日々愚案

歩く浄土153:交換の外延性と内包的な贈与5

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表現とはなにか。あらゆるしがらみを削ぎ落として表現という行為をシンプルに素描してみる。人を表現へと駆り立てる動機はさまざまあるが、それを生の不全感と生の不遇感のふたつにおおきくわけてみる。生の不遇感は人の数ほどあって一括りにはできないが、欠如を充たす表現の底に不全感があると思う。わたしの体験知では生の不全感と生の不遇感は規模も、広さも、深さも違う。よく取りあげるリトル・トリーのおじいさんが、今生はなかなかよかった、来世はもっとよかろうと孫に言葉を託すとき、この言葉の深さには生の不遇感はかけらもない。生の不全感は不可能であるということを親鸞は自然法爾という言葉で言っている。生の不全感は生の不遇感より圧倒的に規模がおおきい。その空虚の深さは底知れぬ。どうすればこの生の空虚は埋まるのか。だれがどんなきっかけで表現の行為にはいろうと、表現はかならずここに行き着く。人間の終焉を宣明したフーコーも生をながく漂流し、真理は他性によってもたらされると言い遺した。

生きていることがちぐはぐでじぶんがじぶんにとどかない。生の不全感ということだが、若い頃はだれにでもある。じぶんをじぶんにとどけたいと思ってもなかなかとどかない。じぶんをじぶんにとどけるのが表現だと考えても、考えても考えてもとどかない。思考の慣性は、そういうものは青年期特有のはやり熱だという。そのうち生活が押し寄せてきてじぶんの都合ばかりは言っておられなくなり、いやおうなく怒濤の生活に追いまくられ、ちぐはぐさを顧みる余裕がなくなる。それが世間では大人になることや成熟だとされる。そうだが、そうだろうか。わたしはそうは思わなかった。余儀なさのせいで日々の重量に押しひしがれそうになる。だれもがそうだったと思う。あっというまに少年は青年に、青年はおっさんに、やがてじいさんになる。この生涯をまぬがれる者はいない。平坦にみえる生涯にはいくつもの修羅がある。だれの生にも時代の趨勢が影を落とし、時代に深く刻印され歳を重ねていく。どんな自然の生成のなかにもまぎれもなく時代の痕跡がある。だれであれそのひとつを生きるほかない。

それでもわたしのなかで、ある根深い疑念が去ることはなかった。生きることが忙しすぎて空っぽということがないがしろにされている。あるときからちぐはぐさは自然に規定されているのではないかと思うようになった。やがて、ちぐはぐさを強いているのは自然が分裂しているからだと考え、ちぐはぐさをひとりで引きうけ、ふたりでひらくことが表現ということではないかと考えるようになった。外界のおおきな自然が共同幻想であり、ちいさな自然が内面ということではないのか。内面の自然をひらこうとしてさまざまなことがたくさんの人によって試みられた。わたしが知り得たどんな思想も作品もちぐはぐさをずらしたり、回避したりするスキルの巧みさを競っているだけで、こころを惹かれることはなかった。いつもはぐらかされる気がしていた。どうやってちぐはぐさをはぐらかすか、それが思想といってもいいぐらいだ。おおきな自然とちいさな自然をめぐる相克が表現だとしたら、そんなものはいらない。同一性と差異性をめぐる堂々めぐりの物語は熄まない。しぶとく考えを突きつめていくと、ふたつの自然はおなじものの別様のあらわれかたにすぎず、外界の自然と内面の自然はもともと同期するようにできている。痛切な体験を通じてまざまざとそのことをみてきた。ちいさな自然がおおきな自然と逆立することはない。ふたつの自然とは違う自然をつくることでしか生を引き裂く自然がなくなることはないと考えた。それで内包論を考えている。

ふたつの自然の同期のありようを倫理的に論じたいのではない。同期する自然しかわたしたちがつくりえていないということだった。おおきな自然によって生が引き裂かれ、内面の自然によってそれを慰撫することが文学や思想や芸術だと思いなしている。そうなのだろうか。そのやりかたでじぶんにじぶんをとどけることができるか。このやりかたでは、自己の陶冶も、他者とつながることもない。
おおきな自然とちいさな自然は見事な対をなし、この円環のなかに生が閉じられている。人間が織りなした制度である文学や思想や芸術のかなたに未知がある。もっと遠くまで行きたいと思った。

