日々愚案

歩く浄土251:複相的な存在の往還-やわらかい生存の条理9/切れ切れの応答

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めずらしく「歩く浄土250」にたいして反響があった。いくらか挑発的な内容だったので批判的な感想がもたらされるのではないかと考えていた。適中した。なにが挑発的だったのか。文学という思考の慣性も共同的な観念の派生態にすぎないと書いたからだ。粗視化された内面という自然が未知を喚起することはもうない。承知の上で書いたことなので撤回することはない。文学という内面の自然も社会や共同体の共同幻想という自然も意識の外延性がつくりあげた思考の慣性にすぎないと内包論でくり返し主張してきた。その延長に「歩く浄土250」が位置し、存在の複相性を往還することで人間の情動や理性をアルゴリズムで記述するポストヒューマンの理念を呑み尽くそうと構想している。政治なんてものがないなら、文学なんてものもないのだ。内包論はこの前提からひとつひとつ概念をつくってきた。もしも人間の精神にとって内包論の可能性がなければ、文学は依然として文学であり、政治は政治でありつづける。ヴェイユの「自我と社会的なものは二つの大きな偶像である」(『重力と恩寵』43p)に比喩するまでもない。自我より主観より主体よりふかい意識の第三層が存在の複相性の往還のなかに〔存在〕する。意識の外延路はすべてアルゴリズムによって表現されることになるだろう。意識の往路はアルゴリズムによって粗視化され、この自然がポストヒューマンの思考の慣性となる。そういう時代をわたしたちは生きている。

「歩く浄土250」で取りあげた「Sさん問題」で書き足りなかったことを少し書き加える。わたしは「Sさん問題」はどこで表現の本懐を遂げるかと考えた。戦後が達成した文学のひとつの喩として批評の俎上にのせた。「Sさん問題」は往生できず、内面の悲劇として繰り返されている。出来事を島尾敏雄が風景のように見ることでやりすごしたこと、そしてその負債をカトリックに昇華した虚偽。三者三様の地獄があり、だれひとり成仏を遂げていない。解けない主題を解けない方法で解く内面の劇が文学か。そうではない。それぞれの地獄がおのずからいやおうなく浄土として歩く。各様の歩く浄土をつくることが文学ではないのか。人間という概念がいちども本懐を遂げていないように文学もまた広大な未知にさらされている。

『死の棘』に登場した3人の人物のそれぞれの浄土が歩くことはあるか。自力のはからいを超えて歩くとわたしは思う。そのことを書き忘れていた。どういうことか。同一性という思考の慣性はつねに自己を所与のものとし解けない方法で解けない主題を扱うことになる。そんなものを文学と呼んでも〔ことば〕が〔ことば〕自体にたいして表現を遂げることはない。人間の思考の慣性が自明のこととしてきた自己意識の外延的な表現が前提とする内面の表現と、内面を抽象化した一般性である共同主観的現実がまったく同型の意識であることは、内包論を前提としてはじめて成り立つ。内面の表現と共同主観的現実を、それぞれが互いに違う観念の次元に属するということを同一性が担保し統覚しているからだ。この暗黙の公理が意識されることはない。文明の外在史というおおきな自然と精神の内在史いうちいさな自然がいずれにしても同一性によって統覚されているということだ。意識の外延性が表現のすべてであるようにみえるとき、意識の内包的な表出は、自己意識の外延的な表現の手前に無限小のものとしてひっそり隠れている。なにより根源のふたりを公準とする理念を縮減した公準が同一性であることを内包論は告知する。内包という理念が可能でないなら、『死の棘』のそれぞれの当事者の地獄が浄土として歩くことはない。存在の複相性を往還するとき生ははじめて表現の全円性を描くことになる。この覚知は知識人―大衆論という生を分割統治する権力の圏域を無効化する総表現者と内包自然という理念だけが可能とする出来事だと考えている。

身が心を、心が身をかぎる同一性の手前に、ふたつの生命形態を融即する自然が〔存在〕する。この自然のことを根源のふたりと名づけ、根源の性の潜熱を核として拡がる自然を内包親族と呼んできた。ふしぎなことに根源のふたりの深奥にある還相の性の知覚は〔存在〕がそれ自体にたいして本源的に始原の遅れをもつ。根源の性が共軛的にくびれてふたつの分有者が表現されるとき〔わたし〕は〔あなた〕にいつも遅れて到達する。鋭敏なフーコーの大才でさえそのことに気づくのに数十年を要した。エックハルトは同一性を暗黙の公理とし、この始原の遅れのことを〔私より近くにいる神〕と呼んだ。親鸞の他力の仏もおなじだと思う。親鸞の〔在る〕は自然法爾に遅れて親鸞に到達する。親鸞の他力も同一性の罠を破りきっていないが、同一性というモダンが陰伏されていても還相廻向による他力(親鸞)が内包の痕跡として遺されている。この観念の場所から島尾敏雄の『死の棘』を読み解くとどうなるかと「Sさん問題」であらためて考えた。病妻ものを文学という思考の慣性で批評しても不毛だからだ。だれがやっても悲劇は解読されず、解けない主題を解けない方法で解こうと意識が空転するだけだ。そういう悲劇や不毛がはたして文学か。
意識の往路としてある外延表現のはるか手前に復路としてやわらかい生存の条理が熱く息づいている。わたしたちはだれも複相的な存在を往還して生きている。文学と政治でも、内面と外界でもない。同一性が統覚する世界の手前にある自他が融即している根源のふたりを内包的に表出すると自己表出を拡張した意識の第三層がおのずと表現されることになる。

〔わたし〕が〔わたし〕である存在の知覚は、わたしたちの知る理念で言えば、私より近くにいる神(仏)という超越を媒介に自己の各自性が認識される。イエスを神の子であるとみなすキリスト教は衆生のなかに神を空間化することによって、存在に切れ目を入れ、宗教としての世界性を獲得した。神という観念は実体化することはできないが空間化することで対象性をもつ。また神という観念の前に衆生の均しさが担保される。いずれにしても神という存在を媒介にして、神と人との始原の遅れによって私が私であることの各自性や固有性が表現されることになるわけだ。神というおおきな自然は神という超越を媒介に空間化と実体化を負荷されることでちいさな自然として人びとに内化される。おおきな自然である神とちいさな自然である衆生の一人ひとりを同一性が統覚しているが、この同一性は認識されることなく暗黙の公理として人間がうみだすさまざま観念の背後に陰伏される。
このモダンな認識によって、洋の東西を問わず、自己の各自性は超越的な存在にたいして始原的な遅れを内在する。この順序を逆にすることはできない。またこの始原の遅れを自己意識の外延表現が措定することはできない。なぜこういうことが起きるのか。同一性的な神や仏という超越的な観念も、融即した自他未生の根源の性を痕跡になった意識の皺としてのこしているからだ。言い換えれば、内包の根幹に存在了解の始原的な遅延がある。この始原的遅延は親鸞の他力という受動性のことに比喩されてよい。わたしより近くにあなたがいるということによってわたしがわたしである固有性があらわれる。ここにアルゴリズムで記述できない人間の人間である所以がある。またここよりほかに人間が人間であることが本懐を遂げる場所はない。むろんユヴァルのホモデウスを意識している。強いA Iのアルゴリズムと内包の違いはA=Aという同一性は根源の性の事後的な表象としてしか現象しない。始原の遅れをべつの言い方でも言える。自己が自己であるという認識は存在の始原の遅れとしてしか起動しないということだ。絶対的な受動性として存在する各自性。始まりと終わりの不明を科学が解くことはない。根源の性を分有することで存在の複相性を全円的に生きることができる。

ユヴァルは『ホモ・デウス』で言う。「人々が完全に新しい価値を首尾良く思いつくことなどめったにない。それが最後に起こったのは一八世紀で、人間至上主義の革命が勃発し、人間の自由、平等、友愛という胸躍る理想が唱えられ始めた。一七八九年以降、おびただしい数の戦争や革命や大変動があったにもかかわらず、人間は新しい価値を何一つ思いつくことができずにきた」。ユヴァルの発言はヴェイユの「一七八九年、全世界に向かって発せられた権利の概念は、その内容が不十分であったがために、それに委託された機能を遂行することができなかった」(『ロンドン論集と最後の手紙』杉山毅訳)と正確に対応している。ユヴァルは内包の知覚を生きることなく意識の外延性を極大化する人間のアルゴリズム化に圧倒されているし、ヴェイユは匿名の領域に気づきながら、それがどういうことなのか考えるまもなくあまりにはやく生を終えた。どこにユヴァルの思想の未遂があるか剔抉しながら、ヴェイユの未完を継承して内包論を持続している。

