日々愚案

還相の性と国家6

 若い頃、知の自然過程を往相の知とすれば、還りみちの還相の知というものがあることを吉本隆明さんの思想から知った。祖型は親鸞の往相廻向、還相廻向だといっていい。とても大きな概念でくり返し、さまざまな体験をしながら反芻し、わたしにも根づき、もはや固有体験となっている。

 知に往相と還相があり、生を巻き直す正定聚があるとしたら、性にも往相の過程と還相の過程があると考えてもいいいのではないかとguan02以降の惑乱の10年を経て思うようになってきた。それはけっして思弁ではなく、わたしの生存感覚を貫くようなものとして形をあらわしつつある。あせらず丁寧にここをほぐしていけば、もう少し先まで思考を伸ばすことができるのではないかと思っている。10年かかってたったそれだけか、と言えば言える。一身で三生を経るような歳月がたしかな実感としてある。ここを抜きにして状況を語ってもわたしをかすることはなにもない。

 還りの性というあたらしい概念はわたしのなかで生まれたばかりである。ここをうまく言葉にすることができたら、生き難かったこの10年がずいぶんひらかれる予感がしている。大げさにいえば、大きな息がつけるこの場所はおそらく万人のこととしても言いうることではないかと思っている。

 古今東西を問わず、自と多のあいだの矛盾・対立・背反を解消としようとおおくの思想家が手を変え品を変え四苦八苦しながら悪戦苦闘してきた。しかしわたしが読んだ思想家のどの本のどの箇所を読んでも解消についての心得は書いてあっても、じゃそのとおりにやったらその矛盾を解くことができるのかといえば、この世はそうならぬものだった。この世はままならぬものとして、昔も今も、おそらくこれからもおなじことが繰りかえされる。

 わたしは親鸞の正定聚を微分すると還相の性が出てくると考えた。このノートで、曲がりくねった直線や、真っ赤な青のようなことを書いてきた。内包論の最深にひっそりと還りの性があることにようやく気づいたわけだ。根源の性の分有者は往相の性を経(縦糸)とし、還相の性を緯(横糸)として織りあげられている。みなの知る言葉で言えば還りの性は、吉本隆明の自己表出という概念に近いと思う。

 わたしたちは往々にして往相の性を性それ自体として錯覚する。あのヘーゲルが「愛は悟性の解きえないとてつもない矛盾である」と言い、レヴィナスが「エロス的関係の悲壮さ」というその当体だ。聖句として遺されているわけではないが非命の維新者イエスもここに直面したと思う。親鸞は還相の性の場所を浄土と言ったのだと思う。紙に書かれる言葉などなにほどのものでもない。書かれぬ苛烈がある。根源の性のありかを媒介する最深の場所に還りの性がひっそりと息づいている。わたしは、ありえたけれどもなかったものをあらしめるという世界認識の方法をここでも貫こうと思う。

 心と心が重なる不思議がなければ心と心がすれ違うということは起こらない。自己同一性はすべて事後的な出来事にすぎぬというわたしの世界についての認識はいまも変わらない。離背も同一性の戯れということではないのか。緒妄もまた内包のおもかげである。
 わたしたちが還相の性を生きるとき、わたしはわたしのままで、あなたはあなたのままで、わたしはあなたとなる。性のこのありようのことを、ぼくは、自己よりもはやく性であると名づけてきた。ここではじめてわたしはわたしでありながら性なのだ。還相の性を生きるときそのつながりは、自己意識の外延態である共同性はめくれかえっている。名づけようのないあたらしい生の様式がここにある。ここにだけ国家や共同体へと至ることのない、人と人の未明のあたらしい関係がある。それは、わたしがわたしでありながら性であるから、三人称の第三者相互の関係は二人称へと上書きされることになる。10年かかってやっとここまでくることができた。

 正定聚が浄土に至るのは必定だとすれば、根源の性の分有者は還相の性を経て根源の性そのものへと至ることになる。ここで驚異の出来事が出来する。根源の1は自己意識の外延表現からいえば1にして2であることとしてあらわれる。根源の性(内包存在)からくびれた性はこの世のあらわれとして、往相の性へといったん分節されるが、分節された往相の性は還相の性を経てふたたび根源の性へと召喚される。この還相の性を親鸞の正定聚の拡張であると考えた。

