日々愚案

歩く浄土237:内包贈与論69-アフリカ的段階と内包史24ー「マチウ書試論」再考3

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生の気質の違いのようなものが吉本隆明とわたしの差異としてあるような気がする。一人称のつくりかたがわたしと吉本隆明では異なる。是非は面々のはからいであるとしても、あらゆる自己言及は自己正当化をもたらす。だからこの判断も面々のはからいに属する。内面と外界が異なる観念によって動いているとみなすことはできる。ではその内面とはなにか。心身のモナドに内面が帰属するということも思考の慣性にすぎないのではないか。大衆を愛好する吉本隆明が思考の慣性を疑うことはいちどもなかった。むしろ気質の違いというよりは生存感覚の違いということかもしれない。戦争期の天皇崇拝を内省し、内面化して「マチウ書試論」を書き、社会総体のヴィジョンをつかみ損ねたときに起こる思想の転換を転向と考え、敗戦を契機に自身の体験を反芻しながら「転向論」を書いた。あらゆる批判を一手に引きうけ苛烈な言論を血煙をあげながら単騎で疾走しつづけた。傲然とした孤独に若者は鼓舞された。つうじないことしかつうじることはないと吉本隆明は考えていた。それはとても心地よく響いてきた。じぶんに切実なことは他者にとっても世界にとっても切実であるという気っぷのよさがあった。吉本隆明の気概はしみいるように伝わってきた。理念に感化されるということではない。理念以前の熱い意志のかたまりにわけもなく惹きつけられた。意味ではないなにかとほうもない熱量を若者たちは感じたのだと思う。わたしもそのなかのひとりだった。あるときから吉本隆明の考えに飽きたらないものを感じるようになり、どうしても吉本さんとじかに会って話をしたくなり、その機会を得た。その抄録を前回のサイトにアップした。内村剛介や石原吉郎や小山俊一と一括りにされ、外界を削ぎ落とした、たましいのモチーフが内包ではないかと訊かれ、そうではないと話をするが、伝えたいことが伝わらない。かれらにわたしが猶予することはなにもなかった。かれらが歩みを止め断念した場所からわたしは低く身を起こして考えることを始めていた。体験を笠に着るものたちの生煮えが我慢ならなかった。吉本さんのかれらへの主張はすっきりしていた。かれらの外界を削ぎ落とした内面には自然さがないということだった。そうだよな。ではあなたの「マチウ書試論」にその自然さがあるか。否定性ばかりではないか。内村剛介や石原吉郎や小山俊一が生煮えであれば、吉本隆明の「マチウ書試論」も自力廻向を否定しているだけで、天皇制の根源をゆるがすものではなかった。国家の起源を解明したならば、どうすれば国家がなくなるか、そこまで表現しないと満月の思想にはならないとわたしは考えた。吉本隆明の思想とはなにか。自己意識が外延的に表現された往相の思想であるとわたしは理解している。往相の思想を還相の思想で表現することは存在の複相性という概念を導くときにはじめて可能となる。わたしは心身のモナドを外延化した知ではなく自己を領域とする内包知という生の知覚を基に内包論で世界を構想している。吉本隆明が思想を鍛造していくにしたがいじしんは空虚になっていく。ほんとうは一人称のつくりかたのなかに吉本隆明の思想が社会思想にしかならぬ由縁がある。どれほど思考を凝らしても大衆は第三者にすぎない。すこし吉本隆明の晩年の思想を追尋する。吉本隆明はじぶんのつくりあげた思想に自縄呪縛された。

事件の渦中でオウム真理教の麻原彰晃を現存する世界有数の宗教家と持ちあげた。強靱な吉本隆明は世間からのどんなバッシングも撥ねつけた。その立ち姿はみごとであったと思う。オウムや麻原彰晃を称揚した者たちはいつのまにか舞台からすがたを消し、荷担の事実を覆い隠した。そしてほとぼりが醒めてから素知らぬふりをして文化人に復帰する。おい、中沢さん、あんたのことだよ。そういう卑怯なやり方をいちども吉本隆明はしなかった。60年安保に生死を賭ける気はなかったが、戦後始めて命を賭けたと言っている。記憶にある吉本隆明のオウム真理教についての発言をいくつか取りあげる。

