日々愚案

歩く浄土197:交換の外延性と内包的な贈与21:吉本隆明の贈与論11

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意識の外延革命とはなにか。ポストヒューマンが前景に競り上がって来たということだと思う。こういうことはこれまでの歴史にはなかった。わたしたちの知る歴史の慣性は、人には内面というものがあり、その内面には自由というものがあると言われる。だから人は内面においてどんなことでも考えうる。べつの言い方では、思想や信条の自由がある、と。表現の自由や信教の自由が内面として担保されることのなかに人間が連綿と折り重ねてきた過誤の歴史への内省が生活の知恵としてあることは容易に推察される。内面で人を殺すこともおぞましい行いをすることも自由である。この知恵が尊重されることは自明であるが、どこか窮屈な感じもする。内面と外界という観念は、生が収縮したある思考の慣性が余儀なさとしてかたどった観念にすぎないのではないか。そんなことを長年、考えてきた。人はだれも内面という観念の内部でどんなことでもなしうる、それが表現の自由だというとき、そうだろうかと思ってきた。生を引き裂く力を善悪ではなく、そういうことを考えつくことができない観念のありかたのほうが伸びやかではないだろうか。もしもわたしより近いあなたをわたしとして生きたら、世界はどのようなものとしてあらわれるだろうか。世界の知覚が変わるのではないか。内包論は真剣にそのことを問うている。

わたしは、じぶんをじぶんにとどけることが表現の第一義性であると考えてきた。わたしたちの生というちいさな自然に宿る内面が外化したものを表現とは考えていないということだ。内面と外界というふるい表現の方法はもう世界のどこにも住処がない。戦後72年の総敗北であるとサイトの記事で書いてきたが、どうもその先があるようで、戦後の総敗北は序章に過ぎないような気がしている。戦前回帰よりもっとおぞましいことが起こりつつあるのではないか。多分に歴史の未知が起こりつつある。戦中の天皇制をもう一捻りしたことがグローバルに起ころうとしている。表現の概念を拡張することでこれから訪れる歴史の未知を迎え撃とうと考えている。すこし言い方を変えると、じぶんをじぶんにとどけることは、言葉が言葉を生きることとまったくおなじことを意味する。そのとき言葉は言葉を突き破って〔性〕になる。じぶんをじぶんにとどけ、言葉が言葉を生きるとき、わたしはすでにわたしではない。この機微をマルクスやフロイトや吉本隆明が生きることはなかった。マルクスは観念の自然を科学知に同期し、資本論は科学であると言い、フロイトはリビドーを科学的な実体であると考え、吉本隆明はマルクスの使用価値を指示表出に、交換価値を自己表出に読み替えて言語の表現理論をつくった。わたしは誤謬だと思う。科学知であれ、精神分析学であれ、言語の表現論であれ、あらかじめ内面を外界に対置し、内面の外化が表現であるという思考の慣性が前提とされている。この思考の慣性の全体を意識の外延表現だと主張してきた。これらの理念の範型は適者生存のカウンターとして機能し、事実としてはむきだしの生存を外側からなぞることにしかならなかった。それは歴史の冷厳な事実に属する。なぜこの認識が可能となるのか。内面が観察する理性として表現され、外界に公布されているからだ。この観念の自然は世界の無言の条理を結果として下から支えることになった。観察する理性は、知識人と大衆という生を分割統治する権力の視線を不可避に伴う。どんな例外もない。わたしたちのちいさな生は残骸のように遺棄されてきた。それがわたしたちの知る歴史だ。

新自由主義によって可視化されたわたしたちの生は電脳社会でビットに刻まれデータに還元される。洗脳の赤子という自然でさえここにはない。

「人格だけが生存権をもつ」という考えは、はたして「滑りやすい坂を滑り落ちているか」と。「教育を受けること、人間関係を培うこと、家庭生活を送ること、経歴を身につけること、貯蓄をすること、休日の計画をたてること」ができない「意識のない生命はまったく価値がない」ので、たとえば(生後日までの新生児とおなじように)「ダウン症の子どもが生存しないように死に至る措置をとる」ことにして、「望まれた子どもだけ産む」ことにするのはすばらしく倫理にかなったことではなかろうか、と。(ピーター・シンガー『生と死の倫理』)

