日々愚案

親鸞の未然6

416DSE9G4FL__AC_US160_
    1
 フーコーが提唱した、特定領域の知識人の役割に、これまでとちがう生の様式をつくる力はありません。良心の象徴のように語られる中村哲や小出裕章もマイクロソフトのビル・ゲイツとなんら本質的には変わらないのです。かれらを貶めているのではありません。かれらは、在るものの襞をなぞっているだけなのです。富や知が偏在しすぎていて、それはあんまりではないかと言っているのです。それだけです。この程度のことで世界の無言の条理が胸襟をひらくことはないのです。内面の社会化をしているだけです。すべてこれらは既知の風景です。むしろ内面の社会化によってこの社会が延命しているのです。
 ひとはあるいは不思議がるかもしれないが、わたしは思想を、固有の生を生きるうえでの元気の素ととらえています。きわめて実用的にです。知的操作や観察する理性の言葉遊びをやりたいのではない。ある、ある、ある、とだれもが膝を打つ、そのリアルを言葉で取りだしたいのです。たしかにそれはあるのです。ありえたけれどもなかったのです、これまでは。それをあらしめたいのです。それはなぜか同一性の彼方にしかありません。このリアルをわたしは〔ことば〕と名づけています。そしてそれは言葉でしか言いあらわせないものです。

 片山さんは、『愛について、なお語るべきこと』の458pで、「つまり人と人はわかり合えなくなっている。まったく、ろくな状況ではないよ。いまぼくがきみに話しかけているのは、それとは反対のことだ。通じないことは、最初からわかっている。その上で、何かを伝えようとしているわけで、通じないとわかっていて、それでも伝えたいと思うことだけを口にすべきではないかな。そしたらぼくたちが口にする言葉は、ほとんどお祈りみたいなものになるだろうね」と語っています。わたしたちが緊急討議をシリーズでつづけているのは、そのことがわかっているからです。

 それでは次の発言はどうでしょうか。

 毎日新聞一九九七年五月十四日号に村上春樹のインタビューが載っています。オウム事件を取材した『アンダーグラウンド』(読んでいません)についてです。もちろん『アンダーグラウンド』よりアンダーワールドのほうがずっとずっと好きです。わかるかなあ。記事では売れ行き好調で、「現在27万部。読者から電子メールや郵便で反響続々」とあります。このインタビューで村上春樹が喋っていることが気がかりでした。それはちがうぜ、という感じなのです。彼は言います。「はじめてこういうことだったのかと分かりました、自分のこととしてひしひしと感じましたという手紙がいっぱい来てる。そういうふうに感情をかき立てるのが結局小説家の仕事なんですよ。人の心をかき立てて、実際に被害者と同じ立場に身を置いて感じてもらうことが、僕にとっていちばん大事だったんです」。別のところで「読者とのつながりをはじめて感じた」という発言も読んでいる筈なんですが、思い出しません。だからこの記事に限定しますが、彼は読者の反響につながりを感じています。ぼくは人と人がつながる不思議はこういうことではまるでないと思うのです。(『guan02』133~134p)

 ひととひとがつながっていなくてもつながっている驚異はここにはありません。片山さんは正しい問いを発し、村上春樹の答えは虚偽のかたまりです。この虚偽によってこの世が支えられているのです。片山さんの問いと、村上春樹の応答は、深淵をもって隔たっています。「自分のこととしてひしひし」と感じるのが内面の社会化そのものなのです。ひとはそれを文学と呼んできましたが、ひしひし感はすぐ消費されます。
 これから当面するハイパーリアルなむきだしの生存競争の時代にあってはすでに使い古された表現の形式というほかありません。村上春樹が語る全共闘世代の理想についての責務や、強大な壁に砕け散る卵の立場に立つという立場論はここから発しています。すべてがウソなのです。

