日々愚案

歩く浄土183:交換の外延性と内包的な贈与14:吉本隆明の贈与論4

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なぜ信の共同性の核にある思考の慣性の根をぬくことが困難なのだろうか。信の共同性も生きていることも、そして性の世界も意識の外延性によってなぞられてきたとブログでもしつこく書いてきた。〔と共に〕という内包の不思議を生きるとき、一切のなぜは消え、そのなかにいてそこを生きることができる。意識の外延性でこの不思議にふれることはできない。ふとネットで目にしたマザー・テレサの言行録。「自分の内にキリストを住まわせるということは、とても大切なことです。そうすれば、どこに行こうとも、あなたは現存されるキリストと共にいるのです。」「祈りとは、キリストにわたし自身を完全にゆだねること、キリストと完全に一つになること以外の何者でもありません。そしてこのことが、わたしたちを、この世のただ中において観想的にさせるのです。」どこかわたしの内包に似ているが、まったくちがう。マザー・テレサのキリストへの信は鞏固な信の共同性となる。この精神が資本主義社会を創生したと言いたい。野生のマルクスの精神に宿った熱い夢が長い年月をかけて資本論となり、この世のしくみを変えようと試み、世界の無言の条理に屈したように、マザー・テレサのすべてをキリストに委ねるという精神がこの世の位階制を支えることになっている。ここにいったいなにが横たわっているのか。すぐに思いつくことから入っていく。マザー・テレサの信にはなぜがない。生をキリストに委ねる他力のように見えて自力の信を精進することにしかならない。あなたはどういうヒューマニズムに基づいて日々の奉仕活動をやっているのかと問われ激怒する。私がやっていることはヒューマニズムとはなんの関係もありません。私はただ神の命じることをやっているのです。この自己満足が結果としてこの世のしくみをささえていることをマザー・テレサが自覚することはない。他力を装う自力作善の典型だと思う。ハイデガーは思弁を凝らして空疎なことを言う。「断じて、人間は、まず最初に世界のこちら側にいて、『自我』であれ『我々』であれどう考えられようとも、ともかくなんらかの『主観』として、人間であるのではまったくない」(『「ヒューマニズム」について』)我がゲルマンの没落期、人間の可能性はどこにあるか、とハイデガーは問い、「かろうじてただ神のようなものだけがわれわれを救うことができるのです」「この神の出現のための、あるいは没落期におけるこの神の不在のための一種の心構えを準備するという可能性です」と分けのわからないことを囀る。エックハルト(1260-1328)には強烈な自意識から発せられる炯々とする言葉の眼光があった。かれはなぜの塊だった。「私の理性が証し認識しうるかぎり一切の書を究尽して来ているが、すべての披造物を捨離する純粋なる離在よりほかに見出さなかったのである」(『神の慰めの書』)純粋なる離在がエックハルトにとっての神にほかならない。この神に向かって脱自、脱自を呪文のように唱える。そのあげくに、「ところで私が私を強いて神に至らしめるよりは、私が神を強いて私に来たらしめる方がはるかに高貴である」。「神は善であると言うならば、それは真ではない。むしろ私が善であり、神は善ではない。否、更にもう一つ、私は神よりもより善であると言いたい」(『マイスター・エックハルト-人類の知的遺産21』)この思想は危険であるから、エックハルト門下は浄土宗同様、徹底した弾圧と処刑と焚書に遭う。エックハルトの教説を記した石版は治安を乱すとして破壊される。それでエックハルトの事跡は痕跡しか遺されていない。