僕が感じたのは、親鸞というのは本気で極悪非道の人間のほうが浄土に生きやすいと考えていたんじゃないか、そういう解釈の仕方がオウム事件を通して僕のなかに生まれてきました。(『世紀末ニュースを解読する』)

しかし、現実否定という面では、オウムがレベルを飛躍させてしまった。ざまみろ連合赤軍事件や全共闘、と言う気持ちも僕はありますが。

理想の社会のイメージを、善の方向にだけ暢気に考えてきたのが間違いだったのかもしれません。実際に理想の社会をつくろうとすると、多くの問題が出てきます。例えばロシアでマルクス主義が国家から脱落していくということが起こった。あれは、やりかたでミスをしたんであって、理念は間違っていないという解釈も勿論あるけれども、もともと、理想の社会をつくることを善の方向にしか考えていなかったから、見落とした問題があったんですよ。(「宗教論争」吉本隆明vs小川国夫『文学界』1996年2月号)

理想の社会をつくることを善の方法で考えてきたから見落とした問題とはなにか。対談後の話で、これからハイパーリアルなむきだしの生存競争になると申し上げたら、あなたの世界認識はまちがっていますと、言われた。そのことに吉本隆明が気づいていた節はない。消費社会の全貌をどうつかむかでかれは精一杯だった。そしてあっというまに中流幻想は消し飛んだ。見落としたこととは、世界の無言の条理があるということではなかったのか。生存の条理が改訂されたことなどいちどもない。適者生存の世界ではどんな酷いことでも絶えず日常的に起こっている。なにをどう考えればいいのか途方に暮れて、荒唐無稽のことを言っているとしか思えない。吉本隆明は1972年頃に世界が変貌したことを、のちにイメージ論や母型論やアフリカ的段階についての考察として集約した。その過程で思考の大転換をやったと、その折々に述べている。戦争期の体験はなまなましくひとごとではなかったが、消費社会の全貌をつかもうとするとき、かれは思想家として観察する理性を行使してそれをなしている。「マチウ書試論」の否定性を観察する理性によって括弧に入れて思考を転換した。わたしは「マチウ書試論」の叛逆は内向するという否定性を内面化せずに内包化すればよかったのに、と思いつづけた。消費社会を観察するのではなく、そのなかにいてそこを生き、消費社会の欲望を真芯で解体すればよかった。それは生きられる思考の大転換となったはずだ。若い頃かれはつたわらないことしかつたわらないと、考えた。それをもっと徹底すればべつの思想の可能性がひらけた。斯くして吉本隆明は空虚を手にしたことになる。それはだれより本人がいちばんよく知っていたことだと思われる。消費社会の分析のなかに「ぼくがたふれたらひとつの直接性がたふれる」というなまなましさはかけらもなかった。消費社会が勃興するさなかで、マンガとロックンロールと大型バイクはなくてならぬものだった。カルチャーなどにだれが関心をもつものか。大型バイクをすっ飛ばすことと機動隊と衝突することはおなじ生だった。そのなかにいておおいにそれらを享受した。