親鸞やヴェイユの思想は内包論のとば口まで来ていた。内包論までほんの一歩だった。ヴェイユは「自我と社会的なものは二つの大きな偶像である」(『重力と恩寵』43p)と言っている。わたしの言葉で言えば、彼女は内面化も共同化もできない心的領域があることをこのうえなくリアルにつかんでいた。それが存在することをヴェイユは匿名の領域と名づけ、人格とはべつの存在のありようだと示唆したまま夭折した。自己を実有とみなす者たちには通じぬことだがヴェイユが生きたリアルからは文学は社会化された共同幻想の派生態にすぎない。文学がヴェイユの匿名の領域を表現したことがあったか。20歳の頃にヴェイユの言葉に接して半世紀、わたしは内包論として彼女の未完の思想を継承している実感がある。わたしの生をいくつもの容赦ない出来事が通過していった。それはわたしの生存感覚を貫いて存在するもので知識ではない。ひとつは生を引き裂く固い自然。もうひとつは計らいを超えて関係をつなぐ熱い自然。ふたつの自然を往還するなかにだれの生もある。生は同一性の派生態ではない。同一性のはるか手前に同一性が措定することのできない生の豊饒な源泉がある。

いまわたしたちが日々目の当たりにしていることは戦前回帰という生ぬるいことではない。はるかに過酷な歴史の未知に遭遇している。内面もまた、文学もまたきっちり計量され商品化されるということ。意識の外延性がユヴァルが『ホモ・デウス』でいうような世界の趨勢からまぬがれる理路はまったくない。無論、ユヴァルの発言は時代や世界のひとつの象徴的な表現でありうると考えている。意識の外延性を延伸すれば人間はアルゴリズムの一部になるしかないという人類史の転換点をわたしたちひとり一人が生きているということだ。人間が記号に還元されるということ。人間を至上のものとみなすどんな表現も強いAIやゲノム編集に対抗できない。おおきな自然にたいする対抗の原理を内面という否定性(ニヒリズム)ではなく肯定性として語ることを内包論で心がけてきた。カルトな世界の趨勢によって日々の生が凡庸な悪で埋め尽くされるということ。それがいまわたしたちが生きているリアルな現実だ。

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旧知の友人から内包論を問い糺す3通のEメールが来た。感想をサイトの記事で簡単に書こうと思い、いかがですか、と問い合わせたら、よしなにお使いくださいとのことだったので、数少ない読者のだれもが抱く、内包ってどういうことなのかについて、改めて考えてみる。わたしの悪文を全国紙に掲載してくれた元新聞記者です。かれとは袖すり合うも多生の縁以上の濃い関係があったといまでも思っています。感想に疑義や承服しがたいことがあったら、糾問するメールをください、小林清人さんからのメールとそれへの返信として1回分の記事にしますからと申し添えた。

①お加減はいかがですか。先日のお申し出の件、始めれば、私のナイーブな疑問に延々とお付き合いいただくことになりますが、それでよろしゅうございますか。残り少ない(と森崎さん自身がおっしゃる)時間を無駄にさせることになるのではないかと案じております。そういうわけで、まずは試しに一、二の質問をさせていただきまして、「これは、ダメだわ」と森崎さんがお思いになった場合には、そこで打ち切りということにしましょう。そうなったとしても、私は森崎さんのお書きになるものを今後も読み続けますし、私の森崎さんへの畏敬の念が失われることはないということは、申し上げておきます。理解できないながら、森崎さんの思想のなかに私が無視するわけにはいかないものがはらまれているに違いないという確信はあるわけですから。

最新の記事について愚考したことから話を始めさせていただきます。まずは冒頭の「個人の主観的意識の襞にある信は、共同主観的信の派生態」であるというくだりです。「個人の主観的意識の襞にある信」。これは、「個人の信」と簡単に言い換えてよいでしょうか。「意識の襞にある」ということで、意識の中心、中核にではなく、何か目立たない片隅に襞に隠れてある信というようなものをイメージしてしまいますが、「襞にある」という表現にはそのような、あるいはそれとは別の私には思い当たらないような強調的な意味が担わされているのでしょうか。
とりあえず、「個人の信は、共同的な信の派生態である」という風に理解して、話を進めます。<信>という言葉はいうまでもなく両義的です。一つは「信じる」あるいは「信じている」という心の姿勢、状態であり、もう一つはその信じていることが対象としているもの、命題なり意味なりの内容的なものです。ここは、そのあとにある「集団の信も集団の信に背反する個人の信も意識の型としてはまったく同型である」という一文から、前者の意味での<信>についていわれているのだと理解できます。そう理解した場合、「同型」であるということは、むしろ当然のことのように思われてきます。
「集団の信」あるいは「共同主観的な信」とは、私には「個人の信」の寄り集まったものであり、どのような「集団の信」も「個人の信」を要素にしているように思えます。集団的ないし共同主観的なものとは、<信>の第二の意味である内容的なものこそがそれであって、そのような共同のものとしてある<信>を各個人が<信>の内容としている。つまり、私は「共同主観」などというものは端から存在しないと考えているのです。「超越論的主観」にしても、それは思考の「いかに」を規制する道路標識のようなもの、経験的主観(個人の主観)がそれに則って思考する論理法則のようなものでしかありません。「共同幻想」というものも、共同の幻想を各個人がそれぞれに幻想しているにすぎないのであって、いったんそのように各個人によって幻想されたものが、幻想される内容的なもののもつ共同性の力によって、各個人に対して制約的に働きかけるのだという風に考えるわけです。ですから、「派生態」という言葉を使うならば、むしろ「集団の信」こそが「個人の信」の派生態ということになりそうな気がします。たとえば、親鸞の絶対他力についても、まず親鸞という個人の<信>があって、これに共鳴する個人の<信>が寄り集まって、それを共同化する。しかし、そこでの<信>の構造はあくまで個人的なものです。「面々の計らい」と言っているのは、そのことではないでしょうか。ここにはどこまでもつきまとう自力の残滓があります。親鸞が「信と不信の同一化」と言っているのは、自力の残りかすを払拭することを言っているのだと思いますが、これはすこし横道に逸れる話かもしれません。
おそらく、森崎さんはいま私が述べたようなことは、言うまでもない、枝葉の話だとしたうえで、<信>の構造それ自体を根こそぎ刷新してしまおうとしておられるのでしょう。これは、以前、よい共同幻想と悪い共同幻想はあるのか、すべての共同幻想は悪なのかということについてお話を伺ったことと関係しているようです。すると、私としては、共同幻想とはそもそも何なのかという所にまでさかのぼって、お話を聴きたくなります。それはイデオロギーとどう違うのか。もっとも、イデオロギーという語の概念も一義的に画定されているわけではありませんから、面倒な質問になってしまいますが。

①を読んで
小林さんは「集団の信」あるいは「共同主観的な信」とは、「個人の信」の寄り集まったものであり、どのような「集団の信」も「個人の信」を要素にしていると考えておられます。つまり「共同主観」などというものは端から存在しないと考えていると書いています。わたしの考えでは意識の外延表現では自己の観念は生が危機に瀕すると、まれな例外を除き共同の観念に同期します。それがわたしたちがつくってきた自然です。あるとき状況のなかで自己に憑依した大義が猛威をふるうことがあります。共同幻想が個人を呑み込みあたかも意志を持った生きもののように振る舞い始めることが往々にしてあります。そのことはわたしの生存感覚を貫いて存在しています。この体験はいかんともしがたく孤立無援の闘いを吉本隆明の共同幻想という理念でしのぎました。昔よい共同幻想で世のしくみをつくればいいではないかと小林さんは主張していました。共同幻想はよくても災いだとわたしは主張したことを覚えています。ここには小林さんとわたしのあいだに埋めがたい体験の落差が厳然としてあります。いまさらこの距離を埋めようとする気も、埋まることもないと思います。それこそ面々のはからいです。