    2
 いい歳になってくるとだれもが生活習慣病やそのひとつであるがんが身近に迫ってきます。とくにがんは死と直結すると理解されているのでがん検診を受けたり、がんと診断されると病院の標準的な治療を受けます。抗がん剤によるがん治療に展望があるわけではありません。ずいぶんいろいろ考えてきました。考えれば考えるほど袋小路に入り込んでしまいます。がんはいまでは不治の病ではありませんとメディアを通じて喧伝されている標語が、早期発見と早期治療です。明らかなウソです。そこまではいいのです。ではがんとはなにか、どうすればがんから生還できるかと問えば、直線を二点間を最短距離で結ぶものを直線と定義するのとおなじどうどう巡りの循環論に陥るのです。近い将来にがんを根治する治療法ができる可能性はまったくないとぼくは思っています。立花隆の本ではないですが、がんは生と死の謎そのものを突きつけているように思います。

 「さらば消毒とガーゼ」でうるおい治療を実践し、創傷治療と熱傷治療の治療学を確立した夏井睦さんや、糖質ゼロで肥満や糖尿病治療の方法を根底から革新しつつある釜池豊秋さんの考えが広まりつつあるのに比べて、がん治療のいわゆる手術・抗がん剤治療・放射線治療という三大治療に代わるものにはひろがりがありません。それは、がん=死という観念の病が根深いからに他なりません。ここには、歴史とは一体ほんとうにあるのか、あるいは人間は物とは違うのかという問いと同種の根底的な考えるべき多くのことが潜んでいます。
 言葉遊びでいっているのではありません。たとえば東京電力と政府が悪を為しているという前提に立てば、原発事故による放射線被曝は糾弾される対象となり、甲状腺がんは医療に拠って治療されるべきだし、東電も政府も被曝の実態を隠してはならないとなります。そのとき東電や政府のメタレベルにあるのは医学という科学の確からしさです。早期発見、早期治療は善行とされ疑われることはないのです。がん治療そのものを疑うことはまだ通念になっていません。

    3
 役割論の三番手として近藤誠さんに登場してもらいます。
 元気なときは近藤誠さんの本は刺激的だし面白いです。市販された本は長年に渡ってすべて読んできました。がんでなければ近藤理論は魅力的です。がんには、ほんもののがんとがんもどきしかないのです、かれの理論では。ほんもののがんは転移して致死率100%です。がんになったときに役に立つことはなにもありません。病理診断でもがんとがんもどきは区別がつかないのですから、転移がないように祈ることと、転移があれば諦めることしかありません。近藤理論には当人もそのことに気づいていない大きな欠落があります。かれの膨大な著作のどこにも生きられる死についての思想がないのです。宿命論しかありません。かれは膨大に勉強し、膨大な数の臨床をこなしていると思いますが、生の果てに死があるという迷妄のなかにいます。この迷妄を疑う思考の様式をかれはもちあわせていません。かれのがん理論には通俗の死の思想、死の場所しかありません。死が思想として語られたことは一度もない。わたしの近藤理論への不満はこのことに尽きます。
 もう少し近藤さんのがん理論に分け入ります。

 近藤さんには、がんは老化という自然現象だから撲滅の対象ではないという考えが根本にあります。患者よがんと闘うな、医療地獄の犠牲になるなとかれは長年主張してきました。お互い若い頃ですが、夜を徹して語りあかしたことがあります。それ以来ぼくはがん検診をやったことがありません。かれの抗がん剤の使用を批判する本を読んで、ほんとうかなと思い、話を聞いたのです。がん検診は百害あって一利なしを熱く語っていました。一部のがんをのぞいて抗がん剤は効かないというのがかれの理論です。乳がんの温存療法のパイオニアです。少し前まで乳がんは全摘とリンパ節郭清が標準治療でしたが、かれの獅子奮迅の闘いにより世の中に受け入れられました。これはかれのものすごい功績だと思います。マンモグラフィーによってみつかるがんは99%が、がんもどきだといっています。

 かれがたった一人で病院のがん治療に対して長年警鐘を発し、孤軍奮闘してきたことは特筆に値するどころではないと思います。その徹底した強靱な主張はがん検診や抗がん剤を批判しはじめた初期の頃と、患者よがんと闘うなで社会現象となるほど取りあげられた壮年期があり、さらに磨きをかけて、最近はかれのオリジナルな考えである、ほんもののがんと偽物のがんもどき理論を、がん幹細胞に結びつけて解明しようとしています。そのすべての功績にたいしかれは2012年に第60回菊池寛賞を受賞得しました(ちなみに2013年度、中村哲が同賞を受賞しました)。

