日々愚案

歩く浄土10

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 晩年の吉本隆明の言語論が「芸術言語論」としてまとめられています。『日本語のゆくえ』です。2008年の刊行。そのなかで、若手詩人の詩をまとめて30冊くらい読んだといっています。吉本さんの批評が強い印象として残りました。『言語にとって美とはなにか』で表明された人間にとっての意識の表出の場面と、若い詩人について吉本さんが言うところの「『無』に塗りつぶされた詩」がぐるっとつながったのです。原初の人がなにか意識のさわりを覚え、その意識のさわりを発出する場面と、若い詩人の「無」が円環しているといってもよいのです。

 わたしは自己を実有の根拠にするかぎりそうなるのは必然だとむかしから考えてきました。またそれが現在であると思っています。いまという刹那しかないのです。時間の表現意識が世界によって収奪され、時間は過去へも、現代以降にも延伸されることがなく、またその必然もない、というのが現代の現在性だと思っています。つまり表現したいものはなにもないのです。あるのは刹那のいまで乱舞することだけです。そこにはどんな世界構想もありません。意識の象りかたそのものの必然であるようにわたしは思います。
 そのあたりに触れたの吉本さんの講演を引用します。

 若い詩人たちの詩をまとめて読んでみて、そういうことにはちよっと驚かされました。もう少し「脱出口」みたいなものがあるのかと思っていたけど、それがないことがわかりました。つまり、これから先自分はどういうふうに詩を書いていけるかという、そういう考えが出ているかというと、それはもう全然何もない。やっぱり「無」だなと思うしかないわけです。
 いってみれば、「過去」もない、「未来」もない。では「現在」があるかというと、その現在も何といっていいか見当もつかない「無」なのです。
 個々の詩人はまだ二十代、三十代の人ですから、これからどうなっていくか、そういうことはこれから書いていくあいだにじょじょにそれぞれの道を見つけていくわけでしょうけれども、神話として何かを考えたり、神話に必要な歌謡として考えたりしたとき、いまの二十代、三十代の人の詩にはそういう要素はまずひとつもありません。ぼくはそういうふうに理解しました。
 その点はとてもはっきりしていて、いっそ見事なもんだなと思えるほど、はっきりしています。詩を言葉で表現するという意味合いにおいても、社会がどうなっていくか、あるいはどうなっていけばいいのかという問題においても、まったく「無」に等しい状態になっている。これがいまの二十代、三十代の人の詩を読んだときの全体的な印象です。
 これは、いろいろな意味で大きな問題だと思います。
 大きな問題だなと思ったのは、あまりにも例外なしに「無」だという感じが残ったからです。短時日のうちに何十冊もの詩集を読んだということも関係があると思いますが、しかし傾向として、これだけ全部が全部「無」だということは、これはやっぱり相当重要なことだぞという感じをぼくは新たにもちました。
 神話が必要な人物あるいは勢力というのは、過去に栄光があったとか、これから栄光ある場を築いていくんだという、どちらかの予想があることが特徴だと思いますけど、そういう人物あるいは勢力も想定されないし、さればといって、この詩は未来ないし過去の栄光を象徴している詩として神話に使えるという、そういう詩もない。これはたいへんな状態だねといえば、もうたいへん重要な状態だと思います。
 日本の近代詩の歴史のなかでも、ここまでのことはあまりなかったということを考えますと、やはり新しい時代なんだろうなというふうに感じました。
二十代、三十代の人がこれからも詩を書きつづけていって、それぞれ個々に自分なりの「脱出口」を探していくのだろうということはたやすく想定できるわけですけれど、では「無」ではないどこへ行くのかということについては、言うべき材料になるようなことは何も見当らない。まったく塗りつぶされたような「無」だ。何もない、というのが特徴であって、これはかなり重要な特徴だと思いました。
 そんなことまでは想定していなかったから、ぼくはちよっと驚きました。いまの若い詩人たちは、つまらない党派性みたいなものに支配される傾向がなくて、ああ、めでたいことだなと、それくらいに軽く考えていたわけですが、この軽さというか無さというか、何も無さというのはたいへん重要なことだと思います。今度まとめて若い人たちの詩を読んでみて、少し理解の仕方が変りました。
 結論めいたことをいえば、神話としての現代詩、あるいは神話としての若い人たちの詩ということを考えることはまず不可能だ、そんなことは考えられないぞと思いました。だいたい「無」だよ、ここには何もないよ、というのは何かの兆候だと思いますけれど、そういう兆候だけは非常にはっきりとうかがえた。そういう意味では、これはとても重要な兆候なんだなというふうに解釈しています。(206~208p)