グローバリゼーションの猛威にいたぶられ瀕死の国家は生き延びようと自身を内面化し、人びとは精神を退行させることで日々をしのいでいる。このありようを世界の中世化と形容したり、やがて尊皇攘夷思想が跋扈するという人びとがいる。なんとのんきな。そうではない。グローバル経済やハイテクノロジーという共同幻想が国家という共同幻想をしのぎ君臨することへの恐怖として国家が内面化し、内面化する国家の度合いに応じて人びとの精神がよりちいさな自然に退避する。生存がむきだしになるということ。人倫が決壊し精神の古代形象をあらわにするということ。文化や文明の皮膜がどれほど薄くて脆いかということ。生は科学や貨幣の属躰であり、むきだしの条理にさらされた生のどこにも人倫はない。生は自然そのものへと還元される。かつての戦争期よりはるかにおぞましいことが予見される。人類史というモダンをわたしたちは超えることができるのか。それがいま起こっていることの核心だ。グローバル経済も、ハイテクノロジーも、国家の内面化も、精神の退行も、すべて自然だ。どこにも未知はない。この円環のなかで物語が再演される。この円環のことをわたしは意識の外延表現と呼んできた。それは人類史にひとしい思考の慣性として存在している。この思考の慣性が歴史や生を連綿とかたどってきた。わたしはこの思考の全体をモダンと呼んでいる。先史時代から歴史時代を経て数万年の重畳された歴史の全体を内包論は組み換えようとしている。思考をここまで拡張すれば、じぶんがじぶんにとどき、じぶんをふたりとしてひらくことができ、生も歴史も未知に向かって踏み出していくことができるとわたしは考えている。

    2

政治と文学という観念の類別がある。政治と文学の共通分母がなかったらなにが政治でなにが文学という観念の整序はできない。虹を7色と見ることも3色と見ることも可能である。平均律もガムラン音楽もある。政治が共同性にかかわる観念であり、文学が個人の内面にかかわる観念であることは同一性によって統覚されているということだ。商品はたしかにマルクスがいうように使用価値と交換価値の二重性としてある。国家も貨幣も共同の幻想だが、貨幣の価値のほうが生の自然的な基底としては普遍性がある。国家という精神風土には貨幣ほどの汎用性がない。国民国家はグローバルな経済にとっては非関税障壁であり、自由貿易によって関税を撤廃しようとする衝動は貨幣の普遍性からきている。国家という観念を資本の普遍性が平定しかかっている。国家と貨幣とどっちが偉いか。文句なく貨幣である。共同幻想としての強度が違いすぎる。それがいまわたしたちが目の当たりにしていることだ。皇国思想で身を固めて一万ドルもってパリに行ったとする。パリにはパリの精神風土があり、教育勅語はパリでは通用しないが、所持金の一万ドルはホテル代としても食事代としても通用する。貨幣は共同幻想として普遍であるが、ローカルな皇国思想が普遍性をもつことはない。ローカルな精神風土を自然科学的知が圧倒的にしのいでいることはいうまでもない。汝ら臣民、朕のために死ねは無用だが、スマホは捨てられない。もう生の一部なのだ。

政治と文学という対位は自然の両義性としてあるということだった。わたしは表現の基底にあるものを内包的な表出と言ってきたが、内包論を基軸にすると、内面化や共同化という観念の記述のしかたがとても窮屈で退屈なものに思えてならなかった。そのことを、けっして内面化も共同化もできないと比喩してきた。もう少し先まで行ける。内面の文学や思想では生を固有のものとして表現することはできない。あまりにも観念の網の目が粗すぎるからだ。環界の自然とそれに抗する自然。それがわたしたちがつくってきた自然というものだった。この自然をひらかないかぎりわたしたちはどこにも行けない。生の固有性は内面によって表現することができないということだ。空虚な自己にじぶんを送りとどけ、ひとりをふたりとしてひらくことを表現と考えている。じぶんがじぶんにとどかない過剰さを、外延自然ではなく内包自然としてひらくこと。そこに未知の表現の可能性がある。

