、ますますそうなっていきます。ぼくはどうしても不可欠な一種のクラックみたいなものが存在し、言葉がどんなに大衆を取り囲んでも、あるいは階級という概念を社会の〈外〉にというふうに想定したりできなくなっも、〈内部〉の裂け目としてのクラックは必ず存在せざるをえないと考えているわけです。その内部にあるクラックというところに、大衆の原像というふうに考えられるものの根拠はあって、そのクラックだけは、なくなることはないでしょう。それは変形したり拡大したり、あるいは一時的にいえばもう潰されて閉じなくなってしまうように見えることがあるかもしれないのですが、それは必ず不可欠な要素として存在しうるとおもいます。そこが〈大衆の原像〉ということの根拠だろうなと、かろうじて考えてるんですね>(『世界認識の臨界へ』所収「大衆社会におけるエクリチュールの運命」インタビュー/西谷修)

発言時が1985年だとしても、おそろしく牧歌的なことを吉本隆明は言っている。いまわたしたちが当面している人間の歴史が根底から改変される、なにより人間という概念そのものが消滅する事態として日々の生に窮迫している。<国家のなかで国民主権や民主主義や基本的人権といった規範が、まったく機能しなくなっているのである>(片山恭一「今日のさけび」2019.9.24)人類の歴史の大規模な遷移はテクノロジーという科学知の急速な進展と結びついた強いAIが金融工学や最後に残された天然自然である心身がまるごとゲノム編集によって改変され商品になりつつあることからもたらされている。意識の外延史は人類史的な大革命の途上にある。この切迫感は吉本隆明のなかにはかけらもない。じつにのんびりとしているわけだ。

大衆の原像は外部ではなく内部のどこかに言葉に包摂されない場所がありうるかということになると吉本隆明は言い、内部の裂け目にクラックとしてあると大衆の原像を上書きし、見えにくくなった思想の根幹を言い当てようとする。吉本隆明は大衆の原像の無効性が言葉を超えて浸透してきていることに自覚的で、なんとか大衆の原像という理念を擁護しようとしている。大衆の原像という理念がどうしても引き寄せてしまう規範性が理念自体を呪縛してきたと考えているのがわかる。大衆の原像は内部の裂け目やクラックとしてあると言いながら、内部がどういうものであるか言えていないし、さらに内部の裂け目とはなにかもグリップできていない。それでも大衆の原像という理念を擁護し手放していない。文明の外在史と精神の内在史を大衆の原像が媒介するという社会思想が世界の変化の速度について行けてないということだと思う。

<生まれ、育ち、婚姻し、子を産み、子に背かれて、老いて死ぬ>ことに価値をおく畏るべき思想を生存の最小与件の還相の過程の表現とみればいまでも妥当な考えだと思う。大衆の原像から大衆を抜き去り、生の原像という理念の場所をつくり、その生の原像を領域となった自己という性として生きれば、世界史の転形期の中核で駆動される強いAIとバイオテクノロジーによって改変された世界システムの自然秩序と世界の属躰としての内面をつくりかえて未知の包自然がこの大地に降り積むことになる。

どれほど大衆の原像が言葉によって包囲されても包囲できない場所があると吉本隆明は言っているが、スマホが一瞬で世界に浸透し、スマホのつぎの時代がすでにはじまりつるあるとき、大衆の原像は無効でも、生の原像はまっさらの広大な未知を予感させる。言葉が包囲できない、内部の裂け目、クラックとして存在せざるをえないものとしてあると吉本隆明が言っているものとはなにか。裂け目やクラックはやがて「アフリカ的段階について」の考察となってあらわれる。発言は重複するが大事なところなので二箇所引用する。

<ヘーゲルが、アフリカ的段階を世界史から除外したのは、アフリカというのは原始・未開な地域であって、そこでは人間は動物とちっとも変わらない生活をしている、知的レベルも動物と変わらない、というふうに考えたからですが、僕はそうは思いませんし、そんなことで済むかよって思いますね。最近になって、アフリカの先住民とか、南アメリカの先住民とかといったアフリカ的段階で暮らしている人たちの日常を、翻訳を通して知ることができるようになりました。それで、僕が、「すげえことをいうなあ」っていうふうに思って、本当にびっくりしちゃったことがあるんです。僕が翻訳で読んだのは、アフリカ的段階で暮らしている呪術師の話です。呪術師というのは、おまじないとか、お祈りとかでもって、民衆の病気なんかを治してしまうという仕事をしているわけです。
 その呪術師のいっていることが、深いんですよ。呪術師がいっていることは、人間についてのある側面-社会性とか政治性とかといった側面は、欠落しているじゃないかといえば、その通りなんですが、個々の人間の生き方とか、人間の生涯の問題とかといったことについては、「あらーっ!」ってびっくりするほど凄いことをいっているんです。考察が深いというか、洞察が鋭いんです。キリスト教のような宗教の影響を受ける前の、もっと生な洞察が、そこにはあります。
 それは、人間が生涯を終えるとき、どうなるかってことについて、その呪術師が述べていることなんです。呪術師がいうには、人間が生涯を終えるときというのは、急に飛び上がるみたいに、精神がヒュツと飛躍して、どこかへいっちゃうというんですね。 死んじゃうなんていうふうに、ありきたりのことをいうんじゃなくて、そのときに精神が、連続的にじゃなく、いきなりって感じでヒュツと飛躍して、どこかへいってしまう、そして、その精神はまた生きるんだっていうんです。死ぬと天国へいくとか、浄土へいくとか、そんな後世の宗教の色合いに染まったようなバカなことはいわないわけです>(『超「戦争論」』下)