同じ進化の方向性やデザインは、勝利するという共通のゴールを目指す人のさまざまな集団で別個に現れる。本当の目的は速度ではなく勝つことで、勝つとは社会的地位を上げること、より良い暮らしをし、より長く生きること、そしてより遠くへ移動することだ。その目的は人生そのもので、その背後にあるのは、生きたいという衝動だ。その衝動は保存(あるいは自己保存)の本能としても知られ、何ものにも優る。(エイドリアン・ベジャン『流れとかたち』)

いま出来上がりつつある世界システムの完全な属躰であることと生はまったく同義とされる。このシステムのなかではわたしたちのちいさな自然はちいさなビットの情報へと還元される。生は人格でさえなくビットの集合体となる。グーグルは膨大なビックデータをそのようなものとして所有している。そしてビックデータは商品として売買される。すでに内面そのものがビットマシンの情報にすぎない。もっといえばわたしたちのちいさな自然は科学知のささいな端末ということになる。

意識の外延性で、じぶんをじぶんにとどけられないことを、自同律の不快、あるいは生の不全感と言い換えてみる。文学はいつもこの周辺をどうどうめぐりしてきた。文学でも芸術でも自己を自己にとどけることはできない。どれほど自己が自己にとどかないのかということが、かろうじて逆説的に文学であり芸術であると言ってもよい。どうやろうと慢性的な精神の飢餓にさらされるほかないわけだ。煩悩でも、極悪深重でもいい。いずれにしても内面として感受されている。わたしたちのちいさな自然に宿る心性はこのようなものだ。この根を抜くことを自己の陶冶と呼んでみる。親鸞はおそらく自己の陶冶はどうすれば可能かと生涯を賭け究尽し、ついに他力という理念を攫取した。もしもわたしたちの生が同一性によって規定されているのだとすれば、親鸞の他力が究極の思想になるだろう。しかし親鸞にも考え残したことがあるといつの頃からか考えるようになってきた。他力の信はこの世のしくみを変えることができない。なぜならば他力の信も信の共同性を疎外するからだ。またこの世のしくみと相関する自己のあり方と他者の関係を変えることもできない。自力ではない他力というおのずからなるはからいによって自己が陶冶されることは疑い得ない。そのことは充分に諒解する。しかし自己を他力によって陶冶することができても、この自己の陶冶が他者への配慮と滑らかにつながることはない。自己の陶冶と他者への配慮は離接することになる。それはなぜなのかと考えた。親鸞の未然がここにある。他力のなかの他力、他力の手前にある他力があるに違いない。知識として語られたことはないが、わたしの生の知覚としてリアルに存在する。まだある。非僧非俗の非僧という位相はよく諒解できるが、俗にあらずは俗の対抗概念だろうか。そんなことを親鸞が考えたとは思えない。俗にあらずは俗を貫通してしまうのではないか。非俗が俗を突き破るとき俗でも、非俗でもない意識があらわれるはずなのだ。なぜ親鸞は非俗でとどまることができたのだろうか。親鸞は他力を思考の到達しうる究極のものと考えたらではないか。他力のなかにも自力があるとしたら、親鸞の意図に反して他力のなかにも他力があるのではないか。むしろ親鸞の他力はなにかへの媒介であり、過程ではないか。仏の慈悲を絶対的な受動性として身に浴びるると他力があらわれるが、親鸞の他力もまたなにかへ包越する過渡として存在しているのではないか。内包論の可能性の輪郭をつかもうと粘り強く考究するなかで、他力のはるか手前に〔ことば〕という〔性〕がたしかな手応えとしてあることに気づいた。親鸞の思想は完備な系ではない。親鸞の考えたことのすぐ近くに他力にとっての未知がある。

意識の外延性はそれが人類史というほどに根深く強固な規範をなしている。あるときわたしはこの意識もまた人間が、人間という存在に刻んだひとつの表徴にすぎないことに気がついた。驚いて腰を抜かした。その驚きはいまもつづいており、驚きを内包論として書いている。外延的な意識とまったくことなるべつのまなざしがある。歴史的にいえば内包的な意識は外延的な意識よりはるかに古い淵源を持っている。それがあることによってヒトが人となった由縁がここに秘められている。意識の内包性は既に忘却の彼方にあり、同一性を担保とした夥しい表現がこの大地に制作されてきた。意識の急峻な谷間から流れ出て扇状的に膨大な観念の製作物を織りなしてきた。この意識が大地に投影された長い影のなかをわたしたちは生きている。いまビットマシンと結合したわたしたちの意識は電脳によって意識の外延革命を遂行される過程にある。科学知によってわたしたちが生きていることが上書きされて消滅しつつある。「歩く浄土195」を片山恭一さんは超訳する。「ビットマシンによる生の電脳化がもたらす空虚を埋めるものとして、天皇制的な心性(自然への融即)がアルゴリズム化されようとしてる」。うまいなこの言い方。その通りだと思う。

