日々愚案

進撃の内包2

41HLK2nvNdL__AC_US160_ 『開店休業』(吉本隆明)を読んだ。ひさしぶりにいい本を読んだなあという満足感があった。

 娘のハルノ宵子さんのあとがきがよかった。「氷の入った水」を何度も何度も読み返した。

父が亡くなる三、四ケ月ほど前、冬に入る頃だった。流しで洗い物をしていると、夜食の後ぼんやりとキッチンの椅子に座っていた父が、「さわちゃん、そこにいるか?」と尋ねた。「そこまでひどくなったのか」と思う。父と私の間には食器棚があるとはいえ、一メートルほどの距離だ。耳も遠くはなっていたが、水を流したり食器を〝音〟は聞こえているはずだ。しかし父にとってそれは単なる〝音〟であり、(水音→洗い物→そに私がいる)と、認識できていない。脳の回路が途切れているのだ。
「いるよ。何だい?」と、手を拭きながら父の日の前に立つと、「すまないが氷の入った水を一杯くれないか」と、父は言った。その言い方が、これまでの父とは違って、あまりにも〝ニュートラル〟だったので私は驚き、限りなくやさしい気持ちになって、あわてて水を入れに行った。〝水〟じゃサービスのしょうも無いので、せめて、ミネラルウオーターにロックアイスを入れ、父に差し出した。父は「ああ……うまい! うまいなぁ」と、本当に美味しそうに飲み干すと、奥の客間へと這って寝に行った。

 そんなことが二、三度あっただろうか。私は人間のこれほどまでに〝含み〟の無い言い方を聞いたことがない。歩き疲れた旅の僧が村に差しかかり、初めて出会った村人に「すまんが水を一杯所望したい」と言う。時には気味悪がられ、目の前でピシャリと戸を立てられることもあるだろう。しかし僧は落胆するでもなく、恨み言を浮かべるでもなく、また再び歩き出す ― そんな言い方なのだ。そこには懇願も媚(こび)も威圧も取り引きも無い。ただそのままそこに〝有る〟だけの言葉だった。
 父がどれほどの高みにまで達したのかは、私は知らない。ただもう家族のもとには帰って来ないのだという予感だけがあった。
 父は一介の僧となって旅に出てしまったのだ。

―なので、今も仏壇に供える水には氷を1個入れる。

 娘へと受け継がれた一子相伝の世界。
 すぐにピンときて、なにかが氷解した。
 「そこには懇願も媚(こび)も威圧も取り引きも無い」と書いてあるが、正定聚のことをさしているのではないか。いや、まちがいなく、たぶん、そうである。

 「ただそのままそこに〝有る〟だけの言葉」を吉本隆明は生き切ったのだと思う。彼が数多くの著作で幾たびも述べてきた「死から照らされる生」、つまり正定聚のことだ。
 吉本隆明の最深の思想の根っこには呪文のような言葉がいくつかある。正定聚もそのひとつだ。じつにわかりにくい。

 言い出しっぺの親鸞でさえうまく言えなかったのだとずっと思ってきた。

まづ善信が身には、臨終の善悪をば申さず、信心決定の人は、うたがひなければ、正定聚に住することにて候ふなり。さればこそ愚痴無智の人も、をはりめでたく候へ(『末燈鈔』)

  正定聚のわかりにくさについて吉本隆明は言っている。

 

『教行信証』を見れば解りますけど、『教行信証』の最後のところに、自分がとうとう浄土宗のほんとうの信者になれなかったという。どこかっていうとひとつには、自分は妻帯するっていうか、女性との関係ということで言えば自分が最後まで浄土宗の教典がいう意味での禁欲っていうか、僧侶らしさというものを、とうとう守れなかったということ。もうひとつは他人(ひと)の先生みたいな顔、人士というか、他人(ひと)の師みたいな顔をして説くことをやめてない、このふたつが決定的で、自分がとうとう浄土教の本筋にいけなかったということ。・・・

それからいろんなことを言われてますけど、念仏も一念って言って一回やればたくさんなんだって言ったっていわれてますけど。そこは僕は知りませんけど、法然がそういう手紙を出してますね。親鸞に宛ててるわけじゃないけれど、越後庄に集まった人たちに宛てている。お前たちは、勝手に一念、南無阿弥陀仏で一生に一度でいいんだとか、無念義って言ってそんなものはいらないんだって言ったりしているけど、直接自分が行って膝を交えて説きたいけれど、それは間違いだって『一念義停止起請文』っていうのを書いてますけど。いい文章ですけど。もう親鸞のほうは、そんなこと問題にしないって、ただ自分に懺悔するだけって言ったんですけど。

どうしても先生づらして千葉県の民衆に説くことと、妻帯して女性と関係することだけはやめられなかった。そのふたつで浄土宗を失格しているという懺悔を、法然に対してだけじゃなく、誰にともなく懺悔をしている。そのために俺は正定聚にどうしてもなれなかったっていう。

僕は最後のところがよく解らなくって、去年か一昨年、やっと、一昨年くらいに自分なりの解釈を『太陽』っていう平凡社から出ているものの中に書いている。要するに浄土の真宗と親鸞が言っているものは、自分が宗教でもって民衆に近づこうっていうふうに試みてきたけれど、とうとう最後まで近づけないで残った。親鸞は最後まで近づけないで残っている、その残っているというところが浄土の真宗だ、というふうに親鸞は考えているというふうに僕は………。もう時間がないし、何に対して時間がないかというのは曰く言い難いんですけど、これが親鸞の最後の結論であるというふうにして、僕は『太陽』に書いているんですけど。

僕は、これで親鸞の結論はこうだったっていうふうにしちゃえっていう、自分を急かせるものがあってそういうふうに解釈したのですが、それが最後だっていう、意味があると思うんですね。(「菅原則生のブログ」吉本隆明さんを囲んで2)

 教理上の親鸞も「正定聚」についてもどかしい言い方しかできていない。吉本隆明も最晩年までわからなかったと言っている。だれにとっても、万言をついやしても言い当てられないのだと思う。
 なぜか? それは正定聚が同一性の彼方にあるからだ。

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