昔新聞に書いた記事を貼りつける。

誰も書かなかったオウム-その愚劣を超えるもの

 言葉による行為が一連のオウム事件に関わるとき表現の器量が赤裸々に問われる。誰も書かないオウムがある。サリンによって、拉致され、あるいはリンチで酷い殺され方をした者が、その無惨な死を何かに照らされて、ああそれならもう一度この死を生きる元気が湧いてくると笑ってみせる、そこまで言葉が届くときはじめてオウムの論評が表現として現成する。それが、ないものを創る表現という行為だ。またそこが眼を覆う惨劇が突きつけたことのほんとうの核心だと思う。
 オウムの愚劣を竦みあがらせる凛とした言葉が欲しかった。麻原彰晃と彼を尊師と仰ぐオウム真理教団の吐き気のする愚劣さを目の当たりにして、自身の言説へのとまどいをおぼえないこの国の八十年代以降の全ての言論人はさかしらな言論の敗北を潔ぎよく認め断筆せよ。
 私たちの日常感覚から隔たった常軌を逸する事件が起こるとマスコミはこぞって事件の猟奇性を煽りたてる。連合赤軍事件やイエスの方舟事件で当事者を狂人に仕立てあげ断罪したマスコミとマスコミに登場した学者・文化人の卑劣を私はまだ明瞭に記憶している。
 その反動で吉本隆明は「著作から判断して優れたヨーガの修業者」(「サリン事件考」『サンサーラ』95年6月号)だと麻原彰晃を擁護する。おお、なんと的はずれなことを言う。オウムの愚劣の核心はそこにあるのではない。マスコミの報道の姿勢がどうであろうとオウムに接した者が一様に神経を逆なでされ感受した、言葉にならないおぞましさと禍々しさがオウム真理教の核心であり本質なのだ。その余は野次馬の鳥瞰にすぎない。
 村上春樹の文学を現実のポジの象徴だとすると、オウムが裏側にネガとして貼りついていたということではないのか。そこを曖昧にしてきた15年分のツケがオウムで一挙に噴出したのだと私は考え始めた。
 根深い知の囚われが言説を拘束する。たしかに貧困を時代の背景とする表現はとうの昔に過ぎ去ったことだ。左翼理念は滅んだのに、しかし表現を時代の反映とみる理念の型はしぶとく生き残る。事件を社会の背景や病理から解釈する理念の型そのものがほんとうは問われるべきだと私は考える。
 人間の社会的存在のありようが意識を決定するという古い知の囚われが根底的な疑問にふされるべきだ。このふるい知の習慣を脱ぎ捨て、ここを体ごと突き抜けないと未知の生の様式は手にはいらない。生煮えの解釈を可能とする思考の習慣を大本からあたらしく創り変えないと表現はいつまでも現実に到達できない。そういうことばかり繰り返している。生が希薄になったのではない。生を感じる思想が貧血しているのだ。
 いま、時代の顔は貧血である。するとすぐに、豊かな社会で自我や生の実感がつくれず裸で漂流している若者といういかにもありそうなイメージがつくられ、そこに希薄な生の現在を象徴する社会病理が引き寄せられる。そしてそこにオウムの愚劣をあてはめるとオウムの狂気についてのもっともらしい解釈が成り立つというわけだ。まるで昔のプロレタリア文芸みたいじゃないか。いったいどうしたことだ。この錯誤の根は深い。
 若者がその時代の感性をもっとも鋭敏に身に浴びるのはいつの時代も変わらない。今は生の気配が希薄だからそこにあたかも新しいタイプの離人症が広範に育ちつつあるかのように誰もかもが思いたがる。世間の大人はそんな若者を見て覇気がないという。私は違うと思う。若い人の中でも目に見えない愛や憎悪や執着が激しく渦巻いている。ただ彼らはそれをどう表現していいのかわからない。
 若者の生が貧血して覇気がないように感じられるとしたら、それは大人のできあいのリクツがガラクタだからそんなものでは自分たちは熱くなれないともがいていることのあらわれにすぎないのだ。世の大人はそんな彼らを最近の若い者は根性がないときめつける。彼らは小さなニーチェを身をもって生きている。そうでなかったらオウムが起こるわけがない。
 オウム狂騒の最中、テレビに実名で登場した高橋青年はモザイクなしの映像で終始誠実に自分のオウム体験を内省し麻原彰晃を尊師と呼び、その存在感は世界有数のパワーをもっていると言って憚らなかった。誠実さは伝わるのだが、この青年はオウム経験の半分しか喋っていないと私はすぐに直感した。
 やがて隠された半分がめくられてリンチ殺人が報道される。リンチで殺された落田さんは俺だと実感した。やり残したことがあると気が咎めた彼がどういう気持ちで夜更けサティアンに戻り、彼の見開いた眼がそこで何を見たか。
 一瞬の昂揚のあと雪崩をうつように後退した全共闘運動の敗走期、私もまた同じ状況下にあった。何人か死ぬなという予感が脈を打ちドクンと世界が鼓動した。高橋君よ、麻原彰晃は義にもとると何故真正面からぶつからなかった。とことんやればいい。それが逃れえぬことだとしたら、誰に届くとも知れぬそこからしか一切が、そして何事もはじまらないのだ。世界にじかに触れるということはそういうことだ。私は偶然そこから生還したが、いいようのない感じがして言葉がない。
 オウム吊るしの野次馬としてではなく自己体験的にいえば、実直で真面目な高橋青年が崇拝する麻原彰晃の「魅力」とリンチ殺人にいたる振幅のなかに、サリン事件や拉致・監禁・人格と金品の強奪、その他の数多くのテロの、およそ人がなしうる愚劣の鍵がひそんでいる。得体の知れないものが私たちの中にある。私たちの短い永遠。私たちの小さなニーチェ。ささやかということの激しい夢。私たちの平坦な戦場を生き延びること。知識による行為がこの鍵を開けたことはまだ一度もない。
 死の雰囲気のたちこめる暗い地下室で彼らは何を想ったのだろうか。彼らはかつての私であり、いくぶんか今の私でもある。世間に融け込むのがぎこちない彼らはドラゴンボールの元気玉が欲しくてたまらなかったのだと思う。何か世界の芯のようなものが欲しかった。そのありふれたことがオウムの狂気のはじまりにあった。そしてすぐにかれらの顔から晴々とした表情が失せた。手にとるようにわかる。
 ひとは義を成就するのになぜ群れるのか。この謎はまだ解かれていない。連合赤軍の狂気を引き受けた者として、だから、私は彼らを断罪する。首謀者麻原彰晃の悪意と妄想と虚言とそれに踊った幹部達が公判を経て法の執行者からどういう刑を受けることになるか、それは私の知るところではない。
 私は生の全てが表現だと考えるから、麻原彰晃の声や表情やものごしから冷酷とかキワモノという言葉ではとうてい形容しがたい、彼が内に秘めているおぞましさをじかに体感する。彼の強烈な禍々しさを浴びて周囲はひとたまりもなかった。そして知識の行為がここに爪を立てたことはまだ一度もないのだ。
 私はかつてひとりでここをかい潜った。宗教や神秘体験より遥かにふかくどうしようもないものが日本の底の底でとぐろを巻いている。つまり私は吉本隆明ほど脳天気ではない。それは理念からくるというより繋けた日のちがいに因るとしかいいようがない。
 バタイユでさえ錯覚した人類の激烈な性の発見から認識による生の貧血の不可避性という、近代に起源をもつ転倒したぬきがたい思考の型は、私の、〈狩るごとにふかくなる性があるから、「いま・ここ」にあふれる狂おしさを、そのつどまったく新しい生として繰り返すことができる〉という世界の知覚へとひらかれる。手にしたひとつの直観と実感から未存の新しい自然理念と固有の歴史理念が次第に形を現わしてくる。
 私は性を基軸にした、まっさらで熱にはぜる世界認識の、人類史的な構想が可能だと思っている。たぶんその中でだけ昏い呪的な麻原彰晃の眼がひらかれる。(『読売新聞』夕刊1995年7月12日)

