日々愚案

歩く浄土236:内包贈与論68-アフリカ的段階と内包史23ー「マチウ書試論」再考2

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右も左もわからない熊本の田舎少年が博多に出て青年になり、さまざまなことを体験し、偶然だが必然のようにして吉本隆明の思想に出会った。吉本隆明の言説を理解できたわけではない。この人にはうそはつけない、この人はなにかほんとうのことを言おうとしている。ものすごい迫力で吉本隆明の言葉が迫ってきて、わしづかみにされた。少年少女から青年への過渡期に吉本隆明の思想に震撼された人がたくさんいると思う。それはなにか空前絶後のことだった。理解できないが言葉に惹き込まれる。当時もたくさんの文化的言説が溢れていたが、吉本隆明の発する言葉はなにか別格ものとして侵入してきた。なにがこのように若者を吸引したのだろうか。理路以前の言葉のうなり声みたいなものだったように思う。「ちひさな群への挨拶」の詩の「ぼくの孤独はほとんど極限に耐えられる/ぼくの肉体はほとんど苛酷に耐えられる/ぼくがたふれたらひとつの直接性がたふれる/もたれあふことをきらつた反抗がたふれる」や「廃人の歌」の「ぼくが真実を口にすると、ほとんど全世界を凍らせるだらうといふ妄想によって、ぼくは廃人であるさうだ」が、まるでじぶんのことのように感じられた。吉本隆明の思想に惹きつけられたおおくの人びとにとってもおなじだったと思う。思想とは言葉が喚起する熱の総量のことであり、語りえぬことが、ただひとりにとどくように、とどく。じぶんにとって切実なことは他者にとっても切実でないはずがないという憶測によって表現がささえられている。人と人はつながらないことでしかつながることができないという逆説がここにある。それはこのうえなくリアルだった。そのように思想は生きられる。吉本隆明はそれを体現した。

吉本隆明は天皇のためなら死ねると思い戦争期を過ごした。信の内部を一度は生きたわけだ。非信の立場から信の立場を批判する吉本隆明の思想の原型が「マチウ書試論」にある。反逆者の内向する心性が否定性としてうんざりするほど表白される。

敵意、憎悪、攻撃、過酷、悲惨、秩序からの重圧、疎外、圧迫、叛逆、被害感、陰惨、迫害、偏執的、倒錯、神経症、欠如、敗残、裏切り、猜疑心、・・・。

敗戦の日、吉本隆明もまた凡庸な愛国青年のひとりだった。その体験の意味を吉本隆明は思想として彫琢した。素朴な青年が天皇を崇拝し、敗戦をきっかけに民主主義に舵が切り替えられたとき、その価値転換に吉本隆明はなじめなくて、独自の思索を重ねた。生涯、親鸞の他力にあこがれながら、吉本隆明がじしんの他力を語ることはなかったように思う。なぜ内面を内包化しなかったのか。内面と外界という意識の気圏で生きていけたからだ。

敗戦の日、わたしは動員で、富山県魚津市の日本カーバイドの工場にいた。その工場には、当時の福井高等工業学校の集団動員の学生と、当時の魚津中学校の生徒たちがいた。わたしは天皇の放送を工場の広場できいて、すぐに茫然として寮へかえった。何かしらぬが独りで泣いていると、寮のおばさんが、「どうしたのかえ、喧嘩でもしたんか」ときいた。真昼間だというのに、小母さんは、「ねててなだめなさえ」といい蒲団をしき出した。わたしは、漁港の突堤へでると、何もかもわからないといった具合に、いつものように裸になると海へとびこんで沖の方へ泳いでいった。水にあおむけになると、空がいつもとおなじように晴れているのが不思議であった。そして、ときどき現実にかえると、「あっ」とか「うっ」とかいう無声の声といっしょに、恥羞のようなものが走って仕方がなかった。(『模写と鏡』所収「戦争と世代」)

どこにでもいる平凡な青年だった。低く腰だめに言葉をつくりハードコアなファンを魅了した。

 『マチウ書試論』が出たのは一九五四年頃です。そのモチーフはよくわかっていて、敗戦のすぐあと、とにかく何もやる元気がないという状態のなかで、いろいろなことを考えました。そのときに一つの反省材料になったのは、世界のイメージをどのようにつくるかについて、戦争中までの自分の知識、教養のなかに何一つ考えがなかったということです。世界という概念と、それをとらえる方法をまったく知らないということが反省材料になったわけです。
 それ以外のこと、たとえば人間心理の洞察については、自分なりに文学青年でしたから、文学が解明しているかぎりでのやり方はひとりでにもっていたと思うんです。それが十分であるかないかは別として。そういう意味では、自分は戦争中もミスしてないと思っていました。じゃあ、どこでミスしたのか、何がダメだったのかというと、そういうふうに文学を介して知った人間の心理や精神の動きの洞察は、世界が向こうから変わってしまうことに対してはまったく無力だったということです。大きな反省材料となりました。いくら人間の精神について深い洞察があっても、世界の方から変わってしまったら、その人は必ずダメになっちゃう。そういう感じがとても強くあったんです。(『吉本隆明が語る戦後55年⑤』)

なぜいまさら吉本隆明か。ましてヘーゲルやマルクスの思想など化石ではないかと言われることは、書いている本人がいちばんよく自覚している。これらの疑念をそっくりそのままお返ししたい。わたしはある時代の象徴的な思考としてかれらの理念の襞を追尋している。おわかりか。世界認識方法や世界構想につい発言したのはヘーゲルでありマルクスであり、この国では吉本隆明である。死の直前にフーコーがいいことを言った。時代を抉っていうならば、オカルトでサイコなアベシンゾウなどあたらしい世界システムの属躰にすぎす、安倍的なものも反安倍的なものが表現としてまったく同型であることを内包論は前提としている。おわかりか。奈良・平安・鎌倉・戦国時代とわたしたちの思考の慣性は時代を区分している。後世の史家が戦国時代の諸侯を平定して徳川幕府を樹立したとき、その時代を生きた人々は、ああ、おれはいま徳川の治世を生きていると思っただろうか。野蛮・未開・原始時代のどの段階をおれは過ごしていると渦中にある者たちは感じただろうか。人類史を操る力の源は同一性であるとわたしは長年、主張してきた。重畳してきた悠遠の暮らしを振り返ると、おおきな自然と生というちいさな自然が相克してきただけだと言える。これまでの人類史を統覚してきた同一性という心身のモナドが生の基盤ごと大転換を起こそうとしている。まさに文明史のシンギュラリティだ。この怒涛の流れのなかで天皇制など同一性というOSの上を走るひとつのアプリにすぎない。すべての遷移が思考の慣性として自然なものとして順接される。変化の過程があまりにも大規模だと変化を変化として認識することができない。それが目の当たりに起こっている。今日(2017年2月10日)、石牟礼道子さんが亡くなったとネットの記事で知った。面識はなかったが彼女の幾冊かの本を読んだことがある。『苦界浄土』のなかの音色のいい言葉をあげてみる。「あねさん、魚は天のくれらすもんでごわす。てんのくれらすもんを、ただで、わが要ると思うしことって、その日を暮らす。これより上の栄華のどこにゆけばあろうかい」(第四章「天の魚」)おお、これは吉本隆明の大衆の原像ではないか。到来する世界システムのなかでは記された漁民のおおらかさがまるごと簒奪されることになる。天然由来の自然が人工的にまるごと置き換えられるということ。それがいま起こっている出来事の核心にある。人びとは生を切り刻まれてもその流転する自然を受容する。生存を貫くこの思考の慣性は、それが生存の条理だとしても過酷である。この意識の全過程を精神のモナドが織りなす外延自然だとわたしは考えてきた。この遷延のどこにも人間の意志は関与できない。