    2

アダム・スミスは『諸国民の富』のなかで甚大な社会的災難が引き起こすよりいっそうおおきな普遍的な変革が貨幣によってもたらされたと言っている。貨幣という財貨の交換のしくみにおいて人々が自然にまもる諸法則とはなにかをアダム・スミスは追尋する。

注意すべきことは、価値ということばには二つの異なる意味があるということであって、それはあるときにはある特定の対象の効用を表現し、またあるときにはその特定の対象を所有することによってもたらされるところの、他の財貨に対する購買力を表現するのである。前者を「使用価値」、後者を「交換価値」とよんでもさしつかえなかろう。最大の使用価値をもつ諸物がほとんどまたはまったく交換価値をもたないばあいがしばしばあるが、その反対に、最大の交換価値をもつ諸物がほとんどまたはまったく使用価値をもたないばあいもしばしばある。水ほど有用なものはないが、それでどのような物を購買することもほとんどできないであろうし、またそれと交換にどのような物をえることもほとんどできないであろう。これに反して、ダイヤモンドはどのような使用価値もほとんどないが、それと交換にきわめて多量の財貨をしばしばえることができるであろう。

なにも特別なことをアダム・スミスがいっているわけではない。貨幣の交換価値は人間という自然に深く根ざしたものであることをアダム・スミスは透視している。ユヴァルは、「宗教は特定のものを信じるように求めるが、貨幣は他の人々が特定のものを信じていることを信じるように求めるからだ」という考えをアダム・スミスからもらっている。ユヴァル自身が、『国富論』は、おそらく歴史上最も重要な経済学の声明書であると言っている。貨幣が人類がつくった共同主観的現実だとすれば、交換そのものも共同主観的現実に基づいている。国家を幻想の共同体であると喝破したマルクスも貨幣が共同主観的現実であることを解明していない。国家も貨幣も共に共同幻想であるとするならば、マルクスは資本ではなく贈与論の可能性に挑むべきであったと思う。貨幣のふるまいを国民経済学として人々が自然にまもる諸法則のなかに位置づけたかったアダム・スミスの経済論も、共同幻想が共同幻想を記述するという誤謬をおかしている。交換のしくみをどれだけ緻密に論じても、貨幣の謎は起源の闇のなかに消えてしまう。

1984年に「経済の記述の立場」という講演を吉本隆明がやっている。アダム・スミスからリカード、マルクスの経済論を文学に比喩して語る見晴らしのいい講演である。吉本隆明の主張したいこととはべつに、ある思考のたどる必然を吉本隆明が語るとき、語る吉本隆明が語られるところに位置している。アダム・スミスの経済学の牧歌的な歌から、リカードが歌を喪失しながら経済過程を微細にたどり、マルクスが資本論で経済の過程をドラマにしたと述べている。

このスミスの特徴は、スミスの作りあげたおおきな経済的な範時のひとつ、たとえば「地代」というようなものにも、反映されています。「地代」とは何かというばあい、原始・未開の時代、住んでいる土地がたれのものだという区別もないし、たれかが独占している土地でもなかったときをかんがえてみます。そのとき、そこに植わっている木から木の実を食べるために十個もぎとっていったとします。そのばあい、木の実十個の価値は、木の実を十個採るために木に梯子をかけ、登り、そして十個もぎ採り、そしてまた梯子をおりてきて、籠に入れ、というようなことをした。つまりそのすべての労働、その労力が木の実十個にたいして支払った「労働の量」なはずです。ごく自然にかんがえて、ある生産物、ある採集物、ある商品の価値と、それが労働の量ではかられるということの、いちばん「起源」にあるのはそういう問題です。そこである土地にはいって木の実を十個採れば、十個採るだけの労力を使ったということだけが支払いであり、それが木の実十個の「価値」に該当するもので、原始・未開の、土地がたれのものでもなかった時代には、掛け値なしにそのとおりでした。(『吉本隆明の経済学』中沢新一編)

