日々愚案

歩く浄土116:内包贈与論の予備的考察8-カール・ポランニーの人類学4

デモクラシーはもうほとんど底の抜けた理念であるが、それでも人間がながい歴史のなかで練り上げてきた、わたしたちが手にした最上の理念であるであることはまちがいない。この理念の根本的な欠陥は人格を媒介にしてしか表現できないということだった。自由でも平等でもいい。覗きこむとそこには人格の表出の形式である同一性しかなくからっぽである。人は自由で平等であるようにできているといっても自同律でそれを定義することはできない。この欠陥をビットが補っていく。外延表現を完成形にもっていこうと無邪気にテクノピアが語られる。人格のさらなる外延化である。人間を記号そのものと置換し記号と記号の二項値にすればいいという理念だ。ケヴィンが熱く語るホロスはそういうものだとわたしは理解した。遺伝子は分子記号であるからかんたんに高速にビットに取り入れられる。心身もまたビットの表現としてホロスの属躰となる。ケヴィンは『〈インターネット〉の次に来るもの』でなんどもこの過程は不可避であると書いていた。その不可避ということの意味はよく理解できた。たしかにこの過程は不可避なのだ。人間はどういう理由によって自由であり、平等なのか。ホロスの知で人間の自由や平等を定義することができるか。

もし若くて充分な時間があれば、貨幣の分析を通じてマルクスが資本主義社会を論じたように、ビットと分子記号の解析を通して世界を論じたみたいと思う。もうその時間はないから、わたしの身をよぎった内包の知覚を基にして、ひとであることの不思議な現象は、ビットと分子記号による意識のデジタル化で触れることができないとこれからも主張する。片山さんが「A=Aという、いわゆる自同律を前提にすると、A≠Bとなり、AにとってBは無であってもかまわない。BにとってAは無であってもかまわない。これがISからビル・ゲイツまで、いまの世界のあり方をつくり出しているのではないか。『自同律の不快』どころではない。そんなことを考えています」と2016年10月27日にツイートしていた。『〈インターネット〉の次に来るもの』の読後感かもしれない。おなじようなことを感受したのではないか。わたしたちのモダンな意識はビットに取って代わられようとしている。世界がビットに呑みこまれ、生が総アスリートとして計量されることは不可避であるが、つまり民主主義はホロスのなかで属躰民主主義として再定義されることになるわけで、そうすることによって生は不可避に記号に近づいていく。それはいま進行中のことなのだ。全人類の集合的知能に個々の生が統合されることは共同幻想に併呑されることと同義である。個人はゆくりなく共同幻想に併呑されていく。それは近未来に不可避に訪れるわたしたちの生だ。自同律によって自由や平等を定義することはできない。すっからかんのがらんどうがいったいなにを定義できるか。テクニウムは世界の無言の条理に触れることさえできない。
http://www.afpbb.com/articles/-/3106093?pid=18424105

この生のありようはポランニーの学問の対象となったダホメ王国に似ていないか。

経済人類学者カール・ポランニーは、人間の経済一般の主要な統合形態として、互酬や商品交換のほかに「再分配」をあげています(『人間の経済』)。私もその区別に従っているのですが、ポランニーの欠点は、再分配が略取にもとづくこと、そして、国家が略取-再分配という『交換様式』に存するということを見なかったことです。(柄谷行人『世界共和国へ』49p)

柄谷行人がいうことは妥当だと思う。「私たちの知るかぎりでは、ダホメは奴隷貿易以外にはヨーロッパ商人に銃器と交換を申し出る商品を何ももたなかった」(ポランニー『経済と文明』79p)奴隷を商品として交易する権能をもつ者は精霊の象徴であるダホメ王である。ダホメ王国においては自由人は王一人であり、畏怖と恐怖によって君臨し、国を統治する。

祖先たちの墓に水をふり掛けるために、何百人という捕虜が死に追いやられた。貢租大祭での犠牲とは別に、捕虜の殺教は規則なのであった。これは祖先崇拝からきているのであり、国民的宗教であった。それは、機能的には、(ブッシュ)地帯に王に対する畏れを拡め、恐怖をとおして紀律を維持するのを助長していた。(『経済と文明』77p)

