日々愚案

歩く浄土129:情況論38-天皇制をめぐって2

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「源ちゃんとのお話の中心は天皇。天皇の威信は全国民代表し、いかなる党派にも与しないという『政治的正しさ』に基礎づけられています。この『全国民』という(空疎な)観念が空語にならないでいるのは、陛下がそこに『死者たち』を含めているからでは、という話になりました」(2017年1月14日内田樹のツイート)高橋源一郎にも予兆はすでにあった。若い頃、感情を喪失し、女衒をやり、歳を取ってフィリピンで落命した父の叔父を慰霊したくて彼の地を巡礼する。激戦地のルソン島でかれは不思議な感情に襲われる。無数の戦死者たちがじっと見つめているような気がする。かれらが生きて祖国に帰りたいと思った未来はいまわたしたちが生きている現在である。であるとするなら、慰霊とは死者の視線を感じながら、過去ではなく未来に向けて、死者と共に未来を作りだすことではないのか。おおよそそのようなことが「死者と生きる未来」(「ポリタス」2015年8月18日)で書かれている。じぶんがいったいなにものであるかわからず過剰な自意識をもてあますことは身につまされるようにしてだれにもあることだ。やがて歳とともに年齢相応に成熟していくというのがこの国の自然な生成だ。吉本隆明が海で溺れ死にそうになったことをテレビがニュース速報で流したことがある。吉本さんは、みんなよくしてくれて、おれ、もう世間と和解してもいいかなと考えたけど、でも、やっぱり和解できないと本で書いていた。民主主義の使い回しでは安倍やグローバル経済に対抗できなくて、ついにアジア的洗練の粋に回収される。外延自然を外延的に表現するかぎりこの意識の範型は依然として鞏固なもので、この自然な生成は精神的な退行のひとつの極致だと思う。天皇制的なものをイデオロギーで解こうとしても謎は解けない。

内田樹が渡辺京二の『維新の夢』を読んで、ぶっちぎりによかったと感動し、感想をブログにアップしていた。ブログの全文を貼りつける。

「民の原像」と「死者の国」

高橋源一郎さんと昨日『Sight』のために渋谷陽一さんをまじえて懇談した。
いろいろ話しているうちに、話題は政治と言葉(あるいは広く文学)という主題に収斂していった。
そのときに「政治について語る人」として対比的に論じられたのが「安倍首相」と「天皇陛下」だった。
この二人はある決定的な違いがある。
政策のことではない。霊的ポジションの違いである。
それについてそのときに話しそこねたことを書いておく。

なぜ、日本のリベラルや左翼は決定的な国民的エネルギーを喚起する力を持ち得ないのかというのは、久しく日本の政治思想上の課題だった。
僕はちょうど昨日渡辺京二の『維新の夢』を読み終えたところだったので、とりわけ問題意識がそういう言葉づかいで意識の前景にあった。
渡辺は西郷隆盛を論じた「死者の国からの革命家」で国民的規模の「回天」のエネルギーの源泉として「民に頭を垂れること」と「死者をとむらうこと」の二つを挙げている。
すこし長くなるけれど、それについて書かれた部分を再録する。

渡辺によれば第二回目の流刑のときまで西郷はスケールは大きいけれど、思想的には卓越したところのない人物だった。

「政治的な見識や展望はどうか。そういうことはみな、当時の賢者たちから教えられた。教えられれば、目を丸くして感心し、それを誠心実行に移そうとした。勝海舟、横井小楠、坂本竜馬、アーネスト・サトウ、みな西郷に新生日本の行路を教えた人で、西郷自身から出た維新の政治理念は皆無に等しかった。だから、この維新回天の立役者はハリボテであった。だが、政治能力において思想的構想力において西郷よりまさっていた人物たちは、このハリボテを中心にすえねば回天の仕事ができなかった。これは人格の力である。この場合人格とは、度量の広さをいうのでも、衆心をとる力をいうのでも、徳性をいうのでもない。それは国家の進路、革命の進路を、つねにひとつの理想によって照らし出そうとする情熱であり誠心であった。革命はそういう熱情と誠心によってのみエトスを獲得することができる。エトスなき革命がありえない以上、西郷は衆目の一致するところ最高の指導者であった。」(『維新の夢』、ちくま学芸文庫、2011年、341頁)

