日々愚案

歩く浄土250:複相的な存在の往還-やわらかい生存の条理8/「ミシェル・トゥルニエと他者なき世界」(ドゥルーズ)と「Sさん問題」再考

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昨年の1月くらいから個人の主観的意識の襞にある信は、共同主観的信の派生態ではないかと考えはじめ、そのことを解き明かそうとかなり無理をして身体を壊した。集団の信も集団の信に背反する自我という個人の信もまったく意識の型としては同型である。そのことを長く主張してきた。むしろ共同的なさまざまな信のはざまに個人の主観的な意識の襞に自力の信が外延的に存在しているというべきか。

サイトから遠ざかっていた10ヶ月のあいだに変わらずこの国も世界も壊れつづけている。悪の政治家がいて、悪に翻弄されるたくさんの人びとがいるということではまったくない。人倫が決壊するように民主主義もまた崩壊する。それは自然の必然だと思う。壊れ絶望するような自然しかつくりえなかったその必然に遭遇しているということだ。少し私見を言えば、根なしの民主主義という共同幻想を建前とし非戦と象徴しての天皇制がぴったり表裏をなしてきたことがこの国の特有のひずみを生みつづけている。
ながいあいだ表現の決定的な転回を目指し、意識の外延的な表現ではなく意識の内包的な表現のなかに生や世界の可能性があると考え、存在に幾重にも折り畳まれた固い生存の条理をやわらかい生存の条理で包んでしまおうと少しずつ考えをすすめている。1年前から文学は共同幻想の派生態で、文学を可能にする意識と共同幻想に収斂する意識は同型ではないかと考えはじめた。読者がひとりもいなくなると思った。いまも強くその感じを抱いている。遠からず人間という概念も世界という概念も思考の慣性が粗視化した自然によって、それは意識の外延的な拡大による必然として平坦なものとして均されてしまう。自己意識の外延的な表現をアルゴリズムと置き換えてもいい。人間はすべてのモノのInternet of Things(IoT)の一部となるだろう。その中核を電脳と電脳と結合したゲノム編集が担うことになる。ユヴァルの『ホモ・デウス』とジェニファー・ダウドナの『CRISPR』のもたらした衝撃を抜きに人間や世界を語ることに意味はない。ビットと分子言語はきわめて相性がいいし、エディタで文章を編集するのとおなじように分子言語の1文字ずつを任意に編集することができる。それもあらゆる生命体にたいして。人工自然の恣意的な編集が可能となるということは人類史的な自然の粗視化の革命だと思う。人間という自然もこの流れに沿って改変されていく。だれのどんな試みもこの流れに抗することはできない。ユヴァルはその事情について簡潔に言っている。「人々が完全に新しい価値を首尾良く思いつくことなどめったにない。それが最後に起こったのは一八世紀で、人間至上主義の革命が勃発し、人間の自由、平等、友愛という胸躍る理想が唱えられ始めた。一七八九年以降、おびただしい数の戦争や革命や大変動があったにもかかわらず、人間は新しい価値を何一つ思いつくことができずにきた」(『ホモ・デウス』)わたしたちはすぐにつぎのことを想起する。ユヴァルのここでの発言はヴェイユの「定義することも、理解することも不可能な概念を、公の道徳の範とすることは、あらゆる種類の暴虐に道を開くことになる。一七八九年、全世界に向かって発せられた権利の概念は、その内容が不十分であったがために、それに委託された機能を遂行することができなかった」(『ロンドン論集と最後の手紙』(「人格と聖なるもの」杉山毅訳)と正確に対応している。ユヴァルの気づきよりヴェイユのそれのほうがはるかに鋭く深い。存在の複相性の往還を言葉でたどることができればやわらかい生存の条理がくっきりと浮かびあがってくる。人間はアルゴリズムであるまえにまだいちども人間という概念の本懐を遂げていない。ヴェイユの匿名の領域を克明に表現すればIoTとはべつの自然がなまなましく登場する。人間は根源の性を分有するという事実においてひとはおそろしいほどに自由で平等であり、存在の複相性を還り道としてたどることで外延的な世界の他人という三人称は互いに内包的な親族となる。こうやってゆるりとユヴァルの考えやクリスパーキャスナインのゲノム編集やA Iのアルゴリズムも含めてすべてが内包自然に包摂されることになる。

文学もまた国家と同様に共同幻想であるという考えは人々の思考の慣性にとって受け入れ難いと思う。人間の意識を外延的に表現するかぎりそうであるとしか言いようがない。内包論からすると意識の外延的な表象である意識の主観的な意識の襞にある情動とその総和は矛盾することなく同期することになる。主観的な意識の襞にある信を文学や芸術と言い、この信と矛盾や対立や背反する意識を共同幻想と言おうと、そこには観念のあり方としてなんの違いもない。おわかりだろうか。それほどに人間の観念がつくった現実の粗視化の篩が粗いということなのだ。おわかりだろうか。共同主観的な現実を受け入れ難い意識は精神の退避場所として自己幻想という場所を仮構する。この観念の場所を想定しないと生が共同幻想のなかに溶かし込まれるからだ。同じ同一性から派生したものであってもなにかべつの精神の襞をつくりたい。それは虫木草魚として地を這いずり生きる人びとが手にしたひとつの強力な自然だった。そしてこの精神のあり方もまた同一性起源であるので人間の共同的な精神のあり方と密通することになる。圧倒的な暴政に曝されたとき、圧倒的な不条理に曝露されたとき、痛ましい精神が精神の退避場所を求めることは自然だと思う。ではこの精神のあり方がこの世のしくみをつくりかえることができるか。意識の外延性を包越する観念をつくりえないならば未来永劫わたしたちの生は世界の属躰であることからまぬがれることができない。同一性によって統覚される世界では悪も善も相対的なもので自力の信に閉じられている。わたしは長年内包論としてそのことを主張してきた。

昨年末に友人に3つメールを書いた。

1)文学は共同幻想の派生態ではないかと本気で思うようになってきました。1年前に、これを言えば読者がゼロになることを書いていきたいと、そんなことをサイトに掲載した記憶があります。精神の共同化の重圧から逃れるようにして、重圧から逃れるその精神の退避する場所が文学や芸術と名づけられてきたのではないか。身が心をかぎり、心が身をかぎる、そのようなあり方が、あるものがそのものに等しいという同一性だと思いますが、同一性が同一性として成り立つにはあるものが他なるものに重なる内包が前提とされていると思います。もしあるものが他なるものに等しいということがなかったら、あるものがそのものに等しいという各自性は生まれなかったと思います。親鸞は他力としてこの事実をリアルに感受し、そこを生きました。そうでなければあれほど苛烈な禅宗批判をやることはなかったはずです。自力廻向と他力廻向はそれほど違うと思います。政治も文学も自力廻向の縛りを逃れているとは思えません。政治という暴乱を慰撫する精神が文学や芸術に他ならない。いずれも権力の圏域にあると思います。

2)文学は共同幻想の変形されたものであるとはっきり言明しないと世界やこの国の壊れ方の説明はつかないのではないかと思います。ちょうど1年前も同じことを考え始めていました。情動も含め生きていることはアルゴリズムであるという趨勢に呑み込まれていく自然が待ち受けていると強く感じています。

3)政治と文学という対位法が擬制であれば知識人と大衆という対位法も擬制であり、これらの擬制を前提として建前としての民主主義が轟音を立てながら決壊しつつある。わたしはこの擬制の根源には身が心をかぎり心が身をかぎる同一性という自然があると考えている。この世のしくみも、大きくいえば人類史もここに呪縛されています。

この国や世界はハイパーリアルなむきだしの生存競争の渦中にある。1990年に吉本さんとの対談でこれから世界はそうなっていくと申し上げた。そして世界はごく一部の超富裕層が人類の富の大半を占めるに至っている。ビットマシンと結びついたゲノム編集やAIはこの過程を不可避にいっそう加速するだろう。内面と環界という意識の外延的な認識の様式はすべてアルゴリズムでコーディングされることになる。わたしは内包論で根源の二人称を分有する驚異が自己についての各自性を事後的につくったと、引き裂く自然のただなかで熱い自然にふれることによって考え、いくつかの概念をつくってきた。人間の根底をなすものは個人ではなく根源の二人称を分有することである。だれの生にもふたつの不明がある。はじまりの不明と終わりの不明。意志して生まれてきた者はいない。死を経験することはできない。このふたつの不明は意識にとっての公準として存在する。わたしたちはふたつの不明に挟まれた生のあわいを自己や自我や主観や主体と名づけている。この意識のありようはだれがどれほど緻密に表現してもニヒリズムとなるほかない。文学であれ政治であれ、あるいはどんな巨大な才能をもつ者であれ、解けない主題を解けない方法で解くから生のありようもこの世のしくみも時代によって遷移するだけでなにも変わらない。

サイトの中で親鸞の自然法爾は還相の性に拡張できると書いてきた。存在は複相的に存在しているから存在を往還すると戻ってくる還相の生は〔性〕となる。根源の二人称は往相の性と還相の性として分有される。往相の性は固い生存の条理の自己と共同性を媒介する過程的な性ということができる。内包自然の真ん中に還相の性があり、意識の外延性の一人称と三人称は還相の性によって包み込まれ消滅することになる。自己意識の外延性の世界の三人称相互の関係は内包自然のなかではあたかも喩として内包的親族として表現されることになる。ユヴァルは人間の自然的なつながりは150人までだというが、共同主観的現実という虚構によって人と人を貨幣や国家でつながなくても、始まりと終わりの不明を根源の性で分有することによって、自己を領域化することで共同主観的現実を巻き取ってしまえばよかったのだ。そこにしかやわらかい生存の条理は存在しない。

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対象を観念が認識しその観念を認識にとっての自然とするとある思考の慣性があらわれる。だれのどんな観念の行為であっても対象を粗視化することで認識にとっての自然をつくるということだ。粗視化された観念が思考の慣性という自然をつくる営為のどこにも作為や倫理はない。内包論という思考の慣性を媒介にすると、おおまかに言えばわたしたちの歴史は同一性を認識の自然として対象を粗視化してきたことが見えてくる。

在るの知覚にも行き道と還り道がある。存在は複相的だと思う。往路の存在は始まりと終わりの不明を括弧に入れ、自己の意識として知覚されこの意識の襞は自己と性と共同性として認識される。わたしはこの意識の総体を意識の外延的な表現であると考えた。ヘーゲルの知もマルクスの知も吉本隆明の思想もこの範疇に入る。復路で自己意識は拡張され自己の自己についての意識は領域化されることになる。領域としての自己はそのままに性であり、この性は自己意識によって可視化することも実体化することもできない還相の性として表現される。わたしは還相の性が主格になるとき親鸞の自然法爾はわずかにふくらみをもち、親鸞の他力をつかんだ者たちは共同性ではなく喩としての親族を生きることになると考えてきた。わたしの理解ではアフリカ的段階をリアルにつかんだ吉本隆明の最期の思想は親鸞の他力を相対化していたのではないかと思う。
意識の外延性を統覚する同一性がわたしたちの知る人類史を重畳してきたとサイトの記事でなんども書いてきた。存在の複相性の復路では共同化することも内面化することも不能な意識の内包性を統覚するものが還相の性であることも繰り返し書いてきた。夭折したヴェイユは人格の底にある無人格性や匿名の領域を言葉で定義することはできないと言っているが、わたしの理解では匿名の領域は総表現者にとっての還相の性のことだと思う。もちろんそのリアルを生きることなくてヴェイユは生を終えた。

なぜ存在を往還することができるのか。自我にも社会的なものにも還元不能な〔他者〕を往相の視線で可視化すると対幻想や往相の性となってあらわれるが、わたしたちが実体化している自己や対や共同性は意識が同一性的に外延化された刻み目にすぎない。文学も内包的な表現の可能性から見ると意識の外延性に閉じられていて、共同幻想にすぎないことをていねいに言おうとしていたときに、片山さんからドゥルーズの「ミシェル・トゥルニエと他者なき世界」を読みかえして面白かったとメールをもらいました。手元にあるドゥルーズの『意味の論理学』のなかに収録されているものをさがしてみると、どうも片山さんの翻訳と違う。そのことをメールでお聞きしたら、丹生谷貴史訳のものを送りますと返信があり、Amazonから送られてきた。ぎっくり腰の最中で仰向けのまま一読。びっくりした。内包とよく似たことをドゥルーズも考えていた。

私見ではドゥルーズの『原子と分身』所収の「論考Ⅰ」(1967)でドゥルーズが考えたことはファニー&ドゥルーズの『情動の思考』(1986)で頂点を迎える。心疾患を抱えたドゥルーズは70歳で自死。『原子と分身』は42歳、大労作『差異と反復』が1968年で43歳のとき。『情動の思考』を51歳のとき書いている。だれにも言ったことも書いたこともないが、『情動の思考』の共著者であるファニーはいったいどこに行ったのかとよく考えた。生の原像を還相の性として生きるとき、死はどこにもない。生の一部でしかない死がなぜドゥルーズに迫り上がってきたのか。私が私を他者の分身として生きるというドゥルーズの思想の中にわずかに残っていた同一性の残滓がドゥルーズの生を引き裂いたのだ。自己は起源に先立って他者へと結びついていると考えたレヴィナスも同一性のかけらを振り切ることができなかった。