使用価値には生命の初源性が保存され生の基底をなしている。そういう意味では使用価値は生命との代謝関係そのであり、価値の原基をなしている。交換価値が共同の幻想として疎外されたと考えてみる。物々交換から貝や石、やがて鋳造貨幣となる。交換価値が観念として高度化されることは観念の粗視化が関与する。観念の遠隔対象性と言い換えてもいい。父系性や母系性に移行する前に双方向の未分化な核家族が祖形としてあったというトッドの発見は刺激的だ。『家族システムの起源』下巻の最後に簡単なまとめをトッドが書いている。ユーラシアでは父系長子相続の家族共同体が優位に長く維持されることになり、それとともに女性の地位の低下があったとされている。わたしは内包から外延への家族の遷移が外延的に表現されたものが父系長子相続の共同性だと理解しているが、トッドには観察する理性という表現の概念しかないので、家族を外延的に記すしかすべがない。なぜ柔軟なシステムであった核家族が国家にいたる過渡として大家族共同体を生んだのか。ここでも交換という貨幣の共同幻想が高度化したこととパラレルな現象が起こっている。貨幣も家族も外延をうながされ共同幻想として高次化されるということだった。西欧近代が現代に移行するとき、資本主義的な生産様式の下で窮乏化する労働者の姿を目の当たりに見てマルクスは資本論を構想した。マルクスには資本を共同の幻想ととらえる考えはなかったので、鎖以外失うものをもたないプロレタリアートに歴史の命運を委ねた。マルクスにとっては神の代替理念が大衆であり、マルクスの理念のなかにあった大衆という理念は共同幻想そのものであった。マルクス主義から倫理の角を削って喉ごしをよくした理念がデモクラシーであり、いまはポリティカル・コレクトネスや人権として語られている。なんどでも言うが、私性と第三者は自己意識の外延表現では断絶している。この断絶を倫理が架橋している。倫理が実現することはない。なぜなら倫理とは形を変えた私性にほかならないからである。

    3

30年考えてもわからないことがみえてきたと内田樹がツイートしている。これからは競争から共生の時代になる。交換は競争であり、贈与は共生であるとかれは言いたい。道筋がみえてきてよかったね。でもほんとうだろうか。内田樹の主観的な信として交換から贈与をいっているだけではないのか。交換から贈与という出来事は人類史を画することであって、貨幣という共同幻想を前提にして贈与ということが成り立つのか。成り立たないと思う。だからかれは「中間共同体」という相互扶助的なものを考えようとしている。

30年も「わからないわからない」と悩み続けてきたレヴィナスの命題ですが、結論までの道筋が見えてきました。主体と他者の関係とは共同体のことですが、持続的に共同体を基礎づけるのは贈与と反対給付のサイクルであり、時間の観念はそのサイクルを通じてはじめて受肉するからです。わ~い。

平川君本の解説だん。4000字と頼まれていたのに7200字も書いてしまいました。安藤さん、ごめんなさい。「中間共同体」と「競争原理の後に来る、次の原理」について書きました。贈与の原理に支えられた相互扶助的な中間共同体はいかなるものかについて。この話になるとウチダは熱いのです。(2017年4月5日)

主体と他者との関係が共同体であるならば、相互扶助的な中間共同体もこの世のしくみのなかにこつこつとちいさな善を積み増す自力作善の行為としてあらわれる。部分的なユートピアをつくることもできる。しかしこの行為でこの世のしくみは変わらない。なぜなら主観的な善の意識で人間のもつ根深い私性を拡張することができないことは先験的だからだ。主観的な善の意識を積み増すことで善なる世界が現前することはない。主観的な意識は共同幻想に転化するほかないからだ。収奪する悪の共同幻想に贈与という善の共同幻想を対置し、善の共同幻想の優位を主張しても、共同幻想はよくても災いとしてしか機能しない。出来事を中途に考える人の特有の思考法で思考そのものに根がない。

内田樹が、わ~い、ということは50年近く前にわたしも個的な共同体として考えたことがある。この理念がどれほどの惨劇を生んだかわたしの生存感覚に焼きついている。わたしの経緯を少し貼りつける。

少し場面を変えていってみます。若い哲学徒である梅原猛が大先達の親鸞学者曽我量深に「救いは現在ですか」とお伺いを立てます。曽我量深が答えて言います。「そりゃそうです。未来というのは現在の内容としてですね、深さといいますか、そういうところに未来というものがあるのでございましょう」(『曽我量深対話集』所収「信心歓喜の浄土真宗」曽我量深・梅原猛226p)。曽我量深が「すべて現在です」というと、へへっと平伏する梅原猛がいます。人を喰ったような話です。こなれているぶん鈴木大拙みたいな俗物性もどこかにあります。でも、あっ、おもしろいとおもいました。
ところがです。笠原初二遺稿集『なぜ親鸞なのか』にこういう箇所がありました。「それから『異なるを嘆く』、ということで中道誌事件ですね。これは曽我先生の『中道』という雑誌の十月号で、『宗門人というのは非常識な人が多い』ということを『それは特殊部落みたいなもの』、といういい方で差別発言をされたという事件です」と笠原さんは書いていました。確認会で曽我量深が「私には機の深信が本当になかった」と自己批判をしているそうです。がっくりきました。そびえ立つ浄土真宗教学の巨峰にしてこの程度なんです。曽我量深が差別発言をしたかどうか、そんなことはどうでもいいのです。大事なことだからいいますが、かれははっきりと差別しているとおもいます。かれの信が地軸を貫くほどに深いならば、こういった発言はありようがないからです。ただ、ただ、わたしはかれの信の深さを問題としたいのです。かれの信はフェイクです。

