日々愚案

歩く浄土25

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内包はわかりにくいとよく言われます。知りえた範囲ではおなじことをいっている人や本はないように思います。あるちょっとした気づきなのですが、その縁(えにし)がないと、なにかわけのわからないことが言われているとか書かれているということになるのだろうと思います。もっとわかりやすく言って欲しいともよく言われます。

内包存在は、もともとあるものなのですが、言葉として、ああ、ここに、こんなふうにあるとまだだれも言っていません。だからひとつひとつ言葉をつくり、内包存在を彫りだしています。彫刻だなあと思います。内包存在は言葉の鑿による造形です。

自己同一性の起源についてなにかを言いたいのです。内包論からは自己同一性は自然的な自己を基底としていて制約された思考や生であるように見えます。同一性の起源から言えば、人は太古に、他の生きものとなにかの縁で違ってしまい自然から分割されて、自然とのあいだに亀裂を生みました。直立歩行だとか、手の使用だとか、それによって大脳化現象が起こったとか、いろんな説明の試みがあります。最近では認知考古学が知性の流動化によって解明しようとしています(中沢新一のカイエ・ソバージュシリーズはそのひとつの試みです)。若い頃、霊長類研究所でホミニゼーションをやってみたいと真剣に考えた時期があります(中沢新一も霊長研に行こうと思っていたらしいです。おそらく似たことを考えていたのではないかと思います)。

若さにまかせた乱暴狼藉や錯誤の果てに、厄介で解けぬものを抱え込み、どんなに解こうとしても、そこに歯が立たないと痛感したのです。思想や文化人類学ではないべつの方法がいると思ったのです。いまは霊長類の人間化の謎が自然人類学で解けるとは思っていません。内包論の前提となる知見をひとつつけ加えるぐらいのこととしか思えません。
それでもヒトの人間化には強い関心があったのでそのときどきに関連ある書物をずっと読んできました。学問としての知見はより細かく知られてきたのですが、決定的な知の転換はなにもないと理解しています。

太古の面々が自然から身を起こしたときさまざまな観念のうちからなぜ同一性が撰び取られたのかという謎は少しも解けていません。いずれにしても、自然との亀裂が生んだ情動は激しいものだったに違いありません。人間という自然が自然に対してギョッとしたのです。断層のずれによる地震というより、プレートのずれからくる観念の巨大地震のようなものだったと思います。沸き立つ釜のように観念は澎湃とし、混沌としてつかみようもなく、戦慄と、自然への回帰の衝動がどうじに起こったのではないかと推測します。

わたしたちの風土にのこるアニミズムはその洗練された面影です。さらに統治として磨かれたものが朕は国家なりという天皇制です。朕は自己ですが、その自己は自然であり、国家という自然にひとしいと言われています。自然が自然を認識しているのです。それが朕は国家なりの意味です。自己と共同性がよく似ているのはここからきます。わたしは天皇制はイデオロギーではないと考えています。朕(自己)という自然は国家という自然であるということが天皇制のほんとうの意味です。山川草木悉皆成仏の精神です。ファシズムやスターリニズムとは由来が異なります。もっと根が深いのです。ファシズムもスターリニズムも天皇制も同一性の起源というところまで遡らないかぎり正体が見えてきません。
わたしがおのずからなる内包の自然史を語るとき、1万年の人類史をモダンと名づけてきた由縁がそこにあります。理念として語られる自然と日々を生きる生という自然との壮絶な倒錯した相克の歴史です。その矛盾を調停しようとして、そのときどきに、その国の土地柄や風土に見合ったたくさんのことが勘考されたのです。マルクスの思想もそのひとつです。共同幻想というおおいなる自然を前にして、人々の生は天を仰ぐことしかできませんでした。天網恢恢疎にして漏らさずということが起こることはまずありません。長いものに巻かれて、背に腹はかえられず、建て前と本音を使い分け、身の危険を察知し意見を豹変させることは、生の余儀なさとして自然です。だから悪人正機説が光ります。

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内包とはどういうことであるかは、内包はどういうことではないかを言えば、少しは理解がすすむかもしれません。木村敏さんらが翻訳したヴァイツゼッカーの『ゲシュタルトクライス』という本があります。新装版あとがきを見ると、1994年12月刊となっています。おおきな驚きと強い印象がありました。わたしの考えと、はんぶんはそっくりだと思いました。こういう人がいたということにびっくりしました。『ゲシュタルトクライス』は1950年に刊行されています。ドイツの内科医です。当時はナチ政権ですからユダヤ人の劣等性をあきらかにするために頭蓋骨の測定もしていたことがありました。過ぎればまことに愚です。