同一性の手前に同一性を可能とする内面化不能の絶対的な他者が存在するという前提がドゥルーズの認識のリアルとしてあった。そのいちばんの高まりが『情動の思考』だと私は理解している。ではなぜドゥルーズは70歳のとき墜落して自死したのか。わたしの直観ではドゥルーズは往相の他者と還相の他者のもつれをうまくとりだすことができなかった。性を往還することの困難さにドゥルーズも屈服したのではないかと思う。ドゥルーズの思想を追尋する。

「ミシェル・トゥルニエと他者なき世界」で自己と他者の同時的な認識の前に同一性を可能とする〈他者〉というものが先験的に存在していると書いている。「個人が〈主観性〉〔自己についての自己の意識〕という形で自己と保つ関係は、実は権力の関係ではないのかと問うてみる必要がある」(『哲学の舞台』)と語ったフーコーと問題意識を共有していたと思う。「誰かの創造的活動をその人が自分自身に対して持つ関係のあり方のせいにするのではなくて、その人が自分自身に対して持つ関係のあり方を、その人の倫理的活動の核にあるような創造的活動に結びつけてみるべきかもしれないんです」(「ひとつのモラルとしての性」浜名訳・『現代思想』一九八四年十月号)と言い遺してフーコーは斃れた。最期のフーコーが手にしたものはわたしの根源の二人称ととてもよく似ている。ドゥルーズはその過渡で生涯を終えたという気がしている。丹生谷貴史の訳文はとてもよかった。かすかに若い頃読んでうまく翻訳できる人だという記憶が戻ってきた。この小著は1967年に書かれている。〈在る〉のざわめきの開き方がわずかにドゥルーズと違うだけで、ほとんど内包論と重なる。そのことに驚いた。親鸞の他力の間近までドゥルーズは来ていて外延的な同一性を可能とする他者の構造をリアルに表現することなく立ち去ってしまったように思う。ドゥルーズが生きた『情動の思考』は根源の二人称であり、事後的に身が心を、心が身をかぎる、在るものがそのものにひとしいという自己同一性が生まれたということだった。一言でいうと、情動の思考には、始まりがあって終わりのない深くなる渦があるということになる。ドゥルーズはその場所を生きたはずだ。なにがドゥルーズの情動の思考に起こったのだろうか。どこかでドゥルーズはファニーとの関係を同一性的な思考の慣性を払拭することができずに空間化や実体化をしたのだと思う。他者の絶対性を実詞化することはできないが、事後的な同一性の片鱗がどうしても遺ってしまう。たぶん情動の思考はここで煮詰まったのでないか。ドゥルーズは悶絶しそれがどういうことであるか最後まで考えきることができなかった。ヘーゲルやマルクスや吉本隆明が解けない主題を解けない方法で解こうとしたようにその残滓がドゥルーズにもあった。根源の二人称を分有する還相の性を生の原像として生きれば終わることも死ぬことも世界に絶望することもなかったはずだ。

〔他者〕が不在の意識の外延的な表現は固い生存の条理をもたらすとはっきり言明している。「ミシェル・トゥルニエと他者なき世界」から該当する箇所を抜き出してみる。

① では、世界の構造から他者が消えたとすればいったい何が起こるか? そこでは太陽と大地、耐え難い光と暗い奈落との狂暴な対立だけが君臨することになろう―《全てか無かという簡潔な法》だけがある。知られたものと知られざるもの、知覚されたものと知覚されざるものとは絶対的に対立し、その間にいかなる緩衝領域も持たぬ戦闘があるのだ―《この孤島にたいする私のヴィジョンは私のヴィジョンそのものに還流するだけだから、この孤島の事物のうちで今この瞬間に私が見ていないものは絶対的な未知としてあるのだ。私が今このときにいない場所は何処もかしこも、底知れない夜の闇に沈んでいるのである》。如何なる可能的な現実も潜在性もない剥き出しの闇の世界―そこでは可能性というカテゴリーが崩壊してしまっている。そこには空間と時間の秩序に従って、背景-地の中から現れてくる相対的な調和を帯びた形態群のかわりに、光輝く非情な抽象的線と、まつろわぬ、粘ついた、無上低しかない。(・・・)こう言ってもいい、厚味を失い、固い〔抽象的〕線に還元されたあらゆる物の群がわれわれの背後からわれわれを侮辱し襲いかかってくる、と。(『原子と分身』所収「ミシェル・トゥルニエと他者なき世界」(23~24p)

(・・・)あらゆる小説作品は、《倒錯的構造》とでも呼ぶべきものの存在を主張せんとしており、その構造原理からこそ最終的に倒錯者が生まれて来るのだと主張せんとしている。それに従えば、倒錯構造は<他者>構造に対立するものであり、<他者>構造に取って替わる別の構造である。そして、<他者>構造において具体的な他者は<他者>構造を作動させる現実の、多様な項に過ぎなかった様に、他者の不在をその根本的な条件として常に要請する倒錯者の世界構造においていわゆる倒錯行為そのものは倒錯構造を作動させる多様な項に過ぎないのである。(60~61p)

倒錯者の世界は他者なき世界なのであり、従って可能的現実を持たぬ世界である。倒錯者の世界は可能的現実のカテゴリーが必然性のカテゴリーによって完全に置き換えられている世界である。(ドゥルーズ『原子と分身』所収「ミシェル・トゥルニエと他者なき世界」30~37p:丹生谷貴史訳)

ドゥルーズの〔他者〕は神や仏よりはるかに起源の古い精神の形象ということができる。〔他者〕のモダンなあらわれが神や仏というにすぎない。それがあることによってわたしたちの各自性や固有性が生じる〔他者〕は知覚野の総体がありえたけれどもなかったものを現にあらしめるものとして遷移する時代のなかにあっても変わらない普遍として存在している。もし《彼女がわたしを見たなら、わたしは彼女にどんな風に見えるのだろうか》ドゥルーズは自己表出ではなく内包表出の機微を思わず語っている。ドゥルーズの言うことをさらに引用する。

②他者に関する哲学的理論の誤りは、他者を特異な客体に還元し、あるいは、もうひとつの主体へと還元してきた点にある(サルトルの様な思想家における他者の概念すらも、『存在と無』において、この二つの還元を統合することで満足してしまっている。すなわち、他者とは私が見る客体であり、同時に私を見、私を客体へと変えるなにものかである、と)。他者は私の知覚野の中に現れる客体ではなく、私を知覚する別の主体でもないのだ。他者とはなによりもまず、それがなければわれわれの知覚野の総体が思うように機能し得なくなる様な、知覚野の構造そのものなのである。この構造〔としての他者〕は現実の人物、様々な主体、例えば、あなたにとっての私、私にとってのあなた、という現実の人物、主体において機能しているかもしれない。しかしその事実は、他者という構造がわれわれの知覚野のー般的機能条件として、自身の知覚の組織においてそれを機能させている各項―すなわちあなた、私といった項―に先在しているということを否定しはしない。かくして、〔われわれの知覚野〕の絶対的構造としての《他者-ア・プリオリ》が、それぞれの地平で構造の一部を成す項がはらむ他者性の相対構造を予め定位しているのである。

ここで言う可能的という言葉は存在していない何ものかを指し示す抽象的なカテゴリーを意味するのではないことを理解しよう。というのも、顔に表現された可能的世界は完全に存在しているからである。(・・・)表現されるものを表現するものの中へ置く一種の捻じれにおいて、他者性に属する何ものかとして巻き込み内包しているのである。

他者とはそれ自身に内包された可能的世界の実存である。言語とはそれ自身で一つの可能的な現実性そのものである。<私>とは〔言語あるいは他者が内包する〕可能的世界を進行させ説明するものであり、それを現実の中に実現してゆく他者性のプロセスである。アルベルチーヌの姿についてプルーストは次の様に言っている。アルベルチーヌは砂浜を、そして砕け散る波を内包しあるいは表現している、と―《もし彼女がわたしを見たなら、わたしは彼女にどんな風に見えるのだろう? どんな世界の中にわたしを見つけるのだろう? 》。ここにおいて主人公の愛、嫉妬は、アルベルチーヌと名付けられた可能的世界を展開しおし広げることにあるのである。一言で言えば、構造としての他者とは、可能的世界の表現であり、表現するものにおいて存在する表現されるもの現前である。(ドゥルーズ(『原子と分身』所収「ミシェル・トゥルニエと他者なき世界」23~28p:丹生谷貴史訳)

③というのも、われわれは物質の上に行使される、知性的判断とは全く別のタイプに属する受動的な総合といったものがあることを明らかに理解し得るからである(この意味でフッサールは或る種の二元論を非難することをしなかったのだ)。それを認めた上でしかし、二元論が知覚野の客体と<私>の前-省察的総合との間に設立されている限りにおいて、われわれは知覚の二元論が正しく定位されているとは思わない。真の二元論は全く別のところにあるのだ。すなわち、知覚野における《<他者>構造》のもたらす効果と<他者>の不在(<他者>の不在における知覚の様態)がもたらす効果との間にこそ真の二元論はあるのである。次のことを理解する必要がある。他者は(例えば、他者が知覚野に持ち込むものとその客体との性格の相違を確認し得るといった意味で)知覚野の構造に属するいくつかの要素の内のひとつなのではないということである。他者は知覚野の総体を条件づけている構造なのであり、知覚野の総体の機能なのである。他者こそが前述の知覚野における諸カテゴリーの構成と適用を可能にしているのだ。知覚を可能にしているのは<私>ではなく構造としての他者なのである。

他者が可能的世界であるとすれば、私は過ぎ去った世界なのである。ここから次の様に言うことができる。認識理論の誤りの全ては、認識主体とその客体との同時性を公準化してしまっている点にある、と。というのも他者による虚無化においてのみ〔時間的落差の中に〕主体と客体は形成されるものだからである。《突然カチリと何かが外れたような音がする。それと同時に主体は、それにまつわる色彩と重さの二部を引き剥がしながら、自分を客体からむしり取る。何かが世界の中ではじけ飛んでしまったのであり、事物のあらゆる面がそっくり<私>と成りながら崩壊してゆく。あらゆる事物はそれに対面している主体のなかに失墜してゆくのだ。(・・・)認識の問題は主体と客体の同時性を前提とし、そこに主体と客体との神秘的な関係を明らかにしようとする。ところでしかし、主体と客体は同時に存在することはできないのだ。何故なら、〔同時性においては〕主体と客体は同じものだからであり、まず〔同時に〕現実として現れ、次の瞬間に、層の中に投げ捨てられてしまう》。つまり時間的落差における分離として主体と客体を分割しているのは<他者>なのである。(同前30~37p)

《他者-ア・プリオリ》とは、全体性に関わる可能的現実の実存である―そしてその可能的現実は表現されたものとしてある限りにおいてのみ存在するのであり、言い換えれば、表現されたものと相似の関係を持たぬ表現するものの中に存在する(表現するものにおける表現されるものの捻じれ)のである―これが定義である。(同前58p)

小著『原子と分身』の「ミシェル・トゥルニエと他者なき世界」でドゥルーズはおおきな発見をしている。他者はわたしたちの知覚にあらわれる客体ではない。他者は世界を起動する知覚野の構造そのものであるということ。だから知覚を可能としているのは〈私〉ではなく構造としての他者である。ドゥルーズは思索の果てにつかんだ思想のリアルをさらに押し広げる。「認識理論の誤りの全ては、認識主体とその客体との同時性を公準化してしまっている点にある」ことにも気づいた。他者によって喚起される世界の可能性をドゥルーズはつぎのように言う。「アルベルチーヌの姿についてプルーストは次の様に言っている。アルベルチーヌは砂浜を、そして砕け散る波を内包しあるいは表現している、と―《もし彼女がわたしを見たなら、わたしは彼女にどんな風に見えるのだろう? どんな世界の中にわたしを見つけるのだろう?》」ドキンとする。私が彼女の目に映り、彼女がわたしの目に映るその全体が〔自己という領域〕として分離できない強度で存在している。とても面白いことをドゥルーズは言う。「構造としての他者とは、可能的世界の表現であり、表現するものにおいて存在する表現されるもの現前である」とは自己表出ではなく内包表出を意味している。ここでドゥルーズが言う構造としての他者はわたしの言葉では〔根源のふたり〕ということになる。この絶対の他によぎられることにおいてわたしが私であることの各自性と固有性があらわれる。存在の還相の過程に往相の性という対幻想ではなく還相の性が「表現するものにおいて存在する表現されるもの現前」としてあらわれる。ドゥルーズは期せずして内包論の至近まできていた。主体と客体をおなじものとする意識の範型は意識の外延性を人類史として遷延してきた。この意識の範型は好悪をべつとしてユヴァル的なあり方を措定するしかない。世界史の趨勢はそのように遷延していくだろう。片山恭一さんの「The Road To Singularity」という長大な論考はこの流れにたいする強烈なノンを主張している。AIによる技術的特異点ではなく、世界認識のOSの更新を Singularityと読んでいる。