 がんもどき理論やリード・タイム・バイアスという考えはとても重要だと思います。リード・タイム・バイアスとは先行期間による偏りのことで、わかりやすく言うとがんが育つ期間のことです。その期間を括弧に入れ早期発見早期治療すれば五年生存率が延びるのは当たり前のことです。がんは不治の病ではありませんとメディアを通じてよく宣伝されていますが、詐術です。
 がんとがんもどき理論はかれの膨大な臨床を踏まえた経験則から導かれました。病理診断ではがんとがんもどきを区別することはできないとかれは言います。かれは極めて合理的で詐術をやる人ではないとぼくは理解しています。かれは徹底して理性的です。そこにどんな打算もありません。若い頃にかれと話し込んだことやかれの著作をすべて読んできてそのことは断言できます。
 最近は150人のがん放置者の経過観察をまとまた『がん放置療法のすすめ』を出しています。もっとも進んだがん治療だとかれは述べています。この本でもかれはがんは末期で発見されるのだベストだと言います。苦痛となる症状がでてきたとき、対症療法をして生活の質をできるだけ保つのが余生の送り方としていいのだと。がんを放置して、苦痛を緩和するための対症療法をやる、などということは医療の常識からすると驚天動地の出来事です。ぼくはかれのこの主張にまったく同意します。かれの言うとおりだと思うからです。
 本物のがんであれば早期発見であれ、見つかったときにすでに転移しているから、その場合はどんな治療をしても救命できないといいます。多くのがんはがんもどきであり、濃厚医療をするから苦しんだうえに縮命しているというかれの臨床家としての経験則があることは間違いないと思います。ここまでは同意できます。

 かれのがんとがんもどき理論は元気なうちはとても役に立ちます。近藤さんの言うとおりだという気にもなります。でもがんになると読んでも元気がでません。がんが本物ならいずれにしても発見された時点ですでに他の臓器に転移をしているし救命できないとなります。そのとき『死の瞬間』で有名なキューブラー・ロスの否認・怒り・取引・抑鬱・受容を通ります。近藤さんの理性的で合理的な理念はなにも救抜しないし、ひやりとしたものを感じます。

 わたしの近藤理論に対する異議はこの先にあります。そしてこの異議はゆずれないこととしてあるのです。そのことをかんたんに言ってみます。
 がんは老化という自然現象であり、撲滅の対象ではないというかれの考えは説得力を持っているように見えます。理由もなくこの世に生を承けお迎えが来るまでは生きているという奇妙な生があります。晩年の近藤さんは生命現象の不思議を生命の起源に遡って、がん幹細胞のふるまいで解こうとしています。そのことはいいのです。でもそのことを語るときの語り口に、それは違うなと感じるところがあるのです。かれはやがて死ぬ人につぎのようにいいます。

いま入院ベッドがなくなっていることもあって、ぼくの患者で亡くなる人は、だいたい自宅かホスピスです。「これでお別れですね」というとき、わけのわかっていそうな人には「これから亡くなることになるけど、あなたは立派な患者だった。死んでもみんなの心の中に生きていくんだから、きちんと死になさい」と、言ってあげるんです」(『どうせ死ぬなら「がん」がいい』207~208p)

 このくだりを読んだとき、この傲慢さは一体どこから来るのかと、背中が冷やっとしました。いやだなこの言い方。いまから死を迎える人にとって、どこにも固有の死がないのです。わたしはこういう言い方をされたら怒ります。「言ってあげるんです」とはすごいです。もちろんわたしはこういう物言いをされたくありませんし、その言い方はないだろうと、その場で反論します。かれのこの傲岸不遜さはどこからくるのでしょうか。自力作善の典型例です。かれの告知は、人に対して生老病死の権能をもつと錯覚する権力そのものです。たかが医者という業界人がここまで横着になれるのです。かれは気づくこともなく生老病死に秘められた生の固有さや苛烈さを越境しています。
 もうひとつかれの物言いに大きな違和感を感じることがあります。

