日々愚案

親鸞の未然2

    1
 還相の性ということを考えるようになってずいぶんと日々の息継ぎが楽になった。この10年余絶息状態だった。ついワープロの指がすべって、「つまり、内包と分有の世界では人称がひとつずつずれて繰りあがり、繰りあがることで同一性が事後的に分節した三人称が、内包と分有に上書きされて消えてしまうのだ。それは分有者が直接に性であるからにほかならない。内包の世界では、分有者は二者にして一者であるから、あるいは他なるものが自らにひとしいものであるから、さらにひとりのままふたりが可能なるものとして生きられるから、三人称が存在しえないことになる」(『guan02』10p)と書いてしまったことの仇。

 このくだりを書いたのは一瞬だった。当時、内包論を基にした共同幻想の彼方のことを構想していたことがあったので、こういう途方もない一節が出たのかもしれない。みずからが招いたこととはいえ、三人称のない世界を書き継ぐことは困難を窮め、爾来10年わたしは挫滅した。

 残骸のように遺棄される惨劇もまた世界の無言の条理に属する。人々は惨劇を忘却することで日々をつないでいく。忘却することも遺棄することもできないとき、出来事に真向かいそのことを考えるしかなくなる。
 世界には無言の条理というものが深々と鎮座している。この無言の条理が胸襟をひらき相好を崩すことがあるとしたら、それはことばがことばを生きはじめるときではないかと思う。

    2
 神という超越ぬきに存在を形而上的にどう記述できるか。ハイデガーは生涯そのことを考えた。だれもそれを試みたことはなかったのだ。わたしはかれの試みはあまりうまくいかなかったと思っている。
 存在と存在者のあいだには余白があることをハイデガーは発見し、その余白はヒューマニズムではけっして埋まらないことをハイデガーは直観した。レヴィナスはハイデガーのこの発見に驚愕し震撼された。「私にとって、ハイデガーは今世紀のもっとも偉大な哲学者です。おそらく、千年という単位で考えても、傑出した哲学者のひとりでしょう。・・・しかし、そのことに私はずいぶんつらい思いをしています。というのも、私は一九三三年に彼が何者であったかを忘れることが決してできないからです。たとえ、それが短期間のことであったとしても、です」(『われわれのあいだで』)。

 いまわたしはいくらかの余裕を持ってハイデガーやレヴィナスの思想について論じることができる。わたしも依然として困難の渦中にあるが、彼らの思想の未遂がどこにあるかよく見える。つまりかれらはいくら考えても解けない困難を解けない方法で解こうとしたのだ。フロイトもエスと自我の関係でおなじ轍を踏んでいる。存在と存在者の存在論的差異を自己意識の外延表現で解くことはもともと無理なのだ。たしかに気づき指さすことはできる。ハイデガーもレヴィナスもフロイトもおなじところでつまずいた。聡明なフーコーはこの罠を巧みに回避した。

    3
 ハイデガーの弁明として有名なシュピーゲル対談がある。ハイデガー存命中は公表しないと言う条件で1966年9月に行われたこの対談は1976年5月ハイデガーの逝去にともない9月にシュピーゲル誌に掲載された。そこでかれは次のように言う。「従来の哲学の役割を今日では諸科学が引き受けています。(略)哲学は個別諸科学へと解体します」。グローバル資本主義がまもなく生命工学と結合し、身体やいのちを金融商品として売りに出すとまでは言ってないが、ハイデガーの予見はまさに現代の現在性そのものとなってあらわれている。まさに哲学は個別諸科学へと解体している。その生け贄としてSTAP細胞騒ぎの渦中にあった笹井芳樹の悲痛な死がある。ハイデガーの予想の半分は的中し、半分はなんの解決も見ていない。