アダム・スミスの労働価値説も、アダム・スミスの経済論を批判的に継承したマルクスの『資本論』も、吉本隆明の幻想論も意識の外延性として言えば妥当である。木に登り、実をもぎ採る労働の量が起源の価値をなしているとして、ではなぜ労働の成果がいきなり交換過程に登場するのか。アダム・スミスもマルクスも吉本隆明も人間が社会的な存在であることを自明の前提としている。この自明さをどれほど微細に検討しても適者生存をなぞることにしかならない。それは観察する理性の必然である。解けない主題と解けない方法で解こうとしたときどんなことに遭遇するか。吉本隆明の言葉を追ってみる。

 リカードは、スミスが作りあげた経済的な〈概念〉をぜんぶ緻密に抜け穴のないように作りあげてしまったのです。リカードが作りあげたものは、そのままでは、一種の現実の〈鏡〉として、これがいちばんいいんじゃないかということを語っただけです。つまり〈物語〉としての〈鏡〉を提出したにとどまるといえます。しかし、リカードのいちばん忠実で正統な後継者であったマルクスが、こんどはリカードの〈物語〉にたいして、たとえていえば同じ経済学的な概念を使いながら、〈ドラマ〉を打ち立ててみせたといえるとおもいます。
 マルクスの〈ドラマ〉の主要なテーマははっきりしています。それは、社会の経済的な範噂、あるいは経済的な過程というものは、自然の歴史の延長線にあるという考え方(それがいい考え方であるか、欠陥のある考え方であるか別として)です。これがマルクスの措いた〈ドラマ〉の根柢にある考え方です。社会の経済的な範疇は自然史の延長と同じなんだ、つまり、太陽のまわりを地球が動いているとか、地球上にはこれこれの元素があって、それがだんだん水素からさまざまの過程を経て作られてきたものなんだ、というのと同じ意味で、まったく自然の過程の延長線に社会の経済的な過程が産みだされたという理念です。これがマルクスが措いた〈ドラマ〉の根本的な原理になっています。
 ですから、スミスが持っていた「価値」(「使用価値」あるいは「交換価値」)という概念も、マルクスはもっと緻密にしています。「価値」概念の出どころ、「労働」概念の出どころは何かといえば、根本的にいってしまえば、人間と人間以外の自然とのあいだの物質的な代謝関係です。人間は頭とか神経とか筋肉とかを使って身体を動かして何かを作ってるわけで、作ったものが「商品」として取引きされていきます。それは、いってみれば人間と自然の物質代謝(あるいは物質交換)なんだ、それは基本的に「価値」概念と「労働」概念の根樵にあるものだ、ということが、マルクスの(ドラマ)でいちばん有力にかんがえられている原則です。
 マルクスが、根抵的に経済的な〈ドラマ〉の中心としてかんがえた「対立」という概念があります。人間が手を加え労働を積み重ねることで作りあげた「商品」は、スミスのいった「使用価値」とか「交換価値」というような「価値」の概念で眺めたばあい、このふたつに分裂するものだ、とマルクスはみなしました。そのあげくは対立するにいたるというのがマルクスの〈ドラマ)の基本的な概念です。
 それはどういうことかといいますと、マルクスは「価値」の概念を「等価概念」と「相対的価値概念」とに分けました。すべての「商品」は、そのときどきの役割で交換のばあいに「相対的な価値形態」となるか、あるいは「等価形態」となるか、どちらか、あるいは両方に分裂するものだ、分裂して、そのふたつが葛藤するものだとかんがえたのです。
 簡単な例をあげてみます。スミスもマルクスもあげている例でいいますと、麻布があって、一反の麻布の 「価値」は一着の上着に該当する、とかんがえたばあい、麻布のほうが「相対的な価値形態」なんだ。その「価値」は上着一着に該当する、というふうに役割をかんがえたばあい、上着に該当するのが、「等価的価値形態」だといいます。逆にこんどは、一着の上着の「価値」は一反の麻布に等しいというばあい、上着が「相対的な価値形態」であり、麻布が「等価形態」ということになります。マルクス流のいい方をしますと、「相対的な価値形態」というのは、能動的・積極的な形態で、それにたいして、「等価形態」は、消極的な、受動的な受身の形態だ、ということです。しかし、すべての「商品」は、まっぷたつに、相容れないふたつの価値形態にかならず分割することができますし、その分割されたものはけっして混同されることはなく、いわばそれが葛藤・ドラマを演ずるということが、マルクスの作りあげたいちばん重要な概念だとおもいます。