もしここにそれぞれが個別の体験を経て、シモーヌ・ヴェイユの不在の神をじかに知解する者が複数いると考えてみる。そのとき不在の神を知覚する複数の者は、互いにどういう関係をつくるだろうか。この世の似姿を信は表現する。どうであれ神という観念は共同幻想であるから、共同的な信をよりどころにしないで自己の信を語ろうとすれば、内面を空間化しないで信を語るしかない。しかしその信に安息の地はない。個人の信はなぜ共同化されるのか。ヴェイユの胸裏にこの根源的な問いがなんども訪れたはずだ。べつに神や仏ではなく貨幣でもいい。虚構にすぎない観念がなぜ共同主観的な現実となるのか。自己という精神のモナドはもともと共同性と同期するようにできているのではないか。叛逆は内向しない。ただ共同性に同期するだけだ。

吉本隆明はじぶんの思想に自縄呪縛されている。消費社会の興隆をまえにして転向を表明した。じぶんにとって切実なことは世界にとっても切実であるはずだという思想の骨格を変えようとした。貧困や欠如を土台とした思想はスターリニズムであると断言した。この煽りを受けて内田樹は吉本隆明の思想から去る。半分は言いたいことがわかる。「 私自身は高校生のときから大学院生の頃まで吉本隆明の忠実な読者だったが、その後、しだいに疎遠になり、埴谷雄高との『コム・デ・ギャルソン論争』を機に読まなくなった。その消息については別のところに書いたのでもう繰り返さない。たぶんその頃、吉本がそれまで政治評論において切り札として使っていた『大衆』という言葉に不意にリアリティを感じられなくなってしまったからだろうと思う。それは吉本のせいではない。彼がその代弁者を任じていた、貧しくはあるが生活者としての知恵と自己規律を備えていた「大衆」なるものが、バブル経済の予兆の中でしだいに変容し、ついには物欲と自己肥大で膨れあがった奇怪なマッスに変貌してしまったことに私自身がうんざりしたからである。マッスに思想はないし、むろん代弁者も要さない。そんな仕事は電通とマガジンハウスに任せておけばいい。私はそんな尖った気分で吉本の『大衆論』に背を向けてしまった」(「『大衆』の変遷」)とても肉感的で情感がある。吉本隆明の思想を論じながら、思想が期間限定だという考えを述べている。話はここにとどまらない。内田樹は民主主義と天皇制を信奉する「社会」思想の持ち主であり、内田樹から離反された吉本隆明も本質的に「社会」思想を演じている。既知の理念を使い回して社会と語る内田樹的なるものも、市民主義を嫌悪して市民主義の彼岸をめざした吉本隆明的なるものも、意識の外延性にそって世界を語ることしかできなかった。意識としてはまったく同型だと思う。わたしはここに解けない主題を解けない方法で解こうとする矛盾があると考えてきた。それはどういうことか。生を捌く倫理的な言説の宿命がここにある。吉本隆明のつぎの主張を理解できるか。もし理解できる人がいれば説明して欲しい。

もしも党派の理念であるにもかかわらず、党派でない存在のほうが上位にあるんだというふうにかんがえている党派の理念があったとしたら、握手することができるような気がします。そうじゃないかぎり、いくら近くまでいったとしてもどうしても握手することはできないとぼくはおもいます。これはまたおなじで、労働者という概念と一般大衆という概念とがあったばあいに、労働者という概念より一般大衆という概念のほうが上位にあるんだという観点がなかったら、もはやだめな段階にきたとおもうわけです。(『<信>の構造2』)

 なぜ無効なる観念が、逸脱として、いちばん本質的なのかといえば、逸脱でないものと、ハーモニーがあるといいましょうか。ある共鳴性、一致性があるからなんだろうなとはおもいます。ごく自然に知の輪郭と、生活の輪郭とが一致した逸脱のなさと、〈無効性の観念〉とは、そこでなら共鳴を生じるでしょう。

 どうして「理念」ではなくて「普遍化された理念」かといえば、「理念」というとそれがどうであれ、ひとつの限定された党派みたいなものが想定されます。(『ハイ・エディプス論』より)

わたしは吉本隆明のように発想したことがないので、吉本隆明の言うことがまったく理解できない。アラビア文字で書かれたとしか思えない。異なる理念の系としか言いようがない。ここに書かれた吉本隆明の信の表明が「まだ俺は、俺の考え方の底のほうまで理解してくれた人はおらんな、っていうそういう感じがします。それは俺はちょっと自信がありますね」(『浄土からの視線』菅原則生)を意味していることは了解できる。まちがいなく思想はそこを指さしている。吉本隆明と内包論のずれを、吉本さんとの対談に遡って考えてみる。

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PCのなかに埋もれていた吉本さんとの対談のデータを探し出したので、その一部を貼りつける。この対談は森崎の申し出に吉本さんが応じて成り立っている。内包論のモチーフをわたしは述べたが、話は終始まったくすれちがい、接点はなかった。内包は外延と内接するもので、内包は内面を意味していない。当時、吉本さんはイメージ論や母型論やアフリカ的段階について論考を重ねていた。吉本隆明は、社会総体のヴィジョンをつかみそこねたために起こる思考転換のことを転向と定義している。消費社会の全貌をつかもうと全力をあげていた時期だ。9割9分が中流であることが前提とされている。吉本隆明の読みはまったくはずれた。グローバルな先端知と結びついたグローバル経済の浸透とともに超格差社会が到来した。思想家としての命運は尽きたと言ってよい。世界の未知の変貌を察知して吉本隆明は無意識を意識的に表現する方法で思想を拡げようとしてた。自己意識の外延表現を無意識にまで拡張し、時代の変化を迎え撃とうとして、みごとに失速した。同一性という空虚はどれだけ外延しても、空虚である。そのことをわたしは表現概念としての疎外を呼んだ。意識の特異点を解消しないかぎり世界の未知が表現されることはないと考えたからだ。ずいぶんむかしの吉本さんとの対談だが、内包の気圏と吉本さんの思想の方法の違いの端緒がここに示されていると思う。吉本隆明にしてこの程度か、というのが対談後の印象だった。しばらく吉本隆明の言葉の気圏からはなれ内包の気圏を探索した。吉本さんの生きる言語の気圏と内包の言葉の気圏の違いはいまでもなにかであると思っている。

