日々愚案

歩く浄土7

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 1990年6月に吉本隆明さんと対談したとき、あらかじめ原則を立てていた。それは知的な話はしないと言うことだった。疎外論という吉本さんに固有の表現論の根っこについて話をしたいと思っていました。わたしは吉本さんの熱心な読者だったので、わたしの考えていることを吉本さんがどう理解するかということが聞きたかったのです。

 対談は終始すれ違いでした。若い頃、生を根こそぎにさらわれる影響を受けていました。かれの思想を読み込み、理解することで生きられたことがたくさんあったのです。わたしにとって吉本隆明は偉大でした。そびえ立っていました。それでもある時期からかれの時代を鳥瞰する言説に異和を感じ始めました。だから、疎外論という表現論が不可避に抱え込む特異点について話をしたかったのです。そこは吉本隆明さんの思想の根底に関わることだとわたしは考えたのです。わたしの挨拶からはじまり、吉本さんはいきなり内包論の核心的なところについて発言しました

吉本 ぼくね、森崎さんの内包表現論を大ざっぱに読ませていただきました。いまおっしゃったところがたいへんに中心になっているとぼくは感じたんですね。もう少しあなたの言い方で書かれている表現の仕方で言うと、私を見ている私という視線を設定するよりも、私に重ねられるあなたという視線の可能性を考えることが、あなたのいう内包表現の中心になるというふうに、あなたは書かれていると理解しました。だけど、内包表現の像とか、対なる内包性ということが、もうひとつ、はっきりしないところがあるから、もう少しそこのところを説明していただくといいのです。
 何を説明していただくかというと、その内包像が、どうして私の方からあなたの方へと視線というか、触手というか、それを伸ばしていくことが重要なのか、あなたの考え方の核になっている、そこのところをもう一押し、はっきりさせてくれるといいなあという感じです。それからもうひとつは、あの、何故そういう設定の仕方をしたのかという、あなたのあなた自身に対するモチーフ、つまりどこからこういうことを考えてきたのか、考えるようになったのかなということを、もうすこしはっきりさせてくれるとわかりいいなあとおもったんです。
 ぼくらが、共同幻想と対幻想と自己幻想というふうに人間の観念の領域を段階づけ致しますね。そうすると段階づけというのは、理念であったり、論理の問題であったりですから、実際の人間の心の働きはそんなにすっきりわかれて出てくるというわけでもないわけです。それからあの段階づけることによって非常にすっきりすること、つまり、たとえば、あの、人間の個が、自分以外のもう一人の個それは、男であろうが女であろうと、もう一人の個っていうのに対するときの、その感じ方と、一人の個が大勢の間でもって持つ関係の仕方というのとは違います。
 どう違うかを、まずはっきりしたいためには、そういうふうに段階づけることがたいへんわかりやすく、また解明しやすいだろうみたいなところからそういうのが出てきますね。そういうのと同じような意味で内包表現とか、対の内包像とかあなたが言われているモチーフは、もう少し説明して下さるとたいへんわかりいいとおもいます。

 ぼくがメモした項目は十一あってそれを森崎さんの内包表現論の内容に十一カ所から立ち入ることができるとおもうんですね。立ち入ったときの手ごたえが、平面像のところで引き返されてしまっているんじゃないかなという印象をうけるんです。それがどこから由来するのか、お話を聞きながら、しきりに考えていました。表現の内包像とか、対なる内包像について森崎さんの声の説明をお聞きしていたんです。うまくここからはいれば入れるはずだということが、つかめてこないんですよ。これは何なんですか、なんに由来するんですかね、ということがあるんですけどね。一から十一まで最初から順繰りにいってみましょうか。
 簡単にいいまして、森崎さんが関係の原像というのを、ほぼ対なる内包像というのと、同じ意味あいに使っておられるとおもうんですけど、それはいいですか。その通りでございましょうか。

