日々愚案

歩く浄土222:アフリカ的段階と内包史10

    1

文明の外在史と精神の内在史の矛盾を、人間にとっての精神の母型とされるアフリカ的段階を梃子とし、その精神の母型を外在史に繰り込むことで、文明の外在史を組み替えることができるか。原理的にできないと思う。わたしはマルクスや吉本隆明の思想は解けない主題を解けない方法で解こうとしているとくり返し主張してきた。もとよりマルクスや吉本隆明の思想を、ある思考の象徴として取りあげている。思想としてどれほどの膂力があっても世界の無言の条理を造りかえることはできない。なぜ解けないか。文明の外在史と精神の内在史の矛盾という理念の型を、否定するのではなく、理念の型をまるごと拡張することでしかこの世のしくみを変えることはできないと考えてきたからだ。内面化も共同化もできないことのなかにこの世のしくみを包越する機縁があると考えている。その驚きを内包論として途切れ途切れに考え、文字にしてきた。本で読み知った知識ではなく出来事の当事者であることを手放さずにやっとここまで来た。わたしたちは文明の外在史というおおきな自然と、精神の内在性というちいさな自然を手にしただけだった。ちいさな自然は生のなかにくぼみをつくり、それを内面と名づけてきた。内面という粗雑な精神の形式で生をつかむことはできない。内包論には意識の外延論とちがっていくつかの違いがある。生きていることの当事者性を放下しないということ。生きていることをそのまま表現にしようとするとさまざまなひずみがその当事者に負荷される。ただなかを生きているじぶんの生を知識人や観察する理性の場所からながめるのではなく、そのなかにいてそこを生きることから離れない。生を引き裂く体験と熱い自然の体験を内面化できなかった。内面化できないから共同化もできない。わたしを襲来した出来事を精神と外界という思考の慣性で言語化できなかった。内面の言葉と社会の言葉が密通していると感じてきた。内面の言葉を通約すると社会の言葉に導かれることが思考の慣性として前提とされている。この思考の慣性は人と人の関係を傾かせる権力にほかならないというわたしじしんの体験の強度があった。言葉が匂い立つべつの気圏がないか。それをながいあいだわたしは探し続けた。それを内包として語るようになるまでも、内包のしくみを解明しようとしてからも、気が遠くなる歳月を要した。闇夜の手探りのなかで少しずつ内包という理念の輪郭がはっきりしてきているが、いまもそのただなかにいる。いくつかの概念を悪戦苦闘しながらつくってきた。わたしが内包と名づけている言葉の場所はだれのどんな生のなかにも無限小のものとして内挿されている。わたしたちの知る思想のどこに根本的な欠陥があるのか、いくらかの余裕をもって指摘することができる。ある意識の表現のパターンが潜在している。いずれも知識人と大衆という権力による生の分割支配が統治として述べられる。そのいくつかを記憶をたどりながら貼りつける。

①「人格だけが生存権をもつ」という考えは、はたして「滑りやすい坂を滑り落ちているか」と。「教育を受けること、人間関係を培うこと、家庭生活を送ること、経歴を身につけること、貯蓄をすること、休日の計画をたてること」ができない「意識のない生命はまったく価値がない」ので、たとえば(生後日までの新生児とおなじように)「ダウン症の子どもが生存しないように死に至る措置をとる」ことにして、「望まれた子どもだけ産む」ことにするのはすばらしく倫理にかなったことではなかろうか、と。(ピーター・シンガー『生と死の倫理』)

②同じ進化の方向性やデザインは、勝利するという共通のゴールを目指す人のさまざまな集団で別個に現れる。本当の目的は速度ではなく勝つことで、勝つとは社会的地位を上げること、より良い暮らしをし、より長く生きること、そしてより遠くへ移動することだ。その目的は人生そのもので、その背後にあるのは、生きたいという衝動だ。その衝動は保存(あるいは自己保存)の本能としても知られ、何ものにも優る。(エイドリアン・ベジャン『流れとかたち』)