彼は戊辰のいくさが終わったあと、中央政府にとどまらず、沖永良部島に戻るつもりでいた。「官にいて道心を失う」ことを嫌ったのである。
島は彼の「回心」であったというのが渡辺京二の仮説である。
島で西郷は何を経験したのか。
渡辺は「民」と「死者」とがひとつに絡み合う革命的ヴィジョンを西郷がそこで幻視したからだと推論する。

「西郷は同志を殺された人である。第一回流島のさいは月照を殺され、第二回には有馬新七を殺された。この他にも彼は、橋本左内、平野国臣という莫逆の友を喪っている。」(343頁)。

この経験は彼に革命家は殺されるものだということを教えた。革命闘争の中では革命家は敵に殺されるだけでなく、味方によっても殺される。「革命を裏切るのは政治である」。
死者はそれだけでは終わらなかった。
寺田屋の変で西郷は旧友有馬を殺された。西郷の同志たち、森山新蔵、村田新八、篠原國幹、大山巌、伊集院兼寛も藩主の命で処罰された。渡辺は「これが西郷を真の覚醒に導いた惨劇である」と書く。
事実、この直後に西郷が知人に書き送った書簡にはこうある。

「此の度は徳之島より二度出申さずとあきらめ候処、何の苦もこれなく安心なものに御座候。骨肉同様の人々をさえ、只事の真意も問わずして罪に落とし、また朋友も悉く殺され、何を頼みに致すべきや。馬鹿らしき忠義立ては取り止め申し候。お見限り下さるべく候。」

西郷は同志朋友を殺され、同志朋友と信じた人々によって罪に落とされた。もう生者たちに忠義立てなどしない。自分が忠義立てをするのは死者たちに対してだけだと西郷は言外に宣言したのである。
彼が維新回天の中心人物として縦横の活躍をするようになるのは、彼が「お見限り下さるべく候」と書いた「あと」の話なのである。同志朋友を殺した島津藩への忠義を断念し、死者のために生きると決意したときに西郷は政治家としてのブレークスルーを果した。

「いまや何を信ずればよいのか。ここで西郷の心は死者の国へととぶ。彼はもう昨日までの薩摩家臣団の一員ではない。忠義の意図は切れた。彼は大久保らの見知らぬ異界の人となったのである。彼の忠誠はただ月照以来の累々たる死者の上にのみ置かれた。」(346頁)

みずからを「死者の国の住人」と思い定めた西郷は島で「民」に出遭う。
西郷はそれまでも気質的には農本主義者であり、護民官的な気質の人であったが、民はあくまで保護し、慰撫し、支配する対象にとどまっていた。それが島で逆転する。

「彼が島の老婆から、二度も島に流されるとは何と心掛けの改まらぬことかと叱られ、涙を流してあやまったという話がある。これは従来、彼の正直で恭謙な人柄を示す挿話と受けとられたきたと思う。しかしかほど正直だからといって、事情もわきまえぬ的外れの説教になぜ涙を流さねばならぬのか。老婆の情が嬉しかったというだけでは腑に落ちない。西郷はこの時必ずや、朋友をして死なしめて生き残っている自分のことを思ったに違いない。涙はそれだから流れたのである。しかしここで決定的に重要なのは、彼が老婆におのれを責める十全の資格を認めたことである。それは彼が老婆を民の原像といったふうに感じたということで、この民に頭を垂れることは、彼にとってそのまま死者を弔う姿勢であった。」(347頁)

「革命はまさにそのような基底のうえに立ってのみ義であると彼には感じられた。維新後の悲劇の後半生は、このような彼の覚醒のうちにはらまれたのである。」(348頁)

長い論考の一部だけ引いたので、論旨についてゆきずらいと思うけれど、僕はこの「民の原像」と「死者の国」という二つの言葉からつよいインパクトを受けた。
渡辺京二の仮説はたいへん魅力的である。歴史学者からは「思弁的」とされるかも知れないが、僕は「これで正しい」と直感的に思う。

