日々愚案

歩く浄土174:情況論61-外延知と内包知10:『GUAN02』から15年-〔ことば〕と〔還相の性〕1

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人間という善きものはいちども本懐を遂げていないと思うから内包論を書いている。レヴィナスは私性を半分だけ言い当てた。「『そこはおれが日向たぼっこする場所だ』。この言葉のうちに全地上における簒奪の始まりと縮図がある」(パスカル『パンセ』)。いまも簒奪の歴史の渦中にある。世界システムは善の顔をしながらわたしたちの生を商品にする。知らないうちに生は収奪される。そうだろうか。「誰の日向でもある総表現者の場所」「贈与とともにある生」と片山さんは言う。やわらかくてとてもいい言葉だと思う。わたしもこの日向は俺のものだから、だれものでもある日向へ変換することが可能だと思う。外延知は簒奪し、内包知は贈与する。まだわたしたちの生の知覚は無限小のものかもしれない。しかし根源の二人称は生の最も深いところにだれのなかにも内挿されている。この生の知恵を外延知ではなく内包知として表現すること。知識人と大衆という権力による生の分割統治ではなく、総表現者のひとりとして表現すること。そこに音色のいい生の未知がある。

状況論としてしばらく「歩く浄土」を書いてきた。内包論はひとつの世界構想であるが、状況を論じながら内包論をすすめている。世界を駆動しているのはビットマシンと結びついたグローバル経済やハイテクノロジーだと考えてきた。グローバリゼーションは電脳社会を座として推進される。天然自然を人工自然が呑み込もうとして国家という自然にひずみが作用し、国家は防御的に内面化する。この一連の過程は自由貿易と保護貿易、ポリティカル・コレクトネスと排外主義の相克となってあらわれている。転形期の世界は擾乱し、むきだしの生存競争が跋扈する。この混乱のさなかをわたしたちは生きている。もうどんな世界認識も無効である。適者生存以外のすべての理念が空無化している。適者生存を外化した無意識の理念を世界システムと呼べば、外延的な表現の世界でわたしたちの生は世界システムと内面化する国家によって二重に属躰化されることになる。強いものが勝ち、弱い者がそのおこぼれに預かるのは世の常だが、音色のいい風が吹く世界認識はないのか。世界システムや国家というおおきな自然のもとにわたしたちのちいさな自然があり、この自然は私性によって生きられている。私性は私利や私欲や我執としてあらわれるが、煩悩にまみれた私性のなかに同一性を超えていく契機がある。私性は存在の内包性にむけてひらかれている。唯一そこに意識の外延化がもたらす世界の激変を超えていく未知の世界への可能性があるように思う。私性はなぜ私利や私欲や我執として表象されるのか。根源のふたりという存在の根基の制約されたありかたをわたしたちの思考の慣性は私性と呼んできただけではないか。天皇親政という自然生成や悪の凡庸さや転向論を状況論として考えてくるなかで、私性は私利私欲や我執では言い尽くせない。精神の古代形象としてはるかな起源をもつ。私性は内包の制約された表現であるということにおいて内包へと逆にひらかれている。私性を否定性ではなく内包を志向する肯定性の表象とすると外延と内包がなめらかにつながるのではないか。内包論がすすむにつれて私性はべつの相貌をしてあらわれるだろう。根源のふたりという内包表現の面影や痕跡が私性という自然のかたちをして埋め込まれている。