もし彼女が、1929年10月にハイデガーが「つのりゆくユダヤ化」への警戒をうながす書簡を文部省の高官に送っていたと知っていたならば、彼の姿勢にいまさらびっくりすることはなかっただろう。そこにハイデガーはこう書いていた。「これに劣らず重要なのは、われわれは一つの選択のまえに立たされていると、緊急に認識することです。―われわれのドイツ的精神生活に純粋な土着の人材と教育者をふたたび供給するのか、それともこの精神生活を、広義においても狭義においてもつのりゆくユダヤ化にこれっきり身をゆだねてしまうのか、という選択であります。」アーレントは結局のところ、ハイデガーから見れば、ドイツの若者の魂を「ユダヤ化」する将来の学者の一人なのだ。しかし彼女はこの書簡を読んではいなかった。それは1989年になってから発見されたのである。(『アーレントとハイデガー』エティンガー/大島かおり訳)

 ハイデガーの思想はなぜナチと共存できたのか。ハイデガーの思想にたいして、とくに転回以降のハイデガーの考えについて素朴な疑問が昔からある。なぜハイデガーはナチ加担を内省しなかったのだろうか。彼はナチ権力の大学内への介入にたいして闘ったと言明し、その自分を連合軍の権力はまたも迫害すると居直り続けた。なぜこんな詭弁(それもアーレントを生涯に渡って騙しおおすこと)が可能だったのか。
 かつて戦争について小林秀雄も似たことを言った。「僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」(『近代文学』昭和21年2月号)小林秀雄の居直りは嫌な感じはするが理解はできる。過去を否定し戦後をあられもなく肯定する時流に棹さしたい気分がよくつたわってくる。しかしハイデガーの狡猾さと小林秀雄の弁は似て非なるものである。小林秀雄の言い訳は見苦しくはあるが卑しさはない。
 ハイデガーの尊大さにはひやっとするものがある。ハイデガー哲学の地肌を透かしてみると、存在の神秘に魅入られたときの陶酔と、醒めたときの異常な体温の低さが両義性として混淆している。ここに存在の謎からじかに派生する字面のうえでの謝罪では済まないおそろしいものが隠れているとわたしは思う。それは何に由来するのか。
。ハイデガーが気づいたのは空恐ろしいことだ。そのことに気づいたハイデガーは勝手に高揚し、身震いしながら西欧形而上学の総体の批判に向かった。そこになにがあったのか。

 ハイデガーの能弁の空しさにもいくらかの謂われはある。神という超越なしに〈在る〉ということを記述しようとすると、影踏み遊びのもどかしさに襲われるからだ。そこに近代がつくった超えがたく逃れがたい自己意識の宿命がある。犬や猫や人間の影を映すことはできるが、逆に厚みのない影が存在そのものを指し示すことはできない。このもどかしさはすごい。だれがどう表現しようと(それしかわたしたちには方法がないのだが)、自己意識の用語法に従いながら、自己に先立つ出来事を表現しようとする存在論には、ぬきがたく極度の困難がつきまとう。そういう意味では存在論は哀切な片思いに似ている。さすがにフーコーは賢かった。人間という概念から意味を抜き取り、人間を秩序の狭間にある影のようなものとして挿入したのだ。意志論を削除すればこの困難は回避できるとフーコーは考えた。ヘーゲル?、そんなものよう知らん、だれのことかね、とフーコーは言った。
 言葉を論理の形式の内部で論じるときはごまかすことができても、言葉がふと息をつくとき、化けの皮がはがれる。素顔のハイデガーは醜い。愚鈍な動物を特別に重要視するいかなる理由もないというような思想からどんな生きる力が生じるというのだ。

宇宙の茫漠として果てしない空間の中にある地球を思い浮かべてみよう。たとえてみれば地球は小さな砂粒であり、同じおおきさをした隣の砂粒との間は一キロ メートルもそれ以上もあって、そこには何も存在しない。この小さな砂粒の表面にうようよとはいまわる愚鈍な動物の一群が生きていて、それがほんのしばらく の間、認識するということを案出して、賢い動物だと自称している。(略)全体としての存在者の中では、われわれ自身が偶然その一人である人間と呼ばれるこ の存在者を特に重要視するいかなる正当な理由も見あたらない。(『形而上学入門』川原訳)