 内包者相互があやなす関係のことを内包関係と呼べば、外延世界で二人称である者はじぶんと他者に対してそれぞれ2本ずつの手足を持つことになる。ひとりでいてもふたりであるということは、わたしとは自己より疾く性であるということだから、一捻りして他者とつながることになる。それこそが釈迦やイエス、親鸞が言いたかったことではないだろうか。神や仏の住まう地が国家の似姿にあるとおもったはずがない。かれらはそれぞれが現世でのつながりではなく信によって結ばれた信の共同体を夢想したにちがいない。よもや寺社仏閣が共同幻想体として地上にあらわれるとはおもっていなかったはずだ。わたしのかんがえではかれらがつかんだリアルのなかにあいまいなものがあったから地上に信の形が顕勢化されたのだと思う。神仏と恋愛の彼方にある根源の性からこぼれた還相の性はかたちになりようがない。つまり還相の性が煩悩のかたまりである往相の性を上(あるいは下)から吊っているのである。

 ところでフーコーはなぜ真剣に同性愛を奨めたのだろうか。マイノリティの権利拡張を言いたかったのではない。制度や秩序に斜めの亀裂を走らせることができると言っている。

    諸々の性の実践を経由していかに関係の体系に到達するのか?同性愛的な生の様式を創造するのは可能なのか?というわけです。生の様式というこの観念は重要だと思います。社会階級、職業の違い、文化的水準によるのではないもうひとつの多様化、関係の形態でもあるような多様化、すなわち「生の様式」という多様化を導き入れるべきではないのか? 生の様式は、異なった年齢、身分、職業の個人の間で分かち合うことができます。それは、制度化されたいかなる関係にも似ない、密度の濃い関係を数々もたらすことができますし、生の様式は文化を、そして倫理をもたらすことができると私には思われます。(『同性愛と生存の美学』増田一夫訳)

 あたらしい生の様式は「倫理」をもたらすと、あのフーコーが倫理を言う。いまはよくわかる。おなじ時期に次のようにも発言している。

    理論的にみてみれば、サルトルは真性という道徳上の概念を通して、われわれはわれわれ自身でなければならない-ほんとうに本物の私でなければならない-という考えに戻っているようにみえます。ところが、サルトルの言ったことから引き出してくることのできる実践的な帰結は、反対に、サルトルの理論的思考を創造性の実践に結びつけることになるのであって、真正性の実践にじゃないでしょう。〈自己(わたし)〉はわれわれに与えられているのではないという考え方からは、ただ一つの実践的帰結しか引き出せないと思います。つまり、われわれは一個の芸術作品として自己を組み立て、制作し、規定していかなければならないという帰結ですね。サルトルがやったボードレールとかフローベルの分析で、サルトルが創作の仕事を自己-作者自身とのある種の関係のせいにしているのをみるのはおもしろい、自己との関係が真正性の形であれ、非真正性の形であれ、ともかく。私はこれとまさに反対のことは言えないのかどうかと考えているんです。つまり、誰かの創造的活動をその人が自分自身に対して持つ関係のあり方のせいにするのではなくて、その人が自分自身に対して持つ関係のあり方を、その人の倫理的活動の核にあるような創造的活動に結びつけてみるべきかもしれないんです。(「ひとつのモラルとしての性」浜名訳・『現代思想』一九八四年十月号)

 表現の態度変更をフーコーは強く主張している。「私はこれとまさに反対のことは言えないのかどうかと考えているんです」。そしてこの表現概念の転倒は、「誰かの創造的活動をその人が自分自身に対して持つ関係のあり方のせいにするのではなくて、その人が自分自身に対して持つ関係のあり方を、その人の倫理的活動の核にあるような創造的活動に結びつけて」てみるべきなのだと言う。死の直前の発言である。フーコーは玄妙な性の往還という理路の一歩手前まできていたのだと思う。

 わたしたちは、比喩として言えば、拡張した親族となりうる。なぜなら各自が根源の性を分有する分有者であり、分有者であるということは自己が性であるということであるから三人称の関係は二人称になる。このありようは拡張された性や親族ということができる。外延世界の矛盾は内包世界の名づけようもなく名をもたぬ、ゆるやかな未明の親族関係へと拡張できるのだ。自己が性であるから外延世界の三人称は二人称になるのだ。外延世界では親族は氏族となりやがて部族連合となって国家へと至ることになるが、内包世界では国家の発生する余地はない。

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