私性を内包表現の面影をのこした肯定性と考えることにどんな契機があったのか。ひとつはおおきな自然という共同幻想にちいさな自然の内面は同期するものであると「歩く浄土」でこれまで書いてきた。また、天皇親政の心性のしくみについて、天皇は内面を象徴行為として表象し、国民が象徴としての天皇を尊崇する心情を共同幻想として応えることで天皇の内面を埋め、この天皇と国民のあいだの応答は途切れることのない共同幻想という無形の贈与の円環をなし、ここに天皇制の核心があると考えた。なにもかもが自然にみえる贈与の円環も生を引き裂く力の表象であって、みえない権力の磁力が作用している。なぜ一君万民平等なのか。共同幻想によって生のありようが規定されているだけで、私性が共同幻想を措定したわけではない。共同幻想を前提とした私性の抽象化された一般性が共同幻想として呼応する。このしかけは巧みなので自然であるようにみえる。わたしは私性が精神の古代形象として共同幻想よりはるかに深いと思う。内包論を還相の表現論として書きすすめているときに、エマニュエル・トッドの「最も自然な家族の形は核家族」であるという考えにであった。この家族の原型である核家族を、身勝手な父ちゃん、口やかましい母ちゃん、いうことをきかない子どもとわたしは比喩している。ここに公共の義はあっただろうか。天皇制など影も形もないが家族の私性はリアルにある。かれらは日々を、いまのわたしたちと寸分違わず、明晰にかつ迷妄として生きていた。悠遠の時の流れをへて善悪未生の熱いかたまりが一対の心身一如として分割され可視化された。内包という根基から核家族が外延表現として誕生することになった。ここは俺の日向だという私性による簒奪の歴史もここに起源をもつ。存在が外延化されるとき人間という生命形態の自然が隈取った強固な自然だと思う。根源の二人称が一対の心身一如という家族を内包的に表現し、同一性は自己としてこの不思議を引きうけたのだと思う。神仏という超越や往相の性は内包存在の贈り物であるということ。私性も核家族も根源の性の贈与としてある。

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むかし私家本『GUAN02』を出したとき解説をふたつもらった。すごくうれしかった。「少部数発行の私家版『GUAN』が多くの人の目に触れることはないが、わたしの独行はふたつの解説で充分に報われた。この気持ちは言葉で言えるものではない。ほんとうにありがたいとおもっている。これからの生涯でわたしの論考についてこれ以上の批評が書かれることはないとおもう。この解説を読みたいがために『GUAN02』があったといってもいい。そしてそれは果たされた」(『GUAN02』あとがき)生を引き裂く力のただなかで熱い自然という内包の知覚を書いた。生を引き裂く力の現場で傍観者の位置はない。なまなましい苛烈そのもの。解説者は内包を直観している。

「リトル・トリー」(フォレスト・カーター著)という書物の中で、アメリカ原住民・チェロキーインディアン部族の民が故郷を追われ、遠い居留地へ向かうくだりがある。後世「涙の旅路」として語り継がれ、N・チョムスキーが著書『9.11』で「歴史上最も大掛かりな集団虐殺の一つ」「インディアンは殺され、人口が20分の1に減らされ、追い散らされた(16世紀以降150年間だけで推定7600万人減!)」と語る白人の侵略・襲撃によるものである。
1838年の冬、彼ら15000名は騎兵隊に追い立てられ東部アパラチア山脈の麓からミシシッピ川を渡り、移住地オクラホマへ向う1600キロの旅に出る。凍てつく寒さの中で4人に1人の命が失われたという。来る日も来る日もただ歩む。だが、彼らは泣きも怒りもしない。何人かが次々に倒れ息絶えるが、それを無言で背負い、倒れればまた誰かがそれを背負い、ただごう然と顔を上げ、前を向いたまま何日も歩き続ける。彼はこの場面に触れた時、・・・一言、「人間のアイデンティティや誇りとは、こういう毅然とした姿・振る舞いのことをいうのだ」と語った。
また、「夜と霧」で著名なフランクルの実体験で、第二次大戦中ユダヤ人迫害により強制収容所に収監された人びとが、ガス室行きという自らの運命を前に「それでも人生にイエスと言おう」と合唱していた姿を語った時には、・・・しばし無言で遠くを眺めていた。
本書で論じる中村哲が描くアフガンの女性らい患者「ハリマ」(「熱くて深い夢―中村哲論」)や、辺見庸がその悲惨さに思わず合掌するウガンダの枯れ枝少女「ファルヒア」(「苦海と空虚はなぜ回帰するか」)らについて語った時もまた、彼は全く変わらず、同じような態度と表情を見せた。彼女らの無言の叫びや怒り、メッセージが己れ自身にそのまま乗り移り、あるいは全く直接に我が身の姿であるかのように。
これは何を意味しているか。この印象を言い当てることは難しいが、見知らぬ他者へのありきたりの同情・共感、怒りの共有という次元ではない。これは、相互の対立、否定や寄り添いとは無縁の、境涯や立場を超えて人間の最深部から滲み出てくる匿名の応答であり、自・他の彼方で屹立するような不思議な情景だった。(『GUAN02』「内包の性―悲しみの彼方に在る光明」原口孝博)