ドゥルーズは自己意識の外延表現では可能的存在そのものを摑取することができないことを実感している。「表現されるものを表現するものの中へ置く一種の捻れ」とは自己意識の外延表現の謂いにすぎない。自己ともうひとりの自己を同時に存在するとすれば、対幻想という往相の性は生木を裂かれるように断ち割られる。世界は厚みを失い、固い線分によって切り取られ、固い生存の条理に晒されることになる。在るのざわめきに充ちた絶海の孤島を漂いながら、倒錯した同一性が規定する自己と客体の同時性の円環に閉じられ、解けない方法で解けない主題を百年も千年も繰り返すことになる。「倒錯者の世界は他者なき世界なのであり、従って可能的現実を持たぬ世界である。倒錯者の世界は可能的現実のカテゴリーが必然性のカテゴリーによって完全に置き換えられている世界である」(「ミシェル・トゥルニエと他者なき世界」)
だから「可能的現実は表現されたものとしてある限りにおいてのみ存在するのであり、言い換えれば、表現されたものと相似の関係を持たぬ表現するものの中に存在する(表現するものにおける表現されるものの捻じれ)のである―これが定義である」(同前)なにが言われているのか。意識の外延性ではいつまでたっても私に私がとどかないという生の不全感のことである。表現されたものと相似の関係を持つ表現が意識の外延表現であることはいうまでもない。表現や存在の複相性についてドゥルーズは42歳のとき内包とほとんどおなじことを知覚していた。ドゥルーズ言いかかっていることをシニフィアンとシニフィエの絡みで理解するとつまらない。ソシュールの言語理論は意識の外延性の内部で妥当するひとつの理念にすぎない。かすかにドゥルーズは、無意識かもしれないが、存在の往還を語ろうとしている。なにが認識の錯誤なのか。主体と客体が同時性を前提として錯認するから、つまり同一性は自己と客体の同時性と前提としている。そうではないとドゥルーズは考えた。わたしはあなたに遅れて到達する。そのことはドゥルーズにとってとてもリアルだった。自己が領域として存在するということはそのことを指している。それを可能にするのが還相の性であり、そのことが存在することによってはじめて〔わたし〕が〔わたし〕であるという各自性や固有性があらわれる。「表現するものにおいて存在する表現されるものの現前」とは内包表出の存在の可能性そのものを示唆している。

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硬い生存の条理とやわらかい生存の条理があることを発見したドゥルーズの考えをもう少し追尋する。「何よりも私が嫌悪するもの、それはヘーゲル主義であり、弁証法だった」とドゥルーズは『アンチ・ヒーローの舞台』(庄田常勝訳「現代思想」1982・12)で書いている。私の方法はヘーゲルやマルクスの寓意とは違うという。「寓意のように〔つねに終点(結論・意味)を求めて直進し、論理の鎖をのばしてゆく〕直線的な連鎖式の思考ではない」(『情動の思考』)

個をなしているのは関係であり、自我ではないのだ。おのれを一つの自我として考えることをやめ、おのれを一つの流れとして生きること。おのれの外をまた内を流れる他のさまざまな流れと関わりあいながら流れている一つの流れとして、流れの集まりとして生きること。希少性さえ、涸渇さえ一つの流れなのであり、死でさえも一つの流れとなりうる。「性的」といい「象徴的」というのも(・・・)、まさにそうした生の流れの中の生、流れとしての生以外の何ものも意味していない。自己のもつ譲渡不可能な部分は、人が自我であることをやめたとき、初めてそこに姿を現す。このすぐれて流動的な、うち震える部分をこそ獲得しなければならないのだ。(・・・)離接〔分離〕でさえ生きた自然の結び合いなのであり、(・・・)。生身の関係におけるこの離接を私たちは〔論理的・抽象的な〕たんなる「あれかこれか」にしてしまう。(・・・)この生きて流れている、流れが結び合う世界を私たちは抽象して、主語〔主体〕、目的語〔対象〕、述語、論理的諸関係からなる、生気を欠いた複製の世界をつくりあげた。私たちはそうやって審判〔判断〕のシステムを抽出してきたのだった。問題は社会と自然、人工的と自然的とを対立させることにあるのではない。人為かどうかなど大したことではない。自然の生身の関わり合いがただの論理的関係に翻訳され、象徴がただのイメージに、流れがただの線分に翻訳されるそのたびに、また生きたやりとりがただの「主-客」の関係に切り抜かれるそのたびに、世界は死ぬのだと、私たちは言わなければならないだろう。そしてそのたびに衆の心、集団の心もまた、民衆の自我のうちにせよ、専制君主の自我のうちにせよ、一個の〈自我〉のうちに閉じ込められてしまうのであると。〕(ドゥルーズ『情動の思考)』鈴木訳)

いい感覚をしているなとあらためて思う。そのとおりだとうなずきそうになって、いや違うと思う。わたしが長年考えてきたことでもあるし1(自我)と3(衆)が同型であることはよくわかる。でもドゥルーズさん、情動の思考は渦のはずではなかったのですか。はじまりがあって終わりがない渦が情動の思考ではなかったのですか。投身するとはいったいなにがおこったのですか。それはない。自と多を分別する他を、自と多の起源である他を、なぜもっと徹底して考えなかったか。「私が私を他者の分身として生きる」ことをなぜもっと掘り進まなかったのか、もっと行けたはずなのにという思いが残ってしまう。マルクス主義などどうでもいい。苦界にあえぐ衆生、おう、それがどうした、おれもそのひとりだ、となぜ言い切れなかった。ためらうその間隙に社会(衆)が雪崩れ込んでくる。対の内包で社会をめくり返せばよかった。

おなじことをドゥルーズは『フーコー』でも言っている。

あるいはむしろ、つねにフーコーにつきまとった主題は、分身(double)の主題である。しかし、分身は決して内部の投影ではなく、逆に外の内部化である。それは〈一つ〉を二分することではなく、〈他者〉を重複することなのだ。〈同一のもの〉を再生産することではなく、〈異なるもの〉の反復なのだ。それは〈私〉の流出ではなく、たえざる他者、あるいは〈非我〉を内在性にすることなのだ。重複において分身になるのは、決して他者ではない。私が、私を他者の分身として生きるのである。(ドゥルーズ『フーコー』宇野邦一訳)

ヘーゲルの思考法を離脱してよくここまでくることができたなと思う。レヴィナスとおなじようにドゥルーズも〔わたし〕と〔あなた〕が離接していると言う。それは〔わたし〕と〔あなた〕が不一不二(不可分・不可同)ということだ。よくわかる。しかし、「私が、私を他者の分身として生きる」という考えでは、自我の根を抜くことも、「衆」への融即を拒むこともできない。かならず「流れ」は内面化し、反力で「流れ」は社会化されることになる。自我と社会という偶像を全力で振りきること。ここにしか世界の未知はない。〔領域としての自己〕はそれ自体で自存し、〔自己という領域〕は意識の外延性が他人とみなす三人称をあたかも二人称のように巻き取っていく。共同幻想は喩としての内包的な親族のなかに吸収され、消滅することになる。ドゥルーズの「衆の心」や「集団の心」は共同主観的現実という虚構にほかならないが、他者の分身として生きる自己も結局は「衆の心」や「集団の心」と同期する。分身が内部の投影でないという言明はそれでいい。外を内部化するとはどういうことか。この時期のドゥルーズもフーコーもこの難所を越えてはいない。ヘーゲルの思想にたいするカウンターとしてドゥルーズの思想があることはよく理解できるが、言葉が直立していない。根源のつながりの分有者と、「私が、私を他者の分身として生きる」ということはまったく違う出来事だからだ。そのことがドゥルーズにわかることは遂になかったように思う。ドゥルーズの差異という概念では同一性の根を抜くことはできないからだ。どうすれば同一性の根をぬくことができるか。どうすれば信の共同性の根をぬくことができるか。『知への意志』(性の歴史Ⅰ)出版から性の歴史Ⅱ、Ⅲまでの8年間のフーコーの沈黙もじかにここに関わっている。わたしは内包論の過渡で12年間悶絶し絶句した。たしかに分身は「〈一つ〉を二分すること」ではない。しかし「〈他者〉を重複すること」は社会性へと帰還しないか。ひとまわりするとけっきょく共同的なものと共同的な信を形成することになると思う。

ドゥルーズの言いたいことはよくわかるが、ドゥルーズ自身はそれがなんであるか究尽しないままに亡くなった。ヘーゲルにたいする反発を普遍まで抽象化できなかった。フーコーはしぶとく考究し、ついにそれを手にして斃れた。ヘーゲルは自己意識の明証性に溺れ、意識の起源を同一性によって説明する道を選んだ。ほんとうはヘーゲルが精神とみなす意識の手前に存在の起源がある。それを追尋するのはあまりにも厄介だったので、意識の明晰性でも論難できる自力廻向でキリスト教の信を否定できると思いなした。意識の外延的な表現はビットマシンによって貪食されている。これからは同一性を埋めるものは表現論を欠落した技術へと遷移する。到来している文明史の転換はあまりにも大規模なので、変化を変化として識知することができず、適者生存を自然として外延化された自然を思考の慣性として受容していくことになる。

個々の自我であれ、衆の心であれ、集団の自我であれ、専制君主の自我であれ、「一個の〈自我〉のうちに閉じ込められてしまう」のはなぜか。個々の自我と共同的な自我を統覚している本態が同一性であるからだ。満身の力をこめて壮年期のドゥルーズは『差異と反復』で同一性を打破しようと試みたが貫通できなかった。西欧的な知性であれば、何故無しに空を生き、神のために神を離れたエックハルトの思想まで遡り、神という同一性を組み替えるしないように思う。エックハルトは親鸞が浄土和讃を書いた頃に生まれ、神は私より私の近くにいると知覚し、脱自や放下を繰り返すうちに我の底が抜けていつのまにか堅固な無底に触れた。謂わば西欧の他力。自力の信のはからいではない。親鸞の他力ではないか。

    4

存在の複相性の間近まで来ながらどこにドゥルーズの思想の未遂があったのだろうか。『情動の思考』では個は流れのなかにあり、関係が表現であるとはっきり言い切っている。「初めも終わり」もなく「希少性さえ、涸渇さえ一つの流れなのであり、死でさえも一つの流れとなりうる」「そこにはただ真ん中しか、ますます深くなってゆく真ん中しかない」と書いていたではないか。「流れがただの線分に翻訳されるそのたびに、また生きたやりとりがただの『主-客』の関係に切り抜かれるそのたびに、世界は死ぬ」のはなぜか。問題はヘーゲルやマルクスの方法の批判ではないのだ。ドゥルーズがドゥルーズとして自存する思想をつくりえなかったからだとわたしは思う。
同一性の手前に同一性という各自性を可能とする始原の性があると言えばよかった。ドゥルーズは「知覚を可能としているのは〈私〉ではなく構造としての他者である」とまで言っている。内包の知覚までほんのわずかだった。あるものがそのものに融即するから、事後的にあるものがそのものとして立ち上がるのである。この生の驚異を可能とするものを根源の性の分有者と名づけた。神や仏という超越は内包存在の痕跡として同一性的に表現されたものにすぎない。意識の内面化はある符牒を共同性へと通約する。意識の外延的な表現は、自己についての自己の観念も、性についての観念も、共同性についての観念も同一性が統覚し、それぞれの観念の存在を担保している。往相の存在としては妥当だと思う。存在を還相の過程から生きるとき、内包的な表現を統覚し、領域としての自己と喩としての内包的な親族を担保するものは還相の性である。根源の性の分有者という生の知覚は内面化することも共同化することもできないとくり返し書いてきた。自己表出ではなく内包表出を表現の基底とするとき、内面化という自己意識の用語法では根源の二人称を表現することができない。内面化不能ということは内面を通約した共同性でも表現できないということだ。内面化したものが社会化されるとき、作者と読者の関係も、内面化不能である出来事を通約して社会性を引き寄せることが暗黙の前提となっている。内面化と社会化は密通しているわけだ。そのかぎりで内面化も社会化もともに権力の言説であると言える。

「認識理論の誤りの全ては、認識主体とその客体との同時性を公準化してしまっている点にある」とドゥルーズは知覚し、そう書いている。おそらくドゥルーズは性の対象を関係が表現であると言いながら実体化し、同一性を包越する表現の論理を手にすることができなくて煩悶し絶息した。自己意識の用語法を統覚する同一性を内包化するということはそれほど困難だ。内包的な表出を表現できれば自己も人類史もぐるりと転回するすることになる。他者という絶対性の前に自己は圧倒的に受動的であるということだ。そしてこの知覚を可能とするものを還相の性と呼ぶ。