商人にとっては当然の観点から、ウイリアム・スネルグレイブは、あるダホメの軍隊士官に、良い条件で売れる捕虜をどうしてそんなにたくさん殺さねばならないのかと質問した。士官の答えはこうであった。
「どの征服の後でも、神に一定の人数の捕虜を捧げるのが民族の習慣である」
バートンは言う。
「ダホメでは、殺人が純粋に宗教的理由で行なわれる。それは、嘆かわしいほど誤っているが、王の子孫としてのまったく真剣な忠誠の驚くべき一例なのである。ダホメの王は……王室の別邸のある黄泉の国に、幽霊の廷臣に伴われて行かねばならない……これが、われわれが〈特別責租大祭〉(グランド・カスタムズ)と呼んだものの目的である」(同前94p)

ダホメ人の生活の中で、君主の占める位置は、貢租大祭(アニュアル・カスタムズ)の大再配分儀式に集中していた。このとき、王は主権者としてのさまざまの義務を果たすために全ダホメ人の集会に姿を現わす。この貢租大祭こそが、経済サイクルの中心行事であった。総国民生産と外国貿易、そして国民の分け前の観点からすると、ユニークな比率を持った経済制度であった。王みずから、全貴族、支配者、役所の長たちの集会の中心人物であった。その集会には、文字通りすべての家族が少なくとも一度は一人を代表に送っていた。終日つづく集会で、王は贈り物や支払いや貢ぎ物を受けついでその富の一部を群衆に贈り物として分配するのである。
この過程を経済的な観点から見れば、中心に集まりふたたびそこから出ていく財と貨幣の流れである。これがすなわち再配分である。貢粗大祭こそは、王の政治の財政建設、子安貝と他の輸入商品を民衆に分配する主要な機会であった。ブランデー、タバコ、綿、衣服、絨椴、その他の専修品などの高価な報酬が渡される全高級官吏の俸給がそこで支給された。
外国貿易商や商人が王の歳入に相当な額の貢献をしたいっぽう、割の良い地位にあるダホメ人の支配階級がその収入の分け前を王に手渡した。これらの支払いはつねに公に行なわれたわけではなかったが、王からのお返しの贈り物は最大の効果があるようにもくろまれていた。
毎年、ダホメ軍が戦争から帰国したときに開かれるので、貢租大祭はアラドクソヌ王家治下のダホメ民衆の宗教的、政治的な象徴であった。それは、民衆が先祖に敬意を表し、戦いの勝利に感謝する機会でもあった。王が生者と死者の仲介者であった。犠牲者の血をもって祖先の「墓に水を供え」、国民を再び先祖の精神に戻らせるために、王は大量の捕虜を殺哉するのであった。この慣習はダホメ王の死後の服喪期間と継承者の即位にさいして行なわれる特別貢租大祭の、より巨大な規模のときも繰り返された。(同前92~93p)

ポランニーは18世紀ダホメ王国の無文字社会の経済を書誌学的に研究し貨幣と交易と市場がそれぞれ別の起源をもつことを解明した。『経済と文明』の引用をコピペしてきてうんざりする。いくら貨幣と交易と市場が起源を異にすると言われても、君臨する王権が侵害されないかぎり、王が独占した富を国民に、生かさず殺さず、国民に再配分することのどこが目新しいのか。戦争の捕虜を殺戮するのは民族の習慣であるというのは君臨する王権のもとで国民の受容した自然である。ポランニーは本書の始めで断わりを入れている。「しかし、たとえ過去の時代のいくつかの特徴が現代に教訓を与えるように見えても(奴隷貿易と捕虜の殺戮のことを指している-森崎注)私たちはそれでも現代の未開社会の諸世界のなかに理想的なものがあることに注意しなければならない」(『経済と文明』27p)なにをどう注意するんだよ。これはそのなかにいてそこを生きることをしない傍観者の書誌学的戯言である。観察する理性はここまで解釈において傲慢になることができるのだ。そのことには注意しよう。