<人類史は、猿から分かれて数百万年の歴史がありますが、そこから人類史と考えると、文化史を歴史と考えるよりもはるか以前の状態から伝統的に受け継いで、そのときの精神状態から繰り返し修練でやっている宗教家がいる。そういう人のところへ文明国の人間が行って話を聞いても野次馬みたいなもので、客観的なだけです。ともかく初歩的なことからやってみろとやらされる、それ以外に知る方法がないのでやってみる。
 そうすると、死が怖いか怖くないかというのは問題外で、人間の死とは何かというと、あるときぴょんと跳躍した世界で生きるという言い方をしています。救済など全然考えていませんが、死ぬということはぴょんと跳躍して別の世界に移ること、つまり少しも死という概念が入ってこない。そのほうが、人類史をさかのぼるほど立派でいいなと思いました。そういう研究はヨーロッパのほうが先で、日本にも三冊ほど翻訳書が出ています。・・・宗教の発生や聖人君子の発生は文化史の問題で、そういう歴史の問題、人類史の問題ではないと思えるほど、見事なものです。
 ただ知識として教わってもしょうがないし、向こうも教えない、ちゃんと修行しろと言われる。どんな修行をしているかというと、例えば人間の目は一八〇度をちょっと超えるぐらいまでは見えても、あとは見えないと思っているのは大間違いで、全部見えるような修行とかです。そういうあらゆる感覚が拡大して、それでも死や生とは言わない、生死の概念はありません。文化史時代の宗教の元祖が生死の概念を作る以前のほうが、はるかにすごくて、これは本当だと思わせます。
 そういうことを考えると、ホスピスや安楽死というのは、もう下の下、堕落の極地みたいな考え方だと、どうしてもなります。医学が介入すべきではない。科学というのは一番新しい宗教ですが、正確に科学的に言えるものは大変少なくて、たいていは医学のある分野で専門家だというだけで、人間全体についての専門家ではありません。ましてや、人間が消滅するかどうかということについて医者が出張ってくるというのは、今の科学宗教の結果です。それが法律と関係するとそうなっている。でも、死はそんなちゃちなものではないみたいなことは言えます>(『老いの超え方』)

わたしの記憶では吉本隆明は呪術師と親鸞を比較し親鸞の考えは呪術師にくらべるとちゃちな考えだと述べたことがある。どうしてもどこに書いてあったか思い出せない。なにを吉本隆明は言おうとしているのか。文明の外在史と精神の内在史を数百万年の人類史によって相対化しようとしている。わたしも内包論で精神の古代形象はモダンな人類史をはるかに遡及することができると考えてきた。人類史のスケールの幅をおおきくとると、生を終えるとき、精神は飛び上がるようにしてヒュッとどこかにいってしまい、そこでまた生きることになる。生の果てにぴょんと跳躍した世界で生きると呪術師の語りから述べている。わたしの理解では呪術師は迷妄のかたまりであるから吉本隆明は過剰評価をしているということになる。

生と死が連結していない時代が人類史のなかにあると吉本隆明は言う。最晩年、吉本隆明はアフリカ的段階についてという考察に没頭して、あることに気づいた。ここでも吉本隆明の思考は意識の外延性を表現の自明の公準として行使している。文明の外在史と精神の内在史を相対化する概念としてアフリカ的段階を構想した。底の底まで理解されることはなかったが吉本隆明は大衆の原像を往相ではなく還相の表現としてなしていたのだ。大衆の原像を還相廻向とするならば比喩として語ることはできても大衆を実詞化することはできない。いつも内心で吉本隆明はそう考えていた。それが「おれの考え方の底のほうまで理解してくれた人はおらんな」という自負となってあらわれた。

わたしは吉本隆明のアフリカ的段階を内包化することができると思っている。アフリカ的段階を還相の過程として表現すれば、意識の外延性を可視化することも実体化することもなく、アフリカ的段階という理念そのものをふたつの素過程に還元しその素過程を縫い合わせることで内包史という理念が可能となる。