エックハルトと親鸞(1173-1263)の考えたことからおおくのものが内包に贈与されている。エックハルトは神は私より私の近くにいると言う。脱自の果てに離在する神と一になるそのことをエックハルトは生きたのだと思う。だから私は神なのだ。わたしは純粋なる離在をほどかないと信の共同性の根をぬくことができないと考えてきた。わたしは離在をわたしの思考の必然に沿って分有と読みかえたように思う。離在を分有へと拡張することによってエックハルトの思想は領域化できると考えた。西欧的な知は往相の知しかなく、還相の知というものがない。エックハルトにしても往相という単型の理念によって神を語っている。エックハルトほど巨きな神の理念をもったわけではないが、ささやかなヴィトゲンシュタイン(1889-1951)のイエスへの信も行き途だけで語られている。語りうることついては明晰に、語りえぬことについては沈黙せよとヴィトゲンシュタインは言った。語りうることの明晰さを『論理哲学論考』(1918年)として書き、その誤りについて自覚する。『哲学宗教日記』の翻訳者は、答の存在しない問いに対して、いずれ答が存在する問いであるかのように振る舞ったが、ヴィトゲンシュタインはこのうそに気づいていたと言っている。世間はごまかせても自分を欺くことはできない鋭敏な知性の持ち主だった。語りえぬことについてヴィトゲンシュタインは生涯秘匿し、死後42年経って『哲学宗教日記』というノートが発見される。この本を読まなければヴィトゲンシュタインはわたしにとって縁のない思索家だったと思う。『論理哲学論考』の序でかれは書いている。「本書が全体としてもつ意義は、おおむね次のように要約されよう。およそ語られうることは明晰に語られうる。そして、論じえないことについては、ひとは沈黙せねばならない。かくして、本書は思考に対して限界を引く。いや、むしろ、思考に対してではなく、思考されたことの表現に対してと言うべきだろう。というのも、思考に限界を引くにはわれわれはその限界の両側を思考できねばならない(それゆえ思考不可能なことを思考できるのでなければならない)からである。したがって限界は言語においてのみ引かれうる。そして限界の向こう側は、ただナンセンスなのである」。かんたんにいうと思考の両側を思考しえていないにもかかわらず、思考の限界の向こう側をナンセンスとした虚偽に耐えられなかった。並外れた知性の持ち主であったヴィトゲンシュタインにとって世界は明晰に語りうると錯認できた時期があった。観察する理性の者たちの目を欺くことはできても、自身を嘘をつくことができなかったと言うことだ。語りえぬことをヴィトゲンシュタインは日記に遺し公開することはなかった。語りえぬこととはなにか。イエスにたいする信仰である。イエスと共にあるときヴィトゲンシュタインにはいい風が吹き、言葉がたしかにヴィトゲンシュタインのなかに降り立っている。と共にがないとき世界はどうあらわれるか。在るのざわめきのなかに絶海の孤島のように存在するしかない。そのことをヴィトゲンシュタインはよく知っていた。分析哲学の言語ではそのことを表現できないからだ。「人間はおのれの日常の暮らしを、それが消えるまでは気がつかないある光の輝きとともに送っている。それが消えると、生から突然あらゆる価値、意味、あるいはそれをどのように呼ぶにせよ、が奪われる。単なる生存-と人の呼びたくなるもの-がそれだけではまったく空疎で荒涼としたものであることを人は突然悟る。まるですべての事物から輝きが拭い去られてしまったかのようになる。すべてが死んでしまう。・・・・これこそが人にとって恐ろしいものでありうる本当の死なのである」。観察する理性は思考の限界の向こう側にあるものを指で指し示すことができない。だから語りえぬことについては沈黙するしかない。ヴェイユとよく似て生について尋常でない鋭敏な知覚をもっていたヴィトゲンシュタインは、ヴェイユが不在の神にむけて祈ったように、イエスへの信仰を生涯秘匿した。観察する理性は同一性という拘束衣が存在することを前提としている。存在の彼方を同一性という拘束衣をまとったままで措定することは論理として不可能である。こうして語りえぬことは幾重にも錯綜する。