専制のもとでの王権があり衆生の生殺与奪を意のままにできる絶対的君主制の下で奴隷貿易が交易としてある。国王から国民への財の再分配がありサバンナの村落社会では互酬性と相互扶助性が生存を維持する生活の知恵として中央の国家統制から相対的な自治を認められていたからといって、一体どんな自由があるというのだ。おっとっと。この物言いは見当外れだ。そうではない。ダホメの国民は王権による庇護を自然とみなしていたということだ。わたしたちの自然とダホメの国民が自然を享受することと、わたしたちのそれとはおなじなのだ。ここを取り違えるとなにが問題かということがずれていく。これからビットに取り込まれていく生の自然もおなじである。それぞれに自然だと受容される自然の諸相がある。そして時代と人びとのあいだにある迷妄の度合いは不変だ。

国家のもとでの交易が統制経済であり、村落社会では生存を維持するぎりぎりの自治が付与される。ポランニーは市場社会が蔓延しない機能的国家としてダホメ王国をかなり評価をしている。根本的な錯認がある。ポランニーはダホメに住みたいと思ったのだろうか。なぜ住まなかった。ポランニーがダホメに見たのは、資本主義社会の市場が普遍的でもなくある社会が選びとった恣意性ではないかということだ。学問的なアイデアとしては悪くない。資本主義社会の市場万能性に異議を申し立てているだけで、では資本主義社会をどう超えていくのかということについてはなんの構想もない対抗概念にすぎないという由縁だ。概念のうねりの規模がちいさい。学者のアイデアを言っただけだとわたしは思う。いわゆる学問的業績というやつだ。わたしはこのような業績はいいようもなく不毛だと思う。

人間の世界はつねに市場制度に向かうシステムだと経済学者によって解釈されてきたが、そのことには薄弱な根拠しかない。実際には、交換以外の形態が、前近代世界の経済組織の中で行なわれていた。原始共同体においては、互酬性が経済の決定的特徴として現われるし、古代経済においては、中央からの再配分が広く行なわれている。より小さい規模ではあるが、農民の家族の生活パターンは家族経済である。しかし、互酬性と家族経済は、いかに広く見られたものであっても、交換に還元することのできるものだけを経済現象だとする近代の観察者には、不可視のものとしてとり残された。
ダホメの経済は、地方市場によって補われている互酬行為と、家庭経営の網の目をとおして調和させられている再配分的支配と、地方的自由のバランスの上にのっていた。計画された農業は、自由な村落によって統合されていたし、政府による外国貿易が、一方では市場システムを避けながらも地方市場と共存していた。この古代的社会は、法的支配の下に堅固な社会構造を持っていた。(『経済と文明』34~35p)

わたしはダホメ王国には住みたくない。ダホメの国王からすぐにアミン元大統領をイメージした。ポランニーは資本主義社会の市場という特異な現象を相対化したくて資本制社会に対抗する概念をつぶやいている。それだけなのだ。それは対抗概念であって未知をつくるものではない。貨幣と交易と市場のなかでいちばん根深いものは先史のむかしから刻み込まれた貨幣だと思う。それは貨幣が身体の外化されたものであるからだ。こういうことはべつに本を読まなくても身体感覚として残されている。若い頃、遠浅の有明海の海岸から遠く海に出て、素潜りでタイラギをよく獲っていた。面白いんだこれが。自然薯を掘るのは根気がいる。食べるのは一瞬だけど、時間をかけて折れないように採る。自然と逍遙遊しながら身体を使って狩りをするようなものだ。知恵をめぐらし自然に働きかけ、つまり身体を延長し、自然を外化すると、逆に自然は内化される。人間と自然の相互規定性がここにある。アダム・スミスの古典経済学の理念を持ちださなくても得物を獲るのに費やした時間が価値化される。貨幣は環界にたいして身体が外化された延長態に起源をもつといえよう。そしてここに心身一如の交易よりも市場よりもはるかに古い私性の起源がある。「ここはおれの日向だ」(レヴィナス)「経済的な社会構造の発展を自然史的過程として理解しようとする」マルクスの資本論の射程は精神の古代形象としてある私性の起源には届いていない。マルクスの自然もまた線形的な外延的な自然にすぎなかった。ポランニーの交易と市場はたんてきには科学知と技術の自動更新によってもたらされたというべきである。それ自体にはなんら倫理はなく観念の遠隔対象性の効用と言えばよかった。