③ハンムラビの死の約三五〇〇年後、北アメリカにあった一三のイギリス植民地の住民が、イギリス王に不当な扱いを受けていると感じた。彼らの代表がフィラデルフィアの町に集まり、一七七六年七月四日、これらの植民地はその住民がもはやイギリス国王の臣民ではないと宣言した。彼らの独立宣言は、普遍的で永遠の正義の原理を謳った。それらの原理は、ハンムラビのものと同様、神の力が発端となっていた。ただし、アメリカの神によって定められた最も重要な原理は、バビロンの神々によって定められた原理とはいくぶん異なっていた。アメリカ合衆国の独立宣言には、こうある。

「我々は以下の事実を自明のものと見なす。すなわち、万人は平等に造られており、奪うことのできない特定の権利を造物主によって与えられており、その権利には、生命、自由、幸福の追求が含まれる。」

 アメリカの礎となるこの文書は、ハンムラビ法典と同じで、もし人間がこの文書に定められた神聖な原理に即して行動すれば、厖大な数の人民が効果的に協力して、公正で繁栄する社会で安全かつ平和に暮らせることを約束している。ハンムラビ法典と同様、アメリカの独立宣言も書かれた時と場所だけに限られた文書ではなく、後に続く世代にも受け容れられた。アメリカの児童生徒は二〇〇年以上にわたって、この文書を書き写し、そらんじてきた。
 これら二つの文書は私たちに明らかな矛盾を突きつける。ハンムラビ法典とアメリカの独立宣言はともに、普遍的で永遠の正義の原理を略述するとしているものの、アメリカ人によれば、すべての人は平等なのに対して、バビロニア人によれば、人々は明らかに同等ではないことになる。もちろん、アメリカ人は自分が正しく、ハンムラビが間違っていると言うだろう。当然ながらハンムラビは、自分が正しくアメリカ人が間違っていると言い返すだろう。じつは、両者はともに間違っている。ハンムラビもアメリカの建国の父たちも、現実は平等あるいはヒエラルキーのような、普遍的で永遠の正義の原理に支配されていると想像した。だが、そのような普遍的原理が存在するのは、サピエンスの豊かな想像や、彼らが創作して語り合う神話の中だけなのだ。これらの原理には、何ら客観的な正当性はない。
 私たちにとって、「上層自由人」と「一般自由人」という人々の分割が想像の産物であることを受け容れるのはたやすい。とはいえ、あらゆる人間が平等であるという考え方も、やはり神話だ。いったいどういう意味合いにおいて、あらゆる人間は互いに同等なのだろう? 人間の想像の中を除けば、いったいどこに、私たちが真に平等であるという客観的現実がわずかでもあるだろうか?(『サピエンス全史』)

ユヴァルの思考法が機能主義的なのは表現という概念が欠落しているからだと思う。機能主義的に歴史を記述しようとすれば共同幻想のさまざまな層は、生物学的には平等も権利などというものはないものとされ、どこにも実在しない虚構ということになる。どうして人間という驚異の出来事が生物学ごときに還元されなければならないのか。ユヴァルはアメリカ合衆国の独立宣言を生物学的に読みかえる。

「我々は以下の事実を自明のものと見なす。すなわち、万人は異なった形で進化しており、変わりやすい特定の特徴を持って生まれ、その特徴には、生命と、快感の追求が含まれる」(同前)