位相の裂け目と内接

森崎 ・・・現在、吉本さんが『マス・イメージ論』や『ハイ・イメージ論』を主要な仕事としてなされてきていまして、それはちゃんと読ましていただいて、ぼくの勝手な読み方だから、わかったとおもうこともあれば、うまく理解がとどかなくてどういうことだろうかとおもうこととか、そういうことはたくさんあるんですけれども、ぼく自身にとっての二度目の知識の解体処理、敗戦処理が、吉本さんがなされてこられたそのお仕事と少しだけ違うところで、ある理念というのが可能ではないかなというふうに、すごく感じるところがあります。
 それはどういうことかといいますと、自己幻想と対幻想と共同幻想があるというときに、自己幻想という位相のなかに、対幻想という位相のなかに、すき間というか、割れ目というか、そういうものがあるような気がぼくの実感としてあります。つまり自己幻想と対幻想という理念を可能にするその位相にすき間があって、そこのところにぼく自身の考えている対の内包像というものが、どうも、あるような気がします。
 対の内包像にふれるというか、さわるというところで可能になってくる〈ある世界〉や、まわりの世界に対する感じ方や考え方が、ひとつあるんじゃないか、そこのところを〈もうひとつの現在〉というところで考えていきたいという、そういうふうにおもっています。それがぼくにとっての二度目の知識の解体処理、敗戦処理であると考えています。

・・・〈私と世界〉という思考の生理がとりうるひとつの〈関係の型〉、あるいは〈理念の型〉というのに対して、違った〈理念の型〉、〈思考の型〉というのが、対の内包像というのを考えた場合に感じられるような気がします。それはほんとうはどういうことなのかということについては、ぼく自身ずっと考えてきて、少しわかった気がしたり、やっぱりわからなくなったりということを繰り返しています。
 こう言ってもいいです。大衆の原像をくり込むというひとつの大きな考え方に対して、ぼくは、対の内包像にふれるというところから広がってくる世界というか、感じられる世界というのがあるような気がします。ただ、そのことがほんとうはどういうことなのかということについて、いろいろ吉本さんと率直にお話してみたいというふうに考えてきました。

吉本 ぼくね、森崎さんの内包表現論を大ざっぱに読ませていただきました。いまおっしゃったところがたいへんに中心になっているとぼくは感じたんですね。もう少しあなたの言い方で書かれている表現の仕方で言うと、私を見ている私という視線を設定するよりも、私に重ねられるあなたという視線の可能性を考えることが、あなたのいう内包表現の中心になるというふうに、あなたは書かれていると理解しました。だけど、内包表現の像とか、対なる内包性ということが、もうひとつ、はっきりしないところがあるから、もう少しそこのところを説明していただくといいのです。
 何を説明していただくかというと、その内包像が、どうして私の方からあなたの方へと視線というか、触手というか、それを伸ばしていくことが重要なのか、あなたの考え方の核になっている、そこのところをもう一押し、はっきりさせてくれるといいなあという感じです。それからもうひとつは、あの、何故そういう設定の仕方をしたのかという、あなたのあなた自身に対するモチーフ、つまりどこからこういうことを考えてきたのか、考えるようになったのかなということを、もうすこしはっきりさせてくれるとわかりいいなあとおもったんです。
 ぼくらが、共同幻想と対幻想と自己幻想というふうに人間の観念の領域を段階づけ致しますね。そうすると段階づけというのは、理念であったり、論理の問題であったりですから、実際の人間の心の働きはそんなにすっきりわかれて出てくるというわけでもないわけです。それからあの段階づけることによって非常にすっきりすること、つまり、たとえば、あの、人間の個が、自分以外のもう一人の個それは、男であろうが女であろうと、もう一人の個っていうのに対するときの、その感じ方と、一人の個が大勢の間でもって持つ関係の仕方というのとは違います。

森崎・・・自分と自分が持つ関係のなかや、おとこ~おんなの関係のなかにも裂け目があって、その裂け目をすーっと流れているものがあるという気がするわけです。それがぼくの性のイメージです。現在という与件がそのことを可能にしつつあるような気がします。

・・・たまたまのきっかけで部落解放運動というのに学生のときにふかく関係しまして、ちょうど連合赤軍がああいうひどい自滅の過程をたどるとのと同じようなことが一年遅れで自分たちの内部でありまして、今もそこはいっぱいひっかかることがあって、言葉にならないことがたくさん自分のなかにあります。
 そこでひっかかったことについてぼくはこういうふうに考えたんです。たとえば、いまいちばん無難な言い方でいいますと、ここに差別があるとして、それに対して、いや差別があってはならないという考え方があるとします。そうすると、ぼくもそういうのはきらいだからいやなんですけども、たとえば、ぼくがイメージする思考の余白というのはこういうことなんです。
 たとえばここに人が一人いて、たくさんの人がその人にひどいことをしているとします。そのときその現場に遭遇したと仮定します。やめろという人もいるでしょうし、遠くからそんなことはよくないという人もいるでしょうし、やめろといってなかに割っていく人もなかにはいるかも知れません。逆にそのひどいことに加わるという人もいるかもしれないけど、そういうひとつの場面に対して、ひとつの考え方は、そういうのは駄目だ、あってはならないというところで、いろんな理念の型っていうのがあったとおもうんです。ぼくは、それは同じ土俵じゃないかっていう気がしまして、自分がやってきたことをずっと考えまして、いやなことがある、ひどいことがあることに対して、そういうことは、そういうことをやっては駄目なんだという考え方は、結局はぼくはそのひどいことに加担することと同じ土俵なんだ、同じ平面だ、追認することにしかならないっていうか、ぼくはそう考えたんです。
 そうではなくて、比喩なんですけども、ほんとにとんでもない比喩なんですけども、そういう、なんか一人の人にたくさんの人がひどいことをしているとして、そういうときにもし、ありうる観念の可能性としてということなんですけども、ある宇宙人が、エイリアンでもいいですが、この現場にいたとします。そのときに、その比喩としてのエイリアンが、そこでやられていることがわからないっていうか、というのはつまり、人が人に対してそういうことをするっていうのは、いけないからやらないっていうんじゃなくて、人が人に対してそういう仕打ちをするということをおもいつかないっていう観念の場所っていうのがもしあるとしたら、ぼくはものすごくひらかれるっていう気がしたわけです。これは思考の余白だとぼくはおもいました。