「『派生態』という言葉を使うならば、むしろ『集団の信』こそが『個人の信』の派生態ということになりそうな気がする」と書かれていますが、ここには、概念の混同があります。存在の複相性を往還する内包論を前提とするとき、集団の信が個人の信の派生態であると言おうと、個人の信が集団の信の派生態であると言おうと、どうとでも言えます。わたしが自己幻想は共同幻想の派生態であるというとき、内包論を前提としています。内包論を前提とすれば、意識の外延性が弁別する観念がとても窮屈な自然として感じられてくるのです。自己の自己についての観念も、一箇の自己とべつの一箇の自己についての関係の観念も、相互が第三者として接する観念も、それぞれに違う観念であるということはできるけど、この観念の類別で転形期の世界史の地殻変動に対応することができるとはとうてい思えません。1990年の時点でわたしはハイパーリアルなむきだしの生存競争が到来することを予測していました。文明の外在史と精神の内在史という理念が同一性によって統覚され、歴史として重畳され、この広大な意識の外延史が人を媒介にしたインターネットからマシンインターネットに呑み込まれようとしています。人格と社会というふたつの偶像は強いAIによってやすやすとコーディングされてしまいます。言語表現も分子記号のゲノム編集もまだ端緒についただけですが、人間という概念は途方もなく変貌することになると思っています。人間という概念はまだいちども本懐を遂げないままに終焉しようとしている。同一性の手前にある内包という観念で人間という概念はもっと幹を大きくすることができます。人間をアルゴリズムで記述できるだろうか。先験的に記述できない。人間が人間であることは同一性のはるか手前で人であることが現象しているからです。ユヴァルのデータ教もまた外延論の延長にすぎません。内包論は外延論の拡張した意識の解明をめざしているのです。

小林さんが言われる個人の信が共同の信の派生態であろうと、共同の信の派生態が自己の信であろうと、どちらでもいいのです。自己幻想、対幻想、共同幻想を統覚するものが意識の外延表現では同一性であるということであり、それぞれの場面で行使される観念の背後にある同一性はいつも隠れています。そのことがいちばん重要です。内包論からすると、ヘーゲルもマルクスもハイデガーもフロイトも吉本隆明も思想としては同型ということになります。かれらにはじぶんがつくりあげた思想が解けない主題を解けない方法で解こうとしたことに気づいた気配はありません。いつも同一性という公準は問われることもなく論理の背後に陰伏されています。

①のなかで「たとえば、親鸞の絶対他力についても、まず親鸞という個人の<信>があって、これに共鳴する個人の<信>が寄り集まって、それを共同化する。しかし、そこでの<信>の構造はあくまで個人的なものです。『面々の計らい』と言っているのは、そのことではないでしょうか」と書かれたところがありますが、ここでも小林さんのなかで概念が混同されています。親鸞の絶対他力は浄土教の教義を解体しています。あの時代にあって驚愕する出来事です。親鸞の他力を覚知したものが集まるとき、他力を謳う自力集団にしかならないと考えてきました。ではどうやれば信の共同性の根を抜くことができるか、真剣に考えてきました。親鸞は浄土教の教義を解体したのですから、言い換えれば共同幻想を解体したのですから、他力で世界像をつくればよかったのですが、親鸞は還相廻向でこの世のしくみを語ることはしませんでした。それで内包論が親鸞の他力や自然法爾を継承して還相による世界構想を試みているということになります。それが可能であるという実感がリアルなものとしてあります。

共同幻想とはなにか。一言で言えます。同一性が粗視化したさまざまな観念にすぎません。人類史においてもっとも成功した観念が国家と貨幣ということになります。これから人間はIOTの一部になっていくでしょう。つまりマシンネットワークの部分をなすものが人間ということになります。未遂に終わった人間至上主義はデータ教という共同幻想に乗っ取られることになるのです。

②よい共同幻想などない、というのが森崎さんの教えでした。このことについては、永く考えてきました。私が「よい共同幻想」というのは、つまり、よい考えを共にするというあり方のことです。「共同体なき人々の共同体」―このバタイユの言葉に倣って言うなら、「共同幻想なき共同幻想」ということになります。
森崎さんが発言し、それに共感した私が森崎さんの発言を引用しながら、何らかの発言をする。おなじことをまた第三、第四の人物が繰り返す。それらの発言は微妙にずれたり、膨らんだりしながら、全体として一つの思想圏を形成していきます。むろんその圏域の核、あるいは基底には森崎さんの内包論があるわけですが、そのようにして共有される内包論(共有されることを願わないのなら、森崎さんはそもそも発言されないことでしょうから)は、やはり共同の観念と言うしかないものではないでしょうか。それぞれが個々に自発的にそれを生きる共同の、あるいは協働の観念。垂直の軸で立った者たちによる共同の、あるいは協働の。

途中をすっ飛ばして言うと、問題は、内包の思想を考慮した政治が可能か、可能だとすればそれはどんな政治か?にあるように思います。フーコーのパレーシアについての発言は、よき政治の必要性を痛感したうえでのことでないとしたら、どんな動機によるものだったのでしょうか。

②を読んで
内包論は「共同幻想なき共同幻想」という思考の慣性の根本的な転倒を目指しています。心身一如を自己とし、その自己を実有とする観念の粗視化が象った人類史や精神の内在史の全体を拡張する試みです。フーコーの最晩年のパレーシアという胸のすくような考えはきわめてプライベートなものだとぼくは確信しています。もちろんフーコーにとっての固有な体験を普遍的に言うこともできます。内包論のモチーフもそういうものです。
小林さんがお訊きになっていることは「歩く浄土」の読者のだれもが抱いている疑問だと思います。小林さんからもらったメールに返事を書こうと思ったきっかけはそこにあります。バタイユの『共同体なき人びとの共同体』もブランショの『明かしえぬ共同体』もナンシーの『何も共有していない者たちの共同体』もジジェクの『厄介な主体―政治的存在論の空虚な中心』もアガンベンの『ホモ・サケル』も『到来する共同体』も『人権の彼方に』も共同性のなぞを究尽していません。自己意識の回りを途方に暮れてどうどうめぐりしているだけです。
古典近代の思想家ヘーゲルやマルクスも同様です。意識の外延性をどれほど緻密に解明しても、始まりと終わりの不明を括弧に入れて、そこから自己を立ち上げ世界を語ってもやわらかい生存の条理が未知のものとして生きられることはありません。ある思考の慣性に閉じられていることの自覚がなによりおおきなことだと思います。
内包論も形を変えた共同幻想ではないかというのが小林さんの主張で、内包の思想を考慮した政治はどう可能かとお尋ねになっています。親鸞の他力を覚知した者たちのつながりはどういうものになるか。信の共同性となってあらわれるほかないと「歩く浄土」の考察を進めてきてそこまでは到達しました。

これまで何度も何度もくり返し書いてきましたが、内包論を理解する第三、第四、・・・と小林さんが叙述されるとき、小林さんが理解する内包には空間化と実体化のバイアスが無意識に負荷されています。おそらく意識にとっての無意識識ではないかと思います。認識の公準がある思考の慣性に馴致しています。けっして内面化も共同化もできない出来事のことをぼくは内包と定義しています。内包のど真ん中には還相の性がありますが、還相の性は、自己意識として内面化することも実詞化することも、まして共同化もできません。だからこの世のしくみを突きぬけていく生や歴史の未知の可能性がここにあるのです。内包はいかなる政治を可能とするか、ではありません。内包という観念を粗視化すると、あたかも親鸞の自然法爾がふくらむように自己や共同性を包んでしまうのです。観念にとって往路にすぎない意識の外延性は復路では文明の外在史や精神の内在史ではなく、それぞれが内包のなかに溶け込んでいきます。存在の複相性の還り道の中で政治のない世界が可能的なものとして存在しはじめます。内包は政治ではないのです。内包表現のなかでは政治は自己幻想とおなじく消滅します。ここではじめて他者を自己の生存の手段にしない生の様式が可能となります。