 ああこの気づきを『マス・イメージ論』や『ハイ・イメージ論』のとき1に繰りこんでいて欲しかったなと、読んでいて思いました。1980年代の明るい闇を吉本さんは俯瞰していました。そのなかに身をおいて生きることもそのことを考察することもありませんでした。言葉と絵を混交したマンガが興隆したのはゆえありです。おもしろいマンガはたくさんありました。好きなロックも山ほど。言葉は意味をつくれなくなっていたのでした。吉本さんは意識のかぎりのなさを内包のきりのなさからの1への写像と考えることはなかったのです。。

 父を見送ったあとに、生前父がお世話になった方へのお礼として、一文を書き、お送りしました。

父の死

 平成二十三年六月二十九日、払暁、父が永眠しました。九十歳でした。若者の誰もが二十歳で生涯を閉じると思い決めた世代です。長い戦後をよく生き抜いたと思います。遺品を整理しているとき、昔、県教委に突きつけた建白書の軍歴に、母艦龍鳳特攻要員とあるのを発見して名状しがたい感情を持ちました。激しい気性と癖のある個性で時代に直球を投げ続けた無比の剛胆な行動者であり、文化人の口舌をこの上なく嫌悪し、俗世と群れず独行を貫きました。おおむね父の人生はそのようなものでした。余人には理解しがたくとも、またけっして身びいきということでもなく、いま一箇の卑小な偉大がこの世から消えたという実感が、大きな喪失感とともにあります。父の気質は息子三人に過不足なく受け継がれました。
 晩年は視力を失い、病を抱えた日々でした。私の娘は、おじいちゃんは幸せな人生だったと思う、好きなおばあちゃんと出会い、思いがけずお父さんとも出会い、ついでに私やお兄ちゃんにも出会ったし、そのことに比べると目が見えなくなったことなんかどうでもいいことだと思う、お父さんもそう思わん、と言いました。そうだと思います。母も孫の言葉をとても喜んでいます。この世の栄達や毀誉褒貶とは異なる次元にある、生きることの深い意味は、父にも充分にわかっていたと思います。最期の数ヶ月はじつにいい顔をしていました。皆さまにもお見せしたかったです。父の生にもようやく時が満ちたのです。
 生前の父への皆さまからのご厚情に衷心より深くお礼を申し上げます。また父の残余の一年を、卓越した医術と天与のお人柄で励まし支え続けて下さった澁江先生にはお礼の言葉もありません。父がいつも手を合わせ感謝していました。
 皆さま、父は大往生を遂げました。

平成二十三年七月二十九日

 だれもがこの平凡な日々を生きているのです。どんな日々も起伏に満ちたものです。かれら若い詩人はなにかを錯覚しています。つまりかれらはいちども言葉とであっていない、それだけです。
 一箇の卑小な偉大の不在は、わたしのなかで生きられる死として、いつも傍らにあります。若い詩人がいまの刹那でしかステップを踏めないのはかれらが生き損ねているからです。書くことがなければ書くな、それだけです。現代詩を読んでおもしろいと感じたことはいちどもありません。表現を転倒すること。表現の態度変更。依然としてそういうことです。