わたしも解説者の「不思議な情景」を解説者と共に生きてきた。わたしたちが体験した出来事は内面化も共同化もできない。書けぬことも書かぬこともある。出来事のなかに百億の夜があり、千の閂が掛けられた。『GUAN02』を書いてから15年近く経ち、いま「不思議な情景」をある余裕をもって眺めることができる。わたしは親鸞が聴衆に「有情は道理だから有縁を度すべきである」と説いた場面を思い出す。親鸞は有情と有縁を自然法爾として語ろうとしている。親鸞は自然法爾を思い描きながら村人に呼びかける。有情が道理であれば有縁にも道理がある。あなたがたは喩としての内包的な親族なのだ、と。親鸞が「この道理をこころえつるのちには、この自然のことはつねにさたすべきにあらざるなり」(「末燈鈔」)と言うとき、有情と有縁が二重化されている。親の子がやがて子の親になる順次生の不思議。内包が外延の私性となり、その外延の私性から内包がまた生まれる。こうやって内包は外延の私性に転化しながら、内包の面影をつぎの世代につたえていく。この驚異は連綿と受け継がれていった。その果てにいまわたしが存在している。この連綿と受け継がれていく生の奇妙さを同一性は措定することはできない。親の子であることに意志は関与していないからだ。親鸞にとっての道理とはそういうものだった。

私性が内包に向けてひらかれているということは、同一性がつねに存在の内包性に末端をひらいていることと正確に対応する。もっと言えば、私性は同一性によって生存の輪郭をつくられているということだ。親鸞は存在の内包性のことを仏と解した。だから深くきわどいことを衆生に語りかける。親鸞によって存在することの機微が開示されている。親鸞は言葉にためをつくり、聴衆に呼びかける。

親鸞は父母の孝養のためとて、一辺にても念佛まうしたること、いまださふらはず。そのゆえは、一切の有情はみなもて世々生々の父母兄弟なり。いづれもいづれも、この順次生に佛になりてたすけさふらふべきなり。わがちからにてはげむ善にてもさふらはばこそ、念佛を廻向して父母をもたすけさふらはめ。たゞ自力をすてて、いそぎ浄土をさとりをひらきなば、六道・四生のあひだ、いづれの業苦にしづめりとも、神通方便をもて、まづ有縁を度すべきなりと、云々。(『歎異抄』)

あとわずかのことを親鸞はいえば済んだ。仏の慈悲は衆生の一人ひとりに、煩悩にまみれたどんな極悪深重の凡俗にもすでに内在している。他力はほんとうは仏の慈悲ではなく根源の二人称が引き取っているのだ。凡俗を〔根源のふたり〕に収斂させるとき他力はおのずから領域化される。愛欲の大海に溺れた親鸞の書かれぬ苛烈はここにあったのではないか。わたしにはそう思えてならない。言葉が言葉を生き始めるときその表現の行為は〔性〕そのものであり、総表現者の固有の生はそこにあると思う。