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天皇制への叛徒として流罪に処せられた親鸞は仏という語りえぬことをどう考えたのだろうか。流罪から免赦された親鸞は言う。「ひそかにおもんみれば、聖道の諸教は行證ひさしくすたれ、浄土の眞宗は證道いまさかんなり。しかるに諸寺の釋門、教にくらくして眞假の門戸をしらず。・・・これによりて眞宗興隆の太祖、源空法師、ならびに門徒数輩、罪科をかんがへず、みだりがはしく死罪につみす。あるいは僧儀をあらため、姓名をたまふて遠流に處す。余はそのひとつなり。しかればすでに僧にあらず、俗にあらず、このゆへに禿の字をもて姓とす」(「化身土巻」『教行信証』)よく知られた非僧非俗の境涯が語られている。そのうえであらためて問うてみる。「僧に非ず、俗に非ず」とはどういうことか。愚禿とみずからを呼んだ親鸞の79歳のときの書簡が遺されている。「阿弥陀仏の本願は、有念、つまり、色・形を思うはたらきの対象でもありませんし、無念、つまり、形や色をおもわずに真理を悟る対象でもありません。有念も無念も聖道(門)のなかの教えです。聖道とは、すでに仏になった人々が私たちを導くために立てられた、仏心宗・真言宗・法華宗・華厳宗・三論宗などの大乗仏教の教えのことです。仏心宗とは、世にいう禅宗のことです。また、法相宗・成実宗・倶舎宗などの大乗仏教に導く手段としての教えのことです。これらはみな聖道です。手段とは、すでに悟りを得た仏や菩薩が仮に種々の姿を現して真実の教えに導かれることをいいます。浄土宗にも有念、無念の区別があります。有念は道徳的善行によって浄土に生まれることを期する立場。無念は瞑想の力によって浄土に生まれようとする立場。浄土宗の無念の立場は、聖道の無念とは異なります。聖道の無念のなかにもまた有念があります」(阿満利磨『親鸞からの手紙』)老齢の親鸞が聖道門の仏教の理念を批判していることはりくつではなく身にしみてよくわかる。そのうえで親鸞に問いたい。僧に非ず、俗に非ずとはどういうことか。非僧非俗の思想は自力作善の反照にしかなっていないのではないか。他力の思想がそれ自体として自存するにはもうひとつなにかの機縁があるのではないか。聖道門、とくに禅仏教の端正な理念に親鸞が収まらぬものを抱いていることはわが身をなぞるようによくよく諒解している。「誠に知んぬ、悲しきかな愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の太山に迷惑して、定聚の数に入ることを喜ばず、真証の証に近づくことを快しまざることを、恥づべし傷むべしと」(『教行信証』「信巻」)この境涯を生きる親鸞の煩悩は非僧非俗の思想で消滅するだろうか。わたしは世界の条理それ自体と、非僧非俗の思想にはわずかなすきまがあると思う。このわずかな間隙を他力の思想が埋めることはできない。どういうことか。他力の思想でも同一性の拘束衣を脱ぐことはできないということだ。ここに信の共同性の根をぬく困難さがある。この思想の難所を跨ぎ越すときはじめて在るのざわめきのなかに絶海の孤島のようにして浮かんでいるわたしたちの固有の生がまったくあたらしい未知として生きられることになる。言葉が言葉を生き始めることが、ここにじかに関わる。「私」が、斯く斯く然々の理由で「私」であるということはそれほど困難なのだ。思考の慣性を超えることは共同幻想のない世界を構想しえるかどうかをじかに意味する。

煩悩にまみれた親鸞の浄土はどうやれば歩くか。どうやればいまここに現成するか。まずはからいを捨てることである。エックハルトの脱自と、親鸞のはからいを捨てよは、わずかにちがう。エックハルトは超絶的な鬼気迫る我執の解脱を苛烈に敢行する。その果てに純粋な離在を感得する。それはエックハルトにとって動かしようない原事実であった。エックハルトの信を体得した者が複数いたとする。エックハルトを開祖とする信の教団ができる。それはこの世のしくみをなぞることにしかならない。信において生の安寧をうるだけだ。この信を解体する信をエックハルトは着想することはできなかった。たしかにエックハルトは「私が神である」と言っているが、同一性が領域化されただけで同一性の公理はゆらいでいない。エックハルトを体得した者たちの各自が「私が神である」と言い始めたとする。その者たちをA1、A2、A3、・・・とする。エックハルトのように神を感じる者が輩出するだけで、それぞれの者たちの関係はなにも変わらない。この信の型の下では三人称はのこりつづける。それは現世そのものではないか。それでは親鸞はどうか。脱自など親鸞は頓着しなかった。煩悩にまみれているからこそ浄土が近いのだ。善人が往生するなら悪人はなお往生しやすい。親鸞によって思考の慣性はまったくひっくり返されている。親鸞の思想に出会ったとき狂喜乱舞した。理解できなくてもすごい思想であるということはりくつではなくわかる。すっと身にしみてくる。では問うてみる。なぜ神で、なぜ仏なのか。煩悩にまみれた親鸞が仏と対座し、はからいを捨て、他力に身を任せる。自力ではなく他力による生がくっきりと輪郭をもってくる。よく理解できる。でも生をひらく力がなぜ神であり仏なのか。わたしは神仏という自己に先立つ超越や、対幻想や往相の性の手前にわたしより近くに還相の性があることを知覚した。りくつではない。それはただあるとしかいいようがないリアルだ。親鸞の自然法爾よりもっとやわらかい自然がある。親鸞の正定聚という思想を還相の性でひらくことができることにあるときわたしは気づいた。正定聚まで来れば往生は必定であると親鸞は言った。なぞらえて言えば還相の性までくれば浄土が歩くことは必定である。私は親鸞の他力の思想を動態化できると思う。根源の二人称はまず固有名としてある。ここからが内包の不思議だが、この固有名がそのまま匿名となるのである。固有名がそのまま匿名であるから、根源の性の分有者の深奥にある還相の性が対幻想や往相の性の規範を超えて行くことができるのだ。この機微は言葉として取りだすのがむつかしい。もし固有の生が可視化されるなら、それは外延世界の対幻想や往相の性となり、同一性の拘束を被ることになる。おそらくどんな例外もないだろう。世界を並んで見ながら、どうじに向かい合うことは、還相の性の場所しかない。この還相の性の場所において「自己表現とは、自己の表現ではなく、自己が表現されること」(片山恭一「小説のために(第十話)」)になる。