アダム・スミスの経済学がなぜ牧歌的なのか。利己の追求が利他行為につながるとかれが生きた時代の思考の慣性が前提としてあったからだ。そのことをアダム・スミスは市場を支配する「見えざる手」と言った。市場もまた神のまなざしに抱かれているということがアダム・スミスにとってのリアルだった。マルクスの時代になると、「見えざる手の支配」は消え、私以外は私じゃないという時代が興隆しつつあった。その時代を生きたマルクスはアダム・スミスの理念の骨格をヘーゲルの論理式で置きかえた。そうすると、価値の概念は等価概念と相対的価値概念に分裂して対立することになる。ヘーゲルの同一性と差異性をそっくりそのまま反復している。等価概念が相対的価値概念に分裂し相互に対立することはヘーゲルの同一性に対する差異性を意味している。ある意識の系を公理として前提とするならばヘーゲルやマルクスの弁証法が成り立つことは理解できる。では問いたい。牧歌的なものとして存在していた経済の歌が、リカードの散文詩になり、マルクスのドラマによってますます経済が追い詰められていったのはなぜか。吉本隆明もその不具合については意識して、マルクスの歌を再検討する。もう経済の歌はどこにもない。

 マルクスの考え方は現在、さまざまな批判にさらされています。その批判は主としてとういうところから起こっているかといいますと、スミスがはじめ経済学的な範時としてかんがえた、「働いて賃金を得る者」という概念(労働者という概念)は、けっしてなまのままの労働者(つまり社会的な労働者)という意味ではなくて、経済学的な範噂としての労働者なんだ、ということです。マルクスの労働者という概念には、しばしば経済的範噂の労働者と社会的な労働者との混同が起こっている、という批判のされ方がありえます。マルクスの「労働価値」概念と、実際に具体的な現実の市場での商品の価格とのつながりがうまくいかないという批判のされ方もあります。
 こういう批判のされ方の根柢にあるのは何かといいますと、いってみればマルクスの〈ドラマ〉が〈歌)を喪失したということ、否応なく喪失してしまったところで作られた〈ドラマ〉であったということを、問いただされているんだ、といえばいえなくもないとおもいます。マルクスの作りあげた「価値」概念とか、経済学的な範晴にたいするあらゆる批判は、そういうところから起こっているので、いってみれば、その〈ドラマ〉には、自然の〈歌〉がもう聞こえないじゃないか、自然の〈歌〉はどこへ行っちゃったんだ、という問題、あるいは自然の〈歌〉とその〈ドラマ〉とのつながりは、いったいどうなるのか、あるいはそのあいだの空隙はいったいどういうふうになっているんだ、ということです。マルクスの経済的な〈ドラマ〉にたいする批判の根柢にあるものはそれだとおもいます。その根柢にある問題は、最初にたぶんスミスが持っていた〈歌〉が、どこで失われ、どこでそれが回復できないのか、あるいは赦密化が進んだということで、それは回復できないのか、という問題と大きくつながっているとおもいます。

吉本隆明はマルクスやヘーゲルの思想の本格的な再検討を『ハイ・イメージ論』のなかでやっている。「自然論」や「エコノミー論」や「消費論」がそこに相当する。この一連の論考はこの国がバブル経済に向かってまっしぐらというなかで書かれている。99%が中流になる消費社会の全貌を吉本隆明はつかもうとしていた。戦後二回目の転向をなしたと発言し、自身の思想を組み替えようとしていた。吉本隆明の手にしたものは空虚だった。あっというまに超格差社会が到来し、ハイパーリアルなむきだしの生存競争のただなかをわたしたちは生きている。経済を劇化したマルクスよりもはるかに吉本隆明は追い込まれていた。2008年に刊行された晩年の吉本隆明の言語論が「芸術言語論」(『日本語のゆくえ』)としてまとめられている。そのなかで、若手詩人の詩をまとめて30冊くらい読み感想を書いている。「若い詩人たちの詩をまとめて読んでみて、そういうことにはちょっと驚かされました。もう少し『脱出口』みたいなものがあるのかと思っていたけど、それがないことがわかりました。つまり、これから先自分はどういうふうに詩を書いていけるかという、そういう考えが出ているかというと、それはもう全然何もない。やっぱり『無』だなと思うしかないわけです」。『言語にとって美とはなにか』で表明された人間にとっての意識の表出の場面と、吉本隆明が言うところの「『無』に塗りつぶされた詩」がぐるっとつながっている。原初の人がなにか意識のさわりを覚え、その意識のさわりを発出する場面と、若い詩人の「無」が見事に円環している。世界を語ることによって吉本隆明自身の生が語られている。