なにかあったはずだとPCを検索すると、むかし知人に当てたメールがみつかりました。ログをコピペします。ちょうどヴァイツゼッカーの本を読んだ頃です。

ヴェイユのお兄さんはアンドレ・ヴェイユといって、レヴィ=ストロースの構造人類学を数学的に(代数的構造として)定式化した人です。細かいことはもう忘れましたが、戦中、戦後にかけて、世界の数学の現代化を牽引したブルバキという若い数学者集団のリーダーです。レヴィ=ストロースがフランス数学界の大家たちに、おれの人類学を数式であらわせないだろうかと尋ねて回ると、あほかおまえは、そんなことできるわけないじゃん、といわれ、しょうがなくて若手のアンドレに無理だろうけど、と相談すると、なんだ、そんなこと簡単じゃん、といって、さらさらと数式を書いたというエピソードがあります。実際著作集に載ってます。ぼくも若い頃そのブルバキの著作集とかをかじっていました。そういう動きをタイムラグをふくんで鈍くしたのが人文領域のあの構造主義です。友達の友達を何回かやるとだいたい繋がるように、なにか不思議な縁を感じます。

昔、吉本さん宅で話をしているときに、これ知ってますかと吉本さんがいうのです。どういうことかというと、吉本さんの本の中に何回かでできますが、吉本さんに影響を与え、かれに仕事の世話した遠山啓という数学者(水道方式の創案者)がいたんですが、その遠山啓がヴェイユの兄のアンドレと文通していたというのです。どこにもそういうことは書いてありませんけど、とことわりながら、代数関数論という新しい領域を研究していて、アンドレにはるかに及ばないと思った遠山さんは、それで現役の数学者を断念して数学教育の方面に入っていったと吉本さんがいうのです(ああ、そういうことだったのか、とそのとき腑に落ちました)。その遠山啓の弟子筋の倉田令二郎さんからぼくは数学を教わったのです。大学の正規の講義とはなんの関係もないけど、数学基礎論を単に好きだったので、わからないところとかいろいろ教えてもらっただけのことですが。ぼくの知り合いの兄貴筋にあたり、教え子に吉本をもつというその人のかつてのライバルの妹がヴェイユというわけです。世界てなんか簡単ですね。

というようなことがまだあります。木村敏の翻訳した『ゲシュタルトクライス』という本(すごくすごくおもしろです)の著者でヴァイツゼッカーという人がいます。この人の本を読んでいてすごくおれと似た感覚を持ってるなと感じたのです。ボーアの相補性とよく似ている。うむ、と唸りました。

佐藤文隆も好きなのでいろいろ読んでました。そのなかのどこかにドイツにはヴァイツゼッカーというとても変わってるけどすごいやつがいるというくだりがあったのです。で、どうすごいとか書いてあって。そしてふと、ああ、あのことか、と昔々のことを思いだしたのです。その昔、滝沢克己さんと話していたとき、ヴァイツゼッカーという物理学者を知ってますか。(もちろん知らない。)彼はぼくが昔、バルトのとこで勉強しているとき、一緒に研究会やったことがあって、専門は物理ですが、ぼくの考えてることをよく理解しているんです。おもしろい人でしたと滝沢さんが言う、その人が木村敏に大影響を与えた内科医のヴァイツゼッカーの甥っ子だというのです。木村敏の書物上の師匠が西田幾太郎で、その西田幾太郎からはじめて書いた文章を、「ぼくの弟子はたくさんいるけど、みんなカスで、君みたいな若い人がぼくのことをこんなによく理解してることとは信じられない、一度遊びに来なさい」と西田幾太郎に誉められたのが滝沢克己さんです。その滝沢克己さんにぼくは公私含めてすごくお世話になりました。何か不思議です。