ここからははじめて書くことだが、親鸞の他力の思想を最後の吉本隆明は歴史のイメージとしてつかみつつあったのではないか。イメージ論や母型論やアフリカ的段階についての最晩年の吉本隆明の思想は批評の対象とされたことはないような気がしている。世界視線がフーコーの人間の終焉に呼応した概念であることはすぐわかるが、この概念に飽き足らないものを感じた吉本隆明は親鸞の他力思想を実現する歴史の概念をつくろうと目論み途上で斃れた。あらゆる共同幻想は消滅すべきであると宣明し、それがどういうことか飽くことなく考えた。どのように考究すると共同幻想はなくなるのか。わたしも考えに考えた。人間が環界に対してとる表現の行為が同一性が統覚する意識の外延性であるとするなら、自己の自己についての主観的な意識の襞にある信は共同主観的な襞にある信と背反する。自己幻想は共同幻想と矛盾し対立し背反する。それはどういうことかと吉本隆明は半世紀のあいだ、考えに考え抜いて、アフリカ的段階という人間の豊穣な精神のありかたをつかみかかった。吉本隆明は2001年の同時テロに触発されて次のように語った。
自己幻想が共同幻想に逆立するという直観は吉本隆明本人にとってまったく自明のことではなかった。それがどういうことか、かれは煩悶し数十年に渡り苦闘し、やっと死の直前に人間の精神とって原初のアフリカ的段階を媒介にすることで、政治という共同幻想を相対化できるとかれは考えた。宗教的なものをなくすことができるということは吉本隆明の思想にも反作用を及ぼすはずだ。そこまで吉本さんに行って欲しかったがそれは適わなかった。親鸞の他力でさえも最期の吉本隆明は相対化していたと理解している。もっといえば存在倫理という概念を拡張すれば、文明の外在史と精神の内在史の矛盾という根本モチーフの転回が可能なはずだった。意識の外延性が重畳した文明の外在史は喩としての内包的な親族へ包摂され、精神の内在史は領域としての自己へと内包化されたはずなのだ。存在の複相性を生きると意識の外延性が実体化する文明の外在史と内包史を往還することができる。精神の内在史は内包化されて内包的な表現のなかで外延的な自己を定在とする文学は共同主観的現実のひとつになる。存在の全円性を生きると、知識人と大衆という意識の呼吸法は消滅し、大衆の原像を仮構することもなく、一人ひとりに内属する、喰い、寝て、念ずる生の原像を還相の生として生きることができる。この内包自然のなかでだけひとはだれも総表現者のひとりとして生きることが可能となる。一人ひとりの生は存在の全円性を生きるとき固有なものとして自然(じねん)にもたらされる。

「存在倫理について」(吉本隆明vs加藤典洋『群像』2002年1月号)について吉本隆明はつぎのように語っている。私見を交えた吉本隆明の発言を再掲する。

「吉本隆明は存在倫理という言葉をつくることで〔遠いともだち〕に裏側から触っている。順次生を無限に遡っていくと、これがおれの分であるというものはなくなってしまう。『古い宗教的な心理状態とか精神状態をどこまでもさかのぼっていけば、どうしてもそうなります。おまえの存在、おまえが生まれたいという意思とか、産んでくれとかいうところから出てきたものは何もなくて、ただ、無限に遠い以前からちゃんとそういうふうに考えると、おまえの分は何もないんだから、生命と取りかえっこ、存在と取っかえっこすることは、いってみれば、倫理の最も根本のところに点として、核としてあるものであって、宗教的なものとは取っかえられるということが出てくることはあり得ますね』。ここはとても面白い。アフリカ的段階として吉本隆明がつかもうとしたことがかすかに兆している。なにが精神の古代形象の豊穣さなのか。日本的な自然生成としてあるモダンな記紀の世界がかたどられるはるか以前に一身が二心としてすでに生きられていたということだ。歴史を遡行して存在倫理から宗教以前の可能性をつかみたければ、なにより対象を粗視化しようとする観念を内包化すればよかった。文明の外在史と精神の内在史の矛盾は意識の外延表現では永遠に解かれることはない。最期の吉本隆明がつかみかかった倫理のもっとも根本的なところに点としてあるものをアフリカ的段階と実詞化するのではなく、この気づきをそのまま領域化し、自己という主体は実体ではなく、根源の他者によって、自己となると、了解すればよかった。文明の外在史と精神の内在史の矛盾という意識の外延性が矛盾の根源にある。内面を内包化できなければ内面のなかでその矛盾を空間化するしかない。それが歴史の段階という概念だと思う。存在倫理は点ではなく領域として存在している。自己を領域として生きるとき、それは〔性〕にほかならないのだが、自己は領域だから、その余の観念は〔遠いともだち〕になるほかない。内部でも外部でもない観念がある。内面の底がすとんと抜けると内面より深い内包自然の棲まう〔性〕がそれ自体としての領域としてあらわれる。そこに猛烈な観念の未知がある」(「歩く浄土219」)

「無限に遠い以前からちゃんとそういうふうに考えると、おまえの分は何もないんだから、生命と取りかえっこ、存在と取っかえっこすることは、いってみれば、倫理の最も根本のところに点として、核としてあるものであって、宗教的なものとは取っかえられるということが出てくることはあり得ますね」。ここに最期の吉本思想の高まりが表明されている。吉本隆明が自覚することはなかったが、思わず意識の外延性から意識の内包性へ越境しかかっている箇所だ。倫理の根本に点として核として存在するとはその点が奥行きをもってはじめて可能となることで、表現や主体の概念を転倒しようと生涯格闘したフーコーの言葉と響き合うものがある。フーコーは死の直前に言い遺した。「つまり、誰かの創造的活動をその人が自分自身に対して持つ関係のあり方のせいにするのではなくて、その人が自分自身に対して持つ関係のあり方を、その人の倫理的活動の核にあるような創造的活動に結びつけてみるべきかもしれないんです」(「ひとつのモラルとしての性」浜名訳・『現代思想』一九八四年十月号)もうひとつすごいことをフーコーは遺言のように語った。「最後に私が強調しておきたいのは以下のことである。すなわち、真理が創設される際には必ず他性の本質的な措定があるということだ」(『真理の勇気』慎改康之訳)「主体は実体ではありません。それはひとつの形式であり、とりわけこの形式はつねに自己にたいして同一になることはないのです。」(『ミシェル・フーコー思考集成Ⅹ』所収「自由の実践としての自己への配慮」)すごいです。フーコーに30年近く遅れてようやく吉本隆明も思想の転回を遂げつつあった。かれのなかで親鸞の還相の知を歴史として表現することも可能ではないかと、ある手応えがあったと思う。おそらく吉本隆明のなかで親鸞の他力が相対化されつつあったはずだ。

わたしはドゥルーズがはやくに気づき情動の思考を生きながら分身の主題をめぐりその過程で他者の実詞化がある悲劇を招いたのではないかと思う。フーコーはこの思想の難所をかろうじて超えつつ非命の死を遂げた。吉本隆明も生涯の最期に存在の核のところで宗教という共同幻想をなくすことができる手がかりを得ようとしていた。

わたしが文学もまた共同幻想のひとつの枝葉にすぎないというとき、そこにはある前提がある。存在の全円性を満月の思想として表現しようとすれば、往相の存在を還相の存在として折り返さなければならないということだ。存在には往き道と還り道がある。その往還の全体が〔存在する〕ということだとわたしは考えてきた。
意識の外延性を統覚する同一性は、始まりと終わりの不明を括弧に入れて成り立っている。存在の全円性は、はじまりの不明と終わりの不明をまるごと受容し、満月の思想を表現する。この表現を可能とする存在が根源の性の真ん中にひそかに熱く息づく還相の性だとわたしは考えてきた。文明の外在史と精神の内在性を統覚する認識の範型は同一性である。同一性を可能とする生命形態の自然のはるか手前に内包自然である根源のふたりの真芯に還相の性が存在している。親鸞は他力を自然法爾と呼び、エックハルトは私より近くにいる神と呼んだ。同一性を暗黙に認識の前提とし、そのことを括弧に入れて、モダンな神や仏という太陽の像が内包の痕跡として残されたというべきか。
もう少しこの機微を祖述する。わたしが内包論で名づけてきた根源の性という二人称は、あるものが他なるものに融即する驚異のことを指している。あるものが他なるものに融即する自然(じねん)が内包自然として存在するから、身が心をかぎり、心が身をかぎる生命形態の自然が共軛的にくびれて、内包自然を痕跡として残しながら自己が自己であるという各自性が成り立つことになる。同一性はつねに内包自然の受動性としてしか存在しない。ドゥルーズは同一性を包越する情動の思考を生きながら、情動を実体化した。かれの死は不可解な死はそこに起因しているとわたしは考えている。だれがどうやろうと悶絶し煩悶する思想の難所である。どれほどおおくの思索家が還り道を見つけることができず遭難したか。ここを本格的に表現として拓くなかに生の固有性と人類史の未知が遠望される。
文明の外在史と精神の内在史を意識の外延性で包んでしまうと、精神の内在を可能とする個人の主観的意識の襞にある信をかりに文学と呼べば、おおきな外在的な自然と精神の退避するちいさな自然は同一性が統覚することでそれぞれの主観的意識の襞にあるさまざまな信のかたちが異なるだけで、ちいさな自然は共同幻想を可能とする意識の範型の雛型となるほかない。あるいはそれぞれの信が相補的であるということか。共同化も内面化も不能なべつの意識のありかたのなかにしか文学の可能性はない。生の原像を内包自然を統覚する還相の性として生きるとき、自我と社会は還相の性という領域の自己のなかに融解していく。存在の全円性は受動性としてしか存在することはできない。それが存在するということの本態だと思う。他力を空間化も実体化も実詞化もできないように、還相の性を実体化することも空間化することも実詞化することもできない。

    5

観念が粗視化した自然は思考の慣性に転化し、可視化と実体化を迫られる。その誘惑はおおきな罠だ。だれもが一度はここに絡め取られる。他力や自然法爾を可視化することは実体化することはできない。おなじように内包の知覚を実体化することはできない。25年前に書いた文章を貼りつける。

 私はフロイトや、フロイトの性の拡張をはかる吉本隆明と全く異なった感覚が可能なことに気がついた。直観が私の掌のなかでビクンビクンと跳ねている。太陽の近くを光が通過すると相対論の効果によって光の進路は曲げられる。フロイトや吉本隆明が考えたことはここまでだ。そこで私は考えた。光の進路をもう一度、直進させることができるはずだ。簡単な思考実験で示すことができる。ほんとに簡単なことだ。太陽の近くを光が通過するとして、光をはさんで太陽とちょうど対称的なところに太陽とおなじ質量の太陽をもうひとつ持ってくればいい。そうすると曲がるはずの光は直進するはずだ。すくなくとも光は直進すると知覚されるはずだ。*もちろん私はここでライヒの「曲がった木」がどうやったらまっすぐ伸びるかということをイメージしている。吉本隆明の〈地獄の母型〉という近代知がどれほど人の生を脅迫するか言いたい。それでは人類が起源からして分裂病にかかっていると言うに等しいではないか。明晰は迷妄からひとを救いはするが生を熱くすることはない。さらに私は考えた。反撥するより〈極楽の母型〉をつくるほうがはやいぞ。太陽の重力効果を無化する然然の大洋の像をつくれば、胎乳児期の母子関係の如何に関わらず「地獄の母型」はそのまま直立し〔然り!〕と往生するはずだ。思想を革めることの真のおそろしさがここにある。だれもここまでは踏み込まなかった。
 「木が一度曲がったまま伸びてしまうと、あとでそれを矯めることはできない」という世界の知覚は近代がつくったおおきな落とし穴なのだ。こんなものは息子がよく言う、〝だけん、なんね〟の一言で行き詰まる。フーコーでさえも近代のこの罠をほどくことができなかった。私は世界に熱い風を吹かせようと、とうとうここに踏み込んだ。生を社会化し性をひらたくひきのばす〔1〕の回路をどんなに緻密に外延しても精神のかたむきを矯めることなんかできるはずがないのだ。そういうことではない。ありえたけれどもなかった、刈るごとにふかくなる性、真っ赤な白が存在する。たぶんここより先に文学も芸術も科学も行くことができない。不可知論としてではなく、〔内包〕という知覚が、欲望するすべての可能性の源泉だからだ。
 ライヒや吉本隆明の精神のかたむきをなぞる〈地獄の母型〉という母子関係の起源をなすものがフロイトの性の手前に存在する。真っ赤な白という〔内包〕する知覚が母子関係や家族に先行して存在する。胎乳児期のこどもに母親の愛憎が刷り込まれるのではない。この解釈は一見誰にもよくおもいあたることで、どこにも謎がないように見えて、しかしよく考えると途方もない知の倒錯がある。愛憎の起源をみなし孤にするのだ。カクカクシカジカの理由で母親は、胎児あるいは乳児に〈地獄の母型〉となる信号を発信し、カクカクシカジカの理由でその子はネジレたとする。それはだいたいのところ夫婦関係がうまくいかなかったということをいっているだけでありふれたことだ。しかしそれにも関わらず、こどもはそこから甚大な影響を被ってしまう。ある、ある、ある。そんなことは諺で「三つ子の魂百まで」といって誰でも知っている。こどもは親の世代のエディプス複合とその時代の影響を受ける。たしかにそうだとする。するとその親はその一世代前のエディプス複合と当時の時代の時代性という影響を受ける。だいたいそうだろうなと考える。
 そうやってきりなく遡行したとする。そうするとかならず〔1〕の回路の起源をなす、迷子になった大文字の感情の一群が、唐突に出現するはずだ。ではその大文字の感情はどうしてあらわれたのかという問いに〔1〕の回路は答えられない。それでどうなるかというと、人間の自然との関係としてからだとか、歴史のある段階における制度と人間個々人の矛盾としてからだとか、つまり、ヘーゲルやマルクスやフロイトやレヴィ=ストロースらの考えたことをさすがに天才はすごいといって崇めたりするしかなくなるわけだ。どんなに巧妙などんなに徹底した意識の外延化も発生や起源においてかならず意識の特異点をつくってしまう。人が考えつくことはよく似ている。つまり、〔1〕の回路の輪郭をぼやけさせて、自他未分離の混沌としたところに意識の発生や起源をもとめるというわけだ。猿の生態を超長時間ビデオにとって早送りすると、あるとき、あるところでピッと人間になるだろうか。私はならないとおもう。もちろんそれは反科学を意味しない。かたちに起源をもとめる自然人類学や考古学のウソがいつもここにあると私はおもっている。同じように宗教を批判した近代の天才たちは意識の明証性に溺れ言葉を過信した。そのツケを百年かかってまだ払っている。私は彼らよりもっと明証的であるとおもっている。私はあらゆる人間的感情の起源は性にあると考えているから、〔内包〕の知覚なしに、わが子をじいっと見つめる母親のまなざしのふかさも、ああ、こうなったのもすべてアノ男のせいだとかいう嫌悪の感情が生じることもありえないとおもう。〔内包〕の像の表現として戦慄・恐怖・不安・憎悪・対立・孤独という大文字の否定がはじめてあらわれるのだ。
 〔内包〕の知覚を〔1〕の回路に封じ込めたとき、近代がはじまった。偉大な近代に巨大な罠がしかけられた。〔1〕の回路がみずからに無限や無意識を発見したとき、この際限のなさが〔内包〕の表現のあらわれであると知覚すればよかったのだ。興隆する近代の勢いが根源的な点としての主体を実有と見做し、〔内包〕を陰伏した。もちろんそんなことは後の祭だった。怒涛の近代は過ぎて世界はきっちり貧血する。私は〔内包〕という朱色のたましいをじぶんの近代を通過して手でさわった。〔内包〕は官能する。感応する知を革めるということはかなり怖いことだが、GUAN この感覚はいいぞ。世界にはじめて吹く風、欲しいひとには分けてあげてもいいとおもっている。私はうすいピンクの〔内包〕する知覚を大洋の像と呼ぶことにした。触れるごとにふかくなる性、ここが、私の大洋の像だ。(『内包表現論序説』所収「起源論」)