近藤 ぼくが慶應にい続けたのは、いちばん話に信びょう性がつくと思ったからです。それから「大学病院の外来なのに、患者を治療しない」という、ある意味、奇跡的なことができたのは慶鷹義塾のどこかに「自由」や「独立自尊」の精神が残っているから。そこは感謝しています。
中村 医局でがんばってこられたのは、相当な精神力だと思います。普通はできない。だけど発信力は大きかったと思いますよ。大学病院に所属して発信するというのは、世間の人に対して信用が大きいから。老人ホームの医者なんて、町医者の下のホームレスレベルなんですから。
近藤 ホームレス医ですか。表現がおもしろいですね(笑)。(同前 209~210p)

 対話者どうしがなれあっている場面で、嫌なものを見た気持ちになります。がんという人の生き死ににじかに関わる職人には職人の技量以外のものが要請されます。それはかれがかれの固有の死を作りえているかどうかです。近藤さんの死の場所は生の行きつく果ての死という通俗です。じつにおおきな観念の病というほかありません。ぼくたちの生死の理念は同一性にがんじがらめに閉じられています。ぼくはこの死生観は人類史の規模の妄念だと思っています。主観的には近藤さんは自力作善の善人であっても、病に難儀する人々を睥睨する神の視線になっています。わかりやすく言うと上から目線で人の生老病死を弄んでいるのです。この傲慢さはかれの職人としての役割論から来ています。一介のクリニックの医師よりは慶応病院の講師の方が患者に説得力があるからです。
 近藤誠さんのがん理論には人の固有の死について考えたことの足跡がありません。
 代理や役割論を生きる三人を批判的に述べてきました。わたしの意見に文句があるなら公開の場でいつでも討論に応じます。

 親鸞は自力作善では衆生を助けとおすことはできないといって自力の計らいを退けました。苦界の衆生であれ、不治の病であれ、それを救おうとする自力作善は、知を施す者と受け取る者のあいだに、他者を自己の生存の手段とする権力の関係を発生させます。内面の社会化というのはそういうことです。わたしは自己の陶冶が他者への配慮にひとしい世界を、困難ですが、めざしたいと思います。

    4
 批判がひとのこころを愉しくすることはないので、珠玉のような医学思想をとりあげます。安保徹さんの免疫学の思想です。わたしの知るかぎり医学という技術を思想まで昇華したのはかれだけだと思います。安保さんはじぶんの免疫理論は時代に数百年先駆けていると本の中でつぶやいています。わたしの内包論は時代に少なくとも100年は先駆けていると思っているので、かれの研究室を訪れたときに、負けましたと言ってguan02を手渡しました。
 今回安保さんの著作のいくつかを読み返し、あらためてかれの考えに惹きつけられました。安保さんの雄大な免疫理論は正当に評価されていないと思いました。

 安保さんには2007年に新潟大学のかれの研究室でお会いし話をしたことがあります。かれにあてた速達便をとても喜んでおられたのを覚えています。私信の一部を引用します。
 「安保さんの免疫学の全編に流れているのは豊穣な、からだとこころを繋ぐ〈詩〉であると思います。その通奏音が病む者の気持ちの深いところに響くのだと思います。
 多田富雄さんの自己と非自己の免疫学は、生物学上の議論をしながら、そこに自己言及がはらむパラドックスが影を落とし、観念的な自己言及を逃れようとして、自らの仕掛けた罠に陥っているように思います。お元気な頃の多田さんは世界の条理を説明したかったのではないでしょうか。(病に斃れてからは天地生存を逍遥遊しながら生きておられるように感じています。)あるいは近藤さんのガン理論のデータに基づいた合理性にはどこか命を託すというには一抹の寂しいものを感じます。
 そのようなときに安保さんの古い免疫系の思想に出会ったのです。そのスケールの大きさに震撼されました。安保さんが開示された理路に確乎たるものを感じました。・・・安保さんが医学思想として提示されたことの巨大さが世の中に浸透して行くには長い時間がかかると思いますが、安保さんの医学が人類史的な一歩であることだけは確かだと私は思います」(平成17年9月18日付私信の一部)。

 安保さんには不思議な印象があります。追い込まれることがなくなにかほっとするのです。当時は安保さんの免疫学に相当入れ込んだので、代表的な論文を送って欲しいとメールを出し、すぐに5本の英語論文がおくられてきました。本屋で売られている啓蒙書ではなく原論文を読みたかったのです。そのうちこれだなと思う論文を2本翻訳しました。