自然を対象としたときの真理と人間の営みを対象としたときの真理はまったく次元が違う。そのことを無視してユヴァルは自然科学の知に人間を馴致しようとしている。異なった形で進化した人間が、変わりやすい特徴をもって生まれても、その特徴には生命と快感の追求が含まれると読みかえるとき、「含まれる」ということは当為を意味する。この当為の正当性は自然科学的な認知のしくみのなかに場所を見いだすことはできない。そのことさえもユヴァルにはわからない。ベジャンの『流れとかたち』もドーキンスの『利己的遺伝子』も『神は妄想である』も生を可視化して機能的に論じている。浅はかであるとしかいいようがない。ケヴィンの『インターネット〉の次に来るもの』もおなじ意識の息づかいをしている。ユヴァルが人間を生物学的に還元するにしたがって、ケヴィンの、人間の集合的な知性とビットマシンの集合的な知性が融合し惑星規模の知性を生きるという考えが競り上がってくる。そうやって生がホロスの属躰となる。
わたしはかれらに問いたい。それでは明晰な自明性としてある〔1〕を取りだして手のひらの上に差し出してみよ、と。それらも自然科学的な公理のうちにある虚構にすぎないではないか。また自然科学が真理とするものと生の奇妙さはまったく次元が違うのだ。ここを取り違えるときわたしたちの生はかぎりなくA=Aという同一性に漸近していく。それがいまわたしたちの身近で起こっている。またそれが現在ということだ。どうじにユヴァルが人間の理念についての盲点を衝いていることを認める。なぜ人間は互いに平等なのか。なぜ人間は自由なのか。そのことについて考え尽くしていないことが転形期の世界の混乱を招来している。(「歩く浄土117」)

別の可能性も想像してほしい。持ち運びのできるハードディスクにあなたの脳のバックアップを作り、ノートパソコンでそれを実行したとしよう。そのノートパソコンは、サピエンスとまったく同じように考えたり感じたりできるだろうか? できるとしたら、それはあなたなのか、それとも誰か別の人なのか? コンピュータープログラマーたちが、コンピューターコードから成る、まったく新しいデジタルの心を創り出し、それに自己感覚や意識、記憶を持たせられたら、どうなるのか? そのプログラムをコンピューターで実行したら、それは人なのか? もしそれを消去したら、あなたは殺人罪で告発されるのか? こうした疑問には、ほどなく答えが出るかもしれない。二〇〇五年に始まったヒューマン・ブレイン・プロジェクトは、コンピューター内の電子回路に脳の神経ネットワークを模倣させることで、コンピューターの中に完全な人間の脳を再現することを目指している。このプロジェクトの責任者によれば、適切な資金提供を受けたなら、一〇年か二〇年のうちに人間とほとんど同じように話したり振る舞ったりできる、人工の人間の脳をコンピューターの中に完成させられるという。もしそれに成功すれば、生命は四〇億年にわたって有機化合物の小さな世界の中で動き回ってきた後、突如、広大な非有機的領域に飛び出し、私たちには想像もつかないような形を取れることになる。(『サピエンス全史』)

④われわれが生きるこの世界において、複雑な問題を解く方法は、実は、選択と淘汰、つまり遺伝的な進化のアルゴリズムしかないのかもしれない。優れたものは繁栄し、そのバリエーションを残し、劣ったものは淘汰される。人間の脳の中でも、予測という目的に役立つニューロンの一群は残り、そうでないものは消えてゆくというような構造があるのではないだろうか。私の研究室では、ディープラーニングをこうした選択と淘汰のメカニズムによって実現しようという研究を行っている。組織の進化も、生物の進化も、脳の中の構造の変化も、実は同じメカニズムで行われているのではないか。そう考えると、個人と組織、そして種との関係性は思ったよりも密であり、そして「システムの生存」というひとつの目的に向けて、備わっているのかもしれない。(松尾豊『人工知能は人間を超えるか』)

⑤ぼくのもっている戦争中の大衆のイメージはそういうものじゃないんだな。赤紙一丁くれば、インテリゲンチャみたいにぶすぶす言わないで戦争に行くわけですよ。国家の命ずるままに、妻子と別れて命を捨てるために出ていくというのが先験的なのであって、その内部に、あの上官はおもしろくないとか、そういうぼそぼそがあるわけです(赤紙一丁で命を捨てるために出ていく、反体制運動でも同じで、わっとやれば指導者の意図を越えてしまう。これがぼくのもっている大衆のイメージですね。 そこで問題になるのは、こういう大衆を何がチェックできるか、ということです。たとえば毛沢東はチェックできない、あるいは政策的にしかチェックできない。しかしチェックしなければならない。それは、ここははっきりさせなければならない、ここまでは思想的にはっきりさせなければならないという原理があるわけで、その原理に照らしてしかチェックできない。たとえば鶴見さんは、ウルトラな大衆が出てくれは、どうもあまり好きじゃないなということで退くわけでしょう。