吉本 なるほど、うん。

森崎  ・・・それは、たとえば、光が波か粒子かということで長い論争があったんですけど、かりに光が波であるとして、光を世界ということにおきかえまして、世界が波であるとするならばというある理念の型、理念の記述っていうのに対して、光、たとえば世界のことですけど、世界は粒子であるということも同時に言えるんじゃないかと感じたというか、考えたんです。
 光が波であろうと、波動方程式として記述されようと、粒子として記述されようと、それは記述の仕方の問題であって、どちらが正しいということではないというのと同じように、波動として世界を記述する仕方もあれば、〈いま・ここ〉というのを過程としないで、何かへの過程としないで、〈成る〉という、そういう世界に対する感応の仕方もありうるだろうという気がぼくはします。じゃそれは世界が波だと記述する理念の型に対して、超越しているのかっていうと、もちろんそれはあり得ないって気がぼくはするんです。そういうことはないと。
 そのことをぼくは〈内接する〉という言葉でいっています。そういう言葉しかぼくはいまおもいつきません。世界を波のように記述するある観念の球体があり、また世界を粒子のように記述する観念の球体というのがあるとすれば、互いが互いに内接しているという、そういう位置関係にあるようなイメージになってくる、そういう感じがあります。だからどちらがいいかわるいかというふうなことではなくて、それは内接しているというか、たぶん内包表現と外延表現は自由に行き来ができるような気がするんです。

表現の根源/大衆の原像と対の内包像

吉本 その内包像は、関係の原像というふうに考えられるという場合、まず対ということが(男と女ということでも、私とあなたでもいいのですが)関係の原像になるひとつの柱だということと、それから、私とあなたとか、男と女などは、つまり対なる関係っていうのは、内包関係にあるんだ。つまり、ある帯の曲面を通ればつながっちゃってるつながり方が私とあなたの関係にも男と女の関係にも内包した関係がそのあいだにある。そのふたつが関係の原像をつくっている柱だ、森崎さんは、そう考えておられるわけですか。
 森崎さんの書かれている内包表現のⅠとⅡというのは、ざっとこういうふうに読んでいって、接触点がかなりはっきり見えるかなあとおもえたのは、森崎さんがフーコーの文章を引用しながら、結局どんな表現像があるとしても、いちばん根本的には、自分の生が作品だというところに帰する。またもっというと、生が芸術作品であるみたいなことはありえないだろうかとフーコーが言っていると、あなたが引用しておられる。そして作品としての生ということを、違う言い方ですけど、ぼくの知ってる詩人文学者でいえば、宮沢賢治がそれに近いことをいっているんですね。・・・

 ・・・ぼくがメモした項目は十一あってそれを森崎さんの内包表現論の内容に十一カ所から立ち入ることができるとおもうんですね。立ち入ったときの手ごたえが、平面像のところで引き返されてしまっているんじゃないかなという印象をうけるんです。それがどこから由来するのか、お話を聞きながら、しきりに考えていました。表現の内包像とか、対なる内包像について森崎さんの声の説明をお聞きしていたんです。うまくここからはいれば入れるはずだということが、つかめてこないんですよ。これは何なんですか、なんに由来するんですかね、ということがあるんですけどね。一から十一まで最初から順繰りにいってみましょうか。
 簡単にいいまして、森崎さんが関係の原像というのを、ほぼ対なる内包像というのと、同じ意味あいに使っておられるとおもうんですけど、それはいいですか。その通りでございましょうか。
森崎 はい。最初、関係の原像という言葉でいってみたんですけども、そうすると、どうしても大衆の原像というのが吉本さんの言葉でもともとありますので、大衆の原像の大衆のところだけ変えて関係の原像というふうにしたみたいで、なんか言葉をまねているようでオーバーラップするということがありまして、あの、それがひとつありました。
 言いたいことってのは、関係の原像というのは、対の内包性という言い方のほうが、いまはずっとぴったりきて、関係の原像ということを、はじめ言葉としてはいってみたんですけども、関係の原像というのは、はじめそう使った、たしかにいいはじめたんですけど、対の内包性、対の内包像というのが、やはり、自分がいいたいことのなかではずれがないなという気がします。
吉本 なるほど。それは森崎さんの内包表現言論の根本になっている、なんかコンセプションといいますか、つまり根本になっている観念なんだ。
森崎 はい。
吉本 ぼくは、もう一度追認してみますが、対の内包像ということは、ひとつは対っていうことがあって、対っていうのは、要するに、男と女ということであっても、私とあなたということであってもよろしいわけですね。つまり、私の私だということではなくて、私とあなたとか、男と女とかいうのが根底なんだ、という理解ですか。
森崎 ひろげれば、べつに男と女というふうに限定しなくてもいいのかも知れませんけども、実感的なものとしていま自分が感じられるのは、対っていうふうにいっているときは、男と女というふうにつかっています。
吉本 それでもうひとつ、内包像っていう言葉があるわけです。ぼくなりの理解をいってみますが、それはあなたの言葉でいいますと、男がここにいて、その対象に女がいてということじゃなくて、男と女との間に、いわば、メビウスの帯みたいに、辿って行けばすっと、よじれながらそちらに通路がちゃんとできてしまうというような関係、人間関係というような、そういうものを内包像といっている。男と女の関係は一種の内包像だと森崎さんは言ってる。そういうふうに理解してよろしいですか。
森崎 はい、いま吉本さんが言われましたように、ぼくは対の内包像というのを感じています。
吉本 関係の原像でもありますし、また表現の領域の問題ということにもなってくる。行為とか表現とか、そういうものの一番根本にある核みたいなものも、その対の内包表現みたいなものが根底にあるんだという考え方になりますか。
森崎 もうすこしそこを言っていただけますか。
吉本 ぼくは自分が大衆の原像という言い方をしたときに、自分なりの言葉づかいでいったんですが、フーコーは、平民みたいな言葉でおなじようなことを云っていたんです。平民なんてものは、ほんとうは具体的にいるわけじゃないんだけど、なんとなく理念的なこと、あるいは表現的なこと、あるいは行為的なことを考えるとき、どこかに平民的なものみたいなものを設定することがとても重要なことなんだみたいなことを言っているのを読みました。これはぼくが大衆の原像ということをいったのとよく似ているなあとおもったんですね。
 これはぼくの観念になりますけど、大衆の原像という観念は、もし具体的な現れ方をするならば、知識というものと矛盾して、あるいは背反してあらわれる、必ずそういうように現れるだろうなあということになってしまいます。
 あなたが、この対の内包像というようなことを基本にすえて、表現行為、あるいは人間と人間の関係の仕方の原型を描いたときにね、どういうふうに現れると考えたらいいのかなとおもうのですが、そういうことはどうでしょうか。

