日々愚案

歩く浄土28:共同幻想論の拡張1

51Sh50X7LqL__AC_UL160_SR160,160_
    1
構想している内包親族論に骨格を与えたいので、しばらく内包論の立場から『共同幻想論』を検討していくことにする。吉本隆明の共同幻想論を還相国家論へと組み替え、内包親族論という理念が可能なことを示します。

過ぎる時代にあって吉本隆明の思想のなにが過ぎゆかぬこととして残るだろうか。かれがつかんだ最深の思想は時代の風雪に耐えて遺りつづけます。それは大衆の原像です。親鸞の正定聚とおなじようにそこには未然があります。ちょっと工夫すると大衆の原像は一気にふくらみます。吉本さん自身が語っています。

 いや、今あなたがおっしゃったね、僕が書いたね、自分で書いて表現して自分の考えを述べたり、芸術らしき詩を発表したり、それはね、それはちょっと自信があるんですよ。まだ俺は、俺の考え方の底のほうまで理解してくれた人はおらんな、っていうそういう感じがします。それは俺はちょっと自信がありますね。(「菅原則生のブログ」吉本隆明さんを囲んで1)

じぶんの思想の底にあるものを理解した人はいないと本人が言う。シンプルなことを言っています。あまりにシンプルでだれも理解しない、と。そこには未然の思想が息をひそめて眠っています。
知識のことを吉本隆明は言っているのではない。かれが触った知覚のことをいっているのです。言葉でしか言えないけれども言葉ではない知覚のリアルさを言っています。この感覚はわたしにも根づいているのでよくわかります。

生まれ、育ち、婚姻し、子を育て、子に背かれ、老いて死ぬ無数のひとの平凡な生を畏れよ、と言います。かれのこの知覚は揺るぎないこととしてあり続けました。この生がなにかであると言うのです。この平坦な生にあらゆる権力と権威を収斂させよ。これがかれの思想で、これに尽きます。生存の最小与件に生の根源があるという思想です。知識としてではなく諒解できます。

平坦で平凡な生を送ることができればそれがいちばん価値のある生で、知的なことは余儀なさであり、契機であり、余計なことだという生存の知覚がかれの根底にありました。生涯、在野の至誠の思想家でした。そこに欺瞞はありません。時代に直球を投げ続けた人です。だれもなしえなかった空前絶後の生をかれは生きたのだと思います。

吉本隆明の思想は大衆の原像に価値の源泉を置くというものです。すでにこのリアルは還相廻向の言葉になっています。知識の言葉ではなく生を手触りした感受です。知識の言葉でここに触ることはできません。

じぶんのことを少し語ります。みずからじかに関与した部落解放運動が破局を迎え、殺伐とした暗闘の日々が始まりました。どん詰まり、1973年9月に吉本隆明さんのお宅に伺い話を聞いてもらいました。若造の暗い話をていねいに聞いてくれました。おいとまするとき、吉本さんは、あなたの世界をつくりなさいと言われました。励まされました。それからなんども吉本さんとはお会いする機会がありましたが、吉本さんの剛胆で分け隔てのない、はにかみに満ちた接し方にはいまも鮮やかな印象があります。

むかし書いた文章をコピペします。その頃に比べ少しだけじぶんの言葉をつくることができたと考えています。共同幻想論の彼方を構想する由縁です。

たとえどんな生涯であれ代理不能のふかく刻みこまれた固有の体験というものがある。それは言葉に最も遠い場所だ。書けぬことも書かぬこともある。〔おれは人間ではなく〈おれ〉である〕という表現の格率から、〔わたしは〈性〉である〕という内包の知覚に至る、わたしの三〇年を賭けて、中村哲論の感想を走り書きする。
一人でながいあいだ戦争をやった。時代がうねって渦巻いた、避けようのない、昏い、仁義なき戦いだった。船戸与一や笠井潔やトマス・ハリスの小説よりもサイコでハード・ボ
イルドだった。終戦も手打ちもどこにもなかった。じぶんのすべてを賭け、殺されても殺してもゆずれないこととしてそこを潜るほかなかった。不意の一撃にそなえ全身を眼にした二四時間。麻紐の滑り止めを巻きつけた一尺の肉厚鉄パイプをブルゾンの袖にしのばせ、灼熱の夏にボルトナットを縫いこんだ皮手袋を身につけ重ねた十数年。それがじぶんがじぶんであることのすべてだった。書くということはどこか遠い世界の出来事だった。そうやって十数年を生き延びた。それでもアタマのなかが一瞬で真っ白になる出来事のまえでおれは能面になった。迂闊だった。書かぬことも書けぬこともある。一九八六年、三六の歳だった。自殺する人がやたら元気に見えた。じぶんがそこらに転がっている石ころとおなじみたいで一切の感情がなくなった。コトバも消えた。死でさえ余裕がありすぎた。おれたちの連合赤軍としてひきうけた一九七三年春の昏い衝撃も吹き飛んだ。Jumping Jack Flash! そしてわたしはビッグピンクにさわった。そこから内包表現論をはじめた。(『Guan02』14~15p 一箇所改稿)

地獄の底板を踏み抜くようにして,熱い風、熱い自然に触りました。知識ではないリアルな知覚を言葉にするのにさらに長い歳月がかかりました。いまは還相の性を生きています。吉本さんの幻想論を組み替えて、還相の性から還相国家論を語ることが可能です。