1997年論文「マウスの末梢リンパ球および胸腺におけるニコチン性アセチルコリン受容体の検証」(『Immunology』1997)
2005年論文「自己免疫疾患の免疫学的病態」(『Immunologic Reserch』2005)

 訳文はすぐ安保さんにお送りしました。安保さんは英語論文しか書かないし、かれの論文は先端のことを書いているので、免疫学事典にも相当する語の訳がないのです。論文本体の訳はぼくがやったのではありませんが、最終的にはぼくが目を通しました。訳を終えて思ったこと。専門論文でなく一般書で十分。

 安保免疫学との出会いの前に、1980年に入った頃から数人の方とお会いしました。『自己創出する生命』の中村圭子さん、『唯脳論』の養老孟司さん、『免疫の意味論』の多田富雄さん、あいだの病理を説いている木村敏さん、です。その流れのなかに近藤さんとの討論もありました。
 日本では外来思想が輸入されては廃れ、次の新しいトレンドに移行するというのが慣わしでしたが、世の中が明るい闇で覆われるようになった頃は世界認識を可能とする外来思想がリクツ好きの人を席捲することはありませんでした。その間隙に乗じて生命科学が思想の代理をするようになったのです。これはいったいどういうことなのかということが何人かの学者に会って話をしたいと思った直接の動機です。
 得ることはたくさんありましたが、お会いした多田富雄さんは大学者でした。注がれた酒は全部飲み干し、しかも酔っ払わず滔々と能について語るのです。多田さんはヘルパーT細胞を発見した世界的な大免疫学者です。免疫グロブリンの特異な遺伝子構造を発見して、1987年にノーベル賞を受賞した利根川進さんは業界では多田富雄さんのはるか下流に位置していました。見識のない器用な職人という印象をもっています。
 多田富雄さんは新作能をつくりながら学問的な業績をあげました。免疫学を一人で塗り替えたほどです。当時研修生で担当の患者さんがすべて亡くなった経験をもつ安保さんが病態の謎に迫ろうと免疫学を志したとき多田さんはそびえ立っていたそうです。

 多田さんは個体の生命をスーパーシステムととらえました。自分が自分に自己言及することで、さまざまなプロセスを通して自分自身を作り上げていくシステム、これをスーパーシステムと名づけました。かれは研究を通して得た免疫学の理念をより高次の生命活動に敷衍しようとしました。つまりスーパーシステムという考えを資本主義とか、社会とか民族に適用しようとしたのです。だから人文系のもの書きにうけて注目されました。多田さんの免疫学の理論は臨床よりは世界の解釈にいそしんだような記憶があります。

 そのころに安保さんの免疫学に出会ったのです。新鮮な感覚がありました。読んですぐにこれは三木成夫だと直感しました。三木成夫の解剖学を免疫学に置き換えたのが安保免疫学だと思ったのです。

 安保さんの学問的な業績は、1980年のモノクローナル抗体の作成や、1989年の胸腺外分化T細胞の発見があります。のちにかれが免疫学の理論を腸管上皮の粘膜の炎症症状を理解する免疫現象として拡張しています。リンパ球に生命発生以来の長い時間を挿入し、リンパ球の進化を論じます。でもなんといっても最大の業績は、リンパ球にアセチルコリンの受容体があることを発見し、白血球が自立神経の支配を受けていることを法則化したことだと思います。1995年の出来事です。それが1997年に論文として出されています。ちょうど安保さんの研究生活の壮年期にあたると理解しています。
 このあとの安保さんの活躍にはめざましいものがあります。がんは、膠原病やリウマチなどの難病とおなじく、免疫抑制の極限で起きる疾患であるとかれは主張するようになりました。2001年に『医療が病をつくる』でデビュー。すでにこのとき慢性疾患に対症療法を施すことは9割が有害無益とはっきり言っています。ワープロができないので、一字一字手書きで書き、それを娘さんがワープロで入力してくれたそうです。