吉本隆明の麻原彰晃擁護にみな釈然としない気持ちがあったはずだが、吉本隆明のオウム真理教についての発言が公然と批判されたのはこの記事が初めてだと思う。言論界が吉本隆明の発言を粛清し終わってから一斉にもの書き文化人たちが吉本隆明を叩き始めた。空気を読む風見鶏たちだ。機を見るに敏な者たちはいま天皇を担ぐ。昔もいまも変わらない。

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吉本隆明は、残っている非信の立場からの宗教の領域への関心は、ほんとうの考えとうその考えを分けることができれば、その方法さえ確定できれば、ということであると、随所で述べている。その唯一のヒントが麻原彰晃の著作にあったと吉本隆明は言う。なんだかだんだん怪しくなってくる。まるで伊藤計劃の『ハーモニー』の世界ではないか。こんなことなら強いAIがわけなく実現してくれる。ある実験法さえ見つかれば、ほんとうの考えと、うその考えを腑分けできるということは、とても怖いことだ。内面をすべて共同幻想でおきかえればただちに可能なことではないか。吉本隆明の思想がだんだん硬くなっていく。わたしは外延表現の必然的な宿命をそこにみている。無意識を意識化することは、より強固に生存の条理をなぞっていくことにしかならない。畸形的な観念の領域に吉本隆明はわけ入っていく。意識のなかに無意識を無限に外挿することで思想が生き延びようと喘いでいる場面に立ち会っているというべきか。