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これまでなんども取りあげてきた、親鸞の順次生から着想された「存在倫理」について肝心だと思えるところを引用する。吉本隆明の存在倫理は放置されたままでまだいちども読解されていない。だれから理解されることもなく吉本隆明は人類史を書き換え可能なところまで考えを進めていた。

<・・・人間が存在すること自体が倫理を喚起するものなんだよ、という意味合いの倫理、「存在倫理」という言葉を使うとすれば、そういうのがまた全然別にあると考えます><子供の方から見れば、別におれはこの世に産んでくれとか、生きたいとかいった覚えはないのに生まれた。だれから生まれたかというと、両親から生まれたことは確実なんだけれども、「存在倫理」といいましても、生まれてきたことに対しては半分しか責任は負えない。あとの半分は、自分のせいじゃない。自分が生きているのも死ぬのも、自分のせいじゃない><その問題を埋めるのは何なんだというと、父親と母親の前には、父親と母親の父親と母親がまだいてと、ずっとお猿さんのところまでさかのぼっていけば、全部理まっちゃうわけですよ。おれの意思で生まれたんじゃないし、産んでくれといった覚えはないとか幾ら主張したって、無限に上の以前までさかのぼっていっちゃうと、その空自な部分はみんな理まっちゃう。生死の内在性としてといってもいいし、遺伝子がみんな満ち満ちちゃって、おまえだけのなんていうのはなくなっちゃうんだよ、でもいいわけです><無限小になっちゃうようなところから続いてきた一種の信仰性とか、信念とかいうものの前には、おまえの存在なんて大した意味はないんだから、そんなものは捨てちゃっても構わないんだみたいな観念が出てくるのは当然であって、古い宗教的な心理状態とか精神状態をどこまでもさかのぼっていけば、どうしてもそうなります。おまえの存在、おまえが生まれたいという意思とか、産んでくれとかいうところから出てきたものは何もなくて、ただ、無限に遠い以前からちゃんとそういうふうに考えると、おまえの分は何もないんだから、生命と取りかえっこ、存在と取っかえっこすることは、いってみれば、倫理の最も根本のところに点として、核としてあるものであって、宗教的なものとは取っかえられるということが出てくることはあり得ますね>(「存在倫理について」吉本隆明VS加藤典洋『群像』2001年11月1日)

言葉から包囲された大衆の原像の内部に裂け目としてあるいはクラックとして言葉がどんなに大衆を囲んでいるように見えても大衆というものの不可欠の要素として存在する。この触感はアフリカ的段階というおおきな概念となり、存在倫理の核までいくと、存在と存在が入れ替わり、宗教的なものと取りかえられる。最晩年にやっと吉本隆明はどうやれば国家から折り返すことができるかを言いかけた。そこに宗教から法へ、法から国家へと可視化されてきた権力の解体の可能性がかすかに垣間見えている。「歴史の究極のすがたは、平坦な生涯を〈持つ〉人々に、権威と権力を収斂させることだ、という平坦な事実に帰せられます」(『どこに思想の根拠をおくか』)から4半世紀を経て宗教という共同幻想の解体を語り始めた。ほとんどわたしの内包論とおなじ思考の地平に吉本隆明の思想はさしかかっていたように思う。

吉本隆明の大衆の原像から大衆をぬき去り、生の原像に拡張し、その生の原像を往還すれば、自己は〔領域〕となり、〔領域となった自己という性〕として生きられることになる。歴史というあみだくじを逆にたどって吉本隆明は存在倫理をみいだし、大衆と宗教を解体したとわたしは理解している。先史の長い人類史の幼年期のなかで自他未分の情動を子守歌のように揺籃した喃語という情動は文字として楔形文字や象形文字となって視覚化され、貨幣と国家が誕生した。このモダンなアルゴリズムの世界から現在までは一瞬で一直線だった。意識の外延史はそういうものだったといえる。

<生と死を、ここと、こことはべつのところと言い換えてみる。生は死とペアリングしているのではなく、ここと、ここではないべつのところとリンクしている。存在を複相性として考えるとそうなる。生と死という対概念は人類史のモダンな表象ではないか。数百万年の人類史にとって生や死は、あるいはたかだか1万年足らずの人類史の文明が精神を俄かに存在を分別しただけではないのか。存在を粗視化する観念の網の目がモダンすぎるような気がしてならない。いまここにあることが生のありようだとすると、死という観念はぽんっとここではないところにいきなり転位する。モダンな人類史は内包的な生を表現することができず心身一如の破綻を死と名づけた。そうすると親鸞の横超は遙かな精神の古代形象のおおきな可能性であり、その名残りと言えるのではないか>(「歩く浄土254」)