小林さんの指摘から、すぐにレヴィナスの第三者性の問題への発言を想起しました。ハイデガーのナチと行進する「と共に」の存在のあり方の根底的な批判がレヴィナスの哲学の根本的なモチーフです。「この同志の集団に対して、私たちはそれに先行する〈わたし―きみ〉の集団を対置する。この集団は、第三項-仲介的人物、真理、教義、営為、職業、利害、居住地、食事―への融即ではない。つまりこの集団は合一ではない。それは仲介のない、媒介のない関係のおそるべき〈対面〉である」(『実存から実存者へ』)と言いながら、第三者性が登場するや国家の正義を要請します。「しかし第三者が出現するやいなや、判断と正義が必要になります。隣人に対する絶対的義務というまさにその名において、隣人が要請する絶対的臣従を放棄せねばならないのです。ここに新たな秩序の問題があります。この秩序のために、制度や政治が、すなわち国家の全骨格が必要なのです」(『われわれのあいだで』)なにがレヴィナスの思想の内部で起こっているのでしょうか。かれは存在を往還することができずに、存在するとは別の仕方を希求しながら、存在することの彼方をハイデガーの整列する「と共に」を象る同一性にかれの企図することに反して回帰しています。レヴィナスの思想の未遂は西欧的知の偏位そのものの起源に向かうような気がします。マイスター・エックハルトと親鸞の違いはどこにあるか。わずかに残されたエックハルトの遺文と親鸞の言葉の差異。エックハルトは、私より近くにいる神という知を解体できていない。おなじことを親鸞も言っていますが、親鸞はすでにその知の感得そのものを解体してしまいました。西欧的知の世界では匿名の領域を思想として表現したシモーヌ・ヴェイユの出現まで「と共に」の擬制が根底的に問われることはありませんでした。ヴェイユは歳のはなれた親鸞の妹のような気がします。

小林さんは内包論を「第三、第四の人物が繰り返す」ことになるとその言葉の圏域は森崎の意図がどうであれ共同幻想ではない共同幻想になるほかないので結局は共同体が信の共同性からまぬがれることはないと考えています。親鸞の他力を覚知したものが複数集まるとどうなるか。考えに考えました。どんな優れた他力の覚者もかれら個々の意図に反して信の共同性をつくることになります。自我は起源に先立って他者へと結びついているとレヴィナスは言いますが、他者へと結びついている存在を自我ということで表現することはできません。そのことをレヴィナスが感得することはありませんでした。おそらく西欧的知の限界がそこにあるとおもいます。自力廻向はあるのですが還相廻向はない。自力廻向の信はどんな例外もなく必然的に掟を疎外します。ぼくは、自力廻向の信の全体を意識の外延表現と呼んできました。小林さんの「共同幻想なき共同幻想」という内包理解は自力廻向の信からからなされています。意識の外延性が意識の内包を措定することはできません。意識の外延性を統覚する同一性のはるか手前に意識の内包性が存在しているからです。意識の外延性は内包の影にすぎないのです。影が内包を踏むことはできません。

内面を内包化するとべつの自然が立ちあらわれます。文明の外在史と精神の内在史として表象される意識の型をまるごと包みこんでしまう内包自然が、内面の意志とは関係なく自己意識の向こうからやってきます。親鸞はこの機微のことを他力と言いました。内包論は親鸞の他力によってつくられた自然法爾をさらに内包化する試みということもできます。親鸞は『末燈鈔』で他力のなかに自力はあるが、他力のなかにまた他力というものはないと言っています。ぼくは内包論を究尽するなかで親鸞が考えた他力のなかにもうひとつ他力があると考えました。そのとき親鸞の自然法爾がわずかにふくらむことになります。自然法爾がわずかにふくらむということが他力のなかの他力であると比喩できます。親鸞のなかに仏が陥入し親鸞が仏になるとき、衆生を照らす仏の慈悲が空間化されることなく領域化されます。この事態は他力のなかの他力というほかありません。ここにわずかに親鸞の未然があると考えたのです。親鸞が仏か、仏が親鸞か判然とせず、親鸞と仏が融即すると、信の共同性は消滅します。なにが親鸞の未然かというと、親鸞でさえ他力をわずかに空間化していたということです。だれもこのことを指摘していません。内包論の要はここにあります。

他力を内包化すると還相の性があらわれます。そうすると吉本隆明の心的領域の定義はまるごと拡張できます。自己を基点として外界に発せられる意識のありかたとべつのまなざしの可能性がおのずとあらわれるのです。親鸞は有情を有縁によって結び直しています。わたしの理解では有情は外延的な親族であり、有縁は内包的な親族を意味します。他力を内包化すると親鸞の自然はわずかにふくらみます。親鸞は衆生に仏という共同幻想を媒介にして仏の慈悲を一人ひとりにとどけ、最後はその仏も否定して第十八願を還相の知として表現したのです。おなじことを内包論で言ってみます。内包という心的な領域は、身体に還元される領域では心的な過程は還相の性を媒介にしての根源の性の分有者である往相の性の関係として表現され、身体に還元できない心的な領域は、共同の幻想ではなく内包的な親族として表現されることになると考えることができます。人倫を媒介とせず、共同性を疎外せず、それ自体として内包的な存在が自存する。また内面の内包化によって、他力のなかの他力がおのずと表現され、還相の性という潜力がもつ余熱は、外延的な共同性を包み込んで共同性を内包的な親族へと転位させる。ここに生や歴史にとってのまっさらな未知がある。だから内包論はどんな政治を可能とするのかというお尋ねに回答することはできません。内包論はどんな政治でもないのです。内包論は自我と共同性を包み込んで消滅させるからです。ここがいちばん伝わりにくいところではないかと思っています。存在は復相的であり、複相性を往還することでしか存在の全円生を生きることができないとぼくは考えています。

③森崎さんの「実感」の確かさは、その具体を理解しえないまま信じております。
 伝達を優先する叙述は、必ずや事柄に対する裏切りに結果しますから、森崎さんのお書きになるものが「いわく言い難い」というもどかしさに、したがって、私にとっては理解しがたいというもどかしさに付きまとわれるのは、致し方ありません。森崎さんに10年以上の時間が必要だったのであれば、それを理解しようとする私にはその100倍ぐらいの時間が必要なのかもしれません。本当に大事なことが伝わるということは、それくらい困難なことなのだろうと思います。
 対の関係は、それ自体で自足し、閉じてしまう。閉じたところから開いていく、その還相の道筋が私には見えてきません。「幸せのおすそ分け」では、未だ三人称の世界でしかないでしょう。「家庭の幸福は諸悪の根源」という思想の方が、私の実感に近いことを否定できません。森崎さんと知り合ってから20年以上経った今も、思春期から持ち越している疚しさの感情から脱け出せません。「疚しさの欠如に対する絶えざる審問」、ここにしか人間性の証はないというのが正直なところなのです。何か決定的に気づいていないことがあるのでしょう。
 ともあれ考え続けます。理解できないながらも、森崎さんの熱血は私の腸の腐り止めです。長生きしてください。ご無理なさらぬよう。

③を読んで
思春期から持ち越してきた疚しさの感情から抜けでることができないが、その疚しさの欠如にたいする絶えざる審問のなかにしか人間が人間であることの証はないと言われています。この感覚いいですね。正確に理解することはできますが、この種の疚しさは幼少の頃から体験したことがないので、じぶんのことのようにわかることはありません。ただ意識の外延性に表現が閉じられるとき「伝達を優先する叙述は、必ずや事柄に対する裏切りに結果します」。そしてそのことを自覚することは「疚しさの欠如に対する絶えざる審問」に晒されることになります。そこにしか人間性の証がないということは言われるとおりだと思います。意識の外延性としては至上のあり方だと思います。
ミシェル・フーコーが『快楽の活用』の中で「私を駆りたてた動機は、ごく単純であった。(中略)つまり、知るのが望ましい事柄を自分のものにしようと努めているていの好奇心ではなく、自分自身からの離脱を可能にしてくれる好奇心なのだ。(中略)はたして自分は、いつもの思索とは異なる仕方で思索することができるか、いつもの見方とは異なる仕方で知覚することができるか、そのことを知る問題が、熟視や思索をつづけるためには不可欠である、そのような機会が人生には生じるのだ」と述べています。生を引き裂く固い自然のただなかで熱い自然が内面化も共同化もできないものとしてフーコーの生存感覚を貫通したのです。それがパレーシアだと理解しています。