    2
若い頃からわたしはいちども「大衆」という言い回しをしたことがありません。じぶんになじまないからです。吉本さんの世代は「大衆」という言葉を使うことができたのかもしれません。なにごともじぶんに引きよせ、じぶんがどうするかということにしか関心がなかったのです。欺瞞や使い分けではなく、なによりわたしが、「大衆」のひとりとしか思っていません。自力作善の行いの勧めにたいして、小さな親切、おおきなお世話という感覚が小さい頃からありました。ひねくれていたのかもしれません。
ある行動をするとき、行動から離れる人も、渦中にあり続ける人もいます。わたしはいつも面々の計らいだとしてきました。気がつくと矢面に立っていたという気がします。血の気が多いとか気性が激しいとか挑発的だとか言われてきましたが、それは違うのです。ひとの心の領域に土足で入ってくる奴や、政治的に対応する奴らが心底嫌いでした。いまも変わりません。「大衆」という言葉をつかうかぎり現実を貫通する言葉をつくることができないというのはわたしの体験知です。俯瞰する言葉は現実とのあいだに不可避に空隙をうみます。吉本さんもこのことには自覚的ではありませんでした。生きることのほんとうの深さは大衆の原像の彼方にあるのです。世界の無言の条理を貫通する言葉はそこにしかありません。

吉本さんの思想は拡張可能です。ふたつのことがあります。ひとつは大衆の原像を価値の源泉とする思想から「大衆」という言い回しを抜き去ることです。わたしは、喰い,寝て、念ずる生のありようを生の原像と呼んでいます。そこを生きるとき、「大衆」という言葉は余計なものです。もうひとつ、対幻想は還相の性へと拡張することができます。このふたつをていねいにたどると吉本さんの思想をまるまる包んでしまうことができます。
生の原像を還相の性として生ききることをわたしはじぶんの考えの基本にしています。いまそこにいてそこを生きています。歩く浄土とはそういうことです。だれでも、たちどころに、いま、ここで、できると思っています。とてもシンプルなことです。

吉本隆明さんの大衆の原像を繰りこむという考えは、理念としての大衆と現実の大衆とのあいだに齟齬をうみ、互いに猛烈に背反します。この矛盾と対立と背反に答える術を吉本さんの思想は持ちえていないと思います。たしかにかれは知識ではなくかれの理念としての大衆に触っているのですが、いつもなにかが持ち越され釈然としないものがわたしのなかにありました。
1967年に鶴見俊介さんと吉本さんは「どこに思想の根拠をおくか」という対談をやっています。考える多くのことがこの対談のなかにあります。そこを貼り付けます。

   自立と同伴は二律背反か

鶴見 たとえば、さっき同伴と自立ということを言われたでしょう。そこでもやはり意見がちがうんです。私は同伴は自立とちがうからいけないというふうに切れないのですよ。私は、自分に固有の思想としては、スティルナーみたいな考え方できているから、吉本さんの言葉でいえば、自立的な考え方が自分の内部にはあるわけです。しかし、自分のそういう考え方と状況判断とをからめた場合には、同伴と自立とは完全に相反する範疇ではないと思う。私の立場がベトナム反戦運動では、社会主義諸国の同伴者だと言われましたが、自分としては、社会主義諸国の同伴者となることを甘んじて受けるという思想に立ちたい。共産党に対する関係も戦後ずっとそうです。私は共産党からはずっと悪口をくり返し言われてきましたが、それをたたき返すことに主力をそそぎたくはない。それは自分にとっては主要な問題ではないのだという気がします。だから社会主義諸国の同伴者である、共産党の同伴者であると批判されれば、甘んじて受け入れます。しかし、そういう仕方で動くことによって、自立的に動けないかと言われれば、同伴者であってもなおかなり自立的に動くことは、論理的に可能だと思います。
 私は全体の状況からみれば自分を同伴者とみとめます。しかし同伴の根拠は毛沢東の思想でもないし、マルクス主義が私の根拠になっているわけじゃありません。私の同伴の根拠は、単純な一種の懐疑思想ですね。人間は人間を究極的に裁くことはできないし、人間がほかの人間を肉体的に抹殺しうるだけの正当な思想的根拠をもつことはないだろう、そういう考え方が根拠にあるわけで、マルクス主義の思想とはちがうわけです。
 同伴か自立かということを吉本さんは範疇的に定立するでしょう。私は範疇として定立するとしても、それは範疇構成だけの問題であって、状況判断とからめた場合には、同伴者はすべて自立者ではない、自立者はすべて同伴者ではない、と規定することはできないという考え方です。

吉本 そこにぼくには何か了解できないところがあるのですがね。自分の思想的な課題、思想的な方法から展開してゆけば、どうしてもそこへ突き当るというような、最後の問題というか、それをやっぱり避けていると思うのですよ。初めからあきらめているというか、初めからそのことは拾てている、というふうにぼくにはとれるのですけれどもね。

鶴見 私は政治の領域というものをその程度にしか考えていないのです。政治的な運動は、みんなといっしょにやっていく場面でしょう。こういう場面ではある程度以上に範疇的に煮つめることはむずかしいだろう、そういう意味では政治思想に体系性をつくることは投げています。しかし政治思想を部分としてふくんだ思想全体の問題としては原理的に煮つめなければいけないと思います。私の場合、人間の究極の問題として、自分がまちがっているという可能性は、科学的に考えて排除することはできないというのが、基本的な考え方です。命題そのものの性格からいって、まちがいは排除できない、人間がまちがうということを排除しうる方法はないんだというのが根本にある思想です。だから、何というか保守的な懐疑主義ですね。しかし、みんなといっしょにやっている政治的な運動は、こういう思想的な問題を煮つめていって範疇構成をやる場所ではないな。私は、自分がものを考える人間として、究極の思想的な問題を考えることを避けているとは思いません。ただ、政治の場面にそういう問題を持ち込みません。

