日々愚案

歩く浄土29:共同幻想論の拡張2

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柳田国男の遠野物語を下敷きにして吉本隆明は共同幻想論という画期的な思想をつくりました。わたしは吉本隆明の共同幻想論を下敷きにして、内包論に拠って、国家の存在しない世界をつくります。吉本隆明の共同幻想論にたいして還相国家論が可能なことを示したい。わたしの構想のうちでは還相国家論は内包親族論へと組み替えられます。吉本隆明が果たしえなかった夢をわたしが実現する。

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吉本隆明は『最後の親鸞』で非知について語ります。

最後の親鸞にとって、最後の親鸞は必然そのものだが、他者にとっては、遠い道程を歩いてきた者が、大団円に近づいたとき吐き出した唇の動きのように微かな思想かもしれない。・・・(略)・・・〈知識〉にとって最後の課題は、頂きを極め、その頂きに人々を誘って蒙をひらくことではない。頂きを極め、その頂きから世界を見おろすことでもない。頂きを極め、そのまま寂かに〈非知〉に向って着地することができればというのが、おおよそ、どんな種類の〈知〉にとっても最後の課題である。この「そのまま」というのは、わたしたちには不可能にちかいので、いわば自覚的に〈非知〉に向って還流するよりほか仕方がない。しかし最後の親鸞は、この「そのまま」というのをやってのけているようにおもわれる。(決定版『最後の親鸞』26~27p)

見事な文章です。吉本隆明の思想の精髄がここにある。どうじに、ここに吉本隆明の思想の制約があると看取できる。だれがやろうと外延表現ではここまでしかくることができないのです。知にとっての最後の課題は、知の頂点から世界を見下ろすことでも、そこへと人々を教宣することでもなく、この頂からそのまま非知へと降り立つことだと言います。よくわかる。それは不可能に近いので自覚的に還流するしかないとも言われている。ここも諒解できる。つづいて非知と無智の違いについて吉本隆明は言います。

親鸞は、〈知〉の頂きを極めたところで、かぎりなく〈非知〉に近づいてゆく還相の〈知〉をしきりに説いているようにみえる。しかし〈非知〉は、どんなに「そのまま」寂かに着地しても(無智)と合一できない。〈知〉にとって〈無智〉と合一することは最後の課題だが、どうしても〈非知〉と〈無智〉とのあいだには紙一重の、だが深い淵が横たわっている。なぜならば〈無智〉を荷っている人々は、それ自体の存在であり、浄土の理念に理念によって近づこうとする存在からもっとも遠いから、じぶんではどんな〈はからい〉ももたない。かれは浄土に近づくために、絶対の他力を媒介として信ずるよりほかどんな手段ももっていない。これこそ本願他力の思想にとって、究極の境涯でなければならない。しかし〈無智〉を荷った人々は、宗教がかんがえるほど宗教的な存在ではない。かれは本願他力の思想にとって、それ自体で究極のところに立っているかもしれないが、宗教に無縁な存在でもありうる。そのとき〈無智〉を荷った人たちは、浄土教の形成する世界像の外へはみ出してしまう。そうならば宗教をはみ出した人々に肉迫するのに、念仏一宗もまたその思想を、宗教の外にまで解体させなければならない。最後の親鸞はその課題を強いられたようにおもわれる。(同前 29p)

知の頂からそのまま非知へと還っても、無智そのものと非知のあいだには紙一重の深淵が控えているというのです。親鸞も非知を無智へと解体することはできなかったとべつのところで言っている。吉本隆明は自身を親鸞になぞらえています。
「進撃の内包2」でそのあたりのことを少し書いた。

 吉本隆明の最深の思想の根っこには呪文のような言葉がいくつかある。正定聚もそのひとつだ。じつにわかりにくい。言い出しっぺの親鸞でさえうまく言えなかったのだとずっと思ってきた。

まづ善信が身には、臨終の善悪をば申さず、信心決定の人は、うたがひなければ、正定聚に住することにて候ふなり。さればこそ愚痴無智の人も、をはりめでたく候へ(『末燈鈔』)