という読後の興奮状態の中で源ちゃんと会ったら、話がいきなり「大衆の欲望」と「死者の鎮魂」から始まったので、その符合に驚いたのである。
 『維新の夢』本で、渡辺京二は日本のリベラル・左翼・知識人たちがなぜ「国家の進路、革命の進路を、つねにひとつの理想によって照らし出そうとする情熱と誠心」を持ち得ないのかについてきびしい言葉を繰り返し連ねている。
それは畢竟するに、「民の原像」をつかみえていないこと、「死者の国」に踏み込みえないことに尽くされるだろう。

「大衆の原像」という言葉は吉本隆明の鍵概念だから、渡辺もそれは念頭にあるはずである。
だが、「死者の国」に軸足を置くことが革命的エトスにとって死活的に重要だという実感を日本の左翼知識人はこれまでたぶん持ったことがない。
彼らにとって政治革命はあくまで「よりよき世界を創造する。権力によって不当に奪われた資源を奪還して(少しでも暮し向きをよくする)」という未来志向の実践的・功利的な運動にとどまる。
だから、横死した死者たちの魂を鎮めるための儀礼にはあまり手間暇を割かない。
日本の(だけでなく、世界どこでもそうだけれど)、リベラル・左翼・知識人がなかなか決定的な政治的エネルギーの結集軸たりえないのは「死者からの負託」ということの意味を重くとらないからである。僕はそう感じる。
日本でもどこでも、極右の政治家の方がリベラル・左翼・知識人よりも政治的熱狂を掻き立てる能力において優越しているのは、彼らが「死者を呼び出す」ことの効果を直感的に知っているからである。
靖国神社へ参拝する日本の政治家たちは死者に対して(西郷が同志朋友に抱いたような)誠心を抱いてはいない。そうではなくて、死者を呼び出すと人々が熱狂する(賛意であれ、反感であれ)ことを知っているから、そうするのである。
どんな種類のものであれ、政治的エネルギーは資源として利用可能である。隣国国民の怒りや国際社会からの反発というようなネガティブなかたちのものさえ、当の政治家にとっては「活用可能な資源」にしか見えないのである。かつて「金に色はついていない」という名言を吐いたビジネスマンがいたが、その言い分を借りて言えば、「政治的エネルギーに色はついていない」のである。
どんな手を使っても、エネルギーを喚起し、制御しえたものの「勝ち」なのである。

世界中でリベラル・左翼・知識人が敗色濃厚なのは、掲げる政策が合理的で政治的に正しければ人々は必ずや彼らを支持し、信頼するはずだ(支持しないのは、無知だからだ、あるいはプロパガンダによって目を曇らされているからだ)という前提が間違っているからである。
政策的整合性を基準にして人々の政治的エネルギーは運動しているのではない。
政治的エネルギーの源泉は「死者たちの国」にある。
リベラル・左翼・知識人は「死者はきちんと葬式を出せばそれで片がつく」と思っている。いつまでも死人に仕事をさせるのはたぶん礼儀にはずれると思っているのだ。
極右の政治家たちはその点ではブラック企業の経営者のように仮借がない。「死者はいつまでも利用可能である」ということを政治技術として知っている。
それだけの違いである。けれども、その違いが決定的になることもある。

安倍晋三は今の日本の現役政治家の中で「死者を背負っている」という点では抜きん出た存在である。
彼はたしかに岸信介という生々しい死者を肩に担いでいる。祖父のし残した仕事を成し遂げるというような「個人的動機」で政治をするなんてけしからんと言う人がいるが、それは話の筋目が逆である。
今の日本の政治家の中で「死者に負託された仕事をしている」ことに自覚的なのは安倍晋三くらいである。だから、その政策のほとんどに対して国民は不同意であるにもかかわらず、彼の政治的「力」に対しては高い評価を与えているのである。
ただし、安倍にも限界がある。それは彼が同志でも朋友でもなく、「自分の血縁者だけを選択的に死者として背負っている」点にある。
これに対して「すべての死者を背負う」という霊的スタンスを取っているのが天皇陛下である。
首相はその点について「天皇に勝てない」ということを知っている。
だから、天皇の政治的影響力を無化することにこれほど懸命なのである。
現代日本の政治の本質的なバトルは「ある種の死者の負託を背負う首相」と「すべての死者の負託を背負う陛下」の間の「霊的レベル」で展開している。
というふうな話を源ちゃんとした。
もちろん、こんなことは新聞も書かないし、テレビでも誰も言わない。でも、ほんとうにそうなのだ。
           (「内田樹の研究室」2017.01.15)