 現代医学は間違った方向に進んでいるという危機感が安保さんにあります。かれの次の言葉はとても好きで親和感があります。『長生き免疫学』で言っています。

 世の中、医療界だけでなく「専門家」が氾濫しています。「専門家に任せる」という精神は、自分の主体性を放棄した生き方に繋がります。究極には「お国のために死ぬ」といったことにも到達してしまう、それこそ怖い思想なのです。
 専門家というのは、「そのことしか知らない業界人」です。森を見ず、木の枝葉ばかりにやたら詳しいだけの人種。医師だって同じです。あなたの大事な生命を、たかが医療界の業界人に全権委譲して、身も心も委ねる愚かさ―。そろそろ本気で気がついてもいいころではないでしょうか。
 言い換えれば、あなたのことを丸ごと知っている人は、この世の中にあなた以外にいないのです。つまりは、あなたの専門家はあなた自身なのです。そのことを、常に忘れずにいてほしいと思います。(94p)

 医学もまた一つの制度であるかぎり閉じた信の体系から免れることはありません。安保さんは分析医学の専門家です。でもかれの思考の断片化の批判は横着さや傲慢さがなくておおらかですね。三木成夫にそっくりです。かれも三木成夫の本を読んで、おれに似てるなと、びっくりしたそうです。知らなかったと言っています。
 安保さんの達成は親鸞の浄土教の法理の解体に匹敵する事績だと思います。医学を解体し普遍医学を打ち立てようとしているといってもいい。このようなことをかつてだれが言ったか。わたしが特定領域の知識人の役割の見本として批判した三者とまったく安保さんの言葉はちがうと思います。わたしが安保さんに親近感と好意をよせる由縁です。

 安保免疫学は多田免疫学を一歩進めたとぼくは理解しています。症状を悪とみなし、その症状を薬剤によって除去することを医学治療と錯誤している世界の臨床医学の流れに抗うものとして安保さんの医学はあります。

 壮年期の安保さんの免疫学の理念をおおまかに言ってみます。
なんといってもかれの免疫学の面目躍如たるところは、古い免疫系という理念の創出です。まず、かれは、古生代末期に脊椎動物の陸生化以降を現行の免疫学としてひとくくりにします。それにたいして、進化の最初の過程で成立した生体防御システムを古い免疫と呼びます。つまり、水中で生きてきた生物が陸上にあがると鰓呼吸から肺呼吸に変わる。鰓は退化し胸腺へと変化する。古い免疫系からあたらしい免疫系を見るとき現代医学の矛盾点が浮かび上がってくる、のだと。

 外来抗原に対応する自己と非自己の新しい免疫学から古い免疫学へ。ここが安保免疫学のポイントです。NK細胞や胸腺外分化T細胞は自分の身体の異常にたいして自己応答性を発揮する。古い免疫系は、「免疫システムというものがそもそもは自分自身を見つめるシステム」であり、新しい免疫系は、「自己と非自己を認識する系」とかれは考えます。多田さんのやった免疫学は自己と非自己の精密化と、それを根拠にした社会現象への応用でした。ぼくは安保さんは多田さんの免疫学を見事に拡張していると思います。

 やっと安保免疫学の根本思想に触れるところまで来ました。かれの根本思想は一言で言えます。ここを言ったらあとは付け足しと言うくらいの根になる思想があります。

 身体は間違わない、かれの言っていることはここに尽きます。

 われわれの身体の調節は基本になればなるほど単純化しており、この単純な系の特徴は病の殆どを網羅できることにある。35億年の歴史を刻み進化してきた人間や生物は遺伝子を含めて滅多なことでは間違いを起こさない。こういう考えがかれの免疫学の根底にあるのです。

 身体は間違わないという安保さんの免疫学はさらに進撃します。かれの根本思想をがんの本態まで延長するのです。壮大な仮説です。がんの本態に迫ろうして、ミトコンドリア系と解糖系という概念を導入します。なんとかれはがんを悪と考えるのではなく、生命体がストレスに抗して生き延びようとした適応現象ががんの本態だというのです。こういうことを言った人はほかにいません。直感としてかれの病因論には生きられる死という思想がうねっているように見えます。

 やがて進化の過程で、光合成細菌が生まれて、大気中に酸素を放出しはじめました。光合成細菌とはシアノバクテリア(藍藻類 藍色をした藻類)といって、植物の祖先のような細菌です。それらの生物は、いまの植物と同様に、大気中にある炭酸ガスを使って光合成して糖をつくつて、老廃物として酸素を放出します。それらの生物の光合成によって、地球上に酸素が徐々にできてきます。そして酸素のない状態で生きてきたそれまでの生物、つまり私たちの祖先はといえば、酸素は酸化力が強く分子を酸化させるので、その酸素の害によって生きづらくなったのです。(『やはり免疫力だ!』)