 すごいです。言う言葉がありません。これが哲学なんです。かれは出来事の痛くも痒くもない傍観者です。愚鈍な存在者を睥睨して、おれって頭がいいだろ、と一生囀りました。これだけなら言うことはないのですが、これで終わるわけではありません。
 我がゲルマンの没落期、人間の可能性はどこにあるか、とハイデガーは問い、「かろうじてただ神のようなものだけがわれわれを救うことができるのです」「この神の出現のための、あるいは没落期におけるこの神の不在のための一種の心構えを準備するという可能性です」と答える。
 ヒューマンかどうかはハイデガーにとってどうでもいいことだった。存在者に付着した何かによって、それをヒューマニズムと呼べば、そういうことどもによって人間が人間であるのではないとハイデガーは言う。

  断じて、人間は、まず最初に世界のこちら側にいて、「自我」であれ「我々」であれどう考えられようとも、ともかくなんらかの「主観」として、人間であるのではまったくない。(『「ヒューマニズム」について』渡邊二郎訳 107p)

 たしかにハイデガーの言う通りだ。しかしそれはわたしをよぎるリアルとは似ても似つかぬ代物だ。この考えは偉大なゲルマン共同体の復興を夢想したハイデガーの思想の核心にあるもので、『存在と時間』以来受け継がれている。そういう意味では一時期とはいえナチに加担した第二次世界大戦をはさんで、後期の思想に至るまでハイデガーの思想は一貫しているといえる。身に貼りついた心を自己が領有することの権能にヒューマニズムの根拠をおく理念と、ハイデガーのつかんだ〔存在〕の触知はまったく異なるものだった。その感触の驚きに『存在と時間』は縁取られている。『存在と時間』から『「ヒューマニズム」について』の20年間に彼の思索は熟成したのだろうか。ナチ加担の狡猾な言い逃れを緻密にとり繕ううちに彼という人間の地金が露出したという気がしてならない。こう指摘されることさえ〔存在〕の為す業とハイデガーはいうだろう。存在論には、神という観念ぬきに存在を語ることの総毛立つような恐ろしさがある。それをだれより知っていたのがハイデガーだった。

存在の開けた明るみのうちに出現する、無傷の健全なるものと深い激怒に駆られたものとは、存在の争いに起因し、存在の「歪む働き」から、「非ず」や、「いいえ」を言い述べる「否定」がでてくる。

無傷の健全なものと同時に、存在の開けた明るみのうちには、憤怒に燃えた悪事も出現する。憤怒に燃えた悪事の本質は、人間行為のたんなる背徳性のうちに存するのではない。むしろ、憤怒に燃えた悪事の本質は、深い激怒の邪悪さにもとづくのである。しかし、無傷の健全なものと、深い激怒に駆られたものという二つのものが、存在のうちに生き生きとあり続けることができるのは、実はただ、存在そのものが争いを含んだものであるかぎりにおいてのみ、である。争いを含んだもののうちにこそ、歪む働きの本質由来が隠れ潜んでいるのである。(中略)ところが世間の人は、歪む働きなどは存在者そのもののうちのどこにも見出されることはできない、と思い込んでいる。(中略)歪む働きは、存在そのもののうちに生き生きとあり続けるのであって、そうであるからこそ、私たちは、歪む働きを、存在者に付着する何か存在者として、けっして見つけることはできないのである。(略)存在というものが初めて、無傷の健全なものに、恩寵のうちで立ち現れることを許してくれ、また、深い激怒に、災禍へと向かって突き進むなだれのような殺到を許してくれるのである。(『「ヒューマニズム」について』渡邊訳)

 他者なき存在論! 存在の開けた明るみに身をひらくやいなや、そこへと出で立つことが深い激怒と邪悪さに駆られる。おう、これはわたしたちの現実そのものではないか。
 深い激怒の邪悪さは存在の本質に内在する歪む働きであり、災禍に向かってなだれをうって殺到するとハイデガーは言う。言うまでもなく民族浄化をさしている。ハイデガーの『「ヒューマニズム」について』と同じ1947年にレヴィナスの著書も出版される。なんの因縁か。ハイデガーの心の襞をめくってみる。ハイデガーは見えない言葉で、おれは存在に触ったのだ、ユダヤ人のホロコースト、おうそれがどうした、と轟然と言い放つ。民族浄化を許容しても痛痒を感じずにすむ怖ろしいものがハイデガーの思想に棲まっている。慄然とするおぞましさはたんにハイデガーの卑俗な性格に還元できるものではない。存在論がもつ本来的な恐さなのだ。厄災は決してあの時代に特有の出来事といってすむことではない。存在と存在者のあいだにある謎はかたちを変えていまも生々しく息づいている。 あの吉本隆明でも言ったものだ。
「理想の社会のイメージを、善の方向にだけ暢気に考えてきたのが間違いだったのかもしれません。・・・、もともと、理想の社会をつくることを善の方向にしか考えていなかったから、見落とした問題があったんですよ。」(吉本・小川対談「宗教論争」『文学界』1996年2月号)