    3

今年の1月に友人の原口さんから「部落問題を通して、人間・社会〈差別〉を再考する-二人称の関係・つながりを求めて-」と題される長い論考が送られてきた。一読して感想はすぐに伝えたが、この数十年考えてきた内包論とも重なるところがあり、論考で書かれたことをいくつか取りあげながら原口さんの考えを追っていく。原口さんとの関係は半世紀を超えいまも続いている。うなり声を上げながら駆け抜けていったそれぞれの体験を一言でいいあらわすことはとてもできない。原口さんの今回の論考はいきなり出来したのではない。20年前に原口さんの論考について感想を書いたことがあるので、再掲する。

七七年目の革命―アウトテイク「原口諸論文」考

原口思想の核心
 この数年間に原口孝博さんが書き著した部落についての論文がもつ衝撃力は、水平運動70年余の歴史を根底から革命する出来事だと考えている。もしも人間が事実とは違うなにものかだとしたら、ここに水平運動を担っただれもがやり果(おお)せなかった、部落を根底的に拓く、はじめての、そしておそらく最後の可能性が語られていると確信する。賎視や禁忌としてあらわれる諸現象を消滅にみちびく強靱な原理を、みずからに痕跡として残された古代心性を手がかりに、弓なりになった島嶼の国の数千年の歴史を縦横に駆けめぐってみた。それが彼の日本文化の源流とみなしたい〈喩〉としての部落だ。主調音はフーガに似て、地を這うような重心の低い言葉が繰り返される。そのたびに彼の主題は薄皮をはぐように鮮明になっていく。部落=共同幻想を共通の認識として、その彼方に彼はゆこうとしている。賎視観念の由来を起源の闇に葬ることを肯んじなければ、彼がそこに向かうのは必然だ。
 共同体的な絆が希薄になり、帰属の根拠が浮遊化している現状について彼は96年の夏、考えた。「『部落民』にとってアイデンティティは不要なのか。『部落』のもつ共同幻想性を対象化したうえで、もう一度、『部落民』にとってのアイデンティティを追求し直すべきではないだろうか」(第3論文)。微妙に彼はぶれている。98年の秋、彼は書く。「自らを規定すべきものは人間のもっと内側にある。それは誰もが本来持っているものなのに、皆気づいていない。それが人間としての本当の〈誇り〉であり、アイデンティティ(主体のあり方)なのだ」(第15回部落問題全国交流会)。彼のゆきつくところはもう明らかだと思う。「外皮や衣の内側(内在性)にこそ、時代を通じて変わらぬ〈熱と光を持った〉人間としての本源的価値がある」(第4論文)というリアルを彼が生きているからだ。このリアルを手に彼は賎視観の由来を尋ねて歴史の古層に遡る。マリノフスキーの文献を猟渉した吉本は生命の永生的な観念が「親族体系とその予想を超えた展開である氏族制度と結びついたところで、いうところの『身分の差別』が発生する」(『情況へ』)と考えるが、思うに吉本の思想と彼のリアルは激突する。 解決の途は国家を造らない人間の関係の可能性のなかにあり、それは我に非ずを含み持つ我という主体をどう創りうるかにかかっている。彼は「人間が共同体や社会・国家を自分以外の規範対象(幻想)としてなぜ生みだし、維持してきたのか」(第6論文)と自問し、「新たな概念をつくらないといけないという意味ですが」「個と個の関係のところで、哲学的にいえば〈存在〉概念の転換、そういうところにたどり着き、射程に入れないと新たな部落解放運動の道筋は見えてこないと思います」(『「部落民」とは何か』)と自答する。ここまでくれば主体や部落を名乗る自分とは何かが根底的に問われるのは不可避だ。彼は近代がつくった現代の彼方をめざして人類史を初源から巻き戻そうと意欲する。しかし彼の直感は、〈弥生〉よりも古層の〈縄文〉なる祖型もすでにしてある思考(自己同一性)のかたどられたものかもしれぬという畏るべき問いにゆきつく。〈思考〉は激しい緊張にさらされることになる。私がふたたび彼と本格的にまみえるのはそこにおいてだ。

原口論文の骨格
 諸論文は私の理解するところでは以下のような基本的骨格を持っている。
1:部落の本質論
2:表現論
3:世界論
 原口さんの「部落」についての論文をじっくり読んでふるいにかけると、彼の表現の論理は三つの格子から造形されていることがわかる。ひとつは、「部落」を共同幻想とみなす考えであり、これが「部落」の本質論として主張されている。二つ目は、意志論の領域に属する言説であり、彼の表現論の要をなしている。そして三つ目が、本質論を意志論(表現論)で巻き取って展開した世界論である。これは彼に固有の独特なものとしてある。おおよそ、この三つの論理によって彼の言説はあざなわれているとみてよい。論文のどの箇所を読んでもこの三つの音色が響いており、どのひとつを欠落させても彼の固有な表現は成り立たないようにできている。読者は原口さんの論文を三色にぬり絵したらいい。彼の言いたいことが手に取るようにわかるに違いない。本質論と表現論と世界論を、重ねたりずらしたりしながら考え込んでいる彼の姿が浮かんでくる。
 三つの格子のそれぞれの色合いを通して彼がそこに見る光景は、あるがままの現実とはずいぶん違うはずだ。それは言葉という本然の力からくる。たとえば柄谷行人の表現論を欠いた『探求Ⅰ』『探求Ⅱ』と比べるとその違いは歴然としている。卑小を生きるほかにどんな普遍もあるわけがないのだ。今では意志論を内在した世界論にであうのは稀なことだが、彼が表現に固有なこの方法を手放すことは決してない。苦難の水平運動77年の行路の果てに、囚われるよりもっといいものが俺たちのなかにできつつある、勝利だ!と呟く一人の革命者が誕生する。

書誌的論文概観
第1論文「部落に関するノート」(『パラダイスへの道’90』)
第2文「部落差別と共同体意識の関連について」(「こぺる」NO38)
第3論文「思想課題としての部落」(「夕刊読売」96年7月)
第4論文「部落差別と共同性をどう考えるか」(「こぺる」NO54)
第5論文「〈部落・部落民〉=共同幻想の理解について①」(「『同和はこわい考』通信」NO127)
第6論文「〈部落・部落民〉=共同幻想の理解について②~③」(「『同和はこわい考』通信」近日掲載)
また座談会、討議としてつぎの二書がある。
『藤田敬一さんを囲む座談会』(福岡水平塾双書①)
『「部落民」とは何か』(「阿吽社」)

 原口さんの主要論文と討論の書を手で目びさしをつくるよまうに追っていくと、第3論文までと第4論文以降に息づかいの転調がみられ、文章の字句からうける硬さがほぐれて柔らかくなっていることに気がつく。このかすかな気配を感じとれるかどうかは、原口さんが身を削って考えつめた論考を正確に理解するうえでのαでありωであると思う。読者は彼の一連の論考を通じ、一人の表現者が革命者に変貌していくさまをじかに経験することになる。それはほとんどありえない稀な光景だといってよい。彼は言葉による本然の革命をめざす。あつくたかぶるものがある。私もまた、共にそれをさいごまでやり遂げたいと考えている。(『水平塾ノート0号』一九九九年一月一七日)

2018年6月に佐賀県部落解放研究所で行われた講演に加筆して「部落問題を通して、人間・社会〈差別〉を再考する-二人称の関係・つながりを求めて-」は書かれている。原口さんの生存を痛撃した出来事を、その半世紀を原口さんは表現した。この論考は「他者を含みもつ個人」は可能だろうかと問い、可能でなければほかになにがあるのかと応えるものであり、卑小であることがそのまま偉大であることはなぜ可能なのかにたいする原口さんの長年にわたるひとつの回答だと理解した。この世のしくみを善きものによって書き換えることは可能だと、ゆるぎなく原口さんは断言する。なにより体験と体験の抽象のあいだにずれがない。自己の内面や内面の社会化によっては他者を自己の生存の手段としない生の様式は可能とならない。内面化も共同化もできない存在への渇仰が原口さんの苛烈な体験を貫いている。