そういう倍音は、善にも行き過ぎる、悪にも行き過ぎる大衆の部分で起きるものだと思いますよ。ある極限にきてしまえば、そのぶすぶすは固執されないで、わっといってしまうのが大衆だというふうに私は思っています。だから、ぼそぼそは大衆というものの把握のなかで絶対化することはできないだろう、そういうものを取り出して、大衆自体を評価するのは、大衆のイメージをまちがえてしまうのじゃないかなと思う。何でもない普通の魚屋さん、お菓子屋さんは、いつもは税金が高いのはけしからんとか、食えないとかぶすぶす言っていて、税金は二重帳簿をつくっておいて数字を少しごまかすというようなことは、ちゃんと心得ているわけですよ。ふだんはそういう一種の自然な虚偽で国家に対抗している。しかし、いざ鎌倉というときには、やっぱり政府自民党に投票する。中国ではその道の方向が出てきたんですよ。ふだん何かぶすぶす言っていて、究極では毛沢東が采配を振るとわっといってしまう。そして、いつもあとにやっぱりインテリゲンチャが取り残されて、身動きできない。
しかし、ぼくに言わせれば、思想を明確に原理的に提出しえているならば、知識人はそんな場面で絶対にうろうろしないと思うんです。そういう場面で指導者に対してチェックできるし、大衆に対しても原理的にチェックしうるのが知識人の一つの原型だとぼくは考えているのです。知識人を原型として描けば、指導者をも大衆をもチェックできる存在を指すと思う。ぼく流の言葉で言えば、それは自立しているということであって、その世界を包括しえていれば、いかなる事態であろうと、だれがどう言おうと動揺することはない。行き過ぎだといって、そこから身を退くこともいらない。
 はじめにも言ったけれども、実際、反体制的な運動は、行き過ぎなさすぎてきたんじゃないですか。行き過ぎたことなんか一度もないじゃないですか。ぼくは、自分の思想の原理に照らしてどんなにだめだと評価されるものでも、行き過ぎだという理由で否定したことは一度もないわけだ(笑)。戦争中でも戦後でも、私たちはどうして完全に参った、完全にへばったのだろうかといった問題を一度も思想の問題として打ち出したことはないんですよ。絶えず行き過ぎもせず、へばりもしない。へばるのは下の方のやつだけで、組織はちゃんと存続していく。こういうところがぼくにはいちばん奇妙に見えるわけです。だからぼくは、大衆が戦争において行き過ぎようと、何々運動において行き過ぎようと、それは否定の対象にならないと思うんですよ。ただ、それをチェックしうる思想を知識人が形成しうるか否かだけが問題ですよ。思想的な原理以外の何によっても大衆の行き過ぎはチェックできないですね。そういうのが、ぼくの大衆のイメージです。(『どこに思想の根拠をおくか』吉本隆明vs鶴見俊輔)