これはつけ足しですが、鎌倉に西田幾太郎を訪ねていった滝沢さんが、ドイツに勉強に行くのですが、だれについて勉強したらいいでしょうか訊くと、「うん、そうね、いまはやりはハイデガーだけど、彼は軟弱で言葉の芯がない、大文字のゴッドがない、学ぶならバルトだな」といったので、どういう人かも知らずに、22、23歳のとき奥さんと一緒にシベリア鉄道を一週間かけて、ドイツに行って(街々にハーケンクロイツがはためいていたとのこと)、ふらりとバルトを訪れ、「あなたのところで勉強したい」といってバルト神学を勉強したそうです。で、勉強が終わって帰りの船上で、西田幾太郎宛に、あなたはまだ考えが足りないですね、と手紙を書いたら、怒って返事が来なかったらしいです。よくは知りませんけど。帰国して半年ぐらい経ったとき、バルトにあなたはとても大事なことを教えてくれましたが、もうひとつ考えが足りません、と手紙を書いたら、そんなことはない、考えが足りないのは君の方だ、とこちらは返事が来て、バルトが死ぬまでそのやりとりが続いたとのことです。でもバルトは死ぬ前に「日本の友へ」という文章で、滝沢克己は天才だ、と書いてました。晩年、転回以降のハイデガーがバルトを尊敬していたということはおもしろいです。(滝沢さんが22歳か23歳のとき書いたハイデガーの「存在と時間」についての文章は今でも読めます。そこにはこの本「存在と時間」には大事なことが何も書かれていないと書いてありました。)

ぼくは滝沢さんがまだ生きていたころ、かれが京都でやった吉本さんとの長時間対談のテープをぜんぶ聞かせてもらったことがありますが、両者の意見表明は印象深く残っています。北京放送とモスクワ放送のすれ違いみたいでした。お互い納得せず本にはなりませんでした。ぼくは滝沢克己さんと吉本隆明さんに考えについておおきな影響を受けましたが、内包ということで、どちらとも違うことが言えると思っています。切断や否定ではなく、拡張するやりかたで。その道ははるかです。

たしかヴェイユと滝沢さんが1909年生まれのおない歳で、レヴィナスが3つ年上だったように思います。滝沢さんがバルトや西田に、レヴィナスがハイデガーに学んだこと。バルトと、西田・ハイデガーが大戦時にとったそれぞれの態度があり(バルトはヒットラーの覚えが悪く教授を免職。線路工夫。ハイデガーはフライブルグ大学の学長。西田は戦時内閣の最高顧問)、戦争をはさんで、ユーラシア大陸の西の外れにレヴィナスとヴェイユがいて、東の端の島国に滝沢さんがいたということ。なにかそこに時代性を感じます。その中ほどに勤労動員されてた吉本さんや兵隊やった鮎川がいて、戦後生まれのぼくが尻尾のほうにつながっていて、彼らの考えをメビウスの輪にした絵を描こうとしています。

『ゲシュタルトクライス』の序文に好きな言葉があります。音色がいいのです。

生命はどこかから出てくるのではなくて元来そこにあるものであり、新たに開始されるものではなくてもともと始まっているものである。(『ゲシュタルトクライス』3p)

あっ、これ、いいと直感しました。かなりわたしの考えと似ています。
木村敏さんと手紙のやり取りをしたり、お会いしたことがなんどかありました。かれの考えてきたことがりくつではなくよくわかったからです。そのあたりのことをもっとよく考えてみたかったのだと思います。フロイトの読み方や印象についていても木村敏さんとは不思議にずれを感じませんでした。フロイトの考えが生理的に苦手だったのです。木村敏さんもおなじことを言っていました。
なんといってもヴァイツゼッカーが若手の頃、フロイトはすでに聳える巨匠です。影響を受けながら、自前の考えをつくろうとしました。
解説にあるヴェイツゼッカーの言葉です。

彼にはそもそも偉大と呼ばれる人達に大抵の場合見出されるある資質が欠けている。つまり彼には神秘的なものに対するセンスがない、彼にはその資質があったと私は信じたいが、彼はそれを抑制してしまったのである、この態度は、他でもなくライプニッツやカントといった理性主義哲学者の傍らへ彼を連れ戻すものである。(『ゲシュタルトクライス』383p)

納得です。ヴァイツゼッカーの「ある資質が欠けている」はフロイトには太陽感情がないとわたしが感じたこととおなじです。フロイトの考えは理解することはできるけど、なじまないものとして嫌悪感がありました。そのことを木村敏さんにお話しすると、「私もそうです」と明快に言いました。

解説をもう少し引用します。

エスをフロイトのごとく人間の恒常的普遍の基盤と見做さずに、エゴからエスが分化派生する如く逆にエスがエゴの活動によって形成されることもあり得るとして、Es-BildungとIch-Bildungなる概念を唱え、両者の背後に二元論以前の過程を考え意識と無意識の関係についても相互隠蔽性、または回転扉の原理が成り立つとした点であろう。(『ゲシュタルトクライス』385p)