換言すれば、例え一対のペアであれ、自・他(AとB)を結び合わせ、豊かに新たまった関係意識(C)は、拡げれば自己を起点に放射状に、無数に産み出すことも可能となるし(重なりのC)、それを三人称の方ではなく、一人称=自己・個人の方へ向けて自己・個人概念を改変し、大きな拡張を図ろうとする試みだとも言えます(新たで根源的な一人称〈I〉)。
更にこの視点で見れば、三人称規範は「社会」のみならず、共同性や共同観念を持つあらゆる小規模の「集団、集合体(共同体)」を射程に入れて、その内部構造や力関係、内部に生まれる序列や禁忌、親和と排除等の内・外関係(共同体意識・観念の様相含む)にまで目を向けることも可能にします。
「市民」や「社会」、「国家」、「制度」対「個人」の近代概念だけでは網の目が広すぎ、特に部落問題や部落差別を歴史的に考える際には、このように時間軸を長く取って検討できる観点(例えば、「個」と「社会」の狭間にある「対」や「共同性」の歴史的な展開等・・・・)がもっと重視されるべきではないかと思うのです。

原口思想の核心に「重なりの1」という特異な概念がある。重なりの1は、「部落の本質論」であり「表現論」の要であり、ふたつの概念が結びついて原口さんの世界論となっている。この難解な概念を読み解こうとしてふと最晩年の吉本隆明のアフリカ的段階についての存在倫理を想起した。「古い宗教的な心理状態とか精神状態をどこまでもさかのぼっていけば、どうしてもそうなります。おまえの存在、おまえが生まれたいという意思とか、産んでくれとかいうところから出てきたものは何もなくて、ただ、無限に遠い以前からちゃんとそういうふうに考えると、おまえの分は何もないんだから、生命と取りかえっこ、存在と取っかえっこすることは、いってみれば、倫理の最も根本のところに点として、核としてあるものであって、宗教的なものとは取っかえられるということが出てくることはあり得ますね」(「存在倫理について」『群像』2002年1月号)
原口さんの重なりの1と吉本隆明の存在倫理は理念化される以前の情動のゆらぎがとてもよく似ている。おそらく、わたしの理解では重なりの1という理念を空間化することはできないと原口さんは言おうとしているように思える。吉本隆明は「倫理の最も根本のところに点として、核としてあるもの」としかいうことができず、ほんとうは倫理の根本は領域としての自己であることに気づいていない。自己は領域としてしか表現できないことに気づいた原口さんの重なりの1はこれからどこに向かうのだろうか。このおおきな潜力を秘めた概念はおそらく吉本隆明が最期に到達した『アフリカ的段階について』を超えて生の豊饒な源泉まで到達するような気がしてならない。

原口さんが重なりの1に言及した箇所をもう少し引用する。

〈差別〉を乗り越える強力な「手立て」が、より良い社会規範(三人称・共同性)を求める方向にではなく、実は身近な個人対個人(二人称)のレベルで、手つかずで存在していることに私たちは気付いてよいのではないかと考えます。(・・・)くどいようですが、ここは大事な点と思えるので一般的な形で言い換えてみます。
「自分(A)にとっての他者(B)が、いかなる立場や属性にあろうとも、その他者が自身の愛する者であり、大切に思える存在となるならば、新たに創造・育成された関係意識(C)が、社会規範、共同観念等の外部から持ち込む差別意識等を吹き飛ばし、無化してしまう。」ということです。この(C)は集団と集団(三人称同士)の間において、そのままでは生まれようがない性質のものだと思います。なぜなら、規範と規範は、互いがそれを優先する限り、そこに人間の未知の可能性を引き出し媒介する〈契機〉がないという理由によります。たとえば「部落民」と「非部落民」とされる二人が、その外在規範を手つかずのままに関係改善を図ろうとする限り、正しい意味の「共生」はあり得ません。そこに〈人間の内在性〉を関与させない限りは、何も生まれない不毛な営みだと私は思います。(・・・)云いかえれば、(A)や(B)の各々の「個(私)」の意識下に潜む<無私>のようなもの、或いは<無私>を呼び起こされる「何か」だという気がします。これ以上、私も言葉にすることができません。けれども、誰一人の例外なく人々は、人間は持っており、内在している共通の感情・心情であると私は考えています。

原口さんの関係意識Cはわたしたちの思考の慣性のもとでは対幻想と呼ばれています。個人Aと個人Bの関係から関係意識Cが生まれるとき、原口さんが主張する関係意識Cは対幻想という観念ではうまく理念化できない。そのことをしきりに原口さんは言おうとしている。それは内包論の往相の性ということでもない。意識の外延性で名づけられてきたある個体Aとべつの個体Bが疎外する観念を対幻想とする思考の慣性は、意識の外延的な表現の象徴として内包的な根源の性が実詞化された往相の性のことをさしているにすぎない。内包論では対幻想という意識の外延性は往相の性に対応している。意識の外延性は対幻想という性の世界までしか行くことができないが、内包論では意識の空間化や実詞化ができない還相の性をまるごと生きることができる。対幻想は意識の外延性を前提とした理念であり、内包論では往相の性が対幻想に対応しているということもできる。根源の性は往相の性として分有されながら同一性的な世界認識に遷移されるが、根源の性の深奥にある還相の性は自他が融即したまま領域の自己として同一性の手前にとどまりつづける。
原口さんは、重なりの1について〈無私〉を呼び起こす何かという言い方もしている。おそらくヴェイユの人格の底にある聖なるものとつながっている。圧倒的に善であり、悪は枝葉末節であるという存在の複相性を往還することを可能とする精神の場所のことが重なりの1と名づけられている。放射状に累乗可能な生のありようはヴェイユの匿名の領域と重なってくる。幾重にも累乗可能な放射状の生をつくっていくことができる重なりの1を原口さんはヴェイユの思想に重ねていく。

「個」と「個」が繋がるという二人称の間に創生される関係意識(C)は、凄まじい強度を持つ「生きる力と共生の<源泉>」に必ずや成り得る。「個」と「社会」の二項概念だけでは、この機微は見えて来ません。いま世界を席巻するAI(人口知能)もまた、その正体は「ゼロ0と1」という交わり・重なることのない無機的な2項の膨大な総延長と演算結果、数学的論理・合理の組合せに過ぎない以上、これは決して理解も、判別も、感受もできない世界であり、唯一、人間にのみ可能となる出来事・力なのだと思います。

ヴェイユは自我と社会的なものはふたつの大きな偶像であると言い、だれよりもキリスト教を深く感得しながら教会的な共同体の一員になることを拒み通した。なぜ自我と社会的なものは偶像なのだろうか。始まりと終わりの不明を含みもつ存在を意識は同一性を公準にして外延的に表現することしかできず、外延化された存在は絶えざる空間化と実体化を負荷されるほかない。その象徴が自我と社会的なものであるとヴェイユはみなしたわけだ。人格の根っこに聖なるものがあり、この聖なるものを通じてだれもが匿名の領域へとひらかれているというのがヴェイユの思想の根本だと言える。「人格の表出のさまざまの形式であるにすぎない科学、芸術、文学、哲学は、華やかな、輝かしい結果が実を結び、それによっていくつかの名前が数千年にわたって生きのびる、というある領域を構成している。しかし、この領域を越えて、はるかかなたに、この領域とはひとつの深淵でもって距てられた、もうひとつの領域があり、そこには第一級のものがおかれている。それらのものは本質的に名をもたない」(『ロンドン論集と最後の手紙』)
自我や社会的なものとは深淵をもって隔てられた存在が人格とはべつの形で複相的に存在している。それはだれのどんな卑小な存在のなかにも無限小のものとして内挿されている。人格の根っこに人格ではない聖なるものが内属しているとして、その絶対的な善と匿名の領域はどう相関しているのだろうか。この問いを解明しないままにヴェイユは世を去った。自我や社会的なものというふたつの大きな偶像は同一性を暗黙の公理とする意識の外延性から流れ下っている。それがわたしたちの知る人類史だ。近代の偉大と偉大さがはらむ逆理にヴェイユは鋭敏な感覚でフランス市民革命が創造した「権利の概念は、その内容が不十分であったがために、それに委託された機能を遂行することができなかった」と言った。人権の理念は発せられるやいなや実体化される運命にあった。