   大衆をどうとらえるか

鶴見 私は吉本さんに一つ批判をもっているといえば、私には純粋な心情というのがいやだなという価値判断が抜きがたいのですよ。純粋な心情は、せまく動きがとれないでしょう。肉体の反射として視野がせまくなったり、ぎゅっと硬直したりするわけですね。つまりウルトラになるでしょう。私はウルトラの心情をあまり好かないのです。非常にきらいでないけれども、不健康だと思うので、自分をそこからちょっとずらして、いわば体をやわらかくして、力を抜いていたいという感じですね。
 戦争中に、万年二等兵でいる三十歳ぐらいの兵隊がいて、そういうのは先に立って人をなぐったりしないんですよ。一等水兵ぐらいがなぐる。あとで、あんな子供ももったことのない連中が、人をなぐってたまるかなんて、かげでぼそぼそ言うわけです。私は反戦論者だったから、一人で孤立していて、こわくてたまらない。そういうとき、こういう人たちのあいまいな感情が安らぎの場だったわけだ。こういうあいまいな人間の感情というものはいいものだなと感じて、その中へ自分が住みつくというか、寄生するような仕方で戦争を耐えてきたものだから、国家批判という姿勢も、こういう人間のごく普通の、あいまいな感情の中へ部分として住みつくことができる、それはある種の可能性をもったものだ、こういう部分に呼びかけていきたいという気持ちがずっとあって、「声なき声」にも参加したわけです。これはゆるくゆるくという組織です。
 純粋な心情は、ぐっとつきつめていって、まずくゆくとひっくり返ってしまうことがあるでしょう。自由主義はけしからん、あいつを刺そうというところまでゆくと思うと、ぽかっとひっくり返ってしまって、あの時はまちがっていた、またこんどは歴史的必然性を知らなかったといって変わってしまうような人間のタイプがあるでしょう。私は戦後、大学に十八、九年つとめているけれども、何度もそういう学生に会う。「七つの首」とか「死の灰詩集」の気分をもった集団ですね。私は同伴者だから、そういう人ともいっしょに動きます。鮎川信夫がおそらくそういう人にたいしてもつような嫌悪感はそういう左翼青年にたいしてもたないのです。でも、ウルトラはこまるなという気持ちはいつでもあるわけだ。

吉本 ぼくは、大衆のとらえかたが鶴見さんとはものすごくちがいますね。ぼくのとらえている大衆というのは、まさにあなたがウルトラとして出されたものですよ。戦争をやれと国家から言われれば、支配者の意図を越えてわっとやるわけです。たとえば軍閥、軍指導部の意図を越えて、南京で大虐殺をやってしまう。こんどは、戦後の労働運動とか、反体制運動では、やれやれと言われるとわっとやるわけです。裏と表がひっくり返ったって、それはちっとも自己矛盾ではない。大衆というものはそういうものだと思う。だから表返せば大衆というものはいいものだし、裏返せば悪い、まったくどうしようもないものだということになるわけです。こういう裏と表をもっているのが、ぼくに言わせれば大衆というもののイメージなのですね。戦争中に国家権力が采配を振ればわっといくし、中国みたいに毛沢東が采配を振ればわっとやる。これが大衆だと思うのですよ。しかし、ぼくはそのことで大衆を悪だとは考えないし、大衆嫌悪には陥らない。

鶴見 私にとっては、何だあいつはわけもわからないくせにとぶつぶつ言いながら、半身の姿勢で戦争に協力していたような人たちが、大へん重要な大衆のイメージです。

吉本 ぼくのもっている戦争中の大衆のイメージはそういうものじゃないんだな。赤紙一丁くれば、インテリゲンチャみたいにぶすぶす言わないで戦争に行くわけですよ。国家の命ずるままに、妻子と別れて命を捨てるために出ていくというのが先験的なのであって、その内部に、あの上官はおもしろくないとか、そういうぼそぼそがあるわけです(赤紙一丁で命を捨てるために出ていく、反体制運動でも同じで、わっとやれば指導者の意図を越えてしまう。これがぼくのもっている大衆のイメージですね。 そこで問題になるのは、こういう大衆を何がチェックできるか、ということです。たとえば毛沢東はチェックできない、あるいは政策的にしかチェックできない。しかしチェックしなければならない。それは、ここははっきりさせなければならない、ここまでは思想的にはっきりさせなければならないという原理があるわけで、その原理に照らしてしかチェックできない。たとえば鶴見さんは、ウルトラな大衆が出てくれは、どうもあまり好きじゃないなということで退くわけでしょう。

鶴見 いや、同伴者だから退かないですよ。退きはしません。

  何によって大衆をチェックしうるか

吉本 しかし、同伴しながら、おもしろくないなということで、心情として退くわけでしょう。それは戦争中のリベラルな知識人、戦後の市民主義的な知識人の典型だと思うのです。ぼくは、いやだなというものが大衆の中にあれば、そこにとどまってそれを展開しなければならないし、展開して一つの明確な原理にまで高めなければならないと思う。大衆の原像をとらえる、思想的に明確になった原理がなければ、ぼくのもっているイメージでいう、悪にも突っ走り、善にも行き過ぎる大衆は絶対にチェックできないですよ。

鶴見 吉本さんに言わせれば幻想かもしれないけれども、私はウルトラとは別の大衆が存在するという想定をもっているのですよ。さっきのぼそぼそ言っている老兵のような……。戦争中、そういうところでようやく生きのびてきたのは事実なので、そういう大衆はありうる……。

吉本 ありうるといっても、それは善にも行き過ぎるし、悪にも行き過ぎるという、そういう人間の内部にもっているものだと思いますね。大衆はぼそぼそとか、おもしろくないなというのは内部にもっているものだと思いますよ。

鶴見 その内部にもっているものは、その人問の行動や決断を左右すると私は考えるのです。優性になって表へ出ていく部分のかげに劣性の部分が倍音として残る。この倍音は、別の条件を展開すれば、こんどは前へ出ていくことがありうる。だから私はいろはがるたみたいなものが重要だと考えているのです。「無理が通れば道理引込む」という中には、あれは無理だと判断する人間の存在が倍音としてふくまれているわけです。私は、戦争を通して、こういうものは重要な意味をもっているという考え方になってきたんです。こういう大衆というのは、率直に言えば好きですね。また自分も同じものだ。