正定聚のわかりにくさについて吉本隆明は言っている。

『教行信証』を見れば解りますけど、『教行信証』の最後のところに、自分がとうとう浄土宗のほんとうの信者になれなかったという。どこかっていうとひとつには、自分は妻帯するっていうか、女性との関係ということで言えば自分が最後まで浄土宗の教典がいう意味での禁欲っていうか、僧侶らしさというものを、とうとう守れなかったということ。もうひとつは他人(ひと)の先生みたいな顔、人士というか、他人(ひと)の師みたいな顔をして説くことをやめてない、このふたつが決定的で、自分がとうとう浄土教の本筋にいけなかったということ。・・・

それからいろんなことを言われてますけど、念仏も一念って言って一回やればたくさんなんだって言ったっていわれてますけど。そこは僕は知りませんけど、法然がそういう手紙を出してますね。親鸞に宛ててるわけじゃないけれど、越後庄に集まった人たちに宛てている。お前たちは、勝手に一念、南無阿弥陀仏で一生に一度でいいんだとか、無念義って言ってそんなものはいらないんだって言ったりしているけど、直接自分が行って膝を交えて説きたいけれど、それは間違いだって『一念義停止起請文』っていうのを書いてますけど。いい文章ですけど。もう親鸞のほうは、そんなこと問題にしないって、ただ自分に懺悔するだけって言ったんですけど。

どうしても先生づらして千葉県の民衆に説くことと、妻帯して女性と関係することだけはやめられなかった。そのふたつで浄土宗を失格しているという懺悔を、法然に対してだけじゃなく、誰にともなく懺悔をしている。そのために俺は正定聚にどうしてもなれなかったっていう。

僕は最後のところがよく解らなくって、去年か一昨年、やっと、一昨年くらいに自分なりの解釈を『太陽』っていう平凡社から出ているものの中に書いている。要するに浄土の真宗と親鸞が言っているものは、自分が宗教でもって民衆に近づこうっていうふうに試みてきたけれど、とうとう最後まで近づけないで残った。親鸞は最後まで近づけないで残っている、その残っているというところが浄土の真宗だ、というふうに親鸞は考えているというふうに僕は………。もう時間がないし、何に対して時間がないかというのは曰く言い難いんですけど、これが親鸞の最後の結論であるというふうにして、僕は『太陽』に書いているんですけど。

僕は、これで親鸞の結論はこうだったっていうふうにしちゃえっていう、自分を急かせるものがあってそういうふうに解釈したのですが、それが最後だっていう、意味があると思うんですね。(「菅原則生のブログ」吉本隆明さんを囲んで2)

教理上の親鸞も「正定聚」についてもどかしい言い方しかできていない。吉本隆明も最晩年までわからなかったと言っている。だれにとっても、万言をついやしても言い当てられないのだと思う。
なぜか? それは正定聚が同一性の彼方にあるからだ。

少し前に「親鸞の未然」を書きました。親鸞の「正定聚」という考えにはやり残したことがあるという気がしていました。同一性の思考をたどるかぎり、正定聚も、非知の思考も自覚的に還流するというやり方でしか世界を語ることはできません。
吉本隆明は国家は共同幻想であると考え、対幻想をひとつの節目として自己幻想が共同幻想へと回収されるしくみについて解明しました。だれもなしえなかったことを吉本隆明はやり遂げました。すごいです。まったくの独創です。おおいに鼓舞されました。
それでは消滅すべき国家という共同幻想をどうやったら解体できるかということについてはっきりとはついに言いませんでした。

    3
国家より自己という概念のほうがおおきいから、国家は個人に対して矛盾や対立や背反するものとしてあらわれるものであり、自己幻想は共同幻想に逆立する、これが根拠であるとしか言っていません。消費社会の主人公は消費者だから、消費主体は政府をリコールできるとか、無意識の大衆が歴史のなかで迫りあがってきているとか、いろんな言い方をしています。わたしとの1990年の対談でも吉本さんは言っています。
本人は認めないでしょうが、吉本隆明の大衆への偏愛はむしろ信仰に近いものがあります。