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健太郎と清美は離接している。べつべつの生涯を過ごし、同一性的にはなんの縁もない。それにもかかわらず健太郎と清美は不即不離である。このような性の神秘は同一性の拘束衣を身につけている世界では起こらない。健太郎と清美が邂逅しているのは対幻想や往相の性の世界ではない。親鸞の自然法爾にすこしだけふくらみをもたせた内包自然でふたりは出会っているのだと思う。エックハルトの信の根をぬくことができないように、親鸞の他力でも信の根をぬくことができない。すでに仏である親鸞は他力そのものを自然法爾として生きている。しかし親鸞とおなじ他力を生きる者が複数集まればどうなるか。どんなかたちであれ共同性をまとうことになる。他力でさえも人称の類別という同一性の拘束衣を脱ぐことはできない。それぞれが他力の信を生きても三人称がなくなることはないわけだ。世界とは〔性〕にほかならない自己が表現されないかぎりこの世のしくみがかわることはない。わたしは親鸞の非僧非俗を総表現者で、正定聚を還相の性でひらけばいいと考えた。非僧非俗は世俗の反照としてある。非僧非俗をそれ自体として自存させたい。極悪深重の悪人正機の悪が善悪未生として表現される世界まで行きたい。赦免されてどこか東国を放浪しているとき、ふとした縁で気脈を通じる女性と出会い、ここが浄土だと思ったとする。煩悩にまみれた親鸞はあちこちで有縁を度し、あちこちに浄土をつくったかもしれぬ。また見つけてねと言われれば、すぐ見つけるさ、と応答していたに違いない。あるとき親鸞を親鸞として認知しない記憶障害がある老齢の女性から、「お花を摘んできてくれるか」と無邪気に問われたら親鸞はどうするだろうか。一瞬よろけて、横ざまに跳び退り、とまどいながら今度来るときは花を摘んでくるよ、と応えるに違いない。そのとき親鸞は他力からも離れ存在そのものと重なってしまうと思う。世界の無言の条理が脱落しそれ自体善なるものとして表現されることになる。存在が存在に重なるとはそういうことだ。僧に非ず、俗に非ずでもない。反照されるものはなにもない。総表現者のひとりが生を固有のものとして現成する。極悪深重の身が、自力も他力もなくそれ自体としてひらかれる。若いアキと朔太郎の一瞬の永遠は、時空を隔て、健太郎と清美として邂逅する。「呼びかける者が呼びかけられる者へと転位するとき信の共同性は本当の意味で解体されることになる。このとき親鸞の自然法爾はわずかにふくらむことになる。このふくらみのことを内包自然と言っていいような気がしている」(「歩く浄土182」)他力を語る者はまた他力の彼方から語りかけられる者でもある。この関係のなかに神仏の入り込む余地はない。なぜならば世界とは根源において〔性〕にほかならないからだ。