この一年ほど精神の古代形象について延々と考え、一応の結論を得たように思う。わたしより近くにいるあなたはだれのなかにも無限小のものとして内挿されているということ。ヴェイユが渇望した絶対の善は歴史の概念としても言いうる。「二つの善がある、どちらも同じ名称をもつが、根本的に相異なっている。悪の反対としての善と、絶対としての善と。絶対というものにはその反対がない。相対は絶対の反対ではない。相対は絶対から派生したものであり、両者の関係を交換することはできない。われわれが欲しているのは絶対的な善である。われわれが到達できるのは、悪と相関関係にある善である。われわれはそれをわれわれが欲している善であると思いあやまり、そこにおもむく」(ヴェイユ『重力と恩寵』268p)わたしの還相の性がヴェイユの絶対の善にあたる。この絶対の善が棲まう場所をわたしは内包自然と名づけた。内包という意識がふいに目覚め、奔流となって心身一如に注ぎこまれ、わたしたちの外延的な人類史が連綿と刻まれた。そうではない、世界はlovesickだ。そしてlovesickから還相の性へはほんの一歩だ。あなたがわたしよりもわたしの近くにいるという知覚を表現するときそれは内包史となってあらわれる。
                                                                           (この稿了)

〔付記〕ノーベル文学賞をディランが授与されるとネットで知ったとき、ほかにだれかいるかいと思い、ディランが返答をしないと、このままスルーして欲しいと思うようになり、言葉を失った、光栄だ、式には行けたら行くよ、と返事したので、無視して欲しかったなと思った。まちがった一般化をずっと批判してきてもこの罠にかかった。貰うのはディランだ。そうやって個人と社会がリンクする。典型的なまちがった一般化だ。少し恥じた。
おなじことを作者の村上春樹は読者に発信する。村上春樹のアンデルセン文学賞スピーチ「影と生きる」の後半を貼りつける。これほど醜悪でいやしい言葉に遭遇することはめったにない。ピコ太郎のペンパイナッポーアッポーペンのほうが掛け値なしにいいと思う。村上春樹のスピーチは無国籍でノーリスクです。かれの明暗は言葉の起伏をまったくつくれていない。すべてがフェイク。村上春樹は社会的な言葉で他者とつながろうとしている。読者よおわかりだろうか。

アンデルセンが生きた19世紀、そして僕たちの自身の21世紀、必要なときに、僕たちは自身の影と対峙し、対決し、ときには協力すらしなければならない。それには正しい種類の知恵と勇気が必要です。もちろん、たやすいことではありません。ときには危険もある。しかし、避けていたのでは、人々は真に成長し、成熟することはできない。最悪の場合、小説「影」の学者のように自身の影に破壊されて終わるでしょう。自らの影に対峙しなくてはならないのは、個々人だけではありません。社会や国にも必要な行為です。ちょうど、すべての人に影があるように、どんな社会や国にも影があります。明るく輝く面があれば、例外なく、拮抗する暗い面があるでしょう。ポジティブなことがあれば、反対側にネガティブなことが必ずあるでしょう。ときには、影、こうしたネガティブな部分から目をそむけがちです。あるいは、こうした面を無理やり取り除こうとしがちです。というのも、人は自らの暗い側面、ネガティブな性質を見つめることをできるだけ避けたいからです。影を排除してしまえば、薄っぺらな幻想しか残りません。影をつくらない光は本物の光ではありません。侵入者たちを締め出そうとどんなに高い壁を作ろうとも、よそ者たちをどんなに厳しく排除しようとも、自らに合うように歴史をどんなに書き換えようとも、僕たち自身を傷つけ、苦しませるだけです。自らの影とともに生きることを辛抱強く学ばねばなりません。そして内に宿る暗闇を注意深く観察しなければなりません。ときには、暗いトンネルで、自らの暗い面と対決しなければならない。そうしなければ、やがて、影はとても強大になり、ある夜、戻ってきて、あなたの家の扉をノックするでしょう。「帰ってきたよ」とささやくでしょう。傑出した小説は多くのことを教えてくれます。時代や文化を超える教訓です。

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