森崎 ・・・いま吉本さんは大衆の原像という観念が具体的にあらわれるときそれは、知識や知的なものと矛盾というか背反してでてくるものだと言われました。ながいあいだぼくはこのことについて考えました。吉本さんが言われることはよくわかるんです。吉本さんが言われたことは非知と知のあいだの超えがたい矛盾・対立・背反と読みかえることもできるとおもいます。そしてこの矛盾や軋みや背反を解消しようとする観念の作用が疎外という表現概念だとおもいます。ぼくはこの表現概念はいわば一種の意識の呼吸法だとおもいました。
 この意識の生理で〈いま・ここ〉を生きるとき、〈いま・ここ〉はいやおうなく特異点を生じるようにぼくにはおもえました。自分の自身にたいする関係でも、男女の対の関係でも、もっとひろげていえば、世界や歴史にもしこりのような特異点がつくられるように感じられたのです。〈いま・ここ〉は繰り延べられ、その軋みがまた軋みの解消へむかう衝動を内在するというぐあいにこの観念の運動は際限なくつづきます。それが疎外論の所以のようにおもいます。ぼくはこの観念の運動を自己意識の外延表現とよんできました。
 この非知と知のあいだの超えがたい溝が、大衆の原像とそれをくりこむ知という観念の型でうまることはないようにぼくにはおもえました。もっと実感にそっていえば、この思考の型が窮屈に感じられたのです。ながいあいだこの思考の型をひらくことができないかぼくは考えました。そしてそれができると、あるときふっと気がついたのです。それを可能にするのが対の内包像という観念でした。表現概念としての疎外論が拡張される、ひらかれる、そうぼくはおもいました。でも、ここを言葉でいうのはとてもむつかしいです。それはちょうど鍼のひびきを言葉であらわすことのあらわしがたさによく似ているような気がします。この感じは音のなかに自分が熔けるというか、自分が音のなかにひろがり、音と音を聴いている自分との境界が熔けてなくなるという感じによく似ています。マリアンヌ・フェイスフルの「音楽がまずあって、それとは別に私がいるという感じではない」という言葉にであったとき、あー、これだとおもったのです。つまり、そのとき、ぼくはそこにいるのであって、それを視ているのではないのです。・・・

吉本 うーん、あのう、ちょっとまたほかの表現でいってみましょうか。つまりこうでしょうか。ここの表現でいいますと、自分をまた見ることができる自分とか、自分のやっている行為やら表現とかを同時にみている視線みたいな、そういう言い方をすると、どういったらいいんでしょう、森崎さんが、なんとなく、一種の自己同一権力、つまり自分が自分であるということ、あるいはそう考えること自体がひとつの自己同一権力ということになる。 そういった堅苦しさというんでしょうか、ゆとりのなさというのか、余白のなさというか、そういうことがそぐわない感じがするっていうことが、根本にあるわけでしょうか。そこで対なる内包像みたいな考え方が出てきたという面もあるわけでしょうか。つまり、何を森崎さんは求めているわけでしょうか。ご自分自身に対してでも、人間と人間に対してでも、あるいはもっともっと外側に、これは森崎さんが、内包表現論というときには、かっこにいれてしまっていることかもしれないけど、人間社会とか人間の制度とか、そういうものに対して、柔らかさとか優しさとかほんとうは言葉にはできないんですけど、雰囲気とか空気とかいうものとしてある、あなたの言葉でいうと、内包しあっている粒子とか、内包しあっている波動が根本にないと豊かさというものは保ちえない。それはモチーフのなかにはいっているんでしょうか、あるいはそれはあまり関係ないんでしょうか。
森崎 はい、ぼくのモチーフのなかには今吉本さんが言われたことがおおきく関係しています。それがいちばんおおきいです。その実感のほうがずっとつよくあって、言葉がやっとあとからついてきているという感じです。もう二十年近くまえのことですが、ぼくがふかく関与した部落解放運動の内部でとてもきついことがあって、どうしてもそのことにたいして自分の態度を表明するしかなかったとき、このことを認めたら俺は俺でなくなる、たとえそのことがどんな事態を招くとしても俺はここをゆずれないということがあって、ぼくは自分を表現しました。そのときぼくは空の色も空気のにおいもそれまでとまったくちがって感じました。それは言葉にとおいとても強烈で鮮やかな体験でした。
 いまぼくが内包表現や対の内包像というとき、あのとき体験したことにとても近い感じがあります。ぼくが対の内包像にふれることでながれる生のふくらみということをいうとき、それは端的にいえばぼくの理解する大衆の原像をくりこむということで繋けられる生のふくらみと、些細なことかもしれないけど、ぼくにとってはおおきなちがいがあります。この実感はどうすることもできません。
 だから、いま吉本さんが言われたことと、すごく関係しています。しかしなんていいますか、そのことをある一種の境地というか、そういうことにしてしまうと、なんか全然違うなということも同時にあります。あとのことについて言えば、内包表現というのを考えているときぼくは決して社会や世界や歴史っていうイメージをかっこに入れてるということはまるでないんです。
吉本 ないのですか。
森崎 そこに行きたいという気は強烈にあります、そこまで考えてみたいということは。
でもこういうことはやりたくないということはあります。どういうことかといいますと、ぼくの内包表現という考え方が外延表現に内接しているからといって、社会や制度に対する考察を、先験的なものとして設定しようとはおもっていません。ここはぼくの内包表現という考え方にとって、とても重要なこととおもいます。対の内包像にふれ、生き、呼吸することが社会や制度に対する考察をおのずと、自然なあるひろがりとして、結果としてもったということになるのが無理がないと、ぼくはおもいます。社会や制度にたいする考察が、無理なくながれるように出てくればいいなと、ぼくは考えています。

現在/〈未知〉と〈過ぎぬこと〉

吉本・・・たとえば、もし石原さんの収容所体験が、ぎゅうの目に合わされたことの連続だとしたらば、なぜこうなっていくと、外界というものは失われてしまうかね。外界に対して反逆心、反抗心っていうものは、少なくとも薄っぺらなものとしてすっ飛んでしまうもんだということについての、認識なり、感覚なりというものが、詩なりその文章なりの、どっかにあっていいはずじゃないかというふうにおもえて、そこがぼくは不満だったんですね。
森崎 はい、はい、よくわかります。
吉本 そうすると芹沢さんが書いたときは、石原さんはもう死んじゃってたのかどうかしらないけど、ぼくがそれを発言したときは生きているときです。ものすごくあの人は、反感を持ってたんですよね。詩のおしゃべりに行ったとき一緒になったことがあって、ここにいたって口なんかきかないわけです。そっぽを向いてものすごく反感を持っていたんですね。その反感は、たぶんぼくがそういうふうなことを書いたからだとおもいます。そのときに、おまえがどうしてわかるもんか、この体験がわかるかみたいなことがあるから、そこの問題は、ぼくはあるようにおもうんです。
 ぼくは、あなたの内包表現論のなかで出てくる石原さんの見方、扱い方をみてると、やっぱりあなたは外界を失っているところにとても惹かれているんだなと受けとれました。
 つまり、なぜ外がなくなってしまうかということですね。それにどれだけの根拠があるかっていうことがあるわけです。石原さんには石原さんの深い根拠があってということがあるわけでしょうし、晩年の、ほとんどアル中に近い状態でもって亡くなっていくわけだから。きっとシベリアの抑留体験の問題を生涯、内面から払底することはなかったんだ。あの、ちゃんと内へ繰り込んで繰り込んでというふうにあったんだとおもいますけどね。
 だからそこのところに対して、石原さんがとことんまで表現したか、少なくとも、客観的に、石原さんは、ぼくたち読者が読んでわかるとこまで表現してくれたかというと、それは違うようにおもいます。抱いたまま表現にならないで、そのまんま、自分のなかではちゃんとイメージもあるんだけど、表現にはならないでという部分を、ちゃんと抱き込んで亡くなったというふうにぼくにはおもえますけどね。そこのところがとても気にかかるところです。 小山俊一の隠遁、つまり政治運動とか、政治思想とかそういうのを、いっさい、すっぱりと削り落としてしまって、生き方自体、外界を削り落としていく、生き方に生活自体もどんどんあわせていってというのが小山さんのやってきた生き方だとおもうんですよ。そうすると、ぼくはその外界の失い方っていうのは、シベリア、強制所の抑留体験というのがどうすることもできない、あなたの言葉でいうと外延の権力だとすれば、小山さんが、その権力というのを、核戦争は必須であるとして、必ず起こるっていいますか、それを一種の外延的な権力に見立てて、自分をどんどん外界からそぎ落としていくというようなやり方は、よく似ているようにおもえるんですよ。・・・
あなたの内包表現論ていうのはね、石原さんや小山さんの論じ方を見ながら、外界の削ぎおとし方ということが、ほんとうに、根底にある、あなたの、どういったらいいでしょうか、たましいのモチーフといいましょうか、そうなんかな、そうじゃないのかなというというふうに、受け取った部分があるんですね。そこの問題はどうでしょうかね。
森崎 はい、そこは言いたいことがいっぱいあります。そういうふうに吉本さんが読まれるだろうなあとおもっていました。ぼくはそれは、いままで書いた内包表現論として書いたことでは、ぼくはそういう読み方もあるということはよくわかるんです。そうだろうなあというか、ただ、先ほどもいったんですけど、じゃそのことが外界とどう関係づけられるのか、そこをいわないかぎりだめなんだというのは、ぼくのなかでは強烈にあるんです。そこを諦めているとか、断念しているとかいうのはまったくないわけです。