すでに知的な資料や先だつ思考の成果を〈読む〉ことだけが〈考えること〉を意味する段階に(段階というものがあるとして)はいってしまったのではないのだろうか。それ以外に〈考えること〉などありえないことになったのでは。ほんとはいつもこの危惧をどこかでいだいているのだ。眼のまえにおこる生々しい出来ごとに出あいながら、その場で感じたことを〈考える〉とか、現実におこった事件について〈考える〉ことが〈考えること〉の主役だった時代は、過ぎてしまった。そうでなければ、眼のまえにおこっている生々しい出来ごとでさえ、書物のように紙のうえに間接に記録して、それを読んで出来ごとを了解しているのではないか。精緻に〈読む〉ことがそれだけでなにごとかであるような現在の哲学と批評の現在は、この事態を物語っている。このなにかの転倒は、すでに現在というおおきな事件の象徴だとおもえる。(略)この現状では〈わたし〉はただ積み重ねられた知的な資料と先だつ思考のなかに融けてしまって、すでに存在しないものにすぎない。そして〈考えること〉においてすでに存在しないものである以上〈感ずること〉でも、この世界の映像に融けてしまって、すでに存在しないものにすぎない。(『言葉からの触手』所収「考える 読む 現在する」)

吉本隆明の生存感覚が正直に吐露されていると思う。消費社会の全貌を必至に追い詰めている当人の空虚。そこには精神の飢餓感さえない。つまり吉本隆明が表現しようとしていた世界の全体が空無だということにほかならない。ヘーゲルの思想がマルクスに遺伝し、二人を継承した吉本隆明の思想の錯認はどこから由来するか。

 ついでに申しあげますと、ぼくは『言語にとって美とはなにか』の言語概念をどこから作ったかといいますと、おなじくマルクスの『資本論』から作りました。ぼくは、「価値形態」としての「商品」の動き方は、言語の動き方と同じなんだと、かんがえたのです。そして、ぼくはどこに着目したかというと、「使用価値」という概念が、言語における指示性(ものを指す作用)、それから「交換価値」という概念が、「貨幣」と同じで、万人の意識あるいは内面のなかに共通にある働きかけの表現(自己表出)に該当するだろう、とかんがえたんです。言語における「指示表出」と「自己表出」という概念を、「商品」が「使用価値」と「交換価値」の二重性を持つというところで、対立関係をかんがえて表現の展開を作っていきました。(『吉本隆明の経済学』所収「経済の記述の立場」中沢新一編)

貨幣が交換価値として登場するときすでに人間は社会的な存在となっている。社会的な存在である人間の紐帯は、商品が貨幣としてあらわれるとき、ユヴァルが言うように、「他の人々が特定のものを信じていることを信じるように求める」という共同主観的現実が国家という共同幻想より上位のものとして繰り込まれている。交換価値は共同幻想である。交換価値という共同幻想によって生の価値的な表現をなすことは先験的にできない。いまは水も商品としてコンビニで販売されている。使用価値のほうが人間の自然性にふかく依存している。いずれにしても生の価値を共同幻想で記述することはできない。親鸞は自力という共同幻想をぎりぎりのところで他力へと拡張した。吉本隆明の自己表出は共同幻想と共同幻想が内面化された自己幻想へと分裂するほかなかったと言えよう。おなじように交換の過程をどれだけ精密にして交換から贈与が生まれることはない。意識を外延的に表現した観察する理性として世界を仮構することはできるが、その視線そのものが知識人と大衆という生の分割統治を前提としている。そこに生のどんな当事者性もない。わたしはマルクスや吉本隆明の思想を逆に求心することができると考えた。