 私を駆りたてた動機は、ごく単純であった。(中略)つまり、知るのが望ましい事柄を自分のものにしようと努めているていの好奇心ではなく、自分自身からの離脱を可能にしてくれる好奇心なのだ。(中略)はたして自分は、いつもの思索とは異なる仕方で思索することができるか、いつもの見方とは異なる仕方で知覚することができるか、そのことを知る問題が、熟視や思索をつづけるためには不可欠である、そのような機会が人生には生じるのだ。(『快楽の活用』)

 私はこれとまさに反対のことは言えないのかどうかと考えているんです。つまり、誰かの創造的活動をその人が自分自身に対して持つ関係のあり方のせいにするのではなくて、その人が自分自身に対して持つ関係のあり方を、その人の倫理的活動の核にあるような創造的活動に結びつけてみるべきかもしれないんです。(「ひとつのモラルとしての性」)

 フーコーの発言に共感し、同意します。フーコーのこの発言は若い詩人の停滞を撃っていると思います。

    2
 『言語にとって美とはなにか』から吉本さんの意識のさわり言語発生説を取りあげます。

 言語は動物的な段階では現実的な反射であり、その反射がしだいに意識のさわりを含むようになり、それが発達して自己表出として指示性をもつようになったとき、はじめて言語とよばれるべき条件を獲取した。この状態は、「生存のためにじぶんに必要な手段を生産」する段階におおざっぱに対応している。言語が現実の反射であったとき、人類はどんな人間的意識ももつことがなかった。やや高度になった段階でこの現実的反射において、人間はさわりのようなものを感じ、やがて意識的にこの現実的反射が自己表出されるようになって、はじめて言語はそれを発した人間のために存在し、また他のために存在するようになった。
 たとえば狩猟人が、ある日はじめて海岸に迷いでて、ひろびろと青い海をみたとする。人間の意識が現実的反射の段階にあったとしたら、海が視覚に反映したときある叫び声を〈う〉なら〈う〉と発するはずである。また、さわりの段階にあるとすれば、海が視覚に映ったとき意識はあるさわりをおぼえ〈う〉なら〈う〉という有節音を発するだろう。このとき〈う〉という有節音は海を器官が視覚的に反映したことにたいする反映的な指示音声であるが、この指示音声のなかに意識のさわりがこめられることになる。また狩猟人が自己表出のできる意識を獲取しているとすれば〈海(う)〉という有節音は自己表出として発せられて、眼前の海を直接的にではなく象徴的(記号的)に指示することになる。このとき、〈海(う)〉という有節音は言語としての条件を完全にそなえることになる。(『吉本隆明全著作集6』22~23p)

 とても大事なところです。言語は灼熱する性の情動からおのずと生まれたものであり、その表出の意識が心身一如の人間の生命形態の自然のなかに折り畳まれて封入されたのです。無限小のようなものですから、また無限小とはいえ存在するのですが、そのありかは自己意識の側からは意識することもなく、自己意識の特異点でありつづけるのです。それはまた生の不全感ともなります。意識のさわりを覚えた原初の人が声として意識を発出するという説明の仕方に、ほんとうは吉本さんの無意識の表現論の制約があったのです

 この吉本隆明さんの独特の考えに対して20年前にわたしは次のように書きました。ながい再録です。すみません。

 左目の言語労働起源説のいかがわしさを、このヤローこのヤローとぶんなぐりながら、吉本隆明は言語の表現理念をつくってきた。ふかい霧におおわれてじぶんがなに者かわからなくてやみくもにもがいていた頃、吉本隆明の「意識のさわり説」がじぶんのことのように手にとれた。25年が過ぎた。今は吉本隆明がマルクス主義の文芸理論に抗してつくった『言語にとって美とはなにか』という言語の表現理念を支える論理のからくりがよく見える。ついに吉本隆明の思想の背中を見たという気がしている。
 左目のイデオロギーが崩壊してやっと表現の解像度がシャープになってくる。つまり、人間という形態の自然があらわになる、その度合いに応じて表現の素子がさかのぼれるようになったということだ。私の理解では吉本隆明の表現理念はもっとこまかく分解できる。それが云いたいことだ。引用文を簡略にする。

