日々愚案

歩く浄土32:共同幻想論の拡張5

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吉本隆明さんの『共同幻想論』をあつかうわたし自身の現状認識、世界認識の方法について語ります。
戦後まもなく書かれた吉本さんの「マチウ書試論」と「転向論」と後期の共同幻想論にからめてそのことを述べようと思います。わたしは吉本さんの共同幻想論やかれの世界認識を拡張することができると考えています。

ここでマチウ書が提出していることから、強いて現代的な意味を描き出してみると、加担というものは、人間の意志にかかわりなく、人間と人間との関係がそれを強いるものであるということだ。人間の意志はなるほど、選択する自由をもっている。選択のなかに、自由の意志がよみがえるのを感ずることができる。だが、この自由な選択にかけられた、人間の意志も、人間と人間との関係が強いる絶対性のまえでは、相対的なものにすぎない。(略)秩序に対する反逆、それへの加担というものを、倫理に結びつけ得るのは、ただ関係の絶対性という視点を導入することによってのみ可能である。(略)加担の意味は、関係の絶対性のなかで、人間の心情から自由に、離れ、総体のメカニズムのなかに移されてしまう。

戦後を生きようとした吉本さんがたどりついたひとつの場所、それが「人間の意志も、人間と人間との関係が強いる絶対性のまえでは、相対的なものにすぎない」という覚知だった。吉本隆明は心底そう思った。人間の意志というものはこの関係の絶対性のまえで相対的なものにすぎないことを文学青年だった吉本隆明は骨の髄まで体験したという。そのとき吉本隆明は世界認識の方法をもたなかったと言っている。ひとかどの文学青年であったが戦争の体験のまえにかれの内面は脆くも崩壊したとくり返し表白している。この場所からかれは「転向論」を書き、戦後随一の思想家として時代を独走し、思想家としての生涯をまっとうした。吉本隆明の思想の全容についてはいまはいい。吉本隆明の世界認識の骨格について抽出したいのだ。吉本隆明は「転向論」で言います。

敗戦体験は、こういう気狂いじみた執念のいくつかを、徹底的につきつめるべきことをおしえてくれた。わたしは、ただ、その執念の一つをたどってみたいのである。
わたしの欲求からは、転向とはなにを意味するかは、明瞭である。それは、日本の近代社会の構造を、総体のヴィジョンとしてつかまえそこなったために、インテリゲンチャの間におこった思考変換をさしている。したがって、日本の社会の劣悪な条件にたいする思想的な妥協、屈服、屈折のほかに、優性遺伝の総体である伝統にたいする思想的無関心と屈服は、もちろん転向問題のたいせつな核心の一つとなってくる。(大和書房刊『全集撰3』10p)

「マチウ書試論」は1954年、「転向論」は1958年に発表されています。このふたつは吉本隆明の思想の骨格になっています。後年、『マス・イメージ論』や『ハイ・イメージ論』を現代の共同幻想論として構想したと発言しています。消費社会が興隆し、日本という国が土台から変貌しているという認識が前提としてあったのです。死にものぐるいでそこを探り、知の大転換をした、と。戦後二度目の知の転換であり、それは「我が『転向』」であると断じました。日本社会の構造を総体のヴィジョンでつかもうとする吉本隆明の渾身の表現であったことはたしかです。

わたしはすでに4半世紀まえに吉本隆明の思想を第一次の自然表現であると一括りにしました。吉本さんの幻想論は自己意識の外延表現に閉じられているとも言ってきました。そのことはじぶんにとっては明瞭で明白なことです。吉本隆明の思想を拡張する試みが内包論であると言うこともできます。機会あるごとにそのことを言ってきました。もちろん吉本さんの思想だけがそうであるというのではありません。わたしにとってはヘーゲルの思想も、マルクスの思想も、フーコーの思想も、それぞれの個性的な表現がなされていますが、かれらの思想も自己意識の外延表現という表現の範型と言えます。

ここであらためて吉本隆明の思想の骨格を素描してみます。
「マチウ書試論」で書かれた「関係の絶対性」というのがくせものです。「関係の絶対性」という言葉には読む側のいろんな思い入れができますが、むしろ「関係の客観性」に近いニュアンスだと理解しています。マルクスの経済論にたいして、吉本さんの幻想論が構想されていたと推測します。社会的な存在が意識を決定するならば、意識がなかったら存在を措定できないではないかという吉本さんの詩的な直感があったのです。猫も杓子も下部構造決定論で社会のしくみを説明し、それはそれはかまびすしい光景であったと思います。「優性遺伝の総体である伝統にたいする思想的無関心」の渦中で共同幻想論も構想されたに違いありません。マルクス主義の重力をはねつける自立思想としてつくられました。情況にたいして的確に発言し時代の思潮を長期にわたって牽引しました。その力業はほかのだれもなしえないことでした。