吉本 ぼくは、もう一度追認してみますが、対の内包像ということは、ひとつは対っていうことがあって、対っていうのは、要するに、男と女ということであっても、私とあなたということであってもよろしいわけですね。つまり、私の私だということではなくて、私とあなたとか、男と女とかいうのが根底なんだ、という理解ですか。

吉本 うーん、あのう、ちょっとまたほかの表現でいってみましょうか。つまりこうでしょうか。ここの表現でいいますと、自分をまた見ることができる自分とか、自分のやっている行為やら表現とかを同時にみている視線みたいな、そういう言い方をすると、どういったらいいんでしょう、森崎さんが、なんとなく、一種の自己同一権力、つまり自分が自分であるということ、あるいはそう考えること自体がひとつの自己同一権力ということになる。 そういった堅苦しさというんでしょうか、ゆとりのなさというのか、余白のなさというか、そういうことがそぐわない感じがするっていうことが、根本にあるわけでしょうか。そこで対なる内包像みたいな考え方が出てきたという面もあるわけでしょうか。つまり、何を森崎さんは求めているわけでしょうか。(『パラダイスへの道90』所収)

 この対談以降わたしの吉本思想への関心は急速に薄れました。すれ違いが修正のきくものではなかったからです。吉本さんの面前でわたしはいま吉本さんの思想を拡張しつつありますと言い切りました。吉本さんの思想はわたしのなかではすでに過ぎたものとしてあります。
 吉本隆明さんは思想の骨格をマルクスに負っています。無条件降伏という敗戦の挫折体験をかれは自立思想をつくることに賭けました。血煙をあげながらかれは時代の只中をひとり疾走しました。その姿に若い頃勇気づけられたのです。マルクスの自然哲学はかれの思想の骨格でもあります。マルクスの価値形態論をそっくり受け継ぎ、かれの言語論を創案したのです。マルクスの経済的な範疇は「ある構造」を介して関係してくるところまでは退けて幻想論は幻想論それ自体として扱いうるという思想の骨格があります。
 「ある構造」とはどういうことなのですかとお訊きしたことがあります。押し入れのなかからノートを見つけたので、書き写します。1979年1月12日のことです。吉本さんを訪れ、尋ねています。吉本さんは次のように言いました。
 「まだわかりません。ただヘーゲルなら、マルクスなら確実に次のように考えていると思います」と宙を睨みながら強調されました。
 「ヘーゲルの方法。事象になんらかの関係がある場合、Aが徹底的に、確実に、それ自体としてAであるならば、非Aを想定できます」
 「マルクスの方法。現実形態の自己表出が観念形態である。マルクスは確実にそう考えていたと思います。それだけです。徹底的にそれだけです」
 「自分の場合。現実形態の自己表出が観念形態であるが、観念形態は観念形態の自己表出をもつ。私はそう考えます。しかしそれで充分かというとちがう、まだわかりません。だからよくわからないのが結論です」
 「フーコーのいうようになるかもしれないという気がします。しかしそれでは人間の意志はどうなるのでしょうか。たまらないですね」と天井が崩落するぐらいの大音声で言いました。「科学者はエンゲルスの自然弁証法の域を出ていない、時間は垂直性としてあるのです。時間は垂直に運動するのです。自然時間と意識の時間は極限としてはおなじものになります」そのときの吉本さんの声も表情もあざやかに記憶しています。

 2
 吉本さんとわたしのあいだのズレは、わたしの考えでは、吉本さんとヴェイユのずれに比喩できると思います。マルクスの思想を換骨奪胎しながら雄大な思想を吉本さんは建築しました。そして終始、親鸞とヴェイユに関心を持ち続けました。若い頃わたしも貪るようにヴェイユを読みました。いまでもヴェイユとわたしはよく似ているように思います。 吉本思想にはいくつかの公理があります。そのひとつが大衆の原象を繰りこむという思想です。これはかれにとっての公理のようなものです。大衆に学ぶとか大衆に寄り添うとかいうのはいらんお節介というのがかれの理念です。それは気骨のある言葉です。吉本さんにとっては揺るぎない思想です。生まれ、育ち、婚姻し、子を産み、子を育て、子に背かれ、老いて死ぬ」、ここにしか思想の価値はないと言い続けました。