Ⅰ 叫び声〈う〉→反射
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Ⅱ 〈う〉という有節音(指示音声)→意識のさわり
      ↓
Ⅲ 〈海〉→自己表出(象徴的な指示)

 吉本隆明の原人「意識のさわり説」は要約するとこうなる。ヒトが環界への反射として唸り声を発する段階からすこしずつ意識のさわりを巻きとり、巻きとった意識のさわりを意識的に自己表出できるようになったとき、対象を指示する有節音は対象の直接性からはなれて象徴表現が可能になり、意識は言語の条件をそなえ、言語の表現は言語を発した人間や他のために存在するようになると吉本隆明は言う。これが吉本隆明の人間的意識の起源であり、「初めに言葉ありき」という立場である。
 よく考えると不思議なことだが、Ⅰ→Ⅱ→Ⅲの転化が自然なひとつながりを成しているように吉本隆明は展開する。ここには吉本隆明が気がつかないひとつの作為がある。この理念はおおきな謎を隠している。つまり吉本隆明の思想がおもわず背中を見せているところだ。吉本隆明がじしんの意識のさわりをたどるように表出の起源をたずねるとき、この意識の伸張の仕方は必然としてひとつの特異点を抱えこむことになる。いうまでもなくこの特異点は近代がはらむ意識の逆理であり、意識が穿つ孔にほかならない。吉本隆明の「意識のさわり→自己表出説」もこの囚われのうちにある。
 なぜヒトの環界への反射の反映である叫び声やうなり声がしだいに意識のさわりを含み、さわりのようなものを感じ、さわりをおぼえ、そこにさわりがこめられるのか、その動因がすこしもふれられていない。これではヒトは空気を呼吸しているというそれ自体ウソはない言い方をするのとかわらない。なぜか意識のさわりが忽然とユーレイのようにあらわれる。

 なぜ意識のさわりは生まれるのか、あるいは意識のさわりは何によってうながされるのか。親鸞は念仏を一回唱えたら浄土にゆけるといったけど、じゃ叫び声を何回あげたら言語になるのだろうか。まぁまぁそんなかたいこといわないで、でも、ねぇ、なんとなくそんな気がしない?っていわれているようで、まるで上野の一泊2300円のカプセルホテルでフロントのにーちゃんに財布を預けたはいいけど、かえって盗られそうで心許なくなったのとおなじような気がする。そんなことおもうのはおれだけか。
 あっさり言えば、「言語が現実の反射であったとき、人類はどんな人間的意識ももつことがなかった。やや高度になった段階でこの現実的反射において、人間はさわりのようなものを感じ、やがて意識的にこの現実的反射が自己表出されるようになって、はじめて言語はそれを発した人間のために存在し、また他のために存在するようになった」と吉本隆明のいう自・他の構造は動態化できる。

 この自・他のしくみを動態化することは近代の壁をつき抜けるということであり、ひとりの〈じぶん〉をひらくことにつながる。ここをつき抜け、ひらく度合いに応じて人間という概念はいやおうなく拡張した表現型をもつことになる。たぶんその鍵は刈り込むごとにふかくなる自然(という概念)の実現可能性にかかっている。あっ。私はすでに対の内包という自然を手にしている。そ。性はひとりよりはるかにふかい。
 私の理解では、Ⅰ→Ⅱ→Ⅲにいたる意識の高度化は連続的転化でもなければ、自然なひとつながりでもない。情動する性というひとの起源からすれば、ⅠとⅡのあいだには目がくらむ裂け目があるというべきなのだ。この裂け目に対の内包という刈り込むたびにふかくなる自然がでんと存在する。この裂け目を〈じぶん〉の外延表現で無理につなごうとすれば今西錦司の「成るべくして成る」にならって、ヒトは意識のさわりを含むべくして含み、意識のさわりをおぼえるべくしておぼえたとでもいうほかない。それではミもフタもない、それは気がついたらそうなっていたと言うにすぎない。つまりなにも言っていないのだ。
 なぜそうなるかと言えば、すでに私たちがひとりということを知っており、そのことになじんでいるので、ついこの意識を外延することで鎖状につながった意味の連関を追い求め、意識や言語の起源をそのなかにたずねようとするからだ。この意識の線状性を私はモダンといってきた。