 こうして酸素の存在下では生きづらくなっていたところに、進化の過程で、有害な酸素を使って効率よくエネルギーをつくる、ミトコンドリア生命体が生まれて、私たちの祖先に寄生したのです。
 無酸素で分裂する私たちの祖先、光合成する細菌、そして光合成で生まれた酸素を効率よく使ってエネルギーをつくるミトコンドリア生命体。この三つ巴の流れの中で、ミトコンドリア生命体が、老廃物で出る乳酸を求めて、われわれの祖先に寄生したのです。われわれの体は二つの生命体からできている 寄生したものの、寄生した相手がどんどん分裂するので、ミトコンドリアはすぐに薄められてしまい、なかなか安心して住みつけない状況でした。そこで、ミトコンドリアは、寄生がうまくいく条件として、分裂抑制遺伝子を持ち込んだのです。『がん抑制遺伝子』といわれる遺伝子と同じです」。(同前)

 このようにして、二十億年前に寄生関係がはじまり、もともとの祖先である解糖系の酸素を嫌う細胞とミトコンドリアの二つの生命体が安定して共棲できるようになって、『「真核細胞」(核がある細胞)という、われわれの本当の祖先である生命体が生まれたのです。それが約十二億年前のことです。
 こうしてミトコンドリアから大量に出るATPを使って、多細胞化と進化が起こったのです。
 ですから、私たちは一つの生命体のように見えるのですが、元の分裂する細胞(本体)と、寄生したミトコンドリアという二つの生命体からできているのです。
 多細胞化したときに、その二種類の相反する細胞は、ミトコンドリアを多めに持って分裂しない細胞と、ミトコンドリアを少なめにして分裂する細胞という二種類の細胞を準備することによって妥協したのです。それによって、ミトコンドリアの自己主張が通る細胞も十分にあり、逆に解糖系の生命体の主張が通る細胞もあるということになったのです」。(同前)

 『分裂抑制遺伝子の解除』という遺伝子変異が起こるので、『がんは遺伝子病』などともいわれますが、この変異自体が異常なのではなく、適応現象なのです。それは、危機に対処するために、ミトコンドリアによる抑制を解除して、二十億年前の本当の先祖に近づけたということなのです。
 ですから、がんが悪いというよりも、むしろ、がん細胞をつくるような適応現象に追い込んだ、その原因である生活習慣に問題があるのです。(同前))

 なんとも気宇壮大な物語です。ぼくの理解では安保さんと近藤さんの臨床についての対処の仕方はそれほどかわりません。無用の検査と濃厚医療は避けた方がいいし、苦痛が生じればその時点で対症療法をやればいいとなります。ほとんどおなじです。
 ではなにが違うのでしょうか。
 わたしは相当ちがうという気がします。生に触るときのさわり方と接し方が違います。近藤さんの理論は遺伝子決定論になり論理が冷たいのです。治るとはどういうことかについての理解が異なるような気がします。

    5
 わたしの言いたいことをもう一度祖述する。医学には、がんは、あるいは病気は悪だから、それを取り除くという近代由来の大きな観念の動きがまず前提とされています。ここには単なる近代由来の諸科学のひとつである医学を超えた問題が陰伏されているのです。悪を除去し隔離する、それが現代社会の通念として、身体を貫く生権力としてわたしたちの生を覆い尽くしています。医学もそのひとつです。
 ここまで生権力に奪われたわたしたちひとりひとりの生の固有性はどうやれば復元できるのでしょうか。かんたんです。じぶんの生き死にはじぶんで決めればいいのです。