いったいなにが言いたいのか。なぜこんなつまらぬ考えをつくることに吉本隆明は生涯を賭けたのだろうか。社会思想として語られる大衆も知識人もまるごと虚偽であることになぜ吉本隆明は気づかなかったのだろうか。いくらか吉本隆明が文化人であったからではないか。大衆を愛するハードコアなパンク思想家。吉本隆明にとって大衆は救済の対象であり、一人ひとりの貌がそこにあるわけではない。理念としての大衆なのだ。この理念が人類史の厄災を招来したということに気づかずに吉本隆明は生涯を終えた。途方もない理念の錯誤が雄大に語られた。それが吉本隆明の思想だ。同一性という表現の論理式がどれだけ空無かということを吉本隆明は生涯を賭け思想として表現した。意識の外延表現として吉本隆明の思想がこの国のもっともすぐれた達成であることを承知の上でこのことを申し述べている。吉本隆明の思想の核心である理念としての大衆では、他者の生存を自己の生存の手段とすることを拒めないというシンプルな実感がわたしにある。吉本隆明は思想を自己の生存感覚の真芯で表現できていない。わたしがくぐった体験の実感としてそう思う。この違いはいかんともしがたい。わたしがたどりえた知では親鸞の他力と自然法爾だけがかろうじて同一性の論理式を振り切ろうとしていた。知識人と大衆という権力による生の分割支配を近代的な概念としてわたしは考えていない。一万年余の人類の文明史の必然として衆生の生は権力によって睥睨されてきた。そして人びとの生の統括を主務とする者たちが知識人だった。また衆生を権力によって統治する技術が知識だった。知識はだれによって担われようとそれ自体として権力である。それが世の常だったと思う。同一性を実有の根拠とするかぎり、精神の古代形象に深く刻み込まれた身体性というくびきをまぬがれることはない。人間という生命形態の自然は外界の自然との代謝関係において心身を維持するしかない。「胃袋とペニスに、目玉と手足の生えたのが動物。その上に脳味噌の被さったのが人間」(三木成夫)を深く感得する。これが生の基本体制だ。意識の目覚めを内包的に表現してヒトから人になった根源の性の分有者のなかにも捕食行動の反射として身体性が巻き込まれている。どんな大義も共同幻想だがその共同幻想によって精神の古代形象のなかに埋め込まれた身体性が猛烈に昂進する。この対談のなかで吉本隆明は大衆のイメージついて鶴見俊輔に吼えるように食ってかかる。「ぼくは、大衆のとらえかたが鶴見さんとはものすごくちがいますね。ぼくのとらえている大衆というのは、まさにあなたがウルトラとして出されたものですよ。戦争をやれと国家から言われれば、支配者の意図を越えてわっとやるわけです。たとえば軍閥、軍指導部の意図を越えて、南京で大虐殺をやってしまう。こんどは、戦後の労働運動とか、反体制運動では、やれやれと言われるとわっとやるわけです。裏と表がひっくり返ったって、それはちっとも自己矛盾ではない。大衆というものはそういうものだと思う」。蛮行を働いた皇軍の非道や無道は救済される対象として放免される。人は契機があれば百人でも千人でも殺しうる存在である。害虫であるユダヤ人を絶滅することが善であると思いこむことも可能である。吉本隆明の社会思想が徹底して駄目なのは大衆のありようを外在的にしかつかむことができていないからだ。「大衆が戦争において行き過ぎようと、何々運動において行き過ぎようと、それは否定の対象にならない」とする吉本隆明の思想をわたしは唾棄する。吉本隆明が戦争体験を地軸が傾くほどに考えに考え、考え抜いて究尽することはなかった。

政治はおおきな自然によって統治として受理され、知識人が代理して衆生の生を采配する。このしくみと仕掛けは人類史とおなじ規模の起源をもつ。このときおおきな自然の生を引き裂く力のもたらす矛盾や対立や背反は、ちいさな自然に応力のようにして内面をもたらし人びとを慰撫する。そのなれの果ての、さらに果てにわたしたちが小さな生を営んでいる。わたしたちはこういう自然しかつくりえていないのだ。なぜ吉本隆明の思想にここまでこだわるのかといえば言える。吉本隆明の思想をわが身にたぐり寄せながら、ある意識の呼吸法がたどる運命について言おうとしている。意識の外延表現はその内部に閉じた意識の系をひらく鍵をもっていない。私性のなかに痕跡のようにしてある同一性的な意識の残余のなかにひらく鍵があるといえば言えるが、わたしたちが長い人類史のなかでつくった自然はこの意識の残余を内面とみなすことで閉じた意識となって円環している。外界と内面ではなく、その外界と内面を共に包む自然をつくれば人類史は拡張できる。出来事の当事者でありつづけるということのなかにしか外延的な思考をひらくきっかけはないと考えてきた。出来事は内面化することも共同化することもできない。だからそのありようのなかに膨大な思考の未知があると思ってきた。(「歩く浄土181」)