『密室』の核心について

森崎 ・・・BBC放送が特集したベトナム戦争の映像で、米軍が、ある村、たしか「ミライ村」にたいして、ベトナム戦争のときに、この村の中のものをみんな殺せっていう命令を出した、と。そうすると、兵隊がいるわけですから、命令が下って実行するときに、「男も女も、子供もですか」って兵隊がいったら、「男も女も、子供もだ」「犬も猫もだ、動いているものは全て殺せ」っていったと。そのとき、ある兵隊は、俺はいやだってはっきり言った、と。その場で、いやだと。軍法会議にかけ、処刑するっていうことになっても俺はいやだって、いやなものはいやだっていうことで拒否した人がいる、と。その人以外は全部殺ったと。
 二十年後に廃人みたいになってぼんやりして生きている人に、記者がたぶんインタビューしたとおもうんですけども、「殺したんですか」というと、「殺した」と。で、「一人殺したら後は戦闘マシーンで何人でもみんな殺してしまった」と証言した人が、その殺した村の写真というのをずっと持ってて、記者がそれを広げて、誰を殺したのかと聞くと、腹をえぐられたお母さんとそのちいさな子供をゆびさして、「俺がたしかに殺した」と。「あなたは何故この写真を持っているのか」と記者が聞いたときに、ながい沈黙があって、「これがぼくの人生だ」っていったというんです。
 ぼくは映像は見てないんですけども、すごくそれは、ぼくはなにか感じるものがあって、そのとき、廃人のようになってる、もと軍人ていうか、兵隊さんが、全然泣かないで、こう、涙がスッと流れたっていうこと、それがすごく印象的だったという話をきいて、ぼくも、印象にそのことは残ったんです。そうするとそれは、ぼくは過ぎる時代の過ぎぬことだっていう気がするんです、そのことは。時代は過ぎるけども、過ぎないっていうか。そのときに言葉がどう振る舞えるかっていうとき、ぼくは過ぎぬ時代の過ぎぬことにとどく言葉っていうのが、外界も内在も同時に扱いながらとどく言葉っていうのが、あるような気がするし、あるとおもいたいなあというのがあるんです。

・・・思わずその引金を引いた人が、戦闘マシーンになって、二十年後には廃人になっていると、ぼんやりして生きてると。で、殺したそのことが俺の人生だといって、それは閉じてるとおもいます。別に表現者ということではないですけども。
 でもぼくはそこを生きる言葉っていうのがあるとおもいたいっていうのがあります。ないといったら、ぼくはなんかやっぱり寂しいっていうか、ないかもしれないけど、あるとおもいたいです。そこまで行けるかどうかはわからないですけども、そこはゆっくりじっくり考えてみるしかないなあおもいます。少しずつしか行かないなあっていう気がします
  やっぱり、あることを見てしまったとおもった人にとって、そこをひらくっていうのは、ぼくはものすごく難しいことのような気がします。おもっている以上に難しいというか、でもぼくはそこをやってみたいなあっていうのは、あります。
吉本 いや、森崎さんの内包表現論に対して読みながら感じたことのずれがだんだん少なくなっていくんですが、もうひとつ感じたことがあるんです。
 それは今のこととも関係があるとおもうんですが、こういうことはないですか。『密室』なら『密室』を、ぼくも一度だけですけども、ざっと読んだ記憶があるんです。ぼくは感じたことは、ちょっと違うことなんですね。森崎さんがいま、これはひとつの解釈なんだ、解釈に過ぎないんだといわれたわけですけどね。森崎さんがいうときに、解釈じゃだめなんだということが含まれるわけですね。そこが最後に引っかかるところ、ぼくが違うなとおもう最後はそこなんです。解釈でもいいんじゃないですか、ぼくだったらそうおもいます。つまり解釈は、たくさんの解釈があり、いい解釈、悪い解釈、薄っぺらな解釈、かなりよく分析された解釈とかね、さまざまあるわけだけども、それはいいんじゃないか、ぼくはそうおもったんです。
 宮崎勤っていう人もそうですが、あれは両方とも一世代じゃ、いくら解釈しても、分析しても、だめなんじゃないのかなというのがぼくの理解の仕方です。つまり、解釈としてこれ言ってみれば、宮崎勤の母親なり、女子高生を監禁して、みんなで強姦しちゃって、そしてその挙げ句コンクリ詰めにしちゃった子供たちの母親なり父親なりというのから一緒に分析しなければ、解釈にはならんよとおもったんです。それが感想なんです。