レヴィ=ストロースはフランス革命もたらした理念を批判する。

人々の頭のなかに、社会というのは習慣や習俗でできているものではなくて、抽象的な理念に基づいているのだという考え、また理性の臼で慣習や習俗を挽き潰してしまえば、長い伝統に基づく生活形態を雲散霧消させ、個人を交換可能な無名の原子に変えることができるのだという考えをたたきこんだからです。真実の自由は具体的な内容しか持つことができません。小さな範囲の帰属関係と小さな団結がうまくバランスをとっている、その均衡状態から自由は成り立っているのです。これを、理性的と言われる理論的思考は攻撃するのです。それが目標を達成した暁には、もはや相互破壊しか残っていないのです。その結果を我々は今日見ているわけですよ」(『遠近の回想』竹内訳)

「理性の臼で慣習や習俗を挽き潰してしまえば、長い伝統に基づく生活形態を雲散霧消させ、個人を交換可能な無名の原子に変えることができるのだという考えをたたきこんだ」、その理念がその危うさをもつということを認めても、レヴィ=ストロースの考えでは賤視観念の由来は解けない。賤視観念でさえ生活の知恵であるということができる。レヴィ=ストロースの考えでは冷たい社会は停滞したままになる。人間の意志をどう理解するか。わたしとレヴィ=ストロースには人間の意志というものについての理解に根本的な違いがある。明晰は迷妄から人の生を救いはするが、生を熱くすることはない。この問いにだれも答えきっていない。人間が粗視化した観念を自然なものものとして受容することがもたらす自然。その自然のうちにある禁忌。伝統という個の生涯を超えて拘束する共同の禁忌をどうやればほどくことができるのか。ヴェイユも究尽することができなかった。

内包論からするとヴェイユの思想はふたつの素過程に還元できる。ふたつの素過程の表現としてヴェイユの匿名の領域が存在している。人格や自我や主観ではない〔領域化された自己〕がヴェイユの言う聖なるものに比せられる。つまりヴェイユが言う人格の底にある聖なるものは〔領域化〕されるということだ。この〔領域化〕された存在を〔根源の性〕と名づけてきた。始まりと終わりの不明を不可避に抱えこむ同一性的な生の亀裂を充填して存在の複相性を全円的に表現するとき、根源的な性は分有され、自己が自己である各自性が訪れる。生の原像を還相の性として生きるときだれのどんな生も固有なものとなるほかない。ヴェイユの覚知した匿名の領域は還相の性と内包的な親族のふたつの素過程に還元することができる。意識の外延性を往路とすれば、還り道で生の原像を還相の性として生きるとき存在は全円的に表現されることになる。この生のことをヴェイユは匿名の領域と呼んだのだと思う。半世紀にわたる原口孝博さんの体験を集成した論考を読みながら、重なりの1は素因数分解できるかもしれないと考えた。そしてその地平から原口さんは、身分・不可触・賤視の起源を尋ね当て、それらの観念が消滅する思想を手にすることになる。それは言葉のおおきな弓となり凜然とした豊沃の大地をもたらすことになるだろう。その途上を原口さんは一心に駆けている。

    4

内包という意識の深さにめまいを起こしそうになる。存在の複相性の不思議。意識の外延性が彫刻した文明の外在史と精神の内在史という心的な規範とは異なった表現の気圏が、だれの生のなかにも無限小のかたちで織り込まれている驚き。原口さんの重なりの1とおなじ言葉の気圏を片山さんも生きている。そのことを片山さんは次のように言う。

感覚として言うと、「内包」という言葉を知っているだけで世界は明るくなります。それは言葉を呑み込んだ生が光を発し、世界を明るく照らしはじめるからです。光を放つのは、ぼくたち一人ひとりです。無数の光を反射して、透明だった世界が発色をはじめる。世界が変わるということを、ぼくはそんなふうにイメージしています。
(連続討議「歩く浄土」3『喩としての内包的親族』)

原口さんの放射状になった重なりの1と、片山さんの言葉を呑み込んだ生がみずから発光し世界を照らしはじめ、無数の光が反射して世界が発色するという感覚は、言葉の使い方の違いを超えてなにかおなじことを言おうとしているように思えます。「The Road To Singularity Ep.16」で片山さんは音色のいい言葉を奏でている。まず親鸞の「末燈鈔」について。如来の誓願である摂取不捨を質感のある言い方でつかんだ。

 仏教の言葉が使ってあるけれど、言われていることはよくわかる。わかり過ぎるほどわかる。ここをうまく自分の言葉に直すことができれば、ぼくの言いたいことはほぼ尽くされるくらいだ。「如来の誓願」とは「人はどこまでも人である」という約束のことだろう。その人がどんな境遇にあり、どんな生涯を送ろうとも、「どこまでも人である」という「如来の誓願」のなかに摂取されている。「摂取不捨」と言われるように、この約束を逸脱して生きうる者はただ一人としていない。

約束を逸脱して生きることはできないという片山さんの気づきはとてもおおきなことだと思う。偉大だった近代と近代が孕んだ逆理のなかにわたしたちの世界史はあった。なにが擬制をもたらしたのか。そのことを片山さんはつかんだ。実体化された自由や平等や友愛がどれほど空虚なものかヴェイユも気づいていた。「人格と聖なるもの」(『ロンドン論集と最後の手紙』)でヴェイユは悲痛な声をあげる。「定義することも、理解することも不可能な概念を、公の道徳の範とすることは、あらゆる種類の暴虐に道を開くことになる。一七八九年、全世界に向かって発せられた権利の概念は、その内容が不十分であったがために、それに委託された機能を遂行することができなかった」。人が自由で平等であるということを実体化したとき生は引き裂かれ暴力によって世界は猖獗を極めることになる。自我と社会的なものは「あらゆる種類の暴虐に道を開くことになる」わけだ。小林さんも「伝達を優先する叙述は、必ずや事柄に対する裏切りに結果」すると言っています。同一性的意識の外延性による理念の実体化が人類史的な厄災からまぬがれることはない。これからはユヴァルのホモ・デウスが世界を席巻する。「The Road To Singularity Ep.16」で、かれは、ついに、どこまでも人は人であるという約束の場所を手にした。

 どうやらぼくたちのなかには「自己の手前」と呼ぶべき場所があり、そこでは自己保存や自己防衛といったこの世の習わしは無化される。つまり「自己」は二義的なものになってしまうのだ。ぼくたちが「人間的」と感じることの多くは、こうした自己の希薄化から生まれてきているのではないだろうか。「人はどこまでも人である」という約束の場所では、自己は希薄化されて二義的になる。一人ひとりの自己が自己以前の場所に立ち戻ってしまう。各々のはからいを超えたところで「自然(じねん)」に、約束の場所に摂取される。

「摂取不捨」という親鸞の言葉を思い起こそう。「人はどこまでも人である」という約束の場所は、ただ一人の取りこぼしもなく万人のなかになる。誰もが小さな機緑によってその場所を生きてしまう。生きるのは「私」ではない。「私よりも私に近いあなた」を「私」や「自己」が生きることはできない。

約束の場所は各自のあなたや私のはるか手前にある。あるいは死の直前にフーコーが手にした、表現を倫理的活動の核にあるものに結びつけて考えるべきだということと重ねてもいい。主体は実体ではなく、つまり主体という思考の慣性は二義的なもので、他者によってよぎられることによって自己の各自性は生まれる。最期のフーコーはあたかも親鸞の自然法爾のようなものを摑取した。ここで意識の外延性はまったく転倒され拡張されている。表現は内面化できない絶対的な他者によっていやおうなく内包的に拡張される。人間が自由で平等であるという理念はここでしか実現されることはない。ヴェイユの匿名の領域はまちがいなくここを目指していた。片山さんの人であることの約束の場所もまた根源のふたりと遠いともだちというふたつの素過程に還元される。このふたつが存在の複相性を表現することになる。かれがまだだれも書いたことのない意識の第三層からなる文学という内面の表現ではなく文学という内面を包み込んでしまうあたらしい作品へと至るのは必然であるようにみえる。

