日々愚案

歩く浄土223:アフリカ的段階と内包史11

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内面という精神の形式は、フロイト(1856-1939)の無意識とおなじでとても未開的である。未開・原始・野蛮という歴史の認識も同様である。フロイトが神経症の患者の緻密な観察からみちびいたものは、じつは彼自身の精神のかたちにほかならなかった。膨大な臨床というプリズムをつうじてやっとフロイトはじぶんを発見する。そしてこのじぶんは、「雪のなかにうがたれた小さな星形が一つの記号であるのは、猟師にとってだけなのである」(フーコー『夢と実存』序文)とうまく対応する。フロイトの世界はフロイトの精神のかたむきをなぞるようにたちあがる。猟師がフロイトに、雪のなかに還された小さな星形がフロイトの性に比喩される。たったこれだけのことをいうのにフロイトは生涯をひつようとした。そのことに驚倒する。性についてのフロイトのシンプルな発見の凄じさに言いようのない戦懐をおぼえる。フロイトはいつも性を裏側から触っている。それがほかならぬフロイトの欲望であるように、内面という思考の慣性はフロイトの無意識みたいに無規定なものではないかと思う。内面を内包化すると親鸞の自然法爾や宮沢賢治の擬音や「遠いともだち」が出てくる。この意識の場所はまちがいなく内面よりは深い。かつて根源の性の分有者のありかたを往相の性と還相の性として表現した。往相の性は意識を外延すると対幻想としてあらわれる。家族の一員としての個人は、個人としての個人と社会の一員としての個人のはざまにあることになる。主体は実体ではなく真理は他者によってもたらされるとしたらどうなるか。領域としての個人が表現されることになる。内面を表現するのではない。内面は〔性〕として表現されることになる。意識の外延性は対幻想という特殊な共同幻想を媒介にして国家という共同幻想を形成する。この観念の型は思考の慣性として鞏固なものとして流布されている。

被験者のなかにフロイトがかれの隠された欲望を発見し、それをフロイトは無意識と名づけ、快感原則をエロスとタナトスに分け、リビドーで世界を織り上げた。かれの観察する理性は世界を睥睨する。この視線はフーコーが唾棄した権力にほかならない。

 われわれの先祖が、この地上での自身の運命を労働によって改善できるかどうかは―それこそ文字どおりー自分の手中にあることに気づいて以降、この原始人にとって、ある他人が自分と協力してくれるかそれとも敵に廻るかは、けっしてどうでもよいことではありえなかった。その他人は彼にとって、いっしょに生活することがプラスになる、協力者としての価値を持つことになった。家族を形成するという習慣は、それよりもっとまえ、人類が猿に近い状態だったころすでに確立していた。人間にとって最初の助手は、たぶん家族たちだったのだ。これは推測の域を出ないけれども、家族が構成されたことと、人間の性欲が、もはや一種の客のようなもの―つまり、突然あらわれるが、いったん姿を消すとふたたび長いあいだまったく音信がないといったもの―として登場するのではなく、いわば継続的な間借人として定着したこととのあいだには関連がある。すなわち、このことによって人間の雄は、雌ないしは性的対象一般を自分の手許にとどめておく必要を感じるようになったし、幼い子供たちを手離したくなかった雌はまた雌で、子供たちの利益のためにも、自分より強い雄のもとに留まらざるをえなかったのだ。ただし、この原始的な家族においてはまだ、文化の本質的な特色の一つが見られない。つまり、家長であり父である雄の窓意には何の制限も加えられていなかった。『トーテムとタブー』で私は、この原始家族から共同生活の次の段階である兄弟同盟にいたるまでのプロセスをしめそうと試みた。そのさい、父親を殺害した男の子たちは、個人より集団のほうが強い場合もあることを経験していたのだ。トーテミズム文化の基礎は、この男の子たちがこの新しい状態の維持のためにたがいに課しあわざるをえなかった各種の制約である。タブーの規約は、最初の「法」だった。人類の共同生活は、外部からの苦労によって生まれた労働への強制と、愛のカ―男性の側からいえば性欲の対象である女性を、そして、女性の側からいえば自分の分身である子供を、手許にとどめておこうとする愛のカ―という二重の楔によって生まれたのだ。(『フロイト著作集8』所収「文化への不満」457~458p)