 神どうしの決着はつかないという問題は、政治的な党派性や、体制・反体制という言葉を使って、僕も考えてきたことですが、もう一つ賢治で興味深いのは、もし実験によって本当の考えと嘘の考えをわけることができたら、科学と宗教は同じものになるという考え方です。
 僕は、人間とはいつから始まるのかと考えてきました。フロイトの説では、誕生して体外に出た時から精神が始まるとされますが、僕はそれよりも少し前の、胎内で感受性の器官が完備した時から人間の精神が始まるのではないかと思うんです。そこで、麻原彰晃の『生死を超える』という本の、輪廻転生について述べている部分を読みますと、自分はイメージで受精の段階まで遡れる、さらに受精以前の前世や、来世にも行けると言っているわけです。その修行の過程を、はっきり体験的に表現しています。僕が自分なりに、科学と宗教を同じくする実験の方法を考えたときに、唯一ヒントになったのが麻原彰晃なんです。(『宗教論争』吉本隆明vs小川国夫)

 麻原が言っていることは、今は宗教としか呼べないものですが、例えば遺伝子生物学が発展していけば、科学と宗教が同じものになるかもしれない。遺伝子を主体に考えれば、遺伝子は親から子へと伝わるんですから、前世も来世も存在すると言えます。ただ、それでは、遺伝子を擬人化しすぎだと思います。それに、オウムの修行によって前世に遡れると言っても、それを信じることはできないんですね。親鸞は修行をしてはいけないと言っていますから、初めから信じることはできないと僕は思っています。受精以前に遡れるというのは、無意識を一種の幻覚・幻想と接続できなければ駄目です。
 しかし、無意識と幻覚の間の関係を考えていけば、宗教でいう前世・来世に対する、精神科学的な理解は成り立ち得るのではないでしょうか。つまり、フロイトのいう無意識をさらに範囲を拡げて考えると、宗教によって幻覚をつくり出すという現象を科学的に解釈できるのではないでしょうか。そういう期待を持っているし、オウムは無意識の問題を改めて示唆してくれた。僕は、信と不信の境界に興味がありますから、そこが関心の中心になりますね。(同前)

なにを吉本隆明は言いたいのか。『共同幻想論』は禁制論、憑人論、巫覡論、巫女論から書き始められている。自己が共同社会のなかで入眠状態にある意識の水準から人間の外延的な意識がはじまったことを意味している。これもまた強固な思考の慣性である。もっと意識を遡行すれば生の無意識や歴史の無意識が意識化できることを麻原彰晃に示唆されたと言っている。麻原彰晃がそんなことを考えるはずもない。チベット密教の伝聞される知を詐称しているだけだということはすぐわかる。すべてが演技ではないか。わたしは麻原彰晃のすべてにげすなきわもの性しか感じなかった。吉本隆明は麻原彰晃の宗教性を媒介に市民主義の彼岸を夢想した。この発言の延長に、イメージ論や母型論やアフリカ的段階が集成された。そこで豊穣な生が歌い踊るだろうか。野の花が匂い立ち、空の鳥が天空を滑空するだろうか。「マチウ書試論」が吉本隆明の戦争期の天皇体験の内省であることはたしかだが、叛逆が内向するときの否定性の数々の否定性の言葉は吉本隆明の心性でもある。つたわらないことのなかにしかつたわることはないという吉本隆明の声にならないつぶやきは内面化できた。内面化は容易に共同性へと転化する。まるで吉本隆明は原始キリスト教団のメンバーの生まれ変わりみたいではないか。原始キリスト教団の苛烈な倫理をよく吉本隆明は批判しえているか。不在の神に祈ったヴェイユの信やアーレントの凡庸な悪には寛容さや自然なものがないと言うのか。もともと「マチウ書試論」は自力廻向しか批判していないのではないか。もしも吉本隆明の思想に充分な深さがあったら世界の無言の条理を鋭く抉ったはずだ。一瞬で中流幻想は消滅し、適者生存の条理が人びとを総アスリートとして駆り立てている。吉本隆明はじしんの生の原像を語るべきだった。大衆の原像から大衆をぬき去り、生の原像を生きればよかった。総表現者のひとりとして生の原像を生きるだけでよかった。歴史の無意識としてあった大衆が一般大衆として理念的な大衆をしのいだと吉本隆明の主観的な意識の襞にある信をどれだけ唱えても、なにも変わらない。