「猿の生態を超長時間ビデオにとって早送りすると、あるとき、あるところでピッと人間になるだろうか。私はならないとおもう。もちろんそれは反科学を意味しない。かたちに起源をもとめる自然人類学や考古学のウソがいつもここにあると私はおもっている」と書いたことは今も生きている。ついでに歴史学の方法を入れてもいい。わたしの内包の知覚はヴェイユの匿名の領域によく似ている。彼女の匿名の領域を歴史の概念で可換することができるだろうか。「人格の表出のさまざまの形式であるにすぎない科学、芸術、文学、哲学は、華やかな、輝かしい結果が実を結び、それによっていくつかの名前が数千年にわたって生きのびる、というある領域を構成している。しかし、この領域を越えて、はるかかなたに、この領域とはひとつの深淵でもって距てられた、もうひとつの領域があり、そこには第一級のものがおかれている。それらのものは本質的に名をもたない」(『ロンドン論集と最後の手紙』杉山毅訳)。ヴェイユの匿名の領域は存在の複相性の還り道にありありと存在している。おなじように根源のふたりは文明の外在史という意識の外延性の記述概念ではない。共同主観的現実の時代的な遷移を貫通して還相の性が内包自然を統覚している。意識の外延性より意識の内包性の方がはるかに規模が大きい。もう少しつけ加えることがある。内包的な表現が可能となるには、知識人と大衆という生を分割統治する権力の視線ではなく、だれもが総表現者のひとりして固有の生を生きていることになる。それは内包自然の大地にうえでのみ可能な出来事で、存在を往還することでだれもなかにも内属しているものである。

ユヴァルは『ホモ・デウス』の下巻のなかで面白いことを言っている。「人々が完全に新しい価値を首尾良く思いつくことなどめったにない。それが最後に起こったのは一八世紀で、人間至上主義の革命が勃発し、人間の自由、平等、友愛という胸躍る理想が唱えられ始めた。一七八九年以降、おびただしい数の戦争や革命や大変動があったにもかかわらず、人間は新しい価値を何一つ思いつくことができずにきた。その後の紛争や闘争はすべて、人間至上主義者のこの三つの価値を掲げて、あるいは、神への服従や国家への忠誠といったさらに古い価値を掲げて行なわれてきた。一七八九年以降、紛れもなく新しい価値を生み出した動きはデータ至上主義が初めてであり、その新しい価値とは情報の自由だ。」
ユヴァルのこの発言はヴェイユの「人間的固有性にたいする尊敬を定義することは不可能である。それは単に言葉で定義することが不可能だというばかりではない。しようと思えば、多くのすばらしい概念は存在する。しかし、この概念がまた理解されないのである。思考の黙して語らぬ働きによって限界づけられているこの概念は、定義されることができないのである。定義することも、理解することも不可能な概念を、公の道徳の範とすることは、あらゆる種類の暴虐に道を開くことになる。一七八九年、全世界に向かって発せられた権利の概念は、その内容が不十分であったがために、それに委託された機能を遂行することができなかった。(『ロンドン論集と最後の手紙』杉山毅訳))と正確に対応している。ユヴァルの気づきよりヴェイユのそれのほうがはるかに鋭く深い。「定義することも、理解することも不可能」とはどういうことか。匿名の領域の存在を意識の外延性は措定できないということだ。全世界に発せられた権利の概念はどうすれば一般化や共同化の思考の慣性からまぬがれることができるか。人間至上主義からデータ至上主義へと世界は遷移しているとユヴァルはくり返し強調する。意識の外延的な拡張としてはそう考えるしかないかもしれない。

ユヴァルが甚大な影響をうけたミシェル・フーコーは『言葉と物』を40歳のとき書いている。ユヴァル・ノア・ハラリが『ホモ・デウス』を書いたのも40歳のとき。『サピエンス全史』を読んだときにフーコーの継承者だと直観した。『ホモ・デウス』を読んでからそれは確信へと変わった。『言葉と物』の最後のフレーズは新鮮な衝撃があった。『言葉と物』のもくろみを理解できなくても引用の箇所は読者の心の深くに記憶されている。

 ともかく、ひとつのことがたしかなのである。それは、人間が人間の知に提起されたもっとも古い問題でも、もっとも恒常的な問題でもないということだ。比較的短期間の時間継起と地理的に限られた截断面-すなわち、十六世紀以後のヨーロッパ文化-をとりあげることによってさえ、人間がそこでは最近の発見であるという確信を人々はいだくことができるにちがいない。知がながいこと知られることなくさまよっていたのは、人間とその秘密とのまわりをではない。そうではなくて、物とその秩序に関する知、同一性、相違性、特徴、等価性、語に関する知を動かした、あらゆる変動のなかで-すなわち、《同一者》のこの深い歴史のあらゆる挿話のなかで-一世紀半ばかり以前にはじまり、おそらくはいま閉ざされつつある唯一の挿話のみが、人間の形象を出現させたのである。しかもそれは、古い不安からの解放でも、千年来の関心事の光かがやく意識への移行でも、信仰や哲学のなかに長いこととらわれてきたものの客観性への接近でもなかった。それは知の基本的諸配置のなかでの諸変化の結果にほかならない。人間は、われわれの思考の考古学によってその日付けの新しさが容易に示されるような発明にすぎぬ。そしておそらくその終焉は間近いのだ。
 もしもこうした配置が、あらわれた以上消えつつあるものだとすれば、われわれがせめてその可能性くらいは予感できるにしても、さしあたってなおその形態も約束も認識していない何らかの出来事によって、それが十八世紀の曲り角で古典主義的思考の地盤がそうなったようにくつがえされるとすれば-そのときこそ賭けてもいい、人間は波打ちぎわの砂の表情のように消滅するであろうと。

人間の終焉を宣言してから主体は実体ではなく他なるものからもたらされるという覚知まで壮絶な知的格闘をフーコーはやっている。夭折したヴェイユも思考の転回の途上で斃れたフーコーも偉大である。ユヴァルはヴェイユの気づきやフーコーの生きたリアルを可視化し一般化することで延命しようとしている。

    6

意識の外延性をアルゴリズムで記述するかぎり『ホモ・デウス』の著者が予測する方向に世界は帰趨すると考えてよい。人間の営みのすべてをアルゴリズムが呑み込み、アルゴリズムによって人間のあり方がつくられていく。昔、消費社会の評価をめぐって吉本隆明と埴谷雄高が論争し、吉本隆明が「政治なんてものはない」と言った。それに因んで言えば「文学なんてものはない」。社会と密通した社会小説はある。たとえば村上春樹の作品群。小林多喜二の小説とどこが違うのか。クリスパーキャスナインで生命をエディタで文章を編集するように分子言語を自在に編集して加工することができる。むきだしのハイパーリアルな生存競争は遺伝子的カーストを生むことになる。わたしは転形期の世界の地殻変動を迎え撃ち、平伏させるために、精神の内在性が思考の慣性として粗視化してきた自然を組み替えようとしてきた。存在の複相性を往還するとき、文学という自己表現は内包的は表出に包み込まれ、内包表現へと転回する。意識の外延性を統覚するおおきな自然が文明の外在史だとすれば、おおきな自然に囲繞されたちいさな自然をわたしたちは個人の営為とみなしてきた。内面というちいさな自然は主観的意識の襞にそれぞれの信をもち、その信に促されて言葉が外界に発出される。おおきな自然にもそれぞれの共同主観的信があるが、自我と社会という偶像は共通の符牒によって結ばれている。精神の未知を鼓舞する文学なんてものはどこにもない。内包論はそのことを前提としている。〔ことば〕は同一性の手前にあり、意識の外延性でこの〔ことば〕を「商品」にすることはできない。〔ことば〕と〔ことば〕が関係するとき、貨幣は贈与され、三人称の世界はあたかも喩としての親族としてあらわれてくる。存在の複相性を往還するとはそういうことだと思う。

島尾敏雄の息子の島尾伸三が親について書いた『小高へ』と『小岩へ』を手がかりにして存在の複相性を往還する場所から「Sさん問題」をあらためて考えてみる。いくつか印象に残ったことを貼りつける。

『小高へ』を書く動機について島尾伸三は「お金が欲しいから」と述べている。モチーフについてかっこつけないこういう正直さには好きだ。

 この作文を私は出版社の注文に従って書きはじめています。ぼくのおとうさんだということになっている、物書きという文を書いて収入を得る、不思議な職業を生涯の友とした島尾敏雄についての思い出を、何か書かなければならないのですが、この事態は、自発的に書きたいと思ったからではなく、これによって多少の収入を得たいからだけなのです。注文の枚数をとにかく文字で埋めさえすれば、幾ばくかの支払いを受けられるはずです。たとえ異常に安い原稿料だとしても、そうではないかもしれませんが、それにすがりつかねばならない無職の私です。(『小高へ』)

島尾敏雄は脳卒中で倒れたとき、「ミホ、もういやだよ」と言ったことを母が息子の伸三に伝えている。家族の事情の異様性をこれでもかこれでもかと島尾伸三は書いている。

妹やマホが居なければ、おかあさんは私に「殺しておくれ」……と、言ったに決まっています。ええ、私はきっと、その命令を忠実に実行したはずです。そう言われなくても、ぶち殺しそうでした。(同前)

いったん思考の慣性となっている粗視化された自然を拡張することはわたしたちが生きてきたこの世のしくみをべつの歴史や生としてつくりうるということだ。内包論はその可能性のど真ん中を抉っている。おわかりか。この観念の可能性の場所にやわらかい生存の条理が逍遙游している。ユヴァルの『ホモ・デウス』を本格的に検討する前に島尾敏雄夫婦の息子の両親にたいする愛憎を取り上げる。わたしは息子の島尾伸三さんの発言に惹かれてきた。たまたま『小岩へ』と『小高へ』を読んだ。以前から息子の伸三さんの親への辛らつな批判に関心があり、島尾伸三名義のこれまで市販されたすべてに目を通したことになる。やわらかい生存の条理の可能性の場所から「Sさん問題」に立ち入る。なにが文学か。文学なんてものはない。『死の棘』ぐらいが文学であるはずがない。政治も文学も同一性が落とした影にすぎない。