表現の〈中性地帯〉と広がりをもつ〈点〉

吉本 ・・・森崎さんの書かれた内包表現論のなかで、これはまた、もっといえば、小山俊一でも、内村剛介でも、石原吉郎でもいいんですけど、この人たちは解釈なんてのは駄目なんだ、中性的なものはだめなんだ、心のなかではおもっているに違いないってすぐわかるわけですね。そういうところは、ぼくは不満でありますね。森崎さんの言われた内包表現論のなかでも、中性的なものは肯定的のなかに入れたほうがいいんじゃないかなという理解の仕方をしてますけどね。
森崎 ちょっといわせてもらっていいですか。
吉本 ああ、どうぞ。
森崎 あの、そのこともいつもよく考えることなんですけど、こういうふうにおもうんです。吉本さんが、今言われた中性地帯、あるいは中性的なものからすこし離れて、ちょっと話は飛ぶんですけど、以前、三上さんと、中上さんと、吉本さんで話されて、『すばる』という雑誌に載ったとおもうんです。
 そのなかで吉本さんが三上さんに対して、理念としての大衆っていうのをつくれれば、正確な言葉じゃないですけど、あとは現実の大衆としてふるまえばいいんだといわれた箇所があったとおもうんですけど。ぼくはあれはすごく奇異な気がして、キョトンという感じでした。どういうことかと言いますと、たぶんこれは、今日ぼくはお話をお聞きしてよかったなとおもうことのひとつになるんですけども、いま吉本さんが言われている、ある中性地帯として肯定したほうがいいんだといわれるそういう感覚っていうのを、ぼくの年っていうのはつくれないっていうのがあるような気がするんです、そのことを。
 どういうことかといいますと、理念として大衆像っていうのをつくって、あとは現実の大衆として振る舞えばいいというときに、もうすでに振る舞っているというのが先にあって、あるかないかということよりも、もう消費社会の欲望にズブズブ入ったところで、いいも悪いも、現に、もうそう振る舞いすぎるほどに振る舞っているときに、ぼくはそれは違いとしてあるような気がするんです、どうしても。いいとか悪いということではなくて、そういう領域っていうのをつくれっていうふうにいわれると、感覚的につくれないっていうか、これはものすごく普通の感覚のような気がするんです。あの、とてもそれはもう難しいっていうか、幽霊みたいな気がしてくるというのがあるわけです。
 ここはほんと、吉本さんとお話したいっていうことのなかのひとつにもなるんですけど、それをぼくとおなじくらいの人がもし、吉本さんと同じ思考の型でいってるとしたら、すごいぼくはヌエだっていう気に、ぼくは逆になるんです。そういう場所っていうのは、たぶんもうつくりようがない、どんなにしても、実感として、いいとか悪いとかじゃなくて、ないんです、そのことは。もうほんとにそう、振る舞っているというか。
 だから、解釈よりも生きられる言葉の方がいいとぼくがいうときに、それだってもう、ぼくがそうおもっているっていう解釈にすぎないっていう、なんかそのことはもう自動的に判っている、やっぱり、それが自分の身になじむかどうかだけのような気がするわけです。ぼくが今言ったそういう在り方が、逆説的に領域の思想をあらわしていることになっているとおもうんです。自分の身になじむ感性を言葉を生きるとき、それもひとつの解釈なんですが、そういう存在の仕方が思想の領域性によって支えられているんだとおもいます。そしてそのことは理念ではなくもう生きられていることだとおもいます。それは自動的にそうなっているとおもいます。ここはとても強調したいとおもいます。
 中性の領域っていうか、それを認めたほうがいいって吉本さんが言われるのは、ぼくはこんな気がするんです。ほんとうに正直に申し上げるんですけど、吉本さん、対象をこう見られているような気がするんです(といって、森崎が一本のボールペンを目のまえに、両眼に平行におく)。ぼくはこれを、こっちから(といって、目のまえに両眼に平行におかれたボールペンを横からのぞく)みる見方というのがあるような気がするのです。そうするとこの領域っていうのは、こっちからみたら点だけれども、あるいは観念の楕円体でもいいんですけども、それはたしかに点だけれども、その点がそのままに領域だという、そういう感じかたが内包表現ではどうもできそうな気がするわけです。
 同じものを見ているんですけど、こちらから見るか(ボールペンを線分のようにみる・・・森崎注)、こちらからこう見るか(おなじボールペンを横から点のようにみる・・・森崎注)だけの違いじゃないかなあっておもうんです。

吉本 ・・・つまり、帰りがけの視線といいますか視野からみた大衆というのが理念になるっていうことは、もう、これからもし歴史に課題があるとすれば、それしかないとぼくにはそう思えますけどね。それが誰もできてないんだよということで、それだけしか歴史のなかに残ってないんだということです。少なくとも、人類の現在の世界の歴史の一番先端の部分で捉えるとすれば、もうそれしかどこにも残っていない。もうそれがいらないんならば、別に歴史はいらないし、社会もいらないし、社会が変わることもいらないし、何にもいらない。
 なぜなら既にもう大衆は、日本を例に取れば、七割八割が私たちは中流だと思ってそう言っているから。中流っていうのは何もする必要がないんだよおれは、もうこれでいいんだよということです。あと上流になるっていうのがあるかもしれないけど、もう一通りやることはないんだよって、もうちゃんとおもっているわけだから、大衆自身が。ずぶずぶの大衆はそうおもっているんだから。
 だけど、どう考えてもそれが歴史の最後だとかいうふうにはとてもおもえないわけです。だから、唯一課題があるとすれば、大衆っていうのをむこうから、帰りがけの視線でみて、理念としてちゃんと取り出せて、あなたの内包表現論じゃないけど、それに近いところから少しずつこの理念がやれてくるっていいますかね。大衆っていう理念が実現されていくっていうことです。ぼくにはそう思えるわけです。

二度目の知の解体処理をめぐって

吉本 ・・・森崎さんがいま言われている内包表現論の場合にも、そういう実感はきっとあったんじゃないかとおもうんですけどね。つまりマルクスの方法じゃなくて、マルクスがいま生きてたら、どういうことをやるかな、どういうことを考えるかなみたいなことを、自分なりにおよばずながら考える発想をとるべきじゃないかって考えたと思います。
 マルクスの方法を身につけた部分があって、これで解析していけばつかまえられるというふうにはとてもおもえなくなって、ちょっと考え方を変えて、マルクスがいまいたとしたらば、あるいは、もし水平線の向こう側にあるものを見たとしたら、どう考えるだろうなあと、何を考えるだろうとか、どういう分析の仕方をするだろう、というふうなことに発想を大転換したようにおもうんです。そして、俺はそんなに、能力があるわけではないから、そのとおりにはできないとしても、及ばずながら、いま生きてたらどう考えるかなというところから考えなくちゃいけない。
 最初に、『マス・イメージ論』にとっかかったときに、結局、ぼくは、『マス・イメージ論』というのは、そういうふうに言ったこともありますけど、『共同幻想論』の現代版だと自分のなかでは位置づけました。『共同幻想論』ていうのは、過去を踏台にして、自分の考えを作り上げていったというものですけど、これはいっさい過去を踏台にするってことをやめて、現在目の前に展開していることだけを素材として、『共同幻想論』と同じ方法といいましょうか、これを使ったらどういうことになるのか、何が見えてくるんだということをやろうみたいにおもって、それから場所の大転換をしたと思います。
 そして場所の大転換と一緒に、たぶんイデーの、理念の大転換というのをしたとおもいます。それはやっぱり、知識人と大衆とかっていう、そういう言い方をすれば、なんていいますか、徹頭徹尾、大衆っていう基盤を、まず基にしようじゃないか、つまりじぶんの発想の基にしようじゃないか、つまり、これは森崎さんの引用しておられる、大衆の原像っていう場合には、イデー、理念としての大衆のイメージですから、実際に大衆がそうであるかどうかということとは、あまりかかわりなく、イメージの原像っていうのはつくってきたわけですけども、そうではなくて、実際問題として、大衆という理念っていうのを、まず自分の理念の重さとして、そこに重さをかけてしまおうじゃないかというふうに転換したと思います。理念もそこで転換をしたとおもいます。
 つまり、それ以外のものは、発想はあまり意味がないっていうふうに考えて、やっぱり具体的な大衆っていうものを基盤にして、『共同幻想論』でやったと同じ考え方をやろうというふうに考えて、それが、たぶん『ハイ・イメージ論』の基礎にあります。
 そしたら、自分の実感ですけども見えてきたことがあって、それはマルクスの方法を使って見えてた現実社会、あるいは国家というのを考えるとすれば、それとは全然ちがう社会のイメージが見えてきたということだとおもいます。
 つまり、大衆っていうイメージを基盤にして、社会、今の社会を見るという見方をしてったらば、たいへん、イメージが、まるでちがうよというふうに見えてきて、たぶんそれからの強調の仕方、つまり点の打ち方っていうのは、そこに重点、何がゆえにどうして、社会の全体のイメージとか、ヴィジョンていうようなものが、これだけ誤差を生じてきちゃっていたのかということにたいへん重点をおくっていう、置き方をやったとおもいます。・・・