 人類は、おそらく永遠に、集団の意志にたいし自分の個人的な自由への要求を主張しつづけることだろう。人類の悪戦苦闘の相当部分は、この種の個人的要求と文化の側からの集団的要求のあいだの合理的な―というのはつまり、人類を幸福にしてくれるような―和解点の発見というこの課題をめぐるものである。一定の文化形態によってこの和解点に到達することができるのか、それともこれら両種の要求の対立は調整不可能なのかは、人類にとっての宿命的な問題の一つである。(同前457p)

近代のモダンな典型的意見が表明されている。フロイトのいう愛は雄の身勝手な性器の性愛であり、雌の愛は雄に庇護されることで子どもを手元に止めようとすることだと書かれている。レヴィ=ストロースは未開種族を生態観察し、他の氏族に思わせぶりにふるまうことでじらして自分たちの氏族に属する女性の値段をつり上げると書いている。女性は財貨なのだ。きわめて機能的な考えで権力そのものが行使されている。フロイトは原始的な歴史の段階に文化は存在しないという。まるでヘーゲルだ。この手の観察家はみなおなじ顔つきをしている。わたしの触った性のリアルとフロイトのそれはまったくちがう。ホーキングが宇宙の始まりを無境界仮説として唱えるとき、かれが自分の頭のなかを覗きこんでいるように、フロイトがリビドーで世界を記述するとき、かれは自分の欲望を語っている。

『ゲシュタルトクライス』(木村敏訳)を書いたヴァイツゼッガー(1886-1957)がフロイトを訪問し、精神分析の秘儀を問う。訳注につぎのようにある。

この訪問は私が自分から思い立ったものであり、彼のお蔭で私にとって医師の職業は一つの新しい方向へと拡げられ、それによってさもなくば一度ならず硬直し荒廃の危機に瀕していたこの職業に新しい生命の息吹きを吹き込んでもらったことについて、この人に感謝の意を表したいという私の願いに発するものであった。・・・・・〔この訪問の時〕私は自ら精神分析を受けたことがないと述べたが、フロイトはそれを重大なこととは考えなかった。私が、恐らく自分にも何がしかの神経症が望んでいるのでしょうが、それはそのままでもよいのでしょうと言ったのに対し、彼はどの症例も分析を受ける必要がある訳では決してない、卓越した人物との交わりが有益な人達は大勢あり、神経症は大きな辛、不幸によって治癒することがあることもわかっている、ただ医師には幸、不幸を意のままにする力はないのだから、別の道を選ばざるを得ないのだ、と答えた。・・・・・私が、殊にカトリック教会の義務との間に生ずべき葛藤について質問したのに対しては、フロイトはその時明答を避けたように思われた。つまり彼は「われわれ〔精神分析家〕は、患者のそのような領域を尊重し、それに手を触れずにすます方法を常に見出し得たと思う」と述べた。フロイトの《幻想の未来》が出版されたのは僅か二、三年後のことであり、宗教の神経症的、幻想的性格についての彼の見解が当時まだ形づくられていなかったとは思えない。私はまた手紙でも、この間題について彼に口を開かせようと試みたが成功しなかった。これに反し今一つ別の方法によって、彼が普段は秘密にしていた問題や恐らくは最終的疑問に直面していた所まで足を踏み込むことができた。つまり私は彼に向って、精神分析とは有限な過程なのか、それとも無限の過程なのかと尋ねた。彼はしばらくためらった後、小声で「無限の過程だ―と思う」と答えた。それは無論、分析を受ける人の宗教を常に尊重することができるという先の疑わしい主張以上のことを述べたことになる。この今度の返答のうちには、精神分析は心の現世的な生活を越えるものであるという意味がこめられている、と私には思えた。それは勿論宗教の仕事であって、そうなると精神分析は宗教に代ってその位置を占めるに到ったのではないかという問いは、もはや不可避となる。