吉本 そういう倍音は、善にも行き過ぎる、悪にも行き過ぎる大衆の部分で起きるものだと思いますよ。ある極限にきてしまえば、そのぶすぶすは固執されないで、わっといってしまうのが大衆だというふうに私は思っています。だから、ぼそぼそは大衆というものの把握のなかで絶対化することはできないだろう、そういうものを取り出して、大衆自体を評価するのは、大衆のイメージをまちがえてしまうのじゃないかなと思う。何でもない普通の魚屋さん、お菓子屋さんは、いつもは税金が高いのはけしからんとか、食えないとかぶすぶす言っていて、税金は二重帳簿をつくっておいて数字を少しごまかすというようなことは、ちゃんと心得ているわけですよ。ふだんはそういう一種の自然な虚偽で国家に対抗している。しかし、いざ鎌倉というときには、やっぱり政府自民党に投票する。中国ではその道の方向が出てきたんですよ。ふだん何かぶすぶす言っていて、究極では毛沢東が采配を振るとわっといってしまう。そして、いつもあとにやっぱりインテリゲンチャが取り残されて、身動きできない。
 しかし、ぼくに言わせれば、思想を明確に原理的に提出しえているならは、知識人はそんな場面で絶対にうろうろしないと思うんです。そういう場面で指導者に対してチェックできるし、大衆に対しても原理的にチェックしうるのが知識人の一つの原型だとぼくは考えているのです。知識人を原型として描けば、指導者をも大衆をもチェックできる存在を指すと思う。ぼく流の言葉で言えば、それは自立しているということであって、その世界を包括しえていれば、いかなる事態であろうと、だれがどう言おうと動揺することはない。行き過ぎだといって、そこから身を退くこともいらない。
 はじめにも言ったけれども、実際、反体制的な運動は、行き過ぎなさすぎてきたんじゃないですか。行き過ぎたことなんか一度もないじゃないですか。ぼくは、自分の思想の原理に照らしてどんなにだめだと評価されるものでも、行き過ぎだという理由で否定したことは一度もないわけだ(笑)。戦争中でも戦後でも、私たちはどうして完全に参った、完全にへばったのだろうかといった問題を一度も思想の問題として打ち出したことはないんですよ。絶えず行き過ぎもせず、へばりもしない。へばるのは下の方のやつだけで、組織はちゃんと存続していく。こういうところがぼくにはいちばん奇妙に見えるわけです。だからぼくは、大衆が戦争において行き過ぎようと、何々運動において行き過ぎようと、それは否定の対象にならないと思うんですよ。ただ、それをチェックしうる思想を知識人が形成しうるか否かだけが問題ですよ。思想的な原理以外の何によっても大衆の行き過ぎはチェックできないですね。そういうのが、ぼくの大衆のイメージです。

鶴見 私は大衆の原像を、ぼそぼそ言いあってきたことがつみかさねられて、それが顕在化して動きの根拠になるようなものとして考えているのです。ぼそぼそをちゃんととらえていく、それが私の原理なんだ。だからそれを全部落として直線的にウルトラとして大衆をとらえたところに、戦争体験をもつ前の私の考えのまずさがあったと思っています。吉本さんの範疇でいえば、あまり原理的でないのだろうけれども、私としては、こういうことを原理的に大へん重大なことと考えているわけです。だから政治的な運動の中でも、少数意見のもつ意味を非常に大きく考えるし、かなり大きな少数者が存在する場合は、その考え方が多数者に浸透していくような状況をいつも想定しています。それで、私の考えは政治思想の構造としては、保守的な考え方に近くなります。つまり、かなり大きな少数者の存在は全体に対して影響を与えることができる。統計的な意味での多数者になってからはじめて、その意見が状況全体に反映できるというのではないと感じているのです。(『どこに思想の根拠をおくか』42~49p:WEBの画面で読みやすいように適宜改行を入れました)

鶴見俊介と吉本隆明の思想にはおおきな違いがあります。その相違はまだ解決していません。ベ平連の運動をリードした鶴見俊介と共同幻想論をひっさげて絶頂期にあった吉本隆明の対立は根本的なものです。若い頃は吉本隆明のファンだったから、なんだベ平連の鶴見か、と思って読みました。若造のおおきな錯誤でした。これから迎える戦後の崩壊とハイパーリアルなむきだしの生存競争が迫ってくるなかでこの対立は切実です。
鶴見俊輔には明治維新でひとかどの人物であった後藤新平の孫であるという自負心があります。私は明治維新からの日本の100年の歴史を見渡すことができると言っていました。なぜそう言い切ることができるのか。それは血族としてそのことをしっているからです。明治維新をめぐる血みどろの殺戮もよく知っていると思います。だからかれはウルトラが嫌いなのです。いまはかれの言わんとすることが諒解できます。
単純な懐疑思想がある。人を究極的に裁くことはできない、人は間違うことを排除できないという思想です。吉本さんに異議があるとすれば、あなたの純粋な真情は不健康で危険だと言いたいわけです。諒解できます。

事態をわかりやすくするために、たまたま今日(2015年4月14日)目にしたツイートを例に取ります。山崎雅弘という知らない人の発言です。内田樹さんのツイートを読んでいたら載っていただけのことです。

人間を「敵と味方」に分け、政権に批判的な人間を「社会の敵」として攻撃する。歴史を自国礼賛の方向へ書き換え、政権の支配力強化に利用する。メディアが攻撃回避のために政権に迎合し、権力行使に加担する。戦争や紛争の前史でよく見る構図が自国に現れた時、それを指摘するのは自分の仕事だと思う。

うんざりしました。安倍批判としてこの手の言説がたくさんあります。わたしはこの問いそのものがまったく無効だというところから考えることをはじめています。わたしの気持ちにピクリとも触れません。ああまたこんなつまらぬ批判をやりやがって。勝手におやりなってください。それで終わりです。安倍の幼稚な狂気を批判しても安倍や安倍に連なるアホを潰滅することはできません。安倍のような奴と、安倍を批判していい気になる奴らがともに生き延びるだけです。