だれのどんな生であれ生誕に意志は関与していない。内包から外延へと生は順次に継承される。生は性からきて性に還っていく。それがあることによって人が人でありうる目に見えない熱い意識のかたまりは絶えずひとつのちいさな自然を分割する。内包という驚異から分節されたちいさな自然に私性が棲まう。私性のことをかりに「私」と呼んでみよう。「私」が「私」であることは息をするように自然なことだと思っている。「私は」からはじまり、「私」についてのあらゆる属性を巻き取りながら、その煩悩にまみれた存在のありようを私性として引きうけて「私」となる。「私」が「私」であると結句するなかに人類史が表現されている。この単純な事実のなかに森羅万象がさんざめき律動する。この思考の慣性で息をすると、「私」というちいさな自然のなかに、代謝できない意識の残余が澱のように沈殿する。それをわたしたちは内面と呼んできた。わたしの理解ではこの認識の型ではじぶんをじぶんにとどけることはできない。いつの時代のどんな生を生きる者もそうではなかったかと思う。私が私であること、私が私に成ることはほんとうは想像を絶する奇怪なことなのだ。親鸞もこの奇怪な観念に取り憑かれた。念仏をいくら唱えても喜びが湧いてこない。親鸞と親鸞のあいだに仏をおいても自然法爾は訪れない。どうやっても私が私として結句しない。悶絶したあげく親鸞は仏と懇ろになることにした。破戒坊主の親鸞でさえ懇ろになった仏との関係を周知することは憚れた。そこに書かれることのなかった親鸞の苛烈があるとわたしは考えるようになった。親鸞は仏法を破り、宗教としての浄土教の教義を解体しただけではなかった。ほんとうはもっと宗教の彼方を生きたのだと思う。それは文字としてはのこされていないが、浄土門の解体よりはるかに激烈なものではなかったかと思う。親鸞は仏を親鸞にとどけ、親鸞である仏をふたりとしてひらいた。それが親鸞の自然法爾だった。それは無明の言葉だったように思う。親鸞が仏であるとき、親鸞が仏であるということにおいて親鸞は親鸞であった。仏も宗教も突きぬけ、最期の親鸞は〔ことば〕という〔性〕を生きた。そこに親鸞の最期の立ち姿があるようにわたしは思う。

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言葉が言葉を生き始めるときそのことを内面化や社会化という思考の慣性で表現することはできない。言葉はもともと同一性の彼方でしか可能とならない表現の行為だからだ。『GUAN02』のもうひとつの解説にもおおきな示唆をうけた。

今、シモーヌ・ヴェイユの思想からわたしたちが学ぶものがあるとしたら、それは社会的な属性や立場というようなものとはまったく異なった次元に、人間にとってほんとうにたいせつなことはあるということではないでしょうか。もっとはっきり言えば、ほんとうにたいせつなことは社会的な属性や立場というようなものとは異なる次元にしか存在しないということだとおもいます。そのようなことはなんの関係もないといいうる次元が確実に存在し、そしてわたしたちにはその地平を生きうるという可能性が与えられています。つまり、わたしたちが有限な存在だということ(生まれてくる場所や時を選ぶことはできないし、死についても同じ。そして誰一人の例外もないということ)は制約ではなく、むしろ自由であることを証明する契機となりうる存在でもあるということであり、人間はそのために、そのようにつくられているのだということをヴェイユはその言葉によって今も示しつづけています。
森崎さんのなにごとも徹底的に、根源的に考えようとする姿勢をみるにつけ、なぜかわたしはシモーヌ・ヴェイユを連想させられました。その考え方において共通点があるからということではなく、この両者を見ているとあるひとつの共通の問いがわたしの中に生まれるからです。「なぜ、そのようにあることができるのだろう」という素朴な問いです。
倫理や正義を掲げているのではなく、また啓蒙や悟りといったものでもなく、もちろん個人的な欲望というようなものでもありません。そのどれにもあてはまらないことばや考え方が生まれるということはどういうことを意味しているのでしょうか。それはおそらくかれがよく引用する詩人、パウル・ツェランのことばのなかにヒントがあるとおもわれます。

