1安倍報道で気が鬱々していたとき、面白いツイートをみつけた。「坊主」という名の発信者。以前に「ガンジーでも助走つけて殴るレベル」を上回る神フレーズ選手権を開催して・・・【続きを読む】
1エマニュエル・トッドの『家族システムの起源』は刺激的だった。トッドは『世界の多様性』のなかで、276の民族の資料を渉猟し、ある特定の民族の家族の形態は、ある特定の・・・【続きを読む】
1貨幣を共同幻想として考えようとしている。悠遠の太古、陽気な面々は根源の性を分有することでヒトから人になったと精神の古代形象をイメージしてきた。国家が共同幻想であ・・・【続きを読む】
1マルクスは『経済学批判』の冒頭で使用価値と交換価値をつぎのように定義している。一見するとブルジョア的富は、ひとつの巨大な商品集積としてあらわれ、個々の商品はこの・・・【続きを読む】
1「ゼロよりもはるかに下」の深みを27年生きて、その切り立った崖の上で、NOBODY NOWHEREだったドナ・ウイリアムズは自問する。「わたしたちは、自分の中に自己というものが・・・【続きを読む】
1社会の出来事を俯瞰する視線で内包論を書くことはない。ある特定の時代をあるきっかけで生きるとき、それは時代の大きな流れに巻き込まれることだが、それがどれほど愚劣な・・・【続きを読む】
1観察する理性は明晰であるという臆断を前提とすれば未開人は迷妄の世界を生きていることになる。果たしてそうだろうか。時代のなかにある迷妄はいつの時代も変わらないとわ・・・【続きを読む】
1国家があるという信憑と内面があるという信憑はどこがちがうか。なんにも違わないのじゃないか。そんなことをふと考えたりしている。なにかのきっかけで、「私」のこの気持・・・【続きを読む】
1状況を根源的に考えることは主観的な心情で事件を語ることを意味しない。どの立場に立とうと「社会」主義という共同幻想へと回収されるだけである。こんなものはいくら論じ・・・【続きを読む】
1内包論の考察をすすめていくことで内包論がつくろうとしている世界の輪郭がすこしずつ明らかになってきたという手応えがある。ヴェイユの匿名の領域は、人格や衆を媒介にし・・・【続きを読む】