鶴見俊輔は戦前、戦中、戦後にリベラルであることを貫いた、いま会って話がしたい唯一の人物です。吉本隆明との対談で、かれはベ平連のリーダーとしてではなく、かれの最深の思想を語っています。吉本隆明の勢いにまったく腰が引けていません。堂々と論陣を張っています。吉本隆明の気迫に押されることなく、自己の主張を貫いてみごとなものです。若い頃は鶴見俊介の思想がわかっていなかったのです。かれのリベラルな思想にはゆるぎない信があります。たとえばかれは山崎雅弘ともなにかを一緒にやれます。わたしはこういう文化人は嫌いで信をおくことができません。わたしはこういう奴らとは徒党をくむことができません。鶴見俊輔の同伴思想は出来事とのあいだに距離をとることのできる余裕の思想だと思います。この自信はかれの系譜からきているのです。現実的で優れたひとつの考えです。ただどうしてか鶴見俊輔のような思想家は事態が急迫するときとてもおおきくて貴重な存在です。かれは信頼するに足る人物です。好悪や倫理を介在させずに言っています。

わたしはどうしても同伴することはできません。吉本隆明がいっていることはそういうことです。吉本隆明の思想は吹きさらしの世界に素足で立とうとする剥きだしのパンクな思想です。かれの思想にあるジハードは危険で不健康であることもわかります。しかし吉本隆明はそういうふうにしか生きることができませんでした。そのことはどうしようもなかったとおもいます。なにかそこに不可避のことがあります。吉本隆明の思想には余裕がありません。ここに吉本隆明というおおきな思想家の分裂と矛盾があります。

実際の戦闘では共同幻想は狂気や錯乱の形を取るのだと思います。共同幻想に浸食されまくり、集団発狂する。殺戮の饗宴です。そこではどんなことでも起こりえます。
吉本隆明の生きた時代はまだ知識人という言葉に勢いがありました。「知識人を原型として描けば、指導者をも大衆をもチェックできる存在を指すと思う」というのが吉本隆明の主張の眼目です。吉本隆明は自立思想をそういうものだと考え、独立自存の思想をつくりました。吉本隆明の遺した思想は、グローバルとローカルな絡まりあったふたつの力の交錯する現場でなにか有効でしょうか。わたしは吉本隆明の思惑をこえて無力だと思います。理念としてどうなのかというより実感として現実の生成変化に言葉の歯が立たないように思います。

鶴見俊介の大衆の理念も、吉本隆明の大衆の理念も、ともに駄目だと内包論では考えます。鶴見俊輔もどきのリベラルは意気軒昂なところがありますが、現実を超えていく言葉の力はありません。体験に即してそれは先験的なことです。吉本隆明の言葉には未知を開削する言葉の力がありません。
内包という考えで吉本隆明の幻想論の特異点を解くことと、かれの生の根っこにある不全感を解消することができます。鶴見俊輔の同伴の思想も、孤立無援で血煙をあげてこの世を疾走した吉本隆明の思想も言葉を生き損ねていると思います。ここまで言い切らないとなにが問題なのか鮮明になりません。

吉本隆明はまだ思想の根源を語っていません。大衆の原象を繰りこむという意識の呼吸法もかれの対幻想も禁止と侵犯という同一性に閉じられています。自己を実有の根拠とし、自己の自然的な基底を同一性においています。ここをひらかないと歩く浄土は現成しません。吉本隆明の思想は国家と対の世界を往相の過程で描いています。かれの思想では国家は、けっして全人格的には登場できない対幻想という特殊な共同幻想を結節にして自然生成します。それが国家の本質を共同幻想とみるかれの共同幻想論です。還相の過程で国家と対の世界を語ることで、吉本隆明がじぶん自身にかけたしばりを解くことができます。

以前、吉本さんのお話を伺ったとき、かれは「現実形態の自己表出が観念形態であるとマルクスは確実にそう考えていたと思います。それだけです。徹底的にそれだけです」と言いました。また「自分の場合は、現実形態の自己表出が観念形態であるが、観念形態は観念形態の自己表出をもつ。私はそう考えます」と言っていました。
わたしはマルクスの思想も吉本隆明の思想も自己意識の外延表現としてなされたもので、この意識の範型をモダンと呼んできました。自己を自然的な基底とする思想で、そこに自己同一性が暗黙に繰りこまれているのです。そこでは自己が実有の根拠となります。
吉本さんの大衆の原像は帰り道として言われていると理解しています。おなじことですが、生存の最小与件は往相の言葉ではなく、還相廻向の言葉です。親鸞の正定聚によく似ています。

可能性としていえば、吉本隆明の思想はまだ先にいくことができたのです。大衆という言葉の代わりに領域としての自己と還相の性をもってくれば、共同幻想としての国家から降りる思想をつくることができたと考えています。あらゆる共同幻想は消滅すべきだと宣明しても共同幻想はなくなりません。当為ではなく、共同幻想のない世界を構想すればよかったのです。そこに至るには、大衆の原象から「衆」を抜き取り、領域としての自己から吉本隆明の固有の生を語ればよかったのです。その契機が吉本隆明にはなかったのです。もうひとつ吉本隆明の思想の未然があります。同一性を自然的な基底とするところから対幻想を語るのではなく、性を帰り道から叙述すればよかったのです。
わたしは同一性を自然な基底とする外延表現がそれ自体に対して内包的な表現をなしつつあると考え、そこに現代の現在性があるととらえています。そこにしかグローバリズムと国内のローカリズム(同調圧力)を超えていく手立てはありません。これは基本的なわたしの世界認識の方法です。