 この意識の線状性はつねに志向する対象を事後的にたどりなおすという特質をもつ。これは意識されない近代のひとつの作為だ。そして近代の〈じぶん〉さがしはうちにふくんだ逆理に意趣返しされひらたく貧血し、熱血するマルクスの社会にかけた意志論は人間という形態の自然に呑みこまれた。言い換えれば近代はこの意識を自然とするおおきな囚われのうちにつくられ、成長し、築かれた堅固な人工物だ。注意せよ! マルクスという巨大な才能もこの罠にかかったのだよ。
 鎖状につながったながいながいひとつながりの意味の体系は意識の線状性がかたく二重にからまったらせん構造をなしている。かたちへの衝動を貫く文字発生以来のふとい意識のながれと、西欧近代が拘束する意識のながれとが二重にからまってらせんになったながい紐をモダンというのだ。だから意識や社会の転換は複雑に入りくんだらせんの紐をどういう手続きを経てゆるめ、ほどくのかということにかかっている。
 『言語にとって美とはなにか』の「自己表出」を芯棒にした言語の表現理念から、晩年の吉本隆明が力をふりしぼって試みた『ハイ・イメージ論』での「世界視線」を核にした言語の像への拡張は、意識の線状性のうちに近代という短距離のモダンを突きぬけようとしたものにすぎないような気がしてならない。それでは足らんのだな。吉本隆明の世界のさわり方では元気欠乏性貧血は快復しない。

 僕はじぶんの元気の素が欲しくて、むかしむかしの、はるかな太古、気楽な面々は、とおい目をする妖しい気分のふくらみが欲しくて、〈性〉をつくって、〈ひと〉になったと考えた。思想は文法でも規範でも、普遍でも真理でもない。もちろん科学でも客観でもない。そのことはこの百年でじつにはっきりした。思想は単に作品である。思想はだれにもお知らせしない。
 近代をふくみ意識の線状性を包む自然を像の自然と呼ぶ。ひとりよりはるかにふかい性が存在する。はじめに情動するメビウスの性が存在した。プリミティブな性にうながされて、太古の気楽な面々は意識のさわりを生み、意識のさわりを巻きとり、自己表出を可能とした。そういうことだ。このときすでに〈性〉から分極した〈じぶん〉が獲取されているから、意識の線状性は〈じぶん〉をなぞるように、Ⅰ→Ⅱ→Ⅲと高度化する意識のさわりの軌跡があたかも自然なひとつながりをなしているように見るのだ。この俯瞰のうちに〈性〉がかくれる。(『内包表現論序説』443~446p)

 なんども書いてきたことですが、大枠についてはなにも変更することはありません。その当時はそこまでしか考えが及ばなかったのです。そのころわたしが感受していた性のうねりは根源の性の分有ということなのですが、そのしくみについてうまく言えていません。けっして共同化できないようなそれ自体、それ以外のものではありえないようなものとして、そのことを名づけることができていないのです。1でもなく、3(多)でもない、けっして共同化しえない領域をそれ自体としてつかみだすのに、さらに10年の日々がありました。還相の性という言葉を手にして、やっと、なにかへの手段や媒介ではなくそれ自体の領域としてあることを実感できるようになったのです。