「もろもろの喪失のただなかで、ただ『言葉』だけが、手に届くもの、身近なもの、失われていないものとして残りました。それ、言葉だけが、失われていないものとして残りました。そうです。しかしその言葉にしても、みずからのあてどなさの中を、おそるべき沈黙の中を、死をもたらす弁舌の千もの闇の中を来なければなりませんでした。言葉はこれらをくぐり抜けて来、しかも、起こったことに対しては一言も発することができませんでした―しかし言葉はこれらの出来事の中を抜けていったのです。抜けて行き、ふたたび、明るいところに出ることができました―すべての出来事に『ゆたかにされて』」(ハンザ自由都市ブレーメン文学賞受賞の際の挨拶)

ここでは伝えるための手段という意味でのことばは影を潜め、ことばがことば自身を生き始めているとしかいいようがありません。ことば自身がその沈黙の意味を語るものとなるとき、はじめてその奥深くにある人間の真正のありようが姿を現すのかもしれません。このようにして生まれてくる表現だけが本質的にゆたかなものといえるのではないでしょうか。そのような種類のゆたかさはわたしたちを日常の息苦しさから救いだし、そしてその体験はわたしたちのなかに深く根を下ろすものとなります。ことばの力とはこのようにシンプルで深い真実のなかに息づいているものだとおもいます。(『GUAN02』「『内包』という名の贈り物」萩原幸枝)

とても大事なことが言われている。「ほんとうにたいせつなことは社会的な属性や立場というようなものとは異なる次元にしか存在しないということだとおもいます。そのようなことはなんの関係もないといいうる次元が確実に存在し、そしてわたしたちにはその地平を生きうるという可能性が与えられています」。だからわたしたちが有限な存在であることは自由であることを証明する契機となりうる存在である。内包論のモチーフはこの引用のなかにすべてあると言える。解説のなかで述べられている「自由」の概念は内包史として歴史の概念としても言いうるとわたしは考えている。わたしの構想では、内包論によって国家は喩としての内包的な親族へ、経済過程の交換は内包的贈与へと相転移することになる。そしてだれもが総表現者のひとりとして固有の生を生きることができる。それは内包からの贈り物として生があるということだ。

このふたつの解説に自己の各自性についてのわたしの生の知覚を加える。

「わたし」になんの挨拶もなくいきなり「わたし」のど真ん中をまっすぐに貫通し、「わたし」のなかのなにか硬いものを破壊して、「わたし」という存在を根こそぎさらっていき、理不尽に「わたし」を簒奪するもの、それが〈性〉だ。この〈性〉によぎられることなくしてわたしがわたしであることの自己性はけっしてあらわれない。(『GUAN02』「内包世界論1」)

生を引き裂く力を熱い自然がはるかに凌駕する。明日わたしは生きていないかもしれぬが生の豊穣さをいま生きている。そのように過ごした日々がある。この生の知覚はわたしの生存感覚を貫いた。自己は私性として生きられているが、その私性でさえも熱い自然の面影でしかない。自己がいかに脆く、いかにしぶといかということも、一切のなぜが消える不思議と共にある。ふたつの解説とわたしの生の知覚のなかに内包論のすべての可能性がある。『GUAN02』以降、10年余思考が途絶し、悶絶しながら、思考の慣性を還相の性へと拡張し、各自性を領域化し、喩としての内包的な親族や内包贈与の概念の輪郭をつくってきた。「知識人と大衆」という権力による生の分割統治にたいして総表現者という理念も提起した。歴史を外延知ではなく内包知として生に内属することも明らかにしつつある。言葉が言葉自身を生き始めるとはどういうことか。言葉が領域化し、還相の性となるのだと思う。言葉が言葉自身を生き始めるときに還相の性が立ち上がる。還相の性は言葉の言葉にたいする関係にほかならない。