    4
 おそらく1960年代の半ば、滝沢克己さんはハイデガーを訪れ語っている。

 戦前に読んだかれの『存在と時間』に私が不満だったこと、当時西田先生のお勧めにしたがってカール・パルトのもとに赴いたこと、しかし戦後たまたま『フマニスムスについて』を読むに及んで、すこぶる面白く、その転回に驚いたこと、つづいて『経験の概念』のなかのヘーゲル解釈に深い共鳴を覚えたこと、最近のかれの諸著作は、一般の評に反して、学問的・論理的にも、戦前のそれよりもはるかに厳密だと思うこと等、あからさまに話しますと、ハイデッガーは笑って答えました、「それは自分としてもそう思っています。ドイツではひとがいまだに、ハイデッガーと〈Sein und Zeit)とを同一視しているのです。」
 そこで私はいった、―「あなたはなぜ、あなたが到りついた新しい視点から、聖書について批判的な解明をなさろうとしないのですか。新しい視点から、そのことはたしかに可能なように、私には思われますが。」
 「聖書について批判的に書く、―そんなことはできない」―というかれの答えを受けて、私はさらに言ってみました、―「聖書はこれを理解すればするはど、凌駕しがたいということがいよいよはっきりしてくるような書物ですから、おっしゃることはわかるように思います。しかし、聖書といえども人の書いたものである以上は、これを絶対視することは許されない。そういういみでは、ありのままに究めるということはやはり批判的に取りあつかうことにならないでしょうか。」―そうしますと、「それはそうです、しかし、わたしはまず、西洋の思惟に伝統的な形而上学の批判をなしとげなくてはなりません。それが済んだら、聖書については何か書くかもしれません。それに、わたしは何年か前、或る神学者たちの集まりで、神学の現状についてわたしの考えを述べたことがあります。しかしそのなかのだれひとり、わたしの言おうとしたことをわかってはくれませんでした」 ―ほぼこのようなハイデッガーの答えでありました。
 ブルトマンが現在のハイデッガーをまったく理解しないことについても私たちの意見は一致しました。それから、バルトの多くの弟子たちはバルトを超えて進んだつもりでいるが、じつはパルトの到った点のずっと手前の方にうろうろしているように思われること、日本でも西田先生について同じようなことが見られることを伝えると、かれはまた笑って申しました、―弟子たちはいつもそうです。」 ハイデッガーがカール・バルトに対して深い尊敬の念を懐いていることは、そのようなかれの言葉のはしばしにもうかがわれましたが、お別れに際しても、たまたま病い篤かったバルトに対して心からの挨拶を托されました。(『現代のこととしての宗教』317~318p)

 あなたの『存在と時間』には肝心なことはなにも書かれていませんね、と言ったに違いない。引用の文章にはけっこう社交辞令があると思う。エスを混沌した沸き立つ釜であるというフロイトの発見とハイデガーの発見は人権主義では触れることのできぬ激怒と邪悪さがあり、ここに滝沢さんは触れていない。

 わたしにとって還相の性は、それがなければ生きてゆけないものです。けっして知的な操作ではありません。喉が渇いたとき水を飲むことや大きく深呼吸をする、そのようなものです。暗闇を照らす月の光や星々の光です。夏の空を吹く一陣の風です。わたし生の源であり、どうじに、国家のない世界へ到達するためのもっとも重要な概念だと思っています。