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「歩く浄土250」で内面の表現である文学を共同幻想の端切れではないかと書いた。内面と共同性がつるんでいるからだ。わたしはじぶんの体験を内面化することも共同化することもできずに熱い自然の体験を内包と名づけ、数十年悶絶しながらそのことを言語化しようと格闘してきた。文学などわたしにとってなにほどのものでもなかった。反発があることは充分承知していくらかひかえめに挑発した。文学はすでに制度であり表現の未知を喚起することはない。それでも内面の表現であるといわれる文学のなかにまれに内面を逸脱する作品がある。たとえば宮沢賢治。たとえばシモーヌ・ヴェイユの思想。内面より深い内面を突きぬけためまいのするような作品がわずかに存在する。

わたしの読みにくい文章にめずらしくいくつかの応答があった。それらには直接的に応答した。未知の読者からの問いかけには内包論をここまで理解できるのかと驚いた。最近の記事に届いたコメントだ。

最近いろいろ読ませてもらっています。対象化する意識の手前にあって対象化できないが、しかし人の意識を開いたのは対となった始原の意識で、対象化された自己意識は共同幻想や自己意識=内面になって、そこでは人間は疎外されるしかないということでしょうか。親鸞の他力本願は、同一性の意識=相対善を放棄解体し、善悪包括してすべてこれで良し=絶対善として、空間化できない始原の対幻想を領域として自己の中に持つということ。今のところこんなふうな理解ですが、まだ実感としてよく理解できてないような気がします。(忠津正幸さんの「歩く浄土250」へのコメント)

自己とか自己意識とか自己が自己に関係するまえに、それが起動する前には性として相手の笑顔が自分の笑顔だったりその反対であったりメイビスの輪のような還流する内包としか呼べない領域があり、自己が自己に関係する自己幻想や共同幻想は、そのメビウスの輪が切断されたことの疎外を同一性を求める意識で補償とする行為で、それが人類の觀念史を作ってきたということかな。(忠津正幸さんの「歩く浄土249」へのコメント)

自他未生の融即したあつい意識のかたまりがあり、人間という生命形態の自然がそこから身を起こし、そこに宿ったノイズを同一性によって有意味化することで文明の外在史と精神の内在史をつくってきたのだと思います。その軌跡を人類史だと考えました。いずれにしても心身一如に同一性の起源があると思ってきました。指摘されているように表現の概念は疎外と同義です。1990年に吉本隆明さんと対談したときのテーマは表現概念としての疎外をめぐってでした。疎外という表現の概念は意識の始まりの不明と終わりの不明というふたつの特異点をつくります。名だたるブランド思想家たちはこの不明を括弧に入れて思想というものを彫刻しました。そして意識の明証性に溺れました。そのことにはずいぶん昔に気づきました。

4半世紀前まだおじさんだった頃に『内包表現論序説』のまえがきで内包という気づきに興奮しながらつぎのように書きました。

セクシー・アニマル・コンピュータな人間が数千年をひとまたぎにして現代に到達するのはほんの一瞬だった。ひとびとが自らのなかに際限のなさを発見したとき、無限や無意識という「神」があらたに創造され、古い「神」が死んで近代の知が編制されることになる。科学も資本も、それらが結合したシステムもそうだった。この奔流は止めようがなかった。ニーチェは近代の巨大なうねりに体当たりし翻弄されて狂死した。今、私たちは近代が発見し切り拓いた時代の尖端に長い影を落としている。異様に鋭い感覚の持ち主だったニーチェが気づいた
〔1〕の真ん中に存在する昏い穴が〔衆〕にゆきわたるのに、赤眼の人類史の規模の厄災が代償として支払われた。
内包表現論をしぶとく考究することで、私は、ヘーゲルやマルクス、あるいはフロイトがカタをつけたと思い込み、しかし詰めきらずにのこした意識の明証性に関わる、考えることや感じることの根源にある超越の問題群にひとつの道すじをつけることができたと考えている。意識の明証は、〔内包〕という像と相関するが、同じものでなく、ただ〔内包〕という知覚の表現としてのみあるという〔存在〕の原理は、繋ける日の元気そのものだとおもっている。不可知論ではなく、どんな明証もここより先へは行くことができない。また〔内包〕という知覚によってはじめて宗教的な大洋感情が、大洋の像へと拡張されることになる。これよりシンプルなものはなく、これよりプリミティブなものはない。もっとかんたんでわかりやすいものがあったら是非お目にかかりたい。世界はそう複雑でも入り組んでもいないのだ。大丈夫だ、ここしばらく〔世界〕は私の〔内包〕の知覚でやっていける。傲慢な自信が私にある。はじめから意図したわけではないが気がつくと、私は神や仏という超越を組み替えてしまったというわけだった。それは同時に、意識の明証がけっして手にすることができない、なぞることはできても、じかにふれることのできないものだった。無限を発見したカントールの驚きに似ているかも知れない。私は興奮した。私は〔内包〕という直接の知覚を機軸に未存の人類史を構想することが可能だと感じている。言い替えれば人間がこれまでつくってきた膨大な知の体系を根本からそっくり組み替えることができると密かに考えている。

この本を書いた頃はおおきな影響をうけた吉本隆明さんの言葉の重力圏を脱するのに必死でした。対の世界の感受性がわたしと吉本隆明さんで違ったからです。この違いをないことにすることはできませんでした。ありえたけれどもなかったものを現にあらしめるために、ひとつひとつ概念をつくり、手造りの概念を組み合わせてじぶんなりの世界論を構想しています。
表現概念としての疎外論をいまは意識の外延的な表現と名づけて文章を書いています。意識の外延性は始まりと終わりの不明を括弧に入れて意識について記述するので、だれがどうやっても存在することの驚きを全円的に表現することができません。自己は端的にいってからっぽです。自己の自己についての意識のなかに夢や希望はありません。文学は悲劇であり、悲劇の解読が批評なのか。ここには解けない主題と解けない方法で解こうとする弛緩した表現があるだけです。
親鸞は「他力のなかには自力とまふすことは候とききさふらひき。他力のなかにまた他力とまふすことはききさふらはず」(「末燈鈔」)と言い、「无上仏とまふすは、かたちもなくまします。かたちのましまさぬゆえに自然(じねん)とまふすなり。かたちましますとしめすときには、无上涅槃仏とはまふさず」(同前)とも言っています。これまで何度か書いたことがありますが、仏を根源の性に拡張すると、親鸞は仏になり、仏は親鸞になる不思議が現象します。このとき他力は横超され自然法爾は奥行きをもつことになるのです。自然法爾のふくらみのことを還相の性と呼んでもいいように思います。ふくらんだ自然法爾によって衆生と仏という空間化された意識のありかたは消滅します。実詞化することのできない奥行きのある自然法爾という根源の性はだれのどんな生にも人であることの約束事として内属することになります。

この記事を書くことでヴェイユの人格の底にある聖なるものと第一級のものが置かれた匿名の領域がどう相関しているかについて少し考えを進めることができた。聖なるものを領域化すれば匿名の領域は内包的な親族になるほかない。聖なるものや匿名の領域は可視化も実詞化することもできない。親鸞も仏は〔ことば〕であり〔かたち〕ではないと言っている。聖なるものをもった者たちが匿名の領域を生きるとき、そのものたちは相互にどういう関係をつくるだろうか。ヴェイユは人類史を画するこの根源的な問いに応えぬまま亡くなった。おそらく匿名の領域を生きる聖なる者たちは信の共同性をつくると思う。ロシア革命を成したレオン・トロツキーに相対し、あなた方の革命は間違っていると罵倒したヴェイユの苛烈さは彼女がつかんで生きた実詞化できない〔ことば〕から発している。わたしの理解ではそのヴェイユの〔ことば〕はふたつの素過程に還元できる。それぞれの素過程をより合わせると領域としての自己と、領域としての自己の熱が潜熱として意識の外延性としてある三人称を巻き取り、三人称は内包に陥入し、そこに内包的な親族が表現される。同一性が規定する対幻想という往相の性は還相の性によって統覚されることになる。この表現のどこにも倫理はない。喰い寝て念じ煩悩する生を還相の性として生きるとき生の不全感はどこにもない。始まりと終わりの不明は分有された還相の性によって消尽され一切のなぜが消える。存在の複相性を往還するとき自我と共同性はどこにも存在する余地がない。

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