読者がひとりいることは奇蹟だと思う。たぶんここでわたしはいままで書いたことのないことを言おうとしている。言葉が根づくということ、人と人がつながるということ、言葉が言葉自身を生き始めるということ。そこにしか生の固有性はない。自己という自明さに掛けられたいくつもの閂をひらく鍵がここにあると思う。言葉が言葉自身を生き始めることを意識の内面化という形式で表現することはできない。自己を表白することは思考の慣性であるが、意識の内包的な表出は内面とはまったく異なる意識として表現される。この未知を内面の形式で表現することはできない。わたしたちは内面というちいさな自然をあらかじめ公共化することでこの公共化された自然をあらためて内面化し、それを内面の表現とみなしている。どれほど内面が外界と途絶しているようにみえても内面のなかに公共の符牒が埋め込まれている。外界の自然も内面の自然も同一性を粗視化したものにすぎないからだ。かろうじて同一性的な意識の残余である私性のなかに内包へとひらかれた岨道がある。じぶんにとどかない言葉は空虚として表現される。西欧近代由来の宿痾だ。この思考の慣性は手を変え品を変え文学として延命している。意識の外延的な論理で言葉が言葉自身を生き始めることを指さすことはできない。同一性の論理によってじぶんをじぶんにとどけることはできない。言葉が言葉自身に関与することを、言葉が領域化することを、外延的な知は措定することができないということだ。

なにが言いたいのかじぶんの言葉で言うのにguan02以降15年近くの歳月を要した。七転八倒しながらわたしに固有の性の概念をつくろうとしてきた。内包論をすすめるにはguan02で究尽されていないいくつかの概念が必要だった。神仏や往相の生の彼方があることは実感していてもそれがなんであるかうまく言えなかった。三人称のない世界をつくることの困難さは言いようがなかった。百戦挫敗。還相の性と総表現者という概念をつくることで自己を領域化することができるようになり、外延知の三人称を喩としての内包的な親族へと拡張することもできた。三人称の世界が還相の性によって内包化され、外延自然ではなく内包自然を生の大地として生きることになる。もうひとつ観察する理性をどうするかということがあった。文学と政治という思考の慣性は、知識人と大衆という権力による生の分割支配に淵源をもつ。この意識のありかたは奉ずるイデオロギーがどうであれ生を采配する権力としてあらわれ、端的に、衆を媒介にして発布される。レーニンではないが、誰よりも民衆を愛した君は、誰よりも民衆を軽蔑した君だ。誰よりも理想に燃え上がった君は、誰よりも現実を知っていた君だとして衆は秩序によって属躰化される。例外はない。人間を社会的な存在とみなすかぎり、他者の存在は自己の生存にとって手段となるほかない。これが政治の本質だ。そのときわたしたちは政治にたいして内面の表現によって抗命する。政治が終わるということと内面が変わるということは軌を一にする。意識の外延性が自己の陶冶と他者への配慮をなめらかにつなぐことは先験的にありえない。意識の外延性のなかでわたしたちは生を私性として生きるほかない。在るのざわめきのなかに絶海の孤島のように浮かんでいる私性と私性を媒介するものはまったくない。知識人と大衆という観察する理性が人類史の厄災を招いたということはわたしの体験知にも属するが、この権力による生の分割支配を超えることはできるか。輾転反側し日々を煩悶した。外延知の属躰ではなく内包自然の天空を固有の生として駆け巡りたい。だからグローバルな世界の総アスリート化にたいして総表現者という概念をつくった。わたしたちは総表現者のひとりとして生を生きることもできる。総表現者までもう一息のところに来ている。ほんとうは意識することもなくすでにだれもが総表現者として生きているのかもしれない。AIによる雇用破壊が起ころうと、ハイテクノロジーがゲノムを編集するようになろうと、総表現者は内包自然の大地を駆け抜ける。わたしは総表現者という理念は人類史を画することになる音色のいいとてもおおきな概念だと思っている。