 少し長くなりますが、吉本隆明の思想の肝にあたる部分と、ヴェイユの思想のそれを取りあげます。大衆の原象と、生存の最小与件はおなじことです。まずは吉本さんの思想の要を引用します。

そこで典型的に原点になる生活者を想定しますと、その想定のなかに何があるのかといえば、ほんとうは生活という概念よりも、〈生存〉という概念のほうがいいように思います。つまり、ある人間が死んでなくて生きて生活しているばあいの最小条件といいますか、その中からいろんなものを全部排除してしまって、ともかく〈生存〉だけはしていて、それはまさに〈生存〉しないことと対応しているとかんがえられるものです。

それは生と死という概念とはちがいます。あるいは、全き生命をうるということにおいては万人平等であるという、わりあい宗教的な考え方にたいしても、〈生存〉ということと〈生存〉しないという概念は、すこしちがうような気がします。ぼくは、〈生存〉という概念を、人間は、ひじょうに即物的、具体的、活動的、自然物それ自体であるというところでかんがえていて、それにたいして、〈生存〉そのものを再び概念に、反省的に取り出してきて、そこに生命という概念を与えるという考え方は、ぼくにはないように思います。まったく物質的になくなっちゃうというところが行き止まりのような気がします。(『増補 最後の親鸞』附録「最期の親鸞ノート」19~20p)

 わたしは吉本さんの思想の全体系を自己意識の外延表現と一括りにできると考えているので、細かいことはいいのです。大衆の原象を繰りこむことと言い、生存の最小与件と言い、とてもおおらかですこやかな考えだと思います。それはいいのですが、この思想でも当の吉本さんのなかに空隙が残るのです。晩年、生きてていいことなんもねえ、と言ってました。この考えも正直で好きです。でもなにか残余のものが残るのです。死ねば死にきり、自然は水際立っているという言い方も好きです。気持ちいいです。かれの親鸞由来の死から照らされる生の場所へのこだわりがここにあるとわたしは理解しています。
 ふと気づくのですが、ある時期から吉本さんは大衆の原象を繰りこむという言い方をしなくなりました。代わりに死から照射される生という呪文のような言い方をするようになりました。なかなか分かりにくい概念です。

 しかし、ほんとに親鸞が思想、理念、考え方として〈死〉や〈浄土〉を想定しているときは、「正定聚」の位のことをほんとの〈死〉だというふうにかんがえたとおもいます。どこにあるかわかりませんが、いながらにしてじぶんの現在をたえず照らしている、そういうものがほんとの〈死〉であって、いわゆる「肉体の死」というものは、いわば喩えとしての死、「比喩の死」だというふうにかんがえていたとおもいます。「肉体の死」はそれぞれじぶんにとっては体験できないものなのに、「他者の死」は体験できるという矛盾をもっています。
 この矛盾は〈死〉を認知しようとする志向性が、志向する自己と絶対に出会うことができず、志向する自己とは無関性をもった「他者の死」としてしか認知できないという矛盾に根拠をおいています。この矛盾を解決するには、「他者の死」を「共同的な死」の水準にまで高めて、この「共同的な死」の影に浸食され、包括されてしまう「自己の死」を、認知の対象とするほかないようにみえます。おなじように「共同的な死」の影に浸食され、包括されながら照射をうける「自己の生」という概念が、親鸞の説いた「正定聚」の位置とかかわりがあるようにおもわれます。(『未来の親鸞』58~59p)