森崎 いま吉本さんが言われました、マルクスがいま生きてたら、どう感じ振る舞っただろうか、考えただろうかということに比喩して言いますと、ぼくにとっては、やっぱり吉本さんがやられてきたお仕事っていうのを、今のぼくがどういうふうに感じ、どう考えるとかいうこととおなじことになるとおもうんです。とても言うのは恥ずかしいですし、何がおまえにできてるかというと、入り口もまだできてないというだけですけど、ぼくは、〈わたしと世界〉という理念の型、思考の型みたいなものが、吉本さんの思想も理念の型あるいは意識の呼吸法でいえばそのなかにふくまれるようにおもえてならないのですが、対の内包像というところから転換できるなあというふうに感じたということが、ぼくのなかにはあるわけです。あ、ここは自分にとっては生きられるなあ、呼吸できるなあと感じたということがあります。そこから世界や現在やひとびとっていうのがどう感じられるか、考えられるかということが、ぼく自身が今からやっていきたい内包表現論ということになります。それはどこまでやれるかということは、わからないんですけども、それがぼく自身にとってのひとつの世界イメージ、世界構想ということになるようにおもいます。
 これまでの吉本さんのお話をお聞きしてしていて、吉本さんは外界を削ぎ落とすということと、内包表現をたましいのモチーフとすること、そのふたつを重ねてみておられるように感じたんですが、ぼくが内包表現というとき、それは自然が内包化された第二次の自然表現ということをさしているのであって、それ自体が構造をもつのだから、外界にたいする内面ということはすこしも意味していません。大衆の原像にたいするくりこみの視線、あるいは、そこでとられる〈私と世界〉という自己意識の外延性やその理念の型をぼくは外延表現というわけです。
 ぼくは対の内包像にふれることでなされる意識の呼吸法の転換からひろがってくる世界を内包表現とよんでいます。外延表現と内包表現は互いが互いに内接するのであって、どこにも外と内を意味するところはありません。端的にいえば内包表現は、むしろ意識の呼吸法の転換をさしていますし、対の内包像にふれることで、ぼくのいう外延表現は内包表現に褶曲され包まれるのです。
 そういう意味では、このお話のはじめのほうで、吉本さんがぼくの内包表現論をさして、手触りが希薄で凹凸がなく平板だと言われたことは、ぼくはその逆のことを感じるんですが、吉本さんからはそうみえるだろうなとおもうんです。そうしか感じられないだろうとおもいます。そのことはしっくりこないといえばしっくりこないんですが、ぼくが自身の考察をすすめればいいことで、いまのところそれはそれでいいんじゃないかと考えています。
 ぼくは吉本さんの思考の生理とことなった意識の呼吸法が可能なような気がするのです。ぼくにとっての二度目の知の解体処理とは、内包表現のことをさしています。かつて、大衆の原像をくりこむということで転換された世界を第一番目の知の解体処理の時期というならば、それはぼくにとってちょうど全共闘や部落解放運動からのひとりの悪戦の時期になるんですが、対の内包像にふれることで反転する世界のひろがりが、ぼくにとっての二番目の知の解体処理にあたるような気がします。そして、そこがぼくにとって生きられる世界の場所であることだけはあきらかです。この感覚はぼくにとってリアルです。かりにもし是非があるとしても、そのことの当否はまだまだずっとずっと先のことのようにぼくはおもいます。・・・

吉本 ・・・またひとしきり何かが、あなたも何かが、手ごたえが進んでいき、ぼくも、まだこれからやりますから、それが進んでいって、あれができたときに、またね、お話したらいいとおもうんですけど。ぼくは、なんか、今日ちょっとはじめのころは、なかなかあなたのモチーフがわかんないなあということもありましたが、後半のところではたいへんはっきりして、わかってきて、あ、これはよかったなあとおもっていますけどね。だからまた、ひとしきりお互いに考え方が進み、仕事が一段落ついたときに、またやれたらいいとおもいますが。(『パラダイスへの道90』所収「対幻想の現在~疎外論の根源」吉本隆明vs森崎茂 1990年)

吉本さんとの対談をふりかえると、表現概念としての疎外論が内面にも外界にも適用され、そこにあらわれる表現概念の特異点を無限に外延して未知の世界を読み解こうとする赫々とした意志論があることが理解できる。自己意識の始まりの不明をどれだけ外延しても、始まりの不明がきりなく順延されるだけで空虚を手にするだけである。おそらくそのことを承知で吉本さんは、イメージ論や母系論やアフリカ的段階についての考察をすすめていたと思う。ヘーゲルもマルクスの思想も緻密化され、精密に考究されるごとに虚しさが増していく。そういう局面にいつも吉本さんは遭遇していた。事実おおくの恩恵を吉本さんの思想から被った。もし吉本さんの思想と出会うことがなかったら、わたしはわたしの孤絶をまっとうできなかったと思う。吉本さんは吉本さんの道を歩み切り浄土に旅立った。わたしはわたしの歩く浄土を生き切りたいと思う。なかなかマチウ書試論の再考に入らないが、吉本隆明の宗教論がそのなかにいてそこを生きるのではなく、信を外側から観察していることに異論があり、信という共同幻想はそのなかにいてその信を解体するほかに解体できないという信をわたしは語りたい。この信は内面化も共同化もできない信である。わたしはこの信のなかに世界の未知があると思っている。(この稿つづく)

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