読者がひとりいれば奇跡だと長く考えてきた。それほど読者をうることは難しいと思っている。もし一人の読者がいれば、そのとき、システムはいつも超えていることにおいてすでに超えられている。総表現者のひとりを生きるとき、表現はそのようなものとして内包的に表出される。「まわらぬ舌で初めてあなたが『ふたり』と数えたとき/私はもうあなたの夢の中に立っていた」(谷川俊太郎)も同一性の彼方を指さしている。この生の感得は同一性では言い得ないなにかだ。それは生の大きな可能性で、総表現者という理念の根幹にかかわっている。総表現者という概念がリアリティをもつようになれば、人と人とのつながりは根本から変わり、ここまできてやっと言葉を生き始めた言葉が固有の生の輪郭を描くことになる。ことばがことば自身を生き始め、ことば自身がその沈黙の意味を語るとき、深奥にある人間の真性のありようがあらわれ、そのようにして生まれてくる表現だけが、本質的にゆたかなものであるということは、宮沢賢治が「銀河鉄道の夜」のなかでくり返し語る「ほんとうのほんとうの神」や「ほんとうのさいわい」や「どこまでも一緒に行こう」と重なっている。ことばがことばを生き始めると、ことばはおのずから内包化しふたりでひらかれることになる。「ユリアがわたくしの左を行く/大きな紺色の瞳をりんと張って/ユリアがわたくしの左を行く/ペムペルがわたくしの右にゐる」(「小岩井農場」パート九)なにがここで起こっているのか。ことばがことばを生き始めるとき、おのずから言葉は〔ふたり〕としてひらかれる。ここにはどんな計らいもない。おのずとそうなるとしかいいようがない。他性によってもたらされる言葉はそれ自体が〔性〕であり、内面化という思考の慣性のかなたにある未知の表現だ。ユリヤとペムベルとわたしは内包的な親族の謂である。親鸞の螺旋になった有情と有縁も喩としての内包的な親族を表現している。その深奥に還相の性が計らいを超えて存在する。還相の性という自然は外延的な意識の内面にはない。

ジョバンニがカムパネルラにいつまでも一緒にいよう、どこまでも一緒にいようとよびかけるとき、作者の無意識は自己に先立つ根源のなにかとのつながりを希求している。それはいつもすでにそのうえにたっているシンプルな情動であり、それがあることによって自己が自己として分別されるなにか。そのなにかが賢治にとってのほんとうのほんとうの神である。そしてそれだけが賢治の生を根柢でささえている。それは神という言葉でさえない根源であり、存在しないことの不可能性として神のように寓喩されるなにかだ。それが賢治が希求するほんとうのほんとうとよぶほかない賢治に固有の超越だと思う。自己に先立つ根源とのつながりが賢治にとっての第一義なものであり、万物の有情にたいする視線や配慮は第二義的なものだと言える。この関係は絶対的に不可逆である。意識の明証性や、この国特有の自然生成の意識はいつもここを読み違える。あらかじめ自我を自然に融即し、そこから自我を再生するのはわが国の伝統芸である。こんな腑抜けたところに賢治はいなかった。暗い時代と真っ向から直面し作品によってただひとり時代のむこうへと抜けていった。それが宮沢賢治の作品だ。「銀河鉄道の夜」のジョバンニとカムパネルラの関係もそうであったようにわたしには思えてならない。賢治はけっして自力作善の自然人ではなかった。親鸞の悪人正機にも似た苛烈が宮沢賢治が触った自然だった。親鸞も賢治も内包自然に触れたのだと思う。言葉がそれ自体にたいして表現を遂げるときなにをもたらすか。ことばという性だ。わたしは還相の性と名づけた。

「不思議な情景」や「重なりの1」、「けっして共同化できないようなそれ自体、それ以外のものではありえないようなものとして、そのことを名づけること」や「ことばがことば自身を生き始めているとしかいいようがありません。ことば自身がその沈黙の意味を語るものとなるとき、はじめてその奥深くにある人間の真正のありようが姿を現す」という一連の言葉に勇気をもらい、『GUAN02』以降も内包の弓を引いてきた。どこまでとどくだろうか。(この稿つづく)

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