⑥長い間いわゆる「左翼」知識人は、真理と正義の所有者として発言してきました。またそのように発言する権利があると認められてきました。人びとは彼のことばに、普遍性を代表する人間のことばとして耳を傾けていました。少なくとも彼自身は、そう思いこんでいました。知識人であることは、多少なりともすべての人の良心となることでしたし、そこにはマルクス主義から、それも気の抜けたマルクス主義から移植された考え方が、生きのびていたのではないかと思います。というのも、プロレタリアがその歴史的立場の必然性からいって、普遍的なるものの保持者(ただし反省を経ていない、自己意識の低い、即自的保持者)であるように、知識人もまた、その倫理的・理論的・政治的選択によって、この普遍性-もちろんその意識化され、考えぬかれた形式においてです-の保持者となろうとするからです。知識人は、普遍性の明晰な、かつ個体としての姿であり、プロレタリアはその暗い、集団的な形式だというわけでしょう。ところで、知識人にこのような役割を求めなくなってから、もうだいぶ年月がたちました。「理論と実践の関係」について、新しい様式が確立されました。知識人はいまでは、「普遍的なもの」、「規範的なもの」、「すべての人のための正義と真理」においてではなく、限定された分野で、つまり仕事や生活の条件から自分が位置している特定の地点(住居、病院、精神病院、研究所、大学、家族、性関係)において、仕事をしていく習慣を身につけてきました。そうすることで彼らは、闘争についての、以前と比べればずっと具体的で、直接的な認識を、確実に獲得しました。そうした闘争のなかで知識人は、特定領域にかかわる、したがって「非普遍的」な問題、しばしばプロレタリアや大衆の問題とは異なった問題に、出会いました。ところが、この異なる両者は、本当の意味で接近することになったのです。それには二つの理由があるようです。まず第一に、そこでは現実的・物質的・日常的闘争が問題になっていたからです。もうひとつは、知識人たちが戦いの形こそちがうものの、プロレタリア、農民あるいは大衆とおなじ敵(多国籍企業、司法、警察機構、不動産投機など)に遭遇していたからです。まさにこうした知識人こそ、わたしが「普遍的」知識人との対照で「特定領域の」知識人と呼ぶものなのです。(「真理と権力」1977 北山訳)

内面が外化されたものを表現とみなすかぎり外界と精神というクリアカットな自己意識の円環から逃れることはできない。①から④は適者生存によって世界の条理を語る常套のりくつであり、⑤は大衆を媒介に世界を語る典型的な近代知である。⑤にはさまざまなヴァリエーションがあるが、大衆という空虚が同一性的な自意識のなかで充填されることはない。遺制としての宗教的な意味合いしかもたない。始祖鳥の羽のようなものをあたらしい言葉でつくることでしかこの世の条理を跨ぎ超すことはできない。わたしは知識人と大衆という生の分割支配を睥睨する視線を排してきた。人間の意志を歴史に体現できるかどうかは、知が大衆を制御するという視線ではなく、また生を分割支配する権力の視線のなかに生の固有性はない。総表現者のひとりをそれぞれが生きることのなかにしか生の固有性はないと思う。
では、⑥でフーコーが唱えた「特定領域の」知識人はどうだろうか。フーコーが特定領域の知識人の役割を推奨するとき、人類史に厄災をもたらした普遍的知識人にたいする呪詛がある。生政治を研究するのに邪魔だから、マルクス主義的な左翼に引っ込んでくれといったわけだ。わたしはフーコーの予測したよりはるかに急峻に身体を貫く権力が生物工学として到来したと考えている。ビットマシンによる社会革命は身体を人工的に置き換えることによってさらなる利便性と快適性と収益性を見込んでいる。この流れを止めることはできない。あっというまに粗視化された自然を思考の慣性とし、そこにこれまでなかった自然が外延的につくられる。フーコーの生権力の研究の方法そのものがいまではとても牧歌的だといえる。