 つまり、帰りがけの視線といいますか視野からみた大衆というのが理念になるっていうことは、もう、これからもし歴史に課題があるとすれば、それしかないとぼくにはそう思えますけどね。それが誰もできてないんだよということで、それだけしか歴史のなかに残ってないんだということです。少なくとも、人類の現在の世界の歴史の一番先端の部分で捉えるとすれば、もうそれしかどこにも残っていない。もうそれがいらないんならば、別に歴史はいらないし、社会もいらないし、社会が変わることもいらないし、何にもいらない。
 なぜなら既にもう大衆は、日本を例に取れば、七割八割が私たちは中流だと思ってそう言っているから。中流っていうのは何もする必要がないんだよおれは、もうこれでいいんだよということです。あと上流になるっていうのがあるかもしれないけど、もう一通りやることはないんだよって、もうちゃんとおもっているわけだから、大衆自身が。ずぶずぶの大衆はそうおもっているんだから。
 だけど、どう考えてもそれが歴史の最後だとかいうふうにはとてもおもえないわけです。だから、唯一課題があるとすれば、大衆っていうのをむこうから、帰りがけの視線でみて、理念としてちゃんと取り出せて、あなたの内包表現論じゃないけど、それに近いところから少しずつこの理念がやれてくるっていいますかね。大衆っていう理念が実現されていくっていうことです。ぼくにはそう思えるわけです。(『パラダイスへの道’90』所収「対幻想の現在」110~111p)

 最初に、『マス・イメージ論』にとっかかったときに、結局、ぼくは、『マス・イメージ論』というのは、そういうふうに言ったこともありますけど、『共同幻想論』の現代版だと自分のなかでは位置づけました。『共同幻想論』ていうのは、過去を踏台にして、自分の考えを作り上げていったというものですけど、これはいっさい過去を踏台にするってことをやめて、現在目の前に展開していることだけを素材として、『共同幻想論』と同じ方法といいましょうか、これを使ったらどういうことになるのか、何が見えてくるんだということをやろうみたいにおもって、それから場所の大転換をしたと思います。
 そして場所の大転換と一緒に、たぶんイデーの、理念の大転換というのをしたとおもいます。それはやっぱり、知識人と大衆とかっていう、そういう言い方をすれば、なんていいますか、徹頭徹尾、大衆っていう基盤を、まず基にしようじゃないか、つまりじぶんの発想の基にしようじゃないか、つまり、これはあなたの引用しておられる、大衆の原像っていう場合には、イデー、理念としての大衆のイメージですから、実際に大衆がそうであるかどうかということとは、あまりかかわりなく、イメージの原像っていうのはつくってきたわけですけども、そうではなくて、実際問題として、大衆という理念っていうのを、まず自分の理念の重さとして、そこに重さをかけてしまおうじゃないかというふうに転換したと思います。理念もそこで転換をしたとおもいます。(同前 120~121p)

長々とコピペしているのは、わたしと吉本さんの根底にある発想の違いを浮かび上がらせたいからです。引用の吉本さんの発言への違和感には底流するものがありました。

ところで中上健次は『25時』の集会のなかで吉本隆明から次のように批判される。「もう一回丁寧にいえばさ、あなたが否定するときに、自分を五体持っててね、しゃべりもするし何もするっていう、そういう認識を急にただの一点に体を収縮してしまう。たとえば村上龍の小説はだめだっていう否定性を貫く場合に自分の体を一点に凝縮しちゃう。そういう否定性の仕方を、ぼくは党派であり左翼であるっていってるんですよ。(『内包表現論序説』)

甘くしてるから論ずる対象としてのぼってくるっていうことじゃない。それは領域だからですよ。それ以外に生きられないでしょう。生活人としては生きられますけど、思想は生きられないでしょう。無効なことをやってる人間、つまり二十五時間めで本来やるべき事柄をやっているわけ。それはそれだけの領域じゃなきゃ生きられない。(同前)

日本社会の総中流化を前提にした吉本さんの発言です。違和感がありました。思想は領域であり、そこでしか思想は生きることができないというとき、吉本さんはどこにいたのか。対談のときにわたしはつぎのように言いました。