    3
 なぜ根源の性なのか。なぜ還相の性なのか。それしかないのです、わたしに残されたものは。日々をつなぐ、ひりひり、じんじんする元気の素が還相の性にはあります。わたしたちはこの根源的な出来事によぎられて、わたしはわたしであるという各自性、つまり受動性として自己性が析出されます。AがAであることと、わたしがわたしであることはまったく違う出来事なのです。A=Aであることも自己が自己であることも、ともに抽象なのですが、抽象の度合いと様相が違うとわたしは考えています。抽象度がいちばん高いのは数学の表現です。わたしは抽象は捨象だと思います。婚姻の形態も血液型の関係も同型だとするのですから。その切断力の切れ味はすごいものです。徹底しています。情緒の入る余地はまったくないです。デカルトもライプニッツも数学者です。その数学者が考える人間が数学にちかくなるのは当然です。数学は切断力で対象の夾雑物を捨象し、一気に抽象します。わたしは電脳社会の基盤は数学だとつねづね考えてきました。ハイテクノロジーもそれと結びついたグローバリストもそこに依存しています。

 自己が自己であることは驚異なのです。自明だと思われている自己が自己であるということにも、歴史の時間が内挿され、かなりの抽象が入っています。数学となにが違うかというと、なまの自然であるわたしたちの心身一如は数学と同じようには抽象も捨象もできないのです。わたしたちの生には、まるごとというのがいつもつきまといます。まるごとどう抽象するのか。数学とは違う原理が要請されます。おなじように国家のない世界を構想するには、ここではないどこかを仮想して、絶えず生を順延することを可能とする自己同一性を前提としない、ここがどこかになっていく、同一性を跨ぎ超して行く、そういう世界認識の方法が要請されます。

 19歳で博多に出て長年暮らし、波瀾万丈があり、そこで得た生存感覚として根源の性があり、熊本で親と生活をしながらさまざまな体験を反芻し、還相の性という言葉をつかみました。たったそれだけかといえば言えます。いずれもわたしの生存感覚を貫通しています。

 吉本さんの意識のさわり言語発生論よりずっと好きな言葉があります。川満さんの考えを以下、引用します。引用のこの箇所を読み返して、川満さんも吉本さんもともに同一性原理を前提として言語の発生の瞬間(とき)を叙述しているのですが、吉本さんの意識のさわり言語発生説は、外界への異和が込められているように感じるのです。川満さんのそれの方が生への驚異や驚きがあり、言語の発生としてひらかれている感じがして、こちらの方が好きです。

 私の好みの情景だが、陽炎たつ熱帯の大洋に、巨大な夕陽が沈んでいくと、紺碧の空と海は、放射状に輝やく茜の薄絹をまとい、清澄なかなしみがあたりを充たす。移りゆく彩色のなかに、もう何時間もまえから、ただ一人の人間が佇んでいる。そのヒトは、いまだ名づけ得ない赤々と熟れた木の実を見つめているのである。おそらく形容詞のない、母音変化だけの語彙で、最高の緊張度をもった対話が木の実とのあいだで交わされている。やがて、おそるおそる木の実をもぎとり、その感触をたしかめながら、言葉の原形をゆらめかせる。飢えにせかされて幾度か口元へもっていき、その香の感触から新たなことばの胎児を育む。そして、もろもろの物象に宿る神々へ、単純な母音の祈りを奉げながら、ついに木の実をくちびるにあて、存在を賭けての決断を下す。そのとき、かわききった舌に、口腔にみぶるいするような甘味が、芳香とともに染み全身をつっ走る。その驚きとよろこびから噴きあげる感嘆の声音。それが幾人も幾世代ものヒトの体験と反省意識を経て、一個の果実に奉げる指示名称として誕生するのである。
 毒あるものについても、また同様の体験の累積から、怖れと忌の名称が名づけられていったことだろう。このように想像するとき、ことばは、その発生において、どんなつまらない指示名称さえもヒトの全存在を賭けた感動と怖れ、愛と忌の過程から迸り、神々に奉げるものとして胎動してきた、と考えねばならない。(『guan02』292~293p この引用は川満信一『沖縄・根からの問い』「ミクロ言語帯からの発想」)