    3
吉本隆明の思想を簡潔にあらわしたところがあります。そこを引きます。

 人間はもともと社会的人間なのではない。孤立した、自由に食べそして考えて生活している〈個人〉でありたかったにもかかわらず、不可避的に〈社会〉の共同性をつくりだしてしまったのである。そして、いったんつくりだされてしまった〈社会〉の共同性は、それをつくりだしたそれぞれの〈個人〉にとって、大なり小なり桎梏や矛盾や虚偽として作用するものだということができる。
 それゆえ〈社会〉の共同性のなかでは、〈個人〉の心的な世界は〈逆立〉した人間というカテゴリーだけ存在するということができる。そして、この〈逆立〉という意味は、単に心的な世界を実在するかのように行使し、身体はただ抽象的な身体一般であるかのように行使するというばかりではなく、人間存在としても桎梏や矛盾や虚偽としてしか〈社会〉の共同性に参加することはできないということを意味している。〈社会〉の共同性のなかでは、〈個人〉は自分の労力を、心情を、あるいは知識を、財貨を、権威を、その他さまざまなものを行使することができる。しかし、彼(彼女)が人間としての人間性の根源的な総体を発現することはできないのだということは先験的である。この先験性が消滅するためには、社会の共同性(現在ではさまざまな形態をとった国家とか法とかに最もラジカルにあらわれている)そのものが消滅するほかないということもまた先験的である。(「個人・家族・社会」)

ここまでのことを言いながら、いったんできた国家から降りる方法については生涯明確には語りませんでした。それは国家の自生を往相の過程でしか解明できなかったからです。そこには同一性に監禁された生のありようの克明な記述はあるのですが、原理的に国家から降りる方法をもちえなかったということです。

もうひとつ引用します。吉本隆明は無条件降伏という屈辱と米軍の空爆による廃墟から、民主主義と経済成長へとひた走る擬制を撃つ硬骨な主張をしました。若い頃おおいに鼓舞されました。吉本隆明の情況への発言に元気をもらい、そのなかでさまざまな体験をしました。吉本隆明の思想のおおいなる恩恵を享受しました。それは事実です。つぎの発言もそのようなものとしてありました。わたしが潜った胸の悪くなる体験とはべつに吉本隆明の思想の骨格は現在から振り切られていると思います。おそらくフーコーもこれほどまでに世界が急速に転変するとは想定していなかったのではないか。吉本隆明が思想の骨格としている、自己幻想も、共同幻想と逆立する自己幻想の契機も、擬制の社会が安定したものであることを前提としています。いまはその牧歌性はどこにもありません。もっと事態は切迫して急を告げています。

原理的にだけいえば、ある個体の自己幻想は、その個体が生活している社会の共同幻想にたいして〈逆立〉するはずである。しかしこの〈逆立〉の形式は、けっしてあらわな眼にみえる形であらわれるとかぎっていない。むしろある個体にとって共同幻想は、自己幻想に〈同調〉するものにみえる。またべつの個体にとって共同幻想は〈欠如〉として了解されたりする。またべつの個体にとっては、共同幻想は〈虚偽〉としても感じられる。 ここで〈共同幻想〉というのはどんなけれん味も含んでいない。だから〈共同幻想〉をひとびとが、現代的に社会主義的な〈国家〉と解しても、資本主義的な〈国家〉と解しても、反体制的な組織の共同体と解しても、小さなサークルの共同性と解してもまったく自由であり、自己幻想にたいして共同幻想が〈逆立〉するという原理はかわらない。またこの〈逆立〉がさまざまなかたちであらわれるのもかわらないのである。
 ここでもうすこしつきつめてみる。ほんとうは〈逆立〉するはずの個体の自己幻想と、共同社会の共同幻想の関係が〈同調〉するみたいな仮象であらわれたとする。
 すぐわかるように、個体の自己幻想に社会の共同幻想が〈同調〉として感ぜられるためには、共同幻想が自己幻想にさきだった先験性だということが、自己幻想のなかで信じられていなければならない。いいかえれば、かれは、じぶんが共同幻想から直接うみだされたものだと信じていなければならない。けれどこれははっきりと矛盾である。かれの〈生誕〉に直接あずかっているのは〈父〉と〈母〉である。そしてかれの自己幻想の形成に第一次的にあずかっているのは、すくなくとも成年までは〈父〉と〈母〉との対幻想の共同性〈家族〉である。またかれの自己幻想なくして、かれにとって共同幻想は存在しえない。だが極限のかたちでの恒常民と極限のかたちでの世襲君主を想定すれば、かれの自己幻想は共同幻想と〈同調〉している仮象をもてるはずである。民俗的な幻想行為であるあらゆる祭儀が、支配者の規範力の賦活行為を意味する祭儀になぞらえられるとすればそのためである。
 ところで現実に生活している個人は、大なり小なり自己幻想と共同幻想の矛盾として存在している。ある個体の自己幻想にとって共同幻想が〈欠如〉や〈虚偽〉として感じられるとすれば、その〈欠如〉や〈虚偽〉は〈逆立〉へむかう過程の構造をさしている。だから本質的には〈逆立〉の仮象以外のものではない。(角川文庫『共同幻想論』136~137p)

言葉の輪郭がくっきりしていてとても美しい文章です。ふたつの引用の内容について細かく言及はしません。読めばわかるし、読んだ通りのことが書かれています。わたしは吉本隆明の思想の骨格そのものが現実によって浸食されていると判断しています。吉本さんのこの思想では現実に対抗することや、言葉が言葉自身に対して呼吸をしたり、余韻をつくったりすることができなくなっています。それほど急激に世界が変貌したのです。現実の変化に言葉が追いついていません。吉本さんが擬制だという戦後の社会がほぼ崩壊しているのです。撃つ対象の戦後の社会がもう壊れているのです。
もっと言えば吉本隆明の拠って立つ現実が根本から変容してしまっているのです。これは理念ではなく、大半の人、わたしもそのうちのひとりですが、日々をやっとしのいでいるという実感です。そしてわたしたちの日々はさらに追い込まれつつあります。いまわたしたちはグローバリゼーションの猛威に晒されています。歪んだファンタジーで対抗したい安倍の狂気は退行であり、オカルトです。吉本隆明の思想が存立する牧歌性はどこにもありません。