知の考古学者フーコーはいちはやく身体を貫く生権力を解明しようとして、1984年、死を目前にして、主体は実体ではなく、真理は他性によってもたらされると言った。この意味はとてもおおきいと思う。この国では数学者の岡潔や解剖学者の三木成夫や音楽学者の小泉文夫やスーパーソニックの大橋力たちが、西欧的な知性とは異なる知の系譜を連綿とつくってきた。岡潔は考えた。「人には心が二つある。大脳生理学とか、それから心理学とかが対象としている心を第1の心と呼ぶことにします。(略)ところが人には第2の心があります。(略)この心は無私です。無私とはどう云う意味かと云いますと、私と云うものを入れなくても働く。又私と云うものを押し込もうと思っても入らない。それが無私。それからこの心のわかり方は意識を通さない。直下にわかる。(略)芭蕉は、秋風はもの云わぬ児も涙にて、と云ってますが、秋風が吹くともの悲しいですね。このもの悲しいと云うのは私がもの悲しいんじゃないでしょう。つまり喜怒哀楽じゃないでしょう。自からもの悲しいんでしょう。又、もの悲しいと意識しないでしょう。直下にもの悲しいんでしょう。だからもの悲しさも第2の心がわかるんですね」(「一滴の涙」1970年5月1日 於:市民大学仙台校)岡潔は人には心がふたつあることを数学で表現しようと生涯格闘し果たせぬまま逝った。岡潔の言う第二の心は東洋的な共同幻想の情緒だとしてもみごとな心意気だったと思う。岡潔や三木成夫や小泉文夫はなにをいいたかったのだろうか。どこに行きたかったのだろうか。いずれにしてもかれらの試みがビットマシンの外延革命に呑み込まれることはないように思う。フーコーの、主体は実体ではなく、真理は他性によってもたらされるという発見もまた。

    2

わたしは一身が二心を宿す不思議を内包と名づけ、同一性の手前にある還相の性を主体とする考えを長年つくろうとしてきた。内在的な精神で外在的な文明史を相対化し組み替えようとする思考の慣性そのものを解体しないとわくわくどきどきする生がやってこない。内包自然の上に総表現者となった一人ひとりが舞い降りるとそれが可能となる。意識の外延性では大衆と一括りにされ、どこにも固有の生はないが、総表現者のひとりとして出来事の当事者性を真芯で生きるとき、
はじめて固有の生が到来する。総表現者のひとりとして内包自然を生きるときなにが起きるか。自然(じねん)に自己が領域化され、三人称の隣人が「遠いともだち」として立ちあらわれる。自己が領域化されることがないとしたら、生が三人称を疎外するのは不可避であるし、共同性も貨幣も共同主観的な現実となる。それがわたしたちがつくってきた適者生存という人類史だ。内包という考えをつくるときもっとも困難だったのは、信の共同性の淵源である第三人称問題だった。おそらく人類のだれもこの思考の限界を突きぬけていない。ここが解かれないかぎり適者生存という生存の条理が変わることはない。読んでいて不思議なことに宮沢賢治の作品のどこにも権力がない。どこまでいっても「遠いともだち」になっている。この不思議はどこから来たのか。妹のとしこが宮沢賢治のエロスの根っこにあると思う。固有名が固有名のまま匿名になる、そのようなものとして。

海がこんなに青いのに
わたくしがまだとし子のことを考へてゐると
なぜおまへはそんなにひとりばかりの妹を
悼んでゐるかと遠いひとの表情が言ひ
またわたくしのなかでいふ(『校本全集』)