しかしこう思うことがあります。いま吉本さんが健在だとして、この国の行方について吉本さんの思想は有効なのだろうか、状況にたいしてなにか資することはあるのだろうか。こういう問いをすることが時折あります。情況に屹立する言葉は後期の吉本さんの思想にはないように思います。日本社会の構造の総体のヴィジョンをつかみ損ねたのではないかという根深い疑念があります。前期共同幻想論の頃は敗戦から低く身を起こした吉本さんの体験が生きていました。二度目の転向をなしたイメージ論以降は観察する理性が顕著でした。なにか現場にいないのです。そこにいてそこを生きている言葉が希薄でした。ぱちぱちと熱ではぜる言葉がなかったのです。
重層的な非決定では日々はしのげないのです。思想は25時間目の問題だからといって済む問題ではなかったと思います。重層的な非決定では生の輪郭がつくれません。あらゆることが相対的であるようには人は生きていません。かくして吉本隆明は真っ黒に塗りつぶされた無を手にしたのです。吉本さんの思想では生がふくらまないのです。なにかこれは根本からおかしいです。

もう少しじぶんの実感に即して吉本さんの言葉を読み解いていきます。
若い時期に吉本隆明の言葉があったから生きられたということは事実です。吉本さんの発する言葉はわたしにとって解釈やりくつではなかった。吉本さんの言葉にわしづかみされたのです。このひと言があれば生きられるものとして。わたしを鼓舞したのはかれの精神の垂直性でした。惹きつけられました。吉本さんの共同幻想という言葉ひとつで絶対孤立の、無援の戦争をひとりでやり抜くことができました。思想が人の生を根こそぎにさらうことのすさまじさがあります。知識にいのちを賭けることはできません。解釈にじぶんの生の全部を賭けることはできません。そのころの吉本さんの言葉は力にあふれていました。おまえのやったことは唐獅子牡丹かと訊かれたら、違うと答えます。

ここからさらに吉本さんの思想の深淵に踏み込みます。そこは、死から照らされる生と吉本さんが言っている、自他未生の幽明な場所です。わたしの知るところではだれもここに立ち入っていません。わたしの理解する吉本隆明の思想のもっとも深いものがここにあります。
たとえば人間が平等であるというのはかれのつかんだ知覚です。人権の概念とは無縁です。ここは断定します。かつて鮎川信夫との対談のなかで知性の優劣はないと断言しました。えっ、きみ、それほんと、と鮎川信夫は聞き返しました。はい、ぼくは本気でそう思っています、と返答しています。これも吉本隆明がつかんだ知覚のひとつです。むろん人権とは無縁です。この言明にウソはないと断言していいといまでも考えています。吉本隆明はそういう人です。ああこの人の言うことだから信じられる、信じてもいいという、理不尽な魅力が吉本さんの思想にはありました。

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敗戦の体験が吉本さんに共同幻想論を構想させました。共同性に絡みとられた自己とはなにか。考えに考え抜いたのだと思います。遺制としてのこる伝統や習俗が優勢なこの国でどういう思想が可能か、かれは猛烈に考えました。共同的な価値よりも私性を断固擁護するという理念はりくつというものではなかったと思います。私性を優位におくということは個人の恣意性を基本にするということです。この姿勢は徹底したもので生涯揺らぐことはなかったはずです。個人としては自由に気ままに生きたいのに不可避に共同幻想をつくってしまったということが共同幻想論に通奏低音として流れています。
人間はもともと社会的人間ではないという認識が生の根底にあります。勝手気ままに生きたいのに共同幻想という余計なものをつくってしまった。個人の恣意性を邪魔するなという理念以前の感覚がかれにあります。個人のほうが社会よりおおきいという感覚と言ってもいい。かれには実感に言葉の輪郭を与えたいということがまずモチーフとしてあります。前期の吉本さんの思想にはじぶんにとって切実なことは他のだれにとっても切実なはずだという強い思い込みがあって、そこにかれの精神の垂直性があり、思想の魅力の源がありました。