生涯の終わりにひゅっと行ってしまう、ぴょんと飛躍する、死ではないなにかはどこに行くのだろうか。〔領域となった自己という生〕の近傍にわたしより近いものとして臨在する。同一性では表現することができない根源的な差異はこうやって生を統覚している。存在を往還するとはそういうことではないのか。始まりと終わりの不明のあわいに生があり、自己や対や共同性を同一性がこの生を統覚している。始まりの不明があり、生の淡いがあり、やがて終わりの不明がある。
吉本隆明は言葉に包囲された大衆の原像に言葉が侵入しないある領域があって、それは大衆の原像の裂け目やクラックとしてあると考え、長い年月をかけてアフリカ的段階という概念を手にし、生の終わりにここではないどこかにひゅんと跳躍すると述べている。そしてついに倫理の最も根本のところに点や核として、存在を取りかえることで宗教的なものは解体できるのではないかと発言している。最期の吉本隆明の遺言だとわたしは思う。

ここでもまた吉本隆明は還相の過程を竪超として可視化している。意識の外延的な表現を疑うことが吉本隆明に訪れることはついになかった。むしろどうやっても自己を自己にとどけることができない意識の外延性という往相の知が不可避とする生の不全感や空虚を表現の主題にすればよかったが、吉本隆明にとって烈々とした業火であった共同幻想のしくみをあきらかにすることに目を奪われた。そうするよりほかに生きることができなかった時代の申し子であったと言える。解けない主題を解けない方法で解こうと生涯をついやしたが、その生のなかに欺瞞はみじんもない。

わたしにとって大衆の原像という理念が意味をもったことはいちどもない。知識人と大衆という衆生を睥睨して生を分割統治する権力の視線はただ異物としてあった。多くの人のなかのひとりとして、生きたいように生きようともがき、たくさんのもめ事を抱え、行き詰まり、煩悩のかたまりとなり、日々をひりひりじんじんしながら生きてきた。名づけようもなく名をもたないこの生のありようを、総表現者のひとりとして生きることと名づけるのに、わたしはほぼ半世紀の歳月をひつようとした。

30年前に吉本さんとの対談でつぎのように話した。<自己幻想と対幻想と共同幻想があるというときに、自己幻想という位相のなかに、対幻想という位相のなかに、すき間というか、割れ目というか、そういうものがあるような気がぼくの実感としてあります。つまり自己幻想と対幻想という理念を可能にするその位相にすき間があって、そこのところにぼく自身の考えている対の内包像というものが、どうも、あるような気がします。対の内包像にふれるというか、さわるというところで可能になってくる〈ある世界〉や、まわりの世界に対する感じ方や考え方が、ひとつあるんじゃないか、そこのところを〈もうひとつの現在〉というところで考えていきたいという、そういうふうにおもっています><自分と自分が持つ関係のなかや、おとことおんなの関係のなかにも裂け目があって、その裂け目をすーっと流れているものがあるという気がするわけです。それがぼくの性のイメージです。(*)(「対幻想の現在~疎外論の根源」『パラダイスへの道90』所収)

いまは対談のときのもどかしい気持ちは、同一性が可能とする自己幻想と対幻想を還相の性が統覚していると言うことができる。対の内包像の核に還相の性があるということだ。根源の性を分有することによってわたしがわたしである各自性が固有のものとして表現されることになるが、同一性を実有の根拠にしたわたしたちの思考の慣性からは自己幻想のなかに、あるいは対幻想のなかに裂け目があって、そこをなにかが流れていると知覚される。内包を究尽することでようやく生の原像を還相の性として生きるというリアルをつかむことができたように思う。還相の性によぎられ〔領域となった自己という性〕を生きるとき生の往還が可能となる。根源の性を分有することによって死は生としてあらためて生きられる。だれがその死を領有するのか。領域となった自己という性であるわたしである。追い越しえぬ死の先駆性は意識の外延表現の公準だが、還相の性によって領域となった自己という性のなかで生よりも近いものとして生きられる。言葉の戯れではない。だれがこういうことを言っただろうか。いずれにしても存在の複相性を往還すると死は生の近傍に生として臨在することになる。(この稿つづく)

(*)おなじことをつぎのように書いたこともある。<僕の感じる世界では、「私」の裂け目から「性」の裂け目にむけて、足もとを水が流れるように、しんしんと流れる何かがあります。「自分」のなかの裂け目、「対」のなかの裂け目を流れて、流れ合い求心する、目には見えないけれど存在するものが確かにあります。それが対の内包です。この対の内包にふれることで、〈わたし〉がぽぉーっとあらわれるのです。この〈わたし〉は太陽をいっぱい吸った、ひりひり、じんじんする〈わたし〉です。近代が見つけてめいっぱい磨いた膨らまない「私」とはちがいます>(『内包表現論序説』所収「百倍わかりやすくなる内包表現論インタビュー」410p)

 

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