宮沢賢治にとってのとしこは片山さんの『なお、この星の上に』の結びの言葉と正確に対応している。

「健太郎」と声が追いかけてきた。
  彼は振り向いた。
 「お花を摘んできてくれるか」
  無邪気にたずねている人は、おれよりも近くにいる。

なにがここで語られているか。実詞化できない固有名が固有名のまま匿名になる性の機微が表現されている。この性のことを還相の性と名づけてきた。おなじことを親鸞は仏教の言葉でいっている。「如来のお誓いのかなめは念仏の人をこの上ない仏にさせようとお誓いになったことであります。この上ない仏といいますのは形もおありになりません。形もおありにならないから自然というのであります。形がおありになるように示すときには、如来のさとりをこの上ないものとはいいません。形もおありにならないわけを知らせようとして、とくに阿弥陀仏と申しあげる、と聞き習っています。阿弥陀仏というのは自然ということを知らせようとする手だてであります」(「末燈鈔」石田瑞麿訳)形のない第十八願を知らせる道理のことを親鸞は阿弥陀仏と言っている。仏の第十八願を実詞化することはできないから、還相の性の代わりに親鸞は当時の思考の慣性で仏の慈悲と言い習わした。それは絶対の受動として他力として贈与されていると。親鸞とおなじ覚者が複数いれば、他力の信も共同性をつくる。おそらく死を目前にした親鸞は親鸞より近い仏を親鸞として、自己を領域として生きたように思う。言葉としては遺されていないが、自然法爾はわずかにふくらんだのではないか。それは還相の性が棲まう場所でもあった。なにより還相の性を核とする内包論は共同性を疎外することがない。内包自然の奥深いところに息づいている還相の性は、古来の神や仏という自己に先立つ超越を信として共同化することがない。内包論では第三者性問題は喩としての内包的な親族として表現される。この世界に国家や戦争は存在しない。貨幣は交換ではなく贈与される。生命形態の自然を精神の古代形象が脊髄反射のように身体性を巻き込んだとしても、還相の性は、意識の外延性としてわたしたちの知る文明の外在性でも精神の内在性でもなく、どんなものよりシンプルで深く、音色のいい内包的な自然を贈与する。なにをやっても間に合わないという衝迫を宮沢賢治は『注文の多い料理店』の「序」や「しばらくぼうと西日に向ひ」の擬音や「ユリア ペムペル わたくしの遠いともだちよ」として表現した。

『銀河鉄道の夜』のなかでジョバンニがカムパネルラにいつまでも一緒にいようと呼びかけ、ほんとうのほんとうってなんだろうとつぶやくとき、宮沢賢治の言葉は内面と外界を自由に往還しているようにみえる。この理解は自己意識を外延したところから発せられている。内面が外部であり外部が内面である表現を宮沢賢治は自在に行き来しているのではないように思う。そうではなく、内面をそれ自体にたいして内包化している。宮沢賢治の作品がいきなり心のなかに飛び込んでくるのは言葉が内包化されているからではないか。そしてそれはだれのなかにもある。なにをやっても間に合わないという切迫感のただなかで言葉が言葉を生きることで、言葉が性となるこの世ならざる不思議を現成しているからではないか。なにをどうやってもじぶんがじぶんとはぐれてしまう、あるのざわめきも、世界の無言の条理も、ケンジの言葉のなかに陥入してしまっている。鎌倉の乱世のなかにあって虫のように息絶える衆生に、わたしもその浄土を生きていると他力を唱えた親鸞の自然法爾と宮沢賢治の言葉が共振している。過酷な現実と内面という思考の慣性を超えたところで喩のような作品ができている。内面を可視化するのではなく、喩としての擬音を根にして、世界という三人称の世界を意識せずに内包化し、「遠いともだち」として表現した。内面を可視化も実詞化もせず、つまり空間化せずに言葉が言葉を生きると、言葉がおのずと性となる世界を宮沢賢治は表現した。宗教的な信とは無縁にそれがだれにとってもあたりまえに存在していると宮沢賢治は思っていた。内面を内包化すると三人称はなくなる。言葉が〔性〕となるとき、その表現意識を空間化することはできない。空間化できないから、それぞれの固有な還相の性の回りに、三人称が隣人として内包自然の大地に淡雪のように降り積もる。ここにはどんな倫理も介在していない。そしてそこにだれにとっても未知のまっさらな生の可能性があると思う。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です