 島尾ミホの島尾敏雄にたいする執着や嫉妬は往相の性の制約をまぬがれていない。互いにそのことを知りながら夫の島尾敏雄はなんとかその場をしのごうとうその演技をする。このとりきめのうえに島尾夫婦の関係が成り立っている。この夫婦にとってのなれあいだ。これらのうその犠牲者が島尾伸三であり信三の妹である島尾マヤだ。わたしたちはこういう悲劇をかっこにいれて文学という擬制を政治という擬制に対置してきた。悲劇は解読されたのだろうか。まったく放置されている。内包論の立場からみると文学もまた共同幻想の派生態の内部にあり、文学という主観的意識の襞にある信に閉じられている。文学は擬装された権力であるという体験の実感が島尾伸三に『小岩へ』という本を書かせている。これからも親が書いた本を読むことはないとかれは言明する。この本を読んで夫の島尾敏雄と妻のミホのなかを流れる精神の古代形象の違いに関心をもち息子の言い分に共感した。家庭の事情として文学愛好家たちによって象徴される『死の棘』の演技が擬制であることを息子と娘は身をもって知っている。両親の虚偽については書いても書いても言い尽くせないことがあり、それがどういうことなのか島尾伸三さんには感得されていない。そこが読者のわたしにとってもどかしくてならなかった。悩ましい「Sさん問題」の根源になにがあるのか剔出してみたい。政治と文学は同一性という意識の表裏の関係で、政治が文学を、文学が政治を補完していると考えるようになってきた。共同幻想の精神の避難場所が文学や芸術であり、文学や芸術がそれ自体として自存しているわけではまったくない。互いが互いの補完物にすぎないとしだいに考えるようになってきた。この擬制や虚偽を突き抜けるには、けっして共同化できず、どうじに内面化もできない精神のあり方をそれ自体として取り出し、名づけるしかない。戦後文学や芸術の虚妄が、森羅万象を担当する妄想を生きるアベシンゾウという天下無敵のカルトを生み出したと考えるほかない。戦後の74年はここまで零落した。

内包の面影として同一性では語りえない意識の残余が意識のしわとして私性のなかに表象される。同一性では語りえぬことだけが表現するに値する。内面化という意識のありかたでは語りえぬ同一性の意識の残余である意識のしわは、外延表現を跨ぎ超す可能性そのものだということができる。そしてその痕跡はだれのどんな生のなかにも根源の二人称として内挿されている。
『ホモ・デウス』でわたしたちが直面していること。軽々と文学はアルゴリズムでコーディングされることになる。全人類の集合的知能と全マシンの集合的行動が結び付いたもの(ケヴィン・ケリー『〈インターネット〉の次に来るもの』)は、人格を媒介にせずに易々と人間という概念を可視化し生を最適化し効率的に外延化する。同一性的な生はビットマシンによって確実に延長される。そして人びとは唯々諾々とこの世界システムの属躰となる。それが転形期の世界で起こっていることなのだ。同一性を意識の根拠とする外延表現は人間がなぜ自由で平等であるかを定義できない。それは生が根底において二人称であるからだ。根源の性を心身一如のかたちで分有するわたしたちの生命形態の自然は意識の外延性のなかに語りえぬある領域として存在している。私が領域であるということをビットマシンが表現することは原理的にできない。A=Aをシュミレートすることはできても生をまるごと意識の全円性において表現できるわけがない。人格を媒介にする表現は縮減され、どんな自由か、どういう平等か、とユニットごとに細分化され、世界システムに同期することになる。外延表現の途に就くかぎり世界システムの強制を拒むことはできない。奇しくもヴィトゲンシュタインが発見した語りえぬものについては沈黙せよという格言は、内面化不能の同一性的な意識の残余が、だれの、どんな生のなかにも、あたかも自意識のしわのような太陽感情として埋め込まれていることを告げている。わたしたちは世界のシステムの属躰ではなく、すでに超えているということにおいていつもシステムを超えている。この生の知覚のもとで交換は遅延された形而上的な交換ではなく内包的な贈与となる。

わたしは以下を論拠に文学を相転移し「Sさん問題」を解ける主題へと組み替えたい。またその手応えがなければこれを書くこともない。

「同一性のはるか手前に同一性の基になる、あなたがわたしのなかにいて、わたしがあなたのなかにいるというシンプルな世界の情動が存在する。この〔なかにいる〕ということが〔と共に〕そのものをなしている。このふしぎがあるから、存在の複相性の往還が可能となり、可視化と実体化をうけた存在の外延性がただちに内包的な存在へと転換することが可能となる。つまり〔と共に〕はいかなる意味でも自我や共同性となることはできない。あなたがわたしのなかにいる。この〔なかにいる〕ということは、わたしがあなたを至上のものとして意識するということとは違う出来事である。もしそうであるとするなら、すでにそれは人々によって考えられたことに属する。たとえば人間精神の夢を対幻想や神(仏)という超越として語ることがそうだ。〔なかにいる〕がノンA=ノンBを可能にしている。〔わたしがあなたである〕は、この〔なかにいる〕知覚によって往相廻向から還相廻向へと反転するのだといってよい。〔なかにいる〕のはわたしがかんがえるあなたがわたしのなかにいるのではなく、あなたのかんがえるわたしがわたしのなかにあるということが〔なかにいる〕ということなのだ。つまり〔なかにいる〕のはあなたのなかにいるわたしのことだといってよい。わたしとあなたが交換されて入れ替わった存在が互いのなかにあるということになる。これが〔なかにいる〕の本義だといえる。そのときわたしの〔なかにいる〕あなたはぐるんと反転してわたしなのだ。もし、あるものが他なるものに重なるということがなければ、なぜ、あるものがそのものにひとしいというふしぎが起こるだろうか。あるものがそのものにひとしいという不思議にはこういった意識の位相的な変換がおのずから組み込まれている。わたしは人間意識の第三層と言い、自己意識の外延表現からここに触る意識の展延態として第三期の形而上学を想定しつつある。わたしは外延論理の自己という信や共同性の信の根をぬく内包という信が、還相の性のあらわれの〔領域として自己〕と、〔喩としての内包的な親族〕を可能とすると考えている」(「歩く浄土248」)

    7

わたしは島尾敏雄のいい読者ではない。若い頃に一度講演を聞いたことがある。この人には性根がないという印象しかなかったが『死の棘』をはじめとしてあらかた公刊された本は読んできた。息子の島尾伸三の本には共感することができた。子の場所から両親のうそを暴いていることがよく伝わってくる。島尾敏雄と島尾ミホの狂い方に言いようのない虚偽を感じてきたからだ。そのことを「Sさん問題」と呼び、歩く浄土224、225、240で取りあげてきた。息子の島尾伸三が両親をどうとらえていたか印象に残る箇所を引用する。島尾伸三さんはわたしより年長である。息子の伸三は親にいったい何を言いたいのだろうか。

敏雄
 父・島尾敏雄は妻・ミホに嘘をつかない誓いを立てていたので、私は用心しなければなりませんでした。「あの女と別れて」とお願いすると、翌日の夕方、小学二年生は女に執拗に攻撃されるのです。
「女って誰なの?」「私はお前の親なんだよ」「その身体は誰からもらったものなんだと思っているの」
 と、彼女は夫に対する時と同じ攻撃を数日続けるのです。
一年後に、私が同じお願いを男にすると、「男と男の約束だよ」って誓ったって、男は女に全てを話してしまっているのです。可哀想に小学三年生は、またまた女の気が済むまで何日も、こっぴどく攻撃されてしまうのです。
 大学生だった父が、夏休みに福島県相馬郡小高で、親戚や近所の子ども達をリヤカーへ乗せて海水浴に通ったり、親族に大事にされたことも、聞いています。軍隊時代には、軍歌を大声で歌う部下に、「もう良いだろう」と言って一番までしか歌わせなかったり、兵隊の横暴なことを嫌がっていたこともです。
でも、ミホの前での敏雄はそんな男でした。(15~18p)

ミホ
「お前は私が定めたことを否定し、自分を無罪とするために、私を有罪とさえするのか」というヨブ記に出て来る神の台詞は、まるでミホの論法です。
 ミホは奄美大島に生まれ、敏雄と神戸で暮らし、伸三と摩邪を生み、健康で元気いっぱいに生きました。私は知っています。表情豊かな自然が彼女を育み、最盛期でも世帯数が二百に満たなかった小さなシマの押角一帯を背景に大事に育てられ、どこへ行っても愛され、とても細やかな神経を持ち、大らかな性格だったらしいことを。
 自分の母親でなければ、観察力と記憶力に優れ、度胸と実行力が行動を異常なものにまでしてしまう、逸話の多い面白い人だと思います。死ぬ直前も、家の中を小走りでした。
 彼女からの数時間を超える夜の長電話に私は閉口していましたが、その内容は日々の些細な愚痴と、私と登久子さんに自分の小間使いになれという勧誘でした。
 旧約聖書の神のように疑い深く、家族に信用できる証拠を求め、夫や長男に証文を書かせ、傍若無人な振る舞いのまま生きた人です。いいえ、とても良い人だったんです。何かが彼女をそのように変えたのかもしれません。(19p)

 敗戦の残酷さが凝縮されたような長距離列車の中で、母はこれまでになく自分の夢というか欲望を臆面も無く発揮しはじめるのです。本を読んだり字を書いたり遊んだりしかしない体裁屋の夫に、自分がシッカリしなければと頑張ったということなのでしょうが、可哀想にそれは激しいものでした。
 車輌の床、連結部、便所の中、屋根の上、車輌の至る所に人が鈴なりになってしがみついている中で、彼女は座席が向かい合っている一角を、夫と二人の子どものために占領しました。そこは進行方向からすると終点東京に向かって左側の前から三つ目くらいになります。
 母は赤ちゃんのマヤのために座席と座席の間にシーツでハンモックを架け、寝そべって本を読みふけっているだけの夫に座席一つを使わせました。二人から三人が座るように設計された椅子が向かい合う空間に、周りではおとなが九人から十人詰まっているのですが、彼女は四人のために神戸から東京までの約三日間、この場所を死守することになります。
いいえ、どれくらいの時間がかかったのかわかりませんが、夜が二回あったように憶えているのです。急行が復活する以前だったので、各駅停車でしかもノロノロと走っていたのでしょうか。
 軍用のアルミの飯食一個を囲んで家族が食事をしている、食うや食わずの時代に、彼女は食事やおやつの時間になると、用意して来たサンドイッチや重箱を広げます。この天国へ侵入しようと試みる人がいなかったわけではありませんが、彼女は全てを撃退し、目を光らせ、周囲の乗客に有無を言わせなかったのです。
 皮をむいた果物を小さなフォークに刺して男の口元へ運ぶ彼女は、彼の世話をやくのに夢中でした。その時からマヤの世話を覚えさせられた私に、ヨチヨチ歩きのマヤは、トイレも食事も私を当てにするようになってしまいました。

違和感
 この座席の中での生活で見た父の無気力と母の力強い言動に対する驚きは、私から不用心な幼児性を剥ぎ取り、違和感と警戒心を植え付け、両親を見る目が他人に対するような具合になりました。以来、繰り返される父の優しさの無い自己愛と、母の時として品性に欠ける振る舞いが、胸の中の柔らかい部分を蝕まれるような悲しみとなって私のなかに棲み着くのです。(41~45p)

 敏雄は文学というものを志していたらしく、東京で願いを全うしようと、上京したのだと思います。ミホも神戸の家を出て、結婚生活を自分の描くようなものにやり直せると期待したのかもしれません。祖父は家業を継がせたかったので、
「敏雄、どうしても行きたいのか」
 なんて、やんわりと反対したのかもしれませんが、敏雄の家族のために市川と小岩と武蔵小金井に家を購入しました。幼児の私がどうしてそんなことまで知っているかというと、小岩に住むようになって間もない頃、市川や武蔵小金井に家の様子を家族で見に行っているからです。
 しかし、落ち着き先の小岩では、彼には苦渋の、彼女には苦悩と混乱の日々が待ち受けていたのです。ヨハネの黙示録のような残酷が二人の精神世界に襲いかかってきて、終わりの無い悪夢が繰り広げられることになってしまったのです。ミホは自身の信じる正義と頑健な体力任せの飽くなき迫撃で、もはや過剰防衛の域を越して、敏雄のプライドと企みを破壊し焼き尽くすのです。
 旧約の神のような妻の裁きに、男の隠し事や裏切りは完膚無きまでどころか元の形さえ解らぬまでに焼き尽くされ、戦いに破れた男は精神の姿を変えた振りを続けなくてはならなくなりました。そして夫との戦いで満身創痍となった花嫁を戦場に置き去りにし、夫は仕事と祈りによって、残りの人生に祝福を受けることが出来たらしく、形而上の愛の世界に生きたのです。
 二人の子どもは、戦争を飾る屍や敗残兵や破壊された景色のようなものです。子どもたちの存在も命も人生もが、彼らの文学的な生き方の本文には必要の無い添え物だったような気がします。(50~51p)