交換価値を貨幣のように万人の意識や内面のなかに共通にある働きかけの表現とみることは、共通の意識が共同主観的な現実という想像された虚構が存在するからである。そういう意味では吉本隆明的な原人が意識を象徴的な言語として発出し、塗りつぶされた無を生みだすのは必然だった。共同幻想で内面を意味づけようとしても、鋭敏な生がそのなかに意識の空隙をうみ、意識の特異点がニヒリズムとなるのは必然ではないか。わが身をもって吉本隆明はその生を生きた。

    3

なんど読んでもいいなと思う文章がある。ああ、ここに意識の起源と生きられる生がある。

南インドの小さい都市の鉄道の駅で、乗客が窓から投げ捨てるバナナの皮に、飢えた少年や少女が群がって奪い合っている。一歳くらいの妹を片脇にかかえた少年も負けることなく奪い合っている。乗客のひとりがこの少年にバナナを与えると、わたしたちがふつう食用にするまん中のやわらかい部分はすべて、たぶんまだ歯のそろっていない妹に食べさせている。その長い間、少年は法悦のような目つきで、女の子を見つづけている。陽射しの強さもあるかもしれないが、わたしはこんなに幸福な人間の顔を、これまでに何回かしか見たことがない。おしまいの根元の部分を女の子の口におしこむと、少年は皮だけを食べて、またあの容赦のない争奪戦に、仲間をおしのけ蹴たぐりながら走りこんで行く。餓鬼は餓鬼として即菩薩であり菩薩は菩薩として即餓鬼である。もっと「文明的」な世界では幾重ものシステムと観念装置に覆われている関係の真理のようなものが、仮借ない直接性の陽射しにさらされて裸出している。(真木悠介『自我の起源』所収「補論 性現象と宗教現象」)

腹の減った幼い妹にバナナを食べさせるお兄ちゃんがいる。妹がおいしそうに食べると少年のなかになにかが充ちてくる。そのなにかが表現だと思う。妹が恋人であってもかまわない。他力のなかに他力があり、他力のはるか手前に他力がある。この他力は意識の外延性が内包化された他性によってもたらされる。そのほかではない。俗にあらずが俗を突きぬけることとはこういうことだと思う。餓鬼が餓鬼のまま菩薩であり、菩薩は菩薩のまま餓鬼である。このなにかは内面か。内面ではない。内面よりふかい有縁である。外延的な意識が内包化されるときおのずから内包的な自然があらわれる。バナナを妹に食べさせる兄は妹であり、妹はそのまま兄である。この表現の全体をわたしは内包自然と名づけてきた。社会的な存在の手前に内包存在がある。ここまで来て始めて吉本隆明のアフリカ的段階が輪郭をもってくる。単騎血煙を上げながら疾走した吉本隆明が思想の果てにたどりついた、あたかも親鸞にとっての他力のようにしてアフリカ的な段階という喩があらわれた。おそらく吉本隆明にとってアフリカ的段階という理念は生きられる未知としてあったに違いない。そのうえで吉本隆明のアフリカ的段階について申し述べる。吉本隆明の主観的な意識のひだで時間とされるものは意識の外延性のなかであらかじめ空間化されている。それは外延的な意識の必然である。垂直に運動する吉本隆明の表現意識を極限まで伸張したところに、ある概念がぽっと輪郭を描いた。アフリカ的段階はそういうものとして存在している。最晩年の吉本隆明の思想の到達点だ。吉本さんの表現の時間にはわかりにくいといえばわかりにくい、たくさんのはにかみが込められている。菅原則生さんの『浄土からの視線』の帯文に「俺の考え方の底まで理解してくれた人はおらんな、っていうそういう感じがします。それは俺はちょっと自信がありますね」。わたしは吉本さんのアフリカ的段階というおおきな概念は内包化すると根源のふたりになると思う。外延的なアフリカ的段階は内包自然に相転移するということなのだ。さらに内包自然の深奥にひっそりと熱く息づく還相の性がこの内包自然を統覚する。意識の外延性と内包性を自在に往還すると世界は自同律の不快や生の不全感ではなく匂い立つ。アフリカ的段階を内包化すると言葉が本来性を回復し〔性〕としてあらわれる。自力の果てにやってきた吉本隆明のアフリカ的段階を、真木悠介が語る妹と兄が、鮮やかに喩として象徴している。

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