 親鸞の重心が低くて太い、輪郭のはっきりした、じつに濃ゆい言葉に触れたいのに、また回り道をしてしまいました。

〔附〕パソコンで眠っていたむかし書いた文章を添付します。読んで気持ちがいいものではありませんが、変わらずおなじことがくり返されています。知らぬことにしてふつうに生きることと、見知ったうえでふつうに生きることはちがうとわたしは思っています。

 『サラエヴォ・ノート』のフアン・ゴイティソーロは描写する。「・・・私はローマ・フィウミチーノ空港の旅客ターミナルの片隅で、クロアチア航空の便を待っていた。派手な服装をした不可解な様子の旅行客の一団がいるのが目を引き、胸騒ぎを感じた。・・・帽子・双眼鏡・写真機・ビデオカメラ・背嚢・ショートパンツといった探検家の小道具に身を固めた旅行客の一団は、グルメなメニューを求めてボスニアに向かうのか。・・・私と一緒にスプリット行きの飛行機に乗り込んだ彼らは、いったい何をしに行くのだろうか。自宅玄関横の杭(くい)に串刺しにされ、曲がっていた背骨が奇蹟的に伸びたというせむしのアダムの死体を眺めに行くのか。自分の家から逃げなかったというだけの理由で、家の回りの棚の横木に、カラジッチの部下の表現によればトルコ時代のやり方で串刺しにされたジプシーのイブロと彼の妻と息子の頭を見に行くのか。浄化の神と無敵の聖人サヴァに捧げられる先祖返りの儀式、すなわち手足切断と集団レイプと斬首の後、住民もろとも火をかけられたイスラム教徒の村グラプカの焼け跡の灰を見に行くのか。それともブルチュコのポサイヴィナ・ホテルの前で、《神の国》の男たちが三日四晩に渡って《トルコ人》を虐殺し、葡萄酒と血の乱痴気騒ぎをやった挙げ句、冷蔵して運んだ死体をサヴァ川に投げ捨てたという、その騒ぎの跡を嗅ぎ回ろうというのか。・・・《大鷲隊》の百戦錬磨の民兵に殺され、橋の上からドリナ川に投げ込まれた、ヴィシェグラードの身体障害女児施設の六つの瞳と、実証済みの地雷の威力を試すために地雷原を歩かされた少女たちの、信じがたい最期を追跡しようというのか。・・・」惨劇の描写はもうこれでよかろう。
 ゴイティソーロによる『サラエヴォ・ノート』のルポの情景と辺見庸の言葉がハレーションを起こす。たとえば作家の辺見庸は人間の奥深くでうごめくこういうものに気づいている。「私もいろいろな戦場を見てきました。だいたい戦争というものは非常に執拗な破壊であると私は思いますけれども、それにしても、あの村の破壊には異様な執拗さを感じました。そのとき、私は、なにかそこに、ただ単に宗教や民族であるとか、あるいは政治というものから発するのとちょっと異なった、人間の奥底にある不可思議な闇のようなもの、どす黒い狂暴性を見た気がしました。人間に、飽くことのない執拗さを植えつけ、偏執的な攻撃をさせるものとはいったいなんでしょうか。もっとこれは考えなくてはいけないなにものかが、特定の民族性ということではない、戦争が人間を駆り立てて、別人格にしていく暗い深い謎が、その光景のなかに隠されているような気が、私はしたわけです」(『不安の世紀から』)
 この謎は特定の民族や宗教の違いに還元できないものではないかと彼は言おうとしている。おれもそう思う。ここに人間という存在にまつわる起源の闇が昏い穴をぽっかりあけている。起源の闇の底深さにうながされて、ホロコーストを代償として建国が成ったイスラエルは、パレスチナ難民居住区のベイルートを一九八一年爆撃し徹底的に破壊した。俗知にすぎぬが歴史は異なった顔貌をしていつもおなじことを繰り返す。スターリニズムとファシズムが生産中心主義が社会に落とした醜い影だとして、厄災をひきおこした歪みのエネルギーはどこに消え失せたのだろうか。ひょっとすると暮らしやすくなったのは人々の心がけがよくなったせいだろうか。いやそうではあるまい。行方をくらました歪みのエネルギーは消費社会の欲望の亢進に取り憑いたのだ。

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