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長い引用につきあってくださった方にお礼を申し上げる。めずらしく気骨に溢れた文章を内田樹が書いたようにみえるが、本人も言うように渡辺京二の本に触発されたのだと思う。市民社会の功利主義を嫌う渡辺京二の考えの根にある「社会」主義的な思想、革命をめぐる美辞麗句をわたしは嫌悪する。これらの惨劇はわたしのなかで既知の光景としてある。遺棄されることの凄まじさとおぞましさを何気なく通り過ぎたものが観察する理性で事態を傍観する。

天下、国家、革命をこのように取りあげる理念にわたしはなんの魅力も感じない。死者に負託することもない。内田樹の「『民の原像』と『死者の国』」の感想はふたつのことを言えば了となる。「民の原像」とはなにか。もうひとつは「すべての死者の負託を背負う陛下」とはなにか。
内田樹を感動させた渡辺京二の考えの根幹に、西郷が畏怖した「島の老婆」がいる。この年老いた女性のことを渡辺京二は「民の原像」と名づけている。民の原像が吉本隆明の大衆の原像からきていることはいうまでもない。渡辺京二の考えについてはむかし少し書いたことがある。引用と当時のコメントをそのまま貼りつける。

①「私のいうあるべき群の形象への憧憬というものは、実体的な制度としての共同性とはけっしてそのままでは重ならないものですし、一方、私のいう個であろうとする離群の形象は、今日の市民社会で実現されている個人主義的なライフスタイルとは、どうしてもくい違ってしまうものです。私がいいたいのは、群を離れて『天地生存』的に生きたいとねがう心は、同時にあるべき群の形象、あるべき『社会生存』の形象を求めずにはいない心だということです。こういう矛盾的な合一を私は共同性という言葉で表現しているのです」(『なぜいま人類史か』)

〔昔書いたコメント〕自然という絶対的に広大深遠な、人間にとっての第一の他者との交感を「天地生存」的というとき、森羅万象が実在として語られていますが、もう一歩対象を引き込むというか、懐を深くしないと、「天地生存」は同一性にからめとられてしまうという気がしてなりません。では、その万象という一元はどこから生じたのでしょうか。忽然と出現し、孤児になってしまわないでしょうか。個という概念を拡張し、内包と分有という知覚に立つと、「天地生存」が内包自然へとゆるりと反転し、「社会生存」は内包社会へとめくれかえるのです。むしろ彼は「天地生存」と「社会生存」をともに溶融し、新しい概念を作るべきなのです。(『guan02』所収「第二ステージ」論箚記Ⅱ)

②「一人の人間の魂がぜったいに相手の魂と出会うことはないようにつくられているこの世、言葉という言葉が自分の何ものをも表現せず、相手に何ものも伝えずに消えて行くこの世、自分がどこかでそれと剥離していて、とうていその中にふさわしい居場所などありそうもないこの世、幼女の眼に映ったのはそういう世界だった」(『新編小さきものの死』)

〔昔書いたコメント〕人の魂と魂がこの世で触れあわず、どこにも身をおく場所がないように思えるのは、もともと魂やこの世のつくりかたに制約があることの反映なのです。この制約が存在の不全感を生むのです。魂の原初を森羅万象や自然という実在にもとめても意識をめぐるどうどうめぐりはなくなりません。そのやり方では意識に隙間ができるからです。その隙間を埋めようとして隙間はかたちに憑きます。それが渡辺京二の離群の衝動と群への希求が持つ両義性です。その「矛盾的合一」を彼は共同性と呼んでいます。天地生存を可能とする自然への融即は東洋的無そのものであり、行き着いたところがこの世の入り口へと回帰してしまいます。渡辺京二の熱情と森羅万象を立ち上げる一元はなんでしょうか。その一元ぬきに魂も自然という大きな生命も顕現しないのではないでしょうか。ぼくはそう考えます。(『guan02』所収「第二ステージ」論箚記Ⅱ)