 もういちど安保さんの声に耳を傾けます。がんもふくめ病も体の知恵であると安保さんは言います。雄大な仮説です。体は間違わないというかれの根本思想を、かれはリンパ球の研究を通じ、古い免疫系の歴史をたどり直し、ついに二つの生命体の共生説に行きつきます。感動的です。
 かつてリン・マーグリスの『性の起源』を読んだときの興奮を思いだします。太古原初の好気性細菌が宿主細胞にもぐり込み共生し、細胞内小器官となりました。このことは減数分裂を伴う性にとって本質的なものでした。リン・マーグリスの共生説は当時の細胞生物学にとって異端の考えであり、常識を愚弄するものであったため、投稿論文はネーチャー誌から15~16回突き返されました(小保方さん、がんばれよ)。しかしいまではマーグリスの共生説は生物学の常識です。安保さんのスケールの大きい仮説はマーグリスの共生説、解糖系とミトコンドリア系のエネルギー代謝を前提とし、繰りこんでいます。あるいは、ニック・レーンの、いずれも大著ですが、『生と死の自然史』『ミトコンドリアが進化を決めた』『生命の跳躍』の三部作を読んだときの興奮が忘れられません。おそらくこれらの事績を安保さんは読み込んでいます。そのうえでかれの自律神経の白血球支配の法則を拡張したのです。驚嘆すべき知の膂力です。
 分析医学の研究者である安保さんがミクロとマクロを大胆な仮説でつなごうとしています。身体の無言の条理に迫ろうとする唯一の試みであり、またその達成が安保医学にあります。

 安保さんは「ガンになるということも含め、それは生命の働きの一つです。表面的な善悪の観念をとりはらえば、ガンもまた体の知恵であることがわかってきます」(『人が病気になるたった二つの原因』(21p)。「ガンはストレスによって低酸素・低体温の状態が日常化したとき、体の細胞ががん化してうまれるものです」(23p)。「ガンは自分の体に悪さをする存在ではなく、生きにくい状況のなかで適応しようとする体の知恵そのものです。低酸素・低体温の状態に適応し、最大限のエネルギーを発揮する存在といってもいいかもしれません」(25p)。「ミトコンドリアを持っているのは、細胞内に核を持った真核生物(動物、植物、菌類など)だけ。核を持っていない細胞のような原核生物の多くは酸素を必要とせず、分裂だけ、つまり解糖系だけで増殖をくり返します。その意味では、細胞がガン化するということは、低酸素・低体温でも適応できる原核細胞への先祖返りということもできるでしょう」(32p)。

 体が無理したから体は生き延びようとして原核細胞に先祖返りしただけなんだと安保さんはいうのです。おおらかな考えです。ここにはがんを悪とみなす思考のかけらもありません。その意味で安保さんは近代はおろか現代を無意識に超えているとわたしは思います。
 近藤さんは機能主義的な合理精神の持ち主ですから、いま流行りの幹細胞に着目してがんを定義し直します。がんは老化という自然現象だから撲滅の対象ではなく受容するしかないというかれの根本の考えが前提としてあります。かれは流行りの言葉で自分の考えを精緻化したいのです。流行りといえば再生医療のips細胞です。ついでながら近藤さんの精神の型はメディアの便利屋さんをしている啓蒙屋の立花隆によく似ています。
 ビッグサイエンスという壮大な装いをしているだけでじつに退屈な風景です。煩雑な実験プロトコルや業界用語が耳慣れないので精密科学のようにみえますが、テクニカルワードが複雑なだけで、観念の抽象のレベルは中学校の数学の水準です。
 かれ一流の対応と類推の魔術を駆使していま勢いがある期待株の再生医療を先頭で走っている山中伸弥の「ips細胞とがん細胞は、表裏」という発言に身を寄せて、「がんは、『臓器転移のある本物のがん』か『転移のないがんもどき』の2つに1つです」(『「がんもどき」で早死にする人、「本物のがん」で長生きする人』(23p)。「『本物』か『もどき』かは、幹細胞によって決まります。幹細胞は、組織のおおもとになって性質を決める細胞。がん細胞が生まれた瞬間に、そのがんの性質が、決まっているわけです」「だから、本物のがんは、いわゆる『早期発見』でいくら切り取っても、モグラたたきのように再発する」(同前 23~24p)。
 幹細胞といえども真核細胞ではないかと問われたらどうする。ちゃちな仮説です。近藤さんの発想は科学に特有の典型的なニヒリズムです。我がモンスーンの風土にあってはもっとこころがやわらかくなる気風があります。かれの物言いは、冷やっとするのです。死の場所、生きられる死がどこにもないのです。かれがそのように生きてきたとしか言いようがありません。「いま死んだ、どこにも行かぬ、ここに居る」と言った一休和尚の完勝です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です