曽我量深の流れを継承して感の教学を唱えた安田理深は『真宗の教団』で「感という字をみんなよく忘れとるけどね、思想問題は知る問題だと、知るということが思想問題だと。ところが身体が入ってくると感ずるんです。思想の身体化をしないと実践は出てこない、そこを経て被差別部落をわが身と感ずるのです。身体をもってそれを感じ取るというのが名号じゃないか、そのとき名号は個体的身体でありつつ社会的身体となる」といっているらしいです。わかっていません。言うこと為すこと穴だらけです。この意識のありようは天皇制そのものです。落ち込みます。弁明の過誤はわたしにおいてすでに体験済みです。(「根づくこと」)

競争原理のつぎにくる贈与という中間共同体とはなにか。末端が世界の無言の条理にひらかれた民主主義の使い回しの派生態であると思う。わが身かわいさを護ることだって困難な時代に、みんな仲良く暮らしていこうね、とは現実はなっていない。うそにうそを塗り重ねることになるだけだ。天皇の赤子は万民平等も贈与による共生もまったく矛盾しない。理念としては同型だからだ。レヴィナスも三人称がでてくるやいなや国家の正義が要請されると言っている。三人称の問題はこれまで人間が作りえた理念としては倫理としてしか登場しない。レヴィナスの「時間・主体・他者」は、どうやれば自己への陶冶が他者への配慮と矛盾なくつながるかという第三者問題の根源的な困難を、空間化し倫理へと転化している。レヴィナスの第三者性は表現の時間をつくることができず、かれが唾棄したハイデガーの存在論を可視化し、その剰余をユダヤの神として昇華している。それでは元の木阿弥なのだ。そのレヴィナスの考え損ねたことに気づいたのならともかく、レヴィナスの掛けた閂をひらかずにどうする。中間共同体では交換は贈与になることはない。内田樹の贈与は個人と共同体の共通分母が同一性であるから、ポリティカル・コレクトネスにしかならない。自分の生活の余裕に応じて困窮する者に贈与する行為があるとしたら、人知れず実行すればいい。それはなんと呼ばれてもいいが、状況に応じておのずと相互扶助性は自生する。もし交換から贈与の可能性を考えるならば、地軸が傾くほど思考するほかない。生存の知覚を内包へと拡張したとき、交換はおのずと贈与となるのである。内田樹の交換から贈与は倫理であり、内包贈与論に倫理はない。生存していることについて根源的な知覚をひろげないかぎり、交換から贈与への変化は起こらない。人知れず自力作善を行いたくば、人知れずやればいい。自力を他力としておのずからひらくことは自力の場所にはない。自力の善が厄災を招くことは歴史においても、わたしの現存性としても体験済みである。自力によって人と人がつながることはない。自力は共同幻想に易々と転化する。人と人のつながりかたが変わるとき、貨幣という商品は交換から贈与へとおのずから変化する。

なにを根源的なこととして考えればいいのか。内包論はとてもシンプルなことを考えている。人間がこれまでつくってきたおおきな自然とちいさな自然では生を固有なものとして表現することはできないということだ。このふたつの自然のなかに貨幣という共同幻想は埋め込まれている。汝ら臣民、朕のために死ねという皇国思想も、「生まれ、育ち、婚姻し、子を産み、子に背かれて、老いて死ぬ」という大衆の原象を生きた「島の老婆」(「歩く浄土」129、140、144)も私性そのもので生存をしのいだ。朕は国家なりを体現した天皇にはおおきな自然しかなく、それもまた私性そのものであり、大半のものは地を這いずりちいさな自然を生涯として生きるが、ともに、外延自然に閉じられている。人類史という閉じたこの円環を還相の性と総表現者がひらくことになる。(この稿つづく)

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