『維新の夢』に感じ入った内田樹が引用する「島の老婆」は『新編小さきものの死』では「幼女の眼」となっている。渡辺京二は魂はべつの魂と出会うことは絶対にないと言う。群れを離れたいにもかかわらず群れに帰属したい衝動を渡辺京二は天地生存という言葉で言いあらわしているが、かれの考える天地生存は外延自然に閉じられている。人と人の魂がこの世で触れあわず、どこにも身の置き場がないのは生きているということを外延的に表現することに起因している。このすきまにアニミズムが洗練された日本的な心性が忍びこむ。ユーラシア大陸の東の片隅にある島嶼の国で、それよりほかになにもないというほどに練りに練られた皇室という東洋の遙かなる叡智。それが天皇制だ。人間の個的な生存と共同的な生存の空隙は朕が国家であるという共同幻想によって埋められている。そこに天皇の赤子万民平等という統治の巧みさがある。この観念は人為というよりアジアにおける精神の古代形象由来の自然であるからイデオロギー的な批判では歯が立たない。もとより恐懼するどんな理由もない。ただ尊いから敬愛するし、天皇の赤子万民平等であると錯認される。アニミズムが洗練されて象られた共同幻想のありようのなかにのみそれ自体の根拠をもつ。そしてこの謎は自己意識の外延表現の範型では解くことができないし、その日本的な心性は連綿として負の遺伝をする。そのなれの果てを内田樹の天皇賛歌にみているわけだ。マルクスは鉄鎖以外に失うものをもたない労働者にこの世のしくみをつくりかえる人為を求めたが思想としては壊滅した。外延的な人為ではなく同一者を包み込む自然をつくるよりほかに共同幻想の遺制である天皇新政やグローバリゼーションがつくりあげつつある新しい環界に抗することはできない。
内田樹の冒頭のツイート、「天皇の威信は全国民代表し、いかなる党派にも与しないという『政治的正しさ』に基礎づけられて」ということは虚偽である。朕は国家なり、あるいは国民統合の象徴としての天皇は、共同幻想そのものであるから、困窮に苛まれている民を座視するだけである。共同幻想はよくても災いである。人知れず小さな善を積み増す「文化的雪かき」を啓発する適者生存の勝ち組の戯言にすぎない。五族共和も八紘一宇も、戦時期の指導者は、東条英機もうなるほど言ったぞ。親しきものの死を哀悼することはできても、「すべての死者の負託を背負う」ことはできない。理路として共同幻想が共同幻想を追悼することはない。天皇の赤子万民平等の権化であった昭和天皇は玉音放送で、「爾臣民の衷情も朕よくこれを知る。然れども朕は時運の趨くところ堪えがたき堪え、忍びがたきを忍び、以て万世のために太平を開かんとする」と呼びかけ、「爾臣民、それ克く朕が意を体せよ」と宣って布告を終わる。汝ら臣民朕のために死ねと言っているわけだ。我執のかたまりになった天皇がここにいる。私性そのものではないか。いかなる党派にも超越する政治的正しさの内実も、西郷隆盛の維新の夢も毛沢東のやりたい放題も、つねにこんなものである。わたしはそれらのすべてを唾棄する。

存在を外延的に象るかぎり、個的な生存と社会的な生存が分裂するのは必然である。その必然をどれだけ認識しても存在がひらかれることはない。吉本隆明のように自己幻想と共同幻想は矛盾・対立・背反すると考えてもいい。そうではない。自己幻想は共同幻想に同期する。それが自然であり、この国の自然生成なのだ。この中心に外延表現では歯が立たない天皇制が鎮座している。朕は国家なりという共同幻想に同期することによってかろうじて世界の無言の条理に対抗する。むろんこのとき現人神である天皇も世界の無言の条理の属躰である。