「僕の場合は、戦後、『一般大衆』が、世界の主人公であるってことを示す理念をつくろうと思って、『試行』に原理論的なものを発表しましたが、これは全体的視野をもつ試みです」「ひとつには大衆の英知というのは基本的に信頼できる。大衆のいい部分も悪い部分も含めて、その凝縮されたものが、どうにか少しずつよくなっていくということが基本にないならば、歴史ってものはいらないじゃないか、と思うからです」(「大衆の原像」を求めて―吉本隆明氏に聞く「夕刊読売」1999年10月13日)吉本さん。大衆の原像という衆の一括りから一人ひとりの顔はみえてきませんよね。
吉本隆明は「部分的でないもの」「党派的でないもの」を「中性的なもの」を「普遍化された理念」と言うが、この「普遍化された理念」は〈無効性の観念〉によって支えられている。それが大衆や生活を還りみちからとらえるという還相論だ。意識の外延性のままに還相の途に就くことはできない。このことがどうしても吉本隆明にはわからない。それはいちども「ぎゅうの目」に遭ったことがないからだ。往相の知をいくつかの概念でよりあわせて「死から照射された生」を個人史にもってくれば、それは「つくられる無意識」という課題となり、社会に対応させたとき「資本主義の死からの視線」となり、歴史概念に拡張したとき「アフリカ的段階」という歴史の「胎内」の課題となる。こうして吉本隆明に固有の現在論がつくられる。「現在は逆に大衆の無意識が大衆のつくりあげた意識があった場所と同等のところにあがってきた。あがってきたための当然の課題として、意識的に築き上げてきた大衆の意識が、大衆の無意識があったところとおなじように逆転して、意識された大衆のおかれた場所よりも、大衆の無意識つまり胎内からうまれたときのその無意識の存在の方が先へきちゃった。これは僕のなかでは相当確実な実感のイメージです」(『ハイ・エディプス論』)
なにか痛ましい気がしてくる。まず吉本隆明が意識しなかった思考の慣性がある。この自然は意識の外延性が表現したものである。おおきな自然があり、そのもとにちいさな自然がある。ちいさな自然はわたしたちの生の謂である。ここでひとつの仮説を設ける。吉本隆明の思想の全体系は往相廻向に属している。なぜ天皇体験が自力廻向の批判としてなされたのか。それほど吉本隆明の内面は苦労しなかったからだと思う。ほんとうにどん詰まっていれば政治のない世界を構想したはずだ。いうまでもなく内面のありようは面々のはからいであるが、国家から降りる思想を吉本隆明がつくらずにすんだのは、つくらなくても生きていくことができた吉本隆明の非信があったからである。非信もまた非信という信であることを吉本隆明は語らなかった。解けない主題を解けない方法で解こうとする矛盾を抱え込むことを自己意識の外延表現は必然のものとして孕んでいる。どうやってもはじまりの不明を消し去ることができない。信のただなかにいてその信を解体するとき、解体された信は共同性を疎外しない。ちいさな自然のなかに全歴史が縦にわたしたちに内属している。知による生の分割統治でちいさな自然を表現することはできない。わたしたちはだれもが、総表現者のひとりとして生きている。ひとりでいてもふたりであるということのなかに生の本来性がある。内包のきりのなさが精神のモナドのなかに注ぎこまれているから、有限な自己が無限であるように知覚される。(この稿つづく)

 

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