それはなぜなのかということを、わたしは当事者性にひきよせて考えてきました。わたしは、野蛮、未開、原始、古代、中世、近代、現代という歴史の区分の全体をモダンと名づけてきました。あるときは急激に、あるときは停滞し、歴史はなにものかへと漸近してきたのです。同一性に起源を持つ歴史がさまざまな過程を経て同一性そのものへと収斂してきていると考えるようになりました。ここに起源をなす思考の形が現在のなかにふたたび登場します。つまり起源が現在へと円環するのです。この過程を加速しているのが金融工学とハイテクノロジーです。生の流れは最適化され、心身一如の生は耕作され商品になります。そこまで現在はきています。

文明が同一性によって監禁されているのです。吉本隆明のおおきな思想は、親鸞の正定聚という非僧非俗の言葉や大衆の原像という帰り道の言葉に気づきながら、歴史を全体として帰り道の知で描くことはしませんでした。そのことに吉本さん自身が気づいていたかどうかはわかりません。

むかし書いた文章を貼り付けます。

二一世紀元年秋に米国を攻撃した同時テロと、報復として火蓋を切られたテロ殲滅を大義とする戦争が惹起した空前の愚劣をひれ伏すまで打ち据え、傲岸不遜な不逞の輩をこの地上から消滅させるには未見の一箇の世界認識を必要とする。自己同一性原理が支配する世界では禁止と侵犯は大地の余儀なき糧だった。治者の愚にもつかぬ大義の陰に隠された私腹の暴威に直面して衆生はみずからを草木虫魚と化してやりすごすしかなかった。その大いなる過誤の歴史を人類史といってもよいほどだ。それが人の道に悖るから無差別の殺戮や理不尽な生の簒奪を批判するのではなく、テロや戦争という観念が存在しないこの世はありえないのかと問うとき本格的に思想の器量が験される。
わたしは、人や歴史の始まりにおいてありえたけれどもついになかった存在の彼方を、悠遠の時空を超え、言葉の力で現にあらしめることができると考えるから、無力感のただなかで「テロと空爆のない世界」について書く。無力が光るということもあるのだ。いつもすでにその上に立っている、天意をつきぬけた、あたかも重力の法則を覆すことにも似た驚異が、存在の内包世界にふいに湧出する。それは狂おしい戦慄だが、そこには無差別の自爆テロも、やられたからやりかえすという復讐も存在しない。修羅の巷であっても世界は可能性に充ちている。唯一そこが苦海と空虚があろうとしてもありえない生の可能性の源泉だ。根源の性という一人称が存在する。ここから舞い上がるように未知の新しい歴史が内包表現される。天を睨んで非命に斃れた者たちよ、立ち上がれ。死もまた生きられる。これは夢想ではない(『Guan02』165p)

このモチーフは古びていないと思っています。ここで書いたことを前提に内包論の先を考えています。吉本隆明の共同幻想論は往相の歴史で書かれています。幻想論の全体がそうだといってもいいと思います。それは実有の自己を規定する同一性を前提とした思想です。金融工学とハイテクノロジーは同一性の権化ですから、往相の歴史や往相の幻想論はこれを根底的に拒むことができないと考えるようになったのです。偉大な吉本思想の限界はここにあるし、この限界は内包論で開示されようとしています。

    4
吉本隆明の『共同幻想論』は「禁制論」から始まります。どこからなにを取りあげてもいいのですが、歴史的に古い時代の神話や民族譚は過ぎる時代の心性としてではなく、あらわれ方を変えただけで、今の時代にもそのまま残っています。目にとまったところを任意に引用する。

①ここで問題があるとすれば、禁制もまた共同性をよそおっている黙契とおなじみかけであらわれてくることがありうるということである。このときには、わたしたちはなんによって共同の禁制と黙契とを区別できるだろうか? 共同の禁制は、制度から転移したもので、そのなかの個人は幻想の伝染病にかかるのだが、黙契はすでに伝染病にかかっているものの共同的な合意としてあらわれてくる。わたしたちの思想の土壌のもとでは、共同の禁制と黙契とはほとんど区別できないような形であらわれる。禁制はすくなくとも個人からはじまって共同的な幻想にまで伝染してゆくのだが、個人がいだいている禁制の起源がじつはじぷん自身にたいして明際になっていない意識からやってくるのである。知識人も大衆もいちばんおそれるのは共同的な禁制からの自立であるが、このおそれは黙契の体系である生活共同体からの自立のおそれとじぶんの意識のなかで区別できていないのだ。いいかえれば〈黙契〉は習俗をつくるが、〈禁制〉は幻想の権力をつくるものだということがつきつめられないままでつながっている。(勁草書房『共同幻想論』「禁制論」44~45p)

②男が笹を刈りに山に入った。若い女が林のなかから赤ん坊を背負って笹原の上を歩いてきた。あでやかで長い黒髪をたれた女で、ぼろぼろな着物を木の葉などでつづり、赤ん坊は藤蔓で背負っていた。事もなげに近よってきて男のすぐ前を風のように通りすぎていった。男はこのときの怖ろしさから病にかかり、やがて死んだ。(同前 47p)

③わたしたちの心的な風土で、禁制がうみだされるための条件はすくなくともふた色ある。ひとつは、個体がなんらかの理由で入眠状態にあることであり、もうひとつは閉じられた弱小な生活圏にあると無意識のうちにもかんがえているときである。この条件は、共同的な幻想についてもかわらない。共同的な幻想もまた入眠とおなじように現実と理念との区別がうしなわれた心の状態でたやすく共同的な禁制を生みだすことができる。そしてこの状態の真の生み手は、貧弱な共同社会そのものである。(同前 61~62p)