むかしこのくだりを読んだとき、念仏は一遍でいいと言った親鸞の勝ち、と思ったことを覚えている。フロイトは無限回の精神分析を施すように言う。無意識は制御できるのか。自力廻向ではないか。まるでがんの早期発見早期治療みたいじゃないか。生をまるごと医療の監視下におくフロイトの手つきは生を睥睨する権力だと思う。分析家と被験者の関係の傾きそのものが権力ではないか。ラカンの面接の予約を蹴ったフーコーの気持ちがわかる。
吉本隆明は性についてフロイトほど迂闊な言い方はしていない。

 そのなかで「対幻想」っていう一言葉はぼくの造語だとおもうんですよ。それは、要するに、男女、男と女の関係っていうこと、またその関係を基盤にした「家」とか「家族」とかっていう概念ですけれど。「家族」というのは、個々の個人としての人間っていうのとも違うし、また、社会的な人間、つまり、社会の場のなかでの、個人それぞれの人間とも違う場所なんじゃないか、つまり、男と女の結び付きは違うし、社会的にいっても「家族」っていうのは、国家とも違うし、個人という人間とも違うっていうもんじゃないかっていうのが非常に大きなぼくの問題意識だったんですね。それで、はじめ、社会的にいえば「家族」っていう概念は何なんだっていうふうに、あるいは「家族」の起源は何なんだっていうふうに、いってきたわけです。だんだんとじぶんの考えを展開していくと、『共同幻想論』のなかでは、しまいには、ぼくは一人の個人がじぶん以外の他の一人の個人と出会うといいましょうか、関係する仕方っていうのが「対幻想」なんだっていうふうに概念を拡張しました。性とか男ないしは女っていうふうに限定しないで、どんな場合でも、一人の人間として他の一人の人間と関係するとか、出会うとかっていう場にできる、その精神性っていうのは、それは、全部「対幻想」とよぶべきなんだ。それは、男と男であっても、男と女であっても、同じなんで、やっぱり「対幻想」とよぶべきなんだ。それは、個人とも違うし社会的な人間としての個人とも違う、そういう違う場所っていいましょうかね、違う位置っていうのをもっているんだ。だから、そういう一人の個人対じぶん以外の他の一人の個人との結びつきとか、関係というのは、社会に対しても、あるいはじぶん一人っていうのに対しても違う精神性っていうのがそこにかんがえられなくちゃいけない。それが、男女の結び付きを中心にした「家」とか「家族」はその場所にかんがえればいいんだという考え方をとったんですね。
 だから、本当いうと一人の人間ですから、ぜんぶ混合して出てくるわけです。「対幻想」のなかに、女性に対する考え方とか関係の仕方のなかに、じぶんの個というのが出てきたりするわけです。しかし、本来的にいえば、別々のものだから、別に分けてかんがえなくてはいけないとかんがえたんですね。
 それで、個人の精神性っていうのは、ぼくは『心的現象論』でやればできるんだという考え方になりました。それからまた、家族の問題、あるいは、対幻想の問題とその共同幻想の問題というのは、一つのなかに含めて、『共同幻想論』としてかんがえればかんがえられる。そして、対幻想というのは共同幻想の特殊な場合っていうふうにかんがえれば、含めてかんがえることができるんじゃないかってかんがえたんですね。(『』ミシェル・フーコーと「共同幻想論」』(吉本隆明vs中田平)