かれフロイトはひとつの卓越した才能でしたが、フロイトのつかんだ性の理念は時代の知の布置に囲繞され硬いものでした。かれのリビドーという表現の概念は、かれの資質といえる合理性と科学性によって実定できるものと想定されるようになりました。ライヒのたどった道とおなじです。たんてきにオカルトです。
見る視点の違いにより、エスからエゴへ,エゴからエスへという出来事の説明は可能です。フロイトはエゴからエスを触ることしかできませんでした。あきらかに同一性の制約を被っています。ヴァイツゼッカーは二元論以前に根源の一元が存在することを知覚しています。そしてこの根源の一元がなければ二元論は起動しないのです。このあたりの感覚もわたしとよく似ています。

解説者は根源の一元についてかれの著作からと出典を示し、つぎのように書いています。とても大事なところです。

・・・これについて語るにはそのために私の心に生じる当惑感に打ち克たねばならない。その追憶とは、私が一九一五年戦場で体験した、霊感の瞬間と普通呼ばれている時のことである。その瞬間、主体と客体が根源的に不分離のものであることが、いわば身体的に思索していた私に開示されたのであった。その場所に懸けてあった弾薬盒をじっと眺めていると、私はその弾薬盒であり、弾薬盒は私なのであった。・・・(『自然と人間』98頁)

この件を読み返してすぐに西田幾多郎の『善の研究』を思いだしました。おなじことを西田幾多郎も言っています。

純粋経験においては未だ知情意の分離なく、唯一の活動であるように、また未だ主観客観の対立もない。主観客観の対立は我々の思惟の要求より出でくるので、直接経験の事実ではない。直接経験の上においてはただ独立自全の一事実あるのみである。見る主観もなければ見らるる客観もない。恰も我々が微妙なる音楽に心を奪われ、物我相忘れ、天地ただ嚠喨(りゅうりょう)たる一楽声のみなるが如く、この刹那いわゆる真実在が現前している。(岩波文庫『善の研究』74~75p)

これまでは精神を自然と対立せしめて考えてきたのであるが、これより精神と自然との関係について少しく考えて見よう。我々の精神は実在の統一作用として、自然に対して特別の実在であるかのように考えられているが、その実は統一せられる者を離れて統一作用があるのでなく、客観的自然を離れて主観的構神はないのである。我々が物を知るということは、自己が物と一致するというにすぎない。花を見た時は即ち自己が花となっているのである。花を研究してその本性を明にするというは、自己の主観的臆断をすてて、花其物の本性に一致するの意である。理を考えるという場合にても、理は決して我々の主観的空想ではない、理は万人に共通なるのみならず、また実に客観的実在がこれに由りて成立する原理である。動かすべからざる真理は、常に我々の主観的自己を没し客観的となるに由って得らるるのである。これを要するに我々の知識が深遠となるというは即ち客観的自然に合するの意である。啻(ただ)に知識において然るのみならず、意志においてもその通りである。純主観的では何事も成すことはできない。意志はただ客観的自然に従うに由ってのみ実現し得るのである。(同前116~117p)

ここで西田幾多郎が述べていることは、天意、自然なり、という天皇制の極意です。この覚知を基にしてかれは太平洋戦争の聖戦遂行文を起草したのだと思っています。斬新に見える西田哲学は、この国に根づいている自然生成を、西欧かぶれの言葉で縁取っているだけです。主観と客観のまえに根源の一元があるという理解はよい。しかしその認識で衆生を統べるというのは権力の視線である。衆生は天意に沿うしか生を維持できぬではないか。もちろん衆生は自らの意志で共同幻想へと突進するのです。生が手にするひそかな安寧です。そうやって生をしのいだのだと思います。
元首相のヘンな人、鳩山がクリミヤを訪問したことが非国民扱いされるのはすごいことです。ウクライナが世界戦の前線の火薬庫であることは自明だし、米国の意にそって日本国は動いています。米国は気分を害するだろうし、子分の安倍もこんなときなにを考えてるんだと怒ります。こういうことも念頭において、歩く浄土は書かれています。

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ヴァイツゼッカーは西田幾多郎よりもずっと微妙なことを言っています。同一性の起源に迫っています。

ところで、およそ人間精神が生命に立向って驚嘆せざるをえないもの、それは犯し難い合法則性のようなものではない。むしろこの合法則性とは、人間精神が自らの不確かさによる苦難と自らの存在のおぼつかなさから来る脅威からの救いを求める安全地帯なのである。われわれを真に驚嘆せしめるものは、むしろ生命が示すさまざまに異った可能性の見通し難い豊かさにある。現実に生きられていない生命の充溢、それは現実に生きられ体験されているほんの一片の生命よりも、予想もつかぬほど豊かである。もしもわれわれが現実的なもの以外に、可能なるもののすべてに身を委ねたとしたならば、生命は恐らくは自己自身を滅してしまうことになるだろう。だからこの場合には、有限性は人間の悟性が遺憾ながら限定されたものであることの結果としてではなく、生命の自己保存の戒律としてわれわれの眼にうつる。(『ゲシュタルトクライス』250p)