民の原像とはなにか。大衆の原像とはなにか。内田樹のこのブログを読んだとき中野重治の「村の家」を思いだした。治安維持法違反で投獄され釈放されたとき、転向したからには筆を折れと父が言い、息子は「よくわかりますが、やはり書いて行きたいと思います」とやっとの思いで答える。「島の老婆」も「幼女の眼」も老父孫蔵の筆を折るなら百姓になれという説教も、大衆の生存の基底として表現されている。この観察する理性による俯瞰的な内面の作り方に言いようのない嫌悪を抱いてきた。わたしだったら親から堅気になって百姓をやれと言われたら、おれと一緒に世直しをやろうと呼びかける。大衆の原像などいらない。大衆の原像と言われるものがあるとしたら、だれのどんな生にも内在されている。生まれ、育ち、子を持ち、子に背かれ、老いて死ぬ、という生存の基底として内在されているということだ。大衆の原像を繰り込むというのは知的な操作であり、いくらか左翼的で、いくらか東洋的な諦念に近い。東洋的な無常観に回収される心性を遙かなる東洋の叡智と呼んでもいい。それらとは深淵をもって隔てられたもうひとつの領域がある。それは人は根源において〔二人称〕であるということだ。このひとであることの根源を身体と心がひとつきりの心身一如に引き受けたとき、同一者(単独者)があらわれる。その刹那、同一者が根源の二人称(片山さんの言葉を借用)を措定するという途方もない倒錯が生まれた。親鸞は生涯を賭けて他力による自然が可能であり、そのことを自然法爾と呼んだ。外延的な世界では自然法爾も、内包自然も他力のようにあらわれる。わたしが西郷隆盛だったら「島の老婆」に畏怖することはない。革命の義、そんなものはどうでもいい。おばあさん、一緒に面白いことやろうと呼びかける。もっと言おう。わたしが平成天皇の奥さんだったら、「もう充分に象徴天皇としての努めは果たしましたから、余生は民間人として生きましょう」と言うだろう。

人は根源の性を分有することにおいて自由で平等である。そこに人であることの根源がある。同一者であるとき、人は単独者として私性で生きる。外延すれば家族と親族になる。西郷隆盛を敬畏させた「島の老婆」も、「幼女の眼に映った世界」も、「老父孫蔵」も、例外ではない。そしてそこに強固な自然の基底がつくられる。天変地異のように吹き荒れる東洋的な専制のもとで、人は虫木草魚のように世界の無言の条理のただなかを地を這いずり廻り生きてきた。それは生の自然的な基底そのものであったと思う。この自然的な基底はだれのなかにも例外なく内属している。そしてそれにもかかわらず、無言の条理をはみだすように生きている。生の自然的な基底が自然的な基底にたいして表現をなすことで、わたしたちは〔にんげん〕になった。わたしはいま精神の古代形象をそのように考えている。その人間という生命形態の自然を〔内包自然〕とわたしは名づけた。この内包自然から同一性によぎられた外延自然が世界の無言の条理として派生した。圧倒的に善、悪は枝葉末節とわたしが主張してきたことはそういうことだ。もう一度言う。人であることの根源は根源の性を分有するということのなかにある。この分有が可能だから、そのことにおいて人は自由で平等である。内包自然は総表現者を可能とするし、第三者の世界は喩としての内包的な親族へとおのずから生成変化する。このとき人類史は交換から贈与を可能とする内包史へと転換する。

だれのなかにも内属する還相の性を生きることでこの世は内包的な親族として現成する。天皇と尊称される人物のなかにもそれは存在する。内田樹の「すべての死者の負託を背負う陛下」という言説は喉ごしのいい賢しらな予定調和の口舌にすぎない。そういうことはどうでもよくて、内田樹のブログを読みながら、わたしはべつのことを考えた。考えながら、ぎょっとした。自己の生存をかぎりなく無に近いものにし、生を共同幻想へと滅却していく天皇制から、国民統合の象徴としての天皇という共同幻想を抜き去り、理念としての大衆に置き換えた思想が大衆の原像ではないか。あんがい天皇制と大衆の原像という思想は似ているのではないか。理念としては同型であるような気がする。吉本隆明の美しい言葉を引用する。「歴史の究極のすがたは、平坦な生涯を〈持つ〉人々に、権威と権力を収斂させることだ、という平坦な事実に帰せられます」(『どこに思想の根拠をおくか』)。吉本隆明はこの思想をどこで統覚しているか。理念としての大衆という場所だ。この理念もまた共同幻想ではないか。

 

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