引用のなかで吉本隆明の思想が思わず背中をみせている。「『共同幻想論』のなかでは、しまいには、ぼくは一人の個人がじぶん以外の他の一人の個人と出会うといいましょうか、関係する仕方っていうのが『対幻想』なんだっていうふうに概念を拡張しました」。対幻想というのは共同幻想論を展開するなかで媒介的な外延として出て来たことを吉本隆明自身が述べている。自己と共同性をつなぐものが対幻想という特殊な共同幻想となる。まったく観念の順序が逆であるとわたしは考えた。自己のなかに三つの観念が合わさって存在していることについて吉本隆明は、「本当いうと一人の人間ですから、ぜんぶ混合して出てくるわけです」と言う。三つの観念をそれぞれであることを統覚するものはなにか。同一性である。たとえば数の観念は自然数から整数へ、整数から有理数へ、有理数から無理数へと拡張され、実数で完備した系をつくる。この過程は不可逆である。数学的な自然はそういうものとしてある。人間的な自然はまったくちがう。記号A=Aと私が私であることはなんの関係もない。意識の外延性の大海のなかで、私はあるのざわめきのなかにちいさな自然として漂っている。大地に深く塹壕を掘り窪みのなかに棲んでいるとしてもいい。いくつものちいさな自然がばらばらに漂流している。深い窪みに棲まうちいさな自然は互いに孤立している。ちいさな自然はどうやればつながるのか、意識の外延性は答えることができない。かろうじて神や仏を媒介にしてやっと私が私に回帰する。私という同一性は空隙であってそこにはなにもない。Beyond Here Lies Nothin’なのだ。この空っぽを埋めようとして思考は考えることを考えつづけてきた。同一性という空虚を差異性によって充填すること。神や仏以外のなにものもあるのざわめきを埋めることはできない。人格を媒介にした理念は到来するビットマシンの外延革命で切り刻まれ断片化され情報として再構成されつつある。ここで差異性は思考のうねりとして語られることはなく、技術というたんなる操作に置き換わっている。
吉本隆明が共同幻想論を進めるなかで自己と共同性をつなぐものとして対幻想という特殊な共同幻想を構想したが、わたしは吉本隆明の思考のベクトルと逆向きに意識を求心した。自己幻想と対幻想と共同幻想の母型となる同一性の祖型となる観念を構想し、内包論として持続している。対幻想は共同幻想ではなく、それ自体としての途方もない存在としてある。マルクスがイェニーさん問題をそれ自体として取りだす思想をつくっていたら、貨幣の交換のしくみは贈与となっていたように思う。おなじように吉本隆明の思想の方法を逆向きに求心すれば、まっさらな思考が生きられる未知としてひらけてくる。後知恵としての対幻想はつまらない。それがあることによってヒトが人となった熱い情動が同一性のはるか手前にある。わたしたちはいつもそのうえに立っている。

    2

内面という精神の内在性がどれほど粗雑なものか、ある場面を引用する。『死の棘』として高い評価を得ている文学作品だ。おそらく作者の島尾敏雄の分身である登場人物は狂態を演じる。Sさんも、Sさんの奥さんも狂ったふりをしている。Sさんの愛人である女性はこの場面でふたりに迫害される不在の神を象徴し、不在の神として臨在する。その意味を内包論から語りたい。

「トシオ、ほんとにあたしが好きか」
と妻に出し抜けに言われたとき、悪い予感が光のように通り過ぎた。
「好きだ」
と答えると、
「その女は、好きかきらいか」
と追求してくる。女の目を見かえしながら、
「きらいだ」
と低い声でやっと答えた。
「そんならあたしの目のまえで、そいつをぶんなぐれるでしょ。そうしてみせて」
と妻は言った。試みは幾重もの罠。どう答えても、妻の感受はおなじだと思うと、のがれ口は段々せばまってくる。私はこころぎめして、女の頬を叩くと、女の皮膚の下で血の走るのが見えた。
「力が弱い。もういっぺん」
と妻が言えば、さからえず、おおげさな身ぶりで、もう一度平手打ちをした。女はさげすんだ目つきで私を見ていた。
・・・(略)・・・
そのあいだ私はだまって突っ立ち腕を組みそれをみていた。「Sさん、助けてください。どうしてじっと見ているのです」
と女が言ったが、私は返事ができない。
「Sさんがこうしたのよ。よく見てちょうだい。あなたはふたりの女を見殺しにするつもりなのね」
とつづけて言ったとき、妻は狂ったように乱暴に、何度も女の顔を地面に叩きつけた。

