日々愚案

言葉がことばを生きる1

518CeYEisXL__AC_US160_ 作家の片山恭一さんと今年の1月から緊急討議シリーズ『ことばの始まる場所』を刊行しています。アマゾンから販売されています。読んでみようかなど思っていただけたらうれしくて跳び上がります。

第1回 日本社会の劣化

第2回 民主主義を超えて

断3回 フラット化する世界で

 このシリーズはもうしばらくつづく予定です。

 国家のない世界までたどりつけたらいいなと思っています。

 

 ヴェイユの不在の神という言葉を覚えています。ヴェイユは信の共同体の仲間になりたくなかったので洗礼を受けなかったのだと若い頃は理解していました。いまはそうではなく、不在の神をとおしてしかヴェイユ自身とヴェイユの生きた世界のしくみを変えることができないと、彼女が考えたのではないかと思うようになりました。ヴェイユの生き方は人々からの孤立を招き、ある種の痛ましさをともない、それでも読む人になにかが迫ってきます。そこにはヴェイユのように生きることができなかった人がヴェイユを愛好するという逆説があります。ちょうどニーチェに憧れてニーチェのように生きることができなかったハイデガーがそうであったように。

 片山さんとの話をつうじてすこしはっきりしてきたことがあります。この世のしくみを変えることと、じぶんが変わることは同時であると思うようになったということです。この考えはだれも言っていないと思います。その可能性を、還相の性と国家として考えてみました。内包論の鍵になる不在の他者をめぐって討議をすすめていきます。状況論として読まれることも、もちろん想定しています。

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