だれの、どんな生の根底にも根源の二人称がある。ひとはだれもが根源おいて二人称として存在している。この根源の性が分有されるとき名づけようもなく名をもたぬ分有者はこの世の慣わしに従って固有名を刻まれる。それがアキにとっての朔太郎であり、朔太郎にとってのアキである。あるいは健太郎にとっての清美、清美にとっての健太郎だと言える。この性の世界をわたしたちの思考の慣性は対幻想や往相の性と呼んでいる。その数だけなぜがある。その数だけ物語がある。行き暮れたなぜを親鸞の言葉が不意打ちする。親鸞の言葉に鷲掴みにされた体験のあるものは親鸞の音色のいい言葉によって息を継ぐことができる。竪超ではなく横超を親鸞は説いた。わたしの好きな親鸞の言葉のなかで横超という言葉の響きは自力と他力の埒外にあるのではないかとずっと思ってきた。非僧非俗も悪人正機も世界の無言の条理を超える方便にすぎないのではないかという思いがそこにわだかまりとしてあったと言うことだ。問う者が問われる者になるときの途惑いがそこに潜んでいるように思ってきた。自力でも他力でも超出することができない出来事があるのではないかとひそかに考えてきた。片山さんの新作の末尾で考えてきたことがなんであるか得心がいった。自力にしても他力にしても法語を媒介としている。もしむきだしの生存があらわになったらどう応答できるのだろうか。幼なじみの清美が認知症を患い施設に入所する。郷里の友人と弔おうと田舎に帰り、清美のことを知り、施設を訪れ、語りかける。通じているのかどうかわからない。またそのこともどうでもいい。帰り際に、清美が、「健太郎」と後ろから呼びかける。「お花を摘んできてくれるか」。これだ、これ。じーんときた。この場面はなんとでも解釈できるが、それもまたどうでもいい。この言葉は世界の無言の条理より強い。親鸞は聖道門は自力のはからいであると批判してきた。自力作善は竪超にすぎないからだ。親鸞の言葉を引いてみる。「二超は、一つには竪超、即身是仏・即身成仏等の証異なり。二つには横超、選択本願・真実報土・即待往生なり」。石田瑞麿は次のように訳している。「二超とは、一つには自力で迷いをとび超えるもの(竪超)(この身がそのまま仏であり、この身のままで仏になるなどといわれるときの、そのさとりに至ること)である、二つには他力によって迷いをとび超えるもの(横超)〈願としては阿弥陀仏の選びぬかれた第十八願により、浄土としては真実の報土に生まれ、往生としては即時に往生をとげること〉である。(「愚禿鈔」)横超は即時に往生をとげるということなのだ。すぐにフーコーの、主体は実体ではない、真理が創設される際には必ず他性の本質的な措定がある、という言葉を思いだした。他なるものが参入することなくして浄土が顕現することはない。そしてその他なるものは実詞化できない。ただ還相の性の表現としてある。問うものがいきなり問われることになるとき同一性の拘束衣がほつれて浄土がじかにあらわれる。

こう考えてみたらどうだろう。世界の大半のものたちが他力の感得者になったとする。そのとき世界は変わるだろうか。どういう信であっても信は同一性の拘束衣をまとっている。そしてその信は他力であっても信の共同性をなす。この世のしくみはなにも変わらない。信を世界に語りかける者が信の埒外にある者から問いかけられるとき、世界はふいに深くなる。世界を問うものが一切の媒介なしに、いきなり問われるものとなる。他者とのむきだしの対面。このとき親鸞の自然法爾はおのずと内包自然へとひらかれる。「お花を摘んできてくれるか」は存在しないことが不可能である還相の性の寓喩として読まれるべきである。根源の性を分有する分有者の不思議が固有名として刻まれ、匿名となるとき、還相の性は自己と共同性を包んでしまう。このとき始めて信がひらかれ、存在が存在に重なる。根源の二人称は固有名〔と共に〕始まり、還相の性の深奥に始まりと〔共に〕ありつづける。この機縁のなかに同一性の拘束衣は、それが自力であれ、他力であれ、消え去り、内包的な存在それ自体となる。他力を一瞬宙づりにし自然法爾がふくらむ契機を横超はもっている。最期の親鸞は文字ではない苛烈のままに仏である親鸞を還相の性として生きたように思う。『なお、この星の上に』の「お花を摘んできてくれるか」という言葉に出会ってそういうことを考えた。(この稿つづく)

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