この場面について「片山さんとの往復書簡6」でつぎのように書いた。

島尾敏雄はこの場面をどう切り抜けたのでしょうか。出来事の当事者として第三者の位置はとれません。いま目の前で起こっていることを風景のように見ることで惨劇をやり過ごすことができます。雨が降り風が吹くように出来事が起きている。二瓶寅吉さんもそのように出来事を体験したに違いないと思いました。島尾敏雄さんは出来事を自然のように見ることで心の崩壊をつなぎ止めたのだと思います。生に備わった人間の心の知恵ではないかと考えました。出来事を風景のように見ることは生の不全感を不可避に伴います。この不全感を埋めるためにかれはカトリックに入信したのだと思います。沖縄戦で洞穴に逃げた母親がわが子を殺めたときのことを「天皇陛下の赤子として死ぬほかなかった」と言っていました。おそらく二瓶寅吉さんもおなじことを考えたに違いありません。生のよすがを共同幻想に同期するほかない生の実存があります。
天皇の赤子と、親鸞の他力はどう違うのか。そのあたりのことを考えています。二瓶寅吉さんたちや「Sさん」の内面でいったいなにが起こっているのか。痛ましい三角関係の修羅や戦争の地獄の体験をやわらかく解きほぐすことはできるか。できると思います。対幻想や共同幻想はそれぞれに観念の位相がちがうといってすむことでもありません。出来事の真犯人はわたしたちの思考の慣性をかたどっている同一性であり、同一性の為せるわざなのです。危機に瀕したとき、惨劇のただなかにあるとき、出来事をあたかも風景のように眺め自然現象であるかのようにみなす生の視線は、文学の問題でも政治の問題でもありません。内省と遡行という意識のありかたは出来事から目をそらす方便です。内面というわたしたちのちいさな自然は抱え込めないおおきなひずみを解消することはできないので、おおきな自然である共同幻想に身を託すしかない。それが天皇の赤子というほかに言葉がないことや修羅を風景であるとみなした島尾敏雄を襲った出来事です。(「歩く浄土194」)

対幻想が生木を断ち割るように引き裂かれる場面の象徴だと言える。現実のなかに修羅が立ちあらわれるとき、わたしたちの内面は行き場を失い、宗教的信に帰依する。内面は自己幻想であり、宗教の共同性はいうまでもなく共同幻想である。而して語りえぬことについては沈黙せよ。黙考しないのが文学だ。へらへらとうそを言う。すくなくとも作者は内面を語ることはできない。なにがここで語られているのか。なにも語られていない。場面の全体がフェイクである。語りえぬことがなぜ共同的な信として昇華するのか。そのことが前提としてある。
内面としてこの凄惨な事件の現場を語ることができるだろうか。できない。できないから出来事を風景のようにみることが可能な意識の超越性の場所にいっさんに趨く。そしてその帰依する超越の場所から出来事を回顧することになる。内面化できないとしたら、ほんとうは共同化もできないはずではないか。そのことが考慮されることはない。文学とはその程度のものだと思ってきた。非命を生きた者たちがその無惨な死を過去を想起するように未来を追憶するとき、死はひとりではなくふたりとしてひらかれる。言葉をそこまでとどかせること。どうやれば可能となるか。内面を内包化するとき、死も戦争も三角関係の修羅も、どこにも存在する余地がない。それができなければ沈黙するのがよかろう。

生の体験はもともと意識の内面化によってつかむことができない出来事としてある。強いAIの操作でわたしがわたしであることをつかめないように、内面はわたしがわたしにとどかないという生の経験をつかむにはあまりに言葉の網の目が粗すぎる。変わるだけ変わって変わらず、変わるほどに変わらない生の経験を表現するには窮屈すぎるという気がしてしかたない。外界がおおきな自然として、内面をちいさな自然とする思考の慣性を広げることでしかここでなにが起こっているのかをつかむことはできない。惨劇を語りえない内面の劇は出来事を空間化し共同的な信に身を寄せることでその場をしのぐ。そんなものが表現であるわけがない。意識の外延性では内面というちいさな自然を空間化することでしか意識を対象化することができないということだ。斯様に内面と共同性はかたく結びついている。だからじぶんとはぐれた意識の外延性の剰余は倫理として規範的に語られることになる。ここに信の共同性の起源がある。わたしたちは始祖鳥の羽をつくろうとしている。

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