ぼくはこんな気がするんです。ほんとうに正直に申し上げるんですけど、吉本さん、対象をこう見られているような気がするんです(といって、一本のボールペンを目のまえに、両眼に平行におく)。ぼくはこれを、こっちから(といって、目のまえに両眼に平行におかれたボールペンを横からのぞく)みる見方というのがあるような気がするのです。そうするとこの領域っていうのは、こっちからみたら点だけれども、あるいは観念の楕円体でもいいんですけども、それはたしかに点だけれども、その点がそのままに領域だという、そういう感じかたが内包表現ではどうもできそうな気がするわけです。(『パラダイスへの道’90』所収「対幻想の現在」)

吉本さんは自己というものを心身一如の閉じた点のようなものとして考えています。わたしは自己は領域であると考えてきました。ここには世界を感受するときのおおきな違いがあります。わたしはそびえ立つ吉本さんの世界思想を微分したのです。
帰りがけからみた大衆という理念を実現することが歴史だと吉本隆明は言います。当事、かれはここに思想の全重量をかけ、このことをつよく主張しました。重層的非決定。なつかしい言葉です。この国が総中流になったと言われていたころのことです。その後、貧困社会が到来したことはここでは問題としません。吉本さんの発想の型を取りだしたいのです。
吉本さんは自己の不全感を括弧に入れて、大衆という理念を空間化しています。未開種族を観察したレヴィ=ストロースも「私の生涯を根底から変えた」厄災の体験を空間化しています。『遠近の回想』のなかで言われていることです。がらんどうの自己のなかを渺々と風が吹いていた。自己の思想の営為がほんとうはとても空しかったはずです。

吉本さんの愛好する大衆の解像度をあげると、あるいはかれの大衆という理念を微分すると、そこにひとりひとりの生の固有性が浮かびあがってきました。吉本隆明の思想ではこのことは感知できません。彼の思想はそういうふうにはできていないのです。生きた時代の違いには還元できないものがそこにはあるような気がします。世界にたいする触り方の違いです。根本的な違いだと思います。

理念としての大衆を実現することが歴史だというのはお節介です。かれがじぶんの固有の生を生きればよかったのです。それだけです。根源のつながりは目には見えない形でひとりひとりの生のなかに埋めこまれています。固有の生を生きるとはこの根源のつながりを生きるということです。もしも吉本さんにこの知覚があれば、往相の過程として記述された国家という共同幻想の頂から降りることができたのです。つまり往路で国家を解明したのに復路が吉本思想にはないのです。大衆という理念を掲げることが虚なのです。いつまで経ってもそれが実現されることはありません。
領域としての自己で国家と自己を包み込んでしまえばよかったのです。後の祭りですが、わたしも根源の性の分有者という概念をながく空間化していました。ひとのことはあまり言えないのです。中沢新一の対称性人類学の理念も、レヴィ=ストロースの冷たい社会の観察も、吉本隆明の大衆という理念も空間化されています。同一性のしばりはそれほど強いのです。

非知に向かって還流するということも、帰りがけの視線で大衆をみるということも、言われています。しかしかれはじぶんの創案した幻想論の総体を還相の知で語ることはありませんでした。大衆を基盤に据えた理念ではなく、自己を領域として生きればよかったのだと思います。
理念としての大衆に自己を融即することで吉本隆明は壮大な思想をつくりました。そうなのです。大衆はかれにとって実現されるべき自然でした。それがかれにとっての歴史だったと考えてもいいと思っています。天意、自然なりとした西田幾多郎の思想とどこか似ていないか。

内包は、外延論理の理念を超えた、世界にたいするひとつの知覚です。生の原像を還相の性で生きるとき、そこに知も非知も無智もありません。それ自体です。空虚と孤独もありません。苦界の衆生を語ることもなく、大衆を語ることもなく、ただ、自分を生きることだけがあります。同一性の彼方を生きるとはそういうことです。このわたしの知覚から吉本さんの共同幻想論を読み解いていきます。

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