 以下は川満さんの発言への感想です。

 言葉という超越の経験は表現論を欠落した現象学の理念の彼方の出来事だ。三角形の内角和が一八〇度であることのたしからしさとはまったく次元の違う出来事であり、各自的にしか訪れない。それは一切共同化されることなく言葉ではない固有なものとしてじかに経験されるなにかだ。同一性原理ではここが思考がゆきつく究極の場所なのだが、ここを終わりとしてまたあらたにひとつの思考が胎動を開始する。ヴェイユやレヴィナスの見果てぬ夢の続きをわたしは内包と分有として夢見ている。
 おそるおそる木の実をもぎとり、ためらいながら、飢えにせかされて、口元にもっていき、そして、ついに木の実をくちびるにあて、全存在を賭けてくだすその「決断」を、他なるものに捧げるとき噴きあげる感嘆の声音が発生のことばなのだ。ここでは、あるものは他なるものにそのまま重なり、ただこの驚異を分けもつことにおいてはじめて、あるものがそのものとして立ち上がるのだ。ことばが本来、同一性の彼方の出来事に属しているということはこのことを意味している。
 マルクスが『経済学・哲学草稿』で直観した性という関与的な存在は、彼が思いえがいたものよりもはるかに深い根源をもつ。まさしく、人間の人間にたいする最も直接的で本源的な関係は、根源の性にたいする分有者の関係としてあらわれるのだ。この自然的なおのずからなる関係のなかでは、根源の性にたいする分有者の関係は、根源の性という内包存在を分有する内包者の内包者にたいする関係であり、同様に、内包者の内包者にたいする関係は、内包者の内包自然にたいする関係となってあらわれる。このときなにが起こるか。禁止と侵犯に閉じられた生が同一性による監禁から解き放たれるのだ。あらゆる悲惨とあらゆる苦海が、あらゆる空虚とあらゆる孤独が、あり続けようと意気込んでもおのずから一切の地上性を剥奪されてしまうのだ。わたしは想像力によってここに架けられた夢のすべてを生の原像とよびたいとおもう。いま、それを語るのがどんなに荒唐無稽なことにおもえようと、ことばという起上り小法師に導かれて生の原像を実現していく過程が内包としての歴史であり、ことばという虹に立つ夢が、主観や客観の彼方にある内包という生なのだ。
 〈存在〉概念の根底からの転換によっておのずからなるこの世の革めが可能となる。それはわたしたち一人ひとりのあり方が変わることによって自然にもたらされるものであり、目の前に、内包と分有の思想による広大な思考の余白としてひろがっている。わたしはじぶんの体験を内面化することや社会化することを拒み、つまりどんな一般化もせずに、当事者であることがひきよせるさまざまなひずみを存在の根底から組み替えることで、この世の革命が思想として表現可能だとかんがえるようになった。わたしたち人間がまだかんがえたこともそこを生きたこともない同一性の彼方からの革命をめざしていこうとおもう。これが可能性でなくてこの地上のどこに希望があるだろうか。
 わたしたちがじかに性であるからこの世がどうであれ革まるほかないのだ。わたしたちのささやかな道行きは、むしろ同一性の世界からは、自力の計らいというより、他力による世直しとうつるに違いない。これまでの革命の概念とはまったく異なるわたしたちのちいさな試みは、やがてこれまでの人類史を終わりの始まりとする内包史として語られることになるだろう。(同前 293~294p)

 再録した部分は2002年9月30日に書かれたことになっていますから、いまそのつづきを書いていることになります。ここでも以前書いたことについて大枠の変更はありません。
 対幻想が対幻想自体に表現を遂げたということがどういうことかわが身を通してわかるのに、なんと10年余かかっているのです。対象Aと対象Bが関係してAでもBでもない対象Cがあらわれ、そのことによってAは変容するといううねりのことが言いたいわけです。たとえば原始宇宙のごく初期でクオークと反クオークが衝突すると対消滅して2個の光子が生み出されます。つまり放出される光子が往相の性と還相の性に比喩されます。対幻想が自体にたいして表現を遂げ、往相の性は変容され、ついに還相の性を内包的に表出したのです。

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