ありうる生命の豊穣さは驚嘆するものであるが、すべてを生きることはできないとヴァイツゼッカーは言います。かれが「現実的なもの」や「自己保存の戒律」と呼ぶものは自己同一性を指しています。そのことをかれは否定的には述べていません。そこはすごいです。わたしの言葉で言えば、ありえたけれどもなかったものとおなじことを言っています。びっくりしました。「現実に生きられていない生命の充溢、それは現実に生きられ体験されているほんの一片の生命よりも、予想もつかぬほど豊かである」と。そしてそれは「自らの存在のおぼつかなさから来る脅威からの救いを求める安全地帯なのである」とも言っています。なんだなんだ、そっくりではないかと感嘆します。積み増しの知を特技とするヨーロッパにもこういうことを考えた人がいるのです。

ヴァイツゼッカーの気づきをわたしの言葉で敷衍します。
わたしは太古の面々が戦慄と自然への回帰の覚えた根源の一元は〈性〉だと考えているのです。自然から離陸したとき、亀裂から灼熱する性の光球がふいに出現し、時空をひずませたと推測しています。太古の陽気な面々がそのことを意識したというのではないのです。それはわけのわからない混沌とした激烈な観念のかたまりだったと思います。直視すると目が潰れます。そこには同一律も矛盾律も、時間の観念も、善悪も倫理もなかったと思います。自己同一性を認識の自然とする存在の彼方の出来事です。ヴァイツゼッカーの言葉を借りれば、「可能なるもののすべてに身を委ねたとしたならば、生命は恐らくは自己自身を滅してしまうことになる」ような事態です。
だから人という生命形態の自然は環界から、身をかぎり、その身のなかに言の端を封じ込めたのです。制約ではなく、生命の自己保存としてそこに待避したのだと思います。そこに同一性の起源があるとわたしは考えます。内包論からは制約ですが、同一性からは不可避だったと思います。

このことに気づきながら、ヴァイツゼッカーは自然との融即という理念まで後退してしまいます。

われわれはここで自我と環界とのそのような「関係」を二元性としてではなく、それと同等の根源性から一元性として前提することを要請する。これは自然科学に拘束された思考にとっては困難な要求だと思われるだろう。われわれが要求するのは、少くとも根源的一元性の前提は根源的二元性の前提と同等に認められるべきだということである。いま身体を安らかにして気持のよい風景を眺めることにすっかり身を委ねてみると、この要求の容認は容易になろう。これを後から判断してみると、その瞬間には「私」-「ここ」と「それ」-「あそこ」との区別に相当するものは何もなかったこと、「私」は「あそこ」にあり「あそこ」は「ここ」にあったこと、が判るだろう。この経験の重要性は、学問的分析においても決して軽視されるいわれのないものである。この経験の語るところによると、自我と環界は「二つのもの」であるかもしれないが、かといってそれが一つに融け合いえないとは必ずしも言いえない。もしそうだとすると、この二つが一つのものから出て来たということも考えられるのではないか。しかし少くともこの一元性の妥当性の最小限を言い表しうるような術語を持たねばならぬということから、それは相即と呼ばれることになったのである。(『ゲシュタルトクライス』266p)

ヴァイツゼッカーが「相即」と呼ぶ出来事はわたしの言葉では融即となります。覚者の他に仏なしという禅仏教の境地です。がんに罹患したベイトソンも死の前に、急速に禅仏教に接近しました。この境地はこの国に一日の長があります。ユングを読まずとも、ヴァイツゼッカーを知らずとも、ベイトソンのことを聞いたことがなくても、「静けさや、岩にしみ入る蝉の声」がわかるように、だれであれ、わかるのです。融即は理念ではありません。生に根ざした心ばえです。鴨長明の「行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある、人と栖(すみか)と、またかくのごとし」は理念ではなくすでにひとりひとりの生として生きられています。それが自然への融即ということです。

せっかくいいことに気づきながらヴァイツゼッカーは言葉の矛先を収めてしまいました。
内包とはどういうことかを、内包とはどういうものではないかをたどることではっきりさせたいと思いました。自己と衆生の関係はいつも〈性〉を括弧に入れ、媒介として消してしまいます。わたしは根源の性の分有者で自己と衆を包み込んだらいいと思っています。この先は内包論が引き継きついでいます。

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