 真夜中に雪が降り積もって薄気味悪い光りが辺り一面に広がっています。あまり高くない空中からフッと現れた雪がふわふわ降りて来て、積もった雪の上にそっと沈んでいきます。音のない静かでやさしい夜です。赤く腫れあがった皮膚には、木桶を巻き付けている輪っかの跡のような模様が出来ています。
 静寂の中で、やがて私は空中から、イチジクの木にまる裸で縛り付けられている自分を眺めていました。パンツもはいていません。灰色の空が小岩をすっぽり包んでいて、どうしてなのか地上がうっすらと明るくなっているのです。浮かんだまま暗い空へ吸い込まれて行くような感じがしてゾゾツとしました。
 いつの間にか自分の身体に戻ったらしく、寒さも感じなくなりぼんやりしていると、カタカタと牛乳瓶がお互いを励まし合っている音が聞こえて来ました。牛乳配達のおにいさんが格子戸越しに、ぐったりしている子どもを見つけて、母親を大声で呼び出そうとしています。新聞配達のおにいさんのサクッサクッという雪を踏む足音が右へ左へ行き来し、近所へ助けを求めて騒ぎ立てていることに気づきました。
 近所の人たちがやって来て、素っ裸で真っ赤になって縛られている子どもの紐を解くと、玄関の格子戸を叩き、母親を呼び出しました。
 眠そうな顔をしながら出て来た彼女に、近所の人たちは説教をしました。余計に不機嫌になっている彼女を見て、この後にもっとひどい目に通わされるのではないかと覚悟を決めていましたが、母は何も言わずに布団に入って寝直したので、静かに布団で寝ることが出来ました。父が外出中の日々でした。
 そんなことになってしまった原因は思い出せませんが、ご飯を美味しくないと言ったり、お茶碗を洗わないとか、何かを壊したのに謝らないなどの他に、理由の判らないおとなのカンシャクをぶつけられていたような気もします。(136~137p)

 間違いだと思ったことを口にする、おとなにとって都合の悪い反抗的な態度は、中学一年生の頃までに、母に徹底的に叩き潰されてしまいました。家の中では自分の時間など持てません。己を殺し、彼女に対し「滅私奉公」「心をこめて」「一心不乱に」尽くさねばならないからです。
 親子共々何かが不愉快だという毎日でしたが、それはずーっと続いていました。母が死ぬまで。(140p)

 母がマヤと私を道づれに本気で自殺を試みたのは、二度ほどでしたが、彼女はいつもギリギリの所で止めていました。私は死んだほうがましだと、本気で決心していたので、生きて家に戻るのが苦痛でした。
 子どもの私も、父の対応のまずさには腹を立てています。父はそれまで母のような気性の激しい女の人を知らなかったようなのです。
「伸三、おとうさんは、バックラシタ(奄美語/対応を間違えた)」
 と後悔していたけれど、父と母の神経細胞の組成がどこか似通っていたので、あそこまで無神経なまでに自分をぶつけ合うことが出来たのかもしれません。(166~167p)

 母の入院した病院へ行ったっきりの父は、数日ぶりの夕方、家に忘れ物を取りに来たようです。すぐにあわてて出かけて行きました。翌日帰って来るなり、小岩の家で自分には二人の子どもがいることを彼は発見したようでした。それも自発的に発見したのではなくて、妻に子どもの様子を見て来るように促されたからに違いありません。(167p)

島尾家の家庭の事情を息子の島尾伸三が書いている。島尾敏雄の作品を読まずとも島尾敏雄の文学がどういうものか伝わってくる。わたしとおなじ歳で亡くなっている。特攻隊の隊長であり『出発は遂に訪れず』や『夢の中での日常』などおおくの著書がある。かれの文学もまた解けない主題を説けない方法で書かれてきたのではないか。はたして書かれる必然性があったのか。なかったと思う。たくさんのなかのひとりとして生きればよかったのではないか。そんな気がしてならない。どこにでもあるありふれた夫婦の諍いを書く必要があるのだろうか。意識の外延性がつまらぬ戯言を文学と称したが、書かれるべきことはなにも書かれていない。村上春樹においてをや。
昔、吉本隆明が性的対象を自己か共同性をえらぶものを女性の本質と言って顰蹙を買ったことがある。古代心性をじかに生きた島尾ミホは、共同幻想の象徴として島の隊長さんを神格化したまま生涯を終えたのかもしれない。ミホのなかを流れていた古代心性は錯誤に充ちそれほどの強度をもっていたのだと思う。

    8

今回島尾伸三の『小岩へ』(父敏雄と母ミホを探して)を読了していくつかのことが納得できた。ふたつの古代心性のもつれをほどくことができるか。息子の島尾伸三さんは幼児体験まで遡及しわからないと述懐する。そして父母を糾問する。わたしの理解では『小岩へ』の主張は次の二点に要約されるような気がする。先ず引用から入る。

①『古事記』を面白がって読んでいた父と、『万葉集』が好きだった母は、気持ちの整理ができないという意味で古代人だったからこそ、天から授かった健康な身体と強靭な精神と明晰な脳みそを、無駄にしか思えない夫婦喧嘩に費やしたのです。
 磐之媛命(いわのひめのみこと)と仁徳天皇のゴタゴタを知らないはずがないのですから、少しは参考にして自重も出来たのに、解決の糸口となる手掛かりがいくらでもありそうなのに、一度起こしたカンシャクを停めることが出来ないで、ずううっと引きずって生きているなんて、全くもったいない人生です。そんな人たちのいざこざを書いたものを読んで、どうなるのでしょうか。不愉快にならないのでしょうか。気持ちが落ち着くのでしょうか。面白いとも笑えるとも聞きましたが、理解出来ません。私は怖くて両親の書いたものを読むことが出来ません。
 どうして二人は互いを許すことなく人生を終えてしまったのでしょうか。ええ、二人とも人前では穏やかなことを言っていましたが、その心中は不愉快な暗闇に覆われていたに違いありません。子ども時代の私は、ずっと病弱だったんですが、それは両親の健康な身体であるが故の乱暴な精神生活が、父にしてみれば小説を書くための材料だったとしても、それが子ども達の健康に災いしていたような気がします。子どもには迷惑千万でした。
 そこのあなた、格好だけでもいいから家族を大事にしていますか。いくら立派なことを言ったり書いたりしたって、実生活がポロポロでは、全てに嘘をついて生きているようなものだと思いませんか。
 父も武田泰淳も、「男はマゾくらいがちょうど良い」なんてなことを言っていたけれど、私は信用しないね。無頼派のおじさんたちのように、よそに愛人や不良の友達や悪い文学仲間がいたって、それは人それぞれだからしょうがないことだろうけれど、父のように自分をマゾだとさえ喩えながら、文学や歴史やそんな他人事を大事にして、最も身近な家族と楽しく付き合えないなんて、どういうことなんでしょうか。芸術や表現がそんなに大事だなんて。
 自分の為だけに生きていたってかまわないけれど、それが周りを不幸にしてしまうようなやり方というのは、繊細ぶったって無神経だし、いけないと思います。戦争を体験してしまうと、気持ちが乱暴になって、収まらなくなるのでしょうか。
 親の悪口を言うなと注意されるかもしれないけれど、そんな綺麗事を言う人は両親や兄弟と仲良しで幸せなのでしょうか。新聞やラジオで不幸な家族のニュースを知るにつけ、両親を思い出さずにはいられません。ええ、父は仕事も行いも立派な人だったと尊敬していますし、母も美人ということになっているやさしい振る舞いのできる人だったけれど、いったい何が望みで狂い続けなければならなかったのでしょうか。
 人には救いなど無いことは百も承知だけれど、どうしてああだったのか、理解出来る日が私に来るのでしょうか。あの二人とも親を悲しませ、親族と諍いを起こし、どうしたというんでしょう。自分の子どもがあんな人間だったら、嫌だなあ。登久子さんと私の子どもは、私の両親の思い上がったところがちょっと似ていて、恵まれた体力があるのに自分から人生を壊してしまいそうな気配がしていて、それも嫌だなあ。ね、私のこんな不平不
満を読んだって、楽しくないでしょ。私の両親について書いてなんて頼むから、こうなっちゃうんですよ。

 本の中に人生を見つけたのかもしれません、膨大な量の本が口を開けて人の魂を吸い取る世界に、父は呑み込まれていたのです。彼は歩きながらも本を読まなければなりませんでした。
 母はそれを嫌っていました。危ないという理由だけではなさそうでした。男が歩きながらも本を読んでいるという、たったそれだけのことから、彼女の苦悩はどんどん周辺の些細なことにまで広がって、あげくの果てには二人のこれまでの生活の全てを顧みる争いに拡大して行きます。
 父の落ち着いた声には甲高く細い音が混じっています。母は混乱していても声は低く、幅が広くて丈夫な紐のような音が三本くらい流れています。彼女は高い声で歌をうたっても細くなることはありません。
 興奮すると西洋の音楽を奏でるバイオリンのような音を紡ぐ父の声は、奄美の三線のような野太い悲しみの音楽のような母の声と、共鳴することはありませんでした。噛み合わない音がぶつかったり自己主張し合ったりするふたりの声は、商店街の雑踏に溢れる不協和音みたいです。私の耳は、下手なバイオリンやピアノの練習を繰り返し繰り返し聴かされているようなものでした。
 首から上しか見えていないような言動の彼らに意見する時の私も、落ち着きの無い自分の声が嫌いでした。
 マヤの声は低く落ち着いていて、道路標識のように信頼できる方向を指していましたが、父と母がマヤの深い考えに気づくことはなく、マヤも彼らの雑音に参加することはありませんでした。(208~211P)

②絶望に沈んで被害者気分に甘えているだけなら楽だったのに、それを許してくれないのは、奄美大島で一九五〇年代から一九八〇年代にかけて目撃してしまったフランシスコ修道会の司祭や修道士の存在です。彼らは神にすがる必要のない健康な身体を持ち、知識や学問を身に着け、学問や芸術や政治、金儲けの世界で伍していけたはずなのに、神に身を寄せるなら、修道院の中で祈りや神学三昧に浸ることだって出来たはずなのに、何を好んで感謝を知らない裸足の子どもたちや病人の世話に人生を捧げたのか。
 台風で山崩れの道をスコップ一本で切り開き、洪水で泥に埋まった村で困っている人の手助けをし、冗談を振りまき周囲を励ましながら泥だらけになって生きている姿を、どうして私が目撃しなければならなかったのか。
 彼らを知ってしまったことが、自分を恥じ、立ち上がれなくしています。(219P)

引用①と②を貼りつけながら、「Sさん問題」でこれまで触れてなかったあることに気づいた。島尾敏雄とミホの争闘はミホの巫女という母型の精神と、敏雄のいくらかモダンなシャーマンの精神の範型のもつれである。ふたつの精神の古代形象が骨肉相食むように争った生の軌跡ということもできるような気がしてきた。引用①のなかにふたつの精神の古代形象の時間が流れ、このふたつの時間を息子の伸三さんの引用②の時間が統覚している。生き地獄を生きたと錯認した島尾敏雄は夢の中も日常で聖なる時間を過ごし、その精神の場所をカトリックという共同的な信に昇華した。父母を憎悪する息子の伸三さんもフランシスコ修道会の司祭や修道士の存在に衝撃をうける。つごう3つの時間はすべて共同幻想に絡め取られている。なぜ巫女的な精神の流れとシャーマン的時間の流れをふたつの精神の古代形象が融即する根源のふたりまで遡らなかったのだろうか。島尾敏雄もミホもほんとうには追い込まれていない。夫婦のもつれを戯れただけだ。性を引き裂く往相の性から熱い自然を知覚する存在の複相性の還り道としてある還相の性を手にすることがなぜ、かれらになかったのだろうか。意識の外延性が規定する表現ではそこまで行くことができないし、島尾夫婦はそこまで追い詰められていたわけではないのだ。それが戦後文学の現実だと思う。どうしようもなく痛切な出来事は意識の外延性で内面化することも共同化することもできない。かつて、自己とは何か、もっと具体的に見えるもので、なになのか言って欲しいと訊かれたユングは、「ここにおられるすべての皆さんが、私の自己です」と答えた。人を喰ったような話だが自己幻想が共同幻想にかさなることを自明のこととして言っている。問題はその先にある。自我と社会というふたつの偶像はどうやれば消滅することになるのか。わたしはこの世のしくみと、一人ひとりのありかたを変えることは、いくらかのタイムラグはあるとしても同時だと思う。総表現者のひとりをそれぞれが生き始めることからしかなにごともうごかない。だれのどんな生のなかにも内属している還相の性を生の原像として生きればこの世のしくみはおのずから変わらざるをえない。