ほんとうにかれは個人と共同性のあいだで生まれる歪みが人間にとってもっとも本質的な不幸だと考えていたのか。共同幻想を廃滅すれば個人は幸せになると本気で思っていたのか。わたしは違うと思います。1973年の秋にはじめてお会いしたとき、唯物的・科学的・現実的という印象をもちました。それから何度かお会いしましたが、その印象は変わりません。対象をおおざっぱにわしづかみすることにだれよりもたけていました。対象をむんずとつかむ膂力はぬきんでていました。比類のない才能だと思います。そして一見矛盾するようですが、どうじにかれには独特のはにかみがありました。はにかみをもったままシャーマンになれる人です。発語より沈黙の有意味性に重きをおく人です。それが吉本さんの大衆の原像です。
遙かな太古、海を見た原始人が意識のさわりをおぼえ、もうこれ以上この意識のさわりを内部にとどめ置きようがなく、「うっ」と発出する場面があります。まだなんの指示性ももちません。「うっ」という声、それ自体。しかし吉本隆明はこの「うっ」といううなり声に意識のさわりが重畳していると感得するのです。独特の感性です。これが吉本隆明の言語の表現論の核心にあります。

わたしが言いたいことはこの先にある。
沈黙の有意味性と個人の恣意性を優先するという言葉にはすきまがあります。擁護される私性の背後にある生の感受です。それをわたしはかれのはにかみと言うことに比喩しています。そうすると、吉本さんの恣意性の核心には沈黙が原自己表出としてあることになります。わたしの理解する吉本思想の最深の場所がそこにあります。

敗戦で生きた心地がしなかった吉本さんは個人の恣意性を根拠に太い思想を作り始めました。そのきっかけとなるものが「マチウ書試論」であり「転向論」でした。敗戦の体験が生々しいときはかれの言葉に肉感があり、共同幻想論は思想として時代に屹立しました。あらゆる共同幻想は消滅すべきであるとべらぼうなことが宣明されたのです。ひとを狂わせる言葉の魔力がありました。

消費社会が興隆してくるなかで発想の転換をしないと時代に振り切られるという切迫感が吉本隆明の内部で起こります。この時期に吉本さんは多くの読者を失います。

 ですから、僕は「転向」したわけでも、左翼から右翼になったわけでもない。旧来の「左翼」が成り立たない以上、そういう左翼性は持たないというだけです。だから僕は「転向」したと言われても一向に構いません。これは僕らが旧左翼のすべてを保守化、反動化と呼ぶのと同じことですから。自分自身では「新・新左翼」と自己定義しています。
 そして「七二年頃にどうやら時代の大転換があった」と分析ができてからは、挫折の季節を経てなお、かつての考え方にしがみついている人々とのつきあいは免除してもらうことにしました。これまでは、責任がないわけではない、と思ってきましたが、時代が変わってしまったんだから罪償感もこれきりにさせてもらおう、つきあいにエネルギーを費やすのではなく、自分の考え方を展開して公にすることにエネルギーを使おう、と考えるようにしています。(『わが「転向」』21p)

「挫折の季節を経てなお、かつての考え方にしがみついている人々とのつきあいは免除してもらうことにしました」とはっきり言っています。吉本隆明自身が発想の転換をしたのです。自己にとって切実でないことに目を向けよと言ったのです。つまりかれは出来事を空間化しました。
『マス・イメージ論』と『ハイ・イメージ論』が発表されるあいだ吉本さんは孤独な営為を重ねたのです。ここから吉本さんの後期の共同幻想論が始まりました。つまりかれは変貌する社会の構造を総体のヴィジョンにおいてあらたなイメージでつくりあげたのです。後期の仕事では世界視線という言葉がいまでも好きです。当事はよくわかったし、いまでもこの概念は生きています。むしろこの概念だけが、といってもいいくらいです。世界視線の感覚を理解しなかった読者は振り切られたと思います。

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世界視線とはどういう概念なのでしょうか。吉本さんの表現概念としての疎外がかたちを変えたものです。そういう意味では吉本さんの表現論は一貫しています。表現概念がつくる特異点をかれなりに消して見せたのです。かれ固有の生を無限に縮めることにおいて。沈黙の有意味性とは吉本隆明の生にある不全感からきています。この生の不全感は恣意性を共同性より優位におくことで解消することはできません。いつもかれの生についてまわるものです。かれの思想がかりに実現して国家という共同幻想が廃滅されてもかれの意識の異物感は遺ります。共同幻想が薄くなることでかれの自同律の不快が消失することはありません。じぶんがじぶんであることの理不尽さは同一性の影なのです。この影を消すには自己そのものを廃滅すれば可能です。意識の外延表現に沿った知の大転換を行使したのです。