①の引用について。黙契と禁制は違うという吉本さんの考えに同感します。「黙契はすでに伝染病にかかっているものの共同的な合意としてあらわれてくる」ということは安倍に賛同する人をたとえとしてもってくるとすぐにわかります。黙契は習俗です。そこには世間しかありません。自分で考えているふりをしてそこで述べられる意見はすでにメディアで編集されたものの受け売りです。うんざりする光景です。「個人がいだいている禁制の起源がじつはじぷん自身にたいして明際になっていない意識からやってくるのである」ということも極めて現代的です。ガンについての迷妄の度合いはすごいものです。日々実感しています。

②は柳田国男の遠野物語から吉本隆明が引用した民話です。引用②にある、「男はこのときの怖ろしさから病にかかり、やがて死んだ」ということもおなじく現在そのものです。原発事故の放射線被曝やがん治療や精神医療に置きかえるとすぐわかります。過ぎた時代の迷妄ではない。

③の「この状態の真の生み手は、貧弱な共同社会そのものである」ということも現在とおなじです。

野蛮~未開~原始~古代~中世~近世~現代と歴史は開明的に変遷してきたと語られます。この考えは錯誤です。ある時代に生きる人がその時代とのあいだで取り持つ迷妄の度合いは不変だと思います。観念の遠隔対象性によってある時代の未知が理解できるようになることがあるのは事実です。そのときそれは観念にとっての自然となります。そのことを認識の基盤として観念はさらなる未知をめざします。しかし禁制のしくみそのものは変わっていないとわたしには思えます。創世神話はいつもくり返しつくられて廃棄されているように見えます。
レヴィ=ストロースは『遠近の回想』なかでフランス市民革命は、「人々の頭のなかに、社会というのは習慣や習俗でできているものではなくて、抽象的な理念に基づいているのだという考え、また理性の臼で慣習や習俗を挽き潰してしまえば、長い伝統に基づく生活形態を雲散霧消させ、個人を交換可能な無名の原子に変えることができるのだという考えをたたき」こんで、「相互破壊」をもたらした、と言っています。ナチスによるホロコーストを指していることは明白です。これは新しい神話であると強く批判します。かれの「西洋を襲った何度かの破局の原因」は過ぎ去った過去のことということに止まらず、極めて現代的な問いかけです。

ひとは迷妄というしばりからしだいに明晰になっていくのか。ある観念からのしばりがゆるくなってもおなじ禁制のしくみがくり返されます。先端医療の神話は健康を担保にして、不治の病人を人質に取ります。このしくみは未開の時代と変わらないのです。いまわたしたちは雷や落雷を神の怒りとは考えません。それはたんなる大地への放電現象だと理解しています。
たまたま目にしたネットの記事を引いてみます。

 米人気歌手のテイラー・スウィフトさん(25)が自身のブログで、母親(57)ががんと診断されたと公表した。米女優、アンジェリーナ・ジョリーさん(39)が3月、がんにかかるリスクを減らすため、卵巣と卵管の摘出手術を受けたと公表して以降、米国では有名人ががん治療や予防の啓発に一役かっている。

 スウィフトさんは昨年のクリスマスプレゼントとして、母親にがんのスクリーニング検査を受けるよう、お願いしたという。その結果、がんにかかっていることが判明。部位などには触れていないが、「言いにくいことだけど」と前置きした上で、9日(日本時間10日)に公表した。

 スウィフトさんはファンに対し、母親の言葉を代弁して、「あなたたちの親も忙しくて、病院に行くひまもないかもしれないけれど、あなたたちが言いきかせることで、早期発見につながる可能性がある」と呼びかけた。

 一方、ジョリーさんが2年前の乳房除去に続き、卵巣などの摘出を公表した米ニューヨーク・タイムズ紙への寄稿には、複数の医師からコメントが寄せられた。ある男性医師は「一人の医者が自分のキャリアの中で助けられる患者の数より、彼女が助けた数の方が多いだろう。自分の経験を世界中の人々と共有したことはすばらしい」とたたえた。
 ジョリーさんの告白後、英有名タレント、ケリー・オズボーンさん(30)も「私にもがんの遺伝子がある。アンジェリーナの決断の難しさがよく分かる。いつか、私も(彼女のように)除去するだろう」とテレビ番組で述べた。

 今回のスウィフトさんのブログをふまえ、米人気歌手のレディー・ガガさん(29)がツイッターで「あなたとお母さんや家族のことをみんなで祈っているよ」とコメントしたことで、「啓発の連鎖」はさらに広がる可能性もある。ジョリーさんが乳房除去を公表した後、遺伝子検査を受け、除去手術を選択する女性が増える「アンジェリーナ・エフェクト(効果)」(米タイム誌)と呼ばれる現象が起きた。(「産経ニュース」2015/4/14)

生きていることをを遺伝子や分子細胞学まで外延するときの典型的錯誤がここにあります。レディー・ガガはそのときはまだいないけど、遠野物語の民話として充分に通用します。心性と身体は微分され、遺伝子や分子の微分係数になっています。これは新しい神話で迷妄です。あらたな禁制の出現です。神話と禁制は永劫に回帰します。生と死は、ブラックボックスになったビッグサイエンスを境界にして、遠野物語の民話の恐怖譚や憑依現象となって再生されます。なにも変わっていません。

ビッグサイエンスの興隆のなかで個人の生は遺伝子や分子まで還元されます。生も死もまだ未明の闇に翻弄されています。なぜこういうことになるのか。吉本隆明は国家の本質をを共同幻想であると解明しました。画期的なことだったのです。それでもこういう問いが生まれます。なぜいつまでも禁制にしばられるのか。禁制は共同幻想の遺物ではなかったのか。なぜこれほどしつこく生を拘束するのか。答えのない問いがきりなく生じます。
同一性に拠らない生や死をつくりえていないことが根因としてあるのではないかと思います。
国家の起源を解明することがどうじに国家から降りることを意味する思想をつくりたいと思っています。国家の消滅を望むのではなく、国家が消える人と人との関係のあり方を遠望しています。そこで浄土が歩きはじめます。還相国家論という内包親族論を構想していきます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です