「トシオ、ほんとにあたしが好きか」
 と妻に出し抜けに言われたとき、悪い予感が光のように通り過ぎた。
「好きだ」
 と答えると、
「その女は、好きかきらいか」
 と追求してくる。女の目を見かえしながら、
「きらいだ」
 と低い声でやっと答えた。
「そんならあたしの目のまえで、そいつをぶんなぐれるでしょ。そうしてみせて」
 と妻は言った。試みは幾重もの罠。どう答えても、妻の感受はおなじだと思うと、のがれ口は段々せばまってくる。私はこころぎめして、女の頬を叩くと、女の皮膚の下で血の走るのが見えた。
「力が弱い。もういっぺん」
 と妻が言えば、さからえず、おおげさな身ぶりで、もう一度平手打ちをした。女はさげすんだ目つきで私を見ていた。
・・・(略)・・・
 そのあいだ私はだまって突っ立ち腕を組みそれをみていた。
「Sさん、助けてください。どうしてじっと見ているのです」
 と女が言ったが、私は返事ができない。
「Sさんがこうしたのよ。よく見てちょうだい。あなたはふたりの女を見殺しにするつもりなのね」
 とつづけて言ったとき、妻は狂ったように乱暴に、何度も女の顔を地面に叩きつけた。(『死の刺』島尾敏雄)

書かなくてもいいことだけが書かれ、書かれなくてはならないことはなにも書かれていない。こんなものが文学であるはずがない。もちろんこの振る舞いのすべては演技である。生煮えの地獄を島尾敏雄は風景のようにみることのできるカトリックの信をうることでみずからのなしたことを帳消しにしようとした。それがカトリックへの入信だ。なぜ「Sさん問題」の全過程が虚偽なのか。事件の当事者が共同化も内面化もできないことを個人の主観的意識の襞にある信で埋めようとしたからだ。なんどもでも言う。島尾敏雄の振る舞いも島尾ミホの狂いも嘘の塊であり、こんなものをわたしたちは文学を名づけてきたわけだ。父が死んだとき母親が殺してくれと言えば嬉々として殺したと思うと息子は書いている。そしてその息子も父親とおなじ共同的な信の場所から父を糾問する。なぜこういう意識のどうどうめぐりを吹っ切ることができないのか。
それでも息子の伸三さんが「父の落ち着いた声には甲高く細い音が混じっています。母は混乱していても声は低く、幅が広くて丈夫な紐のような音が三本くらい流れています。彼女は高い声で歌をうたっても細くなることはありません」と描写する件はたとえようもなく美しい。憎悪する両親への身を切るような哀惜がここに書かれている。「興奮すると西洋の音楽を奏でるバイオリンのような音を紡ぐ父の声は、奄美の三線のような野太い悲しみの音楽のような母の声と、共鳴することはありませんでした」。なにか少し島尾夫婦のもつれがわかったような気がした。先行する巫女の母型の精神と、後を追うシャーマンの父系的な精神が軋む生と性の戦い。ミホはヤポネシアの象徴であり、敏雄は記紀万葉の世界の精神を象徴し、そのどちらも意識の外延性を統覚する共同的な信に呑み込まれていく。島尾敏雄はキリスト教に帰依する。ミホは始めから最後まで性愛の対象を神格化した島の隊長さんを共同の信の枠組みに納めようとヨブ記の神のように際限なく夫を苛む。政治と文学という意識の外延性をどれほど緻密に外延しても解けない主題を解けない方法で解こうとする錯認からまぬがれる途はどこにもない。ここでもわたしは内包論の原則を貫く。けっして共同化も内面化もできない出来事の真芯を内包的な〔ことば〕として表現すること。生の原像を還相の性として生きること、これよりほかにわたしたちがなすことはないと思う。

生きていることをそのまま表現にしようとするとさまざまなひずみがその当事者に負荷される。ただなかを生きているじぶんの生を知識人や観察する理性の場所からながめるのではなく、そのなかにいてそこを生きることから離れない。わたしは生を引き裂く体験と熱い自然の体験を共同化も内面化もできなかった。内面化できないから共同化もできない。わたしを襲来した出来事を精神と外界という思考の慣性で言語化できなかった。内面の言葉と社会の言葉が密通していると感じてきた。内面の言葉を通約すると社会の言葉に導かれることが思考の慣性として前提とされている。この思考の慣性は人と人の関係を傾かせる権力にほかならないというわたしじしんの体験の強度があった。言葉が匂い立つべつの気圏がないか。それをながいあいだわたしは探し続けた。それを内包として語るようになるまでも、内包のしくみを解明しようとしてからも、気が遠くなる歳月を要した。人を引き裂く自然から熱い自然を手にするまで、闇夜の手探りのなかで少しずつ内包という理念の輪郭がはっきりしてきているが、いまもそのただなかにいる。いくつかの概念を悪戦苦闘しながらつくってきた。わたしが内包と名づけている言葉の場所はだれのどんな生のなかにも無限小のものとして内挿されている。わたしたちの知る思想のどこに根本的な欠陥があるのか、いくらかの余裕をもって指摘することができる。ある意識の表現のパターンが潜在している。いずれも知識人と大衆という権力による生の分割支配が統治として述べられる。文学においてもまた。

どんな対の関係、男女の関係の破綻も往相の過程の自力の信に閉じられている。共同幻想からの脱落や対の破綻や自己の不如意という主観的な意識の襞にある信のことをわたしたちはながいあいだ共同幻想に抗する自己の信とみなしてきた。この信は文学や芸術と名づかれてきた。そこで問いたい。はたして文学や芸術は共同幻想とはことなる心的な体験なのだろうか。環界というおおきな自然のはざまのちいさな精神の窪みにすぎないのではないか。そしてそれはあらゆるもののIOTの一部としてこれから存在することになる。自己幻想と共同幻想の境界はかぎりなくゼロに近づいていくのがこれからの世界の趨勢だ。意識の外延性としてそれは不可避である。文学もまた共同主観的現実のひとつとしてある思考の慣性にすぎないこと、共同主観的な現実からの精神的な退避の場所を文学や芸術と呼び、自己に属する主観的な意識の襞に信をおき実体化したことが政治と文学が本質的に同期するものであることを長い年月隠蔽してきた。もしも意識の外延性ではなく内包自然という概念を発見することがなかったら、自己幻想は共同幻想に逆立するという自力の信が共同幻想を永続的に補完することになった。それはプロレタリア文学の逆バージョンとして社会主義文学を否定しながら社会主義文学と同型なものにすぎなかった。何という無駄を重ねてきたのか。意識の外延性は主観的な意識の襞の強度を別にして政治であれ、文学であれ、全く同型なのだ。おわかりだろうか。わたしの主張は奇矯なことなのだろうか。ぜひお訊きしたい。

文学を共同幻想とみなすことは誤謬ではないか、概念の混同ではないかと言われることは承知している。3人以上の関係がつくる観念のあり方を吉本隆明は共同幻想と定義しているからだ。吉本隆明が文明の外在史と精神の内在史をいうとき、意識の外延性は考慮されていないから自己幻想と共同幻想は観念の次元をことにしているということを前提としている。むろんそのことはよく承知している。しかし人間の観念が世界でとりうる観念のありかたが3つあるとして、それらの3つの観念を統覚する観念が同一性であることを洞察することはなかった。そこにかれが生きた時代性と牧歌性がある。それを論難しているのでない。その意識の範型ではこれからの時代をつかむことができないのだ。個人の主観的な意識の襞にある信と共同的な信はまったく同型であることを前提としないと遺伝子編集による遺伝子的カーストはまもなく到来し、強いAIのアルゴリズムがわたしたちの生の全域を覆い尽くしてしまう。

昨年の春以降心身を痛打され、心身がひどく衰えてもう文章を書くことはできないだろうと内心思っていた。度重なる身体の不穏のなかでそれでもまだやれる気がしてきて「歩く浄土250」を書いた。そのことがじぶんにとって励みになっている。(この稿了)

〔付記〕
母が亡くなったときにお参りに来て下さった方々に母が好きだったお茶と手製の一文を添えてお礼の気持ちとさせていただきました。その一文を掲載します。

母の死

 平成三十年九月八日午前二時四五分、息子たち
に見守られて母が永眠しました。享年九四歳。大
往生でした。父とおなじように一箇の卑小な偉大
がこの地上から消えたという実感があります。父
が亡くなってからも母はよき医者や施設に恵まれ
七年余を生きました。もういなくなったのだと思
うとき、時折、猛烈な悲しみに襲われます。

 父は敗戦間近に軍命によりラバウル航空隊から
陸戦隊として北朝鮮に転属。母は単身で韓半島に
渡り父と結婚。日本軍は羅津でソ連軍の陸続たる
敵前上陸を受け壊滅的な交戦。軍の指揮系統は消
滅。むき出しになった生存の条理。上官はソ連侵
攻を事前に察知し逃亡。転進中にただひとり残っ
た上官から軍属の母が死んだので新婚でもあるし
線香を一本上げてこい、行かずば抗命罪に問うと
言われ、遺髪を取りに訪れると存命。部隊に戻る
と全員ソ連に抑留されシベリア行きとなっている。
唯一人の上官江頭少佐も8年間シベリアに抑留。
戦闘下の上官の厚情と運命。後に兄がお会いして
一献を酌み交わし、おかげで息子三人がいますと
お礼を申し上げた。侵略と降伏と敗残。父母は当
地で捕虜生活。脱走。逃避行中に二度逮捕。拷問
にあい殴打される。父母とも脱獄し、釜山から船
に乗り、博多築港に帰還。冬の二月に凍りついた
韓半島の三八度線を渡河。生きて祖国に帰ること
はなかろうと母は信じる聖書を岸辺に埋める。二
二歳。万感の想いがあったと思う。渡河中にソ連
軍と韓国軍に逃亡兵として射撃を受けるが存命。
夜陰に乗じ難民として南下。腰紐をつなぎ、子に
握らせ、夜が明けると子はいなかった。途中で子
を捨てる親もいた。対岸に架けられた目の眩む高
所にある枕木だけの鉄橋を渡るとき大人も子供も
ぼろぼろ墜ちていった。一度でいいから凍った地
面ではなく布団で寝たかった。暴動に巻き込まれ
父とはぐれたとき、ああここで死ぬのだ、まだ元
気だった母がそう話したことを覚えている。ほん
とうのことだと思う。兄は母のお腹の中だった。
着物に自決用の剃刀を縫い込み、身ひとつ、難民
船で帰国し、長い戦後を信仰と共に生きた。

 十五歳のとき日本福音ルーテル博多教会にて受
洗。母が気づいていたかどうかはわかりませんが、
母のおのずからなる信のありかたは親鸞の他力に
似ていたような気がします。他者からうかがい知
ることはできないとしても、父と母と息子たち三
人はたしかにここで出会い、それぞれの生を生き
たと思っています。父が亡くなってからの母の残
余の七年は、教会の皆様方、室原亥十二・良治両
医師や老人ホームの施設を運営される方々のあた
たかい気持ちに囲まれてとても幸せだったと思い
ます。
 最後まで母に気持ちを傾け励ましてくださって
いた教会の方が八月一九日に母を見舞ったとき奇
蹟が起こりました。意識のなかった母が目をぱち
りと開け一緒に賛美歌を歌ったのです。三階の居
室から手を引かれてエレベータで一階まで降り、
そこにあるピアノで「慈しみ深き」を三番まで弾
いて歌ったのです。七年前、母のオルガン演奏で
父を送りましたが、母は賛美歌を弾き施設のリー
ダーと教会の友人と三人で一緒に歌い、みずから
の死を永遠なる生として生きたように思います。
 皆さまのご厚情に衷心より感謝申し上げます。
さまざまな機縁に恵まれ、ついに母は大往生を遂
げました。

                森崎茂・記
           平成三十年九月二十日

コメント

1 件のコメント
  • 忠津 正幸 より:

    最近いろいろ読ませてもらっています。対象化する意識の手前にあって対象化できないが、しかし人の意識を開いたのは対となった始原の意識で、対象化された自己意識は共同幻想や自己意識=内面になって、そこでは人間は疎外されるしかないということでしょうか。親鸞の他力本願は、同一性の意識=相対善を放棄解体し、善悪包括してすべてこれで良し=絶対善として、空間化できない始原の対幻想を領域として自己の中に持つということ。今のところこんなふうな理解ですが、まだ実感としてよく理解できてないような気がします。話かわりますが、私も3年前心筋梗塞にかかりステントが二つはいっています。糖尿が原因ですが、入院後すぐ糖尿の薬をすべて拒否して糖質制限で血糖値を下げています、脂肪肉類と淡水化物の比は7対3以下で3年間続けていますヘモグロビンなんとかは現在まで5,9を維持しています。入院して2ヶ月で糖質制限で81KGの体重を学生時代の67kgに落としたのが結果よかったと思います、その時はココナツオイルに助けられまして、糖質制限すると二週間目ぐらいでエネルギーなくなり歩けなくなり、ココナツオイルで脂肪燃焼回路が起動したのだと思っています。確かに栄養指導の女の先生との喧嘩は大変でしよ、最近は測定値がいいので何もいわなくなりましたがね、たしかに病院の栄養指導等はひどい状況だと思います。森崎さんも健康に気おつけて、内包論の研究よろしく、期待しています。

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