そうです。かれが変貌した社会の総体をひとつのヴィジョンでとらえようとしたとき、かれはそうやってじぶんを消したのです。代償としてかれが手にしたものは空虚という主題です。沈黙の有意味性を生きていたときのかれは壮健でした。かれの敗戦の体験が生きていたからです。なんとかじぶんの敗戦体験からくる不如意をねじ伏せるしかなかったのです。かれの生の不全感と擬制の社会を批判する激烈さは調和がとれていたと考えられます。むしろ戦後の社会はかれの生の不全感を煽るように変貌しました。
生の不全感は自己幻想にも、共同幻想にも還元できません。それ自体としてほどくしかないのです。自己幻想が共同幻想と逆立するとか背反するとか矛盾するとか言って解決のつくことではないのです。おそらく吉本さんは知らずに知っていたと思います。

1990年に吉本さんと対談をしたときわたしは吉本さんに疎外論という意識の呼吸法とは違った呼吸法がある。それは奥行きのある点という概念によって可能だと言ったことにはそういう経緯がありました。自己意識の外延表現は不可避に表現の特異点をつくります。この特異点は自己を共同性に融即することで消すことできます。しかしここでは自己幻想も共同幻想も自然としてあらわれます。天意自然なりも則天去私も朕は国家なりもすべて意識の範型としては同型です。この国の自然生成が得意とするスキルです。それは所与のものとしてすでにある自然をなぞって追認するだけです。この技術には未知のものはなにもありません。すべて既知のことです。

吉本隆明の共同幻想論は原理的に矛盾をはらんだ体系です。自己という自然によって共同性という自然を消すことは原理的にできません。ただ前期の共同幻想論には論理というよりは言葉の勢いがありました。イッツ・オンリー・ロックンロールだったのです。

消費社会によってわたしたちの自然感性が書き換えられつつあったときにOh・Rock!は暑苦しいのです。だからアート・オブ・ノイズやクラフト・ワークのロックが心地よかったのです。物語が表白されることの清々しさがありました。貧血の時代の始まりだったと言えます。わたしには白い闇が押しよせてきていると映りました。吉本さんが知の大転換をしたのはこの頃です。後期の共同幻想論と『空虚としての主題』や『言葉からの触手』はセットです。一方で帰りがけの視線で理念としての大衆の実現を渇望し、かれが手にしたものは自己の恣意性にも共同性にも還元不能な空虚それ自体です。間違いなくそうだったと思います。生の不全感を自然に融即することで消すことはナイーブな吉本隆明にはできませんでした。自然への融即はしゃらくさい、おれにふさわしくない、と考えたと思います。かれは生の不全感を無限の彼方から視る方法を執りました。そこでは岩石も樹木も人の生も事物のひとつです。

では、理念としてある吉本隆明の壮大な思想と、卑小なかれの生の分裂はどうすれば埋めることができるのか。かんたんです。同一性に規定された自己を領域として生きればいいのです。それだけです。大衆を語ることなくじぶんの生を生きればいいのです。
無限遠点というランドサットからの視線というふうに世界視線は比喩されていますが、この理念は生の不全感を空間化することで消去するひとつのやり方です。フーコーが巧みでした。しかしこの意識の息づかいは生の不全感を見えなくすることはできますが、なくなることはありません。観察する理性のなかに無限小の空間としてのこりつづけます。まして重畳する現代の共同幻想を統覚することはできません。重層的な非決定として意志は留保されます。
もともと自己は領域としてあるのです。人の生の本来性はここにあります。だれにとってもそうです。領域としての自己を自己という実有や共同性というくびきに封じ込めたのは同一性なのです。この生存の形式はとても窮屈です。わたしが、ありえたけれどもなかったものを現にあらしめるということはこのことを意味しています。内包の知覚によってわたしたちの生はくるりと反転します。生の原像を還相の性で生きること。ここにわたしたち、ひとりひとりの生の固有性がくっきり浮かびあがります。当事者性を生きるとはそういうことです。ここはとても気持ちいいです。

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