 父の死を見送って吉本さんの言うことはかなり実感することができます。この世と死のあいだに中間の領域があると思うようになりました。吉本さんはこの正定聚をまさに身をもって生きたのだと思います。ハルノ宵子さんの『開店休業』で知りました。そのうえで印象を言えば、徹底した単独者の思想だと思います。時代が変容し、左翼的な言説の生き延びる余地はとうになくなっていました。大衆の原象を繰りこむことの切れ味もなくなったのです。そのなかで吉本さんは、死から照らされる場所が、平坦な生涯をもつ人々にあらゆる権威と権力を収斂させる思想の根拠になりうると考えたのだとわたしは理解しています。
 かれの思想の根っこにははにかみがあります。どんなに強い言葉を社会に発してもいつもかれはそこにいました。最期の吉本隆明はどんな言葉の膝を抱えてうずくまっていたのか気になります。そこがいちばんほんとうは知りたいことです。

 こんどはヴェイユです。以下は、『ロンドン論集と最後の手紙』(「人格と聖なるもの」杉山毅訳)からの引用です。

 人間だれにでも、なんらかの聖なるものがある。しかし、それはその人の人格ではない。それはまた、その人の人間的固有性でもない。きわめて単純に、それは、かれ、その人なのである。
 ここに街を歩いているひとりの通行人がいるとする。その人の腕は長く、眼は青く、心にはわたしの関知しない、しかしおそらく平凡な思考が去来している。
 わたしにとって、聖なるものとは、その人の中にある人格でもなければ、人間的固有性でもない。それは、その人である。まったきその人なのである。腕、眼、思考、すべてである。それらを少しでも傷つければ、限りない良心の痛みに見舞われないではいられないであろう。(3~4p)

 人間的固有性にたいする尊敬を定義することは不可能である。それは単に言葉で定義することが不可能だというばかりではない。しようと思えば、多くのすばらしい概念は存在する。しかし、この概念がまた理解されないのである。思考の黙して語らぬ働きによって限界づけられているこの概念は、定義されることができないのである。
 定義することも、理解することも不可能な概念を、公けの道徳の範とすることは、あらゆる種類の暴虐に道を開くことになる。
 一七八九年、全世界に向かって発せられた権利の概念は、その内容が不十分であったがために、それに委託された機能を遂行することができなかった。
 人間的固有性の諸権利について語ることによって、二つの不充分な概念を混合させてみても、われわれにとって好都合に事は運ばないであろう。
 もし、わたしにその許可があたえられ、またわたし自身がそれに興味をもつとしても、あの男の眼をくり抜いてはならぬ、とわたしを引き止めるものは、正確にはなにであろうか。
 かりに、かれがわたしにとってまったく聖なるものであるとしても、あらゆる関係のもと、あらゆる点において、かれがわたしにとって聖なるものなのではない。かれの腕は長い、またかれの眼は青い、あるいはまたかれの思考はおそらく平凡なものであろうというかぎりでは、かれはわたしにとって聖なるものではないのである。たとえかれが公爵であろうと、かれが公爵であるというかぎりでは、聖なるものではない。たとえまたかれが屑屋であろうと、屑屋であるというかぎりでは聖なるものではない。わたしの手をひきとめるものは、それらのものでは全然ないのである。(4~5p)

 「どうして人はわたしに害を加えるのか」というキリスト自身ですら押さえ切れなかった子どもらしい嘆きが、人間の心の底にきざす時にはいつでも、たしかにそこには不正が存在するのである。(6p)

 政権の獲得やその維持に専心している党派は、この叫び声の中に騒音しか聞きわけることができない。そのような党派は、この騒音が自派の宣伝の音量を妨げるか、あるいは反対にそれを増大せしめるか否かに従って、異った反応を示すだろう。しかし、いかなる場合でも、このような党派は、あの叫び声の意味を識別するために、鋭敏な、未来を予見する注意力をはりめぐらすことはできないのである。
 すぐに党派のやり方を模倣する諸団体についても、つまり、公の生活が党派の活動によって支配されている場合には、例えば労働組合や教会をも含めて、あらゆる団体について、より細部にわたって同様のことが言えるのである。
 もちろん、党派と類似の団体とは、いずれも知性の細心綿密さとは無縁である。
表現の自由が、事実において、この種の団体のための宣伝の自由に帰結する場合には、表現するに値する唯一の人間のたましいの部分は、自らを表現するのに自由ではないのである。言いかえれば、たましいのその部分は、全体主義体制におけるよりかろうじて少し多いくらいの、きわめて僅かな程度において、自由なのである。
 ところで、このことは、党派の活動が権力の配分を支配するようなデモクラシーの中で、つまり、われわれフランス人がこれまでデモクラシーと名づけてきた制度の中で起こりうる場合なのである。われわれがそれをどうしてデモクラシーと呼ぶのかといえば、実は、われわれがその他の形態を知らないからである。だから、別の形態を創造しなければならないのである。(8~9p)

聖なるもの、それは人格であるどころか、人間の中の無人格的なものなのである。
人間の中の無人格的なものはすべて聖なるものであり、しかもそれだけが聖なるものである。(9p)

人格の表出のさまざまの形式であるにすぎない科学、芸術、文学、哲学は、華やかな、輝かしい結果が実を結び、それによっていくつかの名前が数千年にわたって生きのびる、というある領域を構成している。しかし、この領域を越えて、はるかかなたに、この領域とはひとつの深淵でもって距てられた、もうひとつの領域があり、そこには第一級のものがおかれている。それらのものは本質的に名をもたない」(10~11p)

 ではヴェイユの聖なるものと匿名の領域はどうでしょうか。聖なるものとはなにか。端的にかれその人である。そして聖なるものは人格ではなく無人格的なものです。それだけが聖なるものであるとヴェイユは言います。なんとシンプルで強い言葉だろうかと思います。なにがあっても、どんなときでも生きてゆける勇気凛々が彼女の言葉にはあります。凜とした言葉です。わたしの言葉で言えば、匿名の領域は根源の性のことであり、聖なるものは還相の性ということになります。不在の神に向けてヴェイユが祈った場所は、けっして共同化しえないそれ自体の場所であり、それはまた「単に言葉で定義することが不可能だというばかりでは」なく、「しかし、この概念がまた理解されないのである」。「思考の黙して語らぬ働きによって限界づけられているこの概念は、定義されることができない」と言っています。よくわかります。ヴェイユより長生きして少し思考の年輪を重なることができました。外延論理の言葉では言い得ないことをヴェイユは言おうとしているのです。
 1789年の世界に向けた権利の概念は内容が不十分であるとすでに言っています。シャルリー・エブト事件から日本人人質斬首事件を経て、ハイパーリアルなむきだしの生存競争という世界の無言の条理の出現にたいしても、ヴェイユの言葉はいまも生々しく息づいています。またデモクラシーとはべつの形態の創造をすでに言っています。まさに現代の現在性そのものが彼女の言葉にはあります。

 二人の思想家をならべると思想の根底にあるものが、その違いが、際立ってきます。吉本さんは戦争期に天皇のためなら死ねると思いつめました。天皇制も宗教ですから、天皇制は共同幻想そのものです。かれはそのとき信の青年でした。羮に懲りて膾を吹いたのです。信を語るのにいつも信の外部から発言したのはそういう体験があったからです。日本的情緒を生きながら典型的にモダンな思想家でした。わたしにはかれが根拠とした自己というものは脆いものだという自己体験があります。それほど確乎としたものではないと思っています。生存が危機に瀕すると、自己幻想はけっして共同幻想に逆立することなく、自己幻想を剥落させて共同幻想に同期するのです。そのありかたがわたしたちがいままでつくりえた人間の自然です。そのうえに国家も民主主義も成り立っています。それは生の余儀なさでありどうじに制約です。ほとぼりが冷めると素知らぬふりをして事の是非をあげつらいます。ここにとどまるかぎりわたしたちが同一性という生を監禁する生存のありようから逃れることはできません。そこには覚醒したモダンな思想家とモダンを超